こんにちは。お久しぶりです!
17日(金)に学期が終わり、日曜日に家に帰ってきました。
ちょくちょく帰ったりはしていたのですが、しっかり長期間家にいるのは久しぶりなので、これからの冬休みが楽しみです。
友達と会えなくなるのは少し寂しい気持ちもありますが、やっぱり家族と会えるのが一番嬉しいです。
今日は、ちょっと気を抜いて本を紹介していこうと思います。
また冬休みの間に、ISAK(私の通う学校)についてなど書いていけるといいな〜という感じです。
今回紹介するのは、白鳳社出版の生野幸吉訳の『リルケ詩集』です。
リルケ…なんか小難しそう!!と思った方に、特にこのブログを読んでもらいたいなと思います。
目次
本紹介、作者紹介
それではまず、簡単にリルケとこの本についての説明を。
リルケは、1875年に生まれ1926年に亡くなった、オーストリアの詩人・作家です。
その時代を代表するドイツ語詩人と言われています。
ドイツ抒情詩の最高峰と紹介されることも多いです。
独自の造形的表現で、様々な詩を産み出してきました。
この本は、そのリルケの各時期での代表的な詩を収録したものです。
4つほどの特徴に分けて、時代べつに詩を載せています。
訳者は生野幸吉という形で、ご自身でも詩を書いたりする傍ら様々な本を翻訳なさっています。
リルケの詩には色々な訳があると思うので、それぞれの訳し方の違いなども将来楽しんでみたいと思います。
私は、この生野幸吉さんの訳しか読んだことがないですが、とても楽しめました。
「リルケの詩」を読むことについて
さて、みなさん
「リルケ」とか「抒情詩」とか聞いて、どういう印象を持ちますか?
正直、私は全くその分野に興味がありませんでした。
「崇高な文学」的イメージが強く、いわゆる大衆文学と言われる普通の小説とかが好きな私は、どちらかというと苦手イメージさえ持っていました。
難しそうだし、眠くなりそう…。
流石に色々な本を読むようになってからはここまでは思っていませんが、小さい頃はそう思っていたことに間違いありません。
そんな「リルケ」の詩集をこの前家で見つけ、とりあえず読んでみようかな、と思ったことがきっかけです。
ちょうどその頃、寝る前にスマホをいじってしまうためその代わりとなる本を探している時だったんですよね。
だから、詩なら小説より短いから詩集でもやめ時がわかるだろうし、よく眠れるかな、と思って読み始めてみました。
ここで感想を書いていますが、まだ全然読み終わっていません。
半分行くか行かないかくらいです。
ペースが遅い理由は、大体一日一つくらいの詩を読んでいるからです。
もっと読む日もあれば、全然読まない日もあるため、読むペースはとても遅いんです。
そんなペースなのに、驚くほどの満足感が得られます。
一つの詩を何回か繰り返して読むと、何となくわかった気がして楽しめる。
合う合わないはあると思いますが、詩に関する知識が全くない私でも楽しめました。
今までも、食わず嫌いで有名な人の作品を全く読まず、勇気を出して読んでみたらやはり面白かったということがありました。
「リルケ」「詩集」
そう言った言葉でフィルターがかかって、今回は普段よりも読む勇気が出なかったり、読む気にならないかもしれません。
それでも、有名でまだ残っているということは、それだけの価値があり経済効果につながるほどの人数が好いている、ということに他なりません。
今まで、食わず嫌いだった本なのに挑戦してみたら面白かった、という経験のある人は、暇だったらぜひ読んでみてください。
「詩」という言葉は、時に読むハードルになり得ます。
ポエムという言葉が身近に感じることは、好きでもない人からするとあまりないかも。
でもそれは、そのもの自体が面白くない、合わないということにはなりません。
ぜひ、一回挑戦してみてから、自分がそれを好きか嫌いか決めてみてください。
私自身がかなり「詩」を読むことや、「リルケを読んでいる」ということに気恥ずかしさを覚えたので、もしも同じように感じている人がいたら…と思い、本の感想を書く前にきっかけなどについて書いてみました。
本の感想・読んでみてどう思ったか
それでは、本の感想へ!
と言っても、最初の方に書いた通りまだあんまり読めていないんですよね…。
最初に乗っている「序詩」から内容が濃いんです。
何回も読まないと意味がしっかり掴めないから、ちゃんと読むなら流し読みはできない。
それに、流し読みだとなんか掴めそうなのに掴めない気がしてちょっと気持ち悪い。
そして、しっかり読んで一文一文想像してみたら、心に染み渡る何かが来る。
全ての詩がそんな感じで、読むのに時間もかかるし、何回繰り返して読んでも色褪せない感動があります。
中には、寝る前の自分の脳では処理しきれない長い詩もあるため、申し訳ないですがそこは飛ばしながら読んでいます。
無理に読む必要はないですから、パラパラめくってみて好きそうなものがあったらじっくり読む。
詩の数が多いため、それでも十分に楽しむことができます。
読んでいて思ったのは、言葉の美しさ。
「日本語の美しさ」は、幸田文の『木』を読んでいたときに実感しています。
でも、この「リルケ詩集」ではそれともまた一味違う言葉の美しさがありました。
感嘆詞や、語尾の移り変わり、言葉の選び方、組み合わせ…。
そう言ったものが綺麗に組み合わさって、なんとも言えない感動を生み出します。
これは、原文ももちろんすごいのだと思いますが、日本語でもその感動を生み出してくれた訳者の方にも感謝です。
日本語でもこれほどまでに感動が伝わってくるなんて。原文で読んだ方が伝わるものがあるということは、もうよく実感しています。
これをドイツ語でわかるまでになったら、どれほどまでに楽しいんでしょう。
そう思わせるような文章でした。
私には、「リルケの詩はここがこうで〜」などと語れる知識がありません。
大衆小説なら少しは読んでいますから、似ている作品をあげたりすることができます。
でも、今まで触れ合ってきた詩なんて本当に少しで、しかもその大半が日本の詩です。
知識もなければ経験もないままに、語れることはないため、本の感想は薄くなっていると思います。
だけど、読んでいて詩に全く興味のなかった私が感動するような文章だったことは確かです。
読みながら、その詩の背景や情景を想像する。
そうすることで頭の中に一つの新しい世界が広がって、詩の中に浸り込める。
そう言った経験ができたことがとても嬉しいです。
全ての詩でその経験ができた…訳では当然なく、先ほども書いたように割と飛ばし読みをしていたりするので、ちゃんと詩についての造詣が詳しい人から見れば全くなっていない読み方なのかもしれません。
だけど、自分なりに食わず嫌いで持っていたイメージを壊せたのだから、それは嬉しかったです。
今の時点でとても好きな詩が、「おもおもしい時間」「秋」「恋する女」「しずけさ」の4つです。
「秋」はリルケの代表作とも言える作品らしいです。
4つとも、なんとなく目を引かれた作品で、その後しっかり読んでみると共感するような感覚もあれば、全く異質の感覚を側から見ているような気分にもなりました。
なんだか特に惹かれる、好きな作品です。
今は、「おもおもしい時間」と「しずけさ」が特に好きかもしれません。
YouTubeで詩を読んで、その音声をあげている人もいるらしいのですが、確かに声だとよく眠れそう…。悪い意味ではなく、落ち着く気がします。
ぜひ、読んでみてください。
最後に
ということで、今回は白鳳社の『リルケ詩集』を読んでみました。
まだ読み終わっていないので、今年中に読み終わりたいという気持ちもありつつ、急かさずに少しずつ読んでいきたいという気持ちもありつつ…。
前半で書いているように、読むことに割と勇気がいる人もいるかと思います。
本は読むけど、全く詩には興味がないという方もいるのでは。
それでも、言葉を使って何かを表現しているという点では同じです。
ぜひ、興味を持った方がいらっしゃったら、読んでくださると嬉しいです!
最後までお読みくださりありがとうございました。ちょっとブログを書くのが久しぶりすぎて、文章を書いていてこんな文章でいいんだっけ…?と少し焦りながらの投稿です(笑)。これからまたちゃんと書いていけるといいな〜と思っているので、よろしくお願いします!