うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

書道をかじってみました。

 今回は、私の体験談を書こうと思います。12月ころからなのですが、私はほんの少し書道を書家の方に習うことができました。

 冬休みに必ずと言っていいほどある宿題は、書初めです。それに加え、都展にも出品してみたいなどと思い、もう一枚書いてみました。

 私は、保育園のころからイギリスに行くまで習字を習っていたのですが、まったく熱が入らなくて、ただ通っているという状態になっていました。

 それが、小6の時の書初めで、比較されるなら上を目指したい!と思い、父にも驚かれるほど家でも練習するようになりました。生徒会に入ったときも、選挙の前にたすきのようなものを作らなければいけなかったのですが、当時の生徒会長が毛筆で書いているのを見て、私も筆で書きました。そういうこともあって、習字の課題が国語の授業で出た時には毎回家で寝る寸前までやっていました。

 そんな姿を見て、母の知り合いの書家の方に書道のレッスンを受けていた父が、一緒にどうかと声をかけてくれました。その時は、習字と書道の違いなんて知らなかったのに、「なんか面白そう」と思って承諾しました。

 受けてみて、まず思ったのは、常識が覆ったということでした。だってそれまで、形をとにかくきれいにすれば褒められると思って書いていたのに、結果は大事じゃないと言われたのです。先生(書家の方)は、体を使って筆を運ばせていました。手首をつかうのではなく腕を肩から動かして書いていました。

 しかも、「集中したいなら音楽などかけずに」と多くの人は言うのに、先生は、自分の好きな曲を聞いてリラックスしてから始めた方がいいというのです。いろいろと変わっていく常識にびっくりするとともに、学校での授業と、書を何十年もやっている人との授業は違うな、と思うことができました。

 書いた字も、腕を目いっぱい動かして、楽しみながら書くと自然といい感じになるのも驚きました。自分で楽しんで書けたらそれがいい、と心から思えました。

 結局、行書で書いた「青雲大志」は銅賞でした。負け惜しみになりますが、銀賞・金賞を書いた人でも、これは手首だけを使っているな、とか、これは形を大切にしているな、とか、延筆がみえない作品もありました。でも、私のクラスの金賞の人は、すごく上手くて、堂々としていて筆の動きも本物だなと思いました。(って言ってもそこまでわかるわけじゃないんですけどね…)

 都展に向けては、「岩ばしる 水の響きや 梅探る」という、久女さんの作品を書かせてもらえました。書家の先生が詩文書が得意だったこともあり、いい作品が書けたのですが、その金賞の人の書いた作品が都展には選ばれました。

 詩文書というものは、滲みとかすれが大切らしく、私の作品もすごく滲みとかすれがあるものになったのですが、同級生は、なじみがないので不思議がっていました。私も、書道を習っていなかったらそうだっただろうなと、いい体験をしたなと思いました。

 

 今回はこれまでです。次回も書道に関係のある記事を書くかもしれません。よろしくお願いします。最後までお読みくださりありがとうございました。