こんにちは。今日も課題をやっていたのですが、一難去ってまた一難。ISAKに入るまでに終わらせられるかとてつもなく不安です…。
今回は、本の読了記事を書いていきます。太宰治にしようかとも思いましたが、せっかく違う著者の本を読んだのでまずはそちらを優先します。
今日書くのは、辻村深月さんの『ぼくのメジャースプーン』です。
目次
著者紹介&あらすじ紹介
まずは、著者紹介&あらすじ紹介へ。
この本の著者は辻村深月さん。
ミステリなどを書き、本屋大賞をとった『かがみの孤城』や、直木賞の『鍵のない夢を見る』などが有名です。
私は、まだ『かがみの孤城』しか読んでいません。
今度、『ハケンアニメ!』という本を勧められたので、それを読んでみたいとは思っています。
あらすじに移りましょう。この本は2009年出版。
主人公は、小学四年生の「僕」です。
僕には、幼馴染の「ふみちゃん」という子がいます。
彼女は、とてもおしゃれなわけではないし真面目だけど、クラスのリーダー的存在で人気者。それによく喋って賢ければ運動もできる元気な子でした。
ある日、事件は起こります。
学校で飼っていたうさぎが、医大生の市川雄大によって切り刻まれたからです。
その日、体調を崩した「僕」の電話を受け、ふみちゃんは朝早くに学校に行ってうさぎの餌やりをやろうとしていました。
そしてふみちゃんがうさぎを見にいくと、そこは血であふれていて、ほとんどのうさぎが殺されています。
この有様を見たふみちゃんは、声を出せなくなり学校にも行けなくなってしまいました。
犯人は逮捕されましたが、受けた判決は執行猶予。しかも、ネットで晒されてかなりの批判が集まったため、執行猶予の長さも含め異例の判決です。
それでも、ふみちゃんが第一発見者になった責任も感じている「僕」にとって、それは納得のいかないことでした。「器物破損」の「執行猶予」で、本当に反省をしているのか。ふみちゃんはどうなるのか。
彼は、自分の持つ力で市川雄大を懲らしめようと考えていました。
その力とは、「条件ゲーム提示能力」。
「Aの条件をクリアしなければ、Bという罰を受ける」といった旨の言葉を相手に言えば、ゲームはスタートです。
相手はBを受けないためにAの条件をクリアしようとします。
ですが、例えばAが「死ぬ」という条件でBが「お菓子が食べられなくなる」罰だった場合、相手が「死ぬ」ほうが重いと思えば罰を自ら受けられることになります。
この力は、「僕」の家系に現れる不思議な能力。もう廃れたかと思っていましたが、母親の予想にも反して現れてしまったものです。
他にも色々な制約があり、「僕」は本の中で親戚の秋山先生にその制約を教えられていきます。
「僕」の力により、「僕」は犯人との面会をセッティングします。制約を教えてくれた秋山先生とともに面会についた僕は、いったいなんという条件と罰を提示するのでしょうか。
これは僕の闘いだ。
感想:面白いけど、ずっとは考えたくない深いテーマがいっぱい
この本、読んでいてとても面白かったです。
ふみちゃんと「僕」の性格、市川雄大のやったこと、命の重さの違い、色々なことが書かれていました。
ミステリではないですし、ラブストーリーでもないんです。哲学的なところもあれば、また他の要素もある。カテゴライズの難しい小説だと思いました。
話は小学生目線で書かれているため、難しいということはありません。
同年代が読んでも、その憤りは伝わるものだと思います。同年代だからこそ、伝わるのかも。
でも、法律と感情、世間と自分、優劣をつけていること、罪の作り方などなど…。
かなり複雑というか、濃いテーマについて書いていました。
自分はどうしたら気が晴れるのか。
どうすれば相手を許せるのか。
相手の反省はどう見極めるのか。
どうすれば上目だけの反省ではなくなるのか。
こんなこと、登場人物よりも5歳年上の私でも答えなんて出せないし、大人でも出せない人はいっぱいいるのではないでしょうか。
それについて考え、時には命にすら関わるような条件提示ゲームを行う「僕」。
秋山先生は、わかりやすく話し、自分の知っている知識を「僕」に伝えていきます。
最終的に、「僕」はどうしたのか。どんな条件と罰を提示したのか。それは、多分私たちが全然思いつかなかったようなことでしょう。
この本では、動物の殺害が描かれています。
現実世界にも、動物を虐待したり酷い目に合わせて、それを嘲笑する人たちはいますよね。本にあるように、そういった人たちの集まる掲示板やコミュニティもあるのでしょう。
そこでは目を背けたくなるような写真や動画がゴロゴロ転がっているんでしょう。ほんっとうに気持ち悪いな、と思います。
でも、そこで虐げられているペットや愛玩動物と、私たちが素手で殺している蚊や虫など(そういえば今年はまだ殺していません)。
どんな違いがあるんだと言われれば、一言では答えられないです。
強いていうなら、家の中に入り込む小さな虫たちの中には、明らかに菌を持ち込んでいる虫もいます。そういった、人間にとっての害虫になり得るから殺しているんでしょうか。
とりあえず、自分で飼っているペットを虐待する人は酷いな、と思います。その命を可愛がるためにお金を出して飼ったのなら、その命に最後まで責任は持つべき。なんか、そんな旨の記事を一回描いたことがあるような…。
少し話を戻すと、ウサギ殺害犯人の秋山雄大は、ウサギを殺しただけでなく、それを発見した子供達の心まで壊しています。
その罪が、「器物破損」のみで済んでいいものか。
いじめの一環で暴言を吐いたり、物を壊したりした人が
「酷いこと言ってごめんなさい、ものを壊してごめんなさい」と言っても、
それで壊れた心は元に戻りません。
というか、その場合は「傷つけてごめんなさい」とか言われても「ふざけんな」って返すと思いますけど。
自分たちが今まで愛着を持ってお世話していたウサギたちが、たった数分の間に惨殺死体になっているのを発見した気持ちはどんなだったでしょう。
それを間近で見ていた、しかも責任を感じてしまっている子供はどんな気持ちだったでしょう。
そこでできた傷は、どうすれば修復できるんでしょうか。
加害者にもしも罪悪感がなかったら、どう言った対応が彼にとって効果的なんでしょうか。
「蚊の命と猫の命の差」「壊れた心への責任の取り方」
面白そうなテーマがいっぱいですね。
ずっと考えていると気が滅入りますが…。少し苦手な部分です。
感想②:人間関係
小説の中で、こう言った旨の記述がありました。
市川雄大の起こした事件の報道は、「医大生」だったり家庭環境だったりが取り上げられている。
これは、現実でもありますよね。
『図書館戦争』という本でも、読書環境が起こした犯罪の背景説明に使われていました。
私は、こう言った報道は苦手です。
「医大生だったからこうした」
「こんなストレスがあったに違いない」
「こう言った家庭環境で育つと…」
「こんな本に影響されて…」
なんでこう言う必要があるんでしょうか…。って思っちゃうんですよね。
それがネタになるのもわかるし、実際ある程度のステレオタイプができるくらいには浸透している背景説明もあります。
でも、本人の起こした犯罪を本人の背景を理由にしすぎるのは、間違っていると思います。
その理由は、本人の言い訳にもなり得るし、本人への情状酌量の余地を作ってしまうからです。
ある程度ならいいかもしれません。
でも、本人が一番悪いと言うことを忘れてはいけないですよね。
多くある犯罪のケースの中には、必ずしも本人が一番悪いわけではないものもあるでしょう。
今回の場合においては、完全に加害者の市川雄大が悪いと思うんです。本人が一番悪いし、常軌を逸したことをやっている。それをまず言わなきゃいけないと思います。
そして、このお話を読んでいて少し甘くなるところも。
主人公の「僕」は、ふみちゃんのために頑張って動き、犯人との面会を取り付けたり効果的な脅しを考えたりします。
それを見た周りの人は、「ふみちゃんが好きなんだね」と言います。
でも、「僕」にとってはそれは違う。
大元の理由はラストでわかります。
結局、人の行動って自分のためっていうのが大きいんですよね。
でも、自分のためだとしても、それがどれくらい相手に還元されるか。どれくらい相手のことを思ってやる行動か。
その大きさによって、その人への感情の大きさもわかると思います。
「僕」は、確かにふみちゃんに恋していなかったのかもしれない。でも、大切な友達だったんだろうと思うし、それは一種の「愛」です。「愛」って、いろいろな意味に取れるから便利な言葉ですよね。時には、「恋」と同じ用法が浸透しすぎてうまく使えないこともありますが(笑)
数年後、少し大人になった彼らを見てみたいです。仲良くいてくれるといいな、と思いました。
まとめ:面白かったです!
ということで、今回は辻村深月さんの『ぼくのメジャースプーン』の感想を書いてきました!興味が出たら、読んでいただけると幸いです。
とても面白かったです。こんな書き方があるのか、とも思いましたし、読んでいて主人公の感情に引っ張られそうになりました。
ある程度黙々と冷静に読めたものの、物語の中で感情が爆発しているところではこちらも苦しくなったし…。
辻村深月さんは、やっぱり心情描写がとても綺麗だな、と思います。
少し重くて、ファンタジー要素もありますが、とっても大人びた「僕」たちに引っ張られて、少し賢くなったかも、という錯覚まで覚えた一作です。
なんと、この本には出版前に書かれた本と出版後に書かれた本とで、それぞれつながる話があるらしいです。今度図書館で見つけたら読んでみます!
最後までお読みくださりありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです!