こんにちは!皆さんお疲れ様です!
この頃更新が本当に滞っていて、申し訳ないです…。もっと自分でも書きたいことがあるので、いっぱい更新できるよう頑張ります!
目次
初めに
今回は、タイトル通り日本語の勉強方法について書いていこうと思います。
…ん?日本語の勉強方法?
と思った方もいるのではないでしょうか。
私は、生まれてからこの方ずっと日本に住んでいます。一年だけ海外に住んでいたこともありましたが、それももう6年前。
日本語はペラペラのはずじゃん…
と、私もちょっと前まで思っていました。
しかし!!!!
この前Voice Up Japanの活動をしていたとき、友達に言われたのです。
「うぐいすさん、ちょっと日本語の使い方変だなって思う時がこの頃あるかも…」
…な、なんだって〜?!?!?(はやみねかおるが好きな人には伝わってもらいたい。)
ということで、まだ三ヶ月しかたっていないISAK生活。
その中で、日本語ネイティブなはずの私は日本語が下手になってしまいました。
これでも、日本語の授業の中では割と話している方なんですけどね…。
純粋な日本語の話者がいないため、普通に話していても「上手い」となってしまうのが自分の中での誤解の原因でしょうか。
私が今教科担任として関わっている先生方はいつもは英語を話すため、ほとんどの人が英語まじりの日本語を使うと言うことも原因の一つでしょう。
日本語を使う機会を増やしたい…。
でも、かといって英語がうまいかと言われるそんなわけでは全くない…。忸怩たる思いです。
本当に日本語力が衰えているな、と感じたのは、昨日の出来事。「断食でもするしか〜」と会話の中で冗談で言う機会がありました。
その時に、「だんじき(断食)」と言わなければいけないところを「だんしょく」と言ってしまったんです!!!
そんな間違いISAK前だったら絶対起こしませんでした。なのに…なんでこんなことを言ってしまったんでしょう。
暖色について言いたかったのでもなければ衆道の世界について言いたかったのでもありません。
こんなに母国語を話せなくなっているのか…とかなりショックでした。
それでも!できることなら日本語を話す力は下げたくないです。
語彙も蓄えたいし、文法の間違いもしたくありません。
場合によって使い分けもできるようになりたい。
ISAKに入って日本語できなくなりました〜なんて、ISAKを出たら通用しません。
というか、私が納得できません。
本当に日本語を保ちたいんです!
と言うことで、書いていくのは「日本語の勉強方法」です。
日本語をもともと知っている人が、日本語を使わなくなったときにどうやって忘れないでいられるのか。
もっと言えば、どうやって「楽しみながら日本語を忘れないでいられるか」です。
一応言っておきますが、日本語が下手になった代わりに英語が上達している…わけではないんです。
まだ海外の人たちがコロナの影響で日本に来れていないため、特に私の学年は日本語がわからない人が片手の中に収まる程度しかいません。
そんな環境にいれば、日本語を自由時間に話すのも自然なことですよね。
もちろん日本人がいない時にしか話さないようにと注意はしていますが、実際日本語を話す機会はたくさんあります。
つまり、英語を話す時間も少ないということ…。そこは自分なりに努力して英語を話さなければいけないなと思っています。
ただ、そうやって日本人の友達と話しているときに使う日本語は友達同時の話し言葉にしか過ぎません。
別に語彙が増えるわけでもなければ、文法をただしてくれるわけでもない。
その時間はもちろん楽しくて大切な物だけど、その時間でしっかりとした日本語を保っていられるかと言われたらそうでもありません。
周りからみれば、日本語ネイティブの私は「日本語が話せる」部類にいます。
でも、私からすれば私以上に綺麗な日本語を話す人がたくさんいることを知っているため、私自身では「日本語がうまく話せない」という認識になります。
周りの言ってくれる言葉に甘えず、自分で何が必要なのかを判断したいです。
今回は、その判断した結果、行ったいきたいことを書いていくつもりです。
1. 本を読む
一番最初に出てくる方法は、「本を読む」ことでしょう。
周りに今までのように日本語のエキスパートがいるわけではなく、いたとしてもあまり関わらないこの状況。
「日本語で話せるようなる」ことが目的なのではなく、「日本語を使いこなす」ことが目的なのならば、ISAK内で人と話すことはあまり有効的ではない気がします。
日本語が話せる人は多いですが、海外経験が多かったり、そもそもISAKで私と同じような現象に陥っている人が多いんですよね…。
話せないなら、読むのが一番。
幸運なことに、家が同じ県にあるため日帰りもできる距離なんです。だから、本を何冊かISAKに持ってきました〜!
家の環境に比べたら比べ物にもならないですが、30冊以上持ってきているので少し読みたくなった時に支障はありません。
話は変わりますが、かなり切実にちゃんとした本棚が欲しいです。DAISOのダンボールで作る本棚を使っているため、スペースは取らないのですが耐久性が少し問題です。本を置き過ぎていると言うのも問題なのでしょうが、ちょっと熟考しなければいけない問題ですね。
このブログでも書いている幸田文さんの『木』。これは、何回か読んでいます。
読むと自分の日本語力のなさに落胆するのですが、それと同時に「まだこの文章が端正なことがわかってる!」と自分を慰めたり。
初読の時は落ち着いて感動しながら読んでいたのですが、今では読んでいる間の感情のふり幅がうるさい本になりかけています。
そして、文学作品。文学作品のいいところは、何回も読んでいればたいていより深い気づきにつながるところです。あ、こう言うことだったのか?!と自分なりの解釈ができます。
自分なりにその話をわかった気になれると、もう勝ったも同然。
「文学作品を読めたぞ…、ちゃんと理解できたぞ…、」と、自己肯定感が急増するんです(笑)
しかも、ISAK入学前から文学作品を読むことも好きになっているので、ただただ楽しめて一石二鳥といった側面もあります。
こういった、特定の限られた本に限らず、読みたい本、読まなきゃいけない本は何冊もあります。
読書の時間がこの頃全然取れていなかったのは、正直否定できないところです。
その他のやることや宿題に追われて時間が取れず、時々ある自由時間には課題の時に使用していたパソコンをそのまま使ってYouTube…なんてこともたくさんあります。
日本語が不自由になってきているのは、自由時間に本を読んでなかった自分の自業自得ということもあるのでしょう。
せっかくこのごろ自分で自覚して焦ることができているのだから、本を読む時間を増やして楽しく日本語勉強したいです。
ということで、方法の一つ目は「本を読む」でした。
2. 人と話す
二つ目は、ISAK外の人と話すこと。
ひとまず、両親と話すことかな。
自分の親は二人とも本が大好きなため、間違った日本語を使うとすぐに訂正が飛んできます。
その訂正がなくなってもう三ヶ月。
自分でも「あれ、この使い方合ってるっけ?」と思う時が増えてきました。そう言った時は親に連絡。
そして、土日など時間のある時は電話できたらいいな〜。正直話すことがそんなあるわけではないかもしれませんが、それでもただ話しているだけでも助けになると思います。
両親以外だと、地域の人などISAK関係で交流のある人と話すことも一つの手です。
メールなどを通してのやりとりや、実際にイベントで会った時のやりとりなど。色々なやり方があると思います。
両親と話すときともまた違う、敬語を使用した話し方になります。
ISAKで敬語を使うことってそうそうないため、必要なことのうちの一つなはずです。
そして、私はボランティアとしてVoice Up Japanという団体で活動しているため、そこでも日本語を多く使えます。
日本語の間違いを指摘してくれたのもこの団体内でのことだったため、これからも指摘していただけると本当に嬉しい…といった気持ちです。
義務にせずに楽しみながら日本語に慣れる方法。
本を読むことと、人と話すこと。
基本的なことではありますが、実際にこれくらいしかできることはないと思います。
あとは、、と考えてみると、何かを聞いて日本語になれるくらいでしょうか。
ラジオだったり、テレビ番組だったり、ニュースだったり…。
3. 変わり種で…競馬実況
少し前にも記事を書いた通り、私は競馬を見ます。
この頃、ISAKで競馬(というか競走馬について)話す友達がいて、それもありよく競馬をBGMがわりに流すようになってきました。
その中で、何回も感じているのが、競馬の実況について。
前に原稿などを用意しているのでしょうが、それにしても競馬の実況は聞いていて面白いです。
以前書いた記事にも、いくつか好きな競馬の実況を書いたはずです。
例えば、トウカイテイオーが引退前最後のレースで「復活」した時の実況。
ダービー馬の意地を見せるか!
トウカイテイオー、奇跡の復活!!
しかしサクラスターオー先頭だ!
菊の季節に桜が満開!菊の季節に桜!
〜〜
桜が満開になりました京都競馬場です!
他には、ディープインパクトが三冠をとった時の実況。
世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の決勝だ!ディープインパクト!
〜〜
期せずして場内から大きな拍手が起こりました!
まさに日本競馬史に残る一ページ、一瞬であります!
こう言った少し浮世離れした、くどいともいうのかもしれない表現が、とても綺麗だな、と思います。
実況という仕事は、その一瞬で起こる勝ち負けをしっかり判断して、その上で人を感動させる言葉を発します。
綺麗に練られたであろうその言葉が日の目を浴びて感動に繋がる過程も綺麗ですし、他の馬が勝っていた場合の決め文句もあったのかな、と思うと少し悲しいような寂しいような気持ちになることも。
これは、言葉のみの力ではなく、もちろんそのレースだったり馬だったりによる率直な感動の力が大きいはず。
でも、言葉だけを見てもそのレースでの感動が思い起こされたりするのだから、言葉の持つ力というのもすごいものです。
言葉は器のようなもので、その言葉の中に思い出を溜めておくこともできるんだろうな、と思いました。
こう言った言い回しを実生活で使うことはほとんどないでしょうが、それでも少し頭を使うとより記憶に残る競馬の実況。
こう言ったものも、日本語を忘れないために使いたいな、と思っています。
まとめ
本を読むこと、人と話すこと、そしてちょっと変わり種で競馬の実況。
色々と日本語に慣れていく方法はあります。
あとは、私自身がそれにどれくらいの時間を割こうとするかです。
本当に日本語が下手になってきている今日この頃、少しずつでも改善を図っていかなければ、3年後の自分なんて目も当てられません。
なんかこの人の日本語変…。なんて思われたまま会話するような事態だけは避けたいところです。
すでにそれに近いような状態になっているかもしれません。
日本語勉強頑張ります!!
ちなみに、自分は別に日本語大丈夫だから…と思っている方、
『日本人の知らない日本語』という漫画をぜひ読んでみてください!日本語についてもっと詳しくなった気分にひたれます(実際読んだ分知識も増えますし)。
最後までお読みくださりありがとうございました。日本語を忘れない方法を自分なりに描いてみました。それでは、時間を見つけ次第頑張っていきます!