うぐいすの音

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太宰治『富嶽百景』感想・あらすじ

 こんにちは。この前、カメラを買ったと言いましたが、友達もカメラを買ったそう!作例写真を見せてもらったら、なんでこんなにうまいの…と言いたくなるくらい(自分が下手なのがいちばんの要因でしょうが…)。

ちょっと頑張ってうまい写真取れるようにしたいです!まずは本を読んで、あといろんな写真を見る!!

 

 今日は、太宰治の短編集『走れメロス』より、『富嶽百景』の感想を書いていこうと思います。

 

 

 

 

短編集、著者紹介

まずは、この短編集についての紹介と、著者太宰治の紹介をしていきます。こちらは、今までの記事からのコピペとなります。

 

 短編集は、新潮文庫出版『走れメロス』。

 

 

収録作品は、

  1. ダス・ゲマイネ
  2. 満願
  3. 富嶽百景
  4. 女生徒
  5. 駆込み訴え
  6. 東京八景
  7. 帰去来
  8. 故郷

の8編です。

このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 

 太宰治は、多くの人が知っていると思います。

坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。

 この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。

 彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。

 戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。

 

 太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

あらすじ 

 そして、『富嶽百景』のあらすじに移ります。

 

この話は、主人公の「私」が富士の見える峠で数ヶ月過ごした間の心境の変化を書いたものです。

 話の冒頭は、絵に描かれた富士山の角度と実際の富士山の角度の違いの指摘から始まっています。富士山の傾斜は緩やかなのに、絵に描かれた富士山はそれ以上に尖っている、と行った内容です。

「私」にとって、富士山は「鈍角」で「のろくさ」なもの。

十国峠絡みた富士山は高く「あれは、よかった」でしたが、東京のアパートから見た富士は「苦しい」。

 

 「私」は天下茶屋で仕事をしている井伏鱒二に見合いの世話をしてもらっており、その見合いに行く道中に御坂峠の井伏氏を訪ねました。

 

 「私」は思いを新たにする覚悟で山梨県天下茶屋にいる井伏鱒二を訪ね、数日後に三ツ峠を登りました。あいにく富士山は霧で見えず、それを気に病んだ峠の茶屋のおばあさんが、富士山の大きい写真を見せてくれました。

そこでの感想は、「いい富士を見た」

 

数日後、井伏鱒二と共にお見合い相手に会いに甲府に向かった「私」は、部屋にかかった富士の写真を見てから娘さんを見て、お見合いに前向きになります。

 

その後、「私」は山を歩き、月見草のタネを集めて天下茶屋の裏に蒔きました。ここで、あの有名なセリフが。「富士には、月見草がよく似合う。」

 

その後、富士を見てあくびをする花嫁の姿に驚いたり、色々あって、寒さが見にしみる頃に「私」は下山。山を降りる前、華やかな装いの娘二人に「写真を撮って欲しい」と言われます。

「私」は、「富士山、さようなら、お世話になりました」と思いながら、娘たちの姿は外して、富士山だけを納めてシャッターを切りました。

 

 

感想

この作品の中で、「私」は富士山に対して色々な感情を抱いています。

ある場所から見た富士山は「よかった」、ある場所からは「苦しい」。

「俗っぽい」と思うときもあれば、「青く綺麗」と思ったり、「ありがたい」と思うときもあれば、注文通りの風景のようで恥ずかしい、と思うことも。

大親分のようとも思ったり、お世話になりましたと思ったり、さらには花嫁のあくびにムッとしたり。

 

 最初は、「もし自分が日本人でなければ、フジヤマをありがたいものだとは思わないだろう」というスタンスであった「私」が、特に御坂峠からの富士を見るにつれてだんだんと富士山に対しての認識を改めて行きます。

どちらかというと、次第に富士山を尊敬するというか、今まで以上に評価するようになったのでしょうか。

 

 富士山という存在に、「私」も感化されて、考えが変わっていくまでの一連の流れを収めた作品です。

 

 

この流れ、ただ見るだけでは単なる成長者に見えるかもしれませんが、これが描かれていたのが太宰の2回目の結婚話の時期だったとお思えばどうでしょう。

本文には、

「三年前の冬、私は或る人から、意外な事実を打ち明けられ、途方にくれた」という文章が。

これは、ちょうど太宰が一人目の妻に不貞を働かれ、離婚した時期と被るようです。ですから、この話も「私」=太宰治と行った要素のあるものなのだと思います。

その時に富士を見て、

暗い便所の中に立ち尽くした私はじめじめ泣いて、あんな思いは二度と繰り返したくない。

と書いています。

 

そして、甲府で見合い相手とあった時、太宰は富士の絵を見てから娘さんをちらと見、結婚を決意します。

「あの富士はありがたかった」

 

こう行った、背景と絡めて書くと、ただの成長物語に味が出るというか、中身が深まった感じがします。

 

最初は通俗的なものと見下していた富士を、「私」は色々な人と出会うことによって「お世話になりました」というようになる。それまでに縁談も無事決まり、心の中に余裕ができたのでしょう。余裕ができたり、平穏に生きていたりすると、おおらかになる傾向がある気がします。

 

 

 この話は色々な点で面白いと思います。

まず、ふとしたところでユーモアが入ってくるところ。井伏氏の行動にお少しユーモアが入っていますし、「私」が娘二人に頼まれた写真の被写体を富士山のみにしたこともそうです。

また、ロマンチックだと感じた富士山と花嫁という構図も、花嫁のあくびで台無しになっています。

こういう風に、少しクスッと笑える要素が入っているかふら、飽きないんだと思いました。

 

 

 また、最後の最後で富士山がものに例えられているのも好きな点です。最後、富士山は「酸漿(ほおずき)」に例えられています。今まで感覚的な感想ばかりだったのが、ここで小さい、赤いほおずきになりました。

旭日昇天と言いますか、

朝日のような感覚(自分の価値観が変わって、これから)を表すのが、このほおずきなんじゃないかな、と思います。

前向きに生きて行こうといった、希望が見えたんでしょうか。

 

 

最後に

ということで、富嶽百景に関する感想を書いてきました。確かに面白かったですが、やっぱりこういった私小説っぽいのを読むのは色々考えてしまいます。あの、大敗していた太宰がモデルになって、こんな清廉な話ができるか?

えーと、少し失礼なことを書いてしまったかもしれません。

 

とても面白かったのは事実ですが、あくまでも太宰は「モデル」で、脚色等はもちろん入っていると思います。太宰のイメージにこれを直結させないようにしたいです!

 

それでも、確かにこの時期は太宰の中でも明るい作品がどんどんできてきた時期。走れメロスとかはその代名詞ですよね。この段階で、太宰の人生が少しでも楽しいものであってくれれば嬉しいです。

 

太宰自身もどーしようもない男だな、と後期の作品を見て感じましたが、それでも太宰も人の子。自分の妻が不貞をしていたとわかった時の文章(東京からの富士のパート)とかは、読んでいて切なくなりました。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。この頃、丁寧な記事が書けていないのが申し訳ないです。もっとタイムマネジメントをうまくやって、頑張っていきます!