こんにちは!今日の夜に用事があることを突然思い出して、今慌ててこの記事を書き始めています!と言いつつも記事自体はしっかり書き進めていくので、ぜひ読んでいってください!
目次
『サピエンス全史』とは? 簡単な説明
今回の記事も『サピエンス全史 下』の感想です。
『サピエンス全史』はユヴァル・ノア・ハラリさん著で、柴田裕之さんの訳です。上下巻で500ページと少しで、内容がとても詰まっているので読むのはすごい大変です。
ですが、いろいろなことが書かれているのでいくつかは絶対に興味を持てるものだと思います。
上巻の感想、下巻の感想No.1はこちらの方をご覧ください!
前回、下巻の9章のうち三分の一ぐらいは書けるかな〜とか思っていたんですが、まさかの1章分しかかけないという…
頑張ってアップテンポでいきます!
歴史は決定論なのか
まず、13章の内容。13章は「歴史の必然と謎めいた選択」といった名前です。こういった、少しドラマチックな言葉の使い方もこの本の特徴の一つです。
ここでは、「歴史という学問の特徴」について語っています。
多くの人が、歴史の出来事が決定論的であることを望んでいるのですが、実際はほとんどの歴史学者がそういった決定論的な説には懐疑的になる傾向があるそうです。
実際、今私たちが資本主義を主に動いていて、アメリカや中国などが超大国で…と言った現状。
これらの現状が、「すべて偶然の産物」と言われると、私たち自身がとても不安定にあったような気がします。だからこそ、それを忌避する気持ちもわからないではありません。
ですが、筆者はこう語っています。
特定の歴史上の説明について知れば知るほど、物事が別の形ではなくある特定の形で起こった理由を説明するのが 難しく なるのだ。
それはなぜかというと、当時生きていた人々の視点に歴史を学ぶことで近づけば近づくほど、その時に選ばれなかった様々な選択肢を熟知していくことになるからです。
例えば本には、
西暦600年に、砂漠に暮らすアラビア人の一集団が、大西洋からインドまでの広大な領域をほどなく征服するなどという考えは、それに輪をかけて荒唐無稽だった。
とあります。
また、西暦306年にコンスタンティヌスが帝位についた時、キリスト教は少数のものしか理解していない東方の一宗派に過ぎず、当時あった多くのカルトのどれを国教としても良かったとも書いてあります(有名なものでもゾロアスター教、ユダヤ教、さらには仏教など…)。
こういった考えは、確かに納得できるものだな、と思いました。
今私たちには、地球の環境がこれからどうなるのか、アメリカは覇権を失うのか、テクノロジーの楽園に行き着くのか生態学的大惨事に行き着くのか、明確なことはわかりません。
しかし、数十年後にはこれらすべての疑問に対する答えは明白だった、と考える人が多くなるでしょう。
筆者は、
じつは、その時期を最もよく知っている人々、すなわr地当時生きていた人々が最も無知だ。
と述べ、さらに
その時代の人にとって、到底ありえそうもないと思える可能性がしばしば現実となることは、どうしても強調しておかなければならない。
と述べています。
この部分、とても面白かったです。
それに、この部分の最後には歴史を学ぶ意味のようなものも書いてありました。
それが、
歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。
ということです。今まで、確かに歴史は好きでしたがその理由はほとんど考えたことがありませんでした。この理由は、自分でも考えるための手助けになるものだと思います。
あまりしっかり考えなければいけないものでもないし、何でもかんでも明らかにすることによって逆にその事柄を楽しめなくなる場合もあるので、ほどほどに参考にしていきたいです。
科学革命の発展
さて、やっと、やっと科学革命に移れます!!
上巻の感想は、ほとんどを認知革命と農業革命の説明で埋めてきました。その時に、何回か、ホモ・サピエンスは台頭してきてから三回の革命を体験してきて、それが
- 認知革命(7〜3万年前かけて作られた新しい思考と意思疎通の方法の登場)
- 農業革命(1.2万年前に人類が穀物の栽培を始めて定住等が始まったこと)
- 科学革命
であると言ってきました。
最初の二つについては『サピエンス全史 上』の感想No.2に書いてあります。
科学革命は、たった500年前に起こったことです。そこから、
「私たちの人口は14倍、生産量は240倍、エネルギー消費は115倍に達した」
のです。
科学革命の重要な第一歩は、「無知の発見」でした。それまで古代の知識の伝統で認められてきた「無知」はたったの二種類です。それが、
- 個人が何か重要な事柄を知らない場合の無知
- 伝統全体が重要でない事柄について無知な場合
です。
個人の場合は、誰かもっと賢い人に聞けばよかった。例えば、人類の起源について知りたければキリスト教の伝統に答えが見つかると考え、聖職者に聞けばよかったのです。
伝統全体として無知な場合、その無知に対して誰かが研究を進めたとしても、それは社会や政治、経済の根本的真理とは全く関係ありませんでした。重要なことは全てすでに説明されていると考えていたのです。
その考えからの脱却が科学革命の第一歩で、
「近代科学は、最も重要な疑問に関して集団的無知を公に認めるという点で、無類の知識の伝統」
でした。この転換により、近代科学は世の中を進歩させるようになったのです。
9世紀に発明された火薬も、600年後に戦場で大砲が決め手となるまでに長く時間がかかりました。
これは、火薬が出現した時代には王、学者、商人らが新しい軍事技術で救われるとも金持ちになれるとも思っていなかったからです。
科学革命とイデオロギーの結びつき
15~16世紀ごろに状況は変わりましたが、それから200年後、資本主義と産業革命が到来すると、科学・産業・軍事のテクノロジーが、ようやく結びつくようになりました。
「科学」自体は投資の優先順位を決められませんが、そこに「帝国主義」や「資本主義」などのイデオロギーが結びつくことにより、「科学革命」は成り立ったのです。
科学革命以前の帝国主義は、それ以前とはまた形式が違い、「自分たちはすでに重要なことを知っている」という認識のもと近くの地域に対してだけ支配を拡大しようとしました。
ですが、革命後の帝国主義は「無知」を自覚することで、探検を可能としました。
この探検していく帝国主義と、新しい知識を求める科学との利害が一致することで、「科学」には莫大な投資が注ぎ込まれたのです。
科学革命以前は、人間一人当たりの生産量はほとんど変化しなかったそうです。なぜなら、「将来に利益をより得られる」と言った信用に基づく投資がなかったからです。現在よりも未来の方がより良いものになるということが信じられていませんでした。
その証拠に、平安時代の農民が戦国時代の農地にタイムスリップして得た驚きと、戦国時代の農民が今の社会にタイムスリップした時の驚き、どちらの方が驚くかはすぐにわかりますよね。
資本主義の考え方が現れる以前は、世の中の富の総量は限られたものである、と考えられていました。
ですが、科学の発展により、「拡大するパイ」の存在が説得力を持つようになりました。
これにより、「科学」は「資本主義」とも結びつき、爆発的に発展していったのです。
感想:何が発展につながったのか
…というところで、16章までが終わりになります。
この「科学」「帝国主義」そして「資本主義」の結びつき、とても納得するものでした。
どれかが欠けてはいけないし、逆にこのうちのどれかがあったからこそ他の考えもより発展していったというか、過去数百年で人類が目覚ましい発展を遂げたという意味がとてもよくわかるようになりました。
そして、「無知の認知」が発展を導いたという考え。
「知らないことをまず認めなさい」という言葉をよく聞きます。この言葉、聞き飽きたというか、目上の人たちがよくいう言葉として「あ〜、はいはい、そうですよね」みたな感じで今まで捉えていたのですが、まさかここまでの説得力のある言葉だとは…
自分が今まで間違えていたことを認め、社会を成り立たせている宗教や国家を否定してまで、自分たちが無知であるということを広めるのは、とても難しいことだったと思います。現に、個人で「地動説」を提唱したガリレオ・ガリレイは、宗教の考えに異を唱えたことにより安らかに死ぬことができませんでした。
無知であることを認めることで、人間はここまでも進化したのか、ということは今日書いてきた部分でいちばんの衝撃だと思います。
あと数章分残っているので、そこの感想を次の記事で書いた後、まとめ(総括)として『サピエンス全史』全体の感想を書いて終わろうと思っています。是非そちらも読んでみてください。
最後までお読みくださりありがとうございました。冒頭で書いた用事の前に終わらせようとしたのですが、結局終わらずこの時間の投稿に… 出来るだけ早く書けるように訓練していきたいです!
追記