こんにちは。今日は予定を入れていたため、少し疲れ気味の金曜日。でも、それ以上に楽しいです!カメラも買っていてよかった〜!
今回は、太宰治の『
』と言う本について書いていきます。これまで、新潮文庫の『ヴィヨンの妻』、太宰治文学館の『女生徒』に二つの短編集について書いてきましたが、今回の作品はまた違う短編集からです。
目次
短編集の内容紹介・著者紹介
まずは、短編集の内容紹介と著者紹介からやっていきます。
収録作品は、
ダス・ゲマイネ
満願
女生徒
駆込み訴え
東京八景
帰去来
故郷
の8編です。このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。
太宰治は、多くの人が知っていると思います。
坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。
この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。
彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。
戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。
太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。
あらすじ
それでは、『ダス・ゲマイネ』のあらすじを書いていきます。
物語の大部分の語り手である「私」は、大学生の佐野二郎。この名前は、あだ名です。
彼は、もともと色街の女性が好きでした。しかし、色街に通うことも難しく、代わりに彼女に似た上野公園の甘酒屋の娘、菊ちゃんを眺めて我慢していました。
その甘酒屋であったのが、佐野次郎の名前をつけてきた「馬場」です。馬場数馬は、東京音楽学校に8年間も在籍しているそう。「まだ本気を出してないだけ」と芸術家を気取っている音大生です。
佐野は馬場の話を信じ、それぞれ仲良くなりました。
佐野は馬場とともに色街に出かけ、そこで「失恋」(なんで失恋となるのかあまりよくわからなかったため、「」をつけています)。
その後彼は夏休みを怠惰に過ごします。その時に、馬場から手紙が届きました。
「死ぬことだけは、待ってくれないか」
と言う文から始まる手紙。内容は、一緒に雑誌を作らないか、と言うものです。その誘いで佐野は東京に戻り、雑誌作りに前向きになります。
その流れで紹介されるのが、佐竹六郎。馬場の親戚で、美大生です。佐竹は馬場を信じておらず、上野公園であったときに「ビッグマウス」「ホラ吹き」などとこき下ろします。実際は音楽学校に通っているかも怪しく、持ち歩いているバイオリンのケースの中にはバイオリンが入っていない、と言います。
それでも、佐野は「馬場さんを信じています」と佐竹に告げます。
次に、佐野が紹介されたのは「太宰治」と言う若い作家です。馬場が先輩から紹介されたと言う新人作家でしたが、馬場と太宰は馬が合わず言い争いになり、最終的に雑誌制作の話はなくなってしまいます。
佐野と馬場はその夜、話をします。そこで馬場は佐野に話をする。雑誌なんて最初からやる気がなかった。僕は君が好きなんだ、菊は君が好きだ、君は誰が好きなんだ。
佐野は「誰もみんな嫌いです。菊ちゃんだけを好きなんだ。」と馬場に告げて外に出ます。
翌日、馬場と佐竹は会い、佐野が事故で死んだことについて話します。ここには菊ちゃんもいました。馬場は菊ちゃんに「泣くな」といい、菊ちゃんは「はい」と答えます。
「(前略)生きているというのは、なんだか、なつかしいことでもあるな」
「人は誰でもみんな死ぬさ」
感想
この本の感想に移ろうと思います。
まず、最初に感じたのは、ネガティブな感想でした。
全然わからない…。
話がどちらかと言うと長く、場面もよく変わり、今までのものと違ったため初読だとよくわかりませんでした。どう言う話なのか、内容はつかめても、掴むだけで精一杯。面白さとかには気づけませんでした。
でも、2回目、3回目で、やっと何となく面白さもわかるように…。
ちょっと、いまだにこの作品が「特に面白い!」と思えているわけではないので、感想を書くのが難しいです。でも確かに面白いところも多かったためそこを書いていきます。
まず感じたことが、誰が「太宰治」なのかわからない、と言うことです。
一番最初に出てくる佐野は、人間関係とか結末とかが太宰とかぶる気がします。あと、今まで読んだ本(例えば『家庭の幸福』)で出てきたような、他人に流されてしまうだろう弱さのようなものもこの人には出てきました。
ついこの前まで太宰の私小説かと思えるような一人称の小説を読んできたので、最初はこの佐野(のモデル)が太宰なのかと思っていました。
そして次に出てくる馬場は、「ビッグマウス」「ホラ吹き」と称されるお金持ちの息子。どこか人の懐に入るところがあり、話は広げるのがうまい。
なんだか、家庭環境だったりちょっとブラックな気もする話の面白さだったりは、太宰に似ているのかな〜、と。今までに読んできた太宰をモデルにしたであろう人物たちがどうしようもない人たちだったので、このちょっとどうしようもない人が出てきたときに、太宰かな、と思いました。
その次が佐竹です。美大生ですが画家としても活動しており、自分の絵を売って生活しています。馬場は中身のない音大生。佐竹は自分で生計を立てられる美大生。芸術をいきていく糧にしていると言う点で、馬場と佐竹は違います。
また、この話には「太宰治」も出てくるのです。新人作家として出てくる彼は、語り手である佐野や馬場にとって、嫌な役柄です。俗的と言うか、なんと言うか…。
この佐竹も太宰も、芸術を生計に使える存在、市場を重視する芸術家、そういった存在として書かれているのかと。
『きりぎりす』と言う作品では、俗的なこと(お金や人付き合いなど)に手を染めた芸術家が嫌なものとして描かれています。もしかしたら、太宰自身も自分の作品でお金を稼ぐことに(俗的なことを考えることに)抵抗があったのかもしれません。
こうやって、最初から「この人が太宰のモデルかも…」として読んでいると、どんどんこんがらがっていきます。作者とは切り離すのが大事!
物語を消化した後で、この人はもしかしたら…と考えるのは楽しいと思います。4人それぞれに、太宰らしさが読み取れるところがあるため、見つけるのもいいのでは。人物描写もこの話では楽しめるので、ぜひ注目してみてください。
正直、雑誌を作っている間のこの4人の会話については、まだしっかり消化できていません。何をいっているんだろう、難しい…といった感情がまだあります。
でも、佐野次郎の目を通して、馬場と佐竹と太宰の間の言い争うが描かれていたりするのは面白いですし、ずっと傍観して痛いような気持ちにもなります。混乱しながら読むしかないような話ではありますが、そこが面白いんでしょうか…。
大人になってから読めば、くせになりそうです。
そして、ちょっと驚いたのは馬場と佐野の最後の会話。馬場って、佐野のことが恋愛的な意味で好きだったのでしょうか。それとも友愛?ちょっとよくわかりません。
どちらでもかなり面白いと思います。
この二つの違いで、そのあとの馬場の行動の意味も少しずつ変わってくると思うのでそこは読み解いてみたいです。でも、読み解けなくても、友愛的な意味、情愛的な意味、どちらもかなり読み深めていくことができます。
この物語に入り込めなかった理由は、突然話が終わるからかもしれません。突然終わりが来るので、「え?」となるんです。しかも、その時の会話からは馬場の本意とか菊ちゃんの気持ちとかが読み解けない…。だからこそ混乱してしまいます。もう少し、消化するには時間のかかる物語かな。
ちなみに、題名「ダス・ゲマイネ」の意味は二つあると言われています。一つが、ドイツ語を由来とする「通俗性、卑俗性」の意味。もう一つが、津軽言葉の「ん・だすけ・まいね」(それだからダメなんだ)。
この二つを考えながら読んでみると、もうこのタイトルしか考えられません…。
タイトルも、最初の言葉も、最後の言葉も、それぞれとてもあっていると思います、人を惹きつけるし、物語の意味がわかればわかるほど意味が深まっていく。こういった文章は、人を離さないだろうな、と読みながら感じました。
それぞれの文章に「すごい…!」となったりはするのに、まだ物語全体を消化しきれていないのが悔しいです。もう一回読んでみます。
まとめ
ということで、今回は「ダス・ゲマイネ」を読んだ感想を書いてきました。
面白かったです。面白かったんだけど、一部一部で楽しめたのみで、全体では特に面白い!とかはなりませんでした。かなりいろいろなところで評判が高い話だと思うので、もっと読み込んでいきたいです。
タイトルが面白い話って、大抵話の筋も面白いんですよね…。この話は、その例としてとてもいいと思います。
大げさなストーリーではないけど、どんどん読みたくなっていく本です。なぜか人を惹きつけていく…
ちょっと、この感想を書くことで本の魅力に気づき始めた気がします。
また読んでみたい!
最後までお読みくださり、ありがとうございました。この話、もう一回読んでみます。もう少し、読み解いてみたらまた新しい感想になりそう!