うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

ISAKでの「革新的な教育」に関するカンファレンス

皆さん、お久しぶりです(汗)。うぐいすです。

今回は、ISAK(アイザック)という学校で行われたカンファレンスにいってきたので、それに関する記事を書こうと思います。

 まず、UWC ISAK Japan とは長野県の軽井沢に位置する3年生の全寮制インターナショナルスクールです。キャンパスには、多くの国から来た人たちがいて、それらの人々が学校で国際バカロレアという教育法をもとに学びます。73ヶ国の留学生が、一つ所に集まって学びます。ISAKには、多くの国からの学生だけでなく、先生も色々な国から来ていて全ての授業が英語で行われます。

 また、ISAKの特徴として、国際バカロレア(IB)のカリキュラムを取り入れている事もあげられます。IBとは授業の仕方の事で、日本の教育とは大きく異なります。例えば、ISAKでは教材は先生が作るか、新聞など時事問題を扱っている物を使います。また、授業の仕方も先生から生徒への一方通行ではなくて、ディスカッションやディベートなど、各自が話し合い深められるような物となっています。教師はファシリテーターとして、生徒の意見を整理したり学習の手助けをする存在となっています。教室も、一つの教室に固まって座る事はなく、授業によってどこでやるかが決まります。座る席は等分したように綺麗になっている訳ではなく、生徒が話しやすいよう、バラバラになっています。生徒数も、公立校なら30人いるのが普通ですが、ISAKでは15人と人数がとても少ないです。また、国際バカロレアの評価法は、海外でも正確だと認められています。外部評価として、生徒と関わりのない先生にテストなどで評価してもらい、内部評価として、IBで決められている細かい基準から担当の先生が評価をつけていきます。

 日本でも、IBが推奨され始め、2018年までにIB校を200校作るという計画を政府が立ち上げました。目標には達しませんでしたが、今日本でIB校は広まってきています。

 今回は、そんなISAKで開かれた教育に関するカンファレンスにいってきました。長野県に引っ越しした事で行きやすくなったのがうれしいです。

このカンファレンスは、午前9時から午後4時までの7時間にわたって行われました。この目的は「近代の情報社会に置ける、リーダーシップと、変革を起こす教育についての対話を強化するよう日本中から集まった教師・生徒に促す事」です。ざっくりまとめると、時代とともにかわる教育に目を向けるためつくられた機会でしょうか。

 プログラムは、休憩を挟み三つに分かれた形になります。まず、社会の変化と教育について3人の方が話し、次に、ISAK関係者の4人の方が話します。そして、ご飯と校内見学を挟み、インフルエンサーと呼ばれる3人の方がお話をします。最後に、学校設立者の方が少し話をして、Q&Aをこなした後終了する感じです。

 話は日本語か英語で行われ、同時通訳も行われるとともに、終了後に日本語の場合は英語、英語の場合は日本語で、一分間で要約が話されます。なので、英語がわからない人でも大丈夫な仕組みでした。

 話は正直私には難しくて良くわからなかった所もあったのですが、いくつかを紹介しようと思います。

 

 一番最初に話された方は、ISAK卒業後会社を作り、3Dアバターを使ったカラオケアプリを開発しました。最初は全く売れなかったのですが、利用者に欠点を聞いて改良した所、2週間で500人以上のユーザーができ、よいレビューも多くなりました。

 このかたは実体験を通して、「世界を変える事はそう簡単にできる事ではないし変えられるのは本の人切りの人間だ。そして、世界を少しでも変えたいのなら、一歩一歩進んでいき、小さい事も見逃さないようにした方が良い」とおっしゃっていました。

 

また、ISAKの在校生からも、スピーチをした人が何人かいました。その中の一人は、ベネズエラ出身の方で、「教育を受ける事が夢」という方でした。

 彼女はベネズエラで教育を受けたいと願っていましたが、大統領が代わった事による混乱や、大規模な停電、ストライキによって、学校に行けない事が多くありました。トラブルに続くトラブルの中、学ぶために大学受験を受けようとしましたが、学校に満足に行けていなかったせいで、受験に出る内容をしっかりと学習できていませんでした。一般的な知識を知らなかったのです。

 彼女はそこからがんばって勉強し、最終的に4つの大学を受け3つの大学に受かりました。それとは別に、受かるはずがないと思っていたISAKにも受かったので、今は軽井沢で勉強しています。彼女のいっていた事は、「やる気で勉強はできる。そして、勉強をただ教えるだけではなく、学ぶ方法を示してくれる先生が学びには大切だ。そして、課題の後の先生によるフィードバックは大切にしなければならない」という事でした。

 

 他にも、不確実性についての話や指数関数的な変化など、色々な話がありました。

特に、脳科学にもとづいた教育を重視した人の「500分の1という数字を大きく見るか、小さく見るか」という話がありました。たとえ確率が低くとも、500回やったら必ず1回にたどり着く、あり得ない事はないという話が、とても印象に残っています。

 

今回のカンファレンスは少し内容が難しい面もありましたが、今どのように教育が動いているのかを知る良いきっかけとなったと思います。とりあえず、私なりに理解は多分できたので、そこはとてもうれしかったです。最終的にこれをどう生かしていけるかはまだわかりませんが、良い経験になったのではないのでしょうか。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。英語で話された部分も多く、日本語でも知らない単語がいくつかあったので、正確に書けていないかもしれません。間違っている所がありましたら、遠慮なくコメントください。

 

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DAncing Einstein(ダンシング・アインシュタイン) – 未来の教育と学習をデザインする

ISAKのホームページと、カンファレンスにいらしていた会社のホームページです。

 

ご報告:引越ししました

 こんにちは。うぐいすです。今回は、引越しのご報告をしようと思います。

今まで都内に住んでいたうぐいすですが、今回引っ越ししました!父親の仕事の都合で、長野県に家族で引っ越す事になりました。

 私のこれまでの引っ越しは、イギリスに行った時だけ(私が生まれてすぐに今までの家に引っ越したそうですが、それはのぞきます。)なので、少し不安ですががんばろうと思います。

新しい家は一軒家で、築5年ほどの綺麗な家です。家にある暖房器具が〈薪ストーブ+ホットカーペット+小さい電気ストーブ一個〉という装備で、薪ストーブをうまくつけなければ冬を越せません。長野の冬は、“東京の気温−10度”という感じで、本当に寒いです。ちなみに今もまだ寒いです。氷点下普通にいきます。だから、薪ストーブをうまくつけようとするのですが、いかんせん薪ストーブなんて見るのも初めて!な家族ですから、悪戦苦闘してばっかりです。

 薪をまず割って、ストーブの中に小枝などと一緒に入れて燃やす...  書くとこれだけなのですが、これが難しすぎます。

 まず、薪は丸太をチェーンソーでサイズを小さくしてから斧で割るのですが、そのチェーンソーがありません!引っ越してすぐなので、チェーンソーがないのです。前に住んでいた方が丸太を斧で割れる状態にして少し残してくれたのですが、それもそろそろ残弾わずか...  本当は、薪の状態にしてから乾かさなければいけないのですが、その時間も取れません。それに間に合わないほど薪の消費が速いのです。

 次に、薪と一緒に燃やす小枝を拾います。もちろん細い方が火は速く移りますが、少し太い物も用意しないと薪に燃え移る前に消えてしまいます。だから、枝のサイズもピンからキリまである方が良いです。松ぼっくりも火が移りやすいので拾っておくのが良いです。

 そして火をつけます。薪ストーブの中に小枝から薪を細い物を中心に近づけるように櫓状にくんでいきます。くみ終わったら着火材を使って火をおこし、それがだんだんと期に燃え移っていく...というはずなのですが、火(空気)の通り道をうまく作らないとそもそも火がすぐに消えるし、思っている方向に火が燃え移ってくれないので、とても難しいです。木も、松などの木はすぐに火が移るけど火持ちはよくないし、ナラの木などはある程度暖まっていないと火がつかないけど火持ちは良い...  本当はそういう木の種類も考えなければなのですが、そこまで余裕がありません。小枝もすぐになくなってしまいますし、ずっととっている訳にもいきません。

 

という事で、薪ストーブの事も気がかりですが、他にもいっぱい...  例えば、今まで学校への登校時間が5分もあれば十分だったのに、今は30分かかります。忘れ物なんか絶対できません。コンビニも近くにないし、少し今までとは暮らし方が変わると思います。

 でも、近くに山も温泉もあるし、食べ物もおいしいし、学校も新しいし広い(今まではものすごい古い校舎でした)ので、楽しい生活ができると思います!

 

これからもがんばっていきます!それでは引っ越しのご報告を終わります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

ズッコケ三人組はなぜ面白い?

こんにちは。お久しぶりです。今回は、あの有名な「ズッコケ三人組」を紐解いてみようと思います。

 『ズッコケ三人組』は、皆さんもご存知のように、愉快な小学三人組がいろいろな冒険?をくり返すシリーズ本です。1978年に始まって以来、愛され続けて、2004年に50作目の『ズッコケ三人組の卒業式』でシリーズは終わりになりましたが、翌年の2005年から40歳になった『ズッコケ中年三人組』シリーズが終わり、2015年に50歳となった『ズッコケ熟年三人組』で完結。それ以来、三人組は表れていません。

 私は、このうち、『ズッコケ三人組シリーズ』は制覇、『中年三人組』も何冊か読みました。家に『ズッコケ三人組』が多かったわけではなく、5冊あったかどうかというほどだったのですが、私も弟もこの本のとりこになり、月に何回かの図書館では、毎回『ズッコケ』シリーズの前でどの本を借りるか長考&読書を数時間は毎回していました。

ここで、なんでこんなに『ズッコケ』が好きなのかな~と思いました。

この頃は、ズッコケシリーズをそこまで読まず、ラノベをいっぱい読んでいました。だけど、この前ふとしたきっかけで『ズッコケ』をもう一回読んでみたら、昔と同じようにはまってしまって、結局その日は1日ズッコケを読むことになってしまいました。

 ズッコケが面白い理由は、何でしょうか。

まず、題名から行ってみましょう。私は、何か本を選ぶとき、70%は題名で決めます。ズッコケの題名で印象的な点は、やはり全てが「ズッコケ三人組の」から始まることでしょうか。それにより、ズッコケ三人組の存在が強調されているように感じます。

 では、その三人組にはどのような特徴があるでしょうか。ハチベエハカセ、モーちゃん。この三人組が「ズッコケ」のどのようなスパイスとなっているのでしょうか。この三人はキャラが濃いですが、ちょうどそれがうまく折り合ってバランスのよい話しとなっているのでしょう。ハチベエは、どんな危険も大抵は顧みず、突っ込んでいくタイプ。それをハカセが理屈でとどめ、時々起こる軋轢を緩和するのがモーちゃんです。クイズに関する話をしているところから分かりますが、ハカセはいろいろな雑学を知っています。しかし、芸能関係は弱く、スポーツもあまり分からない。そこ埋めるのがハチベエやモーちゃんと、色々バランスが取れています。体の大きさも大中小、この三人のバランスの良さで、ズッコケはおもしろくなっているのでしょう。

 また、「ズッコケ」の話も、いろいろな内容があります。いろいろな事件に巻き込まれ、推理の必要が出てくるような話。学校生活や、放課後に起こる親近感のある話。心霊モノの体験談や、冒険ものがあるかと思えば、タイムスリップものもある。このようなジャンルが多いことから、話に飽きないので、ずっと読んでられるのだと思います。

 

まとめてみて、ズッコケシリーズはうまく作られているなと思いました。面白いのにはそれなりの理由があるのですね。皆さんも是非読んでみてください。

最後までお読みくださりありがとうございました。

丸山昭の「トキワ荘実録」を読んで

 

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お久しぶりです。遅くなってすみませんでした。今回はブクレポを久しぶりにしようと思います。
今回読んだ本は、丸山昭さんの書いたトキワ荘実録 手塚治虫と漫画家たちの青春 という本です。編集者が、相手をした漫画家さんたちのエピソードを書いている文庫本で、漫画文化の花開いた昭和30年代を鮮やかに書いた本となっています。
この本を手に取ったきっかけは、端的にいうと読みたい本がなくなったからです。家には多くの本がありますが、私は新書と名作系が苦手で、ラノベしか読みません。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

時々新書を読もうとしますが、自分の興味に会わなければすぐやめます。そんな感じですから、もともと中身のないラノベが多くない家なので、自分で買った本を読む感じになります。でも、流石にずっとそれだと飽きるので、なにか、小説みたいな読みやすい本がないかと家を漁って出てきた本がこの本です。
トキワ荘は、皆さんご存知のように、手塚治虫藤子不二雄など、多くの漫画家たちが住んだアパートです。このアパートで、どう人が過ごしたのか、どう漫画が描かれたのかなど、多くの秘話がいっぱいあります。

驚いたエピソードはたくさんありましたが、やはりカンヅメの詳細などを読むとひやっとします。 

 手塚先生(どう呼べばいいのかわからないので、本で乗っていたのと同じ呼び方にします)は、色々な出版社に引っ張りだこですから、「何日から何日までは○○社、何日から何日までは○○社」という風に、書く原稿を分けられていました。でも、時々は原稿が遅れることもあるわけです。そういう時、他社に手塚先生を取られたくない編集者は、手塚先生をカンヅメにします。自社でホテルやアパートのような別館を持っているところはそこにすることが多いし、近くに旅館がある場合はそこにすることもあります。しかし、そこに他社の追手の状況と先生の希望が加わると、一気に遠いところに行ったりもします。兵庫の先生の実家に行ったり、京都の旅館に行ったり、時には福岡の方まで大脱走したりしました。この福岡でも先生は気の毒な目に合う…

 とまあ、こんなエピソードがいっぱい詰まっていて、ハチャメチャな有名漫画家たちの若い姿はとても面白かったです。石ノ森章太郎赤塚不二夫水野英子など、私が小さいころから知っている漫画家さんたちの失敗談を読むのはなかなかに面白いものでした。

 本自体は、編集者の方が自分のありのままの体験を書いたものですが、それぞれの漫画家さんたちが自分の体験を少し書いてくださり、それが読めるようになっています。所々で出てくるその手記で、当人たちはどのように時代を生きていたのか、よくわかると思います。

 この本は、フィクションの小説ではありませんが、一応小説と名のついた体験談です。普段読まないタイプの本が読めてうれしかったです。興味を持ったら、ぜひ読んでみてください。

 最後までお読みくださりありがとうございました。

 

英検準一級...落ちた報告

 こんにちは。お久しぶりです(汗)。この前やっと学年末テストがあったので、結果が返ってくる今戦々恐々です...

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 さて、今回は、英検準一級に落ちた報告をします。これまで、私は英検と漢検を受けてきましたが、何とか受かってきていました。今回初めて落ちましたが、落ちるには落ちるなりの理由があるのでそれをまとめてみようと思います。

 

 私は、イギリスに一年間行っていたので、話す・聞くは、同じ年の中ではいい方です。中一レベルの書く・読むも一応できます。

 二級を受けた時は、ライティングが七割程度、リーディングが九割程度、リスニングが九割三分という感じでした。一次試験の中で言うと、やはりリスニングが突出している感じはありました。

 対して、今回の準一級の結果は、ライティングが六割三分、リーディングが六割程度、リスニングが六割二分でした。

 二級では一番悪かったライティングが一番よくなっているという事が印象的でした。一番よかったリスニングも悪くなって、すべてのレベルが下がっていました。

 この結果と、受ける前の結果から、私がしっかりやんなかったのは単語だということが分かりました。

 ある一定のラインをこえると、文法などよりも単語の練習が一番大事になるそうですが、私は単語を覚えるのが苦手で、いつも理由をつけて逃げていました。だから、ボキャブラリーがなく、単語の意味を知らないと読めても解けないリーディング、聞き取ることができてもそれが何を意味するのか分からないリスニングが低く、かろうじて自分の意見を書くライティングが高かったけど、それも準一級相当の単語がないことから総じて低かったのかなと思います。

 英検を受けるときには、時間配分も必要なので、長文読解の時は、速読と精読を使い分けるようにしていました。しかし、単語力がないと、どこをしっかり読むか読まないかの使い分けが難しいところがあります。また、一つの単語の意味を覚えたからといって安心できないのが単語学習を嫌いな一つの理由です。例えば、fineという英単語を覚えたとしましょう。これは、「I'm fine」など、英語を習う初めのころによく耳にしますが、この言葉には「罰金」という意味があります。これと同じように、「この単語はこれ!」と決めて文を読むと、まったく意味が変わってきて混乱することが多々あります。

 

 英検準一級を受けてみて、やはり単語を大事なんだなと思いました。だからと言ってすぐに単語を覚えようとしないあたりが私のへなちょこぶりをよく表していますが、せっかく今の段階で英語が得意と言える立場なのだから、このまま言っていくには単語が重要だと思うので、今回の事をきっかけに少しずつ単語を覚えていけたらなと思います。自分のダメなところがよくわかる一件でした。

 最後までお読みくださりありがとうございました。

 

顔真卿展に行ってきました。

 こんにちは。この前、書道に興味を持ったという記事を書かせてもらったので、また書道に関係のある話を書こうと思います。

 

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 1月16日から、2月24日まで上野の東京国立博物館顔真卿にまつわる特別展をやっているのをご存知ですか?→【公式】特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」

  顔真卿とは、昔の中国の書家で、その顔真卿の書が中国から初来日したので、それを見てきました。

 

 書道を習い始めた父の先生が、この特別展を進めてくれたので、家族で休日に行ってきました。

 私が一回目に行ったのは日曜日の午後で、さすがにすごく混んでいるだろうと思っていったのですが、予想通り待ち時間の長さは、特別展の目玉を見るだけで「70分」表記でした。もちろん他にも多くの作品が展示されていて、それぞれの前に人が多くいるので、全部見ようとしたら何時間かかかると思います。

 今回興味があったのは父、私、母で、弟は特に興味がなかったのですが、付き合わせてみんなで行きました。正直、東京国立博物館に行くのは初めてで、博物館の建物のスケールに驚きっぱなしでした。それはともかく、顔真卿展は、大きく分けて三つの展示室がありました。展示室自体は、二つなのですが、先ほども触れたメインの書「祭姪文稿」を展示する場所は、少し区切られて小部屋のようになっているので、三つと言っていいと思います。

 

 

 ここで、書道について顔真卿展で習ったことをちょっと書きたいなと思います。(忘備録なのでよろしくお願いします…)これまで知っていたことが覆されたり、ちょうど学校のテスト勉強の範囲があったり、勉強になりました。

 まず、皆さんが小・中学校で習った習字は、形をきれいにするものでした。線の長さや、角度などに気を付けて書くのが習字でした。でも、今私が書いている「書」は、芸術としての書道です。いろいろな書体を基に、書き手の心情を現して書くものです。のびのびとした字が生まれ、見ていて面白いです。

 書道の歴史の中では、大きく分けて五つの書体が生まれました。篆書・隷書・草書・行書・楷書です。

  まず、篆書というのは文字の中で一番最初に作られた書体です。それこそ中学一年の歴史で習う「甲骨文字」から、秦の時代にできた「小篆」という字体までを篆書体と言います。篆書は、文字のバランスは左右対称ですが、縦の線が長く、縦長に見えます。日本人のパスポートの表紙に使われる文字や、はんこに使われる文字が篆書体です。

 その次にできたのは、隷書です。漢代頃に作られました。これは、「小篆」が簡略化してできやすくした書体です。「篆書」と比べると分かりやすいですが、なんか、うすべったい?気がします。横線が目立って、平らに見えます。日本のお札などに使われています。

 隷書を素早く書くため、簡略化したのが草書です。字画を省略しているので、字体も乱れていてわかりづらいです。様々な工夫のおかげで芸術的な書体となり、何通りもの書き方があるので、勉強した人でないと読めない場合もあります。

 隷書を続けて書くようにして生まれたのは行書です。草書までは簡略化されてなく、私達が普通に使う書体でもあります。

 そして、字画を続けずはなして書いたものが楷書です。行書よりも後に生まれました。今は、この書体が基本的なものとなっています。唐の時代ごろには、書体がきれいになっていき、楷書を高める多くの書家が登場していきました。

 

 その書家の中の一人が、顔真卿です。顔真卿は、それまでの楷書の書き方を覆す、新しい書き方を確立しました。

 それまでの楷書の書き方とは、王義之が確立した書き方で、流れるような清楚な書法でした。中国の役人を決める科挙という試験でも、王義之の書体を使わなければ受からないほど、中国ではやった書体です。王義之は、「書聖」と言われるほどの人物でした。

 それに反し、顔真卿の確立した書体は、力強さと穏やかさを兼ね添えた書体といわれています。確かに、素人感想ですが、一本一本の線が太くて、しっかりしている気がしました。王義之と顔真卿は、二大宗氏と言われています。また、顔真卿は、楷書の四大家ともいわれています。

  

 顔真卿展では、「祭姪文稿」と言われる、顔真卿が死んだ身内を悔やんで書いた文で、その激情のあふれが有名な作品がメインとなっています。

 顔真卿だけではなく、王義之や、欧陽殉などの大書家の作品も多くあります。

作品自体は、中国の方が多くいて、見やすくはないのですが、パネルでもしっかり書の歴史が説明されていてわかりやすくなっています。音声ガイドもあるし、作品の概要が分かりやすいので、たのしめると思います。

 「李氏の四宝」と呼ばれる四つの作品が紹介されていたり、あの楊貴妃で有名な玄宗皇帝の書もありました。玄宗には悪いイメージしかなかったのですが、意外ときれいな字を書いていて、ビックリしました。玄宗の作品は、唯一写真でとっていいもので、また、天井からつるしても余るほどでした。

 日本の作品もあり、空海最澄の作品などは、あるのにびっくりしました。弘法大師の作品は、王義之よりも顔真卿のような力強い書に似ていたと思います。

 私は、この展覧会に二回行きました。一回目は、日曜日の午後、二回目は水曜の午前です。一回目は、書いた通り凄くこんでいましたが、水曜も結構混んでいました。

 一回目は、第一会場と第二会場どっちに入ってもいいと言われましたが、二回目は第一会場は混んでいるから第二会場から入ってと言われました。でも、水曜日の方が混み具合はひどくないです。

 

 ということで感想を終わります。...なんか展覧会の感想よりも知識の方が多かったかな?書の知識が全くない弟もまあまあ楽しんでいました。ぜひ行っていてください。最後までお読みくださりありがとうございました。

 

  

 

書道をかじってみました。

 今回は、私の体験談を書こうと思います。12月ころからなのですが、私はほんの少し書道を書家の方に習うことができました。

 冬休みに必ずと言っていいほどある宿題は、書初めです。それに加え、都展にも出品してみたいなどと思い、もう一枚書いてみました。

 私は、保育園のころからイギリスに行くまで習字を習っていたのですが、まったく熱が入らなくて、ただ通っているという状態になっていました。

 それが、小6の時の書初めで、比較されるなら上を目指したい!と思い、父にも驚かれるほど家でも練習するようになりました。生徒会に入ったときも、選挙の前にたすきのようなものを作らなければいけなかったのですが、当時の生徒会長が毛筆で書いているのを見て、私も筆で書きました。そういうこともあって、習字の課題が国語の授業で出た時には毎回家で寝る寸前までやっていました。

 そんな姿を見て、母の知り合いの書家の方に書道のレッスンを受けていた父が、一緒にどうかと声をかけてくれました。その時は、習字と書道の違いなんて知らなかったのに、「なんか面白そう」と思って承諾しました。

 受けてみて、まず思ったのは、常識が覆ったということでした。だってそれまで、形をとにかくきれいにすれば褒められると思って書いていたのに、結果は大事じゃないと言われたのです。先生(書家の方)は、体を使って筆を運ばせていました。手首をつかうのではなく腕を肩から動かして書いていました。

 しかも、「集中したいなら音楽などかけずに」と多くの人は言うのに、先生は、自分の好きな曲を聞いてリラックスしてから始めた方がいいというのです。いろいろと変わっていく常識にびっくりするとともに、学校での授業と、書を何十年もやっている人との授業は違うな、と思うことができました。

 書いた字も、腕を目いっぱい動かして、楽しみながら書くと自然といい感じになるのも驚きました。自分で楽しんで書けたらそれがいい、と心から思えました。

 結局、行書で書いた「青雲大志」は銅賞でした。負け惜しみになりますが、銀賞・金賞を書いた人でも、これは手首だけを使っているな、とか、これは形を大切にしているな、とか、延筆がみえない作品もありました。でも、私のクラスの金賞の人は、すごく上手くて、堂々としていて筆の動きも本物だなと思いました。(って言ってもそこまでわかるわけじゃないんですけどね…)

 都展に向けては、「岩ばしる 水の響きや 梅探る」という、久女さんの作品を書かせてもらえました。書家の先生が詩文書が得意だったこともあり、いい作品が書けたのですが、その金賞の人の書いた作品が都展には選ばれました。

 詩文書というものは、滲みとかすれが大切らしく、私の作品もすごく滲みとかすれがあるものになったのですが、同級生は、なじみがないので不思議がっていました。私も、書道を習っていなかったらそうだっただろうなと、いい体験をしたなと思いました。

 

 今回はこれまでです。次回も書道に関係のある記事を書くかもしれません。よろしくお願いします。最後までお読みくださりありがとうございました。