うぐいすの音

15歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

自分をかる〜く分析してみた

 こんにちは!この前記事を書いていて、夜のテンションでかくと割とスラスラかけることに気づいたので、今日も夜のテンションで書いていこうと思います!

 

 今回書くのは、「自分の性格を考えてみた」結果についてです。本当に今日思いついて、「こんなの面白そうじゃね?」みたいな感覚で書いているので、ガチではありません。シリーズ化して、暇があればガチなのも書いていきたいです。

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目次 

 

自分が自分を意識している

 皆さんは、人と関わっている時、自分で何かやった時、独り言を言う時、それを言う自分をどう言う風に捉えていますか?それを言っている自分をどう言う風に意識していますか?

 

 私は小さいころから「必要以上にドラマチックになる」とよく言われてきました(親にです)。自分でもそれは否定しません。物語の中の言い回しや感情表現がとても身近だったこともあり、自分の中で自分を何かの主人公として、重要な存在としていたのだと思います。

 自分中心なのはある意味当たり前のことで、そうでない人はある意味危ういところもあると思いますが、私の場合はそこに「意地汚い自分」が被ってしまったのが悪かった。特に小学生中学年くらいからは、マウントを取るようになったりセコイことをよくやって、「少女漫画に出てくる小物の悪役」と言う的確な判断(笑)を親からもらっていました(親を責めるわけでは全くなく、自分も納得しています)。

 そんなところが、歳をとるにつれ少しは改善されてきた…と自分では思っています。まだまだ人への対応が自分本位になることも多いですが、少なくとも外面はよくなった…はずです。

 

 自分を物語の主人公としてみる。これは、自分が自分の中で重要な人物になり得ていると言うことだし、悪いことだとは言えません。

 そこからの派生だとは思うのですが、私にはよく「自分自身を俯瞰する」傾向があると思います。もしかしたら、これは多くの人に共通することなのかもしれません。こう言ったことに対してそこまで話してきたわけではないので、周りの人もみんなそう言った面はあるのかもしれません。と言うか、程度の差はあると思いますが、みんな自分を一歩引いたところから見つめる、と言う経験はあるのではないでしょうか。

 

例えばどうやって客観視しているのか

 自分を第三者の目で見る。そう言うと聞こえはいいですが、高尚なことができているわけではありません。

今の私の思考回路は例えば、

  1. 勉強をする
  2. わからないことが出てきて少し慌てる
  3. それを調べようとする
  4. 親に聞く
  5. 理解する

と言ったことが起きた時に、

  1. 勉強楽しい(楽しいって思っている自分を作ってるのかも)
  2. あれ、これわからん…(勉強したことなのに忘れて慌てるとか勝手だな)
  3. 何で調べよう、本あったっけな…
  4. 親に聞こう!多分知ってる!(親に聞くより自分で調べる方が自分の勉強になることをわかってるのに聞くのは、親に対する一種の勉強してますアピールなのか?それともそうやって勉強して熱心になってる自分に酔ってるのか?)
  5. あ、なるほど!わかった!

みたいに、自分が最初に思ったことから派生させて、その行動をしている自分を評価するようになっています。

 毎回やっているわけではないですが、よく無意識に色々と考えて、それに加えてそうやって評価している自分に対しても評価します。

 評価と言ってもきついものではなく、(この発言あの本のセリフに似てるな〜)で終わるときもあれば、(じゃあ今の私はあの本の〇〇と同じような心境でいたいのか、ドラマチックにしようとしてるんだな)と言う風にそこから自分の性格を少し考えるときもあります。

 

 正直、こう言う考え方は周りの人もやってるのかもしれません。だけど、私が言えるのは私はこう言う思考回路を持っていて、それを色々なときに発動させている、と言うことです。

 

自分は自分に酔っている?

 私の思考回路の中でよく出てくるのは、「酔う」と言う言葉です。「自分に酔っている」発言をこれまでしてきたと認識している分、そう言う行動をとっている自分に対しては内心で少しあたりが強くなります。それで後から後悔することもしばしばです。

 誰かとチャットしているときも、自分の文章から、「これは私が言い過ぎじゃないか、踏み込み過ぎかも?、偉そうかな…」などと色々と考え出して、最終的には「自分は相手の人に自分のことをこう言う風に見せたいのかな」という結論を出すこともあります。

 

 文章にすると少し大げさになるかもしれませんが、これらの思考は何十分も使うわけでは全くなく、文を打っている間に考えることなので本当にかる〜くやっているだけです。

 

 それでも、昔「自分に酔っていた、自己中心的だった」と言う認識が自分の中であるだけに、「酔っている自分」への抵抗感は強くなります。こうして記事を書いている間にも、「あ〜、自分は自分のことを『抵抗感』って言葉を使って正当化してるのかな」と言う風に考えるし、「こうやって自分のことに関して長文を書いている自分は『プリンセス・ダイアリー』の登場人物に似てるな」「うわ、登場人物に似てるとかそれこそ自分に酔ってるパターンじゃん…」と言う風に考えたりもします。

 

 そうやって自分の発言に対して色々と考えるのは、思考の余裕があるときです。だから、友達との会話のなかでこれをやったりもします。ノリだけで構成されるような会話の時は関係ないことを考えたりもしますが、中身があって、少し真剣な話題のとき(相談事や、勉強関係のことなど)は特に「酔う自分を見つける」傾向が強くなりますシリアスなことを考えていて、それでもまだ脳に余裕があるときなどは、「この発言で相手はどう思ったんだろう、こうやって相談に乗っている自分に酔っている自分がいそう、周りに私の発言はどう受け止められているんだろう」など、色々と考えます。

 

 だからこそ、私が好きなのは白熱できる議論や対話などです。哲学対話もそうですが、何かのディスカッションや、ディベートなど、矢継ぎ早な会話の中で目まぐるしく増えていく情報量、そして自分の意見を考えをまとめるのに割く労力…

 そう言ったものの中でなら、自分を客観的に見ている自分も談義の労力へと変換されていきます。ただ、一息ついたときや相手の発言の時なんかは「うわあ、、熱くなってるよ、こうやって相手と対等に話せる自分かっこいいとか思ってないかな、、」と言う風にいつもより少し多めに考えたり恥ずかしくなったり(こうやって恥ずかしいと思っている自分を見て気持ち悪いと思う時もあります)しますが…

 

 

 何回も言っていますが、文章にして書くと少し大げさになります。いつもはすごく考えていると言うわけでもなく、今までに考えていたことをまとめて書くと長くなっただけで、普段はここまで大げさではありません。と言うか、今こうやって書く情報量を多くして大げさに見せている自分がいそうなことにも考えを巡らせています。

 

別に悪いことではないんだけど… 客観視する(考えすぎる)メリット

 こう言う風に、私は自分を客観視して自分を判断すると言った癖のようなものがあります。これは、時々は疲れたり恥ずかしくなったりしますが、いい方向にも働きます。

 

 まずは、「〇〇の登場人物みたい…」と思うのを逆手にとって、「こうしたら、登場人物見たいって思ったんだから、『あの登場人物みたいにしたらいいかも』って思った時はこうすればいいんだ!」と言う風にその登場人物を真似すること。これは、後から羞恥心が沸き起こりますが、本を読んでいると色々なキャラクターに出会えるので、特殊な局面になったときなどに使えます。「自分があのセリフを初読した時にこう思ったから、こう言えばみんなもこう思うんじゃないかな…」などと、結果的にどう受け止められているのかはわかりませんが、後から色々と考えてしまうのを承知でわざと自分を主人公にすることもあります。

 

 また、言い争いをしている時。自分は、自分を客観的に見る考え方のおかげもあり、合理的な考えをするようになったと思います。毎回というわけではなく、自分の損得にまつわることなど一部においてですが。

 例えば、色々なつながり(いわゆるコネ)のなかで、自分が利用されそうになったら甘んじて利用されておいて、後から自分が相手と交渉できるような材料を残しておく。

自分が誰かに悪口を言われたら、その悪口を書き留めておくなどしてそれがなぜ悪いのか、大人になってそれを言ったらどうなるかなどを調べておく。

自分が使えるものはなんでも使って、自分の成長に繋げる。その時に自分が相手に返せるものも考えて、自分が返せる範囲のものを受け取る。

自分だけが損をするのはいやだ(だけどこれは、自分と相手の使える時間やそれに対する熱意に差がある場合も多いので学校などでなら無視できるようになったと思います)。

そういう風に、自分の「申し訳ない、恥ずかしい」などと言った考えと切り離して、普通に考えたらこうするのが最善だよね、と言った手段を考えられるようになりました。

それをバラすと、「少し怖い、、」などと思われる(弟談)時もあるので、あからさまにそう行動するわけではないですが、基本的に利用できるものは最大限自分が返せる範囲で利用するのが一番というスタンスではいます。きつい性格だな、と自分で思うこともしばしば。

 

結局どういうこと?どういう性格なの?

 ここまで書いてみて、「人生楽しくなさそうだな、自分…」と少し思ったのですが、実は全く違うんです。いろんな行動をとっている間に客観視しているならそうかもしれませんが、私の場合は感情が先に来て、その少し後で羞恥心や色々な考えが襲ってくるので、パニクる時はめっちゃパニクります。それでパニクった後で、「うわ、何してるんだ自分…」と落ち込むタイプです。ものがなくなって慌てて探しているときも、慌てた後(もしくは最中でも少し遅れて)「あ〜、大げさに騒いだな」と感じるので、結局客観的とは言っても、普通の生活の中では全く落ち着いた人間にはなれていません。

 何かあったとで色々と考えてしまうのは事実ですが、別にそれを考えた後で行動を変えるほど思考を保つわけでもないし、色々考えるのに対していちいち反応して吟味して自分の行動を改善するのは面倒臭いので、パニクって色々考えて、結局何も変わらない、という他人にとってとても迷惑な人格(笑)となっています。

 

 この性格で、直したい部分があるかと言われると、あまりないです。毎回考えすぎちゃうのも疲れる時はありますが、それでもそのおかげで人と言い合いをする時は、最初から自分を客観的に見ようとしているので言葉もスラスラ出てきます。友好的なお話をあまりしたくない局面だったり、ガチで討論したい場合は意識して最初から客観視するので、便利です。

 それに、こうやって色々考えすぎちゃうのも自分の一部だし、そうやって一部ということで好意的に捉えようとしている自分を見つめるのも自分の一部なので、まあ結局どうもしなくていいかな、と思いました。

 

 この記事を知り合いや友人が見たときのために行っておきますが、本当に毎回やっているわけではありません。時々は何回も考えてループに陥るときもありますが、大抵は少し「あ、酔ってんな」と思うぐらいでそこまで考えながら話しているわけではないです。普通に話してる時はすごい楽しいし、色々世界が広がるし、話してくれてありがとう〜って考えがいっぱいで自分のこと考えながらいつも会話してるわけじゃないです。自分でも、深夜テンション(書き進めていたら日付変わる時間帯になってしまいました…)で書いていて明日の朝読み返したら「こんな気持ち悪いこと書いてるの?」とか思っちゃうような内容になっている気がするので、一応言い訳として書いておきます。

 

まとめ:つまり、重なっている自分がいるということ

 ということで、自分を客観視している自分について、書いてみました。何回も書きましたが、周りの皆さんもこれと似たようなことをやっているのかもしれません。こう行ったことに関して話したことがないのでわかりませんが、こうやって記事にする程度のことでは全くないかもしれません。

 自分は、感情的になることも多いし、逆に人情味にかけるような発言をすることもあります。そういう自分を見て酔っている(大げさな自己肯定をしている)自分がいます。

また、そういう「酔っている自分」を見て気持ち悪く思っている自分もいます。さらに、そういった自分の重なりを真上から無感情で眺めている自分がいるときもあります。

 ふとしたときにこうやって自分の意識が何段階にも飛ぶ。今日は、このことについて書いてみようかな〜とお風呂の中で思いつき、軽い気持ちで書いてみました。自分でもまだしっかり踏み込んだことのない領域だったので、こうやって記事を書くことによってちゃんと言葉にできたのが少し嬉しいというか、ホッとしました。これは分析とは言えないのかもしれませんが、今度はちゃんと「自己分析」なるものをやってみたいです!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。なぜか、5000字超えというかなりの長文に… しかも日付も変わってしまった! 色々と読みにくい記事だったと思うし、意味のわからない部分もあったかもしれません。私も正直途中からはあまり考えないで指が動くのにまかせていました。皆さんは、こういった経験はないのでしょうか。あまり話題にするようなことでもないですが、少し考えてみるきっかけになったら嬉しいです。

ついでに、前回からやっている目次や太字設定ですが、太字だけだとPCの画面だとあまり強調されていないのか…?と思い、太字+アンダーラインにしてみました。アンダーラインのみの部分もあります。試行錯誤しているうちなので、また何か変わるかもしれません!