うぐいすの音

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「命の花プロジェクト」道徳の授業で考えたこと 〜帰結主義、哲学って、やっぱり面白い

 こんにちは。今回は、道徳の授業で学んだことについてちょっと書いていこうと思います。少し重い話題なので、苦手なかたはバックしてください。

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 少し前に、道徳の授業中に「『命の花』プロジェクト」について学びました。

このプロジェクトは、青森県三本木農業高校の学生によって始まりました。殺処分されたペットたちの骨が、最後「ゴミ」として捨てられることに違和感を覚えた学生たちが、自らの手で犬の骨を砕き、土に混ぜて、その土で花を育てる、というプロジェクトです。

今私は、意識して簡潔に書いているのでこちらのHPを見てもらうとより詳しくプロジェクトについてわかると思います。→http://christelfoundation.org/news-blog/blog/%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88.html

 

 さて、このプロジェクトについての学習を道徳の授業でやりました。最初、学生たちがこのプロジェクトを始めようとしたきっかけや犬の骨を『泣きながら』砕いて苗を植えている姿の動画を。そして、そのあと殺処分される犬の暮らしを犬目線から描いた動画を。 クラスも全員シンとしてその動画を見て、特にペットを飼っている人などは涙腺が緩むくらいの印象的な動画でした。

 

 その後、「プロジェクトに対してどう思ったか」などの質問に対して意見を書き、それをグループで共有するという道徳の授業でした。

 色々なクラスメイトが、「悲しい、少しでも助けられたら」「とてもいい活動だと思う」などといっていました。

 

 正直、私はこの活動に違和感を覚えました。とてもいいことかもしれないし、自分がその活動に参加するかと聞かれたら、人生経験のためにも参加するでしょう。でも、データが足りない授業中には、この活動を「良い」と全肯定できませんでしたし、したくありませんでした。

 骨ってすりつぶすものでしょうか。花にする前に普通に土に埋められないんでしょうか。ゴミにするのがかわいそう→それは、私も思います。じゃあ、なぜそれを花にするんでしょう… 

 この活動は、ペットの命も粗末にしてはいけない、命を大事にしなければならない、という意見を持った活動です。それなら、例えば紛争地域で地雷によって命を失って骨の状態になった遺体があったとしましょう。その遺体を園芸用レンガですりつぶして花を植えるための肥料にしますか?その行為に違和感は覚えませんか?

 私が、人間の遺体を渡されたら埋葬するか、火葬して骨を土に返すでしょう。

そうした違和感を、まず私はみていて感じました。直接的な言葉を使うと、もちろん動画の高校生の行動力にすごいなとは思いながらも、どこか気持ち悪かったです。

 

 ここで言っておきたいのは、私の意見は全て「データがない」状態でのものです。私は、このプロジェクトにより周辺の保護施設に入れられるペットの数がどれだけなくなったのかを知りません。どれだけこの活動に効果があったのか。どんな実績があったのかを知りません。

 この活動により助かったペットの数が多いのなら、もちろん賞賛されるべきでしょう。それは、結果的にいくつもの命を救ったということなのだから、本当にすごいと思います。

 

 ただ、少なくとも私が話したクラスメイト、同学年の友達、家族、「命の花プロジェクト」を知っている人は1人もいませんでした。住んでいる県も違います。全員ペットを飼っているというわけでもありません。でも、その場合、私はプロジェクトがどれほどのものなのかわかりません。「かわいそうだな」「学生さんたち、ありがとう、すごい」そういう意見はあっても、実際にどれくらいの結果が出ているのか。

 

 もしも、結果が何もないなら、それは学生たちにとっては意味があるかもだけど、ペットにとってはなんの意味もありません。死んだ犬が、自分の骨が花になっているところを見ても、「ありがとう」なんて思わないでしょう。死んだなら何も思えないし、そもそも犬を殺したのも人間です。

 結果がもし何もないなら、こういう言い方もできます。

人間が殺したものを、人間が勝手にすりつぶして花にしている。これは学生たちの自己満足だ。

 なんども言いますが、これはデータがない前提の話です。ひどい言い方だとも思うし、前述したようにこのプロジェクトに参加しろと言われればもちろんします。でも、私のもつ見方も正しいと思います。

 

 私は、今ペットを飼っていないし、可愛いなとは思いますが、この先ペットは飼わないでしょう。それは、自分が命に対して責任が持てないからです。自分がルーズなのは自分が一番わかっているんだから、ペットは飼いません。だから、ワークシートに「自分がこれからどうしようと思いますか?」という問いがあっても、正直何もできない…と思いました。自分ができるのは、自分の中で知識を得て、ペットを持っている人の相談に乗れたら乗る…、くらいしかできないな、と思いました。

 だから、「結局批判しておいて自分は何もやんないんだ」と思われたら、その通りだとも思います。

 

 …ということを、授業中や、登下校中などに少し話していました。今も少し探してみましたが、命の花プロジェクトによる結果は残念ながら見つかりませんでした… でも、自分で考えたことを行動に移して、しかもメディアにも取り上げられているということが単純にすごいなと思います。

 それに、今こうして私が自分の意見を書いていて、そういう風にいろんな意見があるという時点で既に影響力があるということにならないでしょうか。

 

 この話を家でしたところ、「帰結主義」という哲学の考え方を紹介されました。

帰結主義(きけつしゅぎ、英語consequentialism)とは、行為道徳的に判断する際に、その行為から生じる帰結(結果)を考慮に入れる立場を指す。功利主義は、帰結主義のひとつの立場である。俗に結果主義と呼ばれることもある。

Wikipedia

帰結主義というのは哲学の考え方の一種で、何かの行為を判断する際に、結果を重んじる立場だそうです。対義語として、動機が行為を正当化する義務論という考え方もあります。大抵の道徳の授業で重視されるのはこの義務論ですが、今回私は帰結主義的考えをしたということになります。意識せずに哲学に結びついて驚きましたが、確かに私はなんかの本で「功利主義って私の考え方に似ているな」と思ったことがあります。功利主義は、帰結主義の代表的な考えの一つなので、私の中での繋がりが見えました。

 

 そして、友達と話していて、面白かったことも数点ありました。普段哲学的な話をすると、「変」と思われても仕方ないので 全くこういう話を友達としたことはありませんでした。でも、道徳の授業で友達に私の意見を言った時、「確かにわかるかも」と言ってくれた人もいました。大抵の人は、「ずれてる」と言ったような感想を持っていましたが、わかるという言葉があって本当に嬉しかったです。

 私が小学生の時は、先生の思う通りの解答をしようとしていました。そのままで、「命の花プロジェクト」の授業を受けたら、

「人間の身勝手で捨てられる動物たちは本当にかわいそうだと思います。同じ人間として犬たちに申し訳ないです。そんな中、少しでも犬のことを考えて、悲しいことが起こらないようにと自分たちから犬の骨を潰すという悲しい作業をやって、花を咲かせてくれた高校生の方たちはすごいです。私も、そういう風に動物のことを気遣って、自分から行動していけるようになりたいです。」

程度のことをささっと書いたと思います。こういう意見を書いている人もいたし、その人たちは本当にそう思って書いているのでしょう。私が書いた今の意見は「作った意見」ですが、シンプルにこう思っている人たちもいます。その意見と、私がこの記事で書いた「結果がなければ自己満足」という意見。道徳の授業で多くなるのは前者の意見ですが、正解はないと思います。

 少なくとも、親に「帰結主義」の考えを見せてもらった時、「別に間違いじゃないんだ。私の考え方がおかしいわけじゃないんだ」と感じられました。

 そうやって、自分の率直な考えを道徳の授業で言えたことに、自分の成長を感じるし、とても面白い教材だな、と思います。

 私の場合、「データがなかったら」という前置きをしているので、うがった見方とも言えないでしょう。こういう考えの人もいます、ということを、少なくとも同じクラスや学年の数人に話せてよかったです。

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。これをかくと、「批判」と取られるんじゃないかな、と、書くかどうか迷いましたが、「意見」をいうことは大抵「批判」につながります。それなら、このブログは私のブログなんだから、私の意見を書いてみるか!ということで、この記事になりました。私の意見のみが正解じゃないし、大半の意見のみが正解となるわけでもない。だから哲学、道徳って面白いな、と思います。