こんにちは。課題が全然終わらないので、周りの人にそろそろ手助けを頼まなければいけない時期になってきています…。なんか、ここまでできない課題って初めてです(笑)どうにかできるまで頑張っていきたい!
今日は、また太宰治の作品の感想を書いていこうと思います。
これまでに、短編集『女生徒』の感想として
表題作の『女生徒』の感想、
『燈籠』『皮膚と心』の感想、
を書いてきました。
今回感想を書くのは、『きりぎりす』の1作にします。
(すみません、本当は2作の予定だったのですが、ちょっと力尽きたので一作で…)
短編集紹介、著者紹介
まずは、あらすじ紹介と著者紹介から。これは、『燈籠』などの感想を書いた記事からコピペしてきます!
ーーーーー
それでは、まずは短編集の内容紹介と、著者紹介へ。
短編集は7編仕立てとなっています。以下の通りの順番です。
- 女生徒
- 燈籠
- 皮膚と心
- きりぎりす
- 千代女
- おさん
- 饗応夫人
どれも、女性を主人公とした作品で、悩みや日常のことについてを描いています。
前回紹介した『女生徒』という作品は、14歳の女生徒が朝起きてから夜寝るまでに考えたことを告白体で書いた作品でした。
著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。
教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。
ーーーーー
『きりぎりす』のあらすじ
さて、それでは『きりぎりす』のあらすじなどを書いていきたいと思います。この作品も、主人公の「私」が一人語りで語っているものです。
この話もなかなか強烈で、別れ話となっています。
お別れいたします。あなたは、嘘ばかりついていました
という文章から、どう嘘をついていたのかを女視点で描いています。
主張としては、
私は売れない絵描きだったあなたの方が好き
お金が入ってくるようになった今、汚いお心になったよう
人の悪口も言うようになった
他人の声のように聞こえる
あなたの方が社会的には正しいのかもだけど、自分のどこが間違っているのかわからない
別れさせてもらう
といった感じのことです。
詳しく書くと、女性の夫は売れない貧乏画家だったんです。女は、見合いをきっかけに彼の絵に惹かれ、家族の反対を押し切って駆け落ちにも似た形で結婚します。
暮らしは貧しくても、女は貧乏であることを楽しもうとし、夫を生涯支えるつもりでした。
ですが、次第に夫の絵は売れるようになります。大家との繋がりもでき、名前も知れ渡っていく。そのうちに、夫はお世話になっている人の悪口を言ったり、金に汚くなったり、批判を偉そうに言い…
そう言ったことを近くで見ている女にとって、それは我慢できないことでした。世間での生き方としては夫の方が正しいのかもしれないとはわかっていても、自分の考えが間違っているとも思えない。
ラジオで聞いた夫の声が別人のように聞こえ、さっさと寝てしまおうと寝床に入ると、縁の下で虫が鳴いています。それを聞くと、
なんだか私の背骨の中で小さなキリギリスが鳴いているような気がするのでした。この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きていこうと思いました。
と思うようにすらなった、と言う話です。
読んでいる間の感想
この話、読んでいて俗世間の汚さと言うか、理不尽さをあらわにさせられたような気がしました。今まで貧乏だったからこそ、一気に有名になったり富を得たりするとなんらかの亀裂が入るようになります。
それが、この家では悪い方向に出たのでしょう。
夫は妻を省みなくなり、時々物を買ってご機嫌とり。すぐに悪口を言い、誰かに媚びて、横柄な態度も取れば浮気めいたこともして…。
奥さんが我慢できなくなることも、予想はつきます。
きっと、女の方は「孤高の芸術家」だったり、「清廉な芸術家」だったりの姿を夫に求めていたのではないでしょうか。そして、その夫を支えるのは生涯自分である、と。
それなのに、予想を裏切って夫が有名になり出し、しかも俗的になってきた。
自分の予想していた像からも、自分が求めている像からも、夫がはみ出してしまったこと。そして、そのはみ出し方を自分ではいいと思えないこと。
女の言っていることは、決して間違っていないと思います。それどころか、理想論ではあると思います。お金持ちになることを否定されるのはどこかおかしいと思いますが、その他の媚びるような行動だったり誰かを批判するような行動だったりは、しないのならしない方が好ましいはずです。
だって、お金のない時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。
そう言った考え方をする人だからこそ、「純粋、高潔」と言った考えとは程遠くなってしまった夫とは一緒にいられなくなったのかもしれません。
この女の方の意見には、そうだよな、と同意するんです。
確かに、自分の予想とあまりにも違うと追いつけなくなるかもしれません。夫の行動がいいものとは言えないし、アウトなこともあるはずです。つつましく暮らすことが最善と信じているなら、夫の行き方は受け入れ難いでしょう。
でも、それで終わらせないのがこの話です。
考えてみてください。自分が、しがない絵描きで、誰にも注目されなくなっていることを。そしてわずか数年の間で、あれよあれよと言う間に富と名誉を手に入れて、遊ぶお金も贅沢するお金もできたことを。
そうした時に、それまでの暮らし方を崩さず、生き方を変えず、人間関係をあまり変えず…と言ったことができる人は、そこまで多くないと思うんです。
「身の程に合った」と言う言葉は、用法によっては侮蔑的な発言にもなり得ます。だけど、この『きりぎりす』に関しては、夫に「身の程に合った」生活を求めたくなります。
それでも、「身の程に合った」を自分で自覚するのはとても難しいことだと思います。不遇の時代を過ごしてから一気に注目されると、その変化に戸惑いもするだろうし、欲がもっと出てきます。
欲を出せるのに自ら欲のない生活を送るのは、一回大きな失敗でもしていない限りとても難しいはずです。私も、絶対に思い上がると思います。
誰かの悪口を言ったり、誰かにへつらったり、そう言ったことも推奨はされませんが、やってしまう人は多くいるでしょう。
世間で上手く生きていくためには、夫のやり方は特に酷くはないのかもしれないです。今でも変わらない、社会の汚い一面というか…そう言ったところがうまく描かれているので、自分たちもこれと同じようなことをやりそう、やってそう、と言った感想も出てきます。
女の方にのみ肩入れするのが難しく、男の方も擁護したくなる作品でした。
「こう!」と言った感想が出てきにく、「こちらも正しいけど、こちらも間違ってはいない…」と言った、しがらみを描いている作品かな〜、と。
どこか寂しいイメージのあるきりぎりすを、背骨の中に飼っているってすごい表現だな、とも思います。今の自分を形容する言葉を見つけたくて、キリギリスという言葉を思いついたのか。それとも、感傷に浸りたいからそう言った言葉を使ったのか。
この女性に、夢見がちなところがないとは思えないんです。ドラマチックなあらすじを自分で描きたくなるところがないとは思いません。だから、そう言ったものも合わさって善悪つけ難い作品となっています。
最後までお読みくださりありがとうございます。時間がないので、少し手抜き記事になりました。後日修正等もしようかと思っています。続きの記事も、ぜひ見ていってください。よろしくお願いします!