うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

太宰治 まとめ記事 随時更新していきます。

 こんにちは。今日は、外に来ているため時間がありません…。なので、最近作らなきゃなと思っていた記事を書いていこうと思います。

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 この頃、私は太宰治の作品にハマっています。

 まだ5個を少し超えたぐらいですが、多分これからも割と多く太宰の作品の記事を書いていくと思います。数週間は続くかな。だから、その割合でやっていくと太宰の記事がとても多くなってしまいます。

なので、太宰治の作品の感想を書いたものをまとめようと思っていました。はてなブログについている「カテゴリー」を利用するのもいいですが、さすがにそれだと用意する場所が大きくなりすぎる気がするので、それならまとめ記事を作ろう!と思ってこの記事を書いています。

 

 それでは、私の思う太宰の今のところの魅力をいくつか手短にかき、その後で記事をはっていきます。飛ばしたい方は目次で飛ばしてください!

 

 

目次

 

 

 

太宰治の、私が好きなところ、よく思うことなど

 

 太宰作品は、ほとんど2回から3回以上読んでいます。中には、1回読んであとは時間がないので少しずつ…というときもありますが、大抵は2回かな。

一番最初に触れたのは、『走れメロス』。

そのあとに『人間失格』です。

人間失格』は、中一の時に初めてしっかり力を入れた読書感想文を書いたので、とても記憶に残っています。あの本は強烈でした…。

 

 太宰の作品に対して時々抱く印象があります。

それが、「気持ち悪い」ということ。

生理的に受け付けられない何かが書かれている、そんな印象を受ける時があります。

少しわかる気もしなくはないけど、気が狂っているのか?と思わず思いたくなるような印象です。

 

 『人間失格』なんかはその代表格ですね。さらに、『おさん』という作品や、『饗応夫人』という作品などもそうでした。

 

 ただ、この「気持ち悪い」というのは決して貶し言葉ではないんです。

貶しているのではなく、むしろ尊敬しています。

「気持ち悪い」と強く思うことは、つまりそれだけの印象を本が私たちに与えているということに他なりません。

とくに心が動かされなければ、あまり気持ち悪いだの面白いだのの印象はつかないものです。だから、たとえそれがマイナスの方向でも、心が強く動かされる文章だということ。

 

そして、それに加えて、「気持ち悪い」と思った作品は、大抵読み込んでいくと面白いんです。

これは、なんでかよくわかりません。

でも、上のあげた三作を含め、そのほかの本でも、気持ち悪いと思った本は大抵「主人公は、こういう心の動きがあったのかな。こう思っていたのかな」などの読み取りがしやすく、どういった作品なのかがつかみやすいし、さらにそれがとても面白いです。

だから、最初は「気持ち悪い」作品は苦手ですが、今は「アタリだ」と思うようになってきています。

 

 

 

 そして、よく思うこと。

太宰って、本当に文章を書くのがうまいですよね。

走れメロス』は、実際のスピードを当時の日没等を考えて計算すると、全然早くないんです。

途中で寝たり川渡ったりもしていますし。なのに、あんなに早く走っているように見える。それはなぜかというと、ひとえに太宰の文章力でしょう。どうやって書いているからあんなに早く見えるのか。文の長さや、文体、そして比喩表現など、見つけられることはいっぱいあります。

 

 また、この前『女生徒』などの女語りの作品を読みましたが、あれには本当にびっくりしました。

太宰が「いい男」をかくなんて思ってもいませんでしたし、あんなに「柔らかい」小説を書けるなんて初めて知りました。イメージがガラッと変わった気がします。

本当に面白いですね…。『女生徒』の印象は強かったです。

あんなにたくさんの形の文章があるって、今まで「文豪」を敬遠してきたことが悔やまれるほどの驚きです…。

 

 

 今のところ、短編でそれぞれ好きな作品は多くありますが、割と晩年の頃の作品が好きです。

『桜桃』や『父』『母』『家庭の幸福』『親友交歓』など…。全部が大好きというわけではないですが、

どの時期が好き?と言われると晩年の作品が好き、と答えたくなります。

まだ全部を読んでいるわけではないので、なんとも言えませんが…。

 

 晩年の作品は暗いですが、自分自身を投影しているようなものも多く、こんなことをこの人は思っていたんだな、そしてあんな最後を迎えたんだな、と想像を膨らましやすい気がします。

だから、そういったところも含めて好きなのかも。

また、今までのように深く読み込まなくても、かなり直線的に書いているものもあるので、そこらへんも面白いです。

 

 

 

記事の一覧(随時更新)

 それでは、ここから下は記事の一覧となります。ぜひ気になったものがあったら、クリックしてみてください!順番は、記事にした順(古い順)です。

 

 

短編集『女生徒』含む7編

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短編集『ヴィヨンの妻』含む8編(『おさん』と重複あり)

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短編集『走れメロス』含む8編(『女生徒』と重複あり)

 

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最後までお読みくださりありがとうございました。投稿現在はまだまだ少ないですが、これから増やしていけるよう頑張ります!

辻村深月『ぼくのメジャースプーン』読了!「条件ゲーム提示能力」と「僕」

 こんにちは。今日も課題をやっていたのですが、一難去ってまた一難。ISAKに入るまでに終わらせられるかとてつもなく不安です…。

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 今回は、本の読了記事を書いていきます。太宰治にしようかとも思いましたが、せっかく違う著者の本を読んだのでまずはそちらを優先します。

 

 今日書くのは、辻村深月さんの『ぼくのメジャースプーン』です。

 

目次

 

 

著者紹介&あらすじ紹介

 

まずは、著者紹介&あらすじ紹介へ。

 この本の著者は辻村深月さん

ミステリなどを書き、本屋大賞をとったかがみの孤城や、直木賞の『鍵のない夢を見る』などが有名です。

私は、まだ『かがみの孤城』しか読んでいません。

今度、『ハケンアニメ!』という本を勧められたので、それを読んでみたいとは思っています。

 

 あらすじに移りましょう。この本は2009年出版

 

 

主人公は、小学四年生の「僕」です。

僕には、幼馴染の「ふみちゃん」という子がいます。

彼女は、とてもおしゃれなわけではないし真面目だけど、クラスのリーダー的存在で人気者。それによく喋って賢ければ運動もできる元気な子でした。

 

 ある日、事件は起こります。

学校で飼っていたうさぎが、医大生の市川雄大によって切り刻まれたからです。

 

 その日、体調を崩した「僕」の電話を受け、ふみちゃんは朝早くに学校に行ってうさぎの餌やりをやろうとしていました。

そしてふみちゃんがうさぎを見にいくと、そこは血であふれていて、ほとんどのうさぎが殺されています

 

 この有様を見たふみちゃんは、声を出せなくなり学校にも行けなくなってしまいました。

犯人は逮捕されましたが、受けた判決は執行猶予。しかも、ネットで晒されてかなりの批判が集まったため、執行猶予の長さも含め異例の判決です。

 

 それでも、ふみちゃんが第一発見者になった責任も感じている「僕」にとって、それは納得のいかないことでした。「器物破損」の「執行猶予」で、本当に反省をしているのか。ふみちゃんはどうなるのか。

 

彼は、自分の持つ力で市川雄大を懲らしめようと考えていました。

 

 その力とは、「条件ゲーム提示能力」

「Aの条件をクリアしなければ、Bという罰を受ける」といった旨の言葉を相手に言えば、ゲームはスタートです。

相手はBを受けないためにAの条件をクリアしようとします。

ですが、例えばAが「死ぬ」という条件でBが「お菓子が食べられなくなる」罰だった場合、相手が「死ぬ」ほうが重いと思えば罰を自ら受けられることになります。

 

この力は、「僕」の家系に現れる不思議な能力。もう廃れたかと思っていましたが、母親の予想にも反して現れてしまったものです。

他にも色々な制約があり、「僕」は本の中で親戚の秋山先生にその制約を教えられていきます。

 

 「僕」の力により、「僕」は犯人との面会をセッティングします。制約を教えてくれた秋山先生とともに面会についた僕は、いったいなんという条件と罰を提示するのでしょうか。

 

これは僕の闘いだ。

 

 

感想:面白いけど、ずっとは考えたくない深いテーマがいっぱい

 

 この本、読んでいてとても面白かったです。

ふみちゃんと「僕」の性格、市川雄大のやったこと、命の重さの違い、色々なことが書かれていました。

ミステリではないですし、ラブストーリーでもないんです。哲学的なところもあれば、また他の要素もある。カテゴライズの難しい小説だと思いました。

 

 話は小学生目線で書かれているため、難しいということはありません。

同年代が読んでも、その憤りは伝わるものだと思います。同年代だからこそ、伝わるのかも。

 

 でも、法律と感情、世間と自分、優劣をつけていること、罪の作り方などなど…。

かなり複雑というか、濃いテーマについて書いていました。

 

自分はどうしたら気が晴れるのか。

どうすれば相手を許せるのか。

相手の反省はどう見極めるのか。

どうすれば上目だけの反省ではなくなるのか。

 

こんなこと、登場人物よりも5歳年上の私でも答えなんて出せないし、大人でも出せない人はいっぱいいるのではないでしょうか。

それについて考え、時には命にすら関わるような条件提示ゲームを行う「僕」

秋山先生は、わかりやすく話し、自分の知っている知識を「僕」に伝えていきます。

 

最終的に、「僕」はどうしたのか。どんな条件と罰を提示したのか。それは、多分私たちが全然思いつかなかったようなことでしょう。

 

 

 この本では、動物の殺害が描かれています。

現実世界にも、動物を虐待したり酷い目に合わせて、それを嘲笑する人たちはいますよね。本にあるように、そういった人たちの集まる掲示板やコミュニティもあるのでしょう。

そこでは目を背けたくなるような写真や動画がゴロゴロ転がっているんでしょう。ほんっとうに気持ち悪いな、と思います。

 

でも、そこで虐げられているペットや愛玩動物と、私たちが素手で殺している蚊や虫など(そういえば今年はまだ殺していません)。

どんな違いがあるんだと言われれば、一言では答えられないです。

 

強いていうなら、家の中に入り込む小さな虫たちの中には、明らかに菌を持ち込んでいる虫もいます。そういった、人間にとっての害虫になり得るから殺しているんでしょうか。

 

とりあえず、自分で飼っているペットを虐待する人は酷いな、と思います。その命を可愛がるためにお金を出して飼ったのなら、その命に最後まで責任は持つべき。なんか、そんな旨の記事を一回描いたことがあるような…。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

少し話を戻すと、ウサギ殺害犯人の秋山雄大は、ウサギを殺しただけでなく、それを発見した子供達の心まで壊しています。

 

その罪が、「器物破損」のみで済んでいいものか。

いじめの一環で暴言を吐いたり、物を壊したりした人が

「酷いこと言ってごめんなさい、ものを壊してごめんなさい」と言っても、

それで壊れた心は元に戻りません。

 

というか、その場合は「傷つけてごめんなさい」とか言われても「ふざけんな」って返すと思いますけど。

 

自分たちが今まで愛着を持ってお世話していたウサギたちが、たった数分の間に惨殺死体になっているのを発見した気持ちはどんなだったでしょう。

 

それを間近で見ていた、しかも責任を感じてしまっている子供はどんな気持ちだったでしょう。

 

そこでできた傷は、どうすれば修復できるんでしょうか。

 

加害者にもしも罪悪感がなかったら、どう言った対応が彼にとって効果的なんでしょうか。

 

 

「蚊の命と猫の命の差」「壊れた心への責任の取り方」

面白そうなテーマがいっぱいですね。

ずっと考えていると気が滅入りますが…。少し苦手な部分です。

 

感想②:人間関係

 

 小説の中で、こう言った旨の記述がありました。

市川雄大の起こした事件の報道は、「医大生」だったり家庭環境だったりが取り上げられている。

 

 これは、現実でもありますよね。

図書館戦争』という本でも、読書環境が起こした犯罪の背景説明に使われていました。

 

私は、こう言った報道は苦手です。

 

医大生だったからこうした」

「こんなストレスがあったに違いない」

「こう言った家庭環境で育つと…」

「こんな本に影響されて…」

 

なんでこう言う必要があるんでしょうか…。って思っちゃうんですよね。

それがネタになるのもわかるし、実際ある程度のステレオタイプができるくらいには浸透している背景説明もあります。

 

 でも、本人の起こした犯罪を本人の背景を理由にしすぎるのは、間違っていると思います。

その理由は、本人の言い訳にもなり得るし、本人への情状酌量の余地を作ってしまうからです。

 

 ある程度ならいいかもしれません。

でも、本人が一番悪いと言うことを忘れてはいけないですよね。

多くある犯罪のケースの中には、必ずしも本人が一番悪いわけではないものもあるでしょう。

今回の場合においては、完全に加害者の市川雄大が悪いと思うんです。本人が一番悪いし、常軌を逸したことをやっている。それをまず言わなきゃいけないと思います。

 

 

 そして、このお話を読んでいて少し甘くなるところも。

主人公の「僕」は、ふみちゃんのために頑張って動き、犯人との面会を取り付けたり効果的な脅しを考えたりします。

それを見た周りの人は、「ふみちゃんが好きなんだね」と言います。

でも、「僕」にとってはそれは違う。

大元の理由はラストでわかります。

 

 

 結局、人の行動って自分のためっていうのが大きいんですよね。

でも、自分のためだとしても、それがどれくらい相手に還元されるか。どれくらい相手のことを思ってやる行動か。

 その大きさによって、その人への感情の大きさもわかると思います。

「僕」は、確かにふみちゃんに恋していなかったのかもしれない。でも、大切な友達だったんだろうと思うし、それは一種の「愛」です。「愛」って、いろいろな意味に取れるから便利な言葉ですよね。時には、「恋」と同じ用法が浸透しすぎてうまく使えないこともありますが(笑)

 数年後、少し大人になった彼らを見てみたいです。仲良くいてくれるといいな、と思いました。

 

 

 

まとめ:面白かったです!

 

 ということで、今回は辻村深月さんの『ぼくのメジャースプーン』の感想を書いてきました!興味が出たら、読んでいただけると幸いです。

 

とても面白かったです。こんな書き方があるのか、とも思いましたし、読んでいて主人公の感情に引っ張られそうになりました。

ある程度黙々と冷静に読めたものの、物語の中で感情が爆発しているところではこちらも苦しくなったし…。

 

辻村深月さんは、やっぱり心情描写がとても綺麗だな、と思います。

少し重くて、ファンタジー要素もありますが、とっても大人びた「僕」たちに引っ張られて、少し賢くなったかも、という錯覚まで覚えた一作です。

なんと、この本には出版前に書かれた本と出版後に書かれた本とで、それぞれつながる話があるらしいです。今度図書館で見つけたら読んでみます!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです!

太宰治『親友交歓』感想 「威張るな」の意味

 こんにちは。今日は朝早く起きてボランティア関係のミーティング!「仕事」にするなら金をもらえ、みたいな文章を見たことがありますが、多分私はボランティアでもなんでもやっちゃうんだろうな…という予感が。別に楽しければそれでいいです(笑)

 

 今回書くのは、また太宰の短編です。この前、『女生徒』の短編集を読んでその感想を5回くらいに分けて書いてきました。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

それで太宰をもっと読みたくなり、また新潮文庫の短編集『ヴィヨンの妻』を読みました。今回は、その短編集からまた一話ずつ抜粋して感想を書いていこうと思います。

 

 

目次

 

 

内容紹介&著者紹介

 

 それでは、まずは短編集の内容紹介と著者紹介へ。

短編集は、新潮文庫の『ヴィヨンの妻です。全部で8編が収録されています。いずれも太宰の晩年に書かれた作品で、「死の予感」が読み取れるものも多くあります。

  1. 親友交歓
  2. トカトントン
  3. ヴィヨンの妻
  4. おさん
  5. 家庭の幸福
  6. 桜桃

このうち、7作目の「おさん」は以前ここで紹介したことがあったので、7作の感想を書いていこうと思います。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 著者紹介も。これは、今までの記事からのコピペです。

 

著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。

教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

 青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。

 

ヴィヨンの妻(新潮文庫)

amzn.to

『親友交歓』あらすじ

 

 さて、それでは今回は、この中の一作目『親友交歓』のあらすじを書いていきます。

『親友交歓』は、主人公の「私」が小学校時代の「親友」と飲んだ夜のことを描いている作品です。一人称になっています。

 

 登場人物は、「私」「平田」「女房」が主な3人。

本は、

昭和二十一年の九月のはじめに、私は、或る男の訪問を受けた。

の文章から初まっています。 終戦から一年ですね。

 

 「私」は罹災して東京から故郷の津軽に家族と避難していきています。

そんな中、小学校時代の同級生で「親友」と名乗る平田が家にやってきました。

確かに、「私」も平田の顔にかすかに見覚えがあったため、家に招き入れました。

 

平田は、小さい頃に「私」と喧嘩をよくしていて、まだ傷も残っているという話をしましたが「私」の方には平田のいうことで覚えていることもなく、傷もありません。「私」は曖昧に微笑して話を聞いていました。

 

 平田は、まずクラス会についてを会話に出しました。

久しぶりにクラス会を開きたい。

そのために、お酒を2斗ばかり集めたい。どうすればいいだろうか。

という相談です。

「私」はお金を出しましたが、平田は

「後々もらうことになるかもしれないが、今は相談む含めて昔の親友の顔を見たくてきたんだ」

と言います。

 

 お金を引っ込めた「私」に、平田は突然「酒はないのか」と言い出しました。「かか(「私」の妻)のお酌で一杯飲ませろ」と。

「私」の女房は、垢抜けておらず愛想も大して良くなかったため、とっさに「女房はいない」と嘘をつき、お金がただあれば買えるわけでもないほどに高級なウィスキーを出しました。

 

 それを平田は風情のないことを言いながらどんどん飲み出し、「私」が全く関心の持てないことを話し出しました。

また、「私」のしくじりを弱みのように話しそれに漬け込もうという気配すら感じられ、「あさましくつまらないもの」とすら「私」は思っています。

 

 その後、平田は悪酔いして自慢話をどんどん進めました

平田自身と「私」の先祖を比較したり、女房を呼んでこいと騒ぎ立てたり。

妻に対しても実のない話をとうとうと話し、騒ぎ、無惨な歌を歌い、5・6時間ほどいたところでやっと帰ると言い出しました。

 

 「私」はもちろんそれを止めず、平田の言葉に従って残った最後のウィスキーも手渡し記憶にない男との「親友交歓」を終えたのです。

 

きわめつけは、平田が別れ際に玄関まで送っていった「私」に囁いた言葉でした。

 

「威張るな!」

 

 

 

『親友交歓』感想:「威張るな」の意味は?

 この話を読んで、一番最初に思ったのは「嫌なお話」ということでした。

わがままで、めちゃくちゃで、ともすれば身元もしれない人が家に上がり込んで理不尽なことばかり言っていきます。

しかも、家にあった秘蔵の酒は全て手をつけていって、最終的には「威張るな」の一言です。

何様なんだろう、とも思いました。

 

 でも、読み直してみると、この「威張るな」の意味がわかったような気がします。

最初に読んだときは、この「威張るな」は何を指しているのか全くわかりませんでした。

なんなら、

この平田は別に同級生ではなく本当に知らない人で、いろいろなことにつけ込みながら結局「私」が何も言わなかったため、

そこまで余裕があるのかと思い「威張るな」といったのかもしれない…

とまで思いました。

 

 ですが、もう一回考えてみると、違うと思います。

「私」は、話していて楽しくないということを自覚しており、曖昧に笑って言われたことをなだめながらこなしていました。

本を読んでいるだけで、私が「この平田さんとんでもないな…」と思ったくらいですから、「私」も当然平田さんを尊敬していなかったでしょう。もしかしたら、見下したり心の中で哀れんでいたのかもしれません。

 

その憐れみに気づいたからこそ、平田も「威張るな」といったんだと思います。

自分が何をやっているのかわかっていても、それが止められないことはあると思います。

 

平田も、自分が格好悪いことをわかっている上で、

それでもああやって虚勢を張らなければ話せないのかもしれない。

だけど、それを見下されて見過ごせるほど自分に自信をなくしたわけではないのでは。

平田が「私」のしくじりを持ち出して笑ったのも、

平田にとって「私」のしくじりは自分と同レベルか、

それよりもレベルが低いものだったのかもしれません。

自分と同じだと思っていた者に理不尽につっかかったら、

止められるどころか言いなりになって余裕を醸し出してきた。

だからこそ、「威張るな」といったのだろうと思います。

 

 また、こうやって自分勝手に人に振る舞う人というのはどこにもいるものだと思います。

共感しやすい、というのもこの物語の一つの魅力かもしれません。

もちろん、平田ほどに傲慢な人はなかなかいませんが、それでもこういった人はいる、と感じました。

「私」が有名になったから、その「私」と友達なんだ、飲んだんだ、そう言いふらしたくてきたのかもしれません。

そういった見栄の張り方は、今でも普通にある考え方だと思います。もちろんそれがいいというわけではないですし、基本的には悪いことだと言われます。

自分の利益のために人を利用するという考え方は、批判されますが私の中にもその考えがあると思うし誰もににその考え方はあると思います。

その考えが強い人も弱い人も千差万別ですが。

 

一緒にいて楽しいから、その人との関係は友達・親友になります。

それなら、その友達、親友とはどうやって付き合っていけばいいのでしょう。

親友と名乗る平田は、「私」のことを利用したり愚痴のはけ口に使ったりしてきます。

誰しもが持つであろう「人を利用するという考え方」。

それを微かにでも感じている「私」は曖昧に微笑んで、無難にこなそうとしていました。いわゆる大人の対応というやつだったのかも。

でも、それは「親友」にする対応だったのでしょうか。

文句が気兼ねなく言えるからこそ親友なんじゃないでしょうか。そもそも、この疑問も平田のことを覚えていない「私」にとってみれば心外のものかもしれません。

友達って難しいな、とも思いました。

 

 

 

「私」ってだれ?

 

ちなみに、「私」は、東京に住んでいて罹災して故郷の津軽に戻ってきています

物語の中で「私」は修二と呼ばれています。

また、ウィスキーは「お酒の好きな作家の井伏さんなんかやってきたら飲んでもらおうとかなり大事にしていた」物でした。

 

ここから、なんとなく感じることはありますよね。

太宰治は本名を津島修二といい、出身は青森県津軽)です。

そして、作家の井伏鱒二は太宰と交流がありました。

 

この作品は、完璧に太宰が体験してきたことなのかもしれません。

全てが実話なのか、それとも大筋以外は太宰の考えたフィクションなのか。

少し調べましたが、特に出てきませんでした。もしくは、主人公を自分に設定しただけで特に体験したことではなかったのかもしれないです。

少なくとも、「私は東京で女関係の大しくじりを何回もやった」と書いてあるので、

太宰自身が「私」のモデルであることはほとんど間違いない…と思います。

 

もしもこれが太宰が本当に体験したことだったとしたら、それはそれで面白いなと思いました。

自分が体験した嫌なことを本にして、それを世の中に出版するのって、家族に愚痴をいうのとかと同じような心境なのかも…。

「こんなことあったんだけど〜」とかいうのと似た心境でこの話を書いたのだとしたら、面白すぎるなと思いました。ただ、これは私のただの想像(妄想?)なのでそこはご理解ください!

 

 

最後に:やっぱ太宰ってすごい!

 

 ということで、今回は太宰治の『親友交歓』の感想を書いてきました。

『親友交歓』は、とても読んでいて面白かったです。

一回読んだだけだとよくわかりませんでした。しっちゃかめっちゃかの嵐が訪れたみたいな感じで。

だけど、読み直していくうちに言葉の意味がわかったり、平田から見た「私」を想像したり、新しい気づきもいくつかありました。

気持ち悪くなく、ただムカつく人の作り起こす嵐の中に放り込まれた感じ…。

いろんな話がありますね。この頃読んでいるおかげで、太宰のイメージが変わりっぱなしです。変わっているというか、増えているというか。でも、とりあえずめっちゃ面白いことだけは確か!

 

次は「駆け込み訴え」を読んでいきたいです。前から勧められていたのですが、読めていなかったので今日こそ!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。太宰ってやっぱり面白いんですよね…。でも、本ばかりに構っていないで勉強もしっかりやっていきます!

城山三郎『官僚たちの夏』読了!したくはないけど憧れる、今はできない働き方

 こんにちは。今日は海の日ですね!長野県には海の日がないのですが、休日は嬉しいので何も問題はないです!ただ、奈良県は確か県の条例で川の日としていたので、それもまた面白いなと思いました。

 

 今回は、本の感想を書いていきますが、この頃書いてきた太宰治作品ではありません。今回書いていくのは、城山三郎さんの『官僚たちの夏』です!私は知らなかったのですが、ドラマにもなっているようです。

 

 

 

目次

 

 

本に触れたきっかけ

 この話に触れたきっかけを、一応書いておきます。

始まりは、母親から白洲正子さんの『風花抄』という本を勧められたことでした。

そして、白洲正子さんが白洲次郎さんという政治家の方と夫婦ということも同時に教えてもらいました。

そこで、白洲次郎さんについてネットで調べているうちに当時の政治家についてのWikipediaをどんどん探していくと、たどり着いたのが宮澤喜一さんという方です。

 

宮澤喜一さんとは、20世紀後半などにかけて働いた政治家です。

内閣総理大臣や、そのほかの大臣職も色々と務めていました。

Wikiさんによると、放言癖がかなり強かったものの、独学で英語を学び通訳に訂正を入れたり急の記者会見でも落ち着いて英語で説明したりと、「英語屋」と言われるほどに長年勉強を怠りませんでした。

また、戦後日本の進路を決める重要な決定場面にいずれも池田側近などとして立ち会ったため、「戦後日本の生き字引」と言われたようです。

ja.wikipedia.org

 

 この宮澤喜一さんに興味を持ち、色々と調べていった結果、この宮澤喜一さんやその他多くの政治家さんをモデルにした小説、『官僚たちの夏』という作品があることを知り、近くの図書館で借りてきました!

 

 

あらすじ紹介&著者紹介

 

 それでは、本のあらすじ紹介&著者紹介をやっていきます。

この本は、1975年発刊の本です。もちろん書いてある内容としてはかなり古めかしいというか、固い感じの印象を受けるものでしたが、それでも違和感なく読み進めていけます。

 

 ここでは、1970年代ごろの高度経済成長期につながる活動をしている通産官僚たちの姿を描いています。

主人公たちは「特産産業振興臨時措置法案」(通称:特振法案)を推し進めており、その法案を進める間の自体の移り変わりが読み取れます。

この法案、実際に提出されたもので、登場人物も含めて多くのことが事実なんだと思います。もちろん脚色は多くあると思いますが…。

 

 ちなみに、主人公の風越信吾は佐橋滋さんをモデルにしており、

「ミスター・通産省」「人事の風越」「無心臓」など色々な異名、あだ名があります。

 

彼は、能力あるものが昇進すべきでところてん人事は改革すべきと考え、人事カードを自分で動かして次の人事を予想するのが趣味です。

また、日本の発展をねがって自分の信じるところのためにどんどん行動する熱血人間でもあります。

ただ、細かい言い回しだったり人に気を使うことだったりは面倒臭がるため、マスコミからは格好のネタに押され、同僚はそれを嫌悪し、部下はどうにかいさめようと頑張ります。

 

 他にも、池田勇人田中角栄佐藤栄作など、中学社会でも出てくる超有名な人たちがモデルとなっています。

別にそこらへんを求めて読むわけではないのでかなりの脇役でもありますが、

大抵そういったビッグネームって中心的人物として描かれているので、

こういう視点でも観れたんだ…という感想になりました。

 

 著者の城山三郎さんは、経済小説の開拓者と言われ、伝記小説や歴史小説なども多く書いています。

今でも角川によって、城山三郎賞という賞が創設されています。

『落日燃ゆ』や、『輸出』などいくつかの本で色々な賞を受賞されています。

 

 

 

感想:真似はしないが憧れる!

 

 それでは、感想を書いていきます。ナチュラルにネタバレを含むかもしれないので、ご注意ください。

 

 この本は、主人公が風越信吾で、三人称で語られます。

 

普通、こういった本って主人公に感情移入することが多いと思うんです。この本も、ある程度は感情移入しました。

でも「無定量 無制限」に働くやり方など、私とは全然違う方針というかやり方をとっているところが多く、読んでいて「この人の下では働きたくないな…」と思ったのも確かです。

 いつもは自分が非難するタイプが主人公だと、なんか複雑な気になります。

小説自体はとても面白かったですし、こんな人生もいいな、と思わせてくれます。

でも、一度我に帰ると、この人のやり方には非難するべき点もいっぱいあるし、こんな人の下では働きたくないと思うんです。

 

 自分の元々の意見を一時的にでも捻じ曲げる小説って、もちろんあるにはありますがそういった本に出会えるととても嬉しくなります。

この本も、淡々と動いているように見えて静と動が激しいというか、熱気のある作品でした。

 

 私はまだ社会に出て働いていないので、「人事」は身近なものではありません。

ですが、本とかで「〇〇部に入りたかったのに〇〇部に異動になった…」といったあらすじの本はよく読んだことがあります。

 そういう時にも思っていましたが、人事の大切さはこの本でとても認識できた感じです。

 

どういった役職にどういった人がつくのか。

何を優先させるのか。

その人がつくことであるメリットとは。

どういった役職は最終的に不利になるか。

 

色々なポイントがあるんですね。とても面白かったですし、新しい世界を垣間見れた感じでした。

 

 人事異動に関連して、他にも省間での権力争いだったり、出世争いだったり、色々と考えることが多そうな話題も多く出されていました。

人と人とのいざこざはこうやって生まれるのか…と政治官僚の世界を覗き見れたと思います。

 

 

 

立法を推進するうちに過ごす、暑い暑い夏で懸命にがむしゃらに突き進んでいった風越。

最後に訪れた季節は冬でした。

政治官僚としてそれなりの地位まで登りつめたのに、最終的には新聞記者に在り方を諭される始末。

 

これは、風越が可哀想になります。

それでも、風越の提唱する「無定量無際限」は私は苦手な考え方です。今でいう過労死だったり、オーバーワークだったりをどんどん推奨するような内容でした。

 

今の感覚を持っているから、私がこれに否定的なのか。それとも、生理的にこの考えが苦手なのか。よくわかりません。

でも、私は正直給料程度のことをやれば何も批判されるいわれはないと思っています。

私はどちらかというと自分からやりたいことを増やすようなところ(これは風越よりかも?)がありますが、

それでもこの働き方はもう絶対に許容されませんし、許容されてはいけないとも思います。

 

 かといって、ここに書いてあること全てを否定するわけではありません。

彼らの生き様だったり、心境だったり、もしくは考えていることなどを文章から、言葉から読み取ることはとても面白いと思います。

自分の考えと反対の考え、という点でも学ぶべきことはたくさんあるはずです。

 

天下りだったり、年功序列だったり、もしくはところてん人事だったり、そういったことが普通に行われていた時代です。(年功序列は今でもありますが)

そして、出てくる女性職員も違和感を覚えるほどには少なかったです。

 

そういった状況も含め、一時代前の話であることに疑いはないと思います。旧世代といってもいいのかもしれません。

でも、旧世代であるからこそ学ぶべきこともあります。私は無定量で働きたくはありませんが、それでもそういった生き様に憧れないとは言えません。

 

自分のやりたいことを考え、国のためを思い、とことん働き通す。

 

やりたくはないんですよ、これは本当です。

でも、憧れます。

こんな生き方を一回はしてみたい。ここまで情熱を傾けたい。

そう思うことも本当なんです。

もう許されない行動。だからこそ憧れるのかもしれません。

 

 

まとめ:改革、改革、そしてそれを呑み込む改革の波

 

 官僚ものは初めて読みましたが、とても面白かったです。

「もはや戦後ではない」昭和30年代から、

池田勇人(登場人物の一人は池田勇人をモデルとしています)の所得倍増計画に移る少し前くらいまで。

 

そんな時代の、官僚と政府が描かれています。

しかも、1975年出版なのでかなり感覚は当時に近いはずです。

乗り切れないところもあるかもしれませんが、学ぶところが多く、そして少し虚しくなるラストがとても面白かったです。

熱くて、それでいて淡々としている語り方にも興味を持ちました。

 

官僚の意識の変換(働き方関係)も、ちょうどこれくらいの時期だったんでしょう。

高度経済成長期ってこんなんだったんだ…という感想。変革、変革、それを飲み込むさらなる変革、といった感じです。

 

この時期、政治について思うことは色々とあるかと思います。

別に「昔は良かった、今は…」とかいうことを若干15歳で政治について何もわかっていない私がいうわけではありません。

ただ、事例として色々な姿の政治を知っておくのは今後のためにもいいんじゃないかな、と思います。

確実に今の政治の体型に繋がっているだろうという部分も読んでいて出てきました。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。明日は、なぜか朝早くからミーティングです…。もう朝早く起きたくない…。でも頑張ります!!ということで、今回は『官僚たちの夏』の感想を書きました。興味を持った方は是非読んでみてください!

自分用:学校図書館について今思うこと まとめ 2021/7/21ver

 こんにちは。V6のライブとアルバムが発表されたのですが、同時に私の中でカメラへの興味がすごいことになっています…。もともと、万単位でV6に払おうと思っていたので、そこにカメラも足すとすごいことに…。ちょっと本当に熟考案件です。

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 今日は、自分の中で今考えていることをまとめた記事にしようと思います。自分でも、自分が何に興味があって何をどうしたいのかがしっかり分かっているわけではありません。

なので、今回のブログは備忘録的に使っていくものとなります。

書いてある情報に責任を負えるわけではないので、気になる部分があったり間違いがあればコメントしてくださるとありがたいです!

 

目次

 

 

序章:自分が今興味があること【学校図書館

 

 さて、それではまず、自分が今興味のあることについての説明を。

社会問題にはいくつか興味のあるものがありますが、最近特に興味を持つようになったのは教育関係、特に学校図書館地域格差です。

もともと教育畑のことには関心がありましたが、先日山本みづほさんの『蛾のおっさんと知る衝撃の学校図書館格差』という本を読んでから、特に学校図書館について興味を持つようになりました。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

特に、学校図書館地域格差や、それによる不利益なこと、また部外者として学校図書館に貢献できることなどに興味があります。(後述)

 

 

学校図書館に自分が何を望むか【理想・目標】

 

 私は、小学校に入った時からかなり図書室に通っていて、友達と遊ぶよりは本を読んでいる方が好きな子供でした。

ですが、私の通っていた都内の小学校は特に環境がいいわけでもありませんでした。

 

 色々とあって、親が学校図書館について学校に問い合わせたこともありましたが、わかったのはある程度重要な立ち位置の人でも学校図書館の仕組みについて理解していないことがある、ということでした。

 

 ありがたいことに、私は家族のおかげでかなりの頻度で公立図書館に通えていましたし、何を読めばいいかわからなくなった時も親に手伝ってもらえていたので、読書で不自由したことはあまりありません。

 

 でも、今思い返すと、「一人で本を読んでいるのは変なこと」「子供としての本来の姿は外で遊ぶこと」と言った考えを押し付けてくる大人、子供もいましたし、

幼心にはわかっていなくても後から考えると「そういう意味じゃん、」となる発言も時にはありました。

 本を嫌いな子、苦手な子に無理に読めと言いたいわけではなく、本を読む姿が当たり前になればいいな、というのが理想です

 

 本を読まない家庭はたくさんあります。そう言った家庭の子供にとって、初めて触れる図書館が学校図書館となることもあるかもしれません。

 だから、学校図書館で本を読むこと、もしくはそこで借りた本を読むことが絶対に否定されない空間が欲しいです。それが一番に願うこと。

 

 

 そして、もう一つ。

 

読みたい本を、読みたい時(もちろん授業中はダメですが)に読みたい場所で読む。公共の邪魔になっていなければ何も問題ないはずです。

朝読書や、学習コンクール、読書感想文。そう言ったもので、本を読む姿はかなり定着してきているんだと思います。

それでも、幼い頃から本が身近にあるかどうかで、その後の本に対する感覚もかなり変わるのではないでしょうか。私も自分の経験してきた学校、クラスしかサンプルがないためわかりませんが、幼い頃に触れる本の数は重要だと思います。

 

 学校図書館がいつでもいける、安心のできる場所になること。これも、とても大切です。

 

(恥ずかしながら)つい最近、ある団体の活動から「サード・プレイス」という言葉を知りました。

自宅や職場(学校)とは違う、心の休まる第三の空間、ということらしいです。

そう言った「サード・プレイス」に、図書館がなると嬉しいです。

 

 

学校図書館の課題【時間・人手・金】

 

「本を読むことは大事だと思いますか?」

そう聞けば、大抵の大人や子供は「はい」というでしょう。

自分が読むか読まないかに関わらず。

 

それでは、なぜ学校図書館にはいまだに地域格差があり、中には週のほとんど閉まっているような場所もあるのか。

 

 少なくとも、今の私が思っている超根本的な理由は、この3つです。

時間・人手・金

雲の上の方達に働きかけなきゃ解決されないやつですね…。

 

 まず、学校には12クラス以上ある場合必ず「司書教諭」という役職が配置されます。これは法律で決まっています。

司書教諭とは、大抵の場合自分でも通常の教師として授業をし、その上で読書指導や図書館指導を行います

中には自分で授業をせず図書館に関する授業を多くする人とかもいるのかな?(すみません。勉強不足です。)

 

私が今まで出会ってきた司書教諭のイメージとしては、

 

国語(もしくはその他の教科)の授業

クラスを持っている場合は担任としての仕事

+自分の受け持つ部活の顧問としての仕事

+生徒会の仕事

+図書館関連の司書教諭としての仕事

 

みたいな感じです。

最初の4つは通常の先生の業務と同じで、そこに最後の1つがつくのではないでしょうか。

正直、学校の先生はブラックですよね。部活の顧問とか、残業代出ないんですから。

私、夜(9時ごろ)に学校の前通っていたら煌々と職員室やその他の部屋に電気がついているのを見たことあります。

一日4時間とか残業してるのに残業代でないとか…。

 

 話が少しずれましたが、まずこれで「時間」が足りないのはわかりました。

 

 

 そして、「人手」について(ここに限らず大抵公立学校の場合です)。

学校図書館には、司書教諭の方以外にも「学校司書」か「司書補」の先生がいます。

 

学校司書は、そのまま司書の資格を取って自治体に雇われています。

そして、「司書補」とは自治体にパートタイムの仕事として雇われている、学校で司書の仕事をする人のことです。地域の人や、保護者の人がやる場合が多いそうです。司書補の先生は資格を取る必要がなく、「1日何時間まで〜」と時給制です。

 

 学校司書、司書補については何の決まりもなく、設置の「努力義務」があるまでです。

毎日学校司書、もしくは司書補の先生を置ける学校は多くなく、掛け持ちで司書をやる先生も多いです。そうすれば、自治体としての司書の配置率が上がりますし…。

私のいた小学校も掛け持ちで、週一しか来ていませんでした。

となると、学校だよりやカウンター業務で手一杯となり、図書館に人を集めるための工夫や、委員会との連携は難しくなります。

 

 そもそも人手が足りず、しかもその人手も司書の配置率やその他の理由からいろいろな学校を回るため腰を据えた仕事もできず…。

 

 それでは、なぜ人手が足りないのか。

ブラックだからとか活字離れだとか、しっかり勉強していない私でも思いつくことはたくさんありますが、

最終的には「お金」なのでは?

 

 待遇が悪かったら人も離れますよね。ただ、私は例年の司書数の推移などを調べられていない(データが見つかりませんでした…)ため断言はできません。もう一回調べてみます。

 

 また、図書館の環境整備のためにもお金は必要です。子供たちがくつろげるための設備、人を集めるための工夫、そして何より本の購入!

力を入れているところ(国立や私立など)だと、ウン百万予算がつく場合もあります。

そう言ったお金は、本そのものや本棚、データベースや電子機器、環境整備などに使われています。デジタル新聞や、本の検索機なども入りますね。

 

 生徒数に応じて本の冊数が目安としてあらわされているため、私のいた中学校ではその冊数に応じた予算が出ていました。ただ、司書補の先生によるとそれは恵まれた方ではあるんだとか。

 

 人手、時間、そう言ったものも結局はお金に起因するところがないわけではありません。

結局お金かよ…と言った気にもなりますが、事実なのだからしょうがない。

なんか、結局雲の上に働きかけなきゃいけない問題なのかと思うと世知辛いですね…。

私のいた小学校も、誰に問題があるわけではないんです。

興味がないのなら「司書」と「司書教諭」の違いも調べないかもしれないですし、

時間がないから図書館に手も回せない。

誰が悪いとは言えないけど、それでもその状況で不利益を被る人が出てきます。世知辛い…。

 

 

これからどう動いていくか【これからの計画】

 

そんな世知辛い話は後にして、とりあえずは今私がこれからどうしていくべきかを考えていきます。

 最終的に望むのは、学校図書館地域格差をなくすこと。そして、本を読む姿が普通になること。

その上で、図書館の利用者数が増えたり本に興味を持ってくれる子がいたら最高ですね。

司書補の先生も、「本を借りなくてもいい。図書館に来てくれることが嬉しい」と言っていました。

 

 その目標に達するために、自分が何をできるか。

一つの手段として、将来そう言った教育畑に行って自分で活動していく、ということがあります。

文科に働きかけるとか、図書館の大切さを広めるとか、「あればいいけど、必須じゃない」という考えを改められるよう行動するだとか…。

 

もしくは、自分が司書教諭、もしくは学校司書になって赴任した学校に全力を注ぐ?

正直、司書教諭にはなりたくないです…。憧れもあれば楽しそうとも思うけど、まず部活のために無償で休日出勤っていうのが無理だと思います。

学校司書になるのも、司書教諭になるのも、時間を作れられれば有効かもしれません。ただ、正直そこに行き着くまでに何年も疲弊してしまう自分が想像できます。

 

 将来のことを考えたってどうしようもありません。今、それに対して何らかの行動が取れるわけではないのだから。

 

 じゃあ、何ができるか。何をすべきか。

私が8月から通う学校、ISAKは、インターナショナルスクールでプロジェクト学習もやっている学校です。だから、何らかのプロジェクトを立ち上げて学校図書館地域格差を触れ回り、改善のために動く。

そういったことができるかも。…とは思いました。でも、正直やりたいこと(プロジェクト)がいっぱいありすぎて、多分そこまでプロジェクト学習に全力注げるほど暇じゃないと思うのでとりあえずは却下。何をすればいいのかも想像つきませんしね。

 

 

 ということで、最終的に一番基本的なところにたどり着きました。

 

とにかく調べて勉強する。

 

今の現状でも、学校図書館の仕組みでも、それ以外のことでも。

繋がりそうだと思ったことはとりあえずとことん調べる。

 

そのために、どこで調べればいいのかを4つ考えました。

 

  1. 本で調べる
  2. ネットで調べる
  3. 前いた中学校の司書補の先生に話を聞く
  4. 有識者(ツテを使って…)の方に話を聞く

 

そのうち、1と2は実践中です。

親と話しているうちに、私が「学校図書館法」の中身をしっかり理解していなかったことがわかったので、それは近日中にまたおさらいします。

 

本でも調べたいですが、如何せんポピュラーな話題でもないので…。

でも、公立図書館の普及に関する本や、それこそ「中小レポート」や「市民の図書館」といった今ある公立図書館の軸になっている(と聞きました)本は読んでおきたいです。

 

 

 3は、この前実践することができました!

学校としては夏休み前でしたが、快く会って下さりとてもありがたかったです!

バカなことに、「ブログに書いてもいいですか?」というお伺いをたてるのを忘れたので、あまりここでは書けませんが…。

 

 やっぱり、司書教諭の先生とお話しする機会はあっても、司書の先生とお話しする機会はあまりないので、とても貴重な機会でした。

というか、中学校にお邪魔したことはあったものの、流石に図書館まで覗けないので、久しぶりに会うこととなりました。

先生の方もこちらを覚えてくださっていて、ありがたかったです!

養護の先生も、図書の先生も、体育・技術家庭科・音楽・美術の先生も、全校生徒の名前覚えられるってすごくないですか…。記憶力すごい…ってよく思います。私は無理かと。

 

 

 そしてそして、周囲の協力もあり、4も近日中に達成できそうです!

急に興味が湧いたことのため、本当に自分はまだ知識が足りません。

だから、せめて人に会う前に基本的なことはしっかり抑えて、有意義な時間を過ごせるように整えておきたいです。

 

 もう、人間関係って本当に大事…。コネ最高…。みたいな感じになりました(笑)

やっぱり、知識のある人が身近にいるとどんどん吸収できるのでいいですね。

本当はお金を払うようなことだと思いますが、関係性と年齢を十分に使えてしかも決まった予定が少ない今だからこそできることだと思えば、恵まれてるな〜と感じます。

 

 

 とりあえずは、学校図書館法を読みます!そして関連書籍を読みます!それが直近でやることです。

もう、学校図書館法もブログでまとめるようにしようかな。そのほうが記憶に残るんですよね。

 

 

まとめ【これから頑張っていきます!】

 

 ということで、今の時点で私が考えている学校図書館についてのことを書いてきました。自分としては、言葉でまとめられたので頭の中が整理できたと思います。

これから調べを進めたり、勉強したり、話を聞くことで少しずつ考えが変わっていくかもしれません。そういったときに違いがわかるよう、日時をタイトルにも入れました(結局エントリには全て日時が記録されていますが)。

 

 「新しい挑戦、再び」(人権関係が最初の挑戦かな)といった感じがします。

勉強するって楽しいし、何かを自分が吸収できているって感じられるのもとても楽しいです。

今回も、いっぱい勉強して吸収していきます!

 

 

 最後にもう一回書きますが、ここに書いてあることは間違いの可能性も含んでいます。

できるだけ書いてある「事実」は間違いのないように確認しましたが、体験談やその他諸々については、家族から聞いた話や先生から聞いた話、私がネットや本で調べたことなどを書いています。うろ覚えのものももしかしたらあるかもしれません。

もしも間違いがあれば、コメントくださるとありがたいです!

また、もしも何かに使えそうな情報等があった場合は、裏を取ってからお願いします。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。学校図書館、奥深いですね…。急に興味が出てきたため、この後急失速しないといいんですが…。そうなる前に抜け出せられないような場所まで勉強して突き進んでいこうと思います!

太宰治『おさん』『饗応夫人』あらすじと感想:太宰作品の「気持ち悪い」は尊敬の褒め言葉

 こんにちは。この頃、太宰治の感想を少し書きすぎな気もしています。でも、今日も太宰の本を一冊読み終わったし、やっぱり面白いです!太宰ってすごい…。

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 ということで、今回も太宰治の『おさん』と『饗応夫人』の感想を書いていきます!二冊とも、太宰治文学館の短編集、『女生徒』に収録の作品です。

 今までも、この短編集から『女生徒』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『燈籠』『皮膚と心』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『きりぎりす』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『千代女』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

を書いてきました。

 

 まず、この短編集の内容紹介と著者紹介を。これは、以前までの記事に乗せたものをそのままコピペします!

 

 

 

 

ーーーーー

 それでは、まずは短編集の内容紹介と、著者紹介へ。

短編集は7編仕立てとなっています。以下の通りの順番です。

  1. 女生徒
  2. 燈籠
  3. 皮膚と心
  4. きりぎりす
  5. 千代女
  6. おさん
  7. 饗応夫人

どれも、女性を主人公とした作品で、悩みや日常のことについてを描いています。

 前回紹介した『女生徒』という作品は、14歳の女生徒が朝起きてから夜寝るまでに考えたことを告白体で書いた作品でした。

 

 著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。

教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

 青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。

ーーーーー

 

 

『おさん』あらすじ紹介

 

 それでは、次は『おさん』のあらすじを紹介します。

 

主人公の「私」は、結婚8年目の女性で3人子供がいます。

 その「私」は終戦後に夫の浮気に気付きますが、できるだけ指摘せず穏便に過ごそうとします。

ジャーナリストとして働いていた夫は、終戦後自分で新しく出版社を立ち上げましたが、借金続き。

浮気の次の日、「どろぼうのような日陰者くさい顔つき」をして妻に気を使い、見え透いたお世辞まで言うようになります。

 

 「私」はその事実に触れないようにしているうちに、「気持の楽な生き方をしたい」と言う考えになり、家の中に笑い声もしばしば起こるようになりました。

 

 ある朝出し抜けに、夫は温泉に行きたいと言い出します。

そして一人だけ諏訪湖に行き、革命という大義名分とともに浮気相手と心中しました。

「私」はその夫に幻滅し、あきれ返りました。

子供3人を連れて夫の遺体を引き取りに行く汽車の中で、「私」は夫のバカバカしさに身悶えしたのです。

 

ちなみに、この話が書かれたのは、太宰の自殺の前の年のことらしいです。

 

 

『おさん』感想:救いどころのない夫と、呆れることのできた妻

 さて、この話の感想を書いていきます。

 

 太宰治は、『おさん』が書かれた次の年に愛人と入水自殺をしています。

その事実を知っているからか、

この対応が「太宰が自分の妻に望んでいたものなのか」とも考えてしまいます。

自分が愛されて終わるよりも、自分のバカらしさをみんなで嘲笑ってもらいたい、という考えが少しあったのかもしれません。

もしくは、自分の考える一番の悪い状況をこの話に書いたのかも。

 

 そうやって、作者の背景と結びつけたらどんな風にでも読み取れます。

でも、作者と繋げすぎて余計な考えを作品の中に持ち込むのもあまりやりたくはありません。

太宰の衝撃的な背景は勘ぐりたくなる要素が多くありますが、まずは話の中身を考えていきます。

 

この作品は、私の持っていた「太宰の女性一人称もの」イメージに合う女語りの作品です。

悪い男と、それに悩む女性。暗い感じの話ですね。

このイメージが強かったので、『皮膚と心』を読んだ時にはびっくりしました。

 

 この『おさん』では夫に何も救いどころがなく、悲しくなったり感情移入をしたり、という段階を超えていました。

普通、悪い方にも少し気を使いたくなりますが、冷めた感じでずっと読むしかないようでした。

 

それなのに、この人は自分の持つ自尊心を捨てられず、「革命」という大義名分を立てて、妻子4人を残して死んでいます。

周りをかき回すことがもうはた迷惑ですが、こうやって変にプライドを保とうとするのが一番格好悪いしはた迷惑なのでは…。

 

 この夫の遺書を、何も知らない状況で読んでいたらもしかしたら「革命のために死んだ男」とか美辞麗句が並べられるかもしれません。事情を知らなくても「見栄っ張り」と思われていいと思いますが。

 

 でも、妻の視点で見ていると、夫は本当に格好悪いです。自分をそんなに綺麗に見せたいか?となります。もう何も残ったものがないのに、これ以上何かを守ろうとするなんて…。

 

 

 ちなみに、この『おさん』という題名の由来。

おさんとは、近松門左衛門人形浄瑠璃心中天網島という作品に出てくる女性のようです。

おさんは、その中で自分の夫に想いを寄せながらも、他の女性を好きになった夫に同情しています。

 

「私」も、夫が好きだと自覚しながらも最終的に夫に心中されているところは同じなのかと…。

ただ、私はこの人形浄瑠璃をしっかり読んでいるわけではない(関連するとわかり、Wikipediaなどで調べました)ので、次暇ができたら読んでいきたいです。

 

これ、残された妻と子供はどうなるんでしょうか…。

もうかわいそうですが、それでも「まだ夫のことを思って…」みたいな状況にならずに本当に良かったです。

そうなっていたら、もう悲恋どころじゃありません…。

しっかり呆れられて良かったね、といった話でした。

 

 

『饗応夫人』あらすじ

 続いて、『饗応夫人』のあらすじへ。

こちらは、戦争で生死が不明となった夫を持つ「奥様」の話です。その奥様を、女中目線で描いています。

 

夫人は女中に

奥様はもとから、人をもてなすことが好きなお方でした。

と言われ、さらに「何か怯えているとでも言った方が良いくらい」使命のように人をもてなすのです。

 

 家は戦争直後ではあるものの、仕送りもあり物静かに上品な暮らしをしてたそうです。

 ですが、生死不明の主人の友人であった「笹島先生」がばったり夫人とあうと、夫人はもてなし精神が過剰に発揮され家へ招待。

それ以降、笹島先生は何かと人を連れて夫人の家に訪れ、召使いのように料理や酒を飲んでいきます。果てには「ここはただの宿屋だから」などという始末。

 

 とうとう、夫人は喀血するほど消耗し、女中は二人で里へ帰ることを勧めます。

そうして家から出た途端、白昼からよっている笹島先生が二人女性を連れて立っているところへ出くわします。

 

 最終的に、夫人は逃げられず、「接待の狂奔」を始め女中もちぎられた切符を見ると覚悟を決めます。

 

 

『饗応夫人』感想:動物と人間、貴さ

 

 この話、初読の際は「哀れな女性だな」と夫人を、そして最後には女中を見て終わりました。

ですが、どこか高貴というか高潔なところが感じられました。

 

 多分、それは最後の方にある文章のおかげでもあります。

(前略)人間というものは、他の動物と何かまるで違った貴いものを持っているということを生れてはじめて知らされたような気がして(後略)

 

 この作品では、時々動物が比喩として物語に登場してきました。

その中でも、「狼たちの来襲」と言われる笹島先生たちが、一番わかりやすい例だと思います。

 

 女中は、夫人が引き裂いた切符を見るときまで夫人の狂奔振りを哀れに感じる、読み手と近い感覚の持ち主でした。

だけど、夫人にちぎった切符を見てから「他の動物とは〜」のセリフを言ったのです。

それまで、「コマネズミのごとく」だとか夫人を哀れなもの、弱いものとみて、笹島先生を「狼」などと強いものに見立てていたのに。

 

ここで、女中は夫人の「底知れぬ優しさ」と「貴さ」に気付き、それが今まで自分が想像していた弱肉強食とは違ったものだと認識します。動物と違う人間の貴さに目覚めた、といった感じでしょうか。

それが、女中が自分の切符もちぎった決心につながるのです。

 

 夫人は、もともと接待が好きで、それがいつしか生きがいになっていたのかも知れません。でも、女中の方は夫人を見るうちに感化されたのでしょう。

二人が、この先絶望の中で死ななければいいな、と思います。どこか哀れなんですが、同情してしまうというか寄り添いたくなる。そんな物語でした。

 

 というか、笹島先生最低ですね。

こんな人とはお近づきになりたくないですし、大学の先生だった夫の知り合いがこんな人だなんて…。別に学歴が性格に直結するとは全く思っていません。

でも、「物静かで上品な暮らし」という表現や、話の中で出てくる言葉からどこか静かでおっとりとした感じをもたらすこの家の持ち主が、笹島先生と友達だなんて意外です。

夫がいなくなったからこその、本性現したり、なのでしょうか。

 

 自分の身を守ることよりも、他人のために自分を犠牲にする自己犠牲の精神が、貴いという感情をもたらすんだと思います。

それが絶対に正しいことだとは全く思いません。

ですが、そういう生き方もあるんだな、と思いました。この生き方が美しいと感じる、高潔だと感じることの意味は、もう少し深く考えたら何らかの答えが見えそうですが…難しい!

 

最後に、夫人の言葉を少し。

ごめんなさいね。

私には、できないの。

みんな不仕合せなお方ばかりなのでしょう?

私の家へ遊びにくるのがたった一つの楽しみなのでしょう。

 

 

 

まとめ:「気持ち悪い」けど、それは尊敬の言葉です!

 ということで、太宰の二つの作品の感想を書いてきました。これで、短編集『女生徒』の感想は終わりです。

一番好きなのは、多分『皮膚と心』だったと思います。まさかの「いい男」にびっくりしました。

そして、一番気持ち悪かった(褒め言葉ですよ!)のは『燈籠』と『饗応夫人』がいい勝負かな〜。

 

 太宰の作品の多く(今まで読んできたものの中で)は、初読で「気持ち悪い」と感じるんです。

生々しさだったり、どろどろだったり、あとはうまく言い表せない不快感だったり…。

人間失格』なんて、その筆頭でした。

 

でも、大抵「気持ち悪い」と思った作品には、読み込んでいくと不可解な美しさがある気がします

今回の『饗応夫人』も、しっかり読むと不思議と貴いと思うようにもなりました。

 

そこがやっぱり魅力的だし、まだまだにわかですが、太宰の作品って本当にすごいな〜と思えるようになりました!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。今、新潮社の短編集『ヴィヨンの妻』を読んでいます。とても面白いです。もうしばらく、太宰の感想記事が続くかも…(笑)

太宰治『千代女』あらすじと感想 読んで何を学べる話なのか

 こんにちは。この頃、色々と予定も詰まってきて正直少し大変…。でも、やり始めたことはしっかり全部終わらせるのが当たり前です。頑張っていきます!

 

 今日は、今まで書いてきた太宰治の作品の感想をまた書いていきます。

 

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これまでに、短編集『女生徒』の感想として

表題作の『女生徒』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『燈籠』『皮膚と心』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『きりぎりす』の感想

 

chirpspring.hatenablog.com

 

を書いてきました。

 

 今回感想を書くのは、『千代女』の1作にします。

 

 

 

短編集紹介、著者紹介

 

 まずは、あらすじ紹介と著者紹介から。これは、『燈籠』などの感想を書いた記事からコピペしてきます!

 

 

ーーーーー

 それでは、まずは短編集の内容紹介と、著者紹介へ。

短編集は7編仕立てとなっています。以下の通りの順番です。

  1. 女生徒
  2. 燈籠
  3. 皮膚と心
  4. きりぎりす
  5. 千代女
  6. おさん
  7. 饗応夫人

どれも、女性を主人公とした作品で、悩みや日常のことについてを描いています。

 前回紹介した『女生徒』という作品は、14歳の女生徒が朝起きてから夜寝るまでに考えたことを告白体で書いた作品でした。

 

 著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。

教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

 青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。

ーーーーー

 

 

『千代女』のあらすじ

 

 さて、『千代女』のあらすじを書いていきます。

主人公は今18歳の「和子」

「柏木の叔父さん」が、7年前和子の綴方を雑誌「青い鳥」に投書したところで物語が動き始めます。

 

 12歳の時、投書した作文が一頭に当選し、和子は選者の偉い先生に絶賛されました。

学校の先生もどんどん和子の作文を褒めるようになります。

絶賛が続き、クラスの友達は急によそよそしくなりました。一番仲の良かった人まで、「一葉さん」だの「紫式部さま」だのというようになる。

その環境がとても嫌で、どんなにおだてられても決してまた投書をしようとはしませんでした。

綴方を無理やり投書させた叔父さんに、何かにつけて小説を勧められたりするのも嫌で、小説を嫌いになりました。

 

 小学校を卒業すると、当選について知っているものは中学校にいなかったものの、柏木の叔父さんはずっと投書を進めるし、不祥事で学校を辞めた小学校の頃の先生が押しかけてくるしで、和子はまた綴方を始めなければいけないようになります。

 

 和子自身は、それに対して乗り気ではありませんでした。

でも、学校を卒業して時間ができると急に暇になり小説もよく読むようになり、自分から綴方を書くようになります。

時すでに遅し、といった感じでしょうか。書いてみても、あんなに熱心だった叔父さんすら苦笑しながら忠告めいたことを言うように。

 

 

 最後はこうやって閉められます。

どうしたら、小説が上手になれるのだろうか。

きのう私は、石見先生に、こっそり手紙を出しました。

七年前の天才少女をお見捨てなく、と書きました。

私は、いまに気が狂うのかもしれません。

 

感想:誰が悪かった?何が悪かった?

 

 読んでいて、不思議な感じでした。

文章はとても伝わるし、「私」の気持ちも事細かに描写されていて、それでもくどくなく、読みやすかったです。

太宰の「女語り」と言うんでしょうか。女性の一人称で進む小説には、もう何編か触れたので慣れたと思っていました。

でも、なぜかはわからないけどそれぞれの話で纏っている雰囲気が違うように思えるんですよね。

多分、情景描写だったり話の筋だったり、あとは登場人物の性格の書き方が影響していると思うのですが、今度じっくり原因を探してみたいです。

 

 

文章自体はすごいなと思うのですが、話自体は捉えどころのない感じもしました。

 

周りに褒められることがとても嫌で、期待に応える気もない。

だけど、嫌よ嫌よと言ううちにそれしか自分にない気になってきた。

そこで乗り気になってみれば、最終的には何もできず、才能なんてなくなっていた。

 

 読んでいれば「気の毒だな」とは思いますが、誰が悪いと言うわけでもないと思います。

もちろん、投書で絶賛されたクラスメイトをいじめるのは悪いことでしょう。

褒められた生徒をここぞとばかりに絶賛して、いじめに拍車をかけるのも結果的には悪いことでした。

 

 でも、褒められて逆に自己嫌悪に起こることもよくあるでしょうし、さらには褒められた身内をことさらに褒めたくなることもあるはずです。今まで仲よかった子が急に色々な方面から褒められるようになれば、それが嫌になることもあり得ると思います。

 

 だから、誰が悪いとは言えない話です。

それでも、結果的に18歳の和子は小説を書けなくなり、才能もないと見放されてきました。

強いて言うなら、タイミングの問題だったのかもしれません。

 

 和子の周りの人たちは、和子の投書が選ばれたことに湧きたち、「この子は綴方で有名になれるのでは」と思うようになりました。

和子がそれを否定し続ける間に、和子の周りの人たちは長い時をかけて落ち着き始め、「本当にこの子には才能があるのか、まぐれとかではないのか」と冷静になり始めます。

それで7年後に和子がまた作文を書き始めると、今度は客観的に作文を観れるようになり、特に応援はしなくなります。

 

 反対に和子は、自分が疎外されることが嫌で(反発精神ももしかしたらあったのかも)綴方を特にやりたくはありませんでした。と言うか、嫌いでした。

それでも自分が学校を卒業して何も残らなくなると、何か誇れるものが欲しくなります。そういったときに、昔周りに言われた言葉やおだてられたことを思い出し過去の栄光にもう一回すがりつこうとします。

周りの熱が冷めたことをなんとなく感じてきた和子は、自分がそれにすがりつき過ぎていることに気付きながらもそれが止められません。

だからこそ、和子は最後に「気が狂うのかもしれません」と言いました。

 

 

才能はどこで消えたのか。話を読んで残るものは?

 12歳の時は、和子にも作文の才能があったんだと思います。

だから作文が一等で当選して、絶賛されてきたのでしょう。それがなくなったのは、和子が綴方を毛嫌いし始めたからなはず。

 

 それでは、その才能はどこでなくなったんでしょう。

 

 この頃よく思うことですが、「継続」って本当に大事なことだと思うんです。

どんなに特別な才能があっても、大抵の場合は継続しなければそれは開花しません。

文章を書くことも継続が必要だし、勉強にも趣味にも継続は大事になってきます。

 

 それなのに、和子は継続をしませんでした。誰が悪いと言うわけでもありませんが。

 

 だけど、もしも和子が自分に残るものを作りたかったのなら、少しくらい評価に目を向けて、褒めてくれた人たちの意見を聞くべきだったと思います。

 

どんなに納得できなくてもそれが大切なものなら、褒められたことを否定せずに褒められたことは受け入れるべきだと思っています。

そうして、自分で納得のいく文章をかき、それこそ有名な人にご指導を受けたりすれば、結果的に大成しなくともなんらかの経験が自分の中には残ったはずです。

 

 ただ、それは結局のところ結果論です。この話の中で和子は大成しないでしょうし、この後どうなるのかもわかりません。よくある話、想像しやすい話、救いのない日常の話。そういった話でした。

 

この話を読んで残るものといえば、自分にとっての教訓、が一番強いと思います。

チャンスのきっかけは自分でつかむ

継続は力なり

評価は素直に受け取る

そういったものが状況のせいもあって足りなかったから、和子は成功しませんでした。

 自分の中に何かを残したかったら、和子にならないように頑張る。

 

和子にもこれから、何かを見つけて頑張ってもらいたいです。

 

 「失敗談から何かを学ぶ」といった話だったと思います。

話から、当時のジェンダー的な時代背景も少し読み取ることができました。そういった意味でも、読んでいて楽しかったです。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。まだしっかりよみなおせていないので、ほぼ初読に近い感想です。次はもう少し中身のある感想をかけるように頑張ります!