こんにちは。平日は、いつもお昼に記事を上げるようにしているのですが、今日は私がいつも使っている充電器を家族が持って行ってしまい、夜に記事を書いています…
この頃かなり忙しいんですが、自分で自分からやることを増やしたりしているので自業自得です。私多分ワーカホリックになる素質十分ですね。でも、頭の中にまだ「これやりたい!」っていうアイデアがいくつかあるので、それもやりたいし… なんかもう、毎日楽しいですね!!(逆ギレ気味笑)
今日は、時間も遅いのでちょっと短めにブログを書いていきます。(とか書いてたけど結局長くなりました。)
目次
- 戸隠に行ってきました〜!
- 戸隠神社!自然の木と、人工の石碑がすごい…!
- 観光施設にも!戸隠民族資料館
- 戸隠流忍法資料館では、本物のまきびしが…!
- からくり屋敷;そうきたか…!ネタバレしたいけど絶対にしません!
戸隠に行ってきました〜!
今日のブログは、戸隠への家族旅行について!
家族旅行といっても、朝早くに出て夜に帰ってくる、日帰り旅行でした。
戸隠では、
- 戸隠神社
- 忍者関連の融合施設
- お蕎麦やさん
- 博物館
に行きました。博物館に関しては、記事を分けて感想を書きたいので、今回は博物館以外の感想について書きたいと思います。
戸隠神社!自然の木と、人工の石碑がすごい…!
まずは、戸隠神社について。
このお出かけがもっと前から詳細がわかっていれば下調べしていたのですが、残念ながら神社に行くことをその日に知ったので、調べられませんでした…
どうやら、戸隠神社はあの「天の岩戸」に関連する神社だそうです。
天の岩戸の話はご存知でしょうか。
古事記に出てくるのですが、天照大神が素戔嗚尊の乱暴を嫌って天の岩戸に閉じこもってしまった時の話です。
世界は暗闇となり、悪い神が多く出てきたため、神々が集まってどうにか天照大神を出したいと方法を考えました。その時に天八意思兼命が発案し、天の岩戸の前で楽しく踊り騒ぐことで天照大神が出てくるのでは、と騒ぎ始めます。
その騒ぎに気を取られ、そっと岩戸から顔を出したタイミングを見逃さずに岩戸をこじ開けたのが、戸隠神社にお祭りされている天手力男命です。
この話を聞いた時に驚きは、割と大きかったです…
昔読んでいた古事記がこんなに身近に出てくるなんて!一気に楽しくなりました。
戸隠神社のHPから説明文を引っ張ってきました。ぜひ参考までにご覧ください。
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏習合のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
私が戸隠神社についたのは、朝の9時前で、奥社に行くまでに歩きで40分ほどかかるのですが、その間数組の人が通り過ぎただけでした。
雨が降っていたので、これを40分間歩くのか…と最初から少しげんなり。しかも、傘を二本しか持っていなかったので、弟と相合傘です…
まあ、もうあまりない機会なのでそう考えればよかったのかもしれませんが、単純に濡れやすくなるので次からは気をつけていきたいです。
途中までは作家50音順ゲームとか色々やっていましたが、途中からは雨も小降りになってきたので景色を楽しんでいました。
最初の方はかなりしっかり降っていたのですが、やっぱり小降りになると霧がかかっているのをしっかり見れて、
それこそ「深山幽谷」といった感じになるのでかっこよかったです。
天気が悪くても、それをその場の魅力と捉えて楽しめるようになりたい、と思いました。
天気が変わりやすいのは山の常ですし、帰りは雨が止んでいたのでどちらも楽しめて嬉しかったです。
所々に立っている建造物が苔に覆われているところを見ると、やはり時の流れを感じるというか、この光景を数百年前にお参りに来た人も見たのかな、と感慨深かったです。
道は杉並木とも言えるようになっていて、とても立派な杉が何本も植わっていました。杉は日光に修学旅行に行った時も見ましたが、やはり貫禄があるというか、まっすぐ立っていて格好いいですね。
朽ちたのであろう木の根元から新しく植物が芽を出しているのを見ると、
命の循環というか、こういう風に自然は移り変わってきたんだな、と思えました。
幸田文さんの『木』を読んだのもその発想につながったのかもしれません。
神社で他にすごいと思ったところは、神社の入り口にある「下馬」の石碑でした。
最初は通り過ぎながら、「ああ!下馬って書いてある!流石だね〜。」などと話していたのですが、途中から
「ねえ、あそこにあった石碑ってあまり古そうに見えなくなかった?」
「え、これで昭和に建てられてたりしたら面白いんだけど」
「まあ観光目的にそれがあってもおかしくはないよね」
「確認しよっか」
という流れで、疑念が生まれます。
さて、実際はどうなのかと帰り際に確認したところ、なんと!「宝永三年」と書いてありました。その下に書いてあるのは「九酉秋」でしょうか?そういう風に見えます。宝永3年といえば、1706年、教科書にも出てくる浅間山の噴火や地震など、災害が続いていた頃です。
300年以上この場で行き交う人々を見送っていたと考えると、なかなか壮大ですね…
もしかしたら昭和生まれの石碑なのかも…とか思ってしまいました!すみません!
観光施設にも!戸隠民族資料館
その後いったのは、同じく戸隠神社のすぐ近くにある観光施設です。戸隠民俗館、戸隠流忍法資料館、からくり屋敷、手裏剣道場が一緒になって、融合施設となっています。手裏剣道場は、時間がなかったのもありよりませんでしたが、家族連れだと楽しいと思います!もちろん家族づれでなくても!
この施設、かなり楽しかったです。
まずは、戸隠民俗館。
正直あまり時間はなかったのですが、昔その地域で使われていた農業用具だったり、日常で使っていたものだったりが並べられていました。
ここにあるもの自体は特に目新しい、という感じではなく、割と他のところで見たことのあるものも多かったですが、「大根おろし」は見るのは初めてだったと思います。
大根おろしは絶対にこの形なんですね… ちょっと面白かったです(笑)
他にも、お弁当箱や千人針、中には産湯桶なんてものもありました。産湯用の湯船がしっかり用意されていたんですね。当時は自宅出産だったはずですが、私の三代前はその世代と考えると、自分たちが慣れないものは全て「古い」と思ってしまうんだな〜と面白かったです。
そして、他にも木を切るノコギリがありました。なんと、このサイズ!
普通にデカすぎる…横幅は教科書より少し大きい、資料集サイズかな?ちょっとびっくりしましたが、確かに戸隠神社の杉を見ると超納得。あれくらいないと木は切れないと思います。
戸隠流忍法資料館では、本物のまきびしが…!
そして、戸隠流忍法資料館。この資料館、かなり面白かったです。
忍法に関する道具や、忍法を使っている場面を取った写真などがありました。昭和時代まで忍者がいたとウェブにはあるようですが、その場合の忍者って一体…?
忍者の活動といえば諜報活動や暗殺など。スパイのようなものだと認識しています。戦国時代の終わりにより忍者自体も自然に途絶えていったと認識していましたが、技術を受け継いだ人が多くいたんだと思います!
戸隠といえば忍者が有名なため、忍者に関しては全く詳しくない人(私)でも楽しめるような説明がきが充実していました。
まきびしや匂い玉、弓矢など、忍者がよく使っているような道具も多く並べられていました。
よく聞く「すいとんの術」の使用方法や、印の結び方、隠れている最中の写真や建物の中を密かに探っている様子、体術を使っている最中の様子など、いろいろな写真もあります。
この忍法資料館で面白かったのは、写真が撮られた年代がちゃんと写っている写真。それは、1996年のものでした。全部カラー写真でもいい年代なんだと思います。
でも、ほとんど白黒にして雰囲気を出しているんでしょう。
確かに途中まで、これっていつのもの?と思いながら見ていたので、
逆に年代が書いてあることにより博物館ができるまでの苦労や努力もかいまみれた気がして嬉しかったです。
すいとんはまだしも、忍者がどうやって敵を攻撃してるのかや、敵の攻撃からすり抜けるのかなど、それを写真に撮るってすごいですね…。
見ながら親と「撮影楽しそうだね…」「これ私も習って撮ってみたいかも…」と話していました。
単純に見ていて感心したし、実際に昔の忍者がどういう風に活動していたのかなど、知りたくなりました。
多分、忍者に興味のある人や、日本観光に来た方などを連れてくるととても楽しめると思います。
からくり屋敷;そうきたか…!ネタバレしたいけど絶対にしません!
そして、この融合施設で(もしくは戸隠で行った場所で-博物館は抜き)一番楽しかったのは、からくり屋敷です。
ここ、子供用に思えるかもしれませんが、全然違います!
大人がいっても楽しめるし、私たちは家族4人でめっちゃ頑張りましたが、途中からかなり行き詰まりました…。
でも、このからくり屋敷で気をつけなければいけないことがただ一つ!!
絶対に、人が少ない時に入ってください!
人が多いと、からくりを他の人が解いているところを見なければいけず、とても興が削がれます。
私たちは、
一番の大仕掛けのところを他の人が解いているところを見てしまったので、そこが唯一残念なところでした。
それに、それぞれの部屋は大人数を収容するためにできているわけではないので、部屋に入るタイミングを間違えて、しかもその部屋に何組もいた場合、「密」になります。私たちは、「あ、これ密じゃね?」「からくり解いてるところ見たくないし…」とちょっとタイミングをずらしながら入りました。
ネタバレは、こう言った一番最初が一番楽しい場所においては厳禁!!
ネタバレしない、させないをモットーに頑張ってください!
このからくり屋敷は、本当に楽しかったので是非行ってみてください。斜めの部屋など、体力的に少しきつい世代(赤ちゃん連れの方や、足の悪い方など)もいるかもしれませんが、だいたい楽しめると思います。斜めの部屋の前には「お助け電話」もありますし…(これ以上言うとネタバレなのでやめておきます。)
そして、博物館に行く前に訪れたのが蕎麦屋さんです。奥社に行く途中にある蕎麦屋さんだったと思います。有名なところなど何軒もあるそうですが、道中蕎麦以外の食事どころがない…
全部「手打ちそば」なので、全店美味しいと思います。私は「とろろ蕎麦」を頼みましたが、さすが山の幸。とろろがとても美味しかったです。
ただ、蕎麦は、普通……もちろん美味しいんですが、言うほどでは…
と思ったところで気づきました!
長野のそばに慣れちゃってました!
東京にいた時、蕎麦はどちらかと言うとぐにゃっとしてて、あまり好きなものではなかったんです。
でも、長野のそばは角も立っててコシも強いし、するっと入ってくるけど存在感も強くて、とても美味しいんですね。水もいいし、本当に美味しいです!
だから、我が家の周りにもとても美味しい蕎麦屋さんが何軒もあって、時々そういったところに行きます。
つまり、「戸隠の蕎麦が普通」なのではなく、
「長野の美味しい蕎麦屋さんが戸隠そばレベル」と言うことです!
戸隠そばは、日本三代蕎麦の一つらしいです。そんなに美味しいそばと、遜色ないものが戸隠と同県とはいえど、家のそばで食べられると言うのはとても嬉しいな〜と思いました。
最後に;とても楽しかったです!
と言うことで、戸隠の感想を書いてきました。戸隠神社と、戸隠民俗館などの融合施設、そしてお蕎麦やさんについて。次の記事では、戸隠の博物館について書いていこうと思っています。もしかしたら、返却期限の関係でブクレポになるかも…?
是非読んでいってください!
最後までお読みくださりありがとうございました!この記事の総評を書くとしたら、
からくり屋敷でのネタバレは禁止!!と言うことです!