うぐいすの音

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「無言館」へ行きました。No.1

 こんにちは。今日も学校でベルマークを数えてきました… もうベルマーク番号をいくつか覚えられそうです(笑)

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 今回は、先日無言館へ行ったので『無言館』について書いていこうと思います。

上田市の外れの方にある美術館で、写真の建物の本館と、少し下の方にある第二展示館を合わせて戦没画学生慰霊美術館の『無言館』といいます。

 家族と、知り合いとで行ったのですが、最初はどういうところか全く知りませんでした。よく聞かないうちに行き先が決まっていて、「無言館」という名前と、「戦時中の画学生の絵が飾られている」という情報だけ知っていました。

 

 なので、のんきに「お出かけ」と思って向かいましたが、美術館の中は思ったよりも「重い」ものでした。

 中に入ると、薄暗い照明のついたひんやりとした空間となっていました。私の行った日は暖かい日だったのに、美術館の中は少し肌寒いほどでした。

 建物の形は十字形となっていて、入館料は入り口ではなく出口で払います。出口で払うというのは少し予想外でした。これは建物の設計上の作りでしょうか…

 壁には画学生たちの書いた絵と、それぞれの紹介文。通路には手紙やパレットなどの画学生の遺品も陳列されていました。作品は、油絵もあれば日本画もあり、デッサンや彫刻なども含め多くの作品が飾られていました。見上げるほどの大きさのものもあれば、小さいものもあったりと大きさも題目も別々です。共通しているのは、作者が美大などで絵を学び、戦争でなくなったということだけ。

 それぞれの作者のエピソードや、経歴なども紹介され、使っていたパレットや、戦地から送っていたハガキ、手紙、賞状、戦死通知書などがそれぞれ陳列されています。

 エピソードも、絵に関するもので胸を打たれるものもあれば、普通の生活かのように明るいものもあります。この記事では、印象に残った画学生の方のエピソードをいくつかあげようと思います。(書くのにあたり、無言館の方に確認はとっています)

 

 まずは、佐藤孝(たかし)さんの話を書きます。

孝さんは、1923年に生まれ、1945年に戦死した画学生です。21歳で亡くなりました。この方は、美校(東京美術学校ー今の東京藝術大学美術学部)の学生でした。念願叶って美校に入学したものの、そこに通えたのはたった半年でした。半年後に学徒出陣となり、終戦間近になくなった方です。絵の勉強はたった数週間しかできなかったそうです。

 この人の書いたノートが、とても印象深いものでした。「遺書には非る(あらざる)」と書かれているので、ノートと呼ばれています。

 そのノートの最初の2節が、

一、私には既に私に與へられた運命がある

一、私には私だけしか持てぬ世界がある

という文章になっています。この2節だけは太い線で書かれ、その後に続く文章との思いの差というものが出ているのかと思いました。1行目も、「戦争でこのあと彼が死ぬ」ということを知っていれば感じることがあると思います。

 でも私が一番ショックだったのは、2行目です。「私には私だけしか持てぬ世界がある」。もちろん、1人1人の世界は別です。しかし、当時美校に入るというのは今芸大に入ることよりはるかに難しかったのではないでしょうか。経済的にも、技術的にも、超難関であったはずです。

 それを思いながらこの文を見ると、2つのことを思います。1つは、「戦争がなければよかったのに」というような気持ち。この人が死ななかったらどんな作品を生んでいたのか。戦争がなかったらどんな才能を開花させていたのか。

 そしてもう1つは、「この人は人生を精一杯に生きていたんだな」という気持ちです。この人がこの文を書いたのは多分20〜21歳の頃でしょう。私が成人するときに、心の底からこういう言葉が思えるようになるといいなと思います。本当に絵が好きで、絵を描くことに没頭していたんじゃないかな、と思いました。「青春」という言葉とは、重みも状況も違うかもしれないけど、それに通じるところがあるかもしれません。

 

 そして、兄弟で美校に入った人たちもいました。

山之井龍郎さん、俊朗さんです。長男の龍郎さんは1920年生まれ、俊朗さんは22年生まれなので2歳差の兄弟です。ちなみに3人兄弟で、この下にも弟さんがいらっしゃるそうです。

 龍郎さんは45年に24歳でなくなり、俊朗さんは43年に21歳でなくなりました。この方達の作品が「少女」です。合作なのですが、どちらかというと明るい色の絵で、緑の原っぱ(?)を背景としています。明るい絵かと思うと、顔がどことなく寂しいというか、物憂げな表情をしていました。この少女に未来への希望を乗せて書いたのか、それとも他の何かを思って書いたのか。それはわかりませんが、暗い色絵が多い中でこの絵は目に入ってきたような気がします。

 

 そして、伊藤守正さんです。この方の作品は第二展示館に飾られていました。1923年生まれで、長崎で被爆し、1946年に結核で亡くなられました。享年23歳です。この方のエピソードが、今でもありそうなものでした。

 妹と銀座にベートーベンの第5番のレコードを買いに行ったとき、当初は2人で割り勘の予定だったそうです。しかし、結局妹さんが全額出して買い、そのレコードがとてもお気に入りだったらしく、出征まで守正さんがそのレコードを聴いていたというエピソードでした。「戦争」という言葉をなくしてみると、正直茶目っ気のあるお兄ちゃんだな〜と思います。でも、これくらいの暴君ぶり(?)なら今でも時々聞くことがあります。「戦争」という言葉のイメージが強すぎるけど、普通の「家族」なんだな、ということがとても印象に残りました。

 

 思ったよりも長くなってしまったので、「無言館」まとめての感想はまた次の記事に書こうと思います。今回は、3人のエピソードを主に取り上げました。少しでも私が思ったことが皆さんに伝わるといいなと思います。

 最後までお読みくださりありがとうございました。今回は、「無言館」について書きました。次回も続きを書くので是非お読みください。

 

無言館のHP→https://mugonkan.jp/about/

 

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