うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

小さい頃に読んでいた詩ーこんな詩があります、「蛇」と「あめ」

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 こんにちは。今週中に図書館に行こうと思っていたのですが、ずっと雨が降っていていくにも行けず…

近い距離なら行っちゃうのですが、流石に数時間雨に打たれて歩くのはきついです(笑) 梅雨入りはまだ、みたいな情報も少し前までありましたが、もうこれは梅雨ですよね、多分。一週間ほぼ丸々雨が降っています。

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目次

 

前書き〜雨のイメージはなんですか?〜

 今日は、その「雨」がお題で出ていたのでちょっと雨から連想したことについて書いてみます。

雨っていうと、恵みの雨とか、氾濫とか、いろいろ連想ワードがありますよね。中には、鬱陶しいとか面倒くさいとか、マイナスのイメージを持つ人も多いと思います。「雨はマイナスなだけじゃなくて、農業とかにとってとてもプラスでもあるんだよ〜」なんて言葉、聞き飽きてる人も多いのでは無いでしょうか。

 

 私も、小さい頃は雨が苦手だったと思います。あまり幼児の頃は記憶にありませんが、小学校に入ると雨が降りませんようにと普通の日にはお願いし、体育の前の日には雨が降りますようにとお願いしていました。

 でも、成長したのか()、今は雨が降っても特に何も思いません。用事があったら、少し面倒くさいな〜ぐらいです。結局図書館も休日に車で連れて行ってもらえることになりましたし。

 

私の中で印象に残っている詩

 そして、雨と聞いて割りとすぐに思いだす、「詩」があります。

私の親の1人は詩が大好き(なのか詳しいだけなのかよくわかんないけど)で、家には詩の本がたくさんあります。それこそ床から天井まで続く本棚一つを占領しているくらいです。

 その中でも私が小さい頃に読んでいたのは、谷川俊太郎さんの「詩ってなんだろう(筑摩書房)」です。この本はひらがなも大分多いため、親と読み聞かせで読むほか自分で読んだりもしていました。

それこそ保育園の頃に読んでいたのがこの本です。

 

詩ってなんだろう (ちくま文庫)

詩ってなんだろう (ちくま文庫)

 

 

保育園の頃の記憶なんてほとんどないようなものですが、それでもこの本で読んだ詩で、今でも覚えている詩が二つあります。どちらも同じページにあるので、もしかしたらただそのページをよく見ていただけかもしれませんが、とにかく今週のはてなブログのお題「もう梅雨入り!?」を見て、すぐに思い出しました。

 

①ちょっと笑える、ユーモアのある詩『蛇』

 そのうちの一つが、ルナールの「蛇」

本文は、

 

長すぎる。 

 

以上です。ちなみに原文はTrop long(トロ・ロン)。日本語で言った時の音数よりまた少し短くなっています。

この詩は、私も弟も大好きな詩だったと思います。まず、蛇という長い生き物に対しての言葉が「長すぎる」。その言葉がすでにもう短すぎるし、家に置いてあった詩の本(子供に分かる範囲)をパラパラめくっても、こんなに衝撃的な詩は他にありませんでした。

 訳したのは岸田国士さん。内容と表した文との対比が面白くて、毎回笑っていました。たった4、5歳の子に高尚なものはわかりませんが、この詩はそれでも面白くて、私なりにユーモアを見つけていたんだろうな、と思います。(今はユーモアという言葉だけではくくれないような気も少ししますが。)

 

②これが本題、『あめ』という詩があります。

 そして、同じページに載っていたもう一つの詩が今回の「雨」につながります。

詩の名前はその通り「あめ」山田今次さんの詩です。ここでは一部抜粋。

 

あめ あめ あめ あめ

あめ あめ あめ あめ

あめは ぼくらを ざんざか たたく

 

ざんざか ざんざか

ざんざか ざんざか

あめはざんざん ざかざか ざかざか

ほったてごやを ねらって たたく

ぼくらの くらしを びしびし たたく

 

………

 

 

  こんな感じで、詩は進んでいきます。この詩に惹かれた理由は、完全にリズムだったと思います。よく親と音読していました。

雨は、私たちにとってとても身近なものです。しかも、言葉を多く知らない子供にとって天気は晴れと雨、曇りしかありません。

傘を持って歩くときに聞こえてくる音を、こうやって表す。そのリズムがすごく楽しかったんだと思います。

 

 リズムに乗って読んでみると、本当にこの詩は読みやすいなと思います。

しかも、歳をとって(もう十年前のことですよ…!)から読んでみると、また少し違った印象も受けます。

 まずは、この詩は音読に最適だと思うのですが、色々な解釈もできる気が。

 

例えば「ふる ふる ふる ふる」と言った繰り返しの後に、「ざんざん ざかざん」という音がある。

 この部分は、「ふる」を弱い雨と認識して読み、その後に「ざんざん」で強くなったかのように読むこともできます。

また、「ふる」の前の部分は「やすむ ことなく しきりに たてる」なので、そのまま勢いが強い雨を描いているのかもしれません。「ふる」部分を視覚や触覚で感じ、そのまま聴覚で「ざんざん」という音を同時に聞いているのかも。

 

 私は、音読の授業が割と好きだったので、ぜひまたああいったことができる会があれば入ってみたいです。読んでいると色々考えるし、それを語り合える人がいたら面白いかと思います。ただ、親とやると約1名調子に乗りそうなのでちょっとやめようかな…

母親に頼んでみます(笑)

 

今読んで変わる、詩の印象

 それに、この詩の後に書いてあった、詩の背景の文章はかなりインパクトのあるものでした。

この詩は、ただの陽気な雨の詩ではなかったんです。本に書いてある通りのことを一部抜粋します。

 

やまださんは、ものおきみたいなそまつないえにすんでいた。

あめがふるとしごとがなかった。

一九四七ねん、にほんがせんそうにまけて、たべものもなかったじだいに、この詩はかかれた 。

 

 本文は改行もしていないため、もう少し読みにくいです。この背景、読んだであろうことは間違い無いんですが、全く覚えていませんでした。戦争自体しっかりわかっていたかどうかも怪しい年齢なので、まあ納得です。

 しかし、そう考えてみると、詩の持つ印象も変わってきますね。

雨を喜ぶカエル…までとは言いませんが、そのような楽しいイメージがこの詩にはずっとありました。でも、この背景を知った今「ほったてごやを  ねらって たたく」は、楽しい印象にはなりません。

 むしろ、厳しい現状を描いたような、孤独な気分を描いたような、そんなイメージになります。雨は、苦しい生活を直接叩くものだったのかもしれません。

山田今次さんは、当時横浜に住んでいたようです。1947年の横浜といえば、占領軍が闊歩していた時では無いでしょうか。そんな戦争の焼け跡から生まれた詩が、この「あめ」でした。

 

 かといって、私が幼い頃に受けた楽しいイメージが全て変わるわけではありません。背景を知ることで、イメージは確かに変わりました。

でも、小さい時に感じたイメージも許容されるものだと思います。

というか、今の私には、

正解があるのか、そもそもこの場合の正解とはなんなのか、正解をつけることは正しいのか、

全くわからないので、はなから意味のないことを考えていることにもなるでしょう。

 

 この現状を知った今、この詩を楽しく読むのか、それとも緊迫感にあふれたように読むのか焼け跡からの希望を想像して読むのか、それとも辛い現状と苦しい暮らしを想像して読むのか。それは、人によって判断が異なるような気もします。

 

 

まとめ:とりあえず勉強しないうちには始まらないので、勉強します!

 よく、「大人になってから読むと違った面白さに気づく」とありますが、今日のこの文などはまさにそのいい例なのかもしれません。

 別に私は詩が好きというわけでは正直ないし、詩を作る授業は苦手でした。何を書けばいいかわからなかったからです。ですが、詩に興味のある親にもっと詩について聞いていれば、今とは違う考えも持てたかな〜とも思います。

 

…こんな記事を書いてしまって今思うことは、「やばい、これは調子にのせるかもしれないな」ということです。親(の片方)に何か教えてっていうと、1求めても3くらいにして帰ってくるので、面倒臭い時もあるんです…

 とりあえずは、簡潔に答えてくれる方に一回話してみて、それでもっと詩について面白く感じられそうだったらもう1人の方にも聞いてみようかな!

何かを学ぶのに遅いことはないし、今なんて学ぶのに一番いい機会だと思うので、やる気を出していきます!

 

 ということで!今回は、詩について書いてきました。詩にも色々な種類のものがあります。私が好きなのは石垣りんさんの「崖」などですが、それといまあげた二つは全くテイストもジャンルも違います。知っていけば、好きになるかならないかに関わらず、単純に楽しめる…はずです。

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。今日は『サピエンス全史』の感想ではなく、詩について書いてきました!サピエンス全史の方もちょうど今日の午前中に読み終わったので、明日には感想の記事を書いていくつもりです。是非そちらもお読みください!