こんにちは。毎日家にいるはずなのに、休日になるといつもよりも疲れが出るというか、よく寝てしまうのが面白いです。やっぱり休日っていう意識は消せないんでしょうか…。
今回は、また読書記録を書いていきます。今見返してみると、読書レビューの記事を8日くらい続けて書いていて、そろそろ他の記事も書いてみたい…。だけど、まとめの段階にまだいっていないものも多いので、これからも割とブクレポが出てくると思います!
目次
- 1. 本のあらすじ、著者紹介
- 2. 先代との関係:寂寥感と、清涼感の混ざった部分
- 3. カレンさんの「汚文字」で学んだこと、助けられたこと
- 4. 鳩子さんの大人としてのあり方
- 5. 最後に:字を書いてみたい、と思わせる作品でした。
1. 本のあらすじ、著者紹介
今日書くのは、小川糸さんの『ツバキ文具店』という本のレビューです。こちら、以前から名前は知っていて読みたかったんですが機会がなく、今回やっと読めた、という作品です。
2017年の本屋大賞第4位をとっていて、多部未華子さん主演でテレビドラマ化もされています。この本、続編『キラキラ共和国』という作品もあるそうなので、ぜひ今度見つけたら読んでみたいです。
あらすじを書いていきます。
舞台は神奈川県の鎌倉で、主人公の雨宮鳩子さんは鎌倉の中で小さな文具店を営んでいます。
先代である祖母の跡を継ぎ、文具店の店主としての仕事の他に代書屋も行なっています。代書屋とは、何らかの事情で手紙を書けない、書きたくない人たちが代筆を頼む際に訪れる場所です。
代書するのは、お悔やみ状から、還暦のお祝いカードまで、様々な内容のものです。代筆といえど文章を用意されるわけではないため、鳩子さん自身が聞いた情報から文章を考え、鳩子さんにしか書けないような文章にもなっています。
雨宮鳩子さん以外にも、バーバラ婦人や男爵、帆子さんなど、地域の人も多く出てきて、時にはその地域の人たちと交流しながら代書屋としての仕事をこなしていく様子が書かれた一冊となっています。
4つの章に分かれていて、それぞれ春夏秋冬の出来事を書いています。夏から始まって、秋、冬、春の4章です。
2. 先代との関係:寂寥感と、清涼感の混ざった部分
この話で印象に残った部分がいくつかあります。そのうちの一つが、この物語を通じて描かれる「先代と鳩子の関係」じゃないでしょうか。
先代は数年前に亡くなっていますが、鳩子は先代の死に目には合っていません。
鳩子が幼い頃、祖母である先代はずっと家で文字の練習に縛り付けていたのです。周りの女の子が話していることもわからず、修学旅行でさえ文字の練習をする。そんな環境にずっといれば嫌気がさすのもわかります。
その通り、鳩子は嫌気がさしてプチヤンキーのようになりました。クラスメイトからすれば、今まであまり話の輪には入ってこなかった地味目の女子が突然ヤンキーっぽくなったのですから、かなりの衝撃だったでしょう…。
それでも、先代が残してくれたものは多かったのです。
鳩子がずっと嫌がっていた、「筆管をまっすぐにたて、肘をあげる」というのは、幼い鳩子にとっては辛いことでも今の鳩子にとっては仕事をする時に大事にしていることの一つです。
先代の字は実際綺麗で、先代の教え含め、先代のことを鳩子が懐かしんでいる描写は多く出てきます。
そして、先代が晩年に書いた手紙が出てきて鳩子が思ったことも、描写のおかげかとても綺麗だな、と感じました。
字についてはとても厳しかった先代も、弱っている時に書いた文字は弱々しく、自分自身がが大切にしていたことを守りきれていません。
その中で、鳩子との関係を悔いて、悩んで、
「会えないと頭ではわかっているのに、それでも、もしかすると、と
足音を期待してしまいます。」
「でも、今は心から鳩子に謝りたい
どこにいるのかすら、詳しくは教えてもらえません
体が丈夫だったら、日本じゅうを探し回って、謝りたいのに
だからもう、あの子を呪縛から解き放ち、自由にしてあげたい」
と見ず知らずのペンフレンドに送っています。
ここの部分は、読んでいて自分も悲しくなったし、仲直りできる可能性を完璧に分かつ「死」の影響の大きさを考えました。
私もこの頃時々考えることですが、親と離れて一人暮らし(私の場合は近くの寮で生活ですが)することによって、家族の誰かに何かあっても駆けつけられなかったり、もっと言うと「親の死に目に会えない」だったりすることが起きる可能性はとても高くなります。
だからこそ、笑顔で「いってらっしゃい」と「お帰りなさい」を言えるうちに言っておきたいと思っています。
鳩子さんとおばあさんは、それができる関係ではありませんでした。客観的に見て悪いのはおばあさんだと思いますが、それでもどちらにも言い分はあるでしょうし、考え方の違いが生んだものも多かったと思います。おばあさんの手紙を読むと、一概に「おばあさんが悪かった」とは言いにくいです。
私の家族はありがたいことにそう言う環境ではないですが、鳩子さんのような家庭も多くいると思います。
部外者が口出しできることではありませんが、もしこう言う形になっている家庭を知っていたら、少しは友達、もしくは知人として何らかの形で助力になれればな、と思いました。
それも悪い結果を生むかもしれないし、何より部外者がでしゃばるなと言われたら何も言えないので自己満足のための考えかもしれませんが。
印象的だったのは、鳩子さんの中で祖母に対する考えというか印象が、柔らかく描かれていたことです。
何か、もう全てを悟ったというか、割り切ったような感じでした。
もっと感情が揺さぶられるような書き方で文章が進むかと思えば、
それまでと同じように柔らかい文体だったので祖母の手紙との対比が激しく、
鳩子さんもこれまでに色々な苦労をしてきたんだろうな、お若いのにすごいな、と思いました。
先代の手紙以外にも共通することなのですが、本にはそれぞれの手紙が全てそれぞれの筆跡で掲載されています。
汚れやにじみなども全て文の通りに再現されています。だから、「〜な筆跡で書いた」と言われた時のイメージがつかみやすいのです。
3. カレンさんの「汚文字」で学んだこと、助けられたこと
そして、自分が読んでいて助かった部分は、カレンと言う名前の女性が出てくるシーンです。
カレンさんは、還暦を迎える自分の義母にお祝いのメッセージを送りたいのですが、かなりの「汚文字」だそうで…。
「字が汚いのは心が汚れているからだ」と言うことを言う義母に、メッセージカードを送るのが辛い、と言うことで代筆屋に足を運んでいます。
私も、字が汚いです。
単純に練習不足だし、ゆっくりも書いていないし、字を書くときの姿勢も悪いし、汚い理由を上げろと言われたら幾つでも挙げられます。
実際、ゆっくり、丁寧に書くことを意識して書いていた時は親にも褒められるくらいには綺麗にかけていました。
一応、くもんの習字教室に5年間以上通っていたんですけどね。全然学習意欲もわかなかったし、お手本を写すのも苦手で、楽しくないままイギリスに行くのをきっかけにやめました。
今思うと、字が汚いってやっぱり嫌だな、と思います。
受験の時などに、親とともに名前を書く欄がいくつかありました。そう言う時に、字が綺麗な両親の下に字が汚い私の署名が並ぶとちょっと悲しいと言うか、落胆する気持ちは味わっています。
カレンさんは、何回も努力しても字が上手くかけない、と言うことです。
鳩子さんも、カレンさんに会って
「字はその人そのもの」「字には、それを書く人の人柄がそのままでる」
といった考えを改めていました。
このエピソードで助かったと言うのは、
「何をやっても字が汚い人はいるんだから、私もいいや」と言うことではありません。
まず一つ目に、自分が字を練習しないうちから字が汚くて…とか言うのはやめよう、と思ったことです。
冬から少しだけやっていた、歌詞を書き写す練習。あれもこの頃は時間がなくてやっていませんでしたが、時間なんて作るものです。また再開させます。
何もやらないうちから弱音を吐くなんて格好悪いので、これはもう決定!ブログに書くことで発破をかけようと思います!!
カレンさんは、鳩子さんも今まで見たことがないほどの汚文字の持ち主でしたが、ペン講座も習字も、子供の頃から何度もやっているのに改善しなくて、「脳の問題かも」と言うほどです。それが原因で学校の先生になりたいと言う夢も諦めています。
ここまでの人もいて、字が書けないと言う人は本当に色々な理由で悩んでいるんでしょう。
それなのに、対して努力もしていない私が字が汚いと公言して、改善のための行動を起こさないのは、字が汚くて困っている人たちにとても失礼だと思いました。
そうして、意識の改善ができたことが一つ助かったこと。
そして二つ目が、「本当に字が書きたくても汚くしか書けない人がいる」としれた点です。
私は字が汚いですが、書道とかは何枚も何枚も練習しました。この何枚も、の基準は、しっかり習っている人にとっては少ないでしょうが、中学校生活の間でかなり熱心に練習するようになりました。そうして練習すると、やっぱり上手くなるんです。
特に長野に来ると書道を習っている、と言う人がかなり多く、賞を取れるほどではありませんでしたが、それでも下手ではないし、左利きということを考えたら上手い、と言える程度ではあったと自分で考えています。
学校での書道作品なんてピンからキリまでなので、私が自分で上手いなんていうのはおこがましいとも思いますが…。
だから、自分が練習すればある程度はうまくかけたということもあり、
字を綺麗にしようとしてる人=字が綺麗
練習していない人=字が汚い
という感覚はありました。
色々な問題があって、文字を認識することや書くことに苦労する人がいるというのは知識として知っていましたが、
それでもどこか他人事というか、実感はなかったです。
でも、こうして本の登場人物となることで実際に字を書きたくても書けない、という人がいると実感できたというか、やっと対岸の火事ではなくなった感じです。
汚いよりは綺麗な方がいいという考えはあまり簡単に変わりませんが、
自分の常識を他人に求めないようにしたいな、と思います。
4. 鳩子さんの大人としてのあり方
この本の感想として最後に描きたいのは、主人公の鳩子さんの凄さです。
色々な内容の手紙を任されるわけです。
お祝いのメッセージ、お悔やみ状、そういったものもありますが、
中には「天国の人からの手紙」や「絶縁状」なんていう物騒なものまで。
でも、すべての手紙に驚いたりはしつつも誠実に取り組む鳩子さんの姿は、
自分も励まされるというか、背筋を正されるような思いが次第にしてくるものでした。
筆跡も変えて、
使うインクやペンの種類も変えて、
内容に合わせてはパソコンも使います。
ポップな字にすることもあれば、男らしい字にすることもあるし、
変幻自在です。
その字を書いている間、鳩子さんは鳩子さんではない依頼人になります。
その人のことを考えて、依頼人さんだったらどう書くか、どんなことがこの手紙に求められるのか。
文体から封筒、手紙の色まで、手紙の使われる道に合わせて全てを変えています。
こうした、自分の全てをかけて取り組む仕事をやっぱり綺麗というか、読んでいて読み手も真剣になるし読み終わった後は清々しくなるものです。
こんな仕事がしてみたいな、と思います。
時には、代書屋という仕事の利益よりも、その依頼人の態度の悪さを優先して仕事を断ることもあります。
個人商店の強みとも言えますし、作中ではハッピーエンドになっているものの、やはりお店としては満点の回答とは言えないかもしれません。
それでも、読み手としてはより鳩子さんの情熱が伝わってきますし、ヤンキー気質もちょっと出てきて楽しいところです。
最初の頃は代書屋という仕事を嫌っていたというか、先代を嫌っていた鳩子さん。
でも、本を読んでいると鳩子さんは字が好きで、字を通して何かを伝えることが大好きなんだろうな、と思います。
あくまで代書屋としての姿を描いている作品ではありますが、
鳩子さんや鳩子さんと交流のある町の人々、そして先代との話から、
鳩子さん自身が素敵な人だということが存分に伝わってくる作品でした。
自分の手紙は、今のところは自分で書きたいですが、それでもツバキ文具店を訪問してみたいです。
色々な文房具にまつわる話とかも聞けるかもしれません。
5. 最後に:字を書いてみたい、と思わせる作品でした。
私はハリー・ポッターのスネイプ先生が好きなのですが、スネイプ先生の文字を真似したすぎて少し前にインクを買いました。
万年筆でないとかけない字体だったんですよね。使っている紙が羊皮紙なので。
万年筆は、プレゼントとして贈られて持っているものが一つあるのですが、インクがなくて数年間使っていませんでした。
春に、初めてインクを入れて使ったので、また字の練習の再開と同時にやり始めたいな、と思ったところです。
日常の中の非日常を体験してみたい人、
キラキラしたお話が読みたい人、
ほっこりしたお話が読みたい人、ぜひ読んでみてください!
心が優しくなるというか、和らぐ。そういった本です。
最後までお読みくださりありがとうございました。癒された作品でした。興味を持った方はぜひ読んでみてください!