うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

勉強をしたくない時には... とにかくリフレッシュ!

 こんにちは。今回は、勉強をしたくない時の方法を書きたいと思います。

皆さんも、勉強なんてしたくないって思ったことがあると思います。ない人もいるかもしれませんが、勉強につかれた時とか、もうやりたくないと思うときとか、私はすごくあります。だけど、何もやらないでいると時はどんどん流れて行ってしまうので、どうやって勉強をやるのか考えることが多くあります。

 その方法は、気分によっても変わるしその時の状況によっても変わります。でも、やっとなんとなく解決法がみえてきたので、書いてみようと思います。

 まず、私は疲れたらもう休みます。1~2分間休んで、そこからこれからを考えます。休んで再開できるのならもういいのですが、それで再開できるのなら別に悩みません。そこから少しだけ、少しだけ、と思っているのにずっと休んでしまいます。それをやめるため、二つの方法を作りました。

 一つは、休む時間を設定することです。「何分休む」ではなく、「何分まで休む」とすることです。これで、区切りがついて、やりやすくなると思います。

 また、違うことをやるのもいいと思います。ほかの教科をやるのもよし、勉強ではないことをやるのも良しです。それは、現実逃避ですが、頭を冷やすことにもつながるから気分転換としてちょうどいいです。ほかの教科の勉強をやれば時間も無駄にしないで済むしいいです。

 

 それでも頭が動かない場合、私は環境を変えます。家のこたつの中でスマホを隣にやるからそっちに気が散ってダラダラしてしまうので、スマホの電源を切ることもあるし、図書館に行くこともあります。図書館に行けば、環境も勉強しやすいところになるし、少し歩いたりするのでリフレッシュになったりもします。

 目標設定するのもいいかもしれません。多くをやろうとすればやる気が起きなくなっていってしまうので、どこからどこまでこの時間でやるのかという目標を作ります。

目標設定の時は、時間を目標にすると、だらだらやっても一生懸命やっても同じになるので、「何ページまで」という風にした方が「早く終わらせよう」という気も起きてきていいと思います。

 

 ということで、私は休むことは重要だと思っているし、休んだ後やる気が出ないなら、同じ条件で同じことをやるということはないです。絶対に何かしらの条件を変えてリフレッシュしてから改めてやります。そうじゃないともうやる気が起きなくなるし、スピードも落ちてゆきます。

 今回は、勉強をしたくない時の方法を書きました。最後までお読みくださりありがとうございました。

2018〜2019年で思うこと 学校も他のことも頑張りたい!

z今回は、備忘録らしく、18年の感想と、19年の抱負を書こうと思います。今年と書くとわかりにくいのですが、書いているのが大晦日の日なので、18年を今年、19年を新年と書かせてもらいます。

 まず、18年の感想についてです。

今年は、本当に挑戦の年でした。まず、おおきいのは、やはり中学入学でした。小学校では、まだ担任の先生と親密で、学校を学ぶ場所と認識するよりも楽しいところという印象の方が強かったです。それに、学校から帰る時間だってクラブや委員会が違っても、ほぼ同じでした。

  だけど、中学校にはいって、学習の難易度が難しくなったのはもちろん、休み時間の使い方が変わったり、色々な変化がありました。部活も、帰る時間を気にしながら緊張の連続でした。そして、慣れていったので、どんどん挑戦を学校でして行くようになりました。

 一番大きいのは、やはり生徒会への挑戦だったと思います。生徒会は、私にとって先生と同じ立場になれるポジションとして、魅力的な立場でした。それに、信任投票とはいえ役員になれたので、すごく嬉しかったです。旧メンバーである二年生の方達に学びながら、一年としてサポートができたかなと思います。いつまでも昔のやり方でいるのではなく、新しいメンバーでの生徒会としてのまとまりがしっかりとできるといいなと思います。

 生徒会として、大きく変わったのは学校にいる時間と、先生との距離です。

生徒会として、学校の行事に参加しなきゃいけない時があるので、休日返上するときもあります。それに、完全下校時刻ぎりぎりまで残っているときも多くあります。

それももちろん忙しいですが、この年一番学べたのは、先生との距離です。小学校とは変わり、多くの先生と関わるようになりました。普通の学校生活だと、9教科を担当する先生だけでも、少人数授業なら三人担当の先生がいるので、十五人ぐらいいます。そして、部活の先生や、生徒会の先生など、日常的に接する人だけで20は超えます。

 これで思うのは、好き嫌いなんていらないということです。先生も、人間だから性格というものがあります。それに、授業がすごく楽しいというわけではない先生だって多くいます。だから、誰かに嫌われたりする先生もいます。そして、生徒会という役職からそういう人とよく話したりもするわけです。そのとき、私も確かに苦手かなと思う人はできます。だけど、先生との縁を完璧に切ることは、生徒会でなくてもできません。そのとき、先生が嫌いだなと思っても、それで話していると嫌いという感情がもっと膨れる時があります。そういうとき、視野は狭まって、その先生の良いところが見られなくなります。そして、悪いところばっかりが浮かんで、良いところがないと思い込みます。でも、絶対に良いところはあります。授業がつまんない先生でも、少し話を聞けば、面白い話をいっぱい知ってたりします。だから、嫌いという考えをなくすんです。嫌いというのは、自分のマインドで変えられるので、相手との関係をなくすより簡単です。きらいきらい考えてたら、学校がつまんなくなります。だから、できるだけ先生を好きになろうとしてます。

 他にも面白いことはいっぱいあったのですが、長くなりすぎるので書くのはやめときます。

 さて、次は新年の抱負です。2019年はどういう年にしたいかと考えたとき、一番は学校生活を楽しくしたいなと考えました。一年生なのは、あと3ヶ月だけですが、その中で、今まで以上に楽しく、密な生活を送りたいです。生徒会もそうだし、勉強もそうだし、それぞれに全力で当たりたいです。二学期は、充実した日々だったけど忙しくて、やりたかったことが全部はできませんでした。そのため、休日などを有効活用して、どんどんなんでもやって行くようにしたいです。三学期には、英検も準一級を取りたいし、漢検もとりたいです。そして、胸を張っていける人になりたいです。

 とかいっても、わたしには休日にダラダラして、お父さんたちに、呆れられるところが目に見えます。それはもう習慣になってきているので、なんか変えられないだろうな〜と思っています。でも、少しずつ変えていったら、一年生の間には無理でも、二年生でできるようになるかもしれません。だから、一歩一歩確実に歩んでいきたいです。名だけをとって内容はすごくないこともあったけど、それを直して、いってることに事実があってるようにしたいです。きっとできると思います。

 そして、できたらもう一つ、自分の夢を見つけたいです。自分の夢を見つけないと、このままなんとなく学校に行ってなんとなく満足できることをしてなんとなく志望を決めて…  という風になっちゃいそうで怖いので、自分が興味持てるものを何個でも見つけたいです。

 

 これらが18年の感想と、19年の抱負でした。最後までお読みくださりありがとうございます。

捨てる本を選ぶとき

こんにちは。今回は、本を捨てることについて書こうと思います。

私は本が大好きで、一ヶ月に何回も本を買っているのですが、それでも買ったものは整理して捨てるものを選ばなければいけません。季節的にも、大掃除の時期なので、母に捨てる本を選びなさいと言われてきました。今までも何回か言われてきましたが、そのときは一冊捨てるか捨てないかで危機を乗り越えてきました。

  でも今回、残念なことにダンボールに入れて捨てるほどの本を捨てることになりました。私はこれで年末が嫌いになりました。

 それはともかく、 私には今まで集めてきた本が何十冊もあるので困ってしまいました。 どの本を捨てるべきか…

 まず、私のもっている本は、

  1. 青い鳥文庫の本(4シリーズ+その他10〜15冊ぐらい)
  2. 図書館戦争シリーズの漫画全巻(別冊含む)
  3. 世界の歴史シリーズ全巻
  4. 日本の歴史シリーズ全巻
  5. ポプラ社の伝記ー10巻ぐらい
  6. 有川浩の本ー10冊ぐらい

    に加えてシリーズではない本が20冊ぐらいです。

どれも、小さい時に私が買った/買ってもらった本たちです。

 

 最初に別れようと決めた本は、世界の歴史・日本の歴史シリーズです。実は、このシリーズはイギリスに行く前に電子書籍にしたので、データがあります。でも、ちゃんと実在する本を読みたいと言うことで、当時の私がそれまでの小遣いで買った(思い出せる限りの)初めての大きな買い物が、今家にある本だと言うわけです。思い出は深いですが、データがあるのでこれは捨てようと思いました。

 私の場合は、ほかに被っている本はもうこれまで母に入れた時に捨てていたので今回はなかったです。が、もしも本を捨てる時に被っている本があったら、大きな理由がない限り、それは捨てたほうがいいと思います。じゃないと一冊しかない本を、その被っている本分捨てなければいけないので、キツイです。

 次に捨てたのは、三ヶ月以上開いていないシリーズで集めてはいない本です。シリーズの本は、それだけ熱中していたことの印だし、せっかくのコレクションをダメにするのは嫌だからシリーズじゃない本をすてます。そして、三ヶ月開いていない本は、すごく好きな本ではないものもあるので、それらを選びます。

 ここで、最初の難関が来るのです。本を整理していたらいつの間にか読み出しちゃった…  こんな経験はありませんか?私は必ずといっていいほど掃除をしたらこの沼に陥ります。でも、今回はそうもしていられなかったので、すぐに読むのは諦め、選定を終えた後で読むことにしました。と言うことで、条件に合う本を選び、それを、読むほんと読まない本に分けておきました。

 そして、有川浩の本と伝記は捨てられないので、残りのシリーズではない本を全て選定しました。この時に基準にしたのは、自分の中の思い出です。まず、見た中で好きな本は捨てません。また、その本に特別な思い出がある場合も、それは捨てません。しかし、今回は多くの本に思い出があったので、本にまつわる思い出は、頭から追いやりました。そして、その本のあらすじを思い出しました。その時に、あらすじをある程度完璧に思い出せた本は捨てました。頭の中に記憶があるから、本を実際に見ないでもいいなと思ったからです。そして、嫌いな本ももちろん捨てます。

こんな感じで30冊以上あったシリーズじゃない本が、5冊ほどになりました。

 そのあとは、青い鳥文庫の本が4シリーズあったので、何を捨てるかなと思いました。が、ほぼ即決で、もう終わってるシリーズを捨てることにしました。終わってるシリーズは、全部揃えていたのですが、表紙なども汚いし、もう全冊5回は読んでいるので、いっかと思い捨てました。そして、3シリーズ残りましたが、流石に多いので、1シリーズ捨てようと思いました。そこはもう、選ぶのは好きな順です。そうして2シリーズにして、それ以外全部捨てました。

 ということで、4シリーズと110冊あった本が、2シリーズと40冊に減りました。もちろん、捨てる本は全部捨てる前に読みました。生涯で一番早く本を読んだと思います。なんせ、箱詰めが迫っていたものですから…

 

 今回は本の捨て方について書きました。最後までお読みくださりありがとうございます。

国立西洋美術館はココがすごい!

こんにちは。今回は、自分の趣味について話そうと思います。

 

 いつかルーブルにいった時の記事でも少し書きましたが、私はルネサンス期のキリスト教絵画がすごく好きです。

 

chirpspring.hatenablog.com

 きっかけは、イギリスにいたときに、多くの美術品を見てきたからだと思いますが、キリスト教絵画は、 絵自体も綺麗でうっとりするのに、絵に描かれた場面の意味を考えたりすると、納得する所が多く出てきます。そのように、段階があるから、下調べしたいと思うようになります。

 なにもしらないで見ると、場面を描いている絵はまだしも、聖人が描かれている場合、誰だかわからずに見る事になります。そういうのは嫌なので、調べてみるのは面白いし楽しいです。

 

 ということで、私はルネサンスの(ルネサンスではなくても)キリスト教絵画が好きです。そのキリスト教絵画が見られるところは、国立西洋美術館が一番いいので、何回か行ったことがあります。今回は、その西洋美術館について少し書こうと思います。

 私の学校では、今三学期にある社会見学のため都内の観光スポットなどをそれぞれ調べています。そこで、私は国立西洋美術館について調べることになりました。

 

 国立西洋美術館は、世界遺産となっています。しかし、その歴史や所蔵物が主な理由では無く、国立西洋美術館の建物が評価されたのです。

 国立西洋美術館は、

 「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」

 という名前で、フランスを中心とした初めての大陸をまたぐ世界遺産として登録されました。

 国立西洋美術館は、ただでさえ広いから、好きな作品を自分のペースで見ることができるのに、設計としても、外の光を感じながら回遊するイメージで作品を見れます。

 また、常設展の内容などもすごく豪華です。ドラクロワ、マネ、フェルメールピカソ、モネなどがたったの500円で見れます。私が好きなのは、カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」です。↓

作品詳細|17世紀|作品紹介|国立西洋美術館

 この作品以外にも、ずっと見ていたくなるような作品はいっぱいあります。

すこし見るだけなら、2時間もあれば十分ですが、半日かけて見るのがいいと思います。私は、いつも館内を二周回るようにしています。大きい美術館だとそうは行きませんが、国立西洋美術館の場合、すごく大きいと言うわけではないので、まず館内の順路を確認しながら、ザーッと回って、気になる作品をチェックします。そのあと、気になった作品を二周目でじっくり見ます。こうすると作品を取りこぼすこともなく、大体どれくらいの時間で見ればいいのかも確認できるのでこのやり方は重宝してます。

 

 国立西洋美術館は、このように設計も素晴らしいし、展示物も豪華でしかも安く、日本ではほぼ見れないルネサンス期の絵があるので、いいなと思います。興味のある方は、近くを通ったらぜひいってみてください。上野動物園や科学博物館のすぐそばなので、お出かけのついでに、と言うのもできると思います。

www.nmwa.go.jp

 

これで国立西洋美術館の魅力がみなさんに伝わったらいいなと思います。最後までお読みくださりありがとうございました。

オタクって素晴らしい?

 今回は、ちょっと自分を出してみようかな~と思っています。

とつぜんですが、あなたの近くにもオタクっていますか?いっぱいいるという人もまったくいないっていう人もいると思います。

 あなたはオタクをどう思いますか?

素晴らしいと思うという人は、私の意見を読んで賛成したりあなたの意見との相違点を探したりして見てください。

変な人なんじゃないって思う人は私の意見を読んでこんな意見もあるんだって感じてください。

別にどうともという人は、私の意見を読んで自分はどうなんだろうと考えてみてください。

 

 本やネット上では、オタクって気持ち悪いとか、変とかいう人がいたりします。でも、それって本当にそうなの?

 確かにオタクの中にはあなたにとって気持ち悪い人もいるかもしれないけど、すべての人がそうなわけじゃないんです。

 私も、オタクの友達がいるし、私にもオタクのようなところがあります。オタクでいるということは、何か一つの物に対して集中できるということになるので、それは勉強にも運動にもなんにでも役立ちます。つまり、オタクはいろいろなことを達成させられる可能性が高いんだと思います。

 私がこんなことを書きだしたのは、私の近くにもオタクが多いからです。私は、オタクというよりはファンというか重度は低いんです。だけど、少女時代から始まり、歴史(これでオタクっていうと父と弟に叱られます…)、TWICE、など、色々なものに興味を示しています。その一部が中学校に行ったときに同じ趣味をした人と話せるようになりました。それでも、オタクに偏見を持つ人たちもいるので、オタクについての中傷も聞くときがあります。

 

 でも、考えてみてください。もしもオタクがいなければ、学者のほとんどはいなくなります。発明者のほとんどもいなくなります。つまり、世界はものすごく不便になっていたはずです。上記の通り、オタクには色々なことを達成できる人が多いので、オタクのおかげで世界が良くなったともいえるでしょう。

 というかオタクがいないと、例えばグッズやパソコンなど、専門性が少しでもあるものは、オタクによって産業が成り立っている面もあると思うので、そこまでの力を持つ人たちをけなすのはおかしいと思います。

 それに、自分はオタクではないと思っている人も、オタク的面はほぼ全員が持っているのではないでしょうか。多くの人は何かに興味を持っていると思います。それにもっと興味を持っている人たちがオタクと言われるわけです。

 

 まとめると、

  • 何か一つの物に対して集中できる
  • 色々なことを達成できる(発明や研究など)
などの条件を満たす人々がオタクと言われているわけです。そして私は、それらが馬鹿にされているのは嫌だなと思ったわけです。
 
 以上が私の語りたかったことです。さいごまでお読みくださりありがとうございました。なんかうまくまとまりませんでしたね…(汗)
 皆さんはどのような意見をお持ちですか?
 

生徒から見たいい先生

こんにちは。今回は、私から見たいい先生について話したいと思います。

 授業についても書くので、少し前置きを…

 私はこれまで何回か『学びあい』についてここで書いてきました。

 

chirpspring.hatenablog.com

 今でも、『学びあい』が一番楽しくためになると思います。『学びあい』は、私の勉強の仕方を変えてくれたし、とても楽しいので、同じように楽しく大勢で活動しあえる授業は今でも楽しいです。でも、中学校では、『学びあい』はできないので、そこは残念です。

 

 先生への好感度は、しゃべり方や生徒への態度などで変わってきます。

しゃべり方は、色々あるのですが、まず名前の件で言います。

※ちなみにここに書いてあることはすべて私の意見です。

 名前の呼び方ですが、私の父などは名を呼び捨てにするのは絶対に嫌だと言います。でも私は、先生と生徒で格差があるのは当たり前だから、呼び捨てもそこまでは気にしません。

 ただ、やはり尊敬の念を持ってくれると嬉しいです。私が六年の時の担任は、怒っているときも遊んでいるときも絶対に名字+さん付けでした。この先生は、生徒をないがしろにせずにいてくれるんだなと、本当にうれしかったです。

 名字呼び捨ては、気にしないです。友達も不満を持っている人はいません。先ほども書いたように、格差があるのは仕方ないから、こっちは呼び捨てできないのにあっちが呼び捨てをするのは構いません。それに、名前呼び捨てもある程度は許容できます。今は、いじめなどがよく取り上げられ、先生がしっかり生徒とコミュニケーションをするのが大切になってきているし、名前呼びでもいいけど、名前呼びの先生はフレンドリーになりすぎることが多いと思います。私は、フレンドリーすぎる先生は苦手です。だから、名前呼びをする先生には、好感を抱けません。 友達の中で広く使われているあだ名などなら別に大丈夫です。

 ほかにも、フレンドリーかそうじゃないかが重要だと思います。確かに難く話しかけられると、こっちも楽しくはなりませんが、かといってさっきも書いた通り、フレンドリーすぎるのも引きます。

 

 しゃべり方以外にも、授業の仕方などがあると思います。例えば、色々な学校に行く先生が授業をするときは、私達の持っていない教材から教えるのは、少しやりにくいです。それに、クラスをまとめ切れていない先生も何人かいて、騒ぐ奴がうるさいのは確かだけど、うまくまとめている先生もいるので、授業をが進まないのにはイラつきます。私のクラスでは、ボケ突っ込みをよくする人たちが多いので、その流れに乗って、うまく生徒たちを授業に引き込ませるのがうまい先生は、授業以外の時でも人気があると思います。

 

 まとめると、

  1. 生徒を尊重する
  2. フレンドリーになりすぎない(適度な関係)
  3. そのクラスの特徴に合わせてうまく進行する

   のがいい先生だと思いました。

 皆さんはどんな先生が好きですか?

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

期末の勉強法

 こんにちは!

私のいる学校ではこの前期末テストが行われました。一か月ほど前に中間テストがあって、生徒からのブーイングも多かったです。私も嫌だな~と思いながらしぶしぶ勉強していました。

 しぶしぶと言っても、これまでの三回のテストは、反省が皆似たようなものなので、頑張らなきゃと思ってやりました。もうこれまでと同じように「次回はもっとたくさんやろう」という羽目にはなりたくないと思ってやったのですが、結論を言うとうまくいかなかったです。

 今回は、私の勉強法と、その改善点を書こうと思います。

と言っても、特別なものでもなんでもなく、普通に赤シートで隠すものです。

まず、範囲票が配られる前にワークなどを終わらせておきます。だいたいここら辺と分かるので、すべての教科をやります。

 私はここで、一週間もあれば十分だろうと思って、範囲票が配られる(試験の二週間前に配られます)一週間前から始めました。だけど、今回やってみると、ほかの活動の忙しさも手伝って、まったく終わりません。二週間ぐらい前からやると余裕を持って進められるのではないかと思います。

 

 次に、テスト用ノートにまとめます。これが一番重要ですね。

私は今回、苦手なものを最後の方にやりました。しかし、これはやはりだめですね。苦手ということは、まとめるのに時間がかかるということで、そうすると、テストの直前までまとめることになるので大変です。欲を言うと、テスト一週間前に終わらせるのが私の中の理想ですが、それは少し難しいので、四日前には終わらせるのがいいかなと思います。でも、早ければ早いほどいいので、父などは、授業中にまとめればいいと言います。

 ノートのまとめ方ですが、本当に!シンプルでいいです。私は、基本的に二色しか使いません。時々、強調したいときにほかの色を使います。私のノートは、ベタですがポイントとなる所をオレンジ色で書き、赤シートで隠します。それが一番覚えやすいと思います。テストも同時にでき、また、何となくですが記憶に定着しそうだなと思います。

 私の友達には、何人か何色も色を使ってすごく綺麗にノートを仕上げる人がいます。でも、その人達は、勉強をしっかりやることが目的というよりも、ノートを綺麗に仕上げることが目的という風に見えます。それは全く意味のないことだなと私は思ってます。

  勉強は、本当に真剣にやることが大事なので、それは大前提としてこれからも勉強して行きたいです。

 

 テストが返って来たら、復習をしました。復習の点では、まあすぐにやることもできたし大丈夫かなとも思いますが、何回も見返して行きたいです。

 これからのテストも頑張って行きたいです!と言っても次は、学年度末テストで最後なんですけどね…  自己最高点を目指します!