こんにちは。今日は、朝から頑張って勉強をしていたのですが、耐えきれずに1時間半ぐらい途中から寝てしまいました…。頑張って早くに寝ようとはしているんですが、どうしても終わらない勉強があったり、その日やると決めた分を終えられなかったりすると、ちょっと日付近くになったり日付超えたりするんですよね。
まあ人とやりとりするときに眠くなりながら〜というのは失礼だと思うので、気をつけていきたいです。
目次
- 作者、本について!
- 「脳死=精神の時間旅行」という考え
- 話のあらすじ:登場人物と、話の流れ
- 魔女狩りの実態:ローマ帝国のコロッセウムと同じ?
- 本の中の登場人物:味方もいないわけではない
- 終わりに;疾走感、緊迫感のすごい本でした
作者、本について!
今回書いていくのは、初野晴さんの本『トワイライト・ミュージアム』の感想です。
この初野晴さん、親に「多分好きそうなやつ、この人の他の本読んだけど面白かった」と言われ、読んでみた本でした。
この頃ちゃんとした本というか、重い本を多く読んだりもしていたので、
ラノベ感覚で読めるこの本はとても面白かったです…!
初野晴さんは、2002年に横溝正史ミステリ大賞を『水の時計』で受賞し、デビューしました。その後も、「ちょっと不思議」なミステリなどを書いてきています。
今回のトワイライト・ミュージアムは、主人公が孤児院にいた勇介。孤児院にいたところを、大叔父が引き取り孤児院を出ることが決定しました。
しかし、その孤児院をでる当日、まだ養子縁組が法的には終わっていない時、大学の教授をやっている大叔父が亡くなってしまい、また天涯孤独に逆戻りしました。
もう何もなくなるかと思ったら、大叔父は何かあったときのために、と遺書を残していました。
その遺書により、彼は博物館を相続します。
個性的な面々にあったところで、あることをきっかけに勇介と枇杷は脳死状態のナナを救うために、彼女の意識がさまようと言われた中世のイギリスにタイムトラベルします。
ナナというのは、勇介のいた孤児院で「最後の孤児」として仲間だった少女で、勇介に会いにいくために夜の道路に飛び出し、道中で事故に遭いました。
「脳死=精神の時間旅行」という考え
この時点で、色々とおかしいというか、ツッコミどころは多いのですが、一番突っ込みたいのは「脳死状態」を救うためにタイムトラベル、という点でしょうか。
勇介は、ナナが脳死状態と言われ、しかもその原因が自分にあると知り、どうしてもナナを一目見たいと立ち入り禁止と言われても懇願して病室の前にいこうとします。
そのときに、ナナの病室から出てきた白衣の人たちがいった「被験体」という言葉。よく見ると、博物館の学芸員さんもその中にいるではないですか。
人は、脳死状態で死んでも脊髄の反射機能が残っていると自発的に体を動かすという動作を起こすことがあります。手を胸の前で組んだり、上体を起こしたり。
その行動は、ラザロ徴候という名前で実際に知られているものです。
ラザロというのは、キリストの奇跡により氏から復活した男性の名前にちなんでいます。ただ、ラザロ徴候を示してもそこから本当に復活した脳死患者は一例もありません。
ここからが、本の中の世界です。
この脳死したナナは、10ほどのポーズを一定間隔ごとに繰り返す、という特異な性質を示しています。
徴候の変化を博物館の学芸員が調べると、ナナのポーズは16世紀のキリスト教の礼拝順序だったそうです。
勇介を引き取るはずだった如月教授は、脳死患者のごく一部のケースにおいて、精神医学の観点から異端扱いされかねない仮説を立てました。
それが、
脳死患者の意識が別の次元で生きていて、その時の寿命や行動が現代の身体に反映していると言う考え
です。
シェリー・ケーガン著の『「死」とは何か』を読んだことがあるのですが、もちろんその本にはこういったフィクションは書かれていません。
ですが、それでももう一回この本を読みたくなりました。ラザロ徴候に関しては書かれていたような気もします…。
脳死状態って、本当に近年制定されたものなんですよね。…って15歳の私が言うのもおかしいかもしれませんが、1999年の2月に初めて脳死判定が日本では行われたようです。
私の両親が子供の頃は、まだ心肺停止が死亡の判断基準でした。
当時も、もちろん脳死を死亡の判断基準にすることについて多くの論争があったそうです。今でもそれについての本は多く見ます。
生と死なんて、人間のみでなく地球に存在する生命全てに共通することなのに、
それでも(だからこそ?)死の定義というのは揺らいでいくんですね。
人間の情、理化学的な判断、そして人間にとっての都合。
色々なものが複雑に絡み合っているのでしょうが、こうやって脳死状態=死ではない、という突飛な発想が対比的に見えて、面白かったです。
さて、本題はここから始まるんですよね。ちょっと、この「脳死=精神の時間旅行」と言う考え方が面白くて、説明してきました。本当にこう言うことがあれば、楽しい、面白いとは一概には言えないでしょうが、興味深いな、と思います。単純に、この考えをひねり出すのがすごい面白かったです(笑)
話のあらすじ:登場人物と、話の流れ
それでは、話の本編について。
枇杷は、過去に脳死状態となりタイムスリップした時の記憶を失わずに帰ってきた唯一の生き証人でした。彼女はその後不思議な力を身につけ、脳死状態の精神世界に触れられるようになったのです。
しかし、枇杷の精神は多大な負担を負うことになり、自力で、現代の世界に戻ることはできません。
そのため、命綱と言われるパートナーと手をつなぎ、精神の一部をパートナーに預けます。
パートナーも枇杷と共に行動し、現実世界でつないだ手を離さないでいられれば、
枇杷とパートナー、
そして脳死状態の者を助けたら脳死状態の者も、帰ってくることができます。
枇杷も、パートナーである勇介も、最初の予想通り中世のイギリスにタイムスリップしました。そして、当たって欲しくなかった予想も当たっていました。
それが、「魔女狩り将軍の遠征先」という予想です。
当時は魔女狩りの処刑が一種の見世物として横行していた時代で、多くの無実の人が魔女狩りの犠牲者となりました。
1640年代、イングランド東部を中心に魔女狩りを行った人物の中に「魔女狩り将軍」を自称した人物がいました。それが、マシュー・ホプキンス。
彼は、イギリス政府から魔女狩りを任されていると吹聴し、およそ300人もの無実の人々を魔女に仕立て上げて処刑、多額の収益を得ました。ちなみにWikipediaによると、イギリスで魔女狩りとして死刑になったのは1000人ほどのため、およそ三分の一を手がけたのがホプキンズだそうです。
枇杷は、ナナを救う過程で一人の少年の意識の中に入り込むのですが、マシュー・ホプキンスに目をつけられ、何度も殺されそうになります。
そういった中で、ナナの宿主を見つけ、どうにかコンタクトを取ろうとする二人。それなのに、その宿主が魔女裁判にかけられ、二人はホプキンスのトリックを見破ってナナを救いだすことに必死になります。
魔女狩りの実態:ローマ帝国のコロッセウムと同じ?
…この話は、読んでいて疾走感がありました。全て勇介視点で語られます。
最初の勇介の達観した様子、そして精神の時間旅行について聞いた時の不信感、途中からは自分の持つ能力を生かして、どうにかナナと枇杷を救おうとあがく気持ち。
色々な要素が絡み合って、謎を解いていくところは本当に面白かったです。
魔女狩りと言いますが、その魔女裁判で魔女と立証させるために行われているのは様々なトリック。
魔女裁判というのは名ばかりで、実態はサーカスのようなものだったのかもしれません。
稀代のマジシャン…と今では言われるような人が、お金稼ぎのためにも当時だと魔女狩り執行人として活躍していたのかもしれません。
魔女狩りなんて、今考えると正当なものとは絶対に言えないし、批判されるべきだと思います。
ですが、当時はそんな考えかたもないだろうし、
昔イタリアのコロッセウムでイベントとして対決し、同じ人間やライオンなどの猛獣に殺されていたグラディエーターと同じような立場なのかも、と思いました。
違いは、グラディエーターになる危険性は少なくとも当時のローマの人にはあまりないのに比べ、魔女狩りは一回変な噂を立てられたら自分も魔女狩りの被害に会うかもしれないところでしょう。
今でいうお祭り、イベント、サーカス、そういったものに魔女狩りは該当していたのかもしれません。それでも、同じ人間が作ったトリックなら解けない道理はない、という言葉の通り勇介と、博物館の仲間たちは知恵を寄せ合ってホプキンスのトリックを解いていきます。
本の中の登場人物:味方もいないわけではない
読んでいて、何人か中世の世界でも知り合う人が出てくるのですが、ナナが宿ったアルドゴンドが、人間味たっぷりのおばあさんで好みの人物像でした。
この人の結末はもうすでに決まっていることが、あまり触れられてはいないかもだけど重要なものだと思います。
タイムパラドックスという言葉はよく聞きますが、確かに歴史を変えることは大きなリスクを伴います。
それは、色々なタイムスリップものでよく描かれている基本的なルールでもありますね。
最後に、アルドゴンドがナナを説得させるために言ったセリフは、感動ものだと思います。ナナは、アルドゴンドにとってかなりの助けだったんでしょうね。
そして、もう一人出てくるのがコール牧師です。彼ら牧師は、魔女狩りで罪のない人々が犠牲になっていると主張します。それだけ聞くと「正義の味方」のようですが、実際は「ただ吠えるだけ」でもあります。
そんな彼の、話のわかるところや都合を優先しているところなど、いいところもあれば悪いところも出てくる人物でした。
最終的に、彼が幸せになれるといいなと思えるような人物です。
終わりに;疾走感、緊迫感のすごい本でした
ということで、『トワイライト・ミュージアム』の感想を書いてきました。
本の感想ってやっぱり書きにくい…。この前書いた住野よるさんのブクレポはわりかしうまくかけた気もしたんですが、今回はうまくいかなかった気がします。本のあらすじばかり書いていたらダメですね。
この本は、少し厚いように見えてかなり軽いというかスラスラ読みやすいので、とてもオススメです。不思議な感じではありましたが、私はすごい好きでした。この人の本を、もっと探していきたいです!息抜きとかにちょうどいいかもしれません。
ただ、ラストがもう少し欲しかった…!!
疾走感のまま終わった感じがしたので、もう少し内容があっても良かったと思いましたが。
続編が欲しい作品です。あるのかな?と思って調べましたが、該当しそうな作品は見当たりませんでした。ちょっと残念です。博物館の学芸員や、大叔父について特筆した話などがあれば読んでみたいです!
最後までお読みくださりありがとうございました。
緊迫感、疾走感が印象的な作品でした!