うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

太宰治『富嶽百景』感想・あらすじ

 こんにちは。この前、カメラを買ったと言いましたが、友達もカメラを買ったそう!作例写真を見せてもらったら、なんでこんなにうまいの…と言いたくなるくらい(自分が下手なのがいちばんの要因でしょうが…)。

ちょっと頑張ってうまい写真取れるようにしたいです!まずは本を読んで、あといろんな写真を見る!!

 

 今日は、太宰治の短編集『走れメロス』より、『富嶽百景』の感想を書いていこうと思います。

 

amzn.to

 

短編集、著者紹介

まずは、この短編集についての紹介と、著者太宰治の紹介をしていきます。こちらは、今までの記事からのコピペとなります。

 

 短編集は、新潮文庫出版『走れメロス』。

 

 

収録作品は、

  1. ダス・ゲマイネ
  2. 満願
  3. 富嶽百景
  4. 女生徒
  5. 駆込み訴え
  6. 東京八景
  7. 帰去来
  8. 故郷

の8編です。

このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。

 

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 太宰治は、多くの人が知っていると思います。

坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。

 この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。

 彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。

 戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。

 

 太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。

 

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あらすじ 

 そして、『富嶽百景』のあらすじに移ります。

 

この話は、主人公の「私」が富士の見える峠で数ヶ月過ごした間の心境の変化を書いたものです。

 話の冒頭は、絵に描かれた富士山の角度と実際の富士山の角度の違いの指摘から始まっています。富士山の傾斜は緩やかなのに、絵に描かれた富士山はそれ以上に尖っている、と行った内容です。

「私」にとって、富士山は「鈍角」で「のろくさ」なもの。

十国峠絡みた富士山は高く「あれは、よかった」でしたが、東京のアパートから見た富士は「苦しい」。

 

 「私」は天下茶屋で仕事をしている井伏鱒二に見合いの世話をしてもらっており、その見合いに行く道中に御坂峠の井伏氏を訪ねました。

 

 「私」は思いを新たにする覚悟で山梨県天下茶屋にいる井伏鱒二を訪ね、数日後に三ツ峠を登りました。あいにく富士山は霧で見えず、それを気に病んだ峠の茶屋のおばあさんが、富士山の大きい写真を見せてくれました。

そこでの感想は、「いい富士を見た」

 

数日後、井伏鱒二と共にお見合い相手に会いに甲府に向かった「私」は、部屋にかかった富士の写真を見てから娘さんを見て、お見合いに前向きになります。

 

その後、「私」は山を歩き、月見草のタネを集めて天下茶屋の裏に蒔きました。ここで、あの有名なセリフが。「富士には、月見草がよく似合う。」

 

その後、富士を見てあくびをする花嫁の姿に驚いたり、色々あって、寒さが見にしみる頃に「私」は下山。山を降りる前、華やかな装いの娘二人に「写真を撮って欲しい」と言われます。

「私」は、「富士山、さようなら、お世話になりました」と思いながら、娘たちの姿は外して、富士山だけを納めてシャッターを切りました。

 

 

感想

この作品の中で、「私」は富士山に対して色々な感情を抱いています。

ある場所から見た富士山は「よかった」、ある場所からは「苦しい」。

「俗っぽい」と思うときもあれば、「青く綺麗」と思ったり、「ありがたい」と思うときもあれば、注文通りの風景のようで恥ずかしい、と思うことも。

大親分のようとも思ったり、お世話になりましたと思ったり、さらには花嫁のあくびにムッとしたり。

 

 最初は、「もし自分が日本人でなければ、フジヤマをありがたいものだとは思わないだろう」というスタンスであった「私」が、特に御坂峠からの富士を見るにつれてだんだんと富士山に対しての認識を改めて行きます。

どちらかというと、次第に富士山を尊敬するというか、今まで以上に評価するようになったのでしょうか。

 

 富士山という存在に、「私」も感化されて、考えが変わっていくまでの一連の流れを収めた作品です。

 

 

この流れ、ただ見るだけでは単なる成長者に見えるかもしれませんが、これが描かれていたのが太宰の2回目の結婚話の時期だったとお思えばどうでしょう。

本文には、

「三年前の冬、私は或る人から、意外な事実を打ち明けられ、途方にくれた」という文章が。

これは、ちょうど太宰が一人目の妻に不貞を働かれ、離婚した時期と被るようです。ですから、この話も「私」=太宰治と行った要素のあるものなのだと思います。

その時に富士を見て、

暗い便所の中に立ち尽くした私はじめじめ泣いて、あんな思いは二度と繰り返したくない。

と書いています。

 

そして、甲府で見合い相手とあった時、太宰は富士の絵を見てから娘さんをちらと見、結婚を決意します。

「あの富士はありがたかった」

 

こう行った、背景と絡めて書くと、ただの成長物語に味が出るというか、中身が深まった感じがします。

 

最初は通俗的なものと見下していた富士を、「私」は色々な人と出会うことによって「お世話になりました」というようになる。それまでに縁談も無事決まり、心の中に余裕ができたのでしょう。余裕ができたり、平穏に生きていたりすると、おおらかになる傾向がある気がします。

 

 

 この話は色々な点で面白いと思います。

まず、ふとしたところでユーモアが入ってくるところ。井伏氏の行動にお少しユーモアが入っていますし、「私」が娘二人に頼まれた写真の被写体を富士山のみにしたこともそうです。

また、ロマンチックだと感じた富士山と花嫁という構図も、花嫁のあくびで台無しになっています。

こういう風に、少しクスッと笑える要素が入っているかふら、飽きないんだと思いました。

 

 

 また、最後の最後で富士山がものに例えられているのも好きな点です。最後、富士山は「酸漿(ほおずき)」に例えられています。今まで感覚的な感想ばかりだったのが、ここで小さい、赤いほおずきになりました。

旭日昇天と言いますか、

朝日のような感覚(自分の価値観が変わって、これから)を表すのが、このほおずきなんじゃないかな、と思います。

前向きに生きて行こうといった、希望が見えたんでしょうか。

 

 

最後に

ということで、富嶽百景に関する感想を書いてきました。確かに面白かったですが、やっぱりこういった私小説っぽいのを読むのは色々考えてしまいます。あの、大敗していた太宰がモデルになって、こんな清廉な話ができるか?

えーと、少し失礼なことを書いてしまったかもしれません。

 

とても面白かったのは事実ですが、あくまでも太宰は「モデル」で、脚色等はもちろん入っていると思います。太宰のイメージにこれを直結させないようにしたいです!

 

それでも、確かにこの時期は太宰の中でも明るい作品がどんどんできてきた時期。走れメロスとかはその代名詞ですよね。この段階で、太宰の人生が少しでも楽しいものであってくれれば嬉しいです。

 

太宰自身もどーしようもない男だな、と後期の作品を見て感じましたが、それでも太宰も人の子。自分の妻が不貞をしていたとわかった時の文章(東京からの富士のパート)とかは、読んでいて切なくなりました。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。この頃、丁寧な記事が書けていないのが申し訳ないです。もっとタイムマネジメントをうまくやって、頑張っていきます!

ISAK入学まで後少し!今の心境

 こんにちは。

 

ちょっと今日は、本の感想をかけるほどの時間がない…

 

ということで、この頃考えた不安などを少し書いていこうと思います。

 

私は、ISAKというインターナショナルスクールにあと10日たらずで入学します。全寮制の学校で、日本人が4割程度、といったところです。

 

そこに入学することにしたのは完璧に自分の意思で、なんなら入学試験とかもほとんど自分の手でやりきったと、初めて自信を持って言えるほどでした。

 

入学した大きな理由の一つとしては、身近な人の影響があると思います。

例えば、私の父親は、ずっと東京で働いていたのですが、6年前イギリスに1年間留学し、3年前には東京から長野に引っ越してきました。留学は父親のやりたかったことで、長野へは仕事の都合です。

全て彼自身の選択で、それに伴って私もイギリスに行きましたし、長野に引っ越してきました。

 

また、私がイギリスに住んでいた間、色々な人に会って、自分の進路というか将来のあり方の選択肢も増えたと思います。

 

だから、「予想がつかない未来を送りたい」という考えのもとに、ISAKに応募しました。

もしISAKに行かなかったら、

きっと〇〇高校に行って、そのあとは地元ならあの大学に行って、もしくは上京してあの大学に行って、こういう仕事につくんじゃないかな〜

みたいに、もう予想がついたからです。

周りの人間関係ももちろん変わるだろうけど、そこまで大きく変わることはなく、こんな感じの立ち位置になるんだろうな〜、と想像できました。

 

その想像をできなくするために、ISAKに応募しました。

未来がわかることももちろんいいけど、でもせっかく予想のつかない生活を選んだ人が周りにいっぱいいるんだから、私も見習ってみてもいいんじゃないか、と思いました。

 

中一の時に、担任の先生が「後悔はできるうちにしておきなさい」という内容のことを言ってくれたのも、選んだ理由のうちの一つです。

 

正直受かるとは思っていませんでしたが、幸運なことに受かって、奨学金も取れて(ISAKの学費は目玉が飛び出る程高いです)、周りの協力もあって、通えることになりました。

 

そして、後数日でISAKに行くことになります。

 

正直、今めちゃくちゃ不安です。

全く予想ができないから。

 

周りの友達は、もう進路をなんとなく決めている人もいますし、JKとして青春を謳歌している人もいます。

勉強で焦っている子もいれば、部活を熱心にやっている子もいます。

 

その中で、将来が全く分からず、何も始まっていない状態というのは、かなり不安になります。

自分が「予想できない未来のために」入ったのは確かなんですが、予想ができないってやっぱり不安になりますよね…

 

ISAKからのメールを読んでも、話を聞いていても、全てがしっかり理解できるわけではありません。耳で聞く場合、多分取りこぼしている内容とかもいくつもあるんだろうな、と思います。全部英語って、やっぱり厳しい…。

 

それに、自分が今まで「井の中の蛙」だったことをよく思い知りました。それなりに自分のやってきたことに自信を持ってはいたのですが、上には上がいるということを再確認しました。

ただ、それ自体はもう今までの経験からわかっていたので、さらに思い知らされた、と言った感じでしょうか。

 

全てが心地よい環境ではもうなくなるんだな、と感じています。

だけど、だからこそ面白い。

不安と書いたのは確かに不安ですが、これからの3年間を思うと自然ににやけてしまいます。

どう言ったことが起こるのか、最初に私がISAKで泣くならなんで泣くのか、何ができないとわかるのか。

何ができるようになるのか、何を学べるのか、何が手に入れられるのか。

とても楽しみです。本当に楽しみ。

自分にないものばかりを持っている人がいるのって、それを学ぶのに絶好のチャンスじゃないですか?本当に、色々なものを吸収したいです。

 

色々な人がいます。

英語がとても流暢でスラングをよく使う人、私のように英語が拙くチャットの文が長くなる人、勉強が好きな人、本を読まない人、音楽を聞かない人、アニメが大好きな人。

 

実際にあったら、もっと色々な面を見つけられるんでしょう。

そう言ったものを見て、学んで、自分が欲しいと思ったものは学んで吸収したい。

それができる環境です。寮生活ですし。

 

心配をあげると、ここには到底書ききれません。色々なことが心配だし、不安です。

全然知らない環境に飛び込むわけですし、何が起こるのかも全くわかりません。正直、同じ県の高校ということで油断して、あまり学習内容とかも読み込んでいません。時間が空いたら頑張って詰め込みます。

自業自得の面もありますが、いろんなことが不安になってきます。

 

その分、楽しみなこともあります。

心配なことより楽しみなことの方が多い…

とは言えませんが、

それでも楽しみなこともいっぱいあるんです。

 

こんなことをやりたい、このプロジェクトをやってみたい、ここと協力してみたい、この人と語り合いたい、、

なんなら、今まで仲間があまりいなかったオタク的同士を見つけたいです!

音楽はもちろん、アニメ、ホームズ、ハリポタ、有川浩はやみねかおる、etc....

もう何人かは、同じようなものが好きな人が見つかっています。

「多様性…?」となるくらいに趣味が似通っている人も何人かいます。

 

だけど、もっといろんな人と仲良くなりたいです。

 

 

これから、何があるかわかりません。もしかしたら、浅間山が大噴火を起こして、帰れなくなってしまうかもしれない。もしかしたら、自分の始めた活動が成功して新聞とかに乗っちゃうかもしれない!(お上りさんと呼んでください。ただの冗談ですよ!)

 

いろんな不安と期待と心配があって、ごちゃ混ぜです笑

 

でも、始まればどうにかなる!3ヶ月たてば、どうにかなります。英語がわからない状態でイギリスに行った時にそれを学びました。

 

色々なことが起こると思います。でも、健康と安全に気をつけて、いじめとかがない楽しい学校生活を送りたいです。

 

 

これから会う方々、もう話したことのある方々、よろしくお願いします!!!

 

ここでも、少しずつこうした心境とかを書いていこうと思います。お付き合いください。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。手抜きといえば手抜きですが、書いておいた方がいい記事かと思います。もう逃げられないんだから、腹をくくって立ち向かう!頑張ります。

太宰治『満願』感想:いろいろな工夫が見えてくる!

 こんにちは。あと10日で入学!なんとなくカウントダウンもよく考えるようになり、やらなければいけないことをリストアップしている状態です。

 

 今日は、太宰治の短編集、新潮文庫走れメロス』から、短編『

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』についての感想を書いていきます。

 

 

短編集と著者の紹介

 それでは、まずは短編集と著者の紹介をしていきます。これは、過去記事からのコピペとなります。

 短編集は、新潮文庫出版『走れメロス』。

www.amazon.co.jp

 

収録作品は、

  1. ダス・ゲマイネ
  2. 満願
  3. 富嶽百景
  4. 女生徒
  5. 駆込み訴え
  6. 東京八景
  7. 帰去来
  8. 故郷

の8編です。

このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。

 

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 太宰治は、多くの人が知っていると思います。

坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。

 この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。

 彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。

 戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。

 

 太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。

 

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あらすじ

 それでは、『満願』のあらすじを書いていきます。

 

 主人公の「私」は、酔っている時に怪我をし、慌ててお医者に駆けつけます。そこで出てきた医者も酔っていたため、彼らはどこかおかしくなり、くすくす笑いから初めて二人ともで大笑いをしました。そこから意気投合し、彼らは仲良くなります。

 医者は哲学を好み、原始二元論(世の中の有様を全て善玉悪玉の合戦と見る)を語ります。「私」も、文学より哲学を語る方が好きだったため、話は弾みました。

 

 「私」は、ほとんど毎朝散歩の合間に医者の家に立ち寄り、医者がとっている5種類の新聞を30分かそこらで読んでいました。 

そうやって入り浸っている間に、「私」はある女性をよく見かけるようになります。簡単服に下駄を履き清潔な印象を与える女性です。彼女は、肺を患っている夫の薬を医者の家に取りにきていて、療養のおかげで体調は快方へ。

医者も、「奥様、もう少しのご辛抱ですよ」と言っているため、状態がよくなっていることがわかります。

 

 ある日、その女性はパラソルをくるくると 回し、飛ぶように歩いていきます。それをみて医者の奥さんは、「お許しが出た」と言っています。

その光景を、「私」は「美しいものを見た」「胸がいっぱいになった」と表していました。

 

 「私」は、この出来事を「お医者の奥さんのさしがねかもしれない」と考えています。最後の文がこちらです。

 

三年、と一口に言っても、ー胸が一ぱいになった。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。

 

 

 

感想1:初見ではわからなかった言葉の意味

 

こちらの作品は、とても短いです。これぞ「短」編。文庫本で、3ページもありません。こんなに短くて、作品として成立するんだ…。

ショートショートだったり、エッセイだったりなら、これくらいの長さのものもよく見ます。でも、小説という類で見るのは初めてかも知れません。

 

 

 この作品、いくつか、初見では「ん?」となった部分がありました。でも、二回目よめばしっかり理解できた…と思います。ここでは、解説というか、最初わからなかった言葉の意味を考えていきます。

 

 まず、「お許し」と「辛抱」について。これは、夫婦生活についてだと思います。この女性に関する描写で、よく「清潔」という言葉が出てくるので、これはほとんど間違いないかと。

 若い夫婦が、3年間辛抱してきてお許しが出たのなら、「満願」というタイトルもわかるような気がします。

思ったのは、言葉の使い方について。最初読んだときは、何を言いたいのかよくわかりませんでした。もちろん、周りに聞かせることが目的の言葉ではないのでわからなくても当たり前なんですが。

 そう言ったことについてお医者から言われるのって、少し抵抗があると思います。それを、こうやってあやふやな言葉で表すのは、なんかいいな、と思いました。優しさが現れているような感じです。

 

 そして、「さしがね」の意味。これは、ちょっとよくわかりませんでした…。でも、「私」の正体から「さしがね」を想像することもできます。

 

 

 「私」は、伊豆の知り合いの家でロマネスクという小説を執筆していた、と冒頭に書いてあります。

太宰治の作品にもロマネスクはあるので、今までと同じようにこの「私」は太宰本人、もしくは太宰をモデルにした人物だと考えられます。

それならば、太宰が女性関係でかなりこじれていたというか、奔放的だったのは有名ですよね。

医者の奥さんも、それを見越した上で純粋な幸せのカタチというか、男女の関係を見せたかったのでは…、という予想ができました。

「お許し」がでて幸せに溢れている女性を見せることで、そう言った幸せの形を見せて、参考にしてもらえるように仕向けたのでは。

 

 

 他にも解釈の仕方はあるかも知れません。なんの差し金なのかが書いていないため、推測にも何通りかある気がします…。

ただ、今のところ思いついたのは、「太宰に幸せのカタチを見せること」でした。こうだとしたら、少しお節介な気もしますが、実際に太宰に影響を与えているからいいのかな?

お医者の奥さんのイメージが、ちょっとたくましくなりそうです。

 

 よくわからなかった言葉の意味は、この「お許し」「辛抱」「さしがね」でした。

 

 

 

感想2:文に凝らされた趣向

 他にも、この本を読んで感じたことがいくつかあります。

 

まず、読んでいてとても清潔な印象を与える本だということ。

本文の中にも、女性を表す言葉として何回か「清潔」が出てきます。

簡単服に、下駄を履き、最後のシーンでは

(中略)さっさっと飛ぶようにして歩いて行った。白いパラソルをくるくるっとまわした。

と書いています。

 

なんとなく、白いワンピースと白いパラソルで、夏の小道を歩いている絵が思い出されます。

ちなみに簡単服を調べてみると、「単純な型のワンピース」と出てきたため、その想像も間違ってはいなさそうです。

 

 この女性を表す言葉も、「清潔」というイメージが映し出されています。

 

また、お医者の描写の中にも「歯切れが良かった」という言葉が出てき、

医者の奥さんには「色が白く上品であった」、

奥さんの弟には「おとなしい少年」、

どれも、汚いような印象を与えない、清潔感のある描写です。

 

 

 さらに、清潔感の促進として、汗とか血とかの生臭い描写がないこと。「私」が医者に行くきっかけは怪我でしたが、それでも「だらだら」とか「赤」とかの描写はなく、簡潔に「裂いた」「出血が大変で」でした。

 

 また、夏だというのに、「太陽がかんかん照りで〜」とか「暑苦しく〜」とか、「汗がだらだらと流れて〜」的な、夏によくある暑さ、ジメジメとした空気などを全く描いていないんです。

 だから、夏だというのにさっぱりとした感じの読了感をえられるんだと思います。

 

 出てくる単語も、

「座敷の縁側」「冷い麦茶」「風に吹かれて」「青草原」「水量たっぷりの小川」「牛乳配達」

などと、どれもさっぱりしたイメージや、清々しいイメージを与える言葉ばかりです。

 

 こうやって、言葉のみでその季節の印象を決めるというか持たせるのって、すごいなと思います。読んでいて、夏の話なのに「暑い」と言うイメージがあまり出てこなく、「快適」なイメージがほとんどでした。

 

 他にも面白かったのは、リズムの良さです。

 

「ふらふら」

「くすくす」

「なかなか」

「ぱらぱら」

「ゆるゆる」

「ときどき」

「さっさっ」

「くるくる」

 

こう行った、リズムの良い言葉が連なって出てくるため、読んでいて飽きません。(飽きるほど分量がないとも言えますが)

 

 

これらの爽やかな言葉遣いだったり、リズム感のいい言葉遣いだったり、小説に凝らされた工夫がよく見える本だと思います。

 

「私」の感じた美しさも、とてもよくわかった気になりました。イメージしやすいから、なおさらでしょうか。

美しい、綺麗、爽やか、涼しい

そう行った言葉の似合う作品だったと思います。

 

たった3ぺーじにも満たない作品なのに、こんなに面白くなるなんて…。言葉って、文章ってすごいですね。

太宰ももちろんすごいんでしょうね。

 

読んでいて楽しかったです。こんな文章を夏に読むと、なんだか涼しくなったような気がします。

 

 

 

最後に

 と言うことで、今回は「満願」の感想を書いてきました。とても面白い作品だったし、読んでいて勉強になりました。

趣向(と言えるのかはわかりませんが)が凝らされているのがなんとなく読み取れる作品って、自分も賢くなったような錯覚を覚えさせてくれます。

書いてあること、特に「お許し」の部分は、生々しく感じても仕方ないと思うのに、その生々しさを一切感じさせない爽やかさは、とても面白かったです。

 

こんな文章を書いてみたい…!

 

なんか、「中期の作品は明るい」と言われる太宰の本ですが、「走れメロス」も含めてすごい明るい、と感じたわけではありませんでした。だけど、この作品は本当に明るいです。

ちょっと意外にも思える作品。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。この頃、ブログの文章へのエフェクト(太字、下線など)がおろそかになっていますが、多分そろそろましになります。読みづらかったらすみません…!

太宰治『ダス・ゲマイネ』感想

 こんにちは。今日は予定を入れていたため、少し疲れ気味の金曜日。でも、それ以上に楽しいです!カメラも買っていてよかった〜!

 

 今回は、太宰治の『

 

 

』と言う本について書いていきます。これまで、新潮文庫の『ヴィヨンの妻』、太宰治文学館の『女生徒』に二つの短編集について書いてきましたが、今回の作品はまた違う短編集からです。

 

 読んだのは、新潮文庫の短編集『走れメロス』より。

 

 

目次

 

 

 

短編集の内容紹介・著者紹介

まずは、短編集の内容紹介と著者紹介からやっていきます。

 

 短編集は、新潮文庫出版『走れメロス』。

 

 

収録作品は、

ダス・ゲマイネ

満願

富嶽百景

女生徒

駆込み訴え

東京八景

帰去来

故郷

の8編です。このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。

 

 太宰治は、多くの人が知っていると思います。

坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。

 この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。

 彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。

 戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。

 

 太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。

 

 

あらすじ

 それでは、『ダス・ゲマイネ』のあらすじを書いていきます。

物語の大部分の語り手である「私」は、大学生の佐野二郎。この名前は、あだ名です。

彼は、もともと色街の女性が好きでした。しかし、色街に通うことも難しく、代わりに彼女に似た上野公園の甘酒屋の娘、菊ちゃんを眺めて我慢していました。

 その甘酒屋であったのが、佐野次郎の名前をつけてきた「馬場」です。馬場数馬は、東京音楽学校に8年間も在籍しているそう。「まだ本気を出してないだけ」と芸術家を気取っている音大生です。

 佐野は馬場の話を信じ、それぞれ仲良くなりました。

 

 佐野は馬場とともに色街に出かけ、そこで「失恋」(なんで失恋となるのかあまりよくわからなかったため、「」をつけています)。

その後彼は夏休みを怠惰に過ごします。その時に、馬場から手紙が届きました。

「死ぬことだけは、待ってくれないか」

と言う文から始まる手紙。内容は、一緒に雑誌を作らないか、と言うものです。その誘いで佐野は東京に戻り、雑誌作りに前向きになります。

 

 その流れで紹介されるのが、佐竹六郎。馬場の親戚で、美大生です。佐竹は馬場を信じておらず、上野公園であったときに「ビッグマウス」「ホラ吹き」などとこき下ろします。実際は音楽学校に通っているかも怪しく、持ち歩いているバイオリンのケースの中にはバイオリンが入っていない、と言います。

 

 それでも、佐野は「馬場さんを信じています」と佐竹に告げます。

 

 次に、佐野が紹介されたのは「太宰治」と言う若い作家です。馬場が先輩から紹介されたと言う新人作家でしたが、馬場と太宰は馬が合わず言い争いになり、最終的に雑誌制作の話はなくなってしまいます。

 

佐野と馬場はその夜、話をします。そこで馬場は佐野に話をする。雑誌なんて最初からやる気がなかった。僕は君が好きなんだ、菊は君が好きだ、君は誰が好きなんだ。

 

 佐野は「誰もみんな嫌いです。菊ちゃんだけを好きなんだ。」と馬場に告げて外に出ます。

 

翌日、馬場と佐竹は会い、佐野が事故で死んだことについて話します。ここには菊ちゃんもいました。馬場は菊ちゃんに「泣くな」といい、菊ちゃんは「はい」と答えます。

「(前略)生きているというのは、なんだか、なつかしいことでもあるな」

「人は誰でもみんな死ぬさ」

 

 

感想

 この本の感想に移ろうと思います。

まず、最初に感じたのは、ネガティブな感想でした。

全然わからない…。

話がどちらかと言うと長く、場面もよく変わり、今までのものと違ったため初読だとよくわかりませんでした。どう言う話なのか、内容はつかめても、掴むだけで精一杯。面白さとかには気づけませんでした。

でも、2回目、3回目で、やっと何となく面白さもわかるように…。

ちょっと、いまだにこの作品が「特に面白い!」と思えているわけではないので、感想を書くのが難しいです。でも確かに面白いところも多かったためそこを書いていきます。

 

 

 まず感じたことが、誰が「太宰治」なのかわからない、と言うことです。

一番最初に出てくる佐野は、人間関係とか結末とかが太宰とかぶる気がします。あと、今まで読んだ本(例えば『家庭の幸福』)で出てきたような、他人に流されてしまうだろう弱さのようなものもこの人には出てきました。

ついこの前まで太宰の私小説かと思えるような一人称の小説を読んできたので、最初はこの佐野(のモデル)が太宰なのかと思っていました。

 

 そして次に出てくる馬場は、「ビッグマウス」「ホラ吹き」と称されるお金持ちの息子。どこか人の懐に入るところがあり、話は広げるのがうまい。

なんだか、家庭環境だったりちょっとブラックな気もする話の面白さだったりは、太宰に似ているのかな〜、と。今までに読んできた太宰をモデルにしたであろう人物たちがどうしようもない人たちだったので、このちょっとどうしようもない人が出てきたときに、太宰かな、と思いました。

 

 その次が佐竹です。美大生ですが画家としても活動しており、自分の絵を売って生活しています。馬場は中身のない音大生。佐竹は自分で生計を立てられる美大生。芸術をいきていく糧にしていると言う点で、馬場と佐竹は違います。

 また、この話には「太宰治」も出てくるのです。新人作家として出てくる彼は、語り手である佐野や馬場にとって、嫌な役柄です。俗的と言うか、なんと言うか…。

 この佐竹も太宰も、芸術を生計に使える存在、市場を重視する芸術家、そういった存在として書かれているのかと。 

『きりぎりす』と言う作品では、俗的なこと(お金や人付き合いなど)に手を染めた芸術家が嫌なものとして描かれています。もしかしたら、太宰自身も自分の作品でお金を稼ぐことに(俗的なことを考えることに)抵抗があったのかもしれません。

 

 こうやって、最初から「この人が太宰のモデルかも…」として読んでいると、どんどんこんがらがっていきます。作者とは切り離すのが大事!

物語を消化した後で、この人はもしかしたら…と考えるのは楽しいと思います。4人それぞれに、太宰らしさが読み取れるところがあるため、見つけるのもいいのでは。人物描写もこの話では楽しめるので、ぜひ注目してみてください。

 

 

 正直、雑誌を作っている間のこの4人の会話については、まだしっかり消化できていません。何をいっているんだろう、難しい…といった感情がまだあります。

でも、佐野次郎の目を通して、馬場と佐竹と太宰の間の言い争うが描かれていたりするのは面白いですし、ずっと傍観して痛いような気持ちにもなります。混乱しながら読むしかないような話ではありますが、そこが面白いんでしょうか…。

大人になってから読めば、くせになりそうです。

 

 

 そして、ちょっと驚いたのは馬場と佐野の最後の会話。馬場って、佐野のことが恋愛的な意味で好きだったのでしょうか。それとも友愛?ちょっとよくわかりません。

どちらでもかなり面白いと思います。

この二つの違いで、そのあとの馬場の行動の意味も少しずつ変わってくると思うのでそこは読み解いてみたいです。でも、読み解けなくても、友愛的な意味、情愛的な意味、どちらもかなり読み深めていくことができます。

 

 

 この物語に入り込めなかった理由は、突然話が終わるからかもしれません。突然終わりが来るので、「え?」となるんです。しかも、その時の会話からは馬場の本意とか菊ちゃんの気持ちとかが読み解けない…。だからこそ混乱してしまいます。もう少し、消化するには時間のかかる物語かな。

 

 

 ちなみに、題名「ダス・ゲマイネ」の意味は二つあると言われています。一つが、ドイツ語を由来とする「通俗性、卑俗性」の意味。もう一つが、津軽言葉の「ん・だすけ・まいね」(それだからダメなんだ)。

この二つを考えながら読んでみると、もうこのタイトルしか考えられません…。

 

 タイトルも、最初の言葉も、最後の言葉も、それぞれとてもあっていると思います、人を惹きつけるし、物語の意味がわかればわかるほど意味が深まっていく。こういった文章は、人を離さないだろうな、と読みながら感じました。

それぞれの文章に「すごい…!」となったりはするのに、まだ物語全体を消化しきれていないのが悔しいです。もう一回読んでみます。

 

 

まとめ

 ということで、今回は「ダス・ゲマイネ」を読んだ感想を書いてきました。

面白かったです。面白かったんだけど、一部一部で楽しめたのみで、全体では特に面白い!とかはなりませんでした。かなりいろいろなところで評判が高い話だと思うので、もっと読み込んでいきたいです。

 タイトルが面白い話って、大抵話の筋も面白いんですよね…。この話は、その例としてとてもいいと思います。

大げさなストーリーではないけど、どんどん読みたくなっていく本です。なぜか人を惹きつけていく…

ちょっと、この感想を書くことで本の魅力に気づき始めた気がします。

 

また読んでみたい!

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。この話、もう一回読んでみます。もう少し、読み解いてみたらまた新しい感想になりそう!

『日本のいちばん長い日』読了:人間って怖い…

 こんにちは。100日連続で書いたところで、なーんか書く気力がなくなってきているうぐいすです。本の感想以外のことが描きたい~!ネタはあるんですけど、まだ自分の中でまとめられていないため大変です

 

 とりあえず、今日はブクレポをしていきます。書くのは、半藤一利さんの『日本のいちばん長い日』についてです!

この本は、映画にもなったので知っている方も多いのではないでしょうか。この本は、私も読んでみたかったもののうちの一つです。

 

 

 

 

目次

 

 

あらすじなど

 それではまず本の情報、著者の情報、そして本のあらすじについて書いていきます。

 

本は、前身の『日本のいちばん長い日 運命の8月15日』が1965年に出版、その後、1995年に決定版として再版されました。

昭和天皇鈴木貫太郎内閣が、日本の降伏を決定した1945年8月14日の正午から、宮城事件や御前会議を通して玉音放送へ移るまでの24時間を書いた本。

戦争に関する本は、いっぱいありますよね。海外物でいうとマイケル・モーパーゴがありますし、日本でいうとそもそも教科書に多く使われています。

ですが、この本は「日本の歴史の中でいちばん長い日」が詰め込まれているものです。本当に24時間の中で起こったことを順に書いて、すごい情報量となっています。

 「日本のために」「玉砕覚悟で」「おかみのために」そういった精神を持つ人たちが、敗北と戦争続行との間で揺れ動く。そういった場面も楽しめます。

 

 著者は、半藤一利さんです。ただ、最初に出版された1965年は文藝春秋新社の社員で、営業上の理由より「大宅壮一 編」として出版されたよう。この本は英訳版も出版されています。

1995年の決定版刊行の際に、半藤一利が著者と記されて刊行されました。

 竹下正彦という、阿南陸相の自決にも立ち会った人が執筆した本より、宮城事件の裏側などをかけるようになったそう。

(全てWiki情報です。)

 

 この本は二度映画化されており、一度めが1967年のもの。二度目が2015年のもの。映画としてなら聞いたことあるよ〜という人も、いるのではないでしょうか。

 

 

 

感想

 感想を書いていきます。

まず、この本を選んだきっかけから。

この本は、中学生の時から読んでみたいと思っていました。歴史について調べているときに、興味があって太平洋戦争に関するWikipediaをのぞいたりしてたので、そのとき鈴木貫太郎(元総理大臣)に興味を持ったのがきっかけです。鈴木貫太郎は、「天皇から終戦を任された総理」として書いてあり、読んでいてとてもかっこよかったんです。だから、千葉県にある鈴木貫太郎資料館に行きたい!と思いもしました(コロナ期にもう入っていたので、結局行けていませんが)。

 そうこうして鈴木貫太郎について調べているうちに、映画『日本のいちばん長い日』で鈴木貫太郎が出てくるという情報が。その映画見てみたいと考えていた時に、友達が「それ、本もあるよね~」と言ってくれたので、どうせなら本を読もう!とずっと探していました。

地域の図書館に行っても、運悪く借りられていたり、探す時間がなかったり、もう制限を超えていたり。色々な理由で後回しにされていました。だけど、この前図書館に行ったらあったんです!嬉しかった~!

割と興味はあったけど、無理してどうしても読みたい、というほどではなかったので、何か機会がなく読めていなかったものでした。ですから、こうして読めたのはとても嬉しいです!

 

 

 それでは、読んでみての感想を書いていきますね。

この本、思ったよりも古いものでしたが、読みやすかったです。1995年に出版され、決定版として2006年に出版されたものを、私は読みました。25年以上前なら、文体も堅いのかな~と思っていたらそんなことをなく、確かに古めかしい言葉遣いも少しはあったものの、基本的におもしろく読むことができました。

 

 そして、この本は1945814日正午~15日正午のちょうど1日をそのまま記した本です。どちらかというと、小説ではなくノンフィクションだな~と思いながら読んでいたら、裏表紙の紹介文に「ノンフィクション」と。あ、やっぱりか!という形の、嬉しさもありました。

 時期的には、ちょうどこの時期ですね。今日が85日ですから、76年前の明日がヒロシマ9日がナガサキ、そして15日が終戦記念日です。毎年、欠かさずに黙祷しています。

 

 原爆が落とされ、ソ連軍が8日に満州に出兵し、もう一回原爆が落とされ

日本の命運はもう尽きたという時に、官僚たちは、政府たちは、どうやって動いていたのか。

わりと、こういった歴史の豆知識を知るのが大好きなんです。だから、よくWikiさんで第二次世界大戦中に活躍した常軌を逸した軍人さんとかも調べていたりしました。世界にも日本にも、すごい人はいっぱいいますよ。多分、人間としての構造が私とは違うんじゃないかな

だから、この本もとても楽しめました。あの「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の文章。あれが書かれた日に、何が起こっていたのか。知りたくないわけないじゃないですか!

 

「黙殺」と「拒絶」、阿南惟幾陸軍大将の死、二・二六事件の再来、、、知っていることも、いくつかありました。だけど、それぞれの人物の思いや行動、その出来事の前に何が起こっていたのか。そう行った、詳しいことは全く知りませんでした。特に、阿南陸相の死についてはかなり興味深かったです。時系列順になっているため誰がどの時間帯にどういう行動をしたのかが繋がりやすく、阿南陸相がどこでどういう覚悟を決めたのかなど、この長い長い24時間の中でも注目する人は多いと思います。

また、今の私にはよくわからないですが、軍人としての誇りといったものも当時は普通にあったのでしょう。自分の頭で理解できる範囲も、今とは違ったはずです。今の方が優れていると断言したいわけではなく、思考の発展の方向が全然違うんだと思います。それは時代背景からなるものでしょう。

 

 終戦を決めてから、あの玉音放送になるまで、どんな困難があって、誰がどのような行動をしたのかも、また面白かったです。

あとがきにも書いてありましたが、当時は確かに「命が軽かった」んだと思います。命が軽かったのか、覚悟が深かったのか、その両方なのか。よくわかりませんが、もう少し自分のみを大事にしてもと思うこともありましたし、簡単に「自分は死んでも〇〇を守る」という発想をしていました。でも、自分の肩の上にも国の命運が乗っかっていると思えば、それも当たり前のことなのかもしれません。

フィクションで出てくるような抜け道も、本当にあったんですね。ああいったものが実際に使われていたと思うと、かなり驚きますし、なんというか時代を感じます。

 戦争というものは~、と一括りにしていいものかもわかりませんが、人の感覚を麻痺させるんだと思います。

この本だったか少しあやふやなんですが、「なんで戦争を止められなかったの?」という問いに対して「止めようがなかった。気づいたら少しずつ制限されて止める暇がないままだった」という答えが書いてある文章がありました。そういったものを見ていると、虚しいというか、なんとも言えない気持ちになります。

 

 

 

最後に

 ということで、この本は、かなり深いと言うか、実際に戦争について考えたりしてみると難しい本だと思います。ただ、中学校で習うあの日、何が起こっていたのかを知るためには、とても面白い本だと思います。

映画も見てみたくなりました。どちらもかなり評判が良さそうだったので、楽しみです!

 

 

 読んでいて、戦争について考えることはもちろん、時代の変化と人の意識の変化をすごいよく感じました。こんなに違うんだ…。かなりビックリです。「お国のため」精神があったと言うことは知っていましたが、陸軍や軍人はこう言うことを考えていたのか、と言うことを堅い文体で書かれると、もうそのまま受け取ってしまいます…。本当に、今の私には理解できませんし、人間の怖さを感じました。

 

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。何か尻切れとんぼのようになった気分ですが、楽しんでいただければ幸いです。興味を持った方は、是非読んでみてください!

カメラ買いました〜!Nikon D3200

 こんにちは!

ちょっと、色々と重なっていて忙しいのでめっちゃ手抜き記事となります。

 

 

 この前、カメラを買いました!

 

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 直接の発端は、父の知り合いと会ったことです。イギリス時代からの知り合いなのですが、その方は趣味がカメラでとても綺麗な写真をとっています。イギリスにいるときは、名字が同じ方が他にもいらしたので、「カメラマンの〇〇さん」と家の中で呼んでいたほどです。

その方と以前会い、やっぱりカメラかっこいい…すごい…ということで、カメラを勢いで買いました!

 

 また他の原因としては、長野に来てからの知り合いにカメラが好きな友達がいたこと。コロナがまだ流行っていない時代に、出かけた時にカメラの店に寄り道したことも(そのときはまだ全然カメラを持とうという気は無く、ただ「面白そう〜」と思いながら眺めていました)。

 

 ISAKに入る同級生の数人とチャットしている間に、カメラの話題が出たこともきっかけの一部かもしれません。

 

 そういったきっかけがあり、どうせ悩むならもう買っちゃえ!という気分でカメラを買いました。

買ったのは、Nikon D3200です。2012年発売のもので、かなり古いもの。望遠レンズはなく、18~55mmのレンズキットです。本当に安いものを探したので、2万円のものを買いました(SDカードは別売り)。

カメラって、本当にピンキリなんですね…。ただ、私は割と状態の良いものを買うことができた(Amazonです)ので、その点ではラッキーでした。

 

 

 私は熱して冷めやすいので、どうせカメラブームも時々きているけど一時的なものですぐ冷めるだろう、という考えでした。ただ、この頃は数回にわたってカメラを買いたい、という気持ちが連続してきたため、今がいちばんのカメラブーム(自分の中で)だと判断。

その後、図書館に行ってカメラに関する本を数冊借り、こんな写真が撮れたら〜などの夢も膨らませていました。

ネットを駆使し、どこかに安くてそれなりに状態の良いカメラがないかと探し…。最終的に見つけたのはNikon D3200でした。特にこだわりはないので、Wi-Fiの機能がついてなくてその場で送れなくても、まあいいかと思い一週間ほどさまよった後でこれを買おうと決定。

カメラが趣味の方とは2回に分けてあっていたため、2回目にあったときにやっぱりカメラいいな!となって買いました。

一週間で2万円のお買い物をするなんて…。私も思い切ったことをしたものです。

 

でも、今がノッてる!と思った時に買わないと、絶対にそこから数年は買わなくなります。せっかく高校に入学するのだから、そのお祝い的な感じで買ってもいいかな、と。

思い切りがつけば、そのあとはお金をそれなりに使ったんだから、自分でも「使わなきゃ」という気持ちになるはずです。まあ、そうなる前に「楽しい」という感情を植えつけたいですが、そればかりは無理やりできることでもないので。

 

Nikonを買ったのは、カメラが趣味の父の知人がNikonだったことが最初にできた原因かもしれません。身近の人の真似をしとけば、とりあえずなんとかなる…と行った形で。

でも、ちゃんと自分でもいろいろ調べた上で、Nikonの色味がいいな〜と思いNikonにしました。Sonyの青みがかった色も好きだったんですが、Nikonが何と無く好きです(笑)

何と無くで選びはしたかもしれませんが、この前前いた中学校の先生にあってカメラの話をしたらその方もNikonだったということで、ちょっと嬉しかったです。

Nikon, Canon, Sony, FUJIFILM...いっぱいあるんですね。ちゃんと興味を持って調べたが数週間前からなのであまり詳しくないんです。そこらへんも少しずつ知っていきたいです!

 

まだ使い始めたばっかり(昨日初めて撮りました!)ですが、今のところ何も問題はありません。

これからも、時々持ち出していろいろな風景を撮って、自分の中で勉強していけたらな、と思います。今度、先日知り合ったカメラについて詳しい人(弟のいる学校の生徒さん)にも教えてもらう予定です!

楽しくなるといいな〜と思っています。

 

 

カメラの話は、これからもちょくちょく出るかもしれません。というか、ちょくちょく出ていれば「続けられている証拠」なので、意地でも少しずつ出していきます。会心の出来!という写真が撮れれば、ここにも載せるかも。

別にそんな気張らずに、「今日こんな写真撮った〜!」という特にうまくもない写真を載せる可能性だって十分にあります。

こんな写真うまくもなんともない…と思っても、「まだ発展途上なんだな、これから頑張れ」みたいな目線で見ていただけると嬉しいです!

 

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。スマホでよかったやん…とならないように、カメラの良さを見つけて、カメラを楽しんで使っていきたいです!まだ続けていないので、三脚等を買う予定はありませんが、夜の風景とかも撮ってみたいので、いつか上達したら買うつもりでいます!

太宰治『桜桃』感想 少しずつ感想を書いていきます。うまく書けなくてすみません…。

 こんにちは。この頃は、色々な予定が詰まってきていて、日常からの旅立ち(大げさ?)を感じさせます。いろんな人に会って、感謝の意を伝えたいですね!

 

 今日は、太宰治新潮文庫短編集『ヴィヨンの妻』より、『桜桃』の感想を書いていきます。

 

 

短編集の紹介、著者の紹介等は今までの記事からのコピペとなります。

 

 

 

目次

 

 

 

短編集紹介、著者紹介

 

 それでは、まずは短編集紹介、著者紹介など。以前までの記事からコピペします。

 

 

 

 

短編集は、新潮文庫の『ヴィヨンの妻』です。全部で8編が収録されています。

いずれも太宰の晩年に書かれた作品で、「死の予感」が読み取れるものも多くあります。

  1. 親友交歓
  2. トカトントン
  3. ヴィヨンの妻
  4. おさん
  5. 家庭の幸福
  6. 桜桃

このうち、7作目の「おさん」は以前ここで紹介したことがあったので、7作の感想を書いていこうと思います。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 著者紹介も。

 

著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。

教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

 青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。

 

この前、太宰治読了のまとめ記事も作ったので、興味のある方は是非そちらものぞいてみてください。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 

『桜桃』あらすじ

 

 このお話に、あらすじをつける必要はあるのでしょうか。そう思いたくなるようなお話です。

 

わずか10ページの中に語られた、夫の「私」目線のズタズタな家族の現状。

これは、あらすじをつける意味があるのでしょうか。読んでもらえればわかります。

あらすじというのは、その文章の内容を全ていうのだと長くなりすぎるから、その内容を短くまとめて書くものです。

(「短く」という意味では、私の今まで書いてきたあらすじも、太宰の本を別の言葉で少し簡略化してまとめてきただけなので、そぐわないのかもしれませんが…。)

 

 主人公は「私」。彼の妻と、彼の子供達との関係について。

家にいると鎖でがんじがらめになっているように、あまり何かを言うことができない「私」。夫婦の悩みの種となっている長男。そして妻の用事と、「私」の快楽。

 「私」はやらなければいけないことを妻に言われるも、そこで口論のようになりまた外へと出て行きます。

 

そして居酒屋に行き、出された桜桃を見ながら、

子供達は桜桃など、見たこともないかもしれない。食べさせたら、喜ぶだろう。

と思いつつ、極めて不味そうに食べては種を吐きます。

 

その間に虚勢のように思うことは、

子供よりも親が大事。

 

 

 強いてあらすじをいうとしたら、こんな感じになるのでしょうか。タイトルの『桜桃』が出てくるのは、本文の中でも最後から8行目です。

 

 

 

『桜桃』感想

 

それでは、感想を書いて行きます。

まず言っておきたいのが、この話が太宰の最後の短編小説です。

彼は昭和23年の6月に愛人と心中しましたが、『桜桃』は23年の5月に発表されています。死ぬ直前に発表された、ということです。

 

太宰の命日は、今でも「桜桃忌」という名前がついています。

 

この話も、そうした「死の予感」たっぷりと言った形の本でした。

感想を書くのが、とても難しいです。

 

まずは、文章に対する感想ではなくこの作品に対する感想を。

この作品は、かなり好きな作品です。

前のブログで、作家としての太宰を主人公としてみるのではなく、あくまで作中に出てくる「私」を見て本を読みたい、と言いました。

でも、この作品ではそれも難しい

全部本当のことなんでしょうか。

出てくる子供達の年齢、長男がいわゆる「白痴、唖」だということ。諸々を取っても、太宰に見えてきます。

『家庭の幸福』よりも「もうどうにもならない」と言った感情が顕著な気がします。

 

 なんか、文章を読んで受ける印象が「諦め」に見えてくるんですよね。もうどうしようもない、どうにもできない。

子供の存在(特に長男の存在)も太宰(勢いで太宰と書いてしまいましたが、本来は「私」ですね)にとってはかなりのプレッシャーだったのかも。

子供のためにこうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない。

そう言った「子供のため」を、「子供よりも、その親の方が弱い」「常に子供達のご機嫌ばかりうかがっている」と描いています。

 

 

 

 

 あーーーー!!!!

感想が書けない!!誤解しないでください、この短編、大好きなんです!大好きなんです。短編集『ヴィヨンの妻』も、また色々な作品があって、それぞれ面白かったですが、強いて一番を決めるならこの作品なんです。

本当に、読んでいて色々と思うところが出てきます。だけど、いろいろなことを持ってしまうからこそうまく言葉にまとめられません。すっごい歯がゆい気持ちです

 

 

 とりあえず、頑張って感想を書いて行きます。

まず、私が読んでいて気がついたのは、冒頭で

子供より親が大事、と思いたい。

と言っていること。

 

「と思いたい」って言っているということは、本当の正解はそうでないとわかっているんです。

実際は「子供より親が大事」ではないけど、「子供より親が大事」と思っていたい。

いつもいつも子供のことで神経をすり減らして、それがいろいろな面で足かせになったり重荷になったりしてきている。その存在に振り回されるのは親。

「子供より親が大事、と思いたい」んです。

 

 この短編の最後の文は、

そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

です。

 

ここで、私は

最初の文では「と思いたい」と言っているけど最後の文では断定だから~

みたいなことは思っていません。

多分、これは、「私」が物語の途中より家庭から逃げているから、その背景があった上で自分の意見として断定しているんだと思っています。

だから、別に最初と最後で感情の動きがあったというわけではないと思うんです。

 

 子供よりも親が大事、自分が大事、自分をもっと労りたい。

話の中身が濃くて、一言で「私」がどう思っているのかなんて絶対にまとめられません。

 

 「私」は文字通りいろいろなことを考えているのでしょう。

 

母も精一杯の努力で生きているのだろうが、父もまた、一生懸命であった。もともと、あまりたくさん書ける小説家ではないのである。極端な小心者なのである。

 

私は議論をして、勝った試しがない。必ず負けるのである。

 

生きるということは、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。

 

生きるって大変なんでしょう。誰か他人と生活を共にするのも、大変な事なんでしょう。

もう、私は「私」を批判できません。

『家庭の幸福』の時は、主人公の「私」の言い訳だと書きましたが、

ここまで弱気な言葉が節々から読み取れると、別に同情を目的に描いた作品でもなさそうなのに、流石に「私」を批判したくなくなります。

 

哀れだし、助けたくもなるし、擁護したい。

でも、結局「私」がどうしようもない男だというのも、また間違いではないんです。

どうしようもない男に、様々な問題がのしかかり、どうしようもない男がさらにどうしようもなくなります。

 

 

 

 

もう、仕事どころではない。自殺のことばかり考えている。

 

こう言った文章を読むと、これが日記に見えて仕方がありません。

本当は、全て太宰の身に起こった事なのではないか。太宰が日記として書いたのではないか。

 

読んでいて悲しくなります。こんなに、作者の存在を意識する小説はなかなかないと思います。作者の存在に揺さぶられてはダメだと思っていても、揺さぶられちゃいますね

 

 

太宰の自殺の原因の一つとして、長男の存在が挙げられています。ダウン症を患っていた長男が、太宰たちの重荷となり、それが心中の手助けをしたのでは…と。

 

本の中で、一番印象に残ったのは、この長男の存在についての文章です。2文ほど、この長男について書かれた激しい文章があります。

「!」は、太宰の文章にあまり出てきません。でも、所々に使われていて、それがとても効果的です。

他の話でもそうでしたが、「!」が使われている部分を読むと、ここで作者は感情を爆発させたいんだな、と言った思いを持ちます。

長男に関しての部分も、『桜桃』の物語の中で唯一(多分…)エクストラメーションマーク「!」が使われています。読んでいて、本当に「私」も苦しかったんだろうな…と。

 

 

 

最後:うまく書けず、すみませんでした!

と言うことで、一応ここで感想を終わります…。

全然まとまった文章を書けなかった〜!!でも面白かったんです!

自分の文章力と語彙力を恨みます…。

割とくらいので、あまり好みではない人もいるかもしれません。でも、興味を持った人がいたら是非読んでもらいたいです。

 

うーん…、もっと精進しなきゃですね。久しぶりにブクレポでここまで悩みました。

この記事を上げるかどうかも少し悩みましたが、それでもせっかく書いたので、上げておきます!

 

太宰治の『桜桃』、とても面白かったですが、私が感想を書くにはまだ少し早かったのかもしれません。これから、また時々読んでいって自分の中で感想もまとめてみたいです。

ちなみに、『桜桃』とはもものことではなくサクランボのことです!私は調べるまで知らなかったので…一応書いておきます!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。精進していきます!これで興味を持たれた方がいるかはかなり不安ですが、もしも持たれたら!ぜひ!