うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

人生がテーマプロジェクト…やっぱりこのかた凄すぎます:中山道69次資料館

 こんにちは!といってももうこんばんはの時間なので、頑張って早めに書いていきます!

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 今回は、去年もこのブログで紹介した岸本豊さんと、岸本さんの作った中山道69次資料館の内部などについて書いていきます!シリーズものになるはずです!

 

目次

 

岸本さんてどんな人?

 さて、それでは、去年投稿した岸本さんとのお出かけについて、少しおさらいしていきましょう。詳細は下の記事に書いてあります。他の関連記事も一番下に貼っておきます。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 岸本豊さんは、以前徳島で社会科の教師をしていた方です。今は軽井沢近くの追分という場所で、<中山道69次資料館>を開設し、そこの館長をなさっています。とっくのとうに定年退職されていますが、色々と精力的に活動されていて、いつあってもキラキラしてます…

 去年あった時は、コロナ休校の直前に追分宿から小田井宿まで7kmほどの距離を歩きました。中山道についての造詣がとてつもなく深い方で、本も何冊も書いています。自分で資料館を作るんですから、その情熱の凄さは一目瞭然ですね…

 

それでは、岸本さんに会う前に…

 今回、その岸本さんとまたお会いしてきました!タイムスケジュールはこんな感じです。

  1. 11:30過ぎ→追分のお蕎麦やさんに到着。混んでいたので近くで待機…
  2. 12:00頃→お蕎麦やさんに入る!家族でそば&天丼セットを頼む
  3. 1:30前→追分を少し歩いて、時間を潰した後に雨が…!資料館へ出発!
  4. 1:30~3:30→資料館の中&外を散策、お話を聞きながら中山道について学ぶ
  5. 3:30~4:00→4時過ぎごろまで岸本さんの御宅でお庭散策…またパワーアップしてますよ⁈

今回は、(お蕎麦についてと、)資料館について書いていきます!

長野のお蕎麦って美味しいんです!

 まず、お蕎麦について!みなさん、長野に来たら絶対にお蕎麦を食べてください!私は、東京にいた時は「そばなんてみんな同じじゃね?」って思ってました。こっちに来てからそばを食べた時の衝撃と言ったら… こしの強さも、角の立ち具合も、全く違うんです!思い出補正がかかっている可能性も否めませんが、とにかく本当にそばが美味しいです。

 今回私がいったのは追分にある『ささくら』というお蕎麦やさんです。開店が11:30なのですが、開店少し後に行ったところ、16番目の客になりました。店舗内に10組くらい入れるので、開店すぐに行っても待たなきゃ食べられない、ということです。

でもそれも納得できるくらいには、『ささくら』は美味しいです。何より、いわゆる観光地値段ではないので地元民でも観光客でも安心して食べられると思います。

油やっていうギャラリーもおすすめ!

 ささくらで待っている間、『油や』という『ささくら』のすぐ側にあるギャラリーを併設している旅館に遊びにいきました。堀辰雄(『風立ちぬ』を書いた小説家)が初めて奥さんにあったところがこの『油や』らしいです。中には古本屋(純文学や文学や信濃関係多め)や陶磁器・ガラス製品などのギャラリーがあります。色々なレコードがあって、見るのが面白かったです。永遠のトップアーティスト:マイケル・ジャクソンのレコードが見たかったので、探していたのですが結果見つからず…

 カーペンターズのレコードなどもあったし、ビートルズのCDも多くありました(さすが軽井沢!)。今回はいきませんでしたが、その側に追分コロニーというところもあるらしいです。そこも古本屋らしいので、興味があったら行ってみてください!

 

 さあ、本編の前の番外編(食べ物は大事です)が終わりました!

ここからは、資料館の中を豆知識とともに書いていきます!

 

資料館に入りました!

まず、玄関から入ったところ。大人は500円、高校生以下は200円、5名以上の団体には団体割引があります。

 玄関に入ると、正面には中山道の宿場町を描いた日本地図と、洗馬を描いた広重の浮世絵があります。

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この地図だと写真のため見難いので、ネットから探してきました!

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この画像は『中山道歩き旅』さんからのものですhttp://www.ne.jp/asahi/m.mashio/homepage/naka-hajime.htm
 
軽井沢付近の中山道は?


 資料館があるのは、20番の追分宿です。ちなみに、今大河ドラマで注目されている「青天を衝け」に出てくる渋沢栄一の出身地は10番の深谷宿。今ドラマが取られているのは15番の安中宿の方らしいです。なので、深谷からは絶対に見えないであろう山がドラマには写っているんだとか…(全部岸本さん情報)

 また、17番坂本塾から18番軽井沢宿までの間に、碓氷峠があります。碓氷峠は漫画「頭文字D」にも出てくる名所で、めがね橋峠の釜飯で有名な『おぎのや』があります。

峠を登ることにより標高も跳ね上がり、69次のなかで一番標高が高いのは追分宿で、1000m付近です。

 中山道は、江戸の日本橋から京都の三条大橋までですが、69次にこの二つは含めません。「次」というのは、荷物をつなぐという意味になるので、最初と最後は含めないそうです。

 中山道については、詳しくは前述したブログを見てください!追分宿から歩いています!

 

 甲州街道は大名は使わなかった!

 また、中山道の下には甲州街道があります。この甲州街道は、中山道よりも短いのですが、それでも往来する割合は2:1だったとか。

なぜかというと、幕府が大名行列中山道のみ」と命令していたからです。甲州街道は、どこかの大名が江戸に攻めてきた時用に用意していた、一時退却のための道路でした。

しかし、甲州街道を使うことが許されていた藩が三つだけあります。それが、諏訪の高島藩、伊那の高遠藩、飯田藩の三つです。以前高遠の桜を見に行ったことがありますが、とても綺麗でした!

この3藩は3万石ほどの小さな藩のため、わざわざ遠回りせずとも甲州街道を使っていい、という許可が出ていたようです。

 さて、ここで名前が出てきた高遠藩ですが、面白い豆知識がありました。

 

高遠藩にいた、家光の弟、家康の孫とは…?

 江戸幕府2代将軍の徳川秀忠ですが、彼の正妻は信長の名であるお江の方。江はかなり嫉妬深い性格だったのか、側室の存在を許しませんでした。ですが、秀忠の乳母に仕えていた女性との間に子供が生まれます。見つかったらいけないということで、彼は高遠藩の時の藩主保科正光が預かることとなります。そこで、保科正之として成長しました。

 秀忠の死後、参勤交代で知られる3代将軍徳川家光が、どうやら自分に弟がいるらしいと知ります。探したところ、高遠の保科正之が該当する…

自分の異母兄弟となる血筋なら、高遠藩は弱小すぎる!ということで、正之はその後会津藩となることに。この時「松平」の名を家光は用意しましたが、正之は保科家への恩を忘れず、正之の息子も保科の名をつぎました。三代目からは時代も離れたのでかつ平の名をつぎ、「会津松平家」が完成しました。幕末には幕府側として最後まで戦うこととなります。

 

 最後に!

…他にも色々ありましたが、とりあえずここまでが岸本さんが資料館の「入口」で話してくれたことです。あ、入口とは言いましたがもちろん屋内ですよ!

情報量がすごすぎませんか?何かを見ているとかではなく、完璧にこちらのニーズに応えてくれます。弟が歴史好きということも覚えてくれていました!なんというか、やっぱりこの方すごいな…と思いました。

 この記事で資料館の中に入れるかな?とも思いましたが、今回は時間的にも字数的にもここでやめておきます。多分次か、その次かでシリーズ終わります。見て行ってくださると嬉しいです!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。今回は、資料館に行く前に行った場所と、中山道について(中山道関係の豆知識)について書いてきました!やっぱり岸本さんすごいです…!

 

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2020年

 

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 関連するURL

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「宗教」について考えてること&『ダライ・ラマ 未来への希望』を読んで

 こんにちは!

今回は、読んだ本とともに、『宗教』に関して書いていこうと思います!一応書いておくと、個人の考えだし、全て裏付けがあるわけでもありません。今まで聞いた他の人の言葉から、自分が「宗教」と聞いたときに思うことを書いていきます。

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目次

 

ダライ・ラマ 未来への希望』で強調されていたこと

 まず、今日この記事を書いたきっかけは、ダライ・ラマ14世の書いた『ダライ・ラマ 未来への希望』という本を読んだことです。同じ著者の他の本を探していたのですが、この本しか図書館になく、読むこととなりました。

 この本はチベット亡命政府において元首を務めているダライ・ラマ14世によってかかれ、マリア・リンチェンさんが訳した本となっています。

 

 この本は、あまり今まで読んだことのなかったタイプですが、色々な講演をもとに書かれた本なので読みやすかったと思います。多分、仏教の基礎知識があったり、仏教に興味がある人ならとても楽しく読めると思います。私は、確かに面白かったし色々なことを学べたのですが、今はあまり必要ではないかな、と思いました。悩み事ができた時とか、もう少し成長した時とかに読んでみたいです。

 ただ、同じ著者の作品があったら借りてみようかな、と思うぐらいには私も楽しめました。

 

 強調されていたことは、

20世紀は多くの人が「戦争を通じてでなければ結果的な解決には至らない」という考え方だったが、21世紀は問題解決に「対話」という概念が使えると周知されている。対話のためには、相手の人権や意見を尊重しなければいけない。

そのためには相手に対する慈悲の心が必要となってくる。

慈悲の心は、結果的に自分の心の豊かさを産んでくれる。

 

といったことです。自分で勝手に略したので、興味がありましたらぜひ読んでみてください。

 

 

 

自分が関わってきた宗教 in Japan, in Britain

 さて、今回は、自分の宗教観のようなものについて書いていきます!といっても、正直自分から宗教についてしっかり考えたことがないので探り探りですが…

 

 まず、私が初めて意識した宗教は、仏教です。仏教と神道は日本人の多くが信仰している宗教です。私は、手塚治虫の『ブッダが好きで、小学生の頃によく読んでいました。また、それが高じてブッダの伝記やアナンダについての本を読んだこともあります。

 

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

  • 作者:手塚 治虫
  • 発売日: 2000/04/01
  • メディア: 文庫
 

 

 …というのが私の最初の宗教に関する思い出なのですが、どうやら本当は少し違ったようです。私は、小さい頃からすごい本が好きで、絵本っ子でした。保育園に行く電車の中で、絵本の読み聞かせ等もしてもらっていたのですが、その中でのお気に入りが「聖書の絵本」だったそう…

うちの親がそれをピンポイントで勧めてくるわけないので、私が勝手に好きになったそうですが、かなりお気に入りだったそうです。正直全く覚えていません…

 つまり、本当に宗教の知識が入ったのは3歳とかの時で、実際に宗教の成り立ち(そこまで言えるほど難しいものでもないですが)を意識したのは小学校低学年だった、ということです。

 

 その後、なぜか私はイギリスに行く直前にキリスト教に興味を持ちました。親によると、

「お墓的に私は仏教徒なのだろうけど、仏教徒である理由がわからないから他の宗教を知りたい!

知っている宗教は仏教、イスラム教、キリスト教だからキリスト教の教会に行ってみたい!」

というめっちゃ適当というか、バカというか、子供っぽい理由から近所のキリスト教の教会に数回通っていました。

 自分の中でキリスト教のイメージは、聖☆お兄さんという漫画に出てくるイエス・キリストのイメージが強く、そのあとは普通にキリストの伝記とか、教科書に出てくることとかしか知らなかったと思います。

そうやって教会に通う中で、キリスト教の中にもカトリックプロテスタント正教会や、もっと細かくするとバプティスマなど色々な宗派があると知りました。仏教の宗派に関しては、歴史の本を読んでいる間に色々出てくるので知っていましたが、この時に「宗教は全て奥が深い」という当たり前のことを改めて認識したと思います。

 

 そして、イギリスに行った時の一番仲が良かった友達で、今も連絡を取っている人はムスリムです。初めて家の前で会った時、私はちょっとテンパったんでしょうね…

「お母さん!なんか民族衣装みたいなの来た人がいる!」

と、家に駆け込んだそうです。民族衣装じゃなくて、ヒジャブですね…

なんか、今考えるとどんだけ失礼なんだ、というか、どんだけ無知なんだ、と恥ずかしくなります。結局、その友達とは本当に仲良くなってお泊まり等もしました。また、イスラム教のみでなくシーク教ヒンドゥー教、そのほかにも色々な宗教の人に会えたので、イギリスでやっぱり色々な宗教を知れたし、そういうものに対する抵抗感はなくなったんだろうな、と思います。

 

 そうして、色々な宗教があると知るなかで、イギリスで新しい趣味を見つけました。それが、ルネサンス絵画の鑑賞です。初めて行ったのはロンドンのナショナルギャラリーで、そこからヨーロッパの美術館をめぐるようになりました。ルネサンス絵画は、多くが宗教画で、聖書の色々なシーンを描いています。私は、そう行った聖書のシーンを把握した上でアトリビュートなどを考えながら絵を見るのがすごい好きで、日本に戻ってからも聖書を読むようになりました。

 なので、キリスト教に関する知識は他の宗教より多いとも思います。教えに関しても、自分で考えたことがあります。かと行って、キリスト教だけなのかというとそういうことではなく、般若心経を覚えようとしたこともあれば、東京のモスクに行ったこともあります。神道の本を読んだこともあるし、本だけでいいならそれこそシーク教ヒンドゥー教など色々な本をイギリスで読みました

 

 その中で、しっくりくる教えがあったかといえば微妙だし、実際に神様がいるかと問われればそうとも思えないです。でも無神論ではないし、無宗教者というのが一番正しいのかも。それでも英語のレッスンとかで、なんの宗教かと聞かれれば「一応仏教」と答えます。それは、自分が実際に仏教からなる日本の伝統文化に習い、家も仏教のお墓だからです。また、それを否定するだけの考えも持っていないので、一番興味を持っていてもキリスト教の名前はもちろんあげません。

(追記を一番最後に書いています)

 

「日本人は真剣な仏教徒ではない」って日本だけ?

 そもそも、よく「日本人は仏教を真剣に信仰しているわけではない」という言葉を聞きますが、それは「日本人」のみのことのなのでしょうか。

 

 思い出してみれば、イギリスでは日曜日に教会に行ってないキリスト教徒なんて学校にいっぱいいたし、ラマダーンでもしっかりおやつを含めたご飯を食べるムスリムもいました。授業で異文化交流としてシーク教の小さな教会のようなところ(寺院ではなく、その地域のシーク教の人たちが拠り所としていた建物でした)に行った時も普通にシーク教ではないクラスの人も全員ついてきたはずです。

 

 キリスト教でもレントの時に何か断食する、という人はクラスの半分程度でしたし、宗教にあまり頓着していないのは日本だけではないのではないでしょうか。

日本人もお寺や神社で参拝するし、お盆や初詣などのイベントに参加します。お守りをつけたり厄払いをしてもらったり、お墓まいりも行くので、意識しないだけで他から見ると「それ宗教行事じゃない?」ということを意外としているのかもしれません。

 日本にいると、そもそも仏教・神道以外の宗教を信仰している人が周りにあまりいません。というか、自分が信仰している宗教について「私はキリスト教徒です」なんてあまり大げさには言わないと思います。だからこそ、周りに一人でもいるとその人がやっていることが「キリスト教徒」を表したものになります。

 それに加え、日本では特にキリスト教由来のイベントが根強いため、「クリスマスの日は教会に絶対行く」などの一部の情報が広く知られています。

だからこそ、「外国からの行事(クリスマス)→キリスト教、日本→特にない」と行った認識になるのかもしれません。

 

 時間があるときにでも、宗教についてまたよく調べ自分の立ち位置を探していきたいです。無理に探すものでもないし、無宗教なら無宗教でも全然いいと思います。でも、よく知らないままに「自分はどの宗教でもない」というのは少し負けた気がします… どうせなら、自分が今まで無意識にやっていた日本人の習慣についてもどのくらい宗教的なものなのか調べ挙げたいです。そうしたら、今まで持っていた仏教や神道に対する考え方も少し変化が出てくると思います。

 …と書いてきましたが、イギリスにいたときにより宗教観を自分のアイデンティティの一つとして考えている人は多かったので、実際日本の方が頓着はしていないのかもしれませんが…それでも、特に頓着していない、というわけではないのでは、と少し思ったので書いてきました。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。これからも色々調べていきたいです!

 

追記

自分のことを「無宗教者」と書きましたが、それを訂正します。このブログを読んだ親から、私が忘れていた言葉を思い出させてもらいました。

私は自分のことを「不可知論者」だと思っています。不可知論とは、人知を超えた存在のものは扱わない、という立場を取っているものです。「扱わない」という言葉の中には、「肯定・否定の態度を取らない」という意味のほか、「問題そのものを認めない」という立場もあります。無神論では、「神は存在しない」と言われますが、「不可知論」の場合は神の存在は証明できないので論じない、と言われています。

まだ、自分が「不可知論者」なのか「無宗教」なのかよくわかっていませんが、昔は「自分は不可知論者だろう」と思っていたので、ここでも「自分が不可知論者である」と書いておきます。

この頃の悩み-ギャップタームを過ごすって難しいです。

 こんにちは。GW、外にはあまり出られませんが、楽しく過ごしたいです!

 

今日は、この頃の悩みについて書いていきます。書こうか迷いましたが、自分が昔何を考えていたのか振り返る機会を作るためにも書いていきます。

 

 あ、一つ書かせてください。よく、このブログでは「備忘録」という言葉を使っていると思います。先日読んだ朝井リョウさんの『何者』という本では、この備忘録という単語が「イタい言葉」という風に書かれていました。

 私はよく本に影響を受けるので、本で「〇〇は変」と書いてあったら、そうなんだな、と考えます。この本を読んでいても、「備忘録」を使っていた人のことは気落ち悪いと思いました。もしかしたら、大多数の人から見たら「備忘録」という言葉は飾った言葉で、「イタい」ものなのかもしれません。そして、私はそれを三年以上使い続けてきた「イタい人」だったのかもしれません。

 だけど、この言葉については使うのはやめません。この言葉は、もともと私が尊敬しているブロガーさんが使っていたものです。それに、私はとってもとっても忘れっぽいので、「備忘録」は必要なんです(笑)。なので、『何者』には色々考えさせられましたが、この「備忘録」という言葉を批判(?)されたのは少し嫌な気持ちになりました。

 本から得る知識はとても多く、その知識は私をよく助けてくれます。だけど、その知識全てが正しいわけではありません。今回の話はそもそも小説なので「備忘録」という言葉を批判されたわけではない気もしますが、それでも本に影響されすぎないようにしなきゃな、と思いました。「備忘録」のようなケースに限らず、自分が大切にしていたものを悪く書かれることは本を読んでいれば絶対出てきますが、本はルールブックではなく、作家さんの考えを表したもの、ということを忘れないようにします。この頃本を読むことが多くなっているため、本に影響されやすくなっている気がします。気をつけていきたいです。

 

 

 さて、今回書いていきたいのは、この頃の悩みについてです。

何回も書いている通り、私は8月からISAKに通うことになるので、今はギャップタームとして家で過ごしています。その間何をしようかと考えたところ、

  • VUJでの仕事
  • ブログ更新
  • インスタ更新
  • Z会での勉強
  • 自分での勉強

などをあげていました。

 …それだけで、もう1ヶ月すぎちゃいました。同じ学校に行く人は、バイトをやる人も数人いたり学校に通っている人もいたり。なんというか、周りから「置いていかれている感じ」というか「時間を無駄にしている感じ」が強いです。

 新しく何かを始めようとしても、残された時間が3ヶ月と短期なことや、このご時世ということ、そして住んでいるところが枷となって、あまり当初予想していたことはできませんでした。

 

 コロナがなかったら、東京に行って博物館巡りをして見識を深めたい!とか、一人で旅行に行って色々調べたい!とか、考えていたことはあったのですが、残念ながらそれもできず… 漠然と時間を有効活用したいなと思っても、あまりできていない現状です。

 GW中に、立て直すというか、家族と話して少し時間の使い方を考え直したほうがいいかな、と思っています。

 

 自分がやりたいことはなんなのか、自分が興味があるのはなんなのか、この期間だからこそできることはなんなのか。考えて行動しなきゃいけないし、そうする時間も一応たっぷりあります。

 だけど、考える時間があるからこそ煮詰まっちゃいそうです。この頃、少しマイナス思考気味になっているので、それは直していきたいです。

 このブログも始めた当初はインプットしたことをアウトプットするために書いているものでした。今は、アウトプットしたい(記事を書きたい)から何かをする、と行った感じになっています。そうやって、記事を書くことを最大の目的とすると書く内容も「思い出」につながるものが多くなるし、内容が薄くなります。

 私も、このブログを公開しているので、「うぐいすの音」で記事を読んでくれた人の時間が無駄にならないようなクオリティのものを書きたいとは思っています。なのに、そう行ったものが描けないまま無理やり抽出して書いている感じです。

 この記事を書く前に書いていたのは、少し前にあげた「国語の授業の思い出」の2番目の記事でした。でも書いていて、やっぱりこの記事も自分が「毎日記事をあげたい」っていう思いからきている、内容のない記事になるよな〜と思っていました。

 かと行って、毎日本を読んで感想を書いて…だと追いつかなし、どうすればいいかわからなくなってきちゃいます。他にも色々と、一人で静かに過ごしているとドツボにハマっちゃうことが多くなっている気がします。父が、「自転車で日本一周の旅でも行ってみる?」と行ってきましたが、本当にそれもしたい気分です…(超インドア派の私がいうんです!かなりすごいことです!→自分で言うスタイル) ただ、15歳の女子が一人でこの情勢の中で自転車旅っていうのも親としては心配らしい… これからの3ヶ月どうなるのかわかんないけど、4月みたいな過ごし方はしたくないな、と思います。

 

 日差しに当たっていないと鬱になる傾向が強いらしい(「うちのトコでは」より)ので、とりあえずは毎日外を歩いて、運動不足にもならないようにすることを目標にします!今日も、やる気が少しなくなっちゃって毎日更新を目標にしていたインスタの投稿用写真をまだ作っていません(汗)!このブログをあげたら作っていきます!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。何もしないままで1ヶ月過ぎちゃったので、ちょっと焦りが抑えられなくてこういう記事を書いてきました。いつも通りにポジティブシンキングで、やりたいことをやっていこうと思います!まずは親と話し合いですね…先人に聞くことは大切です。その前に、インスタも投稿してきます!ここでやめたら何かに負けた気がするので…!

朝井リョウ『何様』を読んで-『何者』のアナザーストーリーです。

 こんにちは!ISAKへ持っていかなければいけない書類を準備するために、そろそろ中学校に行かなきゃかな〜と思っています。久しぶりに学校に行くのが楽しみです!

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 今回は、朝井リョウさんの『何様』という本の感想を書いていこうと思います。

 

何様(新潮文庫)

何様(新潮文庫)

 

 

 

目次

 

1.『何様』とはどんな物語?

 少し前に、ここに『何者』という本の感想を書きました。

 

chirpspring.hatenablog.com

  この本は、朝井リョウさんによって2012年に発行され、2016年に映画化されました。主に出てくる登場人物は

  • 二宮拓人(演劇出身で周りから一歩引いて見ている)
  • 神谷光太郎(拓人とルームシェア中のバンドマン。性格が明るくコミュ力も高い)
  • 田名部瑞月(米国でインターンシップを経験、聞き役になることが多い)
  • 小早川理香(瑞月とは留学生交流会で知り合う、就職活動に対する意識が高い)
  • 宮本隆良(理香の彼氏。就職活動に批判的だが、のちに隠れて就職活動をする)

の5人が主なものでした。他にも、拓人の先輩として「サワ先輩」が出てきます。

 

 そして、『何様』は2016年に出版されました。『何者』のアナザーストーリーが6編収録されています。全て『何者』に出てきた登場人物に関わるアナザーストーリーで、書き下ろし作品も一つ収録されています。

 しかし、主要登場人物がそのまま出てくるというわけではなく、『何者』ではスポットライトが当たっていなかった人たちが主役の作品もありました。ここでは、全6編それぞれの感想を書いていきたいです。

 

水曜日の南階段はきれい

この作品の語り手は、神谷光太郎です。『何者』では、バンドマンで拓人とルームシェアをしています。いつもヘラヘラしているように見えてそれでいてしっかり考え、就職でも内定を早くにもらっています。

 光太郎は、『何者』で出版社に内定をもらうのですが、この短編では出版社に応募した理由を書いていました。ただ、しっかり『何者』を読んでみると、この理由って書いているんですよね。

出版関係の仕事をしていたら、連絡が取れない高校の同級生に会えるかもしれないから。

この本では、その高校時代が語られていました。光太郎は、拓人が想いを寄せる瑞月を何回かフっています。その光太郎が忘れられない高校時代の同級生…

 この本の中では、一番と言っていいほど後味がいいというか、希望があるストーリーでした。「青春」という言葉が『何様』のなかで一番似合うストーリーです。

 

それでは2人組を作ってください

 この作品は、『何者』でもメインとして出てきた小早川理香と、同棲していた彼氏宮本隆良の出会いから同棲を開始するまでを描いています。

 理香は、『何者』で意識高い系のキャラとして描かれ、最終的に拓人に「自分たちは何者にもなれない」ときつい言葉を吐いています。隆良は、理香の彼氏であり、就職活動そのものを批判し「うがった見方」を持つ自分を格好いいと思っているようなキャラクターです。

 

 その二人が、どうやって出会ったのか。読んでいて、「これは確かに『何者』と同じ作者だわ」と思いました。『何者』でも感じた、心理描写のすごさが表れています。地味に共感できるのが、また腹立たしいというか…

 理香は、ある程度友達付き合いができますが、「2人組を作ってください」と言われると余ってしまうような人でした。周りの流行に頑張って乗ろうとしても、空回りしてしまいます。見ていて、「こういうことあるかも…辛いよな…」と思うところもありました(私も人付き合いは下手なので)。それでも、最後の理香の発言を見ると、同情はできなくなりました。かなり打算的なのかもしれませんが、打算的でも結局空回りしちゃうんだろうな、と思います。

 

逆算

 この話は、松本有希という人物が主人公となっています。読み進めていくと、『何者』に出てきたサワ先輩が出てきました!『何者』では、光太郎とこのサワ先輩が好きだったので、ちょっと嬉しかったです。

 サワ先輩は、ラインもフェイスブックも使っていません。だからこそ『何者』で拓人に言っていた言葉が出てくるのでしょうか。いう言葉が色々と格好いいというか、見習いたい言葉なんですよね。

 

 「逆算」する内容は、私が考えたことのない類のものでした。それでも話として面白かったし、結末が想定外で引き込まれました。綺麗なラブストーリーでした。「こういう観点もあるのか」と、話の内容については少し意外に思いましたが、それでも面白かったです。単純にサワ先輩いい人…。

「きっかけとか覚悟とかって、多分、後からついてくるんだよ」

この本でも名言が出てきましたし、好青年です!

 

きみだけの絶対

 この話は、烏山ギンジの甥である亮博(あきひろ)を主人公としたものです。烏山ギンジは、『何者』で拓人とともに演劇の活動をしていた人物です。その後大学を辞め、小劇団「毒とビスケット」を立ち上げます。全国紙に新進気鋭の表現者として乗るような人なので、ある程度は名が通っているようです。

 その甥である亮博と、亮博の彼女が主な主人公です。ギンジの劇を見て何を思ったか。これも青春だな、って感じが少ししました。なんでも「青春」ってつけたらそれっぽくなるし、使い勝手がいい言葉ですね。

私がそう思ったのは、高校生として「人生」だったり何かをやることに対して悩んだりする、そんな姿が描かれていたからです。あまり、それを表せる言葉を知らないので「青春」という言葉で表しました。

 

 この作品が、6編の中で唯一の書き下ろし作品だそうです。何か大きな衝撃があるわけでもないですが、しこりとして頭の中に残るような、もやっとした読了感でした。

 

むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった

この話は、桑原正美というマナー講師を主人公としています。その桑原正美が出会ったのが田名部さんです。既婚で、娘は留学中。『何者』に出てきた田名部瑞月の父親です。

 

 桑原正美には、昔からレディースになったりと出来が悪かった妹がいます。その妹のせいで正美の両親は「喜怒哀楽」の「怒」と「哀」を感じていました。その両親を喜ばせようと、妹が問題行動を起こせば、その代わりとなるような「いいこと」を正美はやってきました。そうやって正美は妹のような「むしゃくしゃしてやった」行動を一切せず、両親の「喜」と「楽」を引き出してきました。そうやって二人揃って両親の感受尾を全部出しているんだと思っていたのです。

 田名部も、妻が心が弱く数分おきに電話をかけてくるような人です。女性と歩くだけで浮気と叫び、一晩中家から出るような妻。被害者になれるきっかけを探しているような、心の弱い妻です。その妻に見合うために、いつも真面目に、必要以上に品行方正に生きていかなければいけませんでした。

 

 瑞月の父親だと思うと、ラストが悲しいものとなりますが、正美や田名部の気持ちを考えると嫌なラストとも言えず…

 一つの面だけで何かを見たらいけないということを、本を読む間にじっくり教え込まれているような思いです。

 田名部さんの言った、「ああいうの不思議ですよね」「昔遊んでた人のほうが、人生わかったような気になってるのって」という言葉に、すごく共感しました。元ヤン教師とかそう言った類のものが人気になった時期もありましたが、正直そう言ったものには懐疑的です。これも、なぜかはまだしっかりわかっていないので考えていきたいです。

 

何様

 この本は、松井克弘という人物を主人公にしています。多分『何者』で面接の時に拓人の隣にいた人物です。克弘は、入社後に人事部に配属となり、面接官の仕事をします。「誠実」「不誠実」と言った言葉や、内定者を決める際に他の面接官が重視していることを聞いた後に、自分はそうやって人を評価するのに値する人物なのだろうか、と考える話です。一体何様になったつもりなんだろう、と苦悩する話。

 この話は淡々と進んでいくので、あまり感動したりはしませんでした。話の中で他の登場人物たちも言っていましたが、克弘はかなり真面目なんだと思います。でも、その真面目が悪いこととは思いませんでした。自己分析というか、そう言った類のことをするとドツボに入る時があります。その時に先輩なり周りの人なりが助けてくれるなら、いくら悩んでもその悩みはその人自身の成長につながるのではないでしょうか。

 話の中でも、克弘がドツボにはまって、先輩と話している間に答えがだんだん見えてくる。環境の変化による悩みが描かれた作品でしたが、その苦悩がかなりリアルに描かれていて面白かったです。

 

まとめ

ということで、朝井リョウの『何様』6編に対して感想を書いてきました。短編小説ってあまり好きじゃなくて、『何者』の続きじゃなかったら読んでいなかったと思います。でも、短編でも伝えられることは多くあるんだな、と思いました。短編、長編、どちらも面白いです。『何様』自体はかなり読み応えもあります。

 じわじわと自分の弱いところをつかれている感じとか、地味にもやっとする読了感とか、すごい『何者』の続きということを思い知らされる作品でした。やっぱり心理描写とか、比喩を使った表現とかがとても綺麗でした。朝井リョウさんの作品も、合いそうなものは読んで行ってみたいです。『何者』を再読してからか、『何様』を読んでいるときに照らし合わせながら読んだ方が面白いと思います。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。今回は短編集ということで、いつもとは少し違った形のブクレポになったかと思います。興味を持ったら、読んでいただけると嬉しいです!

思い出:教科について書いていきます〜国語No.1〜

 こんにちは。桜もそろそろ葉桜に変わってきて、見れる花の種類が変わってきています。

 この頃本以外のインプットができていなくて、書く内容に困る時もあるのですが今回からは勉強に関して書いていこうと思います。勉強というか、科目に関して、ですかね。

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 とりあえず、今回は『国語』という授業の印象(小学校〜中一)について、を書いていきたいです。授業の詳細(漢字、文法、詩など)についての考えは、別の記事で書いていきます。

 私の家は昔から本が多く、本に囲まれて育ちました。親も国語は得意だった方で、作文など色々教えてもらいます。

 

目次

 

小学校の時の国語-新しい作品に出会える喜び

 まずは授業としての『国語』について考えてみました。

小学校の頃の勉強は、文章が読めればなんとかなりました。だから、教科としての印象は

  • 面白い文章が読める
  • 音読がある
  • 本を読んだり作文が書けたりする

というものだったと思います。教科書に出てくる文章は、読んだことがあるものもありましたがほとんどが知らなかった作品です。また、あまり興味がなかった詩や俳句、短歌などもあったはずです。

 

 自分で読む本は大体フィクションの物語など、ジャンルが決まっていたので教科書から新しいジャンルに入れることはとても嬉しかったです。また、親が詩が好きなので家に詩の本も多くあります。教科書に載っていた詩人の本を家で探して、その詩人のもっと好きな作品を探したこともあります。

 こう言った教科書を基にした自分の趣味開拓は、今も続けているものです。小6かそこらへんで、学校の授業の中で好きな詩を選ぶ授業がありました。その授業の中で、私はまず『君死にたもうことなかれ』を選ぼうとしたのですが、紙に書くにはいかんせん長すぎました…

 あの詩って、かなり長いんですね。そこから、他の詩を探そうと本をめくってみたところ石垣りんさんの『崖』を見つけました。『崖』は、沖縄戦で崖から海に飛び込んだ女性たちの悲劇を読んだものです。

その中の一節

それがねえ

まだ一人も海にとどかないのだ。

十五年もたつというのに

どうしたんだろう。

あの、

女。

という部分が印象に残り、周りが明るい詩を選んでいる中で私はこの『崖』という作品を選びました。今でも『崖』はかなり印象に残っている作品です。綺麗だな、という詩や、美しいな、という詩にもいくつか出会ってきましたが、『崖』が一番印象に残っています。

中三になって教科書をめくったときに驚きましたが、石垣りんさんの詩は教科書にも載っていました!「挨拶〜原爆の写真に寄せて」という、これも戦争関係の詩でしたが、表現がやっぱり綺麗というか、印象に残るな、と思います。

 また、音読は小学校の時によくやっていましたが、かなり好きでした。宮沢賢治の『やまなし』は、すごい好きな作品でした。最初の文章、「小さな谷川の底を映した二枚の青い幻燈ですが、そこを読むだけでも、

  • 誰が読んでいるのか
  • どういう目線なのか(私は上から景色を見ているのか、横からみているのか、など)
  • 語り手はその後のストーリーをどう思っているのか
  • 「幻燈」という言葉に込められた意味とは

など、色々と考えることが面白かったです。小6の時に音読した作品でしたが、中二の時に『花もて語れ』という音読を舞台にした作品を読み、「やまなし」が出てきたので、結びついた気がして嬉しかったです。

 

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 このように、 新しい作品に出会う楽しみや想像する楽しみを教えてくれたのが私にとっての最初の『国語』です。また、知っている作品に出会う時も嬉しくなります。例えば、私が学校外で初めて受けた実力テストのようなものでは、佐藤多佳子さんの「一瞬の風になれ」が国語のテストで出てきました。こういう風に、読んだことのある文章がテストに出てくるということも何回かあります。

 文章に単語を穴埋めするテスト(「傍線部に当てはまるのは1〜4のどれでしょう」)などでは、特にそれが役立ちもしましたが、単純に読んだことのある本がテストに出てくると嬉しいです。自分が読んできた本の広さというか、そういったものがなんとなく現れた気がしていました。

 

 

中学に入って、授業内容よりも授業の進行などをきにするように

 もともと読書は好きだったので、小学校の時までは国語は苦手でもなかったし、どちらかというと好きな教科でした。ただ、中学校に入ると国語の教科担任の方に少し苦手意識を持ってしまいました…

 

 教科担任との最初の出来事に関しては、下記の記事に詳しく書いてあります。
chirpspring.hatenablog.com

 なんというか、その時の国語の先生は、テンプレが決まりすぎていて授業を受けていてもあまり楽しくなかったんです。業者プリントを使い、グループ活動と板書が主となる授業でした。私は、「こういうことを言えば授業が進むんでしょ、」みたいな風に思いながら発言をしていました。

 つまらない授業は、「寝る」というクラスメイトはどこにいてもいましたが、私は二年になって勉強をガチでやるようになってから夜寝るのが遅くなったので、東京で授業中に寝たことはありませんでした。でもだからこそ、授業中に何をすればいいのかわからず… 

 もちろん話は真面目に聞く(中一の時は割と真面目人間だったと思います)タイプでしたが、あまり教材について真剣に考える必要がなかったので、「自分ならどうやって授業を進めるか」ということを考えたりしていました。

  • プリントを使うか使わないか
  • グループ学習はどれくらいの頻度で行うのか
  • 板書はするのか
  • ノートに何を書かせるのか
  • ノートの取り方は縛りを作るのか
  • どれくらい文章を書かせるのか

色々と考えながら、授業を受けていました。正直、なんとなく考えていただけなのであまりしっかりとした結論は出ていません。でも、いつか自分で人に教える時は、自分の中で実験と言ったら語弊がありそうですが、色々試してみたいです。それに、授業の中で「どういう発言をしたら授業が楽しくなるかな?」と考えたりもしました。

 

苦手だった国語の先生、いいところも多かったんです。

 その国語の教科担任の先生は、すごいいい印象というわけではないです。

「少年の日の思い出」という教材に関して、自分なりに色々と考えて、授業でやった内容とは少し変わっている結論を出しました。(この「考え」もいつかブログで書いてみたいです!)

しかし、それに関する返事は「もっと深く読みましょう」と言ったもので、お忙しかったのかもしれないですが、残念でした。その作文は、上記の「どういう発言をしたら授業が楽しくなるか…」の派生だったので、より悲しかったということもあります。

 ただ、上記の記事から、柔軟に生徒に対応してくれる方だとは思うし、そもそも自分が書いた提出する必要も全くない文章を読んでいただけたことに関しては嬉しかったです。返事をもらえただけでも御の字と思うべきなのかもしれません。

授業が苦手でも、個人として話をしたら話しやすかった、ということは学校生活の中でいっぱいあります。それに、絶対にその人にもいいところはあるんだから、「字が綺麗」とか「話しているときに敬語をつけてくれる」とか、いいところを見つけてそれを意識しながら話すと冷静に話せるようになります。色眼鏡をかけた状態で話していると、必要以上にメガネの色が濃くなってしまいます。それを学べたのは、中一の時です。

 

中一の国語の授業と、先生を通して学んだこと

 だから、その国語の先生には、ある意味大切なことを気づかせてもらったと思います。今思い返すと、スタイルが決まった授業にも面白さはあるし、声も聞き取りやすいし字も見やすいし、他人の意見を聞く場も設けられてはいました。それに、人には色々な面があるというとても大切なことを、間接的にですが教えてくださいました。

 自分から授業内容を発展させて、家で考えてレポート(大げさかも…)を書いたように、自分で教科書をじっくり読んで中身を考えたのも、この学年でした。その時に教科書のすごさにも気づきました。教科書のすごさに気づいたのも、自分で考えるようになったのも、この学年からです。

中一の時は、色眼鏡をつけないようにと意識しながらも、結局はつけていたんだと思います。だから、今みたいに「授業の」いいところを言葉にできなかった。だけど、それはしょうがないことでもあります。実際に受けている授業なら、客観的に〜とかよりも自分の感想が主にくるでしょう。「中一の時にこの考えがもててればな〜」とか思うこともありますが、これに関しては経験しないとわからないことだったんだと思いました。

 

 

 …途中から、国語の感想ではなく国語の先生の感想(?)になってしまいましたね。これはシリーズにします。国語に関してはこの後、「中二〜中三にかけての国語の感想」「受験勉強を通して」「作文について」の3つのトピックを書いていきたいです。多分一つの記事でまとめるのは難しいので、二つくらいの記事になりそうです。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。この頃、文章をもう少し短めに抑えるというか、簡潔にしなければな、と思っています。時間があるからこそ、長く書いちゃうので、少なくとも4000字は超えないように気をつけます…(ただいま3830字)。

 

 

 追記

 

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又吉直樹『劇場』読みました!

 こんにちは。この頃はもう暖かくなってきていて、過ごしやすいです。もう雪も降らないと思うのでタイヤも変えることになり、季節の変わり目だな、と感じています。

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 さて、今回は、読書レビューを書いていきます!!この前、又吉直樹さんの『火花』という作品を読んだ感想を書きました。そして、つい昨日又吉さんの二作目の『劇場』を読み終わったのでその感想を書いていきます!

 

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目次

 

『劇場』のあらすじ

 それではまず、劇場のあらすじを大まかに書いていきます。

主人公は中学生の時から演劇に目覚めた「永田」。彼は高校卒業後に仲間の野原とともに上京、劇団『おろか』を設立するも客足は重く、内容も酷評されている貧乏人です。

 その永田に突然街中で話しかけられ、恐怖しながらもカフェを奢ることになり、そこからしばらくして付き合うことになったのが「沙希」です。彼女は青森県から上京してきた人で、女優になることを目標としながら服飾大学に通っています。

 

 二人が最初に出会った時、永田は沙希に何かを感じて注視してしまいます。その視線に気づき、沙希は去ろうとしましたがその前に永田が「靴、同じやな」と声をかけます。同情心からか沙希は永田にカフェで奢ることとなり、互いの素性を話しました。

 そこから2人は連絡先を交換し、その後なんやかんややり取りを経て付き合うこととなりました。永田は自分に甘い沙希に甘えまくり、沙希の家に居候し生活費等も払いませんでした。脚本を執筆するときと稽古中はバイトもできないので、永田は借金を抱えていきます。

 二人は最初はいい関係のように見えましたが、主に永田の行動が原因で亀裂が走っていき…といった作品になっています。

 

劇場

劇場

  • 作者:又吉 直樹
  • 発売日: 2018/01/10
  • メディア: Audible版
 

 

 

共感できない主人公、でも、全てが嫌いとは言えないからこそのリアリティ

 『劇場』は、永田の視点で書かれた一人称視点の物語です。私たちは、永田の気持ちや見方で世界を知っていくことになります。たいてい、こういう一人称の作品ではその主人公の気持ちに寄り添いやすくなったり、人物の気持ちが読み取りやすくなります。でも『劇場』は、そういった作品ではありませんでした。

 

 例えば、沙希の母親が送ってくれた食料。小包が届いた時の会話です。

「お母さんが、小包送っても半分は知らない男に食べられると思ったら嫌だっていってたよ」沙希が上機嫌の調子で僕に言った。

 二人で少しだけ酒を飲んでいたので、普段なら言わないようなことが、ツイキチから出てしまったのだろう。

「なんで、そんなこと言うん?」

沙希はガムテープを剥がす手を止めて僕を見た。自分を嫌がっている人から与えられたものを食べて生きることほど惨めなことはない。

〜中略〜

「俺、沙希ちゃんのおばはん嫌いやわ」

  このシーンでは、沙希の母親が、娘と会ったこともない娘のヒモのような存在のために食料を送っています。そりゃあ、母親からしたら永田のような存在、迷惑ですよね。でも、その言葉に込められた小さな皮肉に永田は反抗する資格があるのでしょうか。

 私は、親に「自分ができないことを人に注意するな」と言われてきました。それは当然のことだし、常識です。自分が色々面倒を見てもらっている分際で、何か偉そうに注文をつけるなんて普通はできません。(と言いつつ、私が完璧にできているわけでは全くないのですが。)

 普通なら、こう言ったシーンで「いつもありがとう」とか、「迷惑かけてごめん」とか、相手を気遣う言葉が出てくるはずです。そう言う常識を私は持っています。でも、永田が出した言葉は「俺、沙希ちゃんのおばはん嫌いやわ」でした。娘のために送った食料を自分も食べといて、嫌いって言う。しかもその人の娘に向かって!全く共感できなかったです。

 

 正直、この物語は読んでいて共感できませんでした。永田があまりにもクズで、沙希ちゃん早く別れて!と思いながら読んでいました。でも、永田はクズなはずなのに永田なりの純粋さと言うか、一生懸命さが受け取れるような描写も多くあって、一方的に永田が悪い、とは言いにくい部分も。と言っても結局は永田が悪いので、よくわからないモヤモヤが残ると言ったかんじでしょうか。

 『火花』の神谷さんはアホと決め付けたくても少し同情すると言うか、すごい部分も見られるキャラクターでした。この永田さんは、終始クズだし、なんとかしろよとずっと思うんだけど、それでもどこか良い面というか、純粋な面が見受けられる。

 現実世界でも、全く良いところが見つけられなかった人に近づいてみたら良いところが見つかったり、仲が良かった人たちが気がついたら陰湿な悪口をずっと言い合っていたり、人間て本当に一面だけで語れないな、と思います。それとはアホの度合い(神谷)もクズの度合い(永田)もかなり違うようには思えますが、どこか一方的に悪にできないところがリアルです。永田みたいな人が、本当にいそうだな、と思いました。

 

永田と沙希のやり取り。こんな関係性でも、幸せな人は幸せなんだな。

 一番永田に失望したのは、沙希に「実家の仕送りも無くなったから、光熱費を払ってもらえないか」と言われた時に

「人の家の光熱費を払う理由がわからない」

と言ったところです。それに対し沙希は、

「人の家の光熱費払う人いないよね、うけるー」

と返します。いや、全然うけてないし、本当に永田がクズ…

永田目線なため、さっと文を眺めているとそこまでひどい男にはみられないかもしれません。でも、永田の思考などをすべて切り離して発言や行動などのみをみてみると、予想以上にひどい男でした。

 

 沙希の周りの人も、「早く別れた方がいい」と沙希を永田から引き離すとします。沙希がお母さんのような立ち位置というか、優し過ぎるため、都合のいい存在として扱われているようにも感じます。途中の沙希のセリフには、びっくりしました。

「気づいてないと思うけど、永くんって、わたしのこと褒めてくれたこと一度もないんだよ!」

 

え…、この二人って付き合っているんんですよね、それなのに褒めたことがないって、正直信じられません。しかも沙希は沙希の友人に永田のことをべた褒めしています。もちろん話を聞いた友人からは、「最低なやつ」と思われていますが、それでも沙希は永田が好きで、尊敬していて、彼のために我慢しているんです。

 永田の中学からの仲間である野崎も、劇団の仲間(元仲間)たちも、沙希と別れた方がいいと進めます。次第に沙希も酒の量が増え、精神的に病んでいきます。

 最終的に沙希は実家に帰り、地元で就職先を見つけました。

 

まとめ-なんとも言えない後味でした。共感できないからこそ、面白くもある。

 読んでいて、なんでこうなるのかな、と何回も思った作品でした。

主人公はただ単純に、自分でなんもできないくせにプライドは高くて人の言うことを聞かない人間。

沙希はいい子だけど、人に強く言えない弱い人間。

永田が悪いことが多いですが、二人に対していろいろなことを言ってくる外野たち。

 外野がうるさいと思ったこともあったし、外野がいなければもっと二人は幸せだったんだとも思います。でも、そうなると一方的に沙希が搾取され続ける未来しか見えないので、結局これで良かったのかも、と。

 

 登場人物の設定や、外野の筋の通った言葉から、リアリティのある作品だとは思いました。でも主人公にもヒロインにもあまり共感できませんでした。共感できる人がいないと、ふわふわしながら読んでいる感じになると言うか、現実味が薄くなります。それなのに、主人公もヒロインも、どこかにいそう一面的ではないキャラクター。

 そのちぐはぐ感というか、少し離れたところ(語り手の気持ちになれないため)から人の喜怒哀楽を眺めている感覚というか、形容しがたい読了感でした。

 

 ここでは何回も「共感できない」と書いていますし、あまり面白くなさそうに見えるかもしれません。でも、共感できないと言いながらも結局は全部読んで、色々と考えることができました。それは、単純に本が面白いというか、続きがきになるというか、ほっとけないような文章だったからです。登場人物のみにくい部分が全部描かれているんだけど、だからこそこの後どうなるのかが気になるし、ほっておけません。こう言った作品も、得意ではないけど読めて良かったです。

 

 最後までお読みくださりありがとうござい明日。今日は又吉直樹の『火花』について書いてみました。ぜひ、気になったら皆さんも読んでみてください!二人に共感できる、という意見もあると思いますし、捉え方は人それぞれなので時間のあるときにでも読んでもらいたいです。

15歳が競馬にはまりました(最大瞬間風速記録中)

 こんにちは。この頃夜にあわてて記事を書くことが多くなっているので、昼から記事を書いていこうと思います!

 

 今回の記事は、今多分最大瞬間風速を誇る、昨日見た競馬についてです!ただただ、競馬の動画を見て思ったことやびっくりしたことなどを、ど素人の目から書いていきます!

 そもそも、皆さん競馬って聞いて何を思い浮かべますか?去年のジャパンカップでは、アーモンドアイ・コントレイル・デアリングタクトという三冠馬三頭の対決で、競馬に詳しくない私でもニュースを見ました。というか、学校の新聞委員会が放送でニュースを紹介しているときにこのジャパンカップのニュースが流れて、そんなに注目されているのか…とびっくりしました。

 

目次

競馬のレースのイラスト

小さい頃から興味はないものの、競馬の存在は身近でした

 我が家では、もともと親がどちらも競馬が好きで、家に競馬の本が少しだけあったりしました。両親どちらも学生の頃は競馬好きだったのですが、今は父親がよく競馬を見ています。父は、私が小さい頃から競馬の動画を見ていました。

 また、数年前までは東京に住んでいたので、東京にある競馬場に何回か連れられていました。そこが地味に楽しかったのもあって、この頃よく思い出していたのですが、確認を取ると府中市にある東京競馬場だったそうです。競馬場には、観覧席(今は入場制限中)はもちろん、グッズショップや博物館、馬車体験にミニ新幹線など、子供でも楽しめる施設が揃っていました!だからこそ記憶にも残っているのかな〜と思います。

 

 そう言った経験もあって、競馬に関心は特にないものの、親も楽しんでいたので自分も機会があったら楽しめるといいな、と思っていました。家に本があったと書きましたが、その本も幼いながらに記憶に残っています。一番最初に読んだのはシンボリルドルフという馬の写真集だったと思います。

 星座が好きな子供時代で、大判の星座の本が何冊か家にありました。その星座の本の隣に、同じく大判で「シンボリルドルフ」と黒地に白い字で書かれていたのを覚えています。まだその中に書いてある文字が読める歳じゃなかったので、シンボリルドルフの写真のみを眺めていました。

それに、家に馬なり1ハロン劇場という競馬コミックが置いてあ理、その影響も大きかったと思います。馬なり電子書籍化されていたので、イギリスに行って読む本が全くなかったときに、何回も繰り返し読んでいました。全巻50巻あったわけではなく、その3分の1くらいの冊数だったと思いますが、競馬に関心がなくてもシンプルに面白かったです。『馬なり1ハロン劇場』というのは四コマ漫画で、馬が擬人化されていて言葉も話せるようになっています。騎手も登場していて、馬同士のやり取りやたまに騎手も混じったやり取りが面白いです。大抵はお笑い系の話ですが、シリアスな話もあったりします。現実の競馬で起こった出来事がモデルで、馬の色なども忠実に再現されているので、「オグリキャップ芦毛」という知識などは『馬なり』で身につきました。

 

ジャパンカップ・皇帝の追い上げ』シンボリルドルフすごくない⁈ シンプルにはまりました

 ただ、両親がハマった世代の漫画なので、1980〜2010年代ぐらいの馬がよく描かれています。なので、昨日見ていた競馬もほとんどが昔の競馬でした。

 昨日は、父親が競馬の動画を見ていたので、少しそれを邪魔してやろうと思い、シンボリルドルフの動画をなんとなく検索してみました。それをみていたら、1985年のジャパンカップが出てきて、そのときに「こんなに差がついていても追い上げできるんだ…」と本当に驚いたんです。

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 それまで、競馬に少しの興味は持っていても、「賭け事」というイメージが強く、漫画を読んでいても実際のレースを調べようとはしていなかったので結局は「興味がある」止まりでした。

 でも、その1985年のジャパンカップからシンボリルドルフの動画を見ていくと、馬を見分けるのがまず楽しくなって、その後、「ルドルフはここら辺からスピードを上げるのかな?」とか予想しながら見ることでもっと面白くなりました。もちろん、ど素人の予想なので全く外れることもあれば、その前に「この馬って誰?」と親に聞きながらの観戦でしたが。

 

有馬記念・奇跡の復活』トウカイテイオーすごすぎ… なんの青春漫画ですか

 そうやって過去の動画を見ていると、昨日配信された競馬動画を見ていた父親もついに根負けして、「このレース見るといいよ〜」とか教えてくれたり、途中から参加してきた母とも「この春天春の天皇賞)がすごいよ!」とか一緒に見てくれたり、とても楽しかったです。

 シンボリルドルフの動画を見た後に勧められたのは、ルドルフの子供であるトウカイテイオーの「奇跡の復活」という動画です。

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 この動画を見て、『馬なり』で読んでいた感動ものが、実話だったことを改めて認識しました。画質は荒いですが、見る馬を決めた上で動画を見ているとすごさがわかります。

よく部活を題材にした小説・漫画などで、ライバル同士の対決だったり、ライバルの故障だったり、そういったことが描かれますが、競馬も同じようなものなのかも、と思います。

 

 この動画は、1993年の有馬記念というレースですが、前年の有馬記念トウカイテイオーはゲート発走直後のアクシデントにより11位と惨敗。その後も骨折などを起こし、結果休養の年となりました。しかし、ファンの人気投票のおかげで93年の有馬記念に出走。

 それでも、その年の有馬記念は、菊花賞勝馬ビワハヤヒデジャパンカップ勝馬レガシーワールド日本ダービー勝馬のウィニングチケットなど、錚々たる面子が揃っていて、トウカイテイオーの馬券の人気は低かったようです。

 実際にレースが始まると、第4コーナーから最後の直線に向かうタイミングでトウカイテイオーが追い上げにかかり、残り100mというところで一番前を走っていたビワハヤヒデをとらえます。最終的には、半馬身差でトウカイテイオービワハヤヒデに勝利

 その様子を、アナウンサーはトウカイテイオー、奇跡の復活!」と称したり、トウカイテイオー、蘇りました!」と称したりしました。

 

有馬記念・最後の衝撃』ディープインパクト引退レース シンプルに惚れました…

 他にも、見ていて面白いレースはいっぱいありました。

シンボリルドルフに次いで日本二番目となった無敗の三冠馬ディープインパクト。ディープの最後のレースは2006年の有馬記念です。このレースでは、ディープインパクトは最初後方3番手につけ、見ている間は「え、これで勝てるの…?」とずっと思っていました。ところが、第3コーナーから追い上げて、その後は直線で一気に先頭に立ち最後は悠々と流していました。完璧に1着固定で、2着争いのレースでした。これが「最後の引退レース」なのですから、ドラマって作るものじゃなくて生まれるものなんだな…と思います。

 ここで実況をしているのは三宅正治さんというアナウンサーだそうですが、実況が本当にかっこいいんです…

 

あなたからもらう最後の夢 あなたからもらう最後の勇気 あなたに贈る最後の祈り

ディープが今翼を広げた

間違いなく飛んだ 間違いなく飛んだ

最後の衝撃、これが最後のディープインパクト

強い 

多分、事前に考えているのでしょうが、こうやって感動的な実況ができるのは本当にすごいなと思います。実況は、本当に毎回見ていて言葉の使い方が綺麗なので、いろいろな実況を見て、自分の文章力の参考にもしたいです。上記の例でいうと「ディープインパクト」は英語で直訳すると「深い衝撃」。意訳すると色々とかっこよくなりそうですが、放送では「衝撃」と馬の名前をかけています。こういった言い回しは本当に綺麗だな、と思いました。

 

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 ちなみに、この有馬記念ではスイープトウショウという馬がゲート入りを嫌い、何人もの人が馬をなだめながらゲートに入れていました。ゲートに入った瞬間歓声が客席から沸き起こっていて、「ゲート入りするだけで拍手ってすごいな…」と笑ってしまいました。

 

他にも色々・家族団欒のきっかけにもなりました!

 他にもいろいろな動画を見ました。ツインターボの笑っちゃうような大逃げや、今年の桜花賞を勝った真っ白な馬、ソダシウォッカダイワスカーレットの宿命の対決や、キタサンブラックの「漢の引き際」。見ていて、とても面白かったです。

 家族と一緒に見たので、最初はリビングで見ていたのですが、徐々に私が調子に乗って親の寝室にまで押しかけて色々聞くように。途中から競馬に関心のない弟も引き摺り込んで、家族で小さいスマホの画面を覗き込んだりもしていました。そういう時間はもうこれから少なくなるんだろうな、と思うと寂しい限りです。弟は、ほとんど関心がないので少し申し訳ないですが、これからもちょくちょく競馬の話がしたいです。

 母親とも、「この馬かっこよくない?」「いや、やっぱこの馬でしょ」みたいな話ができました(笑) 家にテレビがないので、周りの母娘がやる「俳優談」はできないんだろうな〜と思っていたら、まさかの馬でそういう話をやるとは…

 母は圧倒的にトウカイテイオーが好きでした。私も、トウカイテイオーは凛々しい顔立ちでかっこいいと思いますが、黒鹿毛エイシンフラッシュや額の流星の形がひし形であるサトノダイヤモンド、あとはやっぱり三日月の「皇帝」シンボリルドルフがかっこよかったです… といっても、すべてレースを数本見ただけなのでもっと勉強します!

 

 私は親から、感動的なレースだったり記憶に残るレースを教えてもらったので、競馬の良い面というか、面白い面しか見ていないと思います。でも、そういう見方だけでも競馬を楽しめるし、見ていてワクワク・ドキドキします。

 これから、もしかしたらこの興味が持続するかもしれません。そうなったら、漫画の予備知識がある昔の世代だけでなく、今の世代も見ていきたいです。

 思いがけない家族団らんの時間ももらったことだし、もっと勉強して、馬についてはもちろん、専門用語や実況の言葉なども勉強していきます!

 

大阪杯・前の二頭は〇〇!』この実況は昨日の爆笑ハイライトでした

 それでは、そろそろ記事を閉じるのですが、最後に一つだけ。興味なさそうに隣で『かがみの孤城』を読んでいた弟も爆笑したアナウンサーの言葉です。

 それは、トウカイテイオーが走った第36回産経大阪杯での発言

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1992年のことでした。トウカイテイオーに乗っていたのは岡部さん。トウカイテイオーが他の馬と並び、2〜4頭ぐらいで並んだ時に、他の騎手たちはみんな手綱を必死に動かし鞭を打っているのに対し、岡部さんは手を動かさず、手綱を引いてすらいません。なんとこの大阪杯骨折明けで10ヶ月ぶりの実戦だとか。何もしていないのに抜き去っていくところは、見ていてびっくりしました。こうやって騎手がほとんど何もしないでいることを「持ったまま」と言うようです。結果として、トウカイテイオーは堂々の一位でした。

 そのレースの中で、実況をしていた杉本清アナはこう言います。

まだ岡部の手はほとんど動いていない

トウカイテイオー3番手

前の二頭はもうどうでもいい

3番手にトウカイテイオー

 …これは…ちょっとまずくないですか(笑)

実際、このあとアナウンサーは「前の二頭」のうちの一頭のオーナーさんに苦笑まじりに怒られたようです(何人かそういう発言をする人がいたということなので真偽はわかりませんが)

 これを聞いた途端弟と大爆笑でした。この興奮を母親に伝えようと、その時まだリビングにいた私たちが二階の母親を呼んだところ、父親も入ってきて

「ああ、前の二頭はどうでもいいってやつでしょ?」

と一言。ちょっと、空気読め!!!って思いましたね(笑) 実際父親のいうとおりなので、一通り文句を言った後にまたその動画を見ていました。…うぐいす家は平和です(笑)

 

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。我が家の平和が立証(?)されたところで、記事を閉じようと思います。かなりの長さになりましたね… まさか競馬でここまでかける日が来るとは(笑) 是非みなさんも、興味を持ったら見てみてください!知識がなくても、動画のコメント欄を遡っていればなんとなく見所もつかめるはずです!

 

 

追記

ご指摘をいただいたので追記しておきます!両親は学生時代から競馬が好きだったと言いましたが、当時は学生が馬券を買うのは違反でした。

ただ、うちの親は二人とも馬を見ることが大好きだったため、馬券は買っていませんでした。社会人になっても馬券はあまり買っていないようです。父はウィニングチケット、母は記載通りにトウカイテイオーが大好きで、二人で北海道の牧場巡りまでしていたようです!ちょっと羨ましい…(笑)