こんにちは。
今日も、だらだらと今の心境を綴っていきます!
昨日と今日にかけて、私は「高校生のための哲学サマーキャンプ」というイベントに出ていました。
このイベントは、基本的に高校生を募集して、哲学対話をしあう、というイベントです。
詳しくは前年に書いた哲学サマキャンの感想をお読みください。
今年の分もしっかり書く予定ではありますが、今日はそれに先駆けてちょっと感じたことを。
まず、去年参加した時は私は中学校3年生で、サマキャンの対象者ではありませんでした。ですが、コロナがここまで続くとも思いませんでしたし、今年だけだと思って「是非参加させてください」と頼んだら、OKをもらいました。
だから、少なくとも私が知っている範囲で、中学3年の参加者は私だけだったんです。
また、中三の時に参加したVoiceUpJapanというボランティア団体でも、私が最年少でした。
こういう風に、私は今まで参加する団体とかで、年が低かったことがすごいよくあります。
それは、単純に「子供だと思ってくれる」ので、いいところがたくさんあります。例えば、ちょっと失礼な言動をしても、敬語をちゃんと使えなくても、「しょうがない」と思ってくれるとか。あとは、「若いのにすごいね」とか。
でも、これからは私も若い側じゃなくて、年上側に回っていくんだな、と思います。
今回の哲学サマキャンでもそうですし、VoiceUpJapanも同い年の人が一人いるようになりました。
それが、嫌なわけでは全然ありません。
すごい嬉しいし、対等に喋ってくれる人が増えるということだし、自分よりも若い人に剣を聞くこともできるようになります。
ただ、その年齢の変わりようを見た時に、自分がどんどん大人に近づいているんだな〜と認識しました。
今までは許されていた失礼な行動(自分としてはしっかり行動していたつもりですが、それでもやはり気分を害していたこともあったかもしれないので …)も許されなくなっていくだろうし、年齢に甘えることもできなくなっていきます。
そうやって、大人になっていくんだな…という風に考えました。
それ自体が嫌だというわけではありませんが、言い訳が一つなくなるというか、ちょっと不安な気もします。
ここまで不安を書いているのは、私がそこまで失礼だったからではないです。(失礼なことはしていなかったと…願っています)
私が、年齢を利用して色々なことをさせてもらったからです。こういう風に、実際は対象年齢でなくても参加させていただいたり、自治体の方に学校の方から電話をしてお話を聞かせてもらったり、学校の先生にどんどんどんどん質問したり、、、。
自分の年齢を自覚した上でそういった行動をしてきたので、それができなくなるというと、ちょっと喪失感のようなものがあります。
でも、ここからどんどん下の世代の人が増えていって、私が「若く」なくなっていって、色々と話したりすることを考えると、本当に楽しみです。
今の私の考え、人格を形成してくれた人はたくさんいます。年下の人の中にもいますが、ほとんどが年上です。年齢で尊敬する人が決まるわけではないですが、話したことのある人は年上の方の方が多いので…。
だから、もしかしたら私がそういう風に尊敬される存在になることができるかもしれない。逆に、こういう人にはなりたくない、と思われるかもしれない。自分の世代からも、上の世代からも、下の世代からも、そうやってジャッジされるっていうのは、ちょっと不安だけどとても楽しみです。
どんな風になるんだろう。
「若くない」っていうのは必ずしも悪いことではありません。
特に、私は今まだ15歳なので、世間一般的に見たら「若くない」には入らないと思います。まだ、学生としての特権も使えます。
これからどんどん自分よりも下の世代も増えていくんだと思います。そうすると、一緒に話せる人も増えるし、価値観も増えていく。そんな楽しいことがありますか?(「いや、ない」という反語です)
自分の歳が変わっていっているんだな〜ということがとても身にしみた日でした。
これで、中学生としての特権はもう手に入れられなくなったけど、それでもまだまだ高校生としての特権があります。それをいかに自分で認識した上で、使っていけるかというのが、私にとってはとても重要です。
その恩恵を知っている上で使うことは、本当に大切だと思っています。それを失う前に心の準備ができるので。
今、サマキャンで知り合った人たちと敬語・タメ語の使い分けについて話しています。とても楽しいです(笑)
こういう風に、年齢が上がるからこそ色々な人と知り合えるようにもなるのかも。(情報へのアクセス的に)
今自分が持てる力(権利?適当な言葉が見当たりません)を認識して、活動できるようにしたいです!
最後までお読みくださりありがとうございました。めっっちゃ短くなりましたが、暖かい目で見ていただければ幸いです!