うぐいすの音

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太宰治『女生徒』読みました!感想

 こんにちは。昨日は久しぶりに書道を習いに行きました。仮名文字に初めて挑戦したのですが、あんなに線を描くのが難しいとは…。利き手じゃない(私は左利きです)こともあると思うのですが、普通に線を描くのが難しいです。文字はほとんど書かず線を描く練習をしていたのですが、とても難しかったです。でも何回もやれば次第にかけるようになる(はず)なので、頑張っていきたいです!

 

 

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目次

 

 

『女生徒』あらすじ説明、著者説明

 

 今日は、太宰治の作品を読んだ感想を書いていこうと思います。

以前図書館で太宰の本を探し、その時に気になったのが『女生徒』でした。

今回読んだのは短編集で、

  1. 女生徒
  2. 燈籠
  3. 皮膚と心
  4. きりぎりす
  5. 千代女
  6. おさん
  7. 饗応夫人

の7作(収録の順番は変えていません)が入っていました。

 

 今回は、とりあえず表題作の『女生徒』の感想を書いていこうと思います。

 

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 この話の主人公は、思春期に入りかけの少女です。日常を、自分のなかの思考を繰り広げながら過ごしている様子を一人称で描いています。

 

まずは朝から始まり、学校へ行って、家で過ごして、夜に寝るまでの生活を描き、

その間に思ったことをつらつらと述べている状態です。

中には、「大人になることへの困惑」「理想の家族、人のあり方」など、かなり少し重いことも書いています。

 

 女生徒の気持ちは色々と変わりますが、それは表には出ておらず、すべて女生徒のみが知っている感情です。

 

太宰治は、とても有名な文豪ですね。

走れメロス』や『人間失格』などを書き、戦前から戦後にかけて小説を発表してきました。

青森県出身で、彼自身は薬物中毒だったり自殺未遂を繰り返してきました。かなり人間としてもクセの強い方です。

 

 

初読の感想:太宰ってすごすぎ…

 

この本を読んで一番最初に思ったのが、

太宰ってこんな本も書けるの?!

ということ。

 

 今まで読んできた本は、どちらかというと暗めのものも多かったですし、何より私の中で太宰は『人間失格』のイメージが強すぎるものですから、読んでいてとても驚きました。

 ここまで、細やかでリアルな思春期の女子の心情が表せるって、かなりイメージが変わりました。太宰さんすごいですね…。

 

 女生徒の気持ちは、ぐるぐると移り変わっていきます。めまぐるしいほどにです。

朝、布団を持ち上げる時に「よいしょ」と言う。これだけで、憂鬱になっています。

 

私は、いままで、自分が、 よいしょなんて、げびた言葉を言いだす女だとは、思ってなかった。

よいしょ、なんて、おばあさんの掛声みたいで、いやらしい。

どうして、こんな掛声を発したのだろう。

私のからだの中に、どこかに、婆さんが一ついるようで、気持が悪い。

 

これは、ある程度の人にとっては何回か感じた経験のあることなのではないでしょうか。

私も「よっこらしょ」とか「よいしょ」とかいうことはありますし、それが悪いとは思ってないまでも、言うと気を取られます。

 

こういった、勢いをつける言葉(?)にはどこか老いたイメージがついています。

特にそれを嫌がる人や、まだ若くありたいと思う人にとっては、こう言う言葉を使うこと自体が許せないのでしょうか。

 

 あまり許せないと思ったことがないので、この部分は同調はできませんでしたが、

こういった形で日常にあることを描いているため、

「あ〜、そういうことある」「こういう人いるんだよな…」といったような感想がポンポン出てきます。

 

 女生徒の一人語りではあるものの、女生徒の周りで一緒に登下校している同級生になったような気分でした。

 女生徒自身になった気がしなかったのは、多分環境があまりにも違うことと、使っている言葉が時々鋭いと言うか、感傷的になりすぎて攻撃的にも思えたからかな、と思います。

感情の起伏も激しく、かなり悲観的なところもあればちょっと前向きになる時もあって、感傷的でした。

 

 

女生徒はどんな人なの?

 

 彼女は、自分がどれだけ情けない存在か、不完全か。何回も考えて、誰かに献身的に尽くすことに喜びを見出そうとしている気がします。

読んでいて、「弱くて自分に自信のない母親」に対して少しでも楽にしてあげようと、読みたくもない本を読みながら「いい娘」を演じようとしているその姿は、どこか危ういものすら感じさせると思いました。

 

電車内で道理の通らない(当時なら通ったのかも?)ことをされても、悲しみをあらわにせず他のことで自分を慰めている姿。

厚い化粧をしている女に対して同族嫌悪を感じている姿。

 

 主人公は、

自分のことをよくわかっていて、

周りにいる人を見て「こうなりたい」「こうはなりたくない」と考えているにも関わらず、

それがうまくいかなくてモヤモヤしているんだと感じます。

 

自分の心をここまで言葉にして分析できているのはすごいことだと思います。

真面目なのか、成熟しているのか。

 

でも、それが原因なのか、周りを見すぎていて自分勝手になることを忘れているような気もします。

 

なんて言えばいいんでしょうか、うまく言えないです。

少なくとも、母親との会話の後半部分では、

自分が希望を持たなければとわかっていても、他の原因に甘えて自立しようとしない

ような姿も見えた気がします。

 

これからは、お母さんと二人だけの生活に満足し、いつもお母さんの気持ちになってあげて、昔の話をしたり、お父さんの話をしたり、一日でも良い、お母さん中心の日を作れるようにしたい。そうして、立派に生き甲斐を感じたい。

 

 この文章からも、生きがいを母親の幸せで感じられる、といったことを読み取れます。自分の成長のためにはどうすればいいのか、母親の成長のためには何をすればいいのか。もう少し違う結論があっても良さそうですが…

 

でも、そうやって客観的に視野を広くして考えることは、私が本を読んでいるように違う話として受け取らない限り難しいと思います。

目の前のことに精一杯になって、他の解決策なんて思いつきません。

 

 そこが子供らしいと言えばそうなのですが、子供が母親のために行動するのが果たして本当に良いことなのか。それは、双方の自立の機会を奪うことなんじゃないのか。そう思いました。

 

 

最後に:これはどういった作品なのでしょうか

 

『女生徒』は、

「女生徒が自分を物語の主人公にして、時には悲劇のヒロイン、時には青春を送る女学生として心の中で自分を見ている作品」

なのでしょうか。

 

 自分を物語の主人公におく。それは悪いことではありません。

誰しもが、自分中心の世界にいると思いますし、そうあるべきでもあります。それを心の外には出していないんだから、悪いことはありません。

 

 誰にも起こりえることですし、『女生徒』と同じようなことを思っている人はたくさんいると思います。

とりとめもないことに頭を巡らせている時の、繊細な感情があらわになるとこうなるんだとも思いました。

 

 一つ一つの表現が特徴的で、共感できるところもあれば少し置いてけぼりにされたところもある。

そういった、めまぐるしい普通の日常を感じられる作品です。

 

 

まとめると、

太宰の文体や表現技術に驚かされ、

少女の起伏の激しい思春期特有の気持ちに共感して戸惑います

 

読んでいて楽しかったですし、ただただ太宰の多彩さに驚かされました…

私も別に想像力が乏しいわけではないと思いたいですが、それでも生や死、美などとりとめもない膨大な情報量を、朝起きてから夜寝るまでの普通の1日に考えているのには圧倒されます。

 

名言も多く、読んでいったら共感する言葉や胸を打たれる言葉、気づかされる言葉などが入っているはずです!

 

 学生の方や、悩みのある方に読んでもらえたら、共感するところも多いでしょうし、大人の方が読んでも楽しめると思います。

 それでは、また今度短編集に収録されている他の6作の感想も書いていこうと思います。是非読んでいってください!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。久しぶりに純文系を読みましたが、やっぱり楽しいですね!