うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

東京都美術館 Everyday Lifeと、上野の記憶

こんにちは。ブログを読んでくださっている皆さん、今日もお疲れ様です!

今日は、冬休みに行った博物館などの記録を書きながら最近思ったことを書いていこうと思います。

 

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 私は、冬休み中に用事があったため東京に行ったのですが、上野近くでのことだったため、久しぶりに山手線に乗って上野の博物館に行ってきました。

行ったのは、

  1. 東京都美術館
  2. 東京音楽学校奏楽室
  3. 東京国立博物館

の3つです。

最初都美術館に行ってから科学博物館に行こうかと思っていたのですが、科博は予約制だということを完璧に忘れていたため、科博には残念ながら行けず。

雪の日だったため外をぶらりと歩くこともできず、結局近くにあった旧東京音楽学校奏楽堂に行きました。

そして、別日にまた時間があったため上野の東京国立博物館に行ってきました。

一箇所はもともと行く予定がありませんでしたが、3箇所全てとても面白かったです。

 

 

 これから、数個の記事に分けて博物館の記事を書いていこうと思います。

まず、都美術館から

 

私が行ったとき、都美術館では

  • 上野アーティストプロジェクト2021「Everyday Life: 私は生まれ直している」
  • 東京都コレクションでたどる<上野>の記録と記憶

の2つを展覧会として開いていました。

Everyday lifeの方はあまり何が展示されているか知らなかったものの、昔上野の下町博物館に行ったこともあり、記録と記憶の展覧会は楽しみでした。

 

 多分東京都美術館って初めて入ったんですが、かなり広めのエントランスに加え展覧会として開いていたのはそのうちの一部。

あまり時間がなくゆっくりとは見られませんでしたが、他に何が見られるのかもう少し調べておけばよかったです。

 

 

Everyday Life: 私は生まれ直している

 

 二つの展覧会は併設されており地下が上野の歴史、地上がEveryday lifeといったふうに分かれていました。

まず見たのは、Everyday lifeの方。どうやら第5弾目の上のアーティストプロジェクト展覧会らしく、戦前から現代までの6人の女性作家の作品を飾っていました。

 

特に記憶に残った作品がいくつかあるのですが、残念ながらそのうちのいくつかは写真を取ってはいけないもので…

桂ゆきのコラージュ画、貫田洋子の津軽こぎん刺し(糸を編んで刺繍したもの)、川村紗耶香の和紙を使った作品、色々なものがありました。

 

その中でも特に綺麗だと思ったのは、まずガラスで作られた小曽川瑠那作品でした。

「けしきを織る」という題名で用意されたさまざまな模様の入ったガラス。

展示灯も相まって、想像が膨らむような幻想的な空間だったように思います。

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そして、極め付けは『息を織る 2021』でした。

この作品は、ただただ同じくらいの大きさの丸いガラス玉が何十にも吊り下がっている…というもの。

 

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正直最初に見た時は、「めっちゃ映えそう…」という感想でした。

しかし、説明書を読んでみると「一つ一つが息を吹き込んで作ってあるもので、それぞれの形は違う」そうです。

飾られているのは2021年のものでしたが、ホームページには2015年のものの説明がありました。時期が違うだけで、作っている工程などはほとんど同じだと思います。

 

ガラスを記録メディアと捉え、現在、命の痕跡や消えゆく風景、慣習を記録する方法を探っている。

病気を患ったことで、自身が生きていた痕跡のようなものを残したいと考え、

取り組み始めたこの作品は毎日ガラスの球を吹くことを起点としている。

見えない息が可視化された時、生きていることを実感する。喜びの瞬間の記録でもある。

 

こんなに綺麗な「息の形」があるんだな、と。

それぞれのガラスに、いつのものなのかちゃんと日付が書いてあるんです。

それがいくつも積み重なって、『喜びの瞬間の記録』となる。

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ただただ単純に、綺麗だな、美しいな、と思いました。

ガラス作品にここまで意識を取られるってほぼ初めての経験だと思うんですが、家に帰っても「小曽川瑠奈」の名前を検索して、作品を探しました。

技術がどうとか、細工の仕方とか、そんな知識は私にはありません。

でも、もっとこの人の作品を見てみたい、と思わせるものがあったんだと思います。

 

そして、そのガラス作品の展示室の横に、同じく記憶に残った人の作品がありました。

その人の名前が、常盤とよ子。

Wikipediaでは、「日本における女性写真家の草分けの一人」として紹介されています。

その紹介に違わず、彼女は戦後すぐに横浜でカメラを抱え、その中で生き抜く女性の姿を撮影。

その後は女流写真家協会を作るなど、カメラ界に大きく貢献しています。

 

展示されていた彼女の写真は、いわゆ洋パンを撮ったもの。

洋パンとは、在日米軍将兵を相手にした街娼のことです。

彼女は当時の横浜真金町遊郭地域に出かけ、そこで米兵相手の女性たちの姿を隠し撮りすることからはじめました。そのうち女性たちが検診を受ける病院や遊郭の室内での撮影も可能となり、「同性の側から見る彼女たち」を取ろうとしていたのです。

それから、「働く女性」に焦点を当てた写真をより多く取るようになり、売春防止法成立の後は女性たちの更生寮にも目を当てるようになりました。

 

今まで触れたことのないテーマで、正直驚きました。

歴史の裏に隠されることの多い売春婦という存在。

その存在に真っ向からカメラを向け、展示されるほどの枚数をとってきたということ。

こんなテーマで写真を撮る人がいたんだ、と思いました。

 

一応カメラも持っていて、学校の写真部にも入っています。単純に「生活の一部を切り取る」ことができるという面でも、憧れます。

別に自らカメラを見てポーズしているわけではありません。本当に、生活の一部を表しているんです。

しかも、題材が題材です。

私たちにとっては「非日常」のことでも、彼女らにとってみればそれが10年余りの「日常」だったんです。

 

写真が艶めいたものなわけではありません。

夜の仕事を始める前の、化粧をしている姿。

家に向かって歩いている姿。

洗濯をしている姿。

特別なものがあるわけではない、普通の生活と一瞬錯覚します。

 

それでも、アメリカ兵と一緒に歩いている姿や病院で検診を待っている姿を見るとその途端に彼女らの職業を思い出します。

歴史的に彼女らの存在がどう扱われているのか。

そのことについてこのブログで触れたいわけではないのですが、どう言葉にすればいいのかわかりません。

 

ただ、強烈な写真だな、と思いました。

興味を惹くし、もっと見てみたい気持ちもあります。

でも、一言で「いい写真」というのは何か違う気がする。

 

ガラス作品もそうですが、この作品も、「綺麗だな」と思います。

人が生きている姿が、その一瞬が、カメラの中に収まる。

それが、綺麗だと思います。

 

以上が、「Everyday Life:私は生まれ直している」の感想です。

特に印象に残ったお二方を紹介しましたが、私のカメラロールにはもっとたくさんの作品が残っています(もちろん写真撮影可能な作品のみです)。

原爆の作品、雨が降っている作品、冬の山の作品、温かみのある作品もあれば、突き放されたような印象を受けた作品も。

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美術館って、やっぱりいいな、と思いました。

 

上野の記録と記憶

そして、満足した後にのぞいたもう一つの展覧会が『東京都コレクションでたどる<上野>の記録と記憶』

江戸末期から昭和時代までの、「上野」を扱ってきた作品が多く展示されています。

こちらは、その地域の資料を時代別に展示した郷土資料館の豪華版のようなもの、という印象でした。

 

明治時代の作品の中から驚いたことを挙げるとしたら、まず1番に上がるのが

不忍池が明治時代には競馬場として扱われていた」ということ。

競馬に少しハマっている身としては、かなりの衝撃でした。

子供の頃に何回か言っていた、あの不忍池が競馬開催地だったなんて!!

使われていたのは8年ということでしたが、確かに展示されていた絵では、ジョッキーの服がダボついていたため時代を感じました(今はシュッとしています)。

まあそれはいいとして、昔の上野の姿を知る機会も特になかったため、こうやって博物館や動物園ができる前の上野の姿を文章や絵で見ることができたのは貴重な機会だったな〜と思います。

 

そして、時代は私の知っている上野に変わっていきました。

まずは、大正時代。その出来事が起こった数ヶ月後に描かれた絵でも、その悲惨さはとても伝わってきます。

大正12年9月1日、関東大震災です。

今でも小学校の時から教わる、防災の日のきっかけとなった大震災。

上野ももちろん被害を受けました。

 

あの地震では、地震の大きさももちろんのこと、昼食準備の時間にちょうどかぶっていたため火災での被害がもっとも記憶に残るものとなりました。

 

(今回は行きませんでしたが、私の好きな「江戸東京博物館」。両国駅が最寄りなのですが、近くに横綱町公園という公園があります。関東大震災による被害がもっとも沖勝った場所の一つであり、記念碑と復興記念館が立っています。本当に小さい時に記念碑を見た記憶はあるのですが、もう一度行きたい場所のうちの一つです。)

 

関東大震災を見た人が描いた、大震災発生当時の火に塗れた姿。

そして、その震災の後の復興を遂げた「新東京百景」。

自分の知っている上野に近づいたような気がしました。

 

そして時代は昭和に

やっぱり印象に残るのは、戦中・戦後の上野の姿です。

特に印象に残ったのが、桑原甲子雄さんのとった「出征軍人留守家族記念写真」です。

これは、出生に出かける前の軍人さんとその家族をとったもので、数十枚飾ってありました。家族4・5人で写っている写真もあれば、お母さんらしき女性と軍服を着た若い男性で写っている写真も。

よく言われる「死んだ兵士にもそれぞれ家族はいる」という言葉

それを肌で感じたような気がします。

 

当たり前のことですが、出征した軍人にはそれぞれ家族がいて、中にはお母さんを一人で残していかなければいけなかった、という人もいたはずです。

そして、結果的に帰れなくなった人も多くいました。

写真で残っている家族数十組だけを見ましたが、上野に限らずどの地域でもこういうことが起こっていたんだと思うと色々と考えてしまいます。

 

戦後の上野も、二段階に分けて展示されていました。

まず戦争直後の、上野の「暗」の部分

地下道に寝転ぶ人々の姿をスケッチしたものです。

子供たちだけがうつっていスケッチもありました。

体全体というよりは、体の一部にピントを合わせてその情景を描いています。

「悲惨」という言葉を使うことが正しいのか、わかりません。

今の生活水準から行ったら「悲惨」という言葉も間違っていないと思うのですが、それはそこで生活していた人にとっては日常だった一コマです。

その後、上野はまた発展していき高度経済成長期に写っていきました。

ここまでくると、親しみやすい動物園などの作品が増えて、知っている上野になります。

 

知識として新しく得たものは、そこまでなかったと思います。

戦後の暮らしなども、色々な写真集に乗っているものと比べてとてもインパクトがあると言ったものではなかったと思います。

だけど、こうして私の知っている「上野」という場所が明治時代からどういう歴史を歩んできたのか、という形で示してもらうと、知識を得た、得ないだけでは収まらないものがあるんだと思います。

より身近に感じるというか、歴史をただの一ページとしてではなく、その地域の人に注目する形で学ぶことができます。

 

最後に

東京都美術館は、最初は「めっちゃいきたい!!!」というわけではなかったのですが、いざ行ってみると色々な出会いもありましたし、発見もありました。

1番の出会いは、やっぱり小曽川瑠奈さんのガラス作品でしょうか。

まだ時々ネットで検索して、どんな作品があるのかを調べています。

 

本当に楽しかったし、これからはフェルメールが来るはずなので、フェルメールも都美術館で見てみたいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございます。思ったより長くなってしまいましたが、東京都美術館の感想を書いてきました。次からは他の博物館の感想を書いていこうと思います!