うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

軽井沢ブックフェスティバル2023 レポート2日目!!

 こんにちは、うぐいすです!こんな頻度(1日おき)でブログを更新したのはもう一年前以上のことではないでしょうか…。自分で自分にびっくりしています。

 

 

ブックフェスについて

今日は、軽井沢ブックフェスティバル2023の2日目が終わった感想を書いていきます!昨日はしっかり書けなかったのですが、軽井沢ブックフェスティバルというイベントが、9/23と9/24の二日間にわたって軽井沢にあるライジングフィールドという自然あふれる場所で開催されていました。主催者はひのなおみさんという「森の作文教室」を軽井沢で実施されている編集者さん。その他にもさまざまな方が集まって、このブックフェスティバルを運営しました。私と私の父親も実行委員として参加していたのですが、私はほとんど何もせず…。結局は当日まであまり実行委員らしきことをせずに過ごしてしまいました(本当にすみません!)。ですが、それでも連絡の進み方や役割分担の仕方など「大人がプロジェクトを行うとどうなるのか」を間近で見ることができ、面白かったです。

そして、当日は会場のお手伝いやカメラマンなどをして過ごしました。ほぼほぼ普通の参加者のような形ではありましたが、実行委員として参加することができて本当によかったです!

 

いらっしゃったゲストの方も本当に豪華で、さまざまな道の第一人者と言われるような方々がいらっしゃっていました。

昨日(1日目)は2つのセッションがあり、「このテーマでおすすめの本は?」を軸にした本の紹介がメインのものと、一人出版社(一人、もしくは少人数で出版社を経営している方達)の方を複数名お呼びして対談をしてもらうというもの。この感想は昨日の記事に書いているので、ぜひご確認ください!他にも焚き火×朗読×ライアー(楽器)の時間などもあり、本当に贅沢な時間でした。

 

1日目の感想記事はこちらから→

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

振り返ってみれば、1日目は、自分が本が好きだということを確認する日だったかのように感じます。まずさまざまな本の紹介を聞きながらどんどん積読を増やしていき、その後本ができるところから人の手に届くまでの過程をぎゅっと濃縮した一人出版社の方の話を聞き、その後自然の中で人に読み聞かせしてもらいながら本を味わう。なんともはや贅沢な時間で、本が好きな人たちがここに集まっているということを実感できる日でした。

 

二日目(今日)は、そこから少し進んで、本との付き合い方を考えた日になったと思います。合計3つのセッションがあり、それとは別に3つサブセッションがあったのですが、どれも本当に面白かったです。

 

セッションの感想

 

まず、朝は座禅のセッションから始まりました。

正直、座禅は何回か授業でやったことがありますが、必要性を感じてきたかといえば「うーん…」と言葉を濁すような印象を受けています。ちょっとドキドキしていったのですが、ライジングフィールドという森に囲まれた草っぱらで芝生に足をつけながら静かな時間を過ごすというのは、ちょっとした新体験でした。部屋の中でしたメディテーションとは全く違う気持ちよさもありましたし、単純に自然の音が元々好きなので、心地よい時間でした。

この頃テストに追われていたこともあり、そういえばストレッチ全然してなかった…!!とストレッチをしたい気分にも。朝一だったからこその、心の切り替えというか、その日を始めるスイッチになったような気がします。

 

そして、その次のサブセッションは中学生が主催した「未来の本」を考えるというものその中学生も同じく実行委員で、二日間を通してかなり仲良くさせてもらったのですが、セッション自体もとても面白かったです。

まず、最初に参加者の「幼少期に読んだ心に残った本」をシェアする時間がありました。つくづく思うのですが、人の好きなものの話を聞いている時間に不快になることって、ほとんどないと思うんです。自分がそれを好きなら尚更、嬉しい気持ちや楽しい気持ちになると思います。

本好き同士が集まった場所ですから、当然誰かが発表するたびにあちこちから納得の声や同意の声が上がります。その空間がとても居心地が良くて、改めて自分が本が好きなことを実感しました。

時々、「本なんてなんで読むの?」「本が好きなんて真面目だね」のような、本があまり好きではない人たちからの声を聞いたこと、もしくは言われたことがあります。その度に、本を好きでなくてもいいから、本を貶さないで欲しいとずっと思ってました。本を尊重して欲しいと。そこにいる人たちは全員、あまり本を読まない人でも、本を軽視したり、貶めたりする人がいないんだなと思うと、なんだか無性に嬉しくなりました。

 

そのサブセッションでは、自己紹介の後「未来の本」をテーマに(時間が押していたため元々は3つだったところを)2つの質問に対して考える時間を取りました。本当はそれをシェアして話し合って…したかったのですが、そもそもの開始時刻がかなり遅くその次のセッションまであと10分と言ったような状態だったので、付箋に書いてそれを貼るだけ。

それでも、設問がとても面白く、しかも時間切れの緊張感もあったため、ぽんぽんとさまざまなアイデアが飛び出してきていて面白かったです。

質問はそれぞれ「目で楽しむ本は、どんな本?(本の定義を一回ぶち壊して考える)」だったり、「本が今全部なくなったとしたら、1000年後の本はどんな本?」などと本の限界突破というか、本という概念を改めて考え直すもの。今紙の本がどんどんデジタルに押されてきている時代、将来はどうなっていくんだろうという疑問のもとのワークショップでした。

このワークショップ本当に面白く、二つ目の質問だけでも「みんなが自分のことを書いた本」「心の声を語り合うプライベートツール」「水素とCO2でできた紙の本」などとさまざまな答えが上っていました。今度同じようなセッションを、もう少し時間をもってできるといいねという締めで終了。なんでそう考えたのか、気になる回答がたくさんあったので次回はぜひ時間が十分にある中でやりたい…!!

 

そして、時間は第三セッションに。

個人的に一番楽しかったのは第三セッションでした。ここでは、本を届ける人たちが登壇して対談を。ブックコーディネーターの内沼晋太郎さん(バリューブックスの方です)、本屋経営やNPO「読書の時間」理事長など多岐にわたる仕事をなさっている田口幹人さん、シェア型書店「ブックマンション」主催者の中西功さん、、図書館プロデューサーの岡本真さんの四人が登壇なさり、ジャーナリストの浜田敬子さんが司会。

 

本当に贅沢の言葉に尽きるセッションで、さまざまな形で私たちに本を届けてくれる人たちが過去、現在、未来の本のあり方について語るんですから、学ぶことがたくさんありました。

印象に残った話のうちの一つに、潰れる本屋の話がありました。

今までの20年は、チェーンの本屋が広がっていったことで、小さい町の本屋が潰れていった。

今は、ネットの普及によりチェーン店が潰れている。

これからの20年は、教科書がデジタルになることで、まだ残っていたけれども学校という大きな取引先を失った町の本屋が潰れていく。

本屋がなくなっている、本がどんどん手に届かなくなっていく。そんな話は色々なところで耳にしますが、ここまで単純明快にその理由を語られると、納得を通り越して感心してしまいました。

しかも、公共機関である図書館が地元書店を優遇するわけにもいかないですし、既存の書店を残そうと公共施設が本屋から本を買えば買うほど、本屋はできるだけ安く本を売らなければいけなくなる(公共施設は「安い=正義」の考えです。やっぱり税金ですし…)ため赤字になる可能性が。

聞けば聞くほどこれからってどうなるの…?みたいな暗い話から始まりましたが、そこからどんどんバリューブックスの内沼さんをはじめとして本屋を経営している方や関わっている方の話が始まっていきました。

 

ここで感想を全部書くと長くなってしまうので、詳しい感想はまた後の方で書いていきます。

 

 

お昼を挟んで第四セッション。「軽井沢 本の學校」が、3つの作品を通して本当の触れ方について語ってくださいました。聞けば聞くほど読んでみたいと思いつつ、本は表現の場だということを強く感じました。その作家さんの感じたこと、思っていること、興味のあること。それが、徹底的に言葉で表されているのが本なのだと。

その人がどういう言葉で世界を見ているのかを垣間見れるのが、本なんだなと。

最後は本の具体性と普遍性についてゲストのスケザネさん(書評か)が少し語り、そこで第四セッションは終了。

 

少し合間を挟んで第五セッションへ。

第五セッションは、装丁に関する話でした。装丁やデザインを生業にしている人たちが、どう言ったことを考えながら今本を作っているのか。

もともと、私は本は紙で読みたい派です。それは、電子書籍だと触覚フィードバックが得られなくなり内容の理解度が下がるという理由からのみではなく、本を表紙やその紙の質感なども含めて一つのものだと思っているからです。

もちろん電子書籍は便利ですし、私も使います。使っている人が多いのも当たり前のことだと思います。

でも、やっぱり本の裏には本を届けたい人がいて、その中には紙を選んで、デザインを決めて、箔を押して、もしかした手作業の作業もあって、箱を作って。そんな背景を想像すると、そうした質感を含めた、触覚を含めた状態の本を受け取りたいな、と思うのです。

 

(ただ、第四セッションで出た話の中に「電子書籍を貶める健常者は呑気なものだ」と語った重度障害者である作家さん、市川沙央さんの「障害者は読書から切り離されている、健常者のみが本を楽しめる一種の「マチズモ」」という意見がありました。こうした「本は紙で読みたい派」という言葉も、私が健常者だからこそ言える言葉なのでしょうが、そこに関してはまた今度深く考えるとして話を進めます。)

 

そんな思いがもともとあったため、今回は初めて装丁家の方や本をデザインした方のお話を聞けて面白かったです。どんな思いでやっているか、どれだけ力を入れているか、そしてどれだけ頑張っても別に入ってくるお金の量が大きく変わるわけではないというちょっと世知辛い小話も…。

 

今まで以上に、本の質感が味わえることを意識しながら、感謝しながら本に触れていきたいなと思いました。

 

 

それが最後のセッションとなり、その後は出店を見ながら本を買ったり参加者の方と話したり。大満足で終わった1日でした。

 

終えてみての感想

このブックフェスティバル、最初はちょっと不安でした。私もあまり関われていませんでしたし、そもそも参加者もそこまで多くなく。こんな豪華なゲストなのに、なんで数十人しか人がいないんだ?と首を傾げたくなるような状況での開催でした。

ですが、終えてみて思ったのは、このフェスティバルは人を選ぶな、ということ。

万人が楽しめるイベントでは全くなく、特にセッションに関してはある程度本が好きで、そっちに知識がある人なら楽しめる内容だったように思います。正直私がわかるところは少なく、本来の価値の何割ほど私は受け取れたのか、あまり高い割合のようには思えません。

 

ですが、それでも楽しくて楽しくて、本が好きだということを何回も痛感するほど、本当に学びも喜びも楽しみも多い二日間でした。

 

特に第三セッション。

昨日のブログでも書きましたが、私は小二の時の夢が「本のホテルを作る」こと。昨日絶対に実現させたいと思った夢が「本の博物館を作る」こと(詳しくは昨日の記事で!)。なんなら去年の夏頃は「本を勧めあえるコミュニティ作り」に興味がありましたし、思い返せば本が自分の人生に占める割合って本当に大きいんだな、と感じます。

 

その根底にある思いが、「本を届けられる世界にしたい」ということ。

先程もちらっと書きましたが、「本を貶さない人たちの世界」への憧れがもともと小さい時からありました。そこから考えたのが、本が身近にあれば本を貶さなくなるんじゃないかな、という単純なもの。そして長野に東京から引っ越し、手に入れられる資料の量に愕然とした後、「本が身近にある世界」への憧れがより強くなりました。

 

例えば、今授業でカミュについてやっているのですが、カミュサルトル論争について書いた『革命か反抗か』や、サルトルの思想について書いた「実存主義ヒューマニズムである」が収録された『実存主義とは何か』が、近隣の行動圏内(と言っても電車で小一時間、交通費は往復千円以上)にある図書館全てに蔵書がないんです。近くにある本屋さん数軒に行ったのですが、そこにも関連書籍すらなく。

本屋に行くのも図書館に行くのも、基本は車がないといけませんし、自分だけで行こうとすると時間もお金もかかります。そこまでニッチな本でもないですし、東京に住んでいた時は近くの図書館、もしくは本屋に行けばなんでも手に入ったのに加え、自分の読みたい範疇では都立図書館や大型書店で手に入らない本なんてほとんどなかったのにな…という、引っ越し当初からあったくすぶりをまた強く感じています。

今読みたい本が、今欲しいんです。できれば2000円かけてAmazonで買いたくないんです。それを一回許しちゃったら、際限なく買ってしまいそうな気がするから。でも、ここまで来たらもうオンラインで買うしかないのか、という気もしています。

そんな環境にいれば、どうしても「本が身近にあること」への意識が強くなります。

 

私がしたいことは、本や知識を届けることなんだと思います。

こんな本があるんだよ、こんな本屋さんがあるんだよ、こんな面白いことが世界にはいっぱいあって、人生を賭けてもそれは網羅できないんだよ。

言葉を介して本や知識を届け、その中で人と人との繋がりができていく。

それが私の今の時点でのやりたいこと。

 

そんな私にとって、まさに本を届ける仕事をしている人たちの話を聞けたのはとても大きかったです。

出版業界とはまた違う、個人や小さい集まりで本を扱う「出版界隈」の存在。「本が嫌い」に注目して作ったシステムで、自分の興味の向こう側に必ずある本を探し出すワークショップ。

心惹かれるさまざまな取り組みの中で、私が実現できるかもと思ったのが、棚貸し書店。お店の中にある棚を「棚主」が自由にデザインできて、本が置けるスペースです。シェア型本屋とも呼ばれます。このセッションでは2名の棚貸し本屋さんがいらっしゃったのですが、その中の一人が棚作りは「推し活」だということをおっしゃっていました。

 

本を進めることって、結局は推し活と同じだと思うんです。自分が好きなものを人に勧める。自分が好きなものの好きなところを人に伝える。サブセッションで自分が好きな本をみんなが紹介したのも、推し活って言えると思います。

つまり、その推し活は、受け手が嬉しく、楽しくなるものじゃないでしょうか。人が好きな本について目を輝かせて話しているときの、聞き手も感じる高揚感。あの高揚感が少しでも味わえるのが、棚貸し本屋な気がします。

 

リアルで棚を作って本屋を作るのは、今の私には少し難しいかもしれません。

でも、ステップを踏んで、いつか何かが作れればいいな。そう思っています。

まずは、軽井沢の森の中で。ゆくゆくは、もう少し大きいところで。

 

どれだけニーズがあるかわかりませんし、今の自分がちょっと舞い上がっていることも自覚しています。ブックフェスティバルの興奮のままに全てを軽く頭の中で考えていることもわかっています。

でも、本が好きで、本を通して人を知ることも好きで、何より自分が他の人の作る本棚を見たいんです。それがバーっと並んでいるところを見たいんです。

 

感情的だからこそ楽観的になれる今、夢を語れるだけ語って、それを最初は勢いで、その後は着実に、しっかりと、進めていきたいです。

 

なんというか、二日間、あっという間でした。

この頃全く本が読めていなくて、「本が好きです」というたびに「でもこの頃は全然読んでない」「本当に自分は本が好きなのか」という考えがちらっと頭をよぎるようになっていて。

でも、ここまで今回のイベントを楽しめるということは、やっぱり私は本が好きで、本から受け取る世界や知識が好きで、本を通して人と繋がることが好きなんだな、って思いました。

参加できてよかったですし、来年は高確率でこのイベントに参加できない(大学もどこかわかりませんし…)ことが残念でなりません。

ここで生まれたアイデア、縁、繋がり、好奇心を大切にして過ごしていきたいな、と思います。受験を前にしてどんどん忙しくはなっていますが、どんどんやりたいことが吹き出して、言葉にしないと治らなくて、手が震えてしまう、そんな瞬間を味わえました。本当に、参加できてよかったです。(語彙力がないのが悲しくなります。)

 

最後までお読みくださりありがとうございました。長い、乱雑な文章にはなってしまいましたが、ブックフェスティバルの感想でした。興味を持たれた方は、ぜひ来年のブックフェスティバルに参加してみてください!とても楽しくなると思います!

 

 

軽井沢ブックフェスティバル2023 レポート1日目!!

 こんにちは、うぐいすです!

今日は、参加したブックフェスティバルの感想をサラッと書いていきます!

 



9/23から24日にかけて開かれているのが、軽井沢ブックフェスティバルという本のお祭りです。私は実行委員として、このイベントに参加しています。今日は、1日目(23日)が終わった後の感想をサラッと書いていきたいと思います!

 

セッションの感想

 

今日は、二つのセッションで主に構成されていました。午後2時45分から4時15分までのセッション、そして5時から6時半までのセッションです。

一つ目のセッションは、本の案内人を5名招いて、それぞれが「こんな本が読みたい」という問いに対して即興で答えていく、本のソムリエのショート版のようなもの。みなさん著名な方ばかりで、どんどん積読本が溜まっていってしまう、そんな2時間でした。「全然小説を読んでいなくて…」と自己紹介の時に言っていた方でも、小説の話に普通に加わって「確かにあれは〜」なんて言っているところを見ると、「読書通」という平凡な言葉に収まらない、すごい知識量が裏には隠されているんだろうな、と感じました。また、色々な質問(「個性を出すこととQOLの関連性に関する本」など)がある中で、そのリクエストを噛み砕いておすすめの本を考えるまでのプロセスを読書案内人の方がた自身が解説してくださるので、案内人の方々がどういうふうに質問を捉えたのかを垣間見るのも面白かったです。

 

二つ目のセッションは、「一人出版社」の方々三人を登壇者、そしてブック・コーディネーター内沼晋太郎さんを司会者として始まりました。1人出版社を作るまでの道のりや、どのように出版までこぎつけたか、どういった本を出版したいか、未来はどうなっているか、そして、出版社を開くときの予算は…などの大きな話からちょっと生々しい話までかなり充実した内容となりました。個人的には、「一人出版社」の方々の本を意識して読むことが今まで全くなかったため、あたらしい世界に出会ったような感覚で聞いていました。本が好きだと自分でも思っていたので、まだまだ全然本に関して知らないんだなと思うと、楽しくなります。シリーズや作家で読むことはあっても、出版社で読む、編集者で読むということは今まで意識してきませんでした。これから読書の視点を変えるために、意識していきたいところです…!

 

AIがどんどん進化してきて、芸術はどこにいくのか。そう言った話を人としたことがあります。AIが描いた絵と人間が描いた絵が区別できなくなってきている今、人間の作品を価値づけるものはその作品の背後にあるストーリー性になってくる。そうした結論になりました。

出版社も、本がどんどん電子化してきて、AIが書いた作品がネット上では出てきて。そんな中で本の価値も、これからはそうしたストーリーが重視されていくのではないでしょうか。1人出版社が今増えていて、そのコミュニティができてきているのは、そのストーリーを重視する流れの一環なのかな…。そう感じました。

もちろん、それだけではないでしょうし、どんどん1人出版社の業界も変化してきているといいます。本当に無知な分野だったからこそ、受けた印象は大きかったですし、もっと詳しく知ってからこの話を聞けば、この話の価値に気づけたんだろうな、と残念でもあります。

 

どちらのセッションも合わせて、自分が無知だからこそこの価値に今気づけていないのでは、と思う瞬間が多すぎました。そういう意味でも、もちろん直接のセッションの内容からも、色々な学びを得ることができたな、と思います。

 

夜の時間

第二のセッションの後、本当は同じく実行委員の父親とともに帰る(私は寮に送ってもらう)つもりだったのですが、何やら美味しそうなご飯があるとか…。しかももう時間も遅かったので、夜ご飯をそこで食べながら、もう少し長居することにしました。

 

夜ご飯はカレーライスで、とろっとろのオムレツもつけることができます。スープもあったのですが、残念ながら私のスープには虫が入ってしまい…。

ですが、「読書推進プログラム」をサービスとして実際にいくつもの学校で提供しているNPO法人の方とお話ししながらご飯を食べることができ、どう言った活動をしているのか、何がその意図としてあるのかなどをお聞きできました。

自分も興味のある領域ですし、自分が知らないだけでいろんなことがいろいろな場所で起こっていることを実感。

 

その後は、焚き火を囲みながら残っていたメンバーで絵本の読み聞かせ。朗読をしてくださる方と、ライアーという楽器を弾いている方のコラボセッションというなんとも贅沢な時間でした。

(贅沢と言えば、夕ご飯も東京オリパラ閉会式でピアノを弾いた西川悟平さんの演奏が流れている中という、最高に贅沢な空間でした。)

 

焚き火、朗読、楽器。

このコラボレーションは、語る言葉がないほど、グッとくるものがあり、終わった後には言いようのない充実感が場に満ち溢れていました。

私が混ざった時に、ちょうど「ハルばあちゃんの手」を読み始め、その後「手から手へ」、そして「いのちの海」で終わりとなりました。絵本を読み聞かせしてもらうという経験自体、何年振りかわかりません…。それが、ライアーというより深く、余韻をもたらしてくれる楽器と合わさり、しかもそこにパチパチという炎の爆ぜる音が混ざり込み。静けさの中には微かな風の音や、あちこちで木の擦れる音がなり…。

 

もう時間もおそい(寝る直前にこのブログを描いてます)ので、思ったことを乱雑にまとめます。

 

私は、「花もて語れ」という漫画を読んでから朗読に興味がありました。YouTubeでも朗読を聞いたりしていましたが、実際に対面で聞いたことはほとんどありません。そんな中で朗読に対して持っていた印象が、「個人の解釈」だということ。本、もしくは絵本は、その文字や挿絵、そして装丁を含めた一冊の本が、作者の届けたいものです。視覚と触覚を超えたものは、全てその作者の意図とは別に、届ける人(この場合なら朗読者)の解釈が入り込んできます。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

もちろんその良さもありますが、作品そのものを味わうという目的なら、私は朗読を聞く-特に一つの作品で1人のみの朗読を聞く-ことをしようとは思いません。なぜなら、その人の解釈に自分が入り込んで、それ以上のもの、もしくは自分の解釈/感想を持てなくなる気がしてしまうからです。

ですが、だからこそ「この人の読み方は本当に心に入ってくる」と思う人や、「この読み方は今までの私の作品に対する感想を変えた!」という経験が生まれ、朗読を聞くことが楽しくなります。

 

その上で、今回の朗読x音楽は私にとって画期的な体験でした。

朗読は作品に対する1人の解釈の表れですが、ライアーの音色も、ライアー演奏者の解釈の表れです。その2人の作品に対する世界が広がり、交差したものが、聴き手の世界に入り込んできます。そして、その聴き手も作品に対する解釈を同時進行で作り上げており、結果的に3つの世界が生まれます。その中にところどころ火の音や自然の音が聞こえてきます。

自然の音は、作品に対する解釈とはまた違う要因です。でも、その音がより自分たちの思考を深めてくれる気がします。

うまく言葉で言い表せませんが、この感覚を父親は「物語の三重奏、四重奏」と表していました。本当にその通りだな、と思います。その物語が、いろいろな形で自分の中に入り込んできて、それが自分の中で一つになって、さらに新しい何かになる。

感覚的ですが、あの1時間があればもう十分に満足というほどの経験でした。自分が朗読を生で聴いたのがほとんど初めてに近いということもその原因なのでしょうが、楽しかったです。

 

あの空間の中で、

本をめくる音、

炎がパンっと激しくぶつかり合う音

周りの人のため息の音

どこかで焚き火のために木を折っている音

衣擦れの音

楽器を床に置く音、

表紙と裏表紙、

物語が始まる前の余白のページ、

朗読者のネイルの色

参加者の赤ちゃんの眠そうな目

上を向いた時の、曇りの夜空

揺れる炎

装丁の感触

風が指の間を通り過ぎる瞬間

本を閉じた時の指にかかる重さ

 

いろいろな要素が積み重なって、本当に素敵な時間でした。

参加できてよかったです。

 

 

帰りの車中で

そうしたことを話しながらかえる車中。

同じく運営メンバーの人と少し話したことを、父親にも共有していました。

それが、夢物語のような理想。

本の博物館をいつか作りたいです。

「バベルの図書館」という、ボルヘスの短編をテーマにしたフエギアの香水があります。他にも、図書館をテーマにした香水はいくつかあります。それは匂いを通して本を感じるという行為です。

他にも、触覚、味覚、視覚、聴覚。五感を使って本を味わい、それを自分の本に対する第六感につなげていく。

そんな場所を作りたいです。本を一人一人が味わう、本を通じて人がつながる、本の良さに改めて気づく。そんな場所があれば、夢のようだな、と。

 

小二の時の私の夢は、本のホテルを作ることでした。

6階建ての、本のホテル。本がなんでも読めて、そこに泊まれて、本が好きな人がホテルで働いていて。お姫様のような部屋もあれば、メアリーポピンズのような大人な、でも遊び心のある女性の部屋もあれば、いろいろな部屋があるホテル。

白紙にホテルの絵を描いて、家の前の通りで親に話していたことをいまだに覚えています。

 

そう考えると、私の中の好きなものは変わっていないんだな、と。

ここでは今書き表せないような、なんとも言えない大きなものを感じた1日でした。

本が好きなことを久しぶりに実感しました。

私は本が好きだし、本に助けられてきたし、本に変えられてきたと思います。それはこれからも変わらないことで、これからも変えたくないことです。

読む傾向はどんどん変わっていますし、読む時間はどんどんなくなっています。それでも、こうした、本に対する自分の夢は忘れたくないですし、できれば、できれば実現させたいです。

 

本の博物館。作りたい人がいたら、一緒に作りましょう。

西川悟平さんがおっしゃっていました。自分が言ったことは、いつか必ず実現すると。だから言葉にしていきます。本の博物館、本を届ける、知識を届ける、知が集まる場所を作る。そんなことをしていきたいです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。明日も二日目で朝が早いのに、遅くまで起きちゃって…。でも、今日しか書けないことがある気がしたので今日書きました。明日親の送迎までに起きれなかったら、お父さん、ごめんなさい!それでは、明日の感想はまた後日書いていきます。ブックフェスティバル、楽しんできます!

(後日写真も追加していきます!)

 

 

追記:二日目の感想!

chirpspring.hatenablog.com

 

 

久しぶりの生落語!!

 こんにちは!お久しぶりです、うぐいすです。

この夏から高校三年生になり、色々と手が回らずにブログも長い間サボってしまいました。こんなブログでも、まだまだみてくださる方々がいることに驚きつつ、本当にありがたいな〜と感謝している毎日です。このブログを見たと話しかけてきてくれた同じ学校の人たちも、ありがとうございます!

 

 

あさま寄席

今日は、ささっと落語に関する記事を書いていきます。

この頃3年生らしく、さまざまな課題に手も頭も追いつかない状態なのですが、そんな中でも落語会が学校の近くで開かれるとなったら行くしかありません…!というか、単なる勉強からの敵前逃亡です。やることを後回しにしているのと同じ状態でも、落語会なら行くしかない!と落語を見てきました!

 

 そして、この高揚感とともに勉強を始めようとパソコンを開いたら落語の動画を見るだけで終わってしまいそうなので、ここはブログを書こうと思い立った次第です。

 

私のいる学校はUWC ISAK Japanという軽井沢に位置する全寮制の高校なのですが、今回落語会が開かれたのはそのお隣の町、御代田というところでした。

今までも毎年「あさま寄席」と称して落語会を年に2回開いていたとか。基本平日開催なのですが、開催場所「エコールみよた」の開館20周年を祝して今回に限り土日開催となり、私も足を運ぶことができました。

同じく落語好きの家族と連れ立って久しぶりに寄席に行ったのですが、満足したのなんの…!!多分、最後にしっかりと落語を見に行ったのは東京にまだ住んでいた時。もう5年ほど前だと思います。それ以降は東京に行く機会があってもなかなか何時間もかかる寄席に行くことはできず、YouTubeで泣く泣く我慢するのみ。好きという気持ちは募りつつも、実際に寄席にはいけないため、アップロードされている真打披露口上をみあさるという変な状態になっていました。

 

今回のあさま寄席は、真打が2名、前座が1名、そして色物(コマ回しや紙切りなどの見て楽しむ芸)が1名、計5名で、およそ3時間弱演じるというかなりたっぷりとした落語会。今まで寄席はよく行っていたものの、落語会には年に一回行くか行かないかというレベルだったので、予想していた以上の充実度に驚きました。

出てきた噺家さんたちも本当に有名な方ばかり。二席かけた9代目春風亭柳枝さんに、落語協会会長の柳亭市馬さん。色物は曲ごまの三増紋之助さんで、前座は柳亭市馬さんの十番弟子、柳亭市遼さんでした。

最初は、柳亭市馬の名前に惹かれて「行くしかない!」と決めたのですが、どの方も本当に聞いていて楽しく、長丁場でも飽きることのない落語会でした。

 

まずは前座、柳亭市遼さんの牛ほめから始まり、柳枝さんの棒鱈。そして市馬さんの粗忽の釘。中入りを挟んで紋之助さんの曲独楽。最後に柳枝さんの浜野矩随で終わりとなりました。

一つ一つ、ちょっとずつ感想を書いていこうと思います。

 

 

牛ほめ

 

久しぶりの落語ということもあり、ちょっと緊張しながら聴きました。よく前座さんが口座にかける与太郎話ですが、とても面白かったです。上から目線のようですし、もともと前座さんが修行中の方々だという先入観もあるのだとは思いますが、前座さんの噺を聞いていると、時々「あれ?」と思うところだったり、いまいち乗り切れないところが出てくることも。ですが、市遼さんの牛ほめはとても滑らかで、話もすっと入ってきて、軽やかで楽しかったです。

ちょっと頭の弱い与太郎が、近所のおじさんの家を褒めてお小遣いをもらおうとする話。オチもわかりやすく、笑えるポイントも多い落語です。

 

www.youtube.com

(噺家さんは違いますが、参考として動画を載せていきます!)

 

棒鱈

棒鱈は、二人の町人が主人公。座敷で酒を飲んでいると、隣の座敷から田舎侍がはしゃいでいる様子がよく聞こえてきます。町人のうちの一人が悪い酒癖を持っており、その田舎侍に突っかかって行くところから始まる話です。

この落語は、私自身はあまり口座で聞いたことはなく、柳枝さんの噺も始めてだったもので、本当に新鮮な気持ちで聴いていました。後で調べたところによると、8代目柳枝の得意とするネタだったそうです。

噺はもちろん面白いのですが、それ以上にマクラ(噺の前に挟む、落語家のちょっとした日常の話など。アイスブレイクのようなもの)がどんどん噺と絡み合って行く様が、まるでミステリ小説の伏線を見つけて行くようで楽しかったです。

マクラの中で、東京にある四つの寄席の客層に関して話していたのですが、池袋演芸場に関しては「地下にあるものですから知っている人しかあそこには行かない」と。私の家族は、東京に住んでいた時は池袋によく行っていたので、確かに他の寄席よりは人が入りにくいかも…と笑ってしまいました。

 

www.youtube.com

 

粗忽の釘

その次が、柳亭市馬の落語でした。

市馬師匠は、落語協会の会長ということもありいろいろなところで顔を見ます。例えばコロナの最中に寄席への寄付をお願いしたのも市馬さんと春風亭昇太さんでしたし、落語協会twitterを見ていても何度も出てきます。

名前を聞けばすぐに顔が出てくるにも関わらず、今まで噺を聴いたことは一度もありませんでした。どんな噺をする人なんだろうと思いながら見ていると、最初は相撲の話から。どうやら相撲の大ファンのようで、よく通るいい声で行司の真似をしたり、場内アナウンスの真似をしたり。あさま寄席は、相撲甚句(七五調の囃子歌)を披露してくださいました。鶴と亀の笑える小話を聞き、今日はこれで終わりかな〜なんて思っていたら、そこから羽織をぬぎ出したのでちょっとびっくり。結局、粗忽の釘という古典落語の名作をかけてくださいました。

粗忽者の大工が釘を間違えてお隣さんの家まで打ってしまった噺です。演者の方によって少しずつ演じ方が変わる作品ですが、お得意の歌を多用した楽しい噺になっていました。とてもすっきりとしていて、歌も聴いていて楽しく、どこか上品な雰囲気もある噺でした。なんとな〜く、歌丸さんの落語も思い出したかも。

www.youtube.com

 

曲独楽

 

三増紋之助さんは、名前を見た時は誰だろう??という感じだったのですが、お顔を見たときに「見たことある!」と思い出しました。多分池袋で何回か拝見したことがある方で、芸もとても楽しかったです。

地方寄席、もしくは落語会だからなのかもしれないですが、観客の方を舞台上に呼び寄せ、手拍子も含めてみんなが一体になって楽しめるような時間でした。

コマを回す技術、いつ見てもどうやってるのか疑問です…。また、合間合間に入るトークも面白かったです。

最後には棒の上でコマを風車のように回す技を客席を回りながらやってくださり、周りの人もみんな笑顔で終わるような芸でした!スポットライトの光やマスク(観客を舞台に上げた時から念のためと紋之助さんのみマスクをしていました)もあって、かなり暑そうだったので次回からは空調を工夫してもらいたいかも…と思ったり(笑)。

www.youtube.com

 

浜野矩随

 

トリを飾ったのは柳枝師匠の「浜野矩随」です。

この噺は、腕の悪い彫り師が成長して行く人情噺です。それまでずっと滑稽話が続いていたので、最後は人情噺かな〜と思っていましたが、やはりガラッと雰囲気が変わりました。

色物の後ということもあり、かなり客席もざわついていたのですが、そこはやはり腕の見せ所なのでしょうか。マクラの中で笑いをとりつつ少しずつ静けさを加えて行って、段々と場を支配して行くかのような印象を受けました。

そして噺が始まり、彫り師が怒られるシーンに来ると、もう客席もシーンと静まり返って耳を傾けていました。この噺自体は久しぶりに聞いたのですが、噺によってこれほど落語家さんの印象って変わるんだ…と節々で思いました。その前の棒鱈という噺が勢いの良い笑いの多い噺なものですから、緊迫したシーンがずっと続くと「あれ、笑いはどこいった?」と思わず感じてしまいました。

改めてではありますが、落語家さんってすごいな〜と思います。水を飲むシーンや、観音様を見るシーン。全てが実際にその場面を見ているようで、どんどん高座しかみえなくなるような感覚になりました。

www.youtube.com

 

終わりに

ということで、ざざっと今日の印象を書いてきました。

そろそろ流石に勉強に戻らなければいけないのでここら辺で終わらせますが、本当に落語を見れてよかったです。

読書、音楽など好きなものはいっぱいありますが、思ったより落語の存在って私の中で大きいんだな、と再確認。時々落語ブームが再燃するのですが、その度に落語家になってみたらどうなるんだろうな〜と思います。実際に落語家になるような覚悟はありませんが、これからもどんどん落語に親しんでいきたいです。長野にいるとどうしても限界がありますが、これからは休みを活用して東京に行ったときには落語を見たいです!

こんな素敵な文化に引き合わせてくれた、親や祖父母に感謝感謝…!!そして、あさま寄席を開いてくれた関係者の皆様や、出演してくださった4名の方々、本当にありがとうございました!!

 

最後までお読みくださりありがとうございます。駆け足にはなってしまいましたが、ざざっと今日の振り返りをしてきました。本当に落語って面白いんです。まだ見たことのない皆様、ぜひお時間あるときに見て行ってください!

 

 

出演者の方々

春風亭柳枝九代目 春風亭柳枝 公式ウェブサイト

柳亭市馬柳亭市馬公式ホームページ

三増紋之助三増 紋之助|一般社団法人 落語協会

柳亭市遼:柳亭 市遼|一般社団法人 落語協会

夏休みに入って、遅めの決意

 こんにちは!今日は、夜の遅い時間に思ったことをバーっと日記のように書いていきます。

ちょっと前に私の学校は夏休みに入り、8月の上旬までは休み期間となりました。

広島: 長浜神社にて

 

もうすでに6月も終わろうとしていることが信じられないですが、この夏休みが始まってから学んだことや、感じたことなどを書いていきます。

 

まず、学んだこと。

 

私はジェンダー平等に関する活動をしている団体に所属しています。

その団体でプロジェクトを行っていたのですが、そのうちの一つが私たちの不手際で結局頓挫してしまいました。私はその中でも中心メンバーだったため、かなりへこみましたし、落ち込みました。

自分の悪いところはわかっていても、それでもあちら側の非を見てしまうというか、納得しきれないところがありました。正直、今でも私たちに全ての責任があるわけではなかったと思ってしまいます。色々なところでの監督不足、コミュニケーション不足、理解不足や誤解が生まれ、その全てが重なった結果の失敗でした。

手ひどく失敗したなとは思いますが、それでも多くのことを学びました。

 

私たちは団体の中の高校生チームとして集まり、活動をしています。未成年ということで、団体の代表や理事メンバーらが私たちの活動の最終的な責任を負う立場にあります。

そういったことは把握していたつもりでしたが、いざ私たちが失敗して、その責任が全てプロジェクトの中心ではなかった大人に降りかかるのをみると、「高校生」という立場を痛感させられました。

「高校生」だからこそ守ってもらえて、「高校生」だからこそ許してもらえて、「高校生」だからこそ謝らせてもらえない。

 

今回の例はたった一つの事例といえばそうですが、なんらかのプロジェクトを行う際、年齢はそのプロジェクトを判断する大きな要因となってしまいます。いくら自分がそれを望んでいなくても、外部の、特に年齢の違う人たちと接すると、どうしても年齢について触れられてしまいます。

それは昔からわかっていたつもりでしたし、それを利用して色々な経験をしてきたと思っています。それでも、今回こうして完全に責められる立場で、「高校生」として守られると、どうしても自分の不甲斐なさというか、申し訳ないという気持ちは出てきますし、拭うことはできません。

 

年齢は何があっても取り外すことはできませんし、一緒に何かをする人が年齢を気にするかどうかも自分には決められません。だからこそ、自分の年齢を理由に何かを言われても恥ずかしくないような行動を取らなければいけないなと、強く痛感した月でした。

 

そして、一瞬の気の緩みが後で大きなずれにつながってくること。

その時は共通の前提があるつもりで話していても、その前提が少しでもずれていた場合、後から大きなずれが出てきます。メールにしても、会話にしても、とにかく一つ一つを丁寧に確認すること。自分が「面倒くさいから」などといった理由で何かを省略してしまわないこと。

 

私の活動に賃金は発生していませんが、それでも活動をしている以上その責任を負う覚悟はできていなければいけません。

それを、まだまだ理解していなかったな、と思います。

 

 

全てのことを通して、強く思うことは、「学びたい」、ということです。

とりあえず、知識が圧倒的に足りない。何かをする際には、特に社会問題について活動する際には、知識が必要です。

誰も傷つけないために、安全に気をつけるために、自分に知識がないとどうにもなりません。

 

学ぶことが今の私には一番重要だし、一番必要なことです。

それを知っててなお、まだあまり勉強熱心な日々を送れていない私は本当に弱いというか、言動一致していないなあという感じなのですが…。

 

あと、6月は色々な人にあった月でした。

父方の祖父母の家にも、母方の祖父母の家にもお邪魔して、久しぶりに両方の祖父母と話をして、話を聞いてもらって。広島にもいって、自分のプロジェクト関係で様々な人とお会いしましたし、休みに入った後に学校の友達とも旅行したり、あったりしました。

 

いつもとは違う場所で、いつもはあまり会わない人、会えない人にあって、色々な話をして。

人と話すことが面白いな、好きだな、と思ったと同時に、やっぱり自分はもっと一人の時間も大事にしなきゃいけないな、と思ったり。

何かを経験しても、それを飲み込んで、自分のものにするという作業がまだできていないんだと思います。一人の時間をもっと丁寧に使って、自分を高めていくというか。自分を満足できる自分にしていくというか。

 

まだ後一ヶ月と少し、何をしてもいい時間が残っています。

大事に時間を使って、やりたいこととやらなきゃいけないことのバランスを見つけて、新しい経験をできればして、今までやり続けていることはやり続けて、やりたいことはどんどん溜まっていきます。

そして、その消化スピードは溜まるスピードに追いつきません。

たまにはこうして何をやったかを振り返って、あれ、意外と遠くまで行けたじゃん、って悦に入るのも大事な時間だと思います。

 

自分は今月、満足できる自分に何回出会えたんだろう。

まだ6月は終わってません。ジメジメとした季節ですが、楽しみつつ、成長しつつ、考えを深めつつ、過ごしていきたいなあって思います。

 

ということで、今回はここまで!深夜テンションでガーッと書いてしまいました。

この頃色々なことを理由に何かを後送りしがちなので、そんな自分だめだぞ!という考えを胸に認めて。

最後までお読みくださりありがとうございました!ちゃんとした記事も書けるよう頑張っていきます!

「言葉」のもつチカラ。

こんにちは。いつもお疲れ様です!

やっとテストが終わったりしたので、色々と最近を振り返って日記をつけていこうと思います。

去年の夏。

今回は、「言葉」について。

最近強く思うこと、少し苦しいこと、そして嬉しかったことについて書いていきます。

 

言葉って、なんなんでしょう。

何かしらの意味を持つ、話したり書いたり、聞いたり読んだりするもの。

 

それは、ただの音の羅列ですが、その音の羅列には大きな力が込められています。

それはもう、ただの「音」に止まらない大きな何かが。

 

ISAKの桜。



私は、人の放つ「言葉」に影響されやすい方なのかな、とこの頃思います。

対象が自分ではなくても、人の話している内容に感情が大きく影響されやすいというか。もしくは、「真面目」なのかもしれません。人の放つ冗談や、少し強い意味を持つ言葉に対して、表面上は笑って流すことができても、内心ではかなり考えてしまいます。その「言葉」を選んだ意味が必ずある、と考えてしまうからです。例えば、「真面目」という言葉でも、「律儀」「素直」「実直」もしくは「生真面目」など、いろいろな類義語がある中で、なぜ「真面目」という言葉を選んだのか。

 

基本的に、私は「一つ一つの言葉にそのまま意味がある」というふうに考えています。そもそも言葉は自分の意思や想いを表すもの。一つ一つの言葉に意味があることは当たり前ですし、その意味が他の人に渡って初めて意思の疏通が可能となります。

だからこそ、私自身が深く考えずに話したら(かなりそういうこともあるんですけど)、その後振り返って自分にがっかりするし、もっと成長しなきゃな、と思います。そして、例えばあまり知らないことなのに言い切っているなど、言葉にあまり責任を持っていない人と話すことには苦手意識があります。

笑いとノリだけで全てが成立する会話には昔からついていけませんし、何か議題があって話す方が内容が確立しやすい(意味のあることを話しやすい)ので好きです。

 

今週は、誰かの言った言葉に大きく影響を受けるということが何日か続けてあった週でした。嬉しい言葉が投げられた時には、もちろん嬉しくなります。ですが、少しネガティブな言葉を聞いたり言われたりすると、自分に関係がないことだとしても自分にもネガティブな影響がありました。疲れている時には、さまざまな言葉が飛び交う場所(例えば食堂など)にはあまりいきたくないなと思いますし、人が話している空間(何を言っているのかがわかる空間)に行くことが結局自分を消耗させます。

 

そこまで影響される原因の一つには、まず自分が言葉を大切にしたいと強く思っていることが挙げられるでしょう。自分の言葉に責任を持ちたい、一つ一つの言葉に人の気分を変えられる力があるのだから、その力を自覚した上で使いたい。

そして、自分のコミュニケーションスキルに対する不安もあると思います。元々わかっていることですが、自分はあまりコミュニケーションが得意ではありません。というか、人と話すのは好きですが、人と一緒にいる時間よりも自分で一人で過ごしている時間の方が自分の安定につながります。自分の発言で誰かを知らないうちに不快にさせていないかとか、そういったことを必要以上に考えてしまうので、結局自分がすでに仲良い人たちと話している方が圧倒的に落ち着きますし、楽しいんです。

色々な人と話してみたいんですが、少なくとも大人数の中で軽い雑談をすることには苦手意識があります。一対一ならともかく、確固とした議題も無ければ自分の得意分野でもない話題では何を話せばいいのかわからなくなってしまうというか。これは、単純に自分に求められている役割がわからず、自信のないまま言葉を発することに対して恐れがあるからなのかな、と最近思うようになりました。

もちろん他の要因もあるのかもしれませんが、「言葉」ってやっぱり、花にもなれば刃にもなると思います。自分にそんな意図がなくても人を喜ばせることができるし、逆に人を傷つけることができて。

そんな言葉の力をこの頃色々なところで目にしたからこそ、自分がその「言葉」を使いこなせるか心配になって、さらに人と話すことに少し萎縮してしまった1週間でした。

 

とは言いつつも、仲良くしている人たちとは普通に話していますし、萎縮といってもせいぜい人が大人数いるところにはあまり行かない、程度のことです。

先ほども書いた通り、言葉は花にもなり得ます。誰かが褒めてくれた、慰めてくれた、寄り添ってくれた。もしくは何気ない日常の中で嬉しくなるようなことを言ってくれた。そんなこともありました。

尊敬している先生に大学用の推薦状を書いてくれないかお願いしたら、「君ならもちろん!」と言われ(そこまで成績がいいわけでもないので常套句なのでしょうが)、とても嬉しかったこととか。友達と話してたら英語が上手くなってるって言われたこととか。あと、別に私に関係なくても、プロジェクトだったり自分の好きなことを熱のある言葉で伝えられると、その熱が自分にも伝染して、色々な挑戦をしてみたくなります。

 

家の近くの公園。

楽しいこともあれば、時々苦しいこともある言葉の使い道。

自分自身の弱みも、それに対する付き合い方も、この17年でなんとなくわかってきました。

 

小さい頃から本で感動をもたらしてくれて、「花散らしの雨」なんて言葉があるほどに表現が多様な日本語を、もっと知りたいなと思います。英語もそうですが、言語に対して失礼にならないように、自分の納得できる使い方をしたいです。

そのためには、それこそ読書だったり会話だったり、こうしてブログを書いたり、言葉に触れること、言葉を発することが大切なんだと思います。

 

まだまだ足りないところ、補わなければいけないところがいっぱいあります。

自分の言葉の使い方をもう一度見直してみれば、さらに周りの言葉の使い方や発言内容に影響されるようになるのかもしれません。もちろん人それぞれ、自分の発言に対する意識は違いますし、それを押し付けることは無謀というか、してはいけないことです。だから、自分に対してと他人に対してを上手く切り話せればいいのですが、それが上手くできるようなら悩んだりはしないでしょう。

その上で、私は周りの会話に苦手意識を持ちながら入るよりは、まず自分の落ち着く言葉の使い方をする方を選びます。好きな作家さんの言葉に触れたり、こうして自分で文章を書いたり。とりあえずはそこから始める方が、自分の言葉に自信も持てるし、最終的には一生付き合うのは友達じゃなくて自分なので。

まあ、有り体に言えば人と話すの怖いから自分の空間にいたい、というめちゃくちゃ陰気な思考ですし、ISAK(私の在籍している高校)で人と話さないなんてなんのためにここにきたんだ、という感じにもなります。

もちろん話さないわけではなくて、普通に学食で大人数で座ってご飯を食べることもよくありますし、化学や歴史をクラスメイトと一緒に勉強することもあります。自分がその時にどこまでならうじうじしないでいられるのか、それを考えながら、消耗しすぎないような人との付き合い方をしたいなって思いました。

 

ここまで勢いで書いてきて、予想以上に雑で長い文章になってしまいました。

読み返してみて改めて、私って人付き合い苦手なんだなあ、と思いましたが、私の家族は基本インドア、一人の時間大好き!系の人たちなので、ISAKにいるから余計に悩んでいるだけなのかな、とも感じました。家にいれば、言葉を大切にしたいとか、大人図で話すの苦手とか、そう言った私の思考は多分普通なので。

そう考えれば、寮生活だからこそ普段ふと思うことが積み重なってのしかかったりすることもあるけど、結局は自分の生き方というか、好きなこと、好きな空間を再認識しただけとも捉えられます。

あまりネガティブな方向には深く考えすぎずに。テストでのストレスで体調も万全とは言えないので、そういったことも影響していたんでしょう。

言葉を大切に、言葉に責任を持って、一日一日を過ごしてみたいです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。突然整理しよう、と思って書き出した記事。予想より雑で長くなってしまったので、ここまで読んでくださった方々には感謝感謝です。また時間もできてきたので、ブログ更新頑張っていきます!!

高校の授業で詩を作ったので、載せます!

こんにちは!寒さも厳しくて、毎日震えながら起きています…。

 

 

冬休み中に、学校では詩の宿題が出ました。

休みに入る前に詩について簡単に学び、いくつかの詩にさらっと目を通して表現技法などを学びました。そこで学んだことを参考に、冬休み中に自分で詩を一編作ってみよう!という宿題です。

 

 

 

 

今回は、ただ作った詩を載せるだけだと少し味気ない気がしたため、詩を載せて、その後にどうやって作ったかをかいていきます。といっても、詩に全く詳しくない一般の高校生のため、暖かい目で見てくれると嬉しいです!

 

目次

 

作成した詩

ぼくのすきなひ

さく・あまみ あめ

 

さんさんしくしくぽとぽとざああっ

ざんざんばんばんだんだんぴかりっ

 

まどからみどりのかっぱがみえる

かえるのかっぱがみちをまう

それをあわててかさがおう

みずたまもようのかさがおう

 

みまもるかさはもりのいろ

あいいろ、こんいろ、うすぐんじょう

やまぶき、まつば、こけのいろ

 

それをじゃましてしずくがぽとり

わたしをみてと、またぽとり

しゅやくはわたしとついでにぽとり

 

しずくはやねをとびこえて

しずくはがらすにえをえがく

 

さんさんしくしくぽとぽとざああっ

ざんざんばんばんだんだんきらりっ

 

ぼくのすきなひ、あめふるひ。

 

 

作り方、思ったことなど

上記の詩が、私がお風呂上がりに髪を乾かしているときに思い付いたものです。

リズムに乗せて朗読をしてみれば、思っていたよりもよくできたかもな〜と満足しました笑。

実は、この詩は昔から好きだった詩に限りなく影響を受けています。谷川俊太郎の『詩ってなんだろう』という詩集に載っていた、山田今次の『あめ』です。

 

あめ

山田今次

あめ あめ あめ あめ

あめ あめ あめ あめ

あめは ぼくらを ざんざか たたく

ざんざか ざんざか ざんざん ざかざか

あめは ざんざん ざかざか ざかざか

ほったてごやを ねらって たたく

ぼくらの くらしを びしびし たたく

さびが ざりざり はげてる やねを

やすむ ことなく しきりに たたく

ふる ふる ふる ふる

ふる ふる ふる ふる

あめは ざんざん ざかざん ざかざん

ざかざん ざかざん  

ざんざん ざかざか

つぎから つぎへと ざかざか ざかざか

みみにも むねにも しみこむ ほどに

ぼくらの くらしを かこんで たたく

*1

 

この詩は子供の頃に家族でよく読んでいて、その独特な擬音語や踊り出すような雰囲気が好きでした。今改めてみれば、この『あめ』の人たちの暮らしの厳しさが目に浮かびますが、子供の時はそんなことは全く考えず、ただただ音に出して楽しい歌、という印象でした。

 

もともと私の中にはいくつか「好きな詩」というものが既にありました。『あめ』や『へび』などの子供が好きなものはもちろん、谷川俊太郎『朝のリレー』、石垣りんの『崖』や新川和江の『わたしを束ねないで』など。

教科書に載っているものが多いにしろ、そういった意味で「詩」に対する抵抗はあまりないと思います。「詩」というと「ポエマー」など少し揶揄うような雰囲気が連想されますが、絵画も音楽も詩も、全て何かを表現するという意味では一緒ですし。

 

好きな詩があって、あまり抵抗はなかったとはいえ、1から自分で詩を作ることはあまり得意ではありません。何をどうすればいいのかが全くわからないからです。

キーワードを書くといっても、何を書き出せばいいのかもわからないし、ただそこにある風景を描くだけになってしまいます。そもそも、一つの景色や物事で自分がどう思ったかを書こうとしても単なる説明文になっちゃいそうで…。

 

最初は、ちょっと穿った見方をして、叙事詩を書いてみようかとすら思いました。

参考までに…(個人で勉強したまとめです。注意は払っていますが、間違いがあったらすみません。)

  • 劇詩
    • 舞台で上演されることを目的としない、劇形式の「詩」
    • 歴史歌、物語歌、謡曲など
    • 詩劇:詩の形式をとったセリフによる劇
    • 日本で言うと、能楽や歌舞伎が詩劇にあたる
    • そのセリフが文章に起こされて出版されてたりしたら、それは劇詩
    •  
  • 叙事詩
    • 実際に起こったかどうかは抜きにして出来事が述べられていれば叙事詩
    • 昔あった出来「事」を叙(の)べる詩
    • 日本で言うと、平家物語古事記叙事詩にあたる
  • 抒情詩
    • 個人の「感動」「感情」「情緒」を盛り込んだもの
    • 主観の感情を率直的に歌うもの
    • 現在:拡大解釈や詩のあり方の変化が進み、抒情性は全ての詩にあると言われるように
      • エモければ抒情詩(叙事詩や劇詩も含む)

 

ですが、叙事詩を作るとなればもっと何をすればいいのかも分かりませんし、物語になって授業でも「詩」とは認められなさそう。あと、絶対先生が求めているのはそれではないので、諦めました。

 

やり方がわからないなら、何かをパクればいいのでは?と思ったのがその次のステップ。

パクるといっても完全にコピーするのではなく、その詩から発想を得て、それをもとに何かを作ると言うことです。

そこで槍玉に上がったのが、家族で歌詞の美しさについて話していたBUMP OF CHICKENの「魔法の食卓」や、個人的に好きなポルノグラフィティの「今宵、月が見えずとも」。yamaの「春を告げる」など。音楽は指示されなくても聞きますから、歌詞を意識して聞いて、何か使えるものはないかな、と探していました。

 

そして、「魔法の食卓」を参考にしたちょっとしんみりとした雰囲気の詩にするか、「あめ」をもとにしたリズムのある楽しい詩にするかの二択となりました。

*ちなみに、「魔法の食卓」の歌詞は本当に綺麗なので是非聞いてみてください。未来の自分が過去の自分に語りかける内容のものです。

www.uta-net.com

 

 

どうせ作るなら簡単な方がいいよな…と言う考えのもと、お風呂の中で考えてみて、「あ、なんかできそう」となった「あめ」を選びました。本当に軽い気持ちで作り始めたら、雨を窓が叩いていて、その雨粒の向こうで親子が歩いていて…という光景が浮かんだので、そこに要素を追加して行ってできたのが上記の詩です。

 

正直、作り始めたらもうそこからのハードルはぐっと下がると思います。問題はそこまでの道のりかなと。ただでさえ宿題で「指示されて」作るもので、その上「詩」という普段馴染みのないものがテーマです。それなら、自分の好きなものや、好きだったものを使ってちょっとでも楽しみを見出さなければやってられません。

 

わたしが今回作った詩は、個人的にはかなり好きですし、いい出来だな、と自分で思います。初めてに近いとなれば、作った詩に羞恥心を持たないだけでもかなりの出来なのでは。

それでも三連の使う色の名前などは悩みましたし、好きだった「あめ」に比べるといい出来、なんて思えません…(本職の方と比べて落ち込むなんて変な話ですが笑)。

 

冬休みが明けてからの国語の授業では、作った詩をもとに作者を明かさずクラスメイト同士で分析するんだそうです。果たして宿題をやってきたのがどれくらいの人数いるのかは分かりませんが、ちょっと楽しみです。(このブログは冬休み中に書いています。)

 

ということで、今回は自分の作った詩と、それに関して少し思ったことを書いてみました。楽しく作れたし、楽しく振り返りも出来たので満足です。これで、安心して冬休みの残りをダラダラして過ごしたいと思います!といってもこの記事を書いているのが1/5で、あと半週間しかないのですが…。

 

最後までお読みくださりありがとうございました!名前を出した「魔法の食卓」や「今宵、月が見えずとも」など、是非是非聞いてみてくれると嬉しいです。とてもいい歌なので!

*1:引用元:響け!!言霊 第7回“ことばのがっしょう”群読コンクール 参考詩

2022~2023で思うこと 知識を大切に、継続大事!!

あけましておめでとうございます!

今回は、2022年の振り返りと2023年への抱負をかいていきます。2022年内に書いているため、2022を今年、2023を新年としてかき分けていきます。ブログを書くことが久しぶりすぎて、ちょっと文章の書き方を忘れかけているのはご愛嬌ということで多めにみていただけると嬉しいです!

また、この記事は完全に個人の振り返りを目的にしています。無駄に長くて読みづらいかもしれません。ごめんなさい!



 

 

振り返り

それではまず、2022年は何を行ってきたかの振り返りから始めていこうと思います!

2022年1月~3月

今年の始まりは、いつもより少し慌ただしかったです。自分は今人権関係の団体で活動しているのですが、その団体での催し物のようなものが冬休みが終わる前に東京でありました。そのおかげで多方面から私の入っている団体を認知していただき、色々な外部の方とのメールのやりとり、ミーティングなど、始めてづくしのことが多く起こったな、と思います。

 

途中少しパンクしかけた時もありましたが、周りの友達のおかげでちょっとずつ休憩しながら、楽しく過ごすことができました。

 

chirpspring.hatenablog.com

また、アルバイトは今いる学校に入る前から少しずつやっていたのですが、団体での活動のおかげでも少しばかり報酬が出て、「働く」ということをより意識した時期でもありました。

 

3月には、私の学校(UWC ISAK Japan)ではProject Week(プロジェクトウィーク)という自分がやってみたいことを自由に試してみる1週間が用意されています。

私はこのプロジェクトウィーク中、自分の興味のある分野の方々にインタビューをしたり、博物館を巡ったりしていました。東京に行き、対面で会えた方々もいます。そこでの経験が今の自分にかなり影響しているなと自分でも思うため、この期間はとても実のあるものとなりました。フォトスタジオも借りて、写真好きな友達と写真を撮ったのもとてもいい思い出です。その時撮った写真はまだ見返すことも多いです。

博物館に行った記録はこのブログでも少しずつ残しています。今年は、とにかく東京国立博物館にハマった年。長野在住のためほとんど東京に行く機会はないのですが、今年は東京に行ったらほとんど毎回東博に足を伸ばしていました。多分4、5回は行ったと思います。本当に最高の場所です。東京に住んでいた間にもっと行きたかったとも思いますが、とりあえずは博覧料が無料の高校生の間にできるだけ足を運びたい場所です。

 

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

 

 

2022年4月〜7月

そして、3月の終わり(春休みの前ごろ)から学校ではどんどんコロナの影響が…。ちょうどプロジェクトウィークの前ごろに海外の生徒がようやく水際政策の緩和で入国し始めていました。ですが、春休み中に小数名感染者が出て、春休みの最初は隔離から始まったと記憶しています。

そして、その隔離が落ち着いて数週間。4月からは本格的にコロナが学校の中で流行り始め、4月、5月は隔離の印象しかありません。かくいう私もコロナにかかりましたし、私と仲の良い友達もほぼ全員かかっていると思います。寮生活となると、どうしても寝食を共にしなければいけません。しょうがないかなと思いつつ、学校の対応もふくめ不満が残る時期でした。

ですが、その間、親がNHKオンデマンドを契約してくれていたため、自分の好きな勉強がたくさんできました。NHKオンデマンドでは『映像の世紀』をはじめとする様々な優れた歴史番組が配信されています。もちろん歴史以外も多くありますし、隔離中はずっとオンデマンドを見て過ごしていたようなものです。

chirpspring.hatenablog.com

 

5月にはISAKの従っている国際バカロレア(IB)教育の集大成となる試験期間が待っているため、高校三年生は試験勉強で大忙し。逆に高校一年生や高校二年生は隔離のせいで試験が軒並みキャンセル、もしくは延期となり、ダラダラと日々を送っていました。

いろいろありましたが、最終的には無事に試験も、卒業イベントも終わり、涙涙の卒業式。1年過ごした先輩方の卒業は流石に悲しかったです。今でも連絡を取る先輩方もいますが、時々あの頃に戻りたいな〜と思うこともあります。

 

6月からは夏休みに入り、2ヶ月半の自由時間が生まれました。この時期はブログも少しずつ書いていますし、本も力を入れて読んでいたと思います。

 

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

 

chirpspring.hatenablog.com

 

2022年は、夏に限らずかなり本を読んだなと思います。ISAKでも、地域の図書館で本を一回借りるともうやめられなくなって、2週間に一回図書館に行く生活になってしまいました。上限近くまで借りますが、大抵はその半分も読めるか読めないか…。ただ、寮生活という何かと自分で時間を管理しにくいところにいることを鑑みると、かなり本を読んだ方だとは思います。

夏以降も何冊も良い本を読んだので、どこかのタイミングでまとめられると嬉しいです!

そして、家にいる分動画を見る時間も増え、何回かあった落語ブームがまた戻ってきました。今年は割と落語を聞きましたし、落語関係のニュースもよく目にしたなと思います。

 

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

 

忘れてはいけないこととして、この夏休みの間は勉強もしていました。ISAKの勉強は日本の高校カリキュラムとはかなり異なっているため、私と同年代の人たちが必ず習うことを私たちは習っていません。夏休み中は、参考書と問題集を使って数1Aを履修して終わらせました。この前機会があって数1Aの問題をときなおしたらかなり忘れていたので、ちょっとショックでしたが…。勉強はし続けないと忘れてしまうので、復習を時々しようと思います。ちなみに、その際に使った問題集がかなりわかりやすくて良かったため、おすすめです!

 

 

8月〜12月

8月からはISAKの新学年がまた始まりました。ついに高校2年生になり、IBのカリキュラムが始まります。

私の通っている学校は、UWC ISAK Japanという長野県にある全寮制インターナショナルスクールです。国際バカロレア(IB)カリキュラムを採用しているため、学習範囲や学習方法が日本の学習過程とは異なります。

高校一年生の間はPre IBと言ってIBの準備期間。そして、8月から本格的にIBのカリキュラムが始まりました。自分で6科目を選択し、その6科目に必須の3科目を加えた9科目の授業を受けています。

始まってから4ヶ月。言えることは、「思っていたより難しかったかも」ということです。高校一年生の時の Pre IBがかなり簡単な部分が多く、ちょっと見誤っていたかもしれません。かといって、絶望するほど難しいわけではなく、少し挑戦する気持ちで科目選びをしましたが意外とついていけている状態です。

IBの学習に関してはまたどこかで違う記事としてまとめられればなと思います。科目選びの重要性、先生の重要性、色々なことがわかってきました。あと一年と半年、頑張っていきたいです!

 

新学年になったということは、ISAKは高校二年で編入があるため、同学年が2倍になったということ。そのほとんどが海外の選考システムを通ってきた生徒たちです。寮の部屋割りも当然かわり、私は去年からの友達と編入生2人と四人部屋に入りました。共同生活ということでいろいろとトラブルが起こるところも多いですが、私の部屋は今のところ仲が良く、安心しています。また、私の部屋がある棟には一緒にいて楽しい人たちがたくさんいるため、そう言った点では満足です。生活習慣の違いなど問題は時々起こりますが、まずは冬休み明けにみんなで会うのが楽しみです!

友達も、去年から仲のいい人たちもいれば今年からの人もいますし、楽しいです!

 

あと、この夏から今までにかけてかなり学習意欲が増えました。図書館に行くようになったのもそれが原因です。笑ってしまうくらい勉強熱心な人と関わる機会があり、それをきっかけに自分も何か楽しめるものが欲しい!と思った結果、今年はかなり新しい知見を頭に取り込むことができたかな、と思います。

様々な範囲に新しく興味も持ちましたし、どんどん自分の世界が広がっていることを感じます。それと同時に自分の興味もなんとなくわかってくるので、世界が広がることはすなわち世界が狭くなることにもつながるのか?と思ったり…。

とにかく、勉強が改めて好きになりました。

 

 

2023年に向けて

ということで、楽しく、充実して、でもどこかぬるっと過ごした2022年の振り返りでした。ここからは2023年への抱負、目標を書いていこうと思います。

 

①続けていきたいもの

2022年は様々なことに興味を持った分、どれもが中途半端に終わった気がします。ということで、2023年も続けていきたいものは以下の通りです!

読書ノート

読書ノートは、夏頃に一回初めて中断し、11月ごろにまた書き始めました。自分がなんの本を読んだかを記録しなければ、自分の頭に残りません。ようやく自分の頭の悪さに気づけたので、来年も必ず続けていきたいです。多分本を読んだたびにやろうとするといつか挫折するので、自分に甘くなりながらも続けていきたいです。

 

Duolingo

今年は、何か新しい言語を学びたい!と思って、ドイツ語を始めました。去年の冬(2021年12月)ごろにリルケの詩集を読んだのですが、これが本当によくってよくって…。そこからたびたびリルケの詩を読むようになりました。

 

chirpspring.hatenablog.com

他にも意識してみれば、カフカゲーテなどドイツ語で作品をつくった著名人はたくさんいます。

これは英語に翻訳された日本の詩を読んでから感じることですが、文学作品、私の中では特に詩は、翻訳されるとその輝きが半減してしまうような気がします。日本でも人気を誇るハリー・ポッターでさえ、翻訳にはかなりの疑問点が残ります。つまり、私が読んで感動したリルケの詩は、ドイツ語で読めばもっと感動するのでは…。

そんな考えから、夏頃からドイツ語を少しずつ始めました。学校に戻ってから数ヶ月、お恥ずかしいことに忙しさにかまけてやっていなかったのですが、ようやくこの前再開させたので続けていきたいです。

 

写真

写真は、2022年の途中(特に夏頃から)疎かにしたものの一つです。元々趣味の一つとしてISAK入学ごろにカメラを買って、写真を撮っていました。ですが、せっかく買ったカメラもほっといて、IBが始まってからはイベントごとがない限り取っていませんでした。写真を撮るのは好きですし、せっかく始めたなら自分が満足するものを撮ってみたいので、これはまた力を入れるようにしていきます。

 

読書

これは、続けていきたいものでもあれば続けていかなければいけないものでもあります。読んだ本や、得た知識は自分の勉強に直結しますし、自分の楽しみにもなります。良くも悪くも、寮生活は人との関わりから逃げられません。だから、強制的に自分の時間を作らないと、私は割とすぐ燃え尽きてしまうので、本を読むことは自分のためにも続けていきます。まあ、これに関しては読まなくなることがないと思うのであまり心配していませんが、量は自分で調整できてしまうので、多く読むことを意識していきたいです。

 

ということで、他にも何個も続けていきたいものはありますが、とりあえずはこんな感じで。次の話題に移ります!

 

人との出会いを大切にする

これは、今年ももちろん大切にしてきたつもりですが、この一年で人との出会いがどれだけ生活に影響するかをなんとなく実感しました。

人と出会うこと、尊敬する人と話すことは、本当に重要です。自分の成長にもつながります。自分を戒めるきっかけにもなります。

出会いを大切にすることが重要だということは、今年十分実感しました。2023年からも、また色々な出会いがあると思います。とても楽しみですし、来年の終わりに自分が何を考えているのかにも興味があります。

どんどん色々な人と話していきたいです!

 

興味を持ったことはとりあえずやってみる→そして続ける

これは、今実感していること。自分が今これができていないな〜、これやらなきゃな〜と思っていても、時間をおけばおいた分戻りにくくなります。特に人が関わっているものの場合、本当にやりづらくなってしまいます。

自分のせいの他何でもないため、気をつけていきたいです(現在進行で)。

「興味を持ったことはとりあえずやってみる」ということは、今年は少しずつですが実行できました。続いたかは置いておいて、かなり新しいことをつまみ食いできたと思います。

これからは、つまみ食いにせずにそれをずっと続けていくことが大事になっていきます。どれだけ実行、継続できるかで自分の中身も変わりますし、あわよくば周りの信頼度も上がるかもしれません。仕事をしていく上で大切なものの一つだと思っているので、がんばりたいです!

 

 

まとめ

ということで、明日は朝が早いため今日はここら辺で。2022年の大晦日の夜にこの記事を書いているのですが、朝は帝銀事件のドキュメンタリーから始まって、午後はお買い物、夜はお蕎麦を食べた後及川光博ポルノグラフィティを家族で聴きながら重い思いの読書という、大変我が家らしい1日になりました。

色々書きましたが、結局は今年一年私の周りにいた人が健康で、何事も大きなことは起きなかったことが一番嬉しいです。そして、周りの私を支えてくれた、助けてくれた人たちに大きな感謝。

来年も、みんなが健康で、笑って年を締めくくれるようになればなと思います。周りに感謝しながら、自分も成長できるような一年にしたいです。

そして、ブログも書いていきたいです。せっかく始めたこのブログ、もう初めて5年近くになります。少し少し更新して、自分の糧にしていきたいです。

読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。皆様の一年も笑顔あふれるものになりますように!

 

 

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと