うぐいすの音

16歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

高校の授業で詩を作ったので、載せます!

こんにちは!寒さも厳しくて、毎日震えながら起きています…。

 

 

冬休み中に、学校では詩の宿題が出ました。

休みに入る前に詩について簡単に学び、いくつかの詩にさらっと目を通して表現技法などを学びました。そこで学んだことを参考に、冬休み中に自分で詩を一編作ってみよう!という宿題です。

 

 

 

 

今回は、ただ作った詩を載せるだけだと少し味気ない気がしたため、詩を載せて、その後にどうやって作ったかをかいていきます。といっても、詩に全く詳しくない一般の高校生のため、暖かい目で見てくれると嬉しいです!

 

目次

 

作成した詩

ぼくのすきなひ

さく・あまみ あめ

 

さんさんしくしくぽとぽとざああっ

ざんざんばんばんだんだんぴかりっ

 

まどからみどりのかっぱがみえる

かえるのかっぱがみちをまう

それをあわててかさがおう

みずたまもようのかさがおう

 

みまもるかさはもりのいろ

あいいろ、こんいろ、うすぐんじょう

やまぶき、まつば、こけのいろ

 

それをじゃましてしずくがぽとり

わたしをみてと、またぽとり

しゅやくはわたしとついでにぽとり

 

しずくはやねをとびこえて

しずくはがらすにえをえがく

 

さんさんしくしくぽとぽとざああっ

ざんざんばんばんだんだんきらりっ

 

ぼくのすきなひ、あめふるひ。

 

 

作り方、思ったことなど

上記の詩が、私がお風呂上がりに髪を乾かしているときに思い付いたものです。

リズムに乗せて朗読をしてみれば、思っていたよりもよくできたかもな〜と満足しました笑。

実は、この詩は昔から好きだった詩に限りなく影響を受けています。谷川俊太郎の『詩ってなんだろう』という詩集に載っていた、山田今次の『あめ』です。

 

あめ

山田今次

あめ あめ あめ あめ

あめ あめ あめ あめ

あめは ぼくらを ざんざか たたく

ざんざか ざんざか ざんざん ざかざか

あめは ざんざん ざかざか ざかざか

ほったてごやを ねらって たたく

ぼくらの くらしを びしびし たたく

さびが ざりざり はげてる やねを

やすむ ことなく しきりに たたく

ふる ふる ふる ふる

ふる ふる ふる ふる

あめは ざんざん ざかざん ざかざん

ざかざん ざかざん  

ざんざん ざかざか

つぎから つぎへと ざかざか ざかざか

みみにも むねにも しみこむ ほどに

ぼくらの くらしを かこんで たたく

*1

 

この詩は子供の頃に家族でよく読んでいて、その独特な擬音語や踊り出すような雰囲気が好きでした。今改めてみれば、この『あめ』の人たちの暮らしの厳しさが目に浮かびますが、子供の時はそんなことは全く考えず、ただただ音に出して楽しい歌、という印象でした。

 

もともと私の中にはいくつか「好きな詩」というものが既にありました。『あめ』や『へび』などの子供が好きなものはもちろん、谷川俊太郎『朝のリレー』、石垣りんの『崖』や新川和江の『わたしを束ねないで』など。

教科書に載っているものが多いにしろ、そういった意味で「詩」に対する抵抗はあまりないと思います。「詩」というと「ポエマー」など少し揶揄うような雰囲気が連想されますが、絵画も音楽も詩も、全て何かを表現するという意味では一緒ですし。

 

好きな詩があって、あまり抵抗はなかったとはいえ、1から自分で詩を作ることはあまり得意ではありません。何をどうすればいいのかが全くわからないからです。

キーワードを書くといっても、何を書き出せばいいのかもわからないし、ただそこにある風景を描くだけになってしまいます。そもそも、一つの景色や物事で自分がどう思ったかを書こうとしても単なる説明文になっちゃいそうで…。

 

最初は、ちょっと穿った見方をして、叙事詩を書いてみようかとすら思いました。

参考までに…(個人で勉強したまとめです。注意は払っていますが、間違いがあったらすみません。)

  • 劇詩
    • 舞台で上演されることを目的としない、劇形式の「詩」
    • 歴史歌、物語歌、謡曲など
    • 詩劇:詩の形式をとったセリフによる劇
    • 日本で言うと、能楽や歌舞伎が詩劇にあたる
    • そのセリフが文章に起こされて出版されてたりしたら、それは劇詩
    •  
  • 叙事詩
    • 実際に起こったかどうかは抜きにして出来事が述べられていれば叙事詩
    • 昔あった出来「事」を叙(の)べる詩
    • 日本で言うと、平家物語古事記叙事詩にあたる
  • 抒情詩
    • 個人の「感動」「感情」「情緒」を盛り込んだもの
    • 主観の感情を率直的に歌うもの
    • 現在:拡大解釈や詩のあり方の変化が進み、抒情性は全ての詩にあると言われるように
      • エモければ抒情詩(叙事詩や劇詩も含む)

 

ですが、叙事詩を作るとなればもっと何をすればいいのかも分かりませんし、物語になって授業でも「詩」とは認められなさそう。あと、絶対先生が求めているのはそれではないので、諦めました。

 

やり方がわからないなら、何かをパクればいいのでは?と思ったのがその次のステップ。

パクるといっても完全にコピーするのではなく、その詩から発想を得て、それをもとに何かを作ると言うことです。

そこで槍玉に上がったのが、家族で歌詞の美しさについて話していたBUMP OF CHICKENの「魔法の食卓」や、個人的に好きなポルノグラフィティの「今宵、月が見えずとも」。yamaの「春を告げる」など。音楽は指示されなくても聞きますから、歌詞を意識して聞いて、何か使えるものはないかな、と探していました。

 

そして、「魔法の食卓」を参考にしたちょっとしんみりとした雰囲気の詩にするか、「あめ」をもとにしたリズムのある楽しい詩にするかの二択となりました。

*ちなみに、「魔法の食卓」の歌詞は本当に綺麗なので是非聞いてみてください。未来の自分が過去の自分に語りかける内容のものです。

www.uta-net.com

 

 

どうせ作るなら簡単な方がいいよな…と言う考えのもと、お風呂の中で考えてみて、「あ、なんかできそう」となった「あめ」を選びました。本当に軽い気持ちで作り始めたら、雨を窓が叩いていて、その雨粒の向こうで親子が歩いていて…という光景が浮かんだので、そこに要素を追加して行ってできたのが上記の詩です。

 

正直、作り始めたらもうそこからのハードルはぐっと下がると思います。問題はそこまでの道のりかなと。ただでさえ宿題で「指示されて」作るもので、その上「詩」という普段馴染みのないものがテーマです。それなら、自分の好きなものや、好きだったものを使ってちょっとでも楽しみを見出さなければやってられません。

 

わたしが今回作った詩は、個人的にはかなり好きですし、いい出来だな、と自分で思います。初めてに近いとなれば、作った詩に羞恥心を持たないだけでもかなりの出来なのでは。

それでも三連の使う色の名前などは悩みましたし、好きだった「あめ」に比べるといい出来、なんて思えません…(本職の方と比べて落ち込むなんて変な話ですが笑)。

 

冬休みが明けてからの国語の授業では、作った詩をもとに作者を明かさずクラスメイト同士で分析するんだそうです。果たして宿題をやってきたのがどれくらいの人数いるのかは分かりませんが、ちょっと楽しみです。(このブログは冬休み中に書いています。)

 

ということで、今回は自分の作った詩と、それに関して少し思ったことを書いてみました。楽しく作れたし、楽しく振り返りも出来たので満足です。これで、安心して冬休みの残りをダラダラして過ごしたいと思います!といってもこの記事を書いているのが1/5で、あと半週間しかないのですが…。

 

最後までお読みくださりありがとうございました!名前を出した「魔法の食卓」や「今宵、月が見えずとも」など、是非是非聞いてみてくれると嬉しいです。とてもいい歌なので!

*1:引用元:響け!!言霊 第7回“ことばのがっしょう”群読コンクール 参考詩

2022~2023で思うこと 知識を大切に、継続大事!!

あけましておめでとうございます!

今回は、2022年の振り返りと2023年への抱負をかいていきます。2022年内に書いているため、2022を今年、2023を新年としてかき分けていきます。ブログを書くことが久しぶりすぎて、ちょっと文章の書き方を忘れかけているのはご愛嬌ということで多めにみていただけると嬉しいです!

また、この記事は完全に個人の振り返りを目的にしています。無駄に長くて読みづらいかもしれません。ごめんなさい!



 

 

振り返り

それではまず、2022年は何を行ってきたかの振り返りから始めていこうと思います!

2022年1月~3月

今年の始まりは、いつもより少し慌ただしかったです。自分は今人権関係の団体で活動しているのですが、その団体での催し物のようなものが冬休みが終わる前に東京でありました。そのおかげで多方面から私の入っている団体を認知していただき、色々な外部の方とのメールのやりとり、ミーティングなど、始めてづくしのことが多く起こったな、と思います。

 

途中少しパンクしかけた時もありましたが、周りの友達のおかげでちょっとずつ休憩しながら、楽しく過ごすことができました。

 

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また、アルバイトは今いる学校に入る前から少しずつやっていたのですが、団体での活動のおかげでも少しばかり報酬が出て、「働く」ということをより意識した時期でもありました。

 

3月には、私の学校(UWC ISAK Japan)ではProject Week(プロジェクトウィーク)という自分がやってみたいことを自由に試してみる1週間が用意されています。

私はこのプロジェクトウィーク中、自分の興味のある分野の方々にインタビューをしたり、博物館を巡ったりしていました。東京に行き、対面で会えた方々もいます。そこでの経験が今の自分にかなり影響しているなと自分でも思うため、この期間はとても実のあるものとなりました。フォトスタジオも借りて、写真好きな友達と写真を撮ったのもとてもいい思い出です。その時撮った写真はまだ見返すことも多いです。

博物館に行った記録はこのブログでも少しずつ残しています。今年は、とにかく東京国立博物館にハマった年。長野在住のためほとんど東京に行く機会はないのですが、今年は東京に行ったらほとんど毎回東博に足を伸ばしていました。多分4、5回は行ったと思います。本当に最高の場所です。東京に住んでいた間にもっと行きたかったとも思いますが、とりあえずは博覧料が無料の高校生の間にできるだけ足を運びたい場所です。

 

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2022年4月〜7月

そして、3月の終わり(春休みの前ごろ)から学校ではどんどんコロナの影響が…。ちょうどプロジェクトウィークの前ごろに海外の生徒がようやく水際政策の緩和で入国し始めていました。ですが、春休み中に小数名感染者が出て、春休みの最初は隔離から始まったと記憶しています。

そして、その隔離が落ち着いて数週間。4月からは本格的にコロナが学校の中で流行り始め、4月、5月は隔離の印象しかありません。かくいう私もコロナにかかりましたし、私と仲の良い友達もほぼ全員かかっていると思います。寮生活となると、どうしても寝食を共にしなければいけません。しょうがないかなと思いつつ、学校の対応もふくめ不満が残る時期でした。

ですが、その間、親がNHKオンデマンドを契約してくれていたため、自分の好きな勉強がたくさんできました。NHKオンデマンドでは『映像の世紀』をはじめとする様々な優れた歴史番組が配信されています。もちろん歴史以外も多くありますし、隔離中はずっとオンデマンドを見て過ごしていたようなものです。

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5月にはISAKの従っている国際バカロレア(IB)教育の集大成となる試験期間が待っているため、高校三年生は試験勉強で大忙し。逆に高校一年生や高校二年生は隔離のせいで試験が軒並みキャンセル、もしくは延期となり、ダラダラと日々を送っていました。

いろいろありましたが、最終的には無事に試験も、卒業イベントも終わり、涙涙の卒業式。1年過ごした先輩方の卒業は流石に悲しかったです。今でも連絡を取る先輩方もいますが、時々あの頃に戻りたいな〜と思うこともあります。

 

6月からは夏休みに入り、2ヶ月半の自由時間が生まれました。この時期はブログも少しずつ書いていますし、本も力を入れて読んでいたと思います。

 

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2022年は、夏に限らずかなり本を読んだなと思います。ISAKでも、地域の図書館で本を一回借りるともうやめられなくなって、2週間に一回図書館に行く生活になってしまいました。上限近くまで借りますが、大抵はその半分も読めるか読めないか…。ただ、寮生活という何かと自分で時間を管理しにくいところにいることを鑑みると、かなり本を読んだ方だとは思います。

夏以降も何冊も良い本を読んだので、どこかのタイミングでまとめられると嬉しいです!

そして、家にいる分動画を見る時間も増え、何回かあった落語ブームがまた戻ってきました。今年は割と落語を聞きましたし、落語関係のニュースもよく目にしたなと思います。

 

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忘れてはいけないこととして、この夏休みの間は勉強もしていました。ISAKの勉強は日本の高校カリキュラムとはかなり異なっているため、私と同年代の人たちが必ず習うことを私たちは習っていません。夏休み中は、参考書と問題集を使って数1Aを履修して終わらせました。この前機会があって数1Aの問題をときなおしたらかなり忘れていたので、ちょっとショックでしたが…。勉強はし続けないと忘れてしまうので、復習を時々しようと思います。ちなみに、その際に使った問題集がかなりわかりやすくて良かったため、おすすめです!

 

 

8月〜12月

8月からはISAKの新学年がまた始まりました。ついに高校2年生になり、IBのカリキュラムが始まります。

私の通っている学校は、UWC ISAK Japanという長野県にある全寮制インターナショナルスクールです。国際バカロレア(IB)カリキュラムを採用しているため、学習範囲や学習方法が日本の学習過程とは異なります。

高校一年生の間はPre IBと言ってIBの準備期間。そして、8月から本格的にIBのカリキュラムが始まりました。自分で6科目を選択し、その6科目に必須の3科目を加えた9科目の授業を受けています。

始まってから4ヶ月。言えることは、「思っていたより難しかったかも」ということです。高校一年生の時の Pre IBがかなり簡単な部分が多く、ちょっと見誤っていたかもしれません。かといって、絶望するほど難しいわけではなく、少し挑戦する気持ちで科目選びをしましたが意外とついていけている状態です。

IBの学習に関してはまたどこかで違う記事としてまとめられればなと思います。科目選びの重要性、先生の重要性、色々なことがわかってきました。あと一年と半年、頑張っていきたいです!

 

新学年になったということは、ISAKは高校二年で編入があるため、同学年が2倍になったということ。そのほとんどが海外の選考システムを通ってきた生徒たちです。寮の部屋割りも当然かわり、私は去年からの友達と編入生2人と四人部屋に入りました。共同生活ということでいろいろとトラブルが起こるところも多いですが、私の部屋は今のところ仲が良く、安心しています。また、私の部屋がある棟には一緒にいて楽しい人たちがたくさんいるため、そう言った点では満足です。生活習慣の違いなど問題は時々起こりますが、まずは冬休み明けにみんなで会うのが楽しみです!

友達も、去年から仲のいい人たちもいれば今年からの人もいますし、楽しいです!

 

あと、この夏から今までにかけてかなり学習意欲が増えました。図書館に行くようになったのもそれが原因です。笑ってしまうくらい勉強熱心な人と関わる機会があり、それをきっかけに自分も何か楽しめるものが欲しい!と思った結果、今年はかなり新しい知見を頭に取り込むことができたかな、と思います。

様々な範囲に新しく興味も持ちましたし、どんどん自分の世界が広がっていることを感じます。それと同時に自分の興味もなんとなくわかってくるので、世界が広がることはすなわち世界が狭くなることにもつながるのか?と思ったり…。

とにかく、勉強が改めて好きになりました。

 

 

2023年に向けて

ということで、楽しく、充実して、でもどこかぬるっと過ごした2022年の振り返りでした。ここからは2023年への抱負、目標を書いていこうと思います。

 

①続けていきたいもの

2022年は様々なことに興味を持った分、どれもが中途半端に終わった気がします。ということで、2023年も続けていきたいものは以下の通りです!

読書ノート

読書ノートは、夏頃に一回初めて中断し、11月ごろにまた書き始めました。自分がなんの本を読んだかを記録しなければ、自分の頭に残りません。ようやく自分の頭の悪さに気づけたので、来年も必ず続けていきたいです。多分本を読んだたびにやろうとするといつか挫折するので、自分に甘くなりながらも続けていきたいです。

 

Duolingo

今年は、何か新しい言語を学びたい!と思って、ドイツ語を始めました。去年の冬(2021年12月)ごろにリルケの詩集を読んだのですが、これが本当によくってよくって…。そこからたびたびリルケの詩を読むようになりました。

 

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他にも意識してみれば、カフカゲーテなどドイツ語で作品をつくった著名人はたくさんいます。

これは英語に翻訳された日本の詩を読んでから感じることですが、文学作品、私の中では特に詩は、翻訳されるとその輝きが半減してしまうような気がします。日本でも人気を誇るハリー・ポッターでさえ、翻訳にはかなりの疑問点が残ります。つまり、私が読んで感動したリルケの詩は、ドイツ語で読めばもっと感動するのでは…。

そんな考えから、夏頃からドイツ語を少しずつ始めました。学校に戻ってから数ヶ月、お恥ずかしいことに忙しさにかまけてやっていなかったのですが、ようやくこの前再開させたので続けていきたいです。

 

写真

写真は、2022年の途中(特に夏頃から)疎かにしたものの一つです。元々趣味の一つとしてISAK入学ごろにカメラを買って、写真を撮っていました。ですが、せっかく買ったカメラもほっといて、IBが始まってからはイベントごとがない限り取っていませんでした。写真を撮るのは好きですし、せっかく始めたなら自分が満足するものを撮ってみたいので、これはまた力を入れるようにしていきます。

 

読書

これは、続けていきたいものでもあれば続けていかなければいけないものでもあります。読んだ本や、得た知識は自分の勉強に直結しますし、自分の楽しみにもなります。良くも悪くも、寮生活は人との関わりから逃げられません。だから、強制的に自分の時間を作らないと、私は割とすぐ燃え尽きてしまうので、本を読むことは自分のためにも続けていきます。まあ、これに関しては読まなくなることがないと思うのであまり心配していませんが、量は自分で調整できてしまうので、多く読むことを意識していきたいです。

 

ということで、他にも何個も続けていきたいものはありますが、とりあえずはこんな感じで。次の話題に移ります!

 

人との出会いを大切にする

これは、今年ももちろん大切にしてきたつもりですが、この一年で人との出会いがどれだけ生活に影響するかをなんとなく実感しました。

人と出会うこと、尊敬する人と話すことは、本当に重要です。自分の成長にもつながります。自分を戒めるきっかけにもなります。

出会いを大切にすることが重要だということは、今年十分実感しました。2023年からも、また色々な出会いがあると思います。とても楽しみですし、来年の終わりに自分が何を考えているのかにも興味があります。

どんどん色々な人と話していきたいです!

 

興味を持ったことはとりあえずやってみる→そして続ける

これは、今実感していること。自分が今これができていないな〜、これやらなきゃな〜と思っていても、時間をおけばおいた分戻りにくくなります。特に人が関わっているものの場合、本当にやりづらくなってしまいます。

自分のせいの他何でもないため、気をつけていきたいです(現在進行で)。

「興味を持ったことはとりあえずやってみる」ということは、今年は少しずつですが実行できました。続いたかは置いておいて、かなり新しいことをつまみ食いできたと思います。

これからは、つまみ食いにせずにそれをずっと続けていくことが大事になっていきます。どれだけ実行、継続できるかで自分の中身も変わりますし、あわよくば周りの信頼度も上がるかもしれません。仕事をしていく上で大切なものの一つだと思っているので、がんばりたいです!

 

 

まとめ

ということで、明日は朝が早いため今日はここら辺で。2022年の大晦日の夜にこの記事を書いているのですが、朝は帝銀事件のドキュメンタリーから始まって、午後はお買い物、夜はお蕎麦を食べた後及川光博ポルノグラフィティを家族で聴きながら重い思いの読書という、大変我が家らしい1日になりました。

色々書きましたが、結局は今年一年私の周りにいた人が健康で、何事も大きなことは起きなかったことが一番嬉しいです。そして、周りの私を支えてくれた、助けてくれた人たちに大きな感謝。

来年も、みんなが健康で、笑って年を締めくくれるようになればなと思います。周りに感謝しながら、自分も成長できるような一年にしたいです。

そして、ブログも書いていきたいです。せっかく始めたこのブログ、もう初めて5年近くになります。少し少し更新して、自分の糧にしていきたいです。

読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。皆様の一年も笑顔あふれるものになりますように!

 

 

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特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

三遊亭円楽さんが大好きでした。

こんにちは、いつもお疲れ様です!

2ヶ月以上ブログを更新していませんでしたが、それでも毎日見てくださる人がいます。ありがとうございます。

 

今日は、悲しいことがあって、それをどこかに吐き出したいけど、吐き出せるところがわからなくて、「そうだ、ブログがある」ってなったので、支離滅裂な思っていることをただ書き連ねているだけのブログになります。

 

今日、6代目三遊亭円楽さんが鬼籍に入られました。

自分でもびっくりするくらい、すごく悲しいです。

好きな落語家さんが亡くなられたことは今までにも何回かありました。

会ってサインをもらったことが印象的な桂歌丸さん、落語教育委員会柳家喜多八さん、よく笑点で見ていた林家こん平さん、家族でよく聞いていた『ガーゴン』の川柳川柳さん。

しっかり話は聞いたことがないですが、この頃も三遊亭圓窓さん、三遊亭金翁さん。

 

落語家は60過ぎてからが本番と言われるくらいの超高齢化社会

このごろはよく若手の動画を中心に見ているとはいえ、それくらいのことはわかっていたはずです。

 

でも、自分でも驚くくらい、円楽さんが亡くなったと言うニュースを見て、衝撃を受けました。訃報で泣いたことがあったか、私は思い出せません。

好きな落語家さんなんです。

死神、芝浜、猫の皿、何回も聞きました。アレンジの効いた代書屋もお気に入りです。特に円楽さんの芝浜は、疲れている時に聞く落語です。

円楽さんの襲名時の披露口上も何度も見ました。にこにこ笑っている円楽さんを見るのが、たとえしゃべってなくても、好きでした。

桂宮治さんの真打昇進披露口上の際も、笑いをとりながら締めるところは締めるメリハリのある姿と楽屋裏での姿を見て、新しい部分を見たような気がして好きでした。

笑点も、何度も見ました。たい平さん・昇太さんが入る前の動画は多くあっても、楽さんがいない動画は見つけることすら困難です。楽太郎の頃の落語もいくつか見ました。

 

小さい頃、笑点で笑いに笑って、少し成長した後は楽さんの落語で泣いて笑って、今は楽さんの政治的手腕というか、落語家としての活動を心底尊敬しています。

博多天神落語まつりなどのイベントのプロデュースや、芸協(落語芸術協会)への客員としての参加。その後ちょくちょく円楽一門会所属の落語家もゲストとして寄席に出るようになりました。6代目圓生落語協会脱退によってできた様々なものを整理して、その果てに落語協会の統一を見ていたといいます。

 

実際に、8月の高座復帰時には教会を統一したいと笑いもとっていたじゃないですか!

あの時、父親と、声の掠れていた円楽さんについて話しました。同情から成り立つ落語じゃなくて、芸としての落語で楽しませてほしい。長生きしてほしい。

 

まさか、こんな早く終わりが来ると思っていませんでした。

自分でもここまで円楽さんが好きだったのかと驚いています。

でも、一回は生で聞きたかったですし、生で見たかったです。

円楽さんに会ってみたかったです。

 

すごい悲しいです。

 

歌丸さんに早すぎなんだよって怒鳴っておいて、こんなに早く逝くなんて、悲しいです。

落語の腕も、大喜利の腕も磨いておきながら、落語界全体のことも考えて、行動して、形にうつして。

すごい人です。これから先、円楽さんがどこにもいないし、もうみられなくなると思うと悲しいです。

たくさん笑わせてもらいました。

ゆっくり休んでください。

五代目圓楽さんと、こん平さんと、歌丸さんと、それから色んな人と、軽口を叩き合ってください。

ご冥福をお祈りします。

 

なんか、自分で一番驚いています。こんなに悲しくなるなんて。

びっくりです。

書いた文章を見直してみて大袈裟にも思えたけど、実際にその時考えたことをそのまま書きました。

本当に、尊敬する人でした。尊敬できないところもあったけど、でも客に見せる姿はすごかったです。

 

周りに落語好きの人がいないので、誰にも話せず、ニュースを見てびっくりしてそのままベッドに上がって、この記事を書き始めました。こう言う時にあまり仲間のいない趣味を持つと悲しいですね。

 

悲しいです。

でも、ありがとうございました。円楽さんのことが、楽太郎さんのことが好きな人はいっぱいいましたし、いっぱいいます。今もSNSが大変なことになっているでしょう。

お疲れ様でした。闘病、言葉にできない大変さだったと思います。

本当にありがとうございました。

 

ご冥福をお祈りします。

 

合唱。

隅の老人。安楽椅子探偵は本当に探偵だったのか?

 こんにちは。今日は、久しぶりにブログを更新していこうと思います!全然書いていなかったので、どんどん文章を書くスピードが遅くなっていますが…。

 

 何はともあれ、今日は久しぶりのブクレポをしようかと!

今日紹介する本は、バロネス・オルツィ『隅の老人の事件簿』です。

 

 

創元推理文庫から出ている本で、「隅の老人」の事件の中でも代表作13篇が収録されています。我が家にあったのは1998年に出された15版でしたが、2014年に作品社から「隅の老人」38篇が収録された完全版も出ているようです。

 

 

目次

 

 

 

作者:バロネス・オルツィ

 

それではまずは、作者のバロネス・オルツィについてさらっと紹介していきます。

バロネス・オルツィハンガリー出身のイギリスで活躍した作家です。

『紅はこべ』に代表されるような歴史ロマン小説を数多く執筆し、現在まで読み継がれています。『紅はこべ』はちょうど昨日図書館で借りてきたので、読むのが楽しみです!

 

 

ミステリ作家としては、今日紹介する『隅の老人』を登場させ、安楽椅子探偵のはしりを決定づけたことが評価されています。アガサクリスティと並び、女性の推理小説作家として有名なのだとか。

他にも、女性探偵が登場する推理小説や弁護士が登場する推理小説などを書いています。

 

この本、どんな本??

 

それでは、この本を通して読んだ感想を。

 

正直、この本は半分くらい読んだところで一回読むのをやめようかとも思いました。

『隅の老人』の特徴として、探偵である老人がほぼずっと語り続けるという点があります。安楽椅子探偵なのですから、状況描写やトリックなども全て探偵が説明しなければいけないので、それは当たり前のことなのですが。

 

それでも、今までほとんどミステリを読んでこなかった自分からすれば少し読みづらいものではありました。

それぞれのトリックも、どこか似ているものも多いというか、パターンがなんとなく掴めてきているというか。(短編という限られたページ数で事件を一つ起こすからトリックを考えるのも難しそうです…)

 

ただ、そういったネガティブな感想も、最終話まで行くと全てが覆されます

全てというと言い過ぎなのかもしれませんが、私は最終話までこの本を読んだことに感謝すらしました。

最終話がどのような内容かをここで書くと、壮大なネタバレになってしまいますからかけません。ですが、はじめて読むタイプのトリッキーな展開でした。

この本に影響を受けた作家、ミステリ本も多くあるのだろうなと思います。

 

 

なぜ、自分はこの本を正直読みづらいと思いながらも300ページ以上読み続けられたのか。

 

先ほどネガティブなことも書きましたが、それでも読み続けたのには理由があります。

トリック自体は単純というか、そこまでバリエーションに富んだものではなくても、その事件にまつわる物語、事件の現場、事件への世間の反応、そう言ったものがバリエーションに富んでいるため、読んでいて「この場合のトリックは?」と考えさせられる時があるんです。

 

それに、トリックが単純と言っても、私はあまりトリックを解こうとしない(解けない)読者なので、実際に「あ、この人だ」って思たことは多くありません。

この『隅の老人』では事件を紹介するのも安楽椅子探偵である老人の場合がほとんどなので、親切な伏線に気づくことも時々あります。

 

多分再読すればよりツッコミどころも多くなるとは思いますが、そんなことは今はいい!と思えるほどの探偵っぷりでした。

 

隅の老人って結局誰なの??

 

そもそも、この本のタイトルは『隅の老人の事件簿』です。

そして、この本の探偵は「隅の老人」です。

本の実に9割以上は、「隅の老人」の会話文です。

 

それでは、この「隅の老人」って結局誰なんでしょう?

 

推理小説では、基本的に探偵が主人公、もしくはそれに近い役割にいます。

そして、有名な探偵には大抵名前があります(例外ももちろんありますが)。

ホームズ、ブラウン神父、ポワロ、ミス・マープルデュパン明智小五郎金田一浩介、、、。

 

でも、この隅の老人、名前はありません。

名前がないのに加えて、経歴も正体も一切不明です。

わかっていることといえば、ノーフォーク街のABCショップに現れてチーズケーキを食べてミルクを啜ること。

 

外見は、禿げ上がった頭頂に薄い髪の色。目は淡い水色で大きな角縁の眼鏡をかけていて、服はダボダボの該当。常に紐の切れ端を持っていて、それを結んだりほぐしたりしながら話しています。

想像してみると、どこかの浮浪者?

ちょっと怖いです。

 

 

安楽椅子探偵の先駆とも言われ、元祖安楽椅子探偵の1人ですが、その姿は予想以上に活動的。自ら証拠を集めに行ったり、検死審問に呆れるほど出かけていたり。

確かに話すのは椅子に座ってですが、それまでに割と活動しているので今の「安楽椅子探偵」とはちょっと違うのかも。

それでも、当時からしたら画期的な姿だったんだろうな〜と思います。

 

いわゆる「ホームズのライヴァルたち」の1人(ホームズの成功後に次々と現れた探偵たちを指します。)ですが、その探偵としての姿はかなり異なっていると言わざるを得ません。

 

ホームズに代表される探偵は、警察の手伝いをするなど、謎を明らかにする→社会の役に立てる ことを一連の流れとして行っている人たちが多いと思います(いうほどミステリ読んでいないので断言できませんが…)。

 

その中でこの「隅の老人」は、ワトスン役の女性記者に対して推理を語るだけ。犯人が分かっても、基本的には自分が難事件の真相を暴くためだけに推理しているため、警察にも届けません

 

とにかく怪しい人物。

 

最終話でその正体が垣間見えますが、それでも十分とはいえないのかも。

私たち読者は、一方的にこの老人から与えられる複雑怪奇な事件の謎とともに、この老人自体の謎にも囚われなければいけません。

そんな二重の謎が詰められているこの短編集は、短編とはいえない満足感が読了後にありました。

 

ぜひ、皆さんも余裕があれば最後までこの作品を読んでみてください!

私が特に好きだった短編は『商船アルテミス号の危機』です。この作品は、読んでいてハラハラするような場面展開とゾクっとするような描写が短いページ数の間に収まっています。

改めて読むと1編ずつがもちろん面白いのですが、この短編は特にお気に入りでした。

 

 

私にとってこの老人は、その外見と語りっぷり(懇切丁寧に事件を教えます)からもどこかホームズの宿敵モリアーティを思わせるような存在でした。

探偵として異色な存在でもある『隅の老人の事件簿』、ぜひ読んでいただきたいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。全編読んだ後に、自分の中で「この老人に会いたいか、会いたくないか」を考えてみるとかなり面白かったですよ!

趣味を広めたい、落語を広めたい

こんにちは。

この頃暑いですが、長野県は夜と昼の寒暖差が激しいです。昼はもちろん暑いのですが、夜は涼しくて心地いい。東京にいた時とは全然違うな〜と感じています。

 

 

今日も乱雑に書いていきます。内容のある記事を求めてこのエントリを開いた方は、ごめんなさい。でも、ちょっとでも暇だったら読んでいってもらえると嬉しいです。

 

この前の記事にも描いた通り、この頃落語にまたハマっています。もう小学二年生の頃から落語は好きですので、好きになってそろそろ10年。

 

 

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洗濯の間、料理の間、果てには何もしていなくても、落語をどんどん聞くようになってしまいました。といってもずぶの素人ですから、特に詳しいというわけでもなく、ただの落語がちょっと好きな女子高生にすぎません。

 

でもなんとなく、落語の動画をずっとみ続けているうちに、落語に対する愛情というか、気持ちが深まってきました。落語家になる勇気も度胸もないけれど、落語に近い立ち位置で何かできたらな〜なんて思うようになってきたんです。

 

昔から、子供が落語を好きだというと、「すごいね」だったり「なんでそんなものを」だったり、色々なことを言われてきました。

 

もちろん特に多いというわけではないですが、やっぱりジャニーズが好きといった時の反応と、落語が好きといった時の反応は全然違います。(私はジャニーズも大好きです。)

個人的には、別にそういった反応をされてもなんとも思いませんでした。

好きなものを好きでいることを褒められるというのもどこかおかしいなと思ったことはありますが、そういうことを気にしていれば小学四年生で「花魁」を自由研究のテーマにしたことはありません。今は鬼滅の刃で花魁という言葉も知られていますが、私は当時落語の中でしか知らなかった言葉です。

 

でも、この頃落語を見る機会がまた増えて、落語についても考えるようになってきて、ちょっとずつ考えが変わっています。

 

特定の人が言ったというわけではなく、何気なく色々な人(クラスメイトなど)に、落語が好きというと「特殊だね」とか、「精神年齢が違う」とか言われることがあります。

それが子供の時の話のみで済んでいればいいのですが、あいにく高校生になってからも何人かに言われたことがあります。

言った人を責めるという意味合いではありませんが、やっぱり何かが好きだと言った時に「特殊」とか「精神年齢が違う」とか言われるのは、少しおかしいのでは…と思い始めました。

 

落語に限らず、特に知らないのに「そんなものが好きなの?」と聞くのはちょっと違うのでは。

私は昔から(特に昔は)「人と違う」ことにステータスを見出すことがあったので、例えば生徒会に入ったり、賞を取りたがったりしていました。そんな私ですから、別に「違うね」と言われることをネガティブに受け取っていたわけではありません。

 

でも、周りでそれを聞いている人たちは?

「落語を好き=ちょっと変」

そういうイメージがついてしまうのではないでしょうか。

 

何かを好きになることは強制できませんし、したいとも思いません。

それは大前提です。

 

でも、私は落語が大好きで、落語を好きな自分としては、他の人が落語を好きになる機会がそういった一言で奪われてしまうのは悲しいです。

それ以前に、「落語を好きになること=ちょっと変」というイメージがついてしまうことも悲しいです。

 

例えば能とか歌舞伎とか、落語以外の伝統芸能にもそう言ったイメージはあると思います。その「ちょっと手を出しにくい」というイメージも含めて、伝統芸能などの界隈は成り立っているのかもしれません。

その中でも落語は、2千円もあれば寄席にいけて3~4時間分みっちりと落語が楽しめます。YouTubeにも公式のものが多く上がっています。そう言った間口の広い伝統芸能です。

 

だからこそ、落語を広められたらな、と思っています。落語家になるまでの愛情は持っていませんが、落語を周りに広めたいな、くらいの愛情は持っているので。

 

ハマる人もいるかもしれないし、ハマらない人もいるでしょう。(多分ハマらない人の方が多いでしょう。)

でも、趣味ってそういうものだと思います。

 

伝統芸能だとしても、それがちょっと身近でなくても、テレビで見なくても、Instagramで流れてこなくても。

なんとなく、落語っていう芸能があって、誰でも楽しめて、センスと手ぬぐいとできれば座布団があればどこでも楽しめるものだっていうことを知ってもらえればな〜と思います。

 

別に落語を好きなのはお年寄りだけではありません。私みたいに子供の頃から聞いているものもいます。私の弟みたいに、横で聞いていればもう趣味とは言えなくても普通に楽しめる人もいれば、私の両親みたいにいつの間にか私よりも落語に詳しくなっちゃう人もいます。

 

落語家は別に笑点大喜利(日曜夕方にカラフルな着物を着た人たちが座布団を取り合っているあれです)でいい答えを言うことが目標ではなく、落語でちょっと疲れた人たちを幸せにすることを目標としている…と思います。

少なくとも、私の読んだ落語家さんのインタビューではそう答えている人が数人いました。

 

ちょっと疲れた時、悪口を聞きすぎちゃった時、そんな時にふっと聞けるのが、落語だと思っています。

たくさん笑えて、時々泣けて、ちょっとしんみりして。

それで何もない時に聞くようになれば、落語好きに仲間入りです。

 

好きなものを自由に好きと言える環境、好きなものを否定されない環境。

私も、別に否定されたことはありませんし、好きだといってきました。

でも、ジャニーズが好きと言うのと落語が好きと言うのではハードルの高さがちょっと違うんです。そのハードルの違いがなくなっていけばいいな、と思っています。

 

 

…落語って、どうやったら広められるんだろ。何かしたいけど、あまり思い付かない。

というか、これで勝手に友達に布教して、面白くないとか言われちゃったらどうしようって考えてしまいます。

まだまだ落語愛が足りないのか、単純に臆病なのか。

多分臆病なんでしょう。

せっかくの長い夏休みなんですから、この期間の中で考えていきたいです。

 

とにかく、落語が好きで、落語があまり浸透していないというか、同世代で聞いたことのある人が片手の指でも余るくらいにしか知らないのが、悲しいなぁと思っています。

落語家さんの方々が自ら「あってもなくてもいい職業じゃない、なくてもなくてもいい職業なんだ」って言っているのを聞いたことがあります。なくてもいいのかもしれないけど、あった方がいいから数百年続いているんです。

落語を好きになる人が増えていってくれれば、もうこれ以上のことはありません。

 

と言うことで、本当に雑多なことを書いてきました。

この頃中身のない記事ばっかりだなとも思いますが…。でも、好きなことについて書くほど嬉しいことはありません。今までも書き手の自分のために記事を書いてきたので、申し訳ありませんがお付き合いくださると嬉しいです。ここまで読んでくれた方達には、本当にお礼しかないです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。もし、少しでも「あれ、落語って面白いのかな?」と思ってくださった方々は、ぜひYouTubeで「落語」って検索してみてください。この下にも、いくつかとっつきやすいと私が思った落語を貼っておきます。ぜひ!

 

 

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7/2夜:日記 落語について書き留めてみる

こんにちは!もう夜ですが、今日はささっと記事を書いていこうと思います。

めちゃくちゃ雑な記事になっていくかとは思いますが…。

 

 

さてこの頃、私は笑点や落語を見ることが突然のマイブームとなっています。

もともと小学二年生の時から落語は大好きで、落語芸術協会のファン感謝祭である芸教祭りに行ったりだとか、寄席に通ったりだとか、よく落語を聞いていました。

やっぱり一番お茶の間に浸透している落語家さんといえば日テレで日曜午後に放送されている笑点の出演者さんですが、笑点も小さい頃からテレビがないにも関わらず祖父にDVDにしてもらったりなんかしてよく聞いていたのを覚えています。

 

夏休みにはいり暇になった今、なぜかその落語ブームが自分の中で再燃。

ブームといっても東京から引っ越す中一の終わりまではたびたび寄席にも行っていましたから、もう前は立派な趣味でした。

東京を離れてからは寄席もないので、いく機会は滅多になくなりました。もう今では覚えたことはほとんど忘れない母親や、行き帰りの車の中で落語を聞くこともある父親の方が落語を聞いていると思いますが、久しぶりにYouTubeでも聞くと、やっぱり落語っていいものだなって思います。

落語そのものでなくても、例えば真打昇進の口上やなんかを聞いていると、つくづく話がうまいなと感心します。生かせればいいなと思うものの、そこまでのコミュ力が自分にないためただ憧れるだけになっていますが。

 

私が好きな噺家さんは柳家喬太郎さんで、何回か寄席に通って最後にはお会いしてサインをいただきました。その時のサインは大事にしまってあります。

また、芸協祭りでは桂歌丸さんにサインをいただいたり、周りから「子供なのに渋いね」と揶揄われるくらいには落語が好きでした。

 

何で今日突然記事を軽い気持ちで書こうと思ったかというと、今日がちょうど桂歌丸師匠の命日だからです。

2018年7月2日に逝去されたため、今回が4回目の命日でした。

歌丸師匠といえば、笑点で濃い緑の着物を着て司会をしているイメージがやはり強いかと思いますが、笑点なら回答者としての薄緑の着物を着た歌丸さんも大変好きで、今もよく見ています。

また、噺家としては上品な古典落語をされるかと思いきや晩年は三遊亭圓朝の怪談噺を通しでやられたことが有名かと思います。実際に演じられているところを拝見したことはないのですが、よく竹の水仙なんかをYouTubeで見ています。

 

歌丸さんが亡くなられた今日が、ちょうど私の他界隈での推しの誕生日でもあり、物事がどんどん変わっていくというか、人は生まれて死ぬんだということを改めて感じた日でした。

 

落語界も、私が知っているのはほんの少しではありますが、少しずつ変わっていっているなぁ、という気がします。

テレビでの変化だと、笑点メンバーも桂宮治さんが二代目三平さんの後に入られ、席順ががらっと変わりました。家にテレビがないので今放送されている笑点を見ることはほとんどありませんが、また旅先などでちょこっと見られることを楽しみにしています。

 

そして、気づけばさまざまな噺家さんたちがYouTubeをやっていることにも驚きました。

大御所で言うと桂米助林家木久扇師匠など。

他にも林家たい平春風亭一之輔柳家花緑林家つる子桂宮治まで、協会問わずさまざまな噺家さんたちがYouTubeを始めています。

大体2,3年前くらいからどんどん増え始めたイメージですが、こうした形で好きな噺家さんの一面が見られるのもまた嬉しいものです。

 

また、寄席としての変化だと、円楽一門会(5代目圓楽から始まった落語団体)のメンバーが6代目円楽をはじめとして、少しずつ芸術協会の客員などとして寄席に参加するようにもなってきました。

コロナのおかげで寄せの在り方も変わってきていますし、知れば知るほど寄席にまた足を運びたくなります…。

 

この夏休みに、せっかくだから東京に行って落語を聞きたい!!とは思うのですが、他の予定もありなかなか都合をつけるのが大変です…。さすがに落語を聞くためだけに東京へ日帰りできるほどの小遣いはないですが、夏の東京はいわゆる大物と言われる噺家さんがたくさん出てくるので、本当に行きたい気持ちでいっぱいです!!!

 

どんどん若手の真打も増えてきている今、前座・二つ目は数としては減っているとも言いますが、また新しい波が来るかもしれません。これからも端の方から応援していきたいなと思っています。

 

ちなみに落語界での若手って60歳でも平気で若手になりますから、そう考えると恐ろしいです…。一回は落語家になってみたい!なんて思った時もありましたが、人生捧げる覚悟はまだないので、とりあえずは延期しておきます。

 

と言うことで、取り止めもないままに落語に関する記事を書いてきました。鬼籍に入られる噺家さんもこの頃本当に多く暗い気持ちになる中、YouTubeへの進出やクラウドファンディングを使った寄席への支援など、どんどん新しいことを進めていっている側面もあります。

これからも落語を楽しんで、時には寄席にも足を運んで!!!!いこうと思っている次第です。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。もしもこんな取り止めのない記事でも興味を持ってくださったという優しい方がいましたら、ぜひ下に貼っておきます噺家さんのYouTubeチャンネルなどをのぞいていただければと思います。それでは、おやすみなさい!

 

 

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死刑制度について考えてみる:『ぼくらの時代の罪と罰』

こんにちは。

今日は、久しぶりにブクレポを書いていこうと思います!

 

今回読んだ本は、森達也さんの『ぼくらの時代の罪と罰です。

ミツイパブリッシングから出版されている本で、230ページくらいあります。

 

 

著者の森達也さんは広島出身のドキュメンタリー・ディレクター兼ノンフィクション作家の方です。オウム真理教信者たちの日常を描いた映画、『A』を皮切りに、様々なドキュメンタリー映画を作ってきました。著書も多く出版しており、主に命に関するもの(特に死刑)を題材としています。

 

そんな森達也さんの出版された『ぼくらの時代の罪と罰』(2021)は、死刑とは何かを考えながら書き進められている、命についての本です。

 

目次

 

誰でも読める、読んで欲しい本

 

みなさんは、死刑についての本とか、命に関する本とかは読みますか?

私は正直、あまり読みません。基本的に残酷な描写がある文章が得意ではなく、人が死ぬとわかっているものには食指があまり動かないというか…。実際に起こった事件(オオウム真理教など)については調べても、ネット上で終わらせることが多いです。

 

だから、死刑問題についても知ってはいても、それに関する本を読んだことはほとんどありませんでした。

この本は小説ではなく死刑制度についての実際の事象を書いた本です。

子供向けに描かれた本ではありますが、死刑制度の現状とその問題点についてわかりやすくまとめられているため、入門書として誰でも読める本だと思います。

 

5章に分けて書かれている内容は、

  • 罪の重さを決めているのは誰なのか
  • 死刑になることで得られるものとは
  • 見えない極刑とは
  • 他の国での死刑はどうなっているのか

などなど。

 

あくまでも上記のように子供向けの本ではありますが、内容は決して見過ごせるものではありません。

 

死刑を選んでいるのは裁判官?それとも私たち?

 

死刑についてしっかりと考えたことのある人が、どれくらいいるのでしょうか。

日本で「死刑はやむを得ない」と考える人は、2019年度の内閣の調査によると80%

あなたがどう思っているかにかかわらず、今日本では「国民が死刑を選ぶ」制度になっています

 

私たち自身が、死刑を選んでいるのです。

 

本書にはこう書かれています。

 

ここであなたに考えてほしい。

死刑を廃止したほとんどの国では、死刑を廃止する前の存置派と廃止派の割合は、大体六対四と共通しているのに、今の日本では8割以上が死刑存置を主張して、廃止を求める人は1割にも満たないということの意味を。

-p162

 

私は、まだ死刑に対しての自分の意見がありません。

だからこそ、上記の文章は少し怖いです。

このまま自分の意見がないまま進んでいけば、変化を求める理由がないまま死刑存置に傾いてしまうのかもしれないからです。明確な理由なしに。

 

この問題は一朝一夕で答えが出せるものではないのでしょう。

でも、自分の中で理由がないまま、人を殺すことを黙認してもいいのでしょうか

 

大事なのは自分たちで考えること。

 

この本の素晴らしい点は、筆者が自分の意見を明記しているところです。

筆者は、繰り返し死刑に対して反対意見を述べています。賛成側の意見も述べて居ますが、自身の意見を明記しながら話を進めています。

 

でも、その考えを私たちに押し付けて居ません。

 

これは僕の意見。つまり僕の視点。立場が違う人は、きっとまた別の視点を持ち、別の意見を持っている。

 

自分の視点をごまかすことはできない。薄めることもしたくない。僕は思いきり自分の意見を書いた。もう一度書くけれど、あとはあなたが考えること。僕だけでなく、色んな人の意見や視点を知ったとき、死刑という制度は、きっとあなたにとって、今よりはずっと立体的なものになっているはずだ。

-p190

 

 

あくまでも、死刑について考え、じぶんの意見を持つためには知ること、調べることが大切だと述べて居ます。この本のみではなく、さまざまな意見を調べてくれ、と。

もしもこの但し書きがなかったら、少し偏りすぎている本になって居たでしょう。でも、この但し書きによって少なくとも私はもっと調べよう、という気持ちになりました。

 

事実をただただわかりやすく、丁寧に解説している

 

死刑制度以外でも、今の裁判員制度の問題など、司法に関することはいくつも書いてあります。ノルウェー訪問時の筆者の驚きなどもありました。

さまざまな人の証言などもあり、細かい部分まで知ることもできます。

 

絞首刑は平均14分、最長で37分以上かかること(アメリカでは絞首刑はひどい苦痛を与えることを理由に廃止済み)。

死刑囚は毎朝、近づいてくる看守の足音にビクビクしながら過ごさなければいけないこと。(死刑執行の数時間前に伝えられるため)

下手したらそれが何十年も続くこと。

自殺はしてはいけず、必ず殺されなければいけないこと。

自分が加害者になる可能性は、思っているほど低くないこと。

OECDの中で死刑を今でも全国で実施しているのは日本のみということ。(アメリカは州のうち半分近くが廃止を表明、韓国は24年も実施しておらず、他は死刑廃止国。)

冤罪は実際に起こること。

死刑に犯罪抑止効果がほとんどないこと。

 

他にもいろいろ、勉強になることが書いてあります。

列挙したものを見てもわかるように、この本は死刑反対の意見をベースにして書いています。

つまり、もっと色々な意見がある。もっと知らなければいけないことがある。

この本と、死刑賛成派の人の本を二冊読めばいいという話でもありません。人それぞれの考えがあります。

 

こうした死刑に関する事柄を知りながら、死刑が進んでいく今の状態を見るべきだし、死刑について考えるべきだと思います。

死刑反対の人もいれば、賛成の人もいるでしょう。でも理由を知らずにどちらかになれるほど単純な問題ではない。だからこそ、死刑について調べなければいけないな、と感じました。

 

まとめ

 

ということで、今回は『ぼくらの時代の罪と罰』について書いてきました。

この方がさまざまな人をインタビューして書いた、『死刑』という本があるそうです。

 

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次は、この『死刑』と、他にも図書館で数冊見繕って借りてきたいと思っています。

最後に、読んでいて印象に残った部分を抜粋。

 

でもぼくは、死刑制度をめぐって多くの人に話を聞き、日本だけではなく海外の刑務所や裁判所なども取材したけれど死刑が必要であるとの理由をいまだに見つけることができずにいる。

ただし廃止すべきと考える理由は、ずっと変わらない。

 

どんな状況であっても、人は抵抗できない人を殺すべきではない。

 

これに対抗できる論理に、ぼくはまだ出会えていない。これだけ探したのに。

 

 

何度も言うように、これは著者の意見。予備知識なしにこの本を読めば私のように死刑制度に大きな違和感を持ちます。でも、そこで死刑反対にすぐになるのではなく、自分の意見に理由がもてるくらい調べ、自信がついてからなるべきなのではないでしょうか。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。もしも興味を惹かれた部分があれば、ぜひ調べてみてください!この本はとてもおすすめです!!