こんにちは。1日1日を普通に過ごしているだけだと、あと少しで入寮まで一ヶ月なのにもったいない気がしてきました…。もう金曜日ですが、来週はもう少し精力的に動いていきたいと思います!
今回は、ジャレド・ダイアモンドさん著の『銃・病原菌・鉄』の第2部の感想を書いていきます!
ネタバレなしの感想は、 こちらに書いてあります。
また、この記事は第1部の要約・感想に引き続いて書くものなので、興味のある方は第1部の要約・感想記事もご覧ください!
目次
本の概要と、著者の紹介
本の概要紹介と、あらすじ紹介をしていきます。(この部分は第1部の感想からのコピペです)
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著者はジャレド・ダイアモンドさん。
1937年生まれで、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で地理学教授を務めています。様々な分野を研究しており、著書に『文明崩壊』などがあります。
訳者は倉骨彰さん。数理言語学博士で、主要訳書に『インターネットは空っぽの洞窟』などがあります。
本自体は、1997年発刊です。1998年のピュリッツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞しており、同年のコスモス国際賞も受賞しています。
歴史の考察本として有名で、文庫にもなっています。副題は『1万3000年に渡る人類史の謎』です。
上下巻合わせて4部構成で、19章+プロローグ+エピローグの構成です。ページ数は、上下巻どちらも300ページ超くらいです。
本書では、「日本語版への序文」の中で、『逆転の人類史』という言葉を持ち出しています。その言葉通り、この本では世界史の中で注目されているヨーロッパに着目しているのではなく、それ以外の東アジアや太平洋領域から人類史を考察しています。
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第一部までの内容振替
それでは、少し前回までのおさらいを。
まず、この本の問いは、
なぜ人類社会の歴史は、それぞれの大陸によって角も異なる経路をたどって発展したのだろうか?
というものです。この部分については、ネタバレなしの方の記事で解説しています。
そして、第1部では
- 1万3千年前は、どの大陸も進化に大きな差はなかった
- 同じ祖先を持っていても、文明が進化するグループもあれば退化するグループもある
- 銃・病原菌・鉄が、勢力拡大に結びついた
といったことを中心に書いています。
タイトルの意味もわかったし、興味のある事例が出ていたため面白く読めました。この部分が、専門性があるわけでもなく読みやすかったかな、と思います。
これから紹介する第2部は「食糧生産にまつわる謎」という題名です。第4章から第10章までが含まれます。それぞれの章について少しずつ要約していきます。
食物栽培と家畜飼育の重要性
まずは第4章「食糧生産と征服戦争」です。
この章では、これから第2部で書いていくのがどういった内容のことなのかの大筋を説明しています。
簡単にまとめました。
人類が重機や製鉄の技術を発展させ、疫病に対する免疫を発達させていく上で、食糧生産は間接的に前提条件だった。
つまり、食糧生産開始の地理的な時間差が各大陸の発展のスピードに関わってくる
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摂取できるカロリーが多ければ多いほど、人口は増える。食用にできる数少ない動植物を選んで育てれば、狩猟採集民よりも軍事的に人数面において優位に立てる。
↓
大型動物を家畜化できれば、糞を肥料にできるし農地の耕作も進む。大型でなくても、動物タンパク質の摂取に家畜化は繋がる。
肉や乳、肥料を提供する上、農地工作にも役立つため、より多くの人口を養える。
↓
食糧生産により余剰食糧が生まれ、人口も増えるほか王族や官僚が生まれる。
大規模な農耕社会になると王国が形成され、職業軍人、職人を含む様々な職が誕生する。
こういった経緯から、食料源としての家畜や作物は間接的にせよ直接的にせよ、重要となってきます。
さらに、燃料としてや衣類としてなど他にも多くの使い道があります。馬やラクダを家畜化した人々が、移動の時も戦闘の時も有利な立場になったのは、歴史的にも様々な事例があるでしょう。
ということで、第4章では植物栽培と家畜飼育の重要性を説き、次章以降でその詳しい説明をすると述べています。詳しい事例や、具体例などは本書に詳しく書いてあるのでぜひ読んでみてください!
持てるものと始めたものの関係
第5章「持てるものと持たざるものの歴史」では、食料の生産がどこで始まったのか。
「いつ頃の時代の動植物が出土したのか」を調べるのは、並大抵のことではありません。本書では、時代によってどういう機械が使われてきたのかの移り変わりも含め、調べ方を解説していました。この部分は、正直少しむずかしかったかな…(汗)
食糧生産を独自に始めたとわかっている場所が、確実なもので5地域しかないというのはかなり驚きでした。
検証されている最古の年代順に、
です。他にも4つ上がっていましたが、それらは本当に独自に発展したのか定かではないようです。
ということで、最古はメソポタミアの紀元前8500年でした。
これらの地域で発展したものが、ヨーロッパやエジプト、インダス川流域などに広がり、発展していったのです。
それでは、なぜメソポタミアで始まったのでしょうか。
そして、なぜ紀元前8500年だったのでしょうか。
ここから第6章に入ります。
第6章では、「農耕を始めた人と始めなかった人」について書いています。
農耕開始は紀元前8500年ごろのメソポタミアと考えられていて、それではなぜそこで、その時期に、農耕が始まったのか。
食料生産生活は、別に狩猟採集と二者択一的に選ばれたのではなく、様々な生活様式の中から食料獲得のために選ばれたものだと、本には事例も合わせて書いてあります。
それでは、狩猟採集生活から食糧生産生活へと移行させた要因は一体何だったのでしょうか。
本には4つの要因が書かれていました。今回は、その中でも一番わかりやすかった二つを書いていきます。
まず一つ目の要因は、単純に入手可能な自然資源(特に動物)が減少してきたことです。大型哺乳類やその他の動物も含め、いくつもの種が絶滅してきました。
そして、二つ目の要因として栽培可能な野生種が増えたこと。肥沃三日月地帯(メソポタミアの場所)では、気候の変化により野生の穀類の自制範囲が大幅に拡大しました。
それらの野生種が収穫され、徐々に種子が栽培化されるようになってから大麦や小麦が農作物として栽培化されるようになったそうです。
後の二つの要因は、10章にもかなり繋がるなと思いましたし、知らないことも多かったため、自分でももっと調べてみたいです!
動植物の選抜栽培
第7章では、「毒のないアーモンドの作り方」として、野生種がどうやって栽培種となったのかを書いています。
農耕を始めた狩猟採集民は、野生種の中からも大きさや苦さ、果肉部分の多さなど、自分たちで判断できるところに注目して、それらを選抜していました。
例えば、野生のアーモンドは非常に苦いですが、今食べられているアーモンドは苦くありません。
何世代も選抜栽培が繰り返されたり、突然変異によってより栽培されやすくなった個体ができたりしたおかげで、食用植物が増えていったのです。
突然変異だったり、発芽抑制メカニズムだったりを当時の人が意識していたわけはなく、自然とやったものでしたが、それがいまの栽培種につながっています。
元々の野生種は、自分の子孫が生き残ることを目標に実を自ら撒き散らしたり、発芽のタイミングをずらします。しかし、突然変異した「子孫を残しにくい、植物にとっては役立たずな種」が人間にとっては好都合なもので、栽培されるようになりました。「人為的な自然淘汰」と本には書かれています。
第8章「リンゴのせいか、インディアンのせいか」
ここでは、農業に適した地形の場所でも自発的に農業が始まらなかった理由、について述べています。肥沃三日月地帯を含め、農業に適している場所では農業が始まってきました。しかし、今は農業が盛んでも、特に初期から農業が始まっていないというところはいくつもあります。
ある地域では栽培化されたのに、他の地域では栽培化に失敗した植物の例は、枚挙にいとまがありません。なぜ、そんな植物が生まれたのでしょう。
本では、主にメソポタミアの肥沃三日月地帯を例に挙げて説明しています。
メソポタミアは地中海性気候であり、穀類やマメ類はこの気候に適応しました。世界の主要植物の半分は穀類・マメ類です。幹也はにエネルギーを使わず種子を成長させます。そして、地中海性気候にもある乾期を過ごせるようになることで、長時間の人間による貯蔵にも対応できるようになります。
また、肥沃三日月地帯には、農作物として育成できるような野生種が豊富に分布していました。しかも、大量の採取を可能にする形で群生していたため、農耕のメリットが先住民には明らかだったでしょう。
他にも、自殖性植物が多かったことが理由の一つです。
突然変異の個体が現れても、それが他家受粉するとその特性が薄くなるか、失われます。自家受粉する植物が多いと、一回特別変異個体が現れたらその個体の特性をどんどん残せるため、栽培化が簡単に進みました。
メソポタミアでは家畜化可能な哺乳類も多く、炭水化物やタンパク質、繊維、家畜(衣類、労力)などの要素が揃ったことにより、農耕民になるまでの意向がスムーズになったのです。
近世以降、新しい主要食物となるような植物は一つも栽培化されていません。これは、古代人が野生植物をほとんど全て試し、全て栽培化したことを指しています。
これらのメソポタミアなどで栽培化できた植物が、他の地域には自生していなかったりした場合、どこかから伝搬されてくるまで農耕はできません。
家畜化に優れた動物も、メソポタミアは特に多かったそうです。
第9章「なぜシマウマは家畜にならなかったのか」
ここでは、第8章の内容を植物をそのまま動物に置き換えて論じていました。色々具体例も出ていましたが、簡単にまとめます。
家畜についても、飼育される動物と家畜化される動物は異なります。
飼育は「人間に飼われながらも繁殖はしていない」動物で、
家畜は「人間が役に立つように飼育しながら、食餌や後輩をコントロールして選抜的に繁殖させた」動物のことです。
つまり、植物でやっていた選抜栽培と同じで、選抜されて改良されたのが家畜です。体の大きさだったり、感覚器官だったり、体毛だったり、いろいろな点で野生種と家畜化された動物は異なります。
ですが、20世紀までに家畜化された動物は14種しかありません。そのうちの13種が、世界で一番面積の広いユーラシア大陸に分布していました。
もちろんユーラシア大陸全土に13種が生息していたわけではないですが、おなじみの肥沃三日月地帯では13種中7種が生息していました。
家畜化されなかった動物には、気性の荒さや成長速度の問題、繁殖上の問題、性格の問題など、いろいろな理由があります。
これらの具体例は、読んでいてとても面白かったですし、「え、そうなんだ!」といった驚きもいくつか合ったので、ぜひ本書で掘り下げて読んでもらいたいです!昔家畜化しようと頑張った人の話をよんでいると、気の毒でもあるけど少し想像すると面白いところもあったり、読んでいて楽しめました。
南北東西の違い
さて、第二部の最後の章である、第10章!!
第10章「大陸が広がる方向と住民の運命」では、大陸の東西南北の広がりが、農作物や家畜の伝搬に与えた影響について考察しています。
これまでの章で、肥沃三日月地帯の優秀さ(人間にとって)は見てきたと思います。それでは、それらの栽培種の広がりについて見てみましょう。
ユーラシア大陸、特に西ユーラシア大陸の各地では、肥沃三日月地帯を起源とする農作物の収穫が行われています。
遺伝子を見ると、それが肥沃三日月地帯の物なのか、それともそこからまた栽培化されたものなのかがわかりますが、栽培化はされていません。
対して、アメリカ大陸やアフリカ大陸では、各地の野生種の栽培化が多くありました。
こういった栽培種などの広がりの仕方の理由については、
ユーラシア大陸が同緯度帯で東西方向に広がっているから
だと書いてありました。
ユーラシア大陸は、似たような気候や生態系を共有するところが広くあります。
日本やイギリスをつなぐ同緯度帯に限らずとも、インドと中国と東南アジアなど、横に広いため、日照時間や気候などで共通する場所が多くあります。
それに対し
南北に広がる場所では、寒冷地や熱帯の違いに植物、もしくは動物が負け、
栽培化されたものが他の地域に広がることが多くはありませんでした。
これは、疫病(病原菌)の問題や気候的要因によるものです。
局地的に見れば、同じ緯度だとしても地理的要因によって農作物、動物の伝搬が滞った場所も多くあります。
こうした相違は、アメリカ大陸やアフリカ大陸が南北に長い陸地であるのに対し、ユーラシア大陸が東西に長い大陸であることの繁栄とも言える。そして人類の歴史の運命は、この違いを軸に展開していったのである。
まとめ
ということで、なんとなく第2部の概要を書いてきました。
ぜひ、気になった箇所等があったら本書を読んでみてください!特に動物の家畜化に対する色々な問題などは、読んでいてとても面白かったです。こんなケースもあるんだ…と驚きました。
さらに、地理的要因が多くの発展(というか、根本的な発展の要因)に関わってくることをここまでまざまざと見せつけられると、肥沃三日月地帯本当にすごいな…という気持ちになってきます。
ヨーロッパの発展も、ヨーロッパの人のいる環境がすごかったんだな、と思いました。でも、本当に環境だけだとはあまり思わないので、環境以外のちゃんとした要因も調べていきたいです!
次からは、本のタイトルにもっと関わる部分になったり、革新的なところにつながるので、できるだけ自分で調べたことと合わせて本の感想を書いていきたいです。
最後までお読みくださりありがとうございました。物足りない、なんかよくわからない、そう思った方は、ぜひ本書の方を読んでみてください!