こんにちは!お久しぶりです、うぐいすです。
この頃書こうとしても何を書けばいいのかわからなくなってしまい、全く更新できていませんでした…。今回の記事も着地点が見えないまま書き出していますが、自分のために書いているものでもあるのでご容赦ください!
目次
はじめに
みなさん、『NHKオンデマンド』をご存知ですか?
NHKオンデマンドとは、NHKが放送した番組の一部をネット上で配信しているサービスのことです。
この頃学校でもコロナウイルスの影響が大きく、隔離の後にまた隔離、といった状況が続いています。つまらない時間をできるだけ減らすためにも、親に頼んで見せてもらっているのがこのサービスです。
私は、このサービスでいつも『プロフェッショナル』というシリーズや、歴史関係の番組を覗いています。料理関係の番組などもこの頃よく見ており、自炊してみたい気持ちと面倒くさい気持ちが半々…。
そして、今は上皇陛下の誕生から天皇退位までに関するドキュメンタリーを70分×4本みているところです。
感じたことがあったので、書いていきたいと思います。
今回この記事で書いていきたいのは、私にとっての『歴史』です。
歴史を学ぶことは、私にとって大きな意味のあることです。
小学校の学校図書館で一番初めに借りたのは、エリザベス女王1世の学習漫画でした。その頃から、歴史を学ぶことは好きでしたし、私自身に知識はそこまでないものの好きな授業の中に歴史は必ず入っていました。
この頃、そう言った自分の持っている知識や考えたことを通して「歴史」を学習すると、不思議な気持ちになることがあります。
歴史を知る
歴史は、個人個人のなかにある。
これからいうことは、至極当然のことなのでしょう。
でも、歴史を学習するとき、特になんらかのビデオを見たり本を読んでいる時によく思うことがあります。
「ここの動画にいる人と、私は違う考えを持っている」
本当に、当たり前のことだと思うんです。
でも、例えば今の上皇陛下が天皇に即位された直後に沖縄を訪問した際の動画を見たとき。
「沖縄県民を含む国民とともに 戦争のために亡くなった
多くの人々の死を無にすることなく
常に 自国と世界の歴史を理解し 平和を念願し続けていきたいものと思います」
そう言ったセリフをおっしゃっていました。
この時が、即位後4年経った1993年。
結局沖縄に行けなかったことを嘆きつつも昭和天皇が崩御したのが1989年。
昭和天皇が沖縄に行くことを希望していたにも関わらず、病気で叶わなかったのが1987年。(下記wikipedia参照)
上皇陛下が立太子後初めて沖縄に訪れ、火炎瓶を投げつけられたのが1975年。
沖縄独立が1972年。
終戦が1945年。
その後、病臥した1987年(昭和62年)秋に第42回国民体育大会(沖縄海邦国体)への臨席が予定されていたが、自ら訪沖することが不可能と判明したため皇太子明仁親王夫妻を名代として派遣し、「おことば」を伝えた。これに関して「思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを 」との御製が伝わり、深い悔恨の念が思われる。代理として訪沖した明仁親王は沖縄入りし代表者と会見した際、「確かにお預かりして詣りました」と手にした父帝の「おことば」をおし頂き、真摯にこれを代読した。
その死の床にあっても、「もう、ダメか」と自身の病状よりも沖縄巡幸を行えなかったことを嘆いていたという[112]。
今、今上天皇が上記の言葉を発したとしても、それは「2022年におっしゃられた言葉」です。
でも、その言葉と「1993年におっしゃられた言葉」は、一言一句違わなかったとしても、持つ意味が変わってくるはずです。
今上天皇は戦争を体験していませんが、上皇は戦争のない時代を終戦まで知りませんでした。そして特に、今は戦後80年近く経っており、当時の記憶が明確に思い出せる人も少なくなってきています。
しかし、当時は実際に沖縄で辛い思いをしてきた人や、日本全体でも戦争の記憶を色濃く受け継いでいる人が多くいたでしょう。
そう言った中で発せられた言葉の重みは、私が感じる言葉の重みとはまた違うはず。
同じ言葉でも、私が受け取る印象と他の人(当時の人)が受け取る印象は違います。
それは、歴史を知っていく中で、嬉しい点でもあり少し寂しい点でもあります。
私は割と昭和期の歴史に興味を持つことが多く、戦争に関する勉強や、テロ事件に関する勉強、さらには昭和天皇崩御時の社会の動きを調べたりすることがあるのですが、自分の受け取り方とはやはり違う点が多々あるんですよね。
(1993年の動画ではありませんが、ご参考までに!)
垣間見ていく、一人一人の歴史
昭和天皇崩御時に、17歳の少年が天皇陛下万歳と指に記して飛び降り自殺をした。
そう言った文章を読んだことがあります。
(今もう一回調べたらはっきりとした情報源が見つからなかったため、断言はできませんが。)
私は、その事実を起こった事実として受け入れることはできても、共感することはできません。天皇崩御による気持ちを推測することはできても、「そういう気持ちになるよね」と理解はできません。
上の例のように、その時代に発された言葉や行動、出来事を受け止めることはできても、そこから派生する感情を全て理解することはできません。
その出来事をなんらかの形で後世に残している人の気持ちだけを、垣間見れます。
全ての人の気持ちを知ることができない…
歴史を勉強している時に、残念な点でもあれば、だからこその面白い点でもあります。
私にとっての「醍醐味」というのかも。
一つの事実を知ったとしても、そこから調べられる人々の気持ちで、その事実の印象は少しずつ変わっていきます。
そして、その事実は決して独立したものではなく、それまでの流れからなる結果のうちの一つです。
例えば、先ほどあげた沖縄訪問時の上皇陛下のお言葉。
その言葉のみを知るのではなく、
何年の訪問だったのか、それまでに沖縄を天皇が訪問されたことはあったのか、
言葉の対象は何を経験してきた人々だったのか、その言葉の持つ意味とは何なのか、
そう言った言葉の裏の背景や、言葉の先にある感情を予測して初めて、
「知った」ということになると私は思っています。
先ほども書いた通り、言葉や事実の先にある感情は人それぞれです。
だからこそ、勉強すれば勉強するだけ、知識を得れば知識を得るだけ、色々な「歴史」を知っていくでしょう。
人の数だけ「歴史」はあると思うし、その中でも自ら歴史を残せる立場にあった人が、今一般に取り上げられているはず。
それでも、少し気になったことを探っていけば、探った分の新しい「歴史」が見えてきます。それは17歳でも天皇の後追い自殺をするような思いもよらないものであったり、逆にそれまで持っていた印象を強化するようなものだったりもします。
そうやって新しい「歴史」を知ることが、本当に楽しいんです!
もちろん、戦争関連について調べたりしていると直視できない映像を見ることもよくありますし、難しくてよくわからなくなることも多々あります。
でも、結果的に何かを学んだ時がとても楽しい。だからやめられないし、「歴史」をもっと知りたくなる。
一人一人にとっての「歴史」は限りなくあって、それを知りたいと思った分だけ知ること。
やっぱり、それが歴史を学ぶことの醍醐味なのかな〜と思います。
結局やっているのは「人の意見を知る」こと
もちろん歴史の醍醐味は他にも多くありますし、歴史が好きな方ばかりではないでしょう。
でも、時代が違うだけで、色々な人の意見や思いを知ることってやっぱり重要だし、貴重な体験。
別に「歴史」って、20世紀以前でなければいけないわけではありません。
何かが時間の流れとともに移り変わっているなら、それはもう「歴史」となっていきます。
それこそ、今起こっているウクライナへの軍事侵攻。新型コロナウイルスの流行。数年後には教科書に載るでしょう。
そこまで大きいことではなくても、例えば2022年4月からの「都立高校のブラック校則撤廃」は、校則の歴史の一番新しいページとなるはず。
↓
今起こっている事柄に関して、多方面からの意見を知る。
これもまた、「歴史を知る」ということだと思います。
この記事を書いて、結局言いたいことは「色々な意見を知る」こと。
歴史の楽しみ方は無限大です。
事実を調べてそこから自分で想像しても楽しいし、人々の反応を調べて行くのも楽しいし、ただ年号を暗記するだけでも私は楽しいです!
今の学校ではあまり歴史を勉強する機会がないのですが、自分でまた歴史を学んでいきたいです!
最後に
ということで、久しぶりにブログを書いてきました。文字数は今までより少ないですが、言いたいことが伝われば嬉しいです。
過去にあったことを知ることって、過去に生きた人たちの生き方を垣間見ることで、今の私たちにつながる何かを感じることで、これからの何かを想像することだと思います。
歴史はただの暗記科目という印象を持つ人も多いかもしれませんが、一回テストや受験から離れてもう一回歴史に触れてみると、少し変わるのかも。
この前、もう一回東京国立博物館に行ってきました。
そして、今はNHKオンデマンドで平成天皇のドキュメンタリーや、『映像の世紀』という番組を見ています。
歴史を「見る」経験をこの頃していると思うので、今度短い記事になるとは思いますが、歴史を見ることについても書いてみたいなと思っています!
最後までお読みくださりありがとうございました。うーん、ブログってどうやって書いてたっけ…と考えながら書いてみましたが、これからまたやる気を出して書いていく…ように頑張ります!次の記事も読んでくださると嬉しいです!