こんにちは。今日は、一日色々と動いた後で、家に帰ってからもやることが山積みで…。この現状を、嫌だと思わずに、少し呆れながらも楽しいと思ってしまうところが私らしいです(笑)
今日は、太宰治の『ヴィヨンの妻』の感想を書いていきます。この短編には、新潮文庫の『ヴィヨンの妻』(短編集)を読んでいるときに出会いました。太宰の晩年に書かれたものです。
目次
短編集の内容紹介・著者紹介
それでは、短編集の内容紹介と著者紹介に行こうと思います。
短編集は、新潮文庫の『ヴィヨンの妻』です。全部で8編が収録されています。いずれも太宰の晩年に書かれた作品で、「死の予感」が読み取れるものも多くあります。
このうち、7作目の「おさん」は以前ここで紹介したことがあったので、7作の感想を書いていこうと思います。
著者紹介も。これは、今までの記事からのコピペです。
著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。
教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。
この前、太宰治読了のまとめ記事も作ったので、興味のある方は是非そちらものぞいてみてください。
『トカトントン』あらすじ
それでは、『トカトントン』のあらすじ説明をしていきます。
この本は、ある手紙の冒頭から始まっています。
拝啓。一つだけ教えてください。困っているのです。
そして、手紙には少し不思議なことが書いてあります。
手紙の書き主の「私」は、終戦の時に兵舎の前の広場に整列させられ、ほとんどが雑音の玉音放送を聞かされました。
その時、「私」は体が地の底に沈むような感覚を得ます。
死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。
その時、かすかに金槌の「トカトントン」という音が聞こえてきたのです。
それを聞いた途端、憑き物から離れたような、白々しい気持ちに男はなりました。
その金槌の音が、自分の思い込みや感情を全て静かにしたのです。
兵舎を離れた彼は、郵便局に勤め、なんでもできると軍隊生活の記録を書き進めます。
あと少しで大作完成、というところで、遠くから「トカトントン」のあの音が聞こえてきます。途端に、全てが冷めてもう記録を書かなくなるのです。
その後、彼は仕事に精を出すように。ちょうど円貨の切り替えで、郵便局の仕事はとても忙しくなってきたのです。「ほとんど半狂乱みたいな獅子奮迅を続け、」そしてまた、「トカトントン」の音が聞こえてきたところで普通の「窓口郵便局員」に変わるのです。
次に「私」は恋愛をしました。
小さい旅館の女中さんです。
毎週郵便局に来て、おかしな量の金額を入れるものですから最初は少し不思議になった「私」。そこで、機会があってその金の訳を聞いているうちに、男は女性が愛しくて仕方なくなりました。
しかし、話している間に突然「トカトントン」が聞こえてきて、そのまま会話を終わらせてさることに。
スポーツをしていても、
労働運動に参加していても、
政治について考えても、
火事現場に駆けつけても、
お酒を飲んでいても、
果てには気が狂ったのではと自殺を考えても、
聞こえてくるのは「トカトントン」のあの音でした。
その音から逃れるにはどうしたらいいのか。ずっとそれを考えていて、「某作家」に送った手紙が、この手紙だったのです。
なお最後にもう一言付け加えさせていただくなら、私はこの手紙を半分も描かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。
そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たものじゃないんです。そのほかのことも、たいがいウソのようです。
しかし、トカトントンだけはウソでないようです。(後略)
この手紙に対し、「無学無思想の男であった」某作家は、こう答えます。
拝啓。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。
(中略)
このイエスの言に、霹靂を感ずることが出来たら、君の幻聴は止むはずです。
中略部分には、「真の思想は、叡智よりも勇気を必要とする」といった内容の文章が書かれていました。
『トカトントン』感想:軽妙なユーモアが面白い…
それでは、感想を書いていきます。
この本を読んだ時、私の太宰を読むときの例に漏れず何回か読み直しました…。
それで思ったんですが、太宰の本ってやっぱりユーモアがありますよね!
読んでいて面白かったです。
なんというか、そもそも「トカトントン」という言葉が面白いですよね。題名が「トカトントン」というのも面白いです。
そして、この悩みを持っている「私」にとっては少し失礼かもしれませんが、手紙の文章も面白かったです。
生い立ちと終戦の兵舎でのシーンから始まって、一人の男の人の生き方(?)が書いてあるんです。その中に、奇妙なほどに入り込むカタカナの文字列、「トカトントン」。
この時点で、言葉のチョイスがもう面白い…。
それに加えて、長々と読んできた男の手紙に比べて太宰の手紙の短さ!
本当に短いです。読んでいると、男の人生というか困っていることが多く書かれてきたのに、太宰の手紙はすぐ終わっているので、そこも拍子抜けな感じです。
ちなみに、太宰の手紙、といっていますが、太宰とは書いておらず「無学無思想」「某作家」などと書いています。
太宰と明言はされていないですが、書いてあることなどから「これは太宰…だよね?」と自分の中で思いました。前回の『親友交歓』のような感じですね。
太宰の返事も面白いです。イエスの言葉を引用した上で、真の思想は叡智よりも勇気だといっています。
つまり、「私」がずっと聞いてきた「トカトントン」とは、自分が臆病だから聞こえてくるというものです。
何か思い切りをつけたくなった時に、無意識のうちに怖くなったりすると、「トカトントン」で逃げたくなる、といったことでしょうか。
私は、この話を読んでいる時に、この「トカトントン」は戦争の幻影のようなもので、「私」も戦争の被害者のうちの一人だったんだろうな、と思いました。
色々な価値観ががらっと変化したその時期、いきていくだけで精一杯だったでしょう。だから、この人も戦争の犠牲になっているんだな、と思いました。
そうやって、割とシリアスに考えていたので、
太宰が「思い込みだから、勇気の方が大事だよ」みたいなことを言っているときに、
「そんなに軽く?!」とちょっとびっくりしたと同時に、適当じゃない…?と思ったんです。そこまで適当に答えなくても…と。
でも、読み返していくうちに、確かに太宰のいうことも正しいのかも、と思ってきました。
「私」は、玉音放送の後に死にたいと考えていて、「トカトントン」で目が覚めています。
死にたいと思ったことは、「私」のなかで一種の恥のようなものだったのかもしれません。「そんな大げさな、」みたいな感覚で。
少しでも「大げさ」につながるようなことを考えてしまうと、「トカトントン」が警鐘を鳴らしてくるのかも。
でも、ただ平凡に生きていくだけでは物足りないのなら、少しは思い切ったことをやらなければいけません。一回勇気を出せば、トカトントンからも解放されるかも。それを見越した上で、太宰も「叡智より勇気」と言っているわけです。
うじうじ机上の空論で悩んでいるより、思い切って行動しなさい。
なんだか、太宰なりの励ましなのかな、と最終的には思うようになりました。
これが励ましって、かなり癖の強い励ましだとも思いますし、そこまで考えていなかったのかもしれません。
だけど、これで励まされる人もいると思います。
太宰も、戦争の前後でかなり作品の作風が変わっているような。今までは、歳のせいというか、太宰がやらかしたことが原因だと思っていましたが、「戦争」というのもやはりキーワードだったのかも。
この「私」は、戦争の被害者と思えるくらいですから、どこかかわいそうなところがあります。
それを、少なくとも表面の言葉上ではバッサリと「同情はしない」と切っているのですから、戦争に対してドライだったのでしょうか。
戦争前後の社会の違いに呆れたというか、がっかりしたというか…。そんな心情の動きがあったのなら、面白いです。
太宰の伝記のようなものは読んだことがないので、是非読んでみたいです。そこらへんも書いてありそう。
ということで、今回は太宰の『トカトントン』を読んできました。やっぱり面白かったですし、ブラックとはいかないものの、軽妙なクスッと笑えるユーモアがありますね。こう言ったことを、いわゆる「文豪」で感じることは今まで少なかった(そもそもあまり読んでいませんでした。)ため、もっと見つけていきたいです!