うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

三遊亭円楽さんが大好きでした。

こんにちは、いつもお疲れ様です!

2ヶ月以上ブログを更新していませんでしたが、それでも毎日見てくださる人がいます。ありがとうございます。

 

今日は、悲しいことがあって、それをどこかに吐き出したいけど、吐き出せるところがわからなくて、「そうだ、ブログがある」ってなったので、支離滅裂な思っていることをただ書き連ねているだけのブログになります。

 

今日、6代目三遊亭円楽さんが鬼籍に入られました。

自分でもびっくりするくらい、すごく悲しいです。

好きな落語家さんが亡くなられたことは今までにも何回かありました。

会ってサインをもらったことが印象的な桂歌丸さん、落語教育委員会柳家喜多八さん、よく笑点で見ていた林家こん平さん、家族でよく聞いていた『ガーゴン』の川柳川柳さん。

しっかり話は聞いたことがないですが、この頃も三遊亭圓窓さん、三遊亭金翁さん。

 

落語家は60過ぎてからが本番と言われるくらいの超高齢化社会

このごろはよく若手の動画を中心に見ているとはいえ、それくらいのことはわかっていたはずです。

 

でも、自分でも驚くくらい、円楽さんが亡くなったと言うニュースを見て、衝撃を受けました。訃報で泣いたことがあったか、私は思い出せません。

好きな落語家さんなんです。

死神、芝浜、猫の皿、何回も聞きました。アレンジの効いた代書屋もお気に入りです。特に円楽さんの芝浜は、疲れている時に聞く落語です。

円楽さんの襲名時の披露口上も何度も見ました。にこにこ笑っている円楽さんを見るのが、たとえしゃべってなくても、好きでした。

桂宮治さんの真打昇進披露口上の際も、笑いをとりながら締めるところは締めるメリハリのある姿と楽屋裏での姿を見て、新しい部分を見たような気がして好きでした。

笑点も、何度も見ました。たい平さん・昇太さんが入る前の動画は多くあっても、楽さんがいない動画は見つけることすら困難です。楽太郎の頃の落語もいくつか見ました。

 

小さい頃、笑点で笑いに笑って、少し成長した後は楽さんの落語で泣いて笑って、今は楽さんの政治的手腕というか、落語家としての活動を心底尊敬しています。

博多天神落語まつりなどのイベントのプロデュースや、芸協(落語芸術協会)への客員としての参加。その後ちょくちょく円楽一門会所属の落語家もゲストとして寄席に出るようになりました。6代目圓生落語協会脱退によってできた様々なものを整理して、その果てに落語協会の統一を見ていたといいます。

 

実際に、8月の高座復帰時には教会を統一したいと笑いもとっていたじゃないですか!

あの時、父親と、声の掠れていた円楽さんについて話しました。同情から成り立つ落語じゃなくて、芸としての落語で楽しませてほしい。長生きしてほしい。

 

まさか、こんな早く終わりが来ると思っていませんでした。

自分でもここまで円楽さんが好きだったのかと驚いています。

でも、一回は生で聞きたかったですし、生で見たかったです。

円楽さんに会ってみたかったです。

 

すごい悲しいです。

 

歌丸さんに早すぎなんだよって怒鳴っておいて、こんなに早く逝くなんて、悲しいです。

落語の腕も、大喜利の腕も磨いておきながら、落語界全体のことも考えて、行動して、形にうつして。

すごい人です。これから先、円楽さんがどこにもいないし、もうみられなくなると思うと悲しいです。

たくさん笑わせてもらいました。

ゆっくり休んでください。

五代目圓楽さんと、こん平さんと、歌丸さんと、それから色んな人と、軽口を叩き合ってください。

ご冥福をお祈りします。

 

なんか、自分で一番驚いています。こんなに悲しくなるなんて。

びっくりです。

書いた文章を見直してみて大袈裟にも思えたけど、実際にその時考えたことをそのまま書きました。

本当に、尊敬する人でした。尊敬できないところもあったけど、でも客に見せる姿はすごかったです。

 

周りに落語好きの人がいないので、誰にも話せず、ニュースを見てびっくりしてそのままベッドに上がって、この記事を書き始めました。こう言う時にあまり仲間のいない趣味を持つと悲しいですね。

 

悲しいです。

でも、ありがとうございました。円楽さんのことが、楽太郎さんのことが好きな人はいっぱいいましたし、いっぱいいます。今もSNSが大変なことになっているでしょう。

お疲れ様でした。闘病、言葉にできない大変さだったと思います。

本当にありがとうございました。

 

ご冥福をお祈りします。

 

合唱。