うぐいすの音

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太宰治『おさん』『饗応夫人』あらすじと感想:太宰作品の「気持ち悪い」は尊敬の褒め言葉

 こんにちは。この頃、太宰治の感想を少し書きすぎな気もしています。でも、今日も太宰の本を一冊読み終わったし、やっぱり面白いです!太宰ってすごい…。

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 ということで、今回も太宰治の『おさん』と『饗応夫人』の感想を書いていきます!二冊とも、太宰治文学館の短編集、『女生徒』に収録の作品です。

 今までも、この短編集から『女生徒』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『燈籠』『皮膚と心』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『きりぎりす』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

『千代女』の感想、

 

chirpspring.hatenablog.com

 

を書いてきました。

 

 まず、この短編集の内容紹介と著者紹介を。これは、以前までの記事に乗せたものをそのままコピペします!

 

 

 

 

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 それでは、まずは短編集の内容紹介と、著者紹介へ。

短編集は7編仕立てとなっています。以下の通りの順番です。

  1. 女生徒
  2. 燈籠
  3. 皮膚と心
  4. きりぎりす
  5. 千代女
  6. おさん
  7. 饗応夫人

どれも、女性を主人公とした作品で、悩みや日常のことについてを描いています。

 前回紹介した『女生徒』という作品は、14歳の女生徒が朝起きてから夜寝るまでに考えたことを告白体で書いた作品でした。

 

 著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。

教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

 青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。

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『おさん』あらすじ紹介

 

 それでは、次は『おさん』のあらすじを紹介します。

 

主人公の「私」は、結婚8年目の女性で3人子供がいます。

 その「私」は終戦後に夫の浮気に気付きますが、できるだけ指摘せず穏便に過ごそうとします。

ジャーナリストとして働いていた夫は、終戦後自分で新しく出版社を立ち上げましたが、借金続き。

浮気の次の日、「どろぼうのような日陰者くさい顔つき」をして妻に気を使い、見え透いたお世辞まで言うようになります。

 

 「私」はその事実に触れないようにしているうちに、「気持の楽な生き方をしたい」と言う考えになり、家の中に笑い声もしばしば起こるようになりました。

 

 ある朝出し抜けに、夫は温泉に行きたいと言い出します。

そして一人だけ諏訪湖に行き、革命という大義名分とともに浮気相手と心中しました。

「私」はその夫に幻滅し、あきれ返りました。

子供3人を連れて夫の遺体を引き取りに行く汽車の中で、「私」は夫のバカバカしさに身悶えしたのです。

 

ちなみに、この話が書かれたのは、太宰の自殺の前の年のことらしいです。

 

 

『おさん』感想:救いどころのない夫と、呆れることのできた妻

 さて、この話の感想を書いていきます。

 

 太宰治は、『おさん』が書かれた次の年に愛人と入水自殺をしています。

その事実を知っているからか、

この対応が「太宰が自分の妻に望んでいたものなのか」とも考えてしまいます。

自分が愛されて終わるよりも、自分のバカらしさをみんなで嘲笑ってもらいたい、という考えが少しあったのかもしれません。

もしくは、自分の考える一番の悪い状況をこの話に書いたのかも。

 

 そうやって、作者の背景と結びつけたらどんな風にでも読み取れます。

でも、作者と繋げすぎて余計な考えを作品の中に持ち込むのもあまりやりたくはありません。

太宰の衝撃的な背景は勘ぐりたくなる要素が多くありますが、まずは話の中身を考えていきます。

 

この作品は、私の持っていた「太宰の女性一人称もの」イメージに合う女語りの作品です。

悪い男と、それに悩む女性。暗い感じの話ですね。

このイメージが強かったので、『皮膚と心』を読んだ時にはびっくりしました。

 

 この『おさん』では夫に何も救いどころがなく、悲しくなったり感情移入をしたり、という段階を超えていました。

普通、悪い方にも少し気を使いたくなりますが、冷めた感じでずっと読むしかないようでした。

 

それなのに、この人は自分の持つ自尊心を捨てられず、「革命」という大義名分を立てて、妻子4人を残して死んでいます。

周りをかき回すことがもうはた迷惑ですが、こうやって変にプライドを保とうとするのが一番格好悪いしはた迷惑なのでは…。

 

 この夫の遺書を、何も知らない状況で読んでいたらもしかしたら「革命のために死んだ男」とか美辞麗句が並べられるかもしれません。事情を知らなくても「見栄っ張り」と思われていいと思いますが。

 

 でも、妻の視点で見ていると、夫は本当に格好悪いです。自分をそんなに綺麗に見せたいか?となります。もう何も残ったものがないのに、これ以上何かを守ろうとするなんて…。

 

 

 ちなみに、この『おさん』という題名の由来。

おさんとは、近松門左衛門人形浄瑠璃心中天網島という作品に出てくる女性のようです。

おさんは、その中で自分の夫に想いを寄せながらも、他の女性を好きになった夫に同情しています。

 

「私」も、夫が好きだと自覚しながらも最終的に夫に心中されているところは同じなのかと…。

ただ、私はこの人形浄瑠璃をしっかり読んでいるわけではない(関連するとわかり、Wikipediaなどで調べました)ので、次暇ができたら読んでいきたいです。

 

これ、残された妻と子供はどうなるんでしょうか…。

もうかわいそうですが、それでも「まだ夫のことを思って…」みたいな状況にならずに本当に良かったです。

そうなっていたら、もう悲恋どころじゃありません…。

しっかり呆れられて良かったね、といった話でした。

 

 

『饗応夫人』あらすじ

 続いて、『饗応夫人』のあらすじへ。

こちらは、戦争で生死が不明となった夫を持つ「奥様」の話です。その奥様を、女中目線で描いています。

 

夫人は女中に

奥様はもとから、人をもてなすことが好きなお方でした。

と言われ、さらに「何か怯えているとでも言った方が良いくらい」使命のように人をもてなすのです。

 

 家は戦争直後ではあるものの、仕送りもあり物静かに上品な暮らしをしてたそうです。

 ですが、生死不明の主人の友人であった「笹島先生」がばったり夫人とあうと、夫人はもてなし精神が過剰に発揮され家へ招待。

それ以降、笹島先生は何かと人を連れて夫人の家に訪れ、召使いのように料理や酒を飲んでいきます。果てには「ここはただの宿屋だから」などという始末。

 

 とうとう、夫人は喀血するほど消耗し、女中は二人で里へ帰ることを勧めます。

そうして家から出た途端、白昼からよっている笹島先生が二人女性を連れて立っているところへ出くわします。

 

 最終的に、夫人は逃げられず、「接待の狂奔」を始め女中もちぎられた切符を見ると覚悟を決めます。

 

 

『饗応夫人』感想:動物と人間、貴さ

 

 この話、初読の際は「哀れな女性だな」と夫人を、そして最後には女中を見て終わりました。

ですが、どこか高貴というか高潔なところが感じられました。

 

 多分、それは最後の方にある文章のおかげでもあります。

(前略)人間というものは、他の動物と何かまるで違った貴いものを持っているということを生れてはじめて知らされたような気がして(後略)

 

 この作品では、時々動物が比喩として物語に登場してきました。

その中でも、「狼たちの来襲」と言われる笹島先生たちが、一番わかりやすい例だと思います。

 

 女中は、夫人が引き裂いた切符を見るときまで夫人の狂奔振りを哀れに感じる、読み手と近い感覚の持ち主でした。

だけど、夫人にちぎった切符を見てから「他の動物とは〜」のセリフを言ったのです。

それまで、「コマネズミのごとく」だとか夫人を哀れなもの、弱いものとみて、笹島先生を「狼」などと強いものに見立てていたのに。

 

ここで、女中は夫人の「底知れぬ優しさ」と「貴さ」に気付き、それが今まで自分が想像していた弱肉強食とは違ったものだと認識します。動物と違う人間の貴さに目覚めた、といった感じでしょうか。

それが、女中が自分の切符もちぎった決心につながるのです。

 

 夫人は、もともと接待が好きで、それがいつしか生きがいになっていたのかも知れません。でも、女中の方は夫人を見るうちに感化されたのでしょう。

二人が、この先絶望の中で死ななければいいな、と思います。どこか哀れなんですが、同情してしまうというか寄り添いたくなる。そんな物語でした。

 

 というか、笹島先生最低ですね。

こんな人とはお近づきになりたくないですし、大学の先生だった夫の知り合いがこんな人だなんて…。別に学歴が性格に直結するとは全く思っていません。

でも、「物静かで上品な暮らし」という表現や、話の中で出てくる言葉からどこか静かでおっとりとした感じをもたらすこの家の持ち主が、笹島先生と友達だなんて意外です。

夫がいなくなったからこその、本性現したり、なのでしょうか。

 

 自分の身を守ることよりも、他人のために自分を犠牲にする自己犠牲の精神が、貴いという感情をもたらすんだと思います。

それが絶対に正しいことだとは全く思いません。

ですが、そういう生き方もあるんだな、と思いました。この生き方が美しいと感じる、高潔だと感じることの意味は、もう少し深く考えたら何らかの答えが見えそうですが…難しい!

 

最後に、夫人の言葉を少し。

ごめんなさいね。

私には、できないの。

みんな不仕合せなお方ばかりなのでしょう?

私の家へ遊びにくるのがたった一つの楽しみなのでしょう。

 

 

 

まとめ:「気持ち悪い」けど、それは尊敬の言葉です!

 ということで、太宰の二つの作品の感想を書いてきました。これで、短編集『女生徒』の感想は終わりです。

一番好きなのは、多分『皮膚と心』だったと思います。まさかの「いい男」にびっくりしました。

そして、一番気持ち悪かった(褒め言葉ですよ!)のは『燈籠』と『饗応夫人』がいい勝負かな〜。

 

 太宰の作品の多く(今まで読んできたものの中で)は、初読で「気持ち悪い」と感じるんです。

生々しさだったり、どろどろだったり、あとはうまく言い表せない不快感だったり…。

人間失格』なんて、その筆頭でした。

 

でも、大抵「気持ち悪い」と思った作品には、読み込んでいくと不可解な美しさがある気がします

今回の『饗応夫人』も、しっかり読むと不思議と貴いと思うようにもなりました。

 

そこがやっぱり魅力的だし、まだまだにわかですが、太宰の作品って本当にすごいな〜と思えるようになりました!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。今、新潮社の短編集『ヴィヨンの妻』を読んでいます。とても面白いです。もうしばらく、太宰の感想記事が続くかも…(笑)