うぐいすの音

15歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

読書感想文の宿題を通してやってみること 少し苦手だと思ったら、自分から楽しくするまで!

 こんにちは。みなさん今日もお疲れ様です!私は、秋休みが残り少なくなってきてちょっと残念な気持ちでいます。でも、学校が始まって友達と会うのも楽しみ!

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目次

 

 

前書き

 

今日は、学校の宿題である、月一の読書感想文(読書ノート)について書いていこうと思います。

何回かこのブログに書こうとして、それでも上手く書けなくて断念して…。

という、私の中ではちょっと書くことに迷いもある記事なのですが、とりあえずは書いていきます!

 

途中、その宿題に対する批判のような文章も出てきますが、まだ二ヶ月しかこなしていない宿題です。私がちゃんと捉えきれていないところもあると思いますし、やっていく中で変わるものもあると思います。

私のやり方に対して拒否感を覚える人もいると思いますし、私がやろうとしていることが最善のやり方とも言えないはずと自分でも思っています。ご了承ください。

 

 

 私の学校では、日本語の授業で毎月「読書ノート」と言われる読書感想文のような宿題があります。

学校の授業であまり文学作品を扱わないため、宿題を通して生徒に文学作品を楽しんでもらおう、学んでもらおう、という狙いのようです。

(国語の授業で文学作品を扱わないというのも考える部分はあるのですが、ここでは触れないでおきます。)

 

 

その「読書ノート」、9月提出分と10月提出分の2回分を今まで書いてきました。

今回は、そうやって書いてきて思ったこと、そして自分で行っていくことを書いていきます。

 

 

読書ノート9月分

 

まずは、書いて思ったこと。

9月提出分では、私は三島由紀夫の『潮騒を読み、その感想を書きました。

正直読んだことはあったのですが、さらっと読んだだけであまり印象には残っておらず。

 

ですが、読書感想文を書くということでもう一回読んでみると、本当に面白かったです。

三島作品の中ではかなり異色というか、「普通」の作品だなと思っていたのですが、何回か読んでみるとストーリー展開だったり、それぞれの人物像だったり、最後の文章だったり、面白い部分が多く自分としてはとても楽しく読めました。

 

その時の読書ノートは、自分でも文章を少しだけ変えてみようと思って「偉そう」に書いていました。

一部分お載せします。正直、改めて読み返してみるとかなり稚拙な文だと思いますし、校正もほとんどしていないのでお恥ずかしい…。

これから上達して行きます!

 

 この物語は、最後の文章でただの「純愛小説」ではなくなっている。新治は、海の中で荒々しい航海を自分の手で切り抜け、その代償として初江との恋を手に入れた。しかし、初江は祖父に監視されながらただ家の中で新治を「祈りながら」待っていただけだ。状況的に仕様がないのかもしれないが、その違いが最後で違和感を産んでいる。成長し、自分と初江のみではなくさらにその先を見つめている新治と、2人の愛情のみにいまだ囚われている初江だ。

 ただ、これは決して悪いラストではない。恋愛にもいくつかのステージがあるからこそ、私たちには「結婚」と言うシステムがある。

そのステージに行くためには、双方が意識を変え、甘えているばかりではなく自立していかなければならない。新治が自立したいま、初江との間に少しずつ諍いが生まれることはあるだろう。しかし、それが2人を引き裂くかと言われると物語からはなんとも言えない。

純愛を捧げた2人、最後まで純潔を守り結婚した2人。いかにも神話のようなストーリーだが、ここでの新治の自立によって、この話は「理想的な神話」を抜け出し、リアリティを感じさせるのだ。

 

 

こういった感じの文章を1600字ぐらい書いて、提出しました。

そして返ってきた評価が以下のようなものでした。

  • 書評のように見える
  • もっと個人レベルに落とし込んで論じるべき
  • 主張を明確に

 

ここで言及したいのが、この読書ノートを書く際に載せられていたテンプレートについてです。

例として、「こういう風に書いてみて」と言われたものがありました。

それをまとめると、以下のようになります。

  1. 序論(本を読む前は〜〜でした)
  2. 本論(本を読んで、==に気づきました)
  3. 結論(これからは**しようと思います)

この形で、本をむ時のBefore/Afterを示しなさい、ということでした。

 

 

読書ノート9月分:考えたこと

 

正直、このテンプレートはあまり私が好きなタイプではありません。

読書ノート提出後に少し話す機会があったのですが、先生も「これは文章を書くのが苦手な人向けのものだから〜」という風にはおっしゃっていました。

また、読書ノート提出前に ”このフォーマットで文章は書きたくない” と思い、先生にこれに沿わなくてはいけないのか聞きました。

「別に沿わなくても良い」とのことだったため、実際に自分で描くときには特にフォーマットを気にしなかった、という経緯があります。

 

ですが、読書ノート一回めの後に先生がくださった評価は「書評のよう」という言葉。

そして、良い例として先生が見せてくださったのは、上記のフォーマットを参考にしているであろう他の生徒の文章でした。その方の文章では、「自分は今〜〜を実行しています」という趣旨の文が入っていましたが、それを先生は求めていそうです。

 

 

もちろん、文章には色々な形があると思いますし、

否定されるものはないと思っています。

色々な文章が書けるようになりたいです。

 

でも、多分先生の求めている文章を書くのは「楽しめない」気がします。特に上記の例を書けと言われたら、私は楽しめません。

その理由は二個あります。

 

一つめに、私は今まで好きな文章を好きなように書いてきたということ

ブログという、好きなように文章を書ける場所があったため、自分が好きなように好きな文章を書いてきました。

特にこういう文章が書きたい…というものがあったわけではありませんが、まあ多分自分が心地いい形みたいなものがあるんだろうな、と思います。

 

二つめに、私が今まで文章をならってきたときは納得できてきた、ということ。

学校ではありがたいことにあまり注意などはなく、言葉の使い方などを注意された程度でした。

大抵家で文章を指導されてきたのですが、そうやって教えてらう時は理想形とそれにたどり着くまでの道のり、そして構成の仕方などを、やり方から学びました。

そこで学んだことをブログで使ったりはしていませんが、しっかりした文章を書く時は頑張って使っている…はず!

 

納得できるやり方ではないにしろ、それが自分の力になるのならやりますし、やらないうちから楽しくないからやりたくない、とは絶対に言いません。

でも、書こうと挑戦してみても、

「納得しにくい形を、やる意味をしっかり理解していないまま」楽しめるとは思えません。

 

楽しめない文章を書くのは、あまり好きではないし、それで文章が嫌いになるのはもっと嫌です。

 

読書ノート10月分

 

ということで、とりあえず楽しめるのか楽しめないのか最終確認として、先生のあげた例のような形の文章を書いてみました。

 

以下は10月提出分の文章です。

11月に評価は帰ってくるので、まだ先生は見ていません。

多分、自分の文章なのでここにあげてもいいはず…。

 

 今回読んだ川端康成の「伊豆の踊子」は、主人公である「私」が孤児根性克服の思いに駆られ旅に出て、そこで出会った旅芸人の踊り子に恋をする話です。

この本を読んで、私は人に頼り頼られることの楽しさ、美しさに気づきました。

 

 本の中では、主人公の「私」が孤児としての人生で身につけてきた人に頼ってばかりの性格に嫌気がさしています。ですが、そうやって自分を卑下していた主人公も旅芸人とのふれあいの中で自分が人に愛される存在になり得ると学び、自分の性格を受け入れるようになりました。最終的に、「私」は人にただ頼って享受しているのみではなく、自分からも快く人に親切にするようになりました。

ちなみにこの物語では、その提供と享受の仕方の物語中での変化というよりも、提供と享受を「私」が「美しい」と受け入れられるようになったことに重点が置かれているように思います。

 

 人から与えられるものをもらっているばかりではなく、自分からもできることを何かお返しすることはとても大切だと思います。それは、「恩返し」に近いものだと思いますが、授業でやったような「恩送り」でももちろん構いません。自分がものを貰うことに抵抗があるのなら、自分からも何かを提供すればいい、ということです。

この本を読んで早速、いつも世話になっている家族のために薪ストーブを火起こししたり、洗い残しを片付けたりしました。これも「人に頼り頼られること」の一環と言えると思います。ですが、これでは対価交換になっているような気もします。「これをやってくれたからこれをやる」と意識せずに、自分から周りを見て行動し、頼られるような人間になりたいと思いました。

 

 

 評価が帰ってこないと、これが先生の求めている形なのかはわかりません。

が、多分こういうことが理想なのでは…と思っています。

少なくともテンプレートには沿わせたつもりです。

 

ちなみに、10月の読書ノートでは注釈として「論理的文章の書き方<双括型>」の説明が載っています。

また、「気づき→結びつけ→行動・実践→振り返り」の順番で書くように、という説明も。

目的は、作品を読んで共感したことから自分のアイデンティティを認識する、というもの。

 

読書ノート10月分:考えたこと

 

上記の10月分の読書ノートを見てもらえばわかると思いますが、しっかりとフォーマットに合わせ、文章も敬体にして、短くまとめました。

 

書いてみて、ぜんっぜん楽しくなかったです。

ひっさしぶりにこんなに楽しくない文章を書きました…。

 

自分がまだこういった形の文章を書けるということの確認はできたので良かったです。

ただ、やっぱり楽しくない文章は書きたくないな、と。

これが求められている形なのだとしたら、毎月書くのは余裕がないと苦痛にもなりえます。

 

作品を深く読み込む形の読書と、

本を読むという行為から自分自身について考えるという読書

どちらも大切なことではあると思います。

 

でも、後者を気づきとして捉え、行動や実践に移すのは(私の訓練不足もあり)限度があります。

もともと気づいていることの場合も多いですし、実践できないことの場合もあります。

太宰を読んで気づいたこととか、実践しようと思ったら命がいくつあっても足りません。

 

それなら、先生の示しているような(小学生の時から苦手だった形態の)文章だけを書いていくのか。

 

読書ノートは、宿題です。

読書を通じて自分自身について学べることがあるというのにも、納得できます。

でも、「気づき」「行動や実践」に移せるものがどれくらいあるかはわかりません。

それを探す目的のみで本を読んで感想文を書いていると、楽しくありません。

 

 

これから挑戦してみること

 

ということで、読書ノートを書く際に新たな目標や、挑戦を付け加えてみようかな、と思います。

 

とりあえずは、書く形を変えること

この前は「偉そう(書評、と言われた時の文章です)」。

今回は「いわゆる読書感想文のテンプレ」。

読んだ本は三島由紀夫川端康成でした。

 

次回からは、

まずは太宰でめっちゃ暗い話を選んでかなり内面まで踏み込んだ…ように見せる文章にしようかと。

そのあと、谷崎潤一郎で際どいところまで読書ノートの中で攻めてみるつもりです。

 

文章の形(もしくは読んだ時に受ける印象)を統一させないことが狙いの一つです。色々な文章を書けるようになりたい、というのはあるので、これなら自分でも楽しめるのではないかと思っています。

 

 

また、書評と自分の感想を一つの作文の中で書けるようになること。

ブログのようにただ乱雑に書くのではなく、、ということです。

私は、本に示されている文章それぞれからその本の意図を推察する、という読み方がとても好きです。

だから、純文学なら読んだことのある本は大抵3回くらいは読んでいます。

せっかく純文を読んでいるのに、そうやって考察する機会を自分から作らずにいる、というのは損だと思うし、

せっかく考察したならそれを書いてみたい。

 

書評だからダメ、自分の内面に触れているからいい。

ではなく、書評と自分の「共感から考えるアイデンティティ」とやらを一緒にして書いてみたい。

これは、何回か読書ノートを書いてみた後に挑戦してみたいです。

 

 

まとめ:最後に…

 

以上が、私が「読書ノート」を書いてみて思ったこととなっています。

 

宿題を大切にしていない、理解しようとしていない、バカにしている、と取られても仕方ないのかもしれません。

批判と取られることもあると思います。(自分では、それが悪いといっているわけではなくて、その方針と自分の考えの共存する場を探している、という捉え方です。)

 

でも、実際私はこの形の読書感想文には納得できません。

先生に話してみたりもしましたが、「別にこれに絶対沿わなくてもいいから」と「基本」についてはあまりお伺いできませんでした。(先生方も「生徒の書きたいもの」との兼ね合いについて話し合ったりしてくださっているようです。)

ちゃんと先生と文学を扱わない意図、文学を読むことでの狙い、これをして身につけられるもの、先生が文章をこの通りに書いたらどうなるのか、、そういったことについてお話ししたいとも思います。

 

でも、それよりは自分で宿題を面白くする方が簡単ですし、時間もかかりません。

 

まだ二ヶ月しか授業を受けていないのですから、理解できないところが多くても仕方がないとは思います。

でも先生と話そうという時間と意欲がないなら、その「仕方がない」を文句で埋めるのではなく、自分から楽しみに変えた方がいいはずです。

こうすることで、先生の狙いも達成できるし自分でも楽しめる。一石二鳥とまでは言いませんが、それに近いと自分では思っています。

 

もちろん、自分で無駄に自分を疲れさせるより先生と話した方がいい、と自分が半出した場合には、先生とお話しさせていただきたいな、と思っています。

ですが、何回も言いますがまだこの宿題が始まって2回しか書いていません。

それですぐにピーピー反対するよりは、自分で工夫した上で宿題の意図もこなせるようになりたいです。

そうすれば、回を重ねるうちに宿題の元々の意味や、それによって得られるものもわかるようになるかもしれません。

そうなるといいな、と思っています。

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。宿題を自分で楽しくすることができるか…ちょっと不安ですが、頑張ってみたいです。読みづらい記事になっているかもしれません、すみませんでした!