うぐいすの音

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戸隠地質化石博物館に行ってきました!No.2

 こんにちは。

今回は、前回の記事の続きとして戸隠地質化石博物館の感想を書いていきます!

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 まずは、もう一回戸隠地質化石博物館の説明から!詳しくは前回の記事に書いてあるので、ぜひご覧ください。

 戸隠地質化石博物館は、戸隠の神社の近くに建てられている長野市立の博物館です。

柵小学校の廃校舎を利用して建てられているもので、その名の通り地質・化石についてはもちろん、植物や学校で昔使われていた資料、生物のものなど色々置いてあります。

 

 うさぎコース、イノシシコースなど4つのコースがあり、それぞれのコースで時間を分けて展示解説をやっています。私たちは2時間コースのカタツムリコースを二つ合わせて、4時間コースを予約しました。最長コースは8時間コースで、いつか経験してみたいです!

 一階は動物の皮や世界の珍しいもの、昔懐かしのものや学校で使われていた教材、資料が残っている資料室が残っています。二階には生物関係が主にありました。骨が多く展示されている骨べやや、水槽べや。それからいろいろな動物のホルマリン漬けも。

 

 そして、この記事で紹介するのは3階の常設展示フロアです。3階のみは、もともとある学校の教室を少し改造していわゆる「博物館」らしき作りにしていました。

 

 3階の展示フロアで一番最初に行ったのは、音楽室を改造したスペース。中に入ると、シンシュウゾウやダイカイギュウの骨がそのままの形でドーンと置いてありました。

 

 

 

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 約300万年前、長野は海に面する広い平野となっていました。特に400万年前までは、戸隠らへんまでは海の中だったそうです。人もその時代にはいませんし、ゾウなどの大型生物も多くいたそうです。

 例えば、今いるゾウよりは一回り以上大きいシンシュウゾウ。そして、エントランスに骨が置いてあったヒゲクジラの仲間や、体長9mにもなるダイカイギュウなど。

 そして、ここで少し驚くことが。このシンシュウゾウ、戸隠を流れる裾花川の近くで、偶然発見された後1983年に発掘。研究が始まったため、昔の長野の姿が徐々にわかるようになってきたのです。そのゾウの発見者は、なんと一人の小学生。通学路付近で発見したものが、長野県の天然記念物になったとは…

 

他にも、ヒゲクジラの下顎の化石は中学生が発見し、日本初のダイカイギュウは高校生がみつけ、子供が関わって研究が大きく進んだというのは、同じ年代として少し嬉しかったです。

都会に住んでいるとあまりないかもしれませんが、大森貝塚を見つけたモースや岩宿遺跡を見つけた相沢忠洋など知識がある人はもちろん、知識がない人でもそう行った大発見ができるのですね。

時を遡れば、福岡県で金印を発見した江戸時代の農民もそうだし、歴史は一部の歴史学者がつくっていくものではないんだな、と感じました。

 

 ちなみに発見されたゾウの化石は、詳しく書くと戸隠小学校の5年生だった少年が発見したもので、戸隠の約300万年前の地層から産出されました。ミエゾウ(シンシュウゾウ)の下顎骨と、左右の第一及び第二臼歯の揃った化石だそうです。

 ミエゾウ(シンシュウゾウ)というのは、ナウマンゾウより古いタイプのゾウで、中国大陸を起源とするものです。世界最大級のゾウで体高は4mにもなるそう。

 また、ダイカイギュウは体長が7~9mと大型で、絶滅したジュゴンの仲間となっています。歯は退化していますが、これは昆布などの海藻をゆっくりと食べるための適応です。ヒゲクジラもそうですが、それぞれの食べるものに応じて歯などの器官は進化するのですね。

 仲間のステラーカイギュウは生息していましたが、18世紀ごろに食料として乱獲されて絶滅しています。

 

 現在のゾウにつながらナウマンゾウの足と、シンシュウゾウの足を比べると、もちろんナウマンゾウの足は骨となっていますが大きさの違いがよくわかると思います。ナウマンゾウが発見された野尻湖も、そういえば長野ですよね!ドラえもん学習漫画を小学生の時に読んでから、野尻湖については興味を持っていましたが、長野ということをあまり意識していませんでした。ぜひ、コロナが治ったら行きたいです!

 

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 展示されているシンシュウゾウは、どうやら若いゾウのものだそう。ゾウの歯は6個あり、一番最初の歯から少しずつ次の歯が皮膚の底から出てきます。そのゾウの歯は未だ5個目の段階で、6個目のものが皮膚の底に残っていました。

ゾウの年齢がだいたい60歳までと考えると、5個目の骨の使用段階は15歳くらいのものと言っていました。6個目の歯が出てきたらそれを残りの数十年使うのはすごいな、と思いました。

 

 そして、陸の動物の歴史を見た後は海の動物の歴史を!

海の生き物といえば魚などがよく思い浮かべられますが、貝が一番展示されていたと思います。約400万年前には、長野周辺は海となっていました。

ユーラシア大陸対馬列島の方でつながってはいましたが、まだ本州の北の側と北海道の方は形成されておらず、海の範囲も割と多かったそうです。

日本列島全てが陸地に覆われ、それに加えて中国側と結びついていたのかとさえ思っていたので、少しびっくりしました。

 

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 シナノホタテやシガラミサルボウなど、長野の地名がついている貝を見れば本当にここら辺は海だったんだ、と納得します。今では「日本の屋根」と言われている長野県ですが、それが海だったと思うと、やはり歴史の壮大さに驚きます。

 

 他にも、今の形と全く同じに見える「マガキ」の貝殻などを見ると、真牡蠣のすごさがなんとなく身にしみました(笑)。

 

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 面白かったのは、シノノメサカタザメです。サメの顎の化石も、いくつか紹介されていたのですが、一番「サメっぽい」歯は、やはり尖っているものです。ホホジロサメのアゴとして紹介されているものもありましたが、尖っている三角形型の歯で、内側にはスペアがどんどん生えてきています。この歯のスペアは特に尽きることはないのだそうです。

 

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 ですが、その「サメっぽい」歯は納得できるものでしたが、シノノメサカタザメの歯はまた全然違うものでした…

 イカの飾り切りと言ったら伝わるでしょうか。細かい四角形の歯が少しずつ出てくるそうです。この歯でなら、確かにカニの甲羅ですらすりつぶせそうです。

ホホジロサメの歯でぐさっとやられるか、シノノメサカタザメの歯ですり潰されるか、どちらの方が簡単に死ねるんでしょうか…。どちらも嫌なので、骨を見る側で良かったです。

 

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 そして、メガロドンという体長7m以上にもなる超巨大サメの歯も置いてありました。どちらも同じケースに入っている、という時点で、大きさの違いがよくわかるかと思います。

 

 

 生物の部屋を抜けると、次は地層の部屋に。私はこの部屋がすごい面白かったです。ジオラマなども多用した、戸隠周辺の地理の歴史について載せてありました。戸隠周辺から化石が多く見つかる理由や、戸隠の海がどうやって高い山へと変わっていったのか。

そういったことを、断層の剥ぎ取り標本(数十メートルの物)を含めて、色々な化石や岩石から分かりやすく説明しています。長野にも石油が一瞬出てたと知った時はびっくりしました!

 

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 また、長野の自然についての展示が最後の展示室に置いてありました。現在の長野に住んでいる色々な種類の生き物たちと、人が作った環境に合わせて変化してきたものなど。なんと、昭和35年ごろ(55年前)には戸隠周辺の山は草地だったそうです。それが、五十年経ったら今の多様な植物が生い茂っている山となるんですね。木が生えなくて困っている、植物がなくなって困っている、という話はよく聞きますが、植物が生え過ぎている、という話はあまり聞いてきませんでした…。

 

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 最後に面白かったのは、伊藤篤太郎さんと矢田部良吉さんの話についてです。矢田部良吉さんは、東京大学植物学の初代教授で、伊藤篤太郎さんは矢田部さんの弟子でした。そして、2人とも同じ植物を見つけて、新種として発表しようとします。

 

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 伊藤篤太郎さんは「トガクシソウ(ranzania japonica)」、矢田部良吉さんは「トガクシショウマ(yatabea japonica)」の名前を用意しました。伊藤篤太郎さんが先を腰、1886年に名前podophyllum japonicumという名前を発表し、1888年にはrannzania japonicaに学名を変更、再発表しています。

 矢田部良吉さんが発表しようとしたのは伊藤篤太郎さんの発表の後だったので、残念ながら命名することはかないませんでした。

 

 このため、矢田部良吉さんは「先を越されたため、伊藤を破門。」し、その後トガクシソウは「破門草」とも呼ばれるようになります。また、矢田部さんが「あれはトガクシショウマと名づけるつもりなんだ」「トガクシショウマが本当の名前なんだ」と言い続けたため、周りの人々はトガクシショウマと言い続けてきました。しかし、その後時間が経つと「この植物は伊藤篤太郎が最初に命名した」と知られてきたので、今では図鑑などでもしっかり「トガクシソウ」の名前が使われています。

 

 実は、この争い、伊藤篤太郎さんと矢田部良吉さんの争いだけではなく、和と洋の争いでもありました。伊藤篤太郎さんは、本草学と言われる東アジアで発達した医学の学者、伊藤圭介の弟子です。ranzaniaという名前は江戸時代の本草学者小野蘭山にちなんだものでした。

 矢田部良吉さんは、アメリカで植物学を学んだため、日本の植物学というよりは海外の植物学を学んでいます。それに加えて、矢田部良吉はあまり植物学に興味があったとは言えなかったそうです。

 

 そういったこともあり、本草学の名を残したかった伊藤篤太郎さんは、矢田部良吉さんよりも早くに学名を発表したかったのかもしれません。

 

この話は、昔から人間は変わらないんだな、、というか、とても面白かったです。

 

 

 ということで、館内をめぐり、4時間弱日本の地理の歴史や植物学に触れてきました。ここで紹介したのは館内のごく一部で、館内員の方と一緒に回ると展示されているものから知り得る知識を優に超える知識を手に入れることができます。

 私の家族と一緒に回ってくださったのは中村さん、というかたで、植物が専門らしいです。館長さんは地質が専門らしいですが、どちらの方でももちろん存分に楽しめると思います!中村さんは、この矢田部良吉さんのお墓に行ったこともあるらしいです。東京の、上野にあると聞きました。私何回も上野に行っていたのに…もっと早くに知っていたかったです!

 知識がある人と一緒に回ると面白くなるというのは、今までも割と経験していましたが、今回もその経験値が増えて嬉しかったです。より興味のある事柄に巡り会えたし、より内容のある知識を手に入れることができました。

 いろいろなイベントもやっているそうで、長野に住んでいるご家族や、戸隠に訪れる予定のある方達にはぜひいってもらいたいです!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。今回は単純な説明記事になったと思います。博物館に興味を持っていただければ幸いです。

 

関連サイト

 

chirpspring.hatenablog.com

 

www.tgk.janis.or.jp