うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

「言葉」のもつチカラ。

こんにちは。いつもお疲れ様です!

やっとテストが終わったりしたので、色々と最近を振り返って日記をつけていこうと思います。

去年の夏。

今回は、「言葉」について。

最近強く思うこと、少し苦しいこと、そして嬉しかったことについて書いていきます。

 

言葉って、なんなんでしょう。

何かしらの意味を持つ、話したり書いたり、聞いたり読んだりするもの。

 

それは、ただの音の羅列ですが、その音の羅列には大きな力が込められています。

それはもう、ただの「音」に止まらない大きな何かが。

 

ISAKの桜。



私は、人の放つ「言葉」に影響されやすい方なのかな、とこの頃思います。

対象が自分ではなくても、人の話している内容に感情が大きく影響されやすいというか。もしくは、「真面目」なのかもしれません。人の放つ冗談や、少し強い意味を持つ言葉に対して、表面上は笑って流すことができても、内心ではかなり考えてしまいます。その「言葉」を選んだ意味が必ずある、と考えてしまうからです。例えば、「真面目」という言葉でも、「律儀」「素直」「実直」もしくは「生真面目」など、いろいろな類義語がある中で、なぜ「真面目」という言葉を選んだのか。

 

基本的に、私は「一つ一つの言葉にそのまま意味がある」というふうに考えています。そもそも言葉は自分の意思や想いを表すもの。一つ一つの言葉に意味があることは当たり前ですし、その意味が他の人に渡って初めて意思の疏通が可能となります。

だからこそ、私自身が深く考えずに話したら(かなりそういうこともあるんですけど)、その後振り返って自分にがっかりするし、もっと成長しなきゃな、と思います。そして、例えばあまり知らないことなのに言い切っているなど、言葉にあまり責任を持っていない人と話すことには苦手意識があります。

笑いとノリだけで全てが成立する会話には昔からついていけませんし、何か議題があって話す方が内容が確立しやすい(意味のあることを話しやすい)ので好きです。

 

今週は、誰かの言った言葉に大きく影響を受けるということが何日か続けてあった週でした。嬉しい言葉が投げられた時には、もちろん嬉しくなります。ですが、少しネガティブな言葉を聞いたり言われたりすると、自分に関係がないことだとしても自分にもネガティブな影響がありました。疲れている時には、さまざまな言葉が飛び交う場所(例えば食堂など)にはあまりいきたくないなと思いますし、人が話している空間(何を言っているのかがわかる空間)に行くことが結局自分を消耗させます。

 

そこまで影響される原因の一つには、まず自分が言葉を大切にしたいと強く思っていることが挙げられるでしょう。自分の言葉に責任を持ちたい、一つ一つの言葉に人の気分を変えられる力があるのだから、その力を自覚した上で使いたい。

そして、自分のコミュニケーションスキルに対する不安もあると思います。元々わかっていることですが、自分はあまりコミュニケーションが得意ではありません。というか、人と話すのは好きですが、人と一緒にいる時間よりも自分で一人で過ごしている時間の方が自分の安定につながります。自分の発言で誰かを知らないうちに不快にさせていないかとか、そういったことを必要以上に考えてしまうので、結局自分がすでに仲良い人たちと話している方が圧倒的に落ち着きますし、楽しいんです。

色々な人と話してみたいんですが、少なくとも大人数の中で軽い雑談をすることには苦手意識があります。一対一ならともかく、確固とした議題も無ければ自分の得意分野でもない話題では何を話せばいいのかわからなくなってしまうというか。これは、単純に自分に求められている役割がわからず、自信のないまま言葉を発することに対して恐れがあるからなのかな、と最近思うようになりました。

もちろん他の要因もあるのかもしれませんが、「言葉」ってやっぱり、花にもなれば刃にもなると思います。自分にそんな意図がなくても人を喜ばせることができるし、逆に人を傷つけることができて。

そんな言葉の力をこの頃色々なところで目にしたからこそ、自分がその「言葉」を使いこなせるか心配になって、さらに人と話すことに少し萎縮してしまった1週間でした。

 

とは言いつつも、仲良くしている人たちとは普通に話していますし、萎縮といってもせいぜい人が大人数いるところにはあまり行かない、程度のことです。

先ほども書いた通り、言葉は花にもなり得ます。誰かが褒めてくれた、慰めてくれた、寄り添ってくれた。もしくは何気ない日常の中で嬉しくなるようなことを言ってくれた。そんなこともありました。

尊敬している先生に大学用の推薦状を書いてくれないかお願いしたら、「君ならもちろん!」と言われ(そこまで成績がいいわけでもないので常套句なのでしょうが)、とても嬉しかったこととか。友達と話してたら英語が上手くなってるって言われたこととか。あと、別に私に関係なくても、プロジェクトだったり自分の好きなことを熱のある言葉で伝えられると、その熱が自分にも伝染して、色々な挑戦をしてみたくなります。

 

家の近くの公園。

楽しいこともあれば、時々苦しいこともある言葉の使い道。

自分自身の弱みも、それに対する付き合い方も、この17年でなんとなくわかってきました。

 

小さい頃から本で感動をもたらしてくれて、「花散らしの雨」なんて言葉があるほどに表現が多様な日本語を、もっと知りたいなと思います。英語もそうですが、言語に対して失礼にならないように、自分の納得できる使い方をしたいです。

そのためには、それこそ読書だったり会話だったり、こうしてブログを書いたり、言葉に触れること、言葉を発することが大切なんだと思います。

 

まだまだ足りないところ、補わなければいけないところがいっぱいあります。

自分の言葉の使い方をもう一度見直してみれば、さらに周りの言葉の使い方や発言内容に影響されるようになるのかもしれません。もちろん人それぞれ、自分の発言に対する意識は違いますし、それを押し付けることは無謀というか、してはいけないことです。だから、自分に対してと他人に対してを上手く切り話せればいいのですが、それが上手くできるようなら悩んだりはしないでしょう。

その上で、私は周りの会話に苦手意識を持ちながら入るよりは、まず自分の落ち着く言葉の使い方をする方を選びます。好きな作家さんの言葉に触れたり、こうして自分で文章を書いたり。とりあえずはそこから始める方が、自分の言葉に自信も持てるし、最終的には一生付き合うのは友達じゃなくて自分なので。

まあ、有り体に言えば人と話すの怖いから自分の空間にいたい、というめちゃくちゃ陰気な思考ですし、ISAK(私の在籍している高校)で人と話さないなんてなんのためにここにきたんだ、という感じにもなります。

もちろん話さないわけではなくて、普通に学食で大人数で座ってご飯を食べることもよくありますし、化学や歴史をクラスメイトと一緒に勉強することもあります。自分がその時にどこまでならうじうじしないでいられるのか、それを考えながら、消耗しすぎないような人との付き合い方をしたいなって思いました。

 

ここまで勢いで書いてきて、予想以上に雑で長い文章になってしまいました。

読み返してみて改めて、私って人付き合い苦手なんだなあ、と思いましたが、私の家族は基本インドア、一人の時間大好き!系の人たちなので、ISAKにいるから余計に悩んでいるだけなのかな、とも感じました。家にいれば、言葉を大切にしたいとか、大人図で話すの苦手とか、そう言った私の思考は多分普通なので。

そう考えれば、寮生活だからこそ普段ふと思うことが積み重なってのしかかったりすることもあるけど、結局は自分の生き方というか、好きなこと、好きな空間を再認識しただけとも捉えられます。

あまりネガティブな方向には深く考えすぎずに。テストでのストレスで体調も万全とは言えないので、そういったことも影響していたんでしょう。

言葉を大切に、言葉に責任を持って、一日一日を過ごしてみたいです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。突然整理しよう、と思って書き出した記事。予想より雑で長くなってしまったので、ここまで読んでくださった方々には感謝感謝です。また時間もできてきたので、ブログ更新頑張っていきます!!