うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

読書感想文の宿題を通してやってみること 少し苦手だと思ったら、自分から楽しくするまで!

 こんにちは。みなさん今日もお疲れ様です!私は、秋休みが残り少なくなってきてちょっと残念な気持ちでいます。でも、学校が始まって友達と会うのも楽しみ!

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目次

 

 

前書き

 

今日は、学校の宿題である、月一の読書感想文(読書ノート)について書いていこうと思います。

何回かこのブログに書こうとして、それでも上手く書けなくて断念して…。

という、私の中ではちょっと書くことに迷いもある記事なのですが、とりあえずは書いていきます!

 

途中、その宿題に対する批判のような文章も出てきますが、まだ二ヶ月しかこなしていない宿題です。私がちゃんと捉えきれていないところもあると思いますし、やっていく中で変わるものもあると思います。

私のやり方に対して拒否感を覚える人もいると思いますし、私がやろうとしていることが最善のやり方とも言えないはずと自分でも思っています。ご了承ください。

 

 

 私の学校では、日本語の授業で毎月「読書ノート」と言われる読書感想文のような宿題があります。

学校の授業であまり文学作品を扱わないため、宿題を通して生徒に文学作品を楽しんでもらおう、学んでもらおう、という狙いのようです。

(国語の授業で文学作品を扱わないというのも考える部分はあるのですが、ここでは触れないでおきます。)

 

 

その「読書ノート」、9月提出分と10月提出分の2回分を今まで書いてきました。

今回は、そうやって書いてきて思ったこと、そして自分で行っていくことを書いていきます。

 

 

読書ノート9月分

 

まずは、書いて思ったこと。

9月提出分では、私は三島由紀夫の『潮騒を読み、その感想を書きました。

正直読んだことはあったのですが、さらっと読んだだけであまり印象には残っておらず。

 

ですが、読書感想文を書くということでもう一回読んでみると、本当に面白かったです。

三島作品の中ではかなり異色というか、「普通」の作品だなと思っていたのですが、何回か読んでみるとストーリー展開だったり、それぞれの人物像だったり、最後の文章だったり、面白い部分が多く自分としてはとても楽しく読めました。

 

その時の読書ノートは、自分でも文章を少しだけ変えてみようと思って「偉そう」に書いていました。

一部分お載せします。正直、改めて読み返してみるとかなり稚拙な文だと思いますし、校正もほとんどしていないのでお恥ずかしい…。

これから上達して行きます!

 

 この物語は、最後の文章でただの「純愛小説」ではなくなっている。新治は、海の中で荒々しい航海を自分の手で切り抜け、その代償として初江との恋を手に入れた。しかし、初江は祖父に監視されながらただ家の中で新治を「祈りながら」待っていただけだ。状況的に仕様がないのかもしれないが、その違いが最後で違和感を産んでいる。成長し、自分と初江のみではなくさらにその先を見つめている新治と、2人の愛情のみにいまだ囚われている初江だ。

 ただ、これは決して悪いラストではない。恋愛にもいくつかのステージがあるからこそ、私たちには「結婚」と言うシステムがある。

そのステージに行くためには、双方が意識を変え、甘えているばかりではなく自立していかなければならない。新治が自立したいま、初江との間に少しずつ諍いが生まれることはあるだろう。しかし、それが2人を引き裂くかと言われると物語からはなんとも言えない。

純愛を捧げた2人、最後まで純潔を守り結婚した2人。いかにも神話のようなストーリーだが、ここでの新治の自立によって、この話は「理想的な神話」を抜け出し、リアリティを感じさせるのだ。

 

 

こういった感じの文章を1600字ぐらい書いて、提出しました。

そして返ってきた評価が以下のようなものでした。

  • 書評のように見える
  • もっと個人レベルに落とし込んで論じるべき
  • 主張を明確に

 

ここで言及したいのが、この読書ノートを書く際に載せられていたテンプレートについてです。

例として、「こういう風に書いてみて」と言われたものがありました。

それをまとめると、以下のようになります。

  1. 序論(本を読む前は〜〜でした)
  2. 本論(本を読んで、==に気づきました)
  3. 結論(これからは**しようと思います)

この形で、本をむ時のBefore/Afterを示しなさい、ということでした。

 

 

読書ノート9月分:考えたこと

 

正直、このテンプレートはあまり私が好きなタイプではありません。

読書ノート提出後に少し話す機会があったのですが、先生も「これは文章を書くのが苦手な人向けのものだから〜」という風にはおっしゃっていました。

また、読書ノート提出前に ”このフォーマットで文章は書きたくない” と思い、先生にこれに沿わなくてはいけないのか聞きました。

「別に沿わなくても良い」とのことだったため、実際に自分で描くときには特にフォーマットを気にしなかった、という経緯があります。

 

ですが、読書ノート一回めの後に先生がくださった評価は「書評のよう」という言葉。

そして、良い例として先生が見せてくださったのは、上記のフォーマットを参考にしているであろう他の生徒の文章でした。その方の文章では、「自分は今〜〜を実行しています」という趣旨の文が入っていましたが、それを先生は求めていそうです。

 

 

もちろん、文章には色々な形があると思いますし、

否定されるものはないと思っています。

色々な文章が書けるようになりたいです。

 

でも、多分先生の求めている文章を書くのは「楽しめない」気がします。特に上記の例を書けと言われたら、私は楽しめません。

その理由は二個あります。

 

一つめに、私は今まで好きな文章を好きなように書いてきたということ

ブログという、好きなように文章を書ける場所があったため、自分が好きなように好きな文章を書いてきました。

特にこういう文章が書きたい…というものがあったわけではありませんが、まあ多分自分が心地いい形みたいなものがあるんだろうな、と思います。

 

二つめに、私が今まで文章をならってきたときは納得できてきた、ということ。

学校ではありがたいことにあまり注意などはなく、言葉の使い方などを注意された程度でした。

大抵家で文章を指導されてきたのですが、そうやって教えてらう時は理想形とそれにたどり着くまでの道のり、そして構成の仕方などを、やり方から学びました。

そこで学んだことをブログで使ったりはしていませんが、しっかりした文章を書く時は頑張って使っている…はず!

 

納得できるやり方ではないにしろ、それが自分の力になるのならやりますし、やらないうちから楽しくないからやりたくない、とは絶対に言いません。

でも、書こうと挑戦してみても、

「納得しにくい形を、やる意味をしっかり理解していないまま」楽しめるとは思えません。

 

楽しめない文章を書くのは、あまり好きではないし、それで文章が嫌いになるのはもっと嫌です。

 

読書ノート10月分

 

ということで、とりあえず楽しめるのか楽しめないのか最終確認として、先生のあげた例のような形の文章を書いてみました。

 

以下は10月提出分の文章です。

11月に評価は帰ってくるので、まだ先生は見ていません。

多分、自分の文章なのでここにあげてもいいはず…。

 

 今回読んだ川端康成の「伊豆の踊子」は、主人公である「私」が孤児根性克服の思いに駆られ旅に出て、そこで出会った旅芸人の踊り子に恋をする話です。

この本を読んで、私は人に頼り頼られることの楽しさ、美しさに気づきました。

 

 本の中では、主人公の「私」が孤児としての人生で身につけてきた人に頼ってばかりの性格に嫌気がさしています。ですが、そうやって自分を卑下していた主人公も旅芸人とのふれあいの中で自分が人に愛される存在になり得ると学び、自分の性格を受け入れるようになりました。最終的に、「私」は人にただ頼って享受しているのみではなく、自分からも快く人に親切にするようになりました。

ちなみにこの物語では、その提供と享受の仕方の物語中での変化というよりも、提供と享受を「私」が「美しい」と受け入れられるようになったことに重点が置かれているように思います。

 

 人から与えられるものをもらっているばかりではなく、自分からもできることを何かお返しすることはとても大切だと思います。それは、「恩返し」に近いものだと思いますが、授業でやったような「恩送り」でももちろん構いません。自分がものを貰うことに抵抗があるのなら、自分からも何かを提供すればいい、ということです。

この本を読んで早速、いつも世話になっている家族のために薪ストーブを火起こししたり、洗い残しを片付けたりしました。これも「人に頼り頼られること」の一環と言えると思います。ですが、これでは対価交換になっているような気もします。「これをやってくれたからこれをやる」と意識せずに、自分から周りを見て行動し、頼られるような人間になりたいと思いました。

 

 

 評価が帰ってこないと、これが先生の求めている形なのかはわかりません。

が、多分こういうことが理想なのでは…と思っています。

少なくともテンプレートには沿わせたつもりです。

 

ちなみに、10月の読書ノートでは注釈として「論理的文章の書き方<双括型>」の説明が載っています。

また、「気づき→結びつけ→行動・実践→振り返り」の順番で書くように、という説明も。

目的は、作品を読んで共感したことから自分のアイデンティティを認識する、というもの。

 

読書ノート10月分:考えたこと

 

上記の10月分の読書ノートを見てもらえばわかると思いますが、しっかりとフォーマットに合わせ、文章も敬体にして、短くまとめました。

 

書いてみて、ぜんっぜん楽しくなかったです。

ひっさしぶりにこんなに楽しくない文章を書きました…。

 

自分がまだこういった形の文章を書けるということの確認はできたので良かったです。

ただ、やっぱり楽しくない文章は書きたくないな、と。

これが求められている形なのだとしたら、毎月書くのは余裕がないと苦痛にもなりえます。

 

作品を深く読み込む形の読書と、

本を読むという行為から自分自身について考えるという読書

どちらも大切なことではあると思います。

 

でも、後者を気づきとして捉え、行動や実践に移すのは(私の訓練不足もあり)限度があります。

もともと気づいていることの場合も多いですし、実践できないことの場合もあります。

太宰を読んで気づいたこととか、実践しようと思ったら命がいくつあっても足りません。

 

それなら、先生の示しているような(小学生の時から苦手だった形態の)文章だけを書いていくのか。

 

読書ノートは、宿題です。

読書を通じて自分自身について学べることがあるというのにも、納得できます。

でも、「気づき」「行動や実践」に移せるものがどれくらいあるかはわかりません。

それを探す目的のみで本を読んで感想文を書いていると、楽しくありません。

 

 

これから挑戦してみること

 

ということで、読書ノートを書く際に新たな目標や、挑戦を付け加えてみようかな、と思います。

 

とりあえずは、書く形を変えること

この前は「偉そう(書評、と言われた時の文章です)」。

今回は「いわゆる読書感想文のテンプレ」。

読んだ本は三島由紀夫川端康成でした。

 

次回からは、

まずは太宰でめっちゃ暗い話を選んでかなり内面まで踏み込んだ…ように見せる文章にしようかと。

そのあと、谷崎潤一郎で際どいところまで読書ノートの中で攻めてみるつもりです。

 

文章の形(もしくは読んだ時に受ける印象)を統一させないことが狙いの一つです。色々な文章を書けるようになりたい、というのはあるので、これなら自分でも楽しめるのではないかと思っています。

 

 

また、書評と自分の感想を一つの作文の中で書けるようになること。

ブログのようにただ乱雑に書くのではなく、、ということです。

私は、本に示されている文章それぞれからその本の意図を推察する、という読み方がとても好きです。

だから、純文学なら読んだことのある本は大抵3回くらいは読んでいます。

せっかく純文を読んでいるのに、そうやって考察する機会を自分から作らずにいる、というのは損だと思うし、

せっかく考察したならそれを書いてみたい。

 

書評だからダメ、自分の内面に触れているからいい。

ではなく、書評と自分の「共感から考えるアイデンティティ」とやらを一緒にして書いてみたい。

これは、何回か読書ノートを書いてみた後に挑戦してみたいです。

 

 

まとめ:最後に…

 

以上が、私が「読書ノート」を書いてみて思ったこととなっています。

 

宿題を大切にしていない、理解しようとしていない、バカにしている、と取られても仕方ないのかもしれません。

批判と取られることもあると思います。(自分では、それが悪いといっているわけではなくて、その方針と自分の考えの共存する場を探している、という捉え方です。)

 

でも、実際私はこの形の読書感想文には納得できません。

先生に話してみたりもしましたが、「別にこれに絶対沿わなくてもいいから」と「基本」についてはあまりお伺いできませんでした。(先生方も「生徒の書きたいもの」との兼ね合いについて話し合ったりしてくださっているようです。)

ちゃんと先生と文学を扱わない意図、文学を読むことでの狙い、これをして身につけられるもの、先生が文章をこの通りに書いたらどうなるのか、、そういったことについてお話ししたいとも思います。

 

でも、それよりは自分で宿題を面白くする方が簡単ですし、時間もかかりません。

 

まだ二ヶ月しか授業を受けていないのですから、理解できないところが多くても仕方がないとは思います。

でも先生と話そうという時間と意欲がないなら、その「仕方がない」を文句で埋めるのではなく、自分から楽しみに変えた方がいいはずです。

こうすることで、先生の狙いも達成できるし自分でも楽しめる。一石二鳥とまでは言いませんが、それに近いと自分では思っています。

 

もちろん、自分で無駄に自分を疲れさせるより先生と話した方がいい、と自分が半出した場合には、先生とお話しさせていただきたいな、と思っています。

ですが、何回も言いますがまだこの宿題が始まって2回しか書いていません。

それですぐにピーピー反対するよりは、自分で工夫した上で宿題の意図もこなせるようになりたいです。

そうすれば、回を重ねるうちに宿題の元々の意味や、それによって得られるものもわかるようになるかもしれません。

そうなるといいな、と思っています。

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。宿題を自分で楽しくすることができるか…ちょっと不安ですが、頑張ってみたいです。読みづらい記事になっているかもしれません、すみませんでした!

【はてなブロガーに10の質問】答えて見ました!

こんにちは。みなさん今日もお疲れ様です!ちゃんと1週間んいい会は更新したかったのに、もうかなり時間を空けてしまいました…こんなに更新しなかったのは久しぶりのような気もします。ちょっとパソコンに不具合が起こってしまい、今は親のパソコンを使いながら書いています。ためてきた話題など、このうち(今秋休み中なんです)に全部描きたいので、この記事書き終わったら頑張ります!

今回は、はてなブログの特別お題に答えてみます!

いつも通り、誰得?な感じの記事ですが、是非暇な時にでもお読みください。

 

 

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

「うぐいすの音」

うぐいすが自分の名前の由来に関係あるということと、音楽が好きということからつけたブログ名です!

 

ハンドルネーム chirpspring/うぐいす

chirpspringは「春告鳥(うぐいす)」の英語名の一つ…だったはず。

「うぐいす」と読んでください!

 

はてなブログを始めたきっかけは?

小学校6年生の2月に始めました。

中学受験を自分の至らなさから諦めて、そこから

何か続けられるもの・「これをやっています」と言えるものが欲しいと考えたのがきっかけです。

身近にブログを書いている人がいたためそれに影響されたのかな?と思っています。

 

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

お気に入りの1記事を決めるのは、ほんっとうに難しいです…。

え、、、どうしよう、、。好きな本についての記事、忘れられない自分の成長を感じた出来事についての記事、思い出の記事、、。

決められませんが、どうしても決めるならこの記事。最近書いたということもあってか、一番印象に残っています。書いている間に自分の思考が作り上げられていくという経験もできて、とても印象に残っている記事です。拙い文章ですが、是非暇な時などにでも呼んでくれると嬉しいです!

chirpspring.hatenablog.com

 

 

ついでに、お気に入りの記事を探すなかで目に入った記事を二つばかり。

 

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

 

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

モヤモヤすることがあった時。何かから逃げ出したい時。暇な時。

嬉しいことがあった時。忘れたくないような出来事があった時。自分が楽しくなりたい時。自分に整理をつけたい時。

 

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

今のところ4つあります…

本の感想、学校図書館についての記事、読書感想文についての記事、そして哲学サマーキャンプ2021の記事です。

もう全部このまま忘れ去られる気がしなくもない。

 

自分の記事を読み返すことはある?

すこーーーしだけあります。

大抵は読み返さないけれど、自分で記事を書いている途中に関連する記事を読み返したりだとか、誰かと話している時に「これについて書いたことあるぞ?」と読み返したりだとか。

好きなはてなブロガーは?

 

ごめんなさい、他の記事って本当に読まないんです。

身内にブログをやっている親類や友達はいて、その人たちのブログぐらいしか読みません。

だから、純粋に文章が好きで読んでいる…!という人はブロガーさんではいないと思います。

オススメのブロガーさん等いらっしゃいましたら、是非教えてください!

 

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

 

自分が成長できる場を与えてくれて、ありがとうございました。

 

10年前は何してた?

 

10年前…

ってことは2011年、年中〜年長さんです。3〜5月は震災の影響で祖母宅に行っていました。そのことについてはいくつか記憶も残っています。

そして、年長としてのお遊戯会とかも多分2011年内だったはず。いくつかの記憶はあるけど、さすがにしっかり覚えてはいないかも。そう考えると10年って歳月は長いですね…。

 

この10年を一言でまとめると?

 

一言でまとめる…難しい!ありきたりな言葉にはなりますが、

 

変化

 

です。身長とか学年ももちろん変わったし、考え方もいろいろ変わったと思います。

「成長」とも悩みましたが、成長は何らかの脈絡があって変わっているわけで、

記憶も少ない5・6歳の頃から考えると新しく生まれたものとかも多いので、そういった意味も含めて変化にしました。

今も、ISAKというインターナショナルスクールに通っていて、これからもっと変化していくんだろうな、と思います。でもある程度軸はできてきたので、これからは「成長」かも?

いずれにせよ楽しみです!

 

 

10の質問、これにて完遂!!

最後までお読みくださりありがとうございました。たまにはこういったものもいいですね。自分も「ブロガー」の仲間入りができたような気がします!ブロガーです、と胸を張って言えるように、もっと色々な記事を書いていきます!

やっぱり、本が好きだ。

 こんにちは、今日もみなさん、お疲れ様です!

 

今日は、私もかなり疲れていて…。朝から寝坊してしまい、食堂の朝食に間に合いませんでした。(1時間目は元々ありませんでしたし、寮のコーンフレークを食べたので特に問題ではありませんが!)

 体も「ちょっと休憩したいよ〜」って伝えてくれてるのに、このエントリを書いているので自分でも笑ってしまいます(笑)

でも、今日は10時に寝ることを目標に、長くてもあと30分で描き終わらせる!

というのも、書くのは本当にただの日記だからです。

 

この頃、「日記」になる記事が自分でも多すぎるな、と思っています。

でも、今新しい生活の中でインプットをして行っている状態だから、ここからアウトプットするには何もかもが未熟すぎる。

 

それでも、文章を書くのが好きだから、こうやって日記的な文章が多くなっています。

褒められないことかもしれないけど、しょうがないです。この頃は学校の友達もブログをちらほら覗いてくれて行っているらしいので、余計にちゃんとした記事を書かなきゃ!と思いますが、、書きたいものを書くのが一番です。

この記事を読んでいる知り合いの人がいたら、過去にちゃんとしたブクレポだったり、考えてることを書いた記事があるので、そっちも暇な時に呼んでいってくれると泣いて喜びます!

 

 

…前置きが長かったですが、本当にこの記事は短くなる予定です。

 

このブログで言いたいことは、タイトルの通り。

 

本が好きだ。

 

ということ。

 

この頃、課題だったりやりたいことだったりが多すぎて、いろいろなところで半端なまま終わっちゃうっていうこともあったんですね。

期限に遅れてしまったり、ミーティングを忘れてしまったり。

新しい生活が始まって一ヶ月。最初の三ヶ月はそういうことも起こるだろうと分かってはいたのですが、いざそうなると自分を責めずにはいられず…。

自分の悪い癖で、いろいろなところで必要以上の自己嫌悪を始めてしまいます。

 

でも、自分だけがそうなわけではありません。

ISAKという環境(寮生活)もそうさせる要因があるのか、先生方もこの頃よく「みんながそれぞれに才能があって、自分自身で思っているよりもっと強い。」というふうな、自己肯定感を高めようとするセリフを言っていました。(今日もいろいろな授業だったりで聞きましたし。)

 

 そうやって疲れてると、余裕を持つことを忘れてしまいます。それをなくすために、自分は字を書く練習をしています。最初は「字が綺麗になりたい」と思って始めた練習帳ですが、今は「自分の中で考えを整理するため」「現実逃避するため」「余裕がまだある、と思えるようになるため」に使われていることも多く…。

 その字の練習もとても効果的なのですが、今日は少し空いた時間があったので、本を読んでいました。

文学でもなければ、難しくもなく、英語でもなければ、課題でもない本を。

 

本の名前は、『いちご×ロック』です。YA小説で、読書が対して好きでない人でも気楽に読める、と言った感じの本。

展開は、なんとなく予測ができるところもありましたが、考えさせられるシーンも特に後半に多くなってきます。

父親の顔が見えた瞬間(詳しくは読んでみて下さい!)などは、自分の中でも少しホロリときました。

 

成績もとても良い、とは言えない冴えない女子高生が、ふとしたことから何故かエアギターを始めていき、その中で自分自身を探そうとする物語。

というふうにまとめられると思います。

 

本自体もとても面白かったですし、私は眠い中で読んだのですが、それでも入ってくるものがありました。

「文学ではなく、、」と言いましたが、私がそう言ったものを読むようになったのも主には今年から。

しかも、自分がそう言った「良書」とされる本を読まないことに対して悩んだ上での行動です。

 

それがYAでも、文学でも、ラノベでも、それらの本に序列をつけたくはありません。今回も、久しぶりにこう言った形の本を読みましたが、やっぱりとても楽しめました。

 

 

読んでいて感じたのが、私は本当に本が好きなんだな、ということ。

 

言葉でうまく表せませんが、本を読んでいる時間が本当に好きです。

全てから解放される気がするし、いろいろなものを取っ払って本の中の主人公になれる。

主人公になった時間は消えることがなく、そこから感じたことが自分の中に残ります。

 

この頃あまり読めていない本。

だからこそ、かもしれませんが、読んでいて幸せでした。例え共有スペースでクラブ活動が行われていたとしても、それをうるさいなんて1ミリも感じる事なく(フリではなくて真剣に感じませんでした)、安らかに読めたんです。

 

文字を追っている時間、文字をみている時間、文字に触れている時間。

そう言ったものや、そこから得たものに私は癒されるし、感情を動かされます。

ただただ、本が好きなんです。

 

別に私は、自分が特に読書家だとは思っていません。同年代の中ではある程度読む方かもしれませんが、学年が上がるにつれ確実に読む量は少なくなってきています。

 

それに、上を見れば上がいっぱいいるし、下を見れば下もいっぱいいる。

 

自分が大した読書家ではないということを知っている上で、でもそれは自分が読書好きなのになんの影響もありません。

 

 

読書以外の趣味もいっぱいある。この前、趣味を作ることが趣味なのかも、と言ったら納得されました。

だけど、それは読書が好きなことを妨げる理由にはならないし、逆に読書でそう言った他の趣味とも繋がることができます。

 

本当に、読書が好きです。

これからもっと忙しくなるだろうし、今でもIBを受けている先輩方を見るとヒヤヒヤするけど、それでも読書はしていきたい。というか、するんだろうな、と思います。

例え少し時間がなくって長期間読めなかったとしても、最終的にはまた本の世界に戻ってくるはずです。

 

 

それに、早く寝たいって体が言っているのにこれを書いているのは、私は字を書くことが好きだからなんでしょう。

ブログを書くこともとても好きです。

自分の感情を曝け出すのは、時にして危険なことかもしれません。

このブログは、例え私が名刺を一枚作ったとしても、そこに書いてある個人情報以上のものが詰まっていると思います。数年間分の私の価値観、考え、出来事、そう言ったものが詰まっているんですから。

 

だけど、ブログを書くことをやめようとは思わないし、文章は書いていたい。

 

私は今、本が好きという気持ちが抑えられなくなって、この記事を書き出しました。

そう言った場があることは大切だし、そういう場を作ることができた自分を嬉しく思います。

人にはそれぞれ自分の感情を表現する道があって、自分は圧倒的に言葉で表現するタイプ(言語優位)です(これから変わることも絶対にないとは言い切れませんが…)。

それを今見つけられていること、そして実践できていることに喜びを感じます。本当に嬉しいです。

 

 

文章を読むことも、書くことも大好きで、その気持ちが久しぶりに本を一気読みしたことで抑えきれなくなって、ここに書きました。本当に30分クオリティの文章ですが、これが今私がここに書き留めておきたかったことです。

 

本が好き。

書くことが好き。

文章が好き。

 

これから変わらない、変わってほしくない、軸の一つです。

 

 

 

 

なんか、疲れているからかセンチメンタルな気分になりながら書いてしまいました(笑)

本当に、読み直して「なんでもっと時間かけなかった…」って後悔すると思います。誤字とかも多そう…(笑)

読みづらい記事になっていたら、すみませんでした。特に読まなくても損にはならない記事でした。

だけど、これを書きたいと思ったから書いたし、この記事に関しては今の段階で後悔していません!だから、いつもよりも「ためにならない記事ですみません!」という気持ちは薄いです。

自分のためだけの文章でしたが、楽しく書くことができました。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。本が好き、という気持ちについて、そしてその他もろもろについて、書いてきました。この気持ちは、これからも大事にしていきます。それではおやすみなさい、いい夢を!

また日記を書いてしまいました…。ISAKで過ごしてみて一ヶ月

 こんにちは。皆さん、今日もお疲れ様です!!

近隣の学校ではそろそろ文化祭の季節。ISAKには文化祭のようなものはありませんが、それでも楽しく過ごしています!

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 今日は、また生産性のない日記を書く感じになると思います。

少し前まで自分の感じたことや日記が多く、ちょっとそれはやめたほうがいいかとぶくレポなどをしようと思っていたのですが、そこまで気を回せる余裕があまりなく…。

 

というか、本当は今もやるべきことを後回しにしてこれを書いているので、自分で「逃げてるな〜」と自覚しながら書いています。

だけど、逃げられるうちに逃げるのもまあ今はいいか、ということでこのまま書くことにしました!

 せっかくISAK入学から一ヶ月ぐらい経ちましたし、それを口実に記事を書いていきます!

 

ちなみに、ISAKとは長野県に位置するインターナショナルスクールです。全寮制で、海外からの生徒が半数以上います。国際バカロレアという教育法をとっている学校でもあります。

 

 ISAKで過ごして一ヶ月。

楽しいことももちろんいっぱいありますし、消耗することももちろんあります。

 

楽しいことでいうと、まずいろいろな人に会えたこと。とても個性的な人も多く集まっていますし、特に違う国から来た人たちと話すと驚くこともいっぱいあります。

少し前にUWC dayという、ISAKが入っているUWC系列のイベントがあったのですが、そこでも国籍、環境の多様さにびっくりしました。

そこで議論を発展させられるようなファシリテーターになりたいです。

 

さらに、ISAKでは行動を起こすことが推奨されているため、多分やりたことをやりやすいです。放課後の時間を使ってもいいし、授業中(プロジェクト用の授業があります)にやってもいいし。

それが楽しみだったことの一つでもあるため、実際にその環境を目の当たりにすると嬉しいことばかりです!

 

それに、趣味の話ができる人に会えたこと!

私は、多趣味の方だと自分で思っています。音楽だけに絞ってもかなりいろいろなジャンルを聞くし、好きな歌手ならある程度話すこともできます。

音楽以外にも、本(音楽より好き)だったりアニメだったり、映画、ミュージカル、美術、カメラ、、、。ダンスクラブにも入らせてもらったので、ダンスでも話したりできたら嬉しいです。

 

だからこそ、今まで話せる趣味と話せない趣味の落差が大きかったんですね。ジャニーズ、KPOPなら話せても、マイケル・ジャクソンポルノグラフィティについて話したいという同年代はあまりいなくて…。

でも、いろいろな人が集まっている中で、自分よりもその分野に詳しい人だって何人もいますし、一緒に話せる人だっていました。

カメラなどは、同級生にも数人写真を撮る人たちがいるので、教えてもらっています。そうやって、自分の趣味が広がっていっているのを感じるととても嬉しいです。

 

 

それでも、新しい環境になったのだからストレスに感じることもあります。

英語がわからないし、ついていける授業とついていけない授業の落差が激しすぎる。しかも、ずっと寮生活なので周りの目を気にする癖のある私としてはあまり気が抜けない時もあります。

 

また、寮生活で濃い人間関係だからこそ、一ヶ月経って気の緩んできた今、少しずつ固まりつつあるグループもあります。

それが悪いと言っているわけではなく、他の人を排除することにもしもなったら嫌だな〜、と思っているということです。

でも、それを気にしすぎて自分が逆に消耗するのも嫌だし、3年間過ごすんだからそんな一ヶ月で人間関係は決まらないだろうし…とか考えると、何をすればいいのかわからなくなる時も。

 

自分でも、自分が「ひとり」でいる時間と「みんな」でいる時間の割合を探っているんだな、と思います。寮生活だからこそどうしても「みんな」の割合が大きくなってしまう。だけど、そうしすぎるといくつかの局面で、それこそ人間関係で悩むことも多くなるし…

まあ、私は考えすぎてしまう癖があるので、それに囚われずやってみることをとりあえずの目標にしたいです。

正直、小学校の時と同じような人間関係での悩みで困るより、自分のやらなきゃいけないこと・やりたいことをやっていたい。

でも、そうも言っていられないのが学校生活なのかも。

1年後には「こんなこともあったよね〜」って言って、

10年後には「若かったね〜、青春だったね〜」って言うんだろうなと(笑)。

 

 

勉強は、先ほども少し書いた通りできる教科とできない教科の差が激しすぎて…。

全てが期待通りというわけではないけど、こういうやり方もあるのか、と授業をみていて思うときも。

楽しい授業の作り方を中学校などで授業中暇なときは考えていたので、ここにきてまた新しい授業を見るととても面白いです!

こんなやり方で学びが深まる、

こうしてグループワークにすると発表しやすくなる、

プレゼンはこうすると効果的。

そう言った、授業の(中身ではなく)あり方から学べることが多いので、勉強になります。中身からも、もちろん面白いことをいっぱい学んでいます。

 

ちょっと、ISAKでのこと以外でも色々と重なっていることが多く、少し忙しいというか余裕のないこの頃です。

だから、ブログも愚痴っぽくなっている気が…。どうにかして今抱えていることをバーっと終わらせる日が欲しいんですが、何も予定の入っていない日というのもなくって、時間管理ができるようにならなきゃな、と反省中。

 

 

なんか後半ずっと暗い雰囲気になってしまいましたが、楽しいこともいっぱいあるんですよ!

昨日は中秋の名月だったので友達数人と白玉を作って食べましたし、今日はあまり話せていなかった先輩とも話せました!!

それに、周りを見れば見るほど芸に秀でている方や幅広く活動されている方などが多く、まさに「すごい人」たちに囲まれている状況です。

音楽…ピアノ、フルート、ギター、ドラム、歌

ダンス…ヒップホップ、ロック、ラテンダンス、バレエ、

この限られたジャンルでいっても本当に多彩な方達が集まっています。

勉強面でも、信じられないほど努力している人たちがたくさんいらっしゃいます。この頃は、数学のとても得意な人に数学を教わったりしているし、先輩方から話を伺うのもとても楽しいです。

今日も、先輩に写真の撮り方などを少し教わりました!

そう言うふうに、「すごい人(すごい、以外の言葉を使いたいけど見当たらない…)」に囲まれていると、自分が成長できる部分を何個も何個も見つけられるので、楽しいです。

少し疲れていると「吸収したい!」よりも「自分はなんでできないんだろう…」に行ってしまいますが、みなさんがそれぞれの分野で腕を磨いていた間、私もなんらかを学んでいたはず(はず、です、、、多分!!!)なので、それを自信にしてさらにいろいろな人からいろいろなことを吸収していきたいです。

 

と言うことで、めっちゃ個人的な日記を書いてきました。

誰が読むんだろう…とも思いますが、少なくとも私の家族は読んでくれるはず!

それに、自分が書きたいものを指が進むままに書いておいた方が楽しいし、ストレス発散にもなります。だから、もう今日は「読む人が…」とか考えずにただただ考えていることを一部書いてみました。

 

結局書いてみて、勉強のことよりに人間関係のことを書いている気がする…。いい意味でも悪い意味でも、先輩たちは「G10(高校一年生)が一番大変」と言います。

「勉強はG10がめっちゃ楽だから遊んでおいた方がいい。でも、人間関係とかを含めて学校に慣れなきゃいけないから、そう言う意味ではG10が一番大変。」と。

誰もが経験することだと思えば、これを通じて先輩みたいにコミュニケーション力が上がるかも…!人と話すのが上手くないので、それが楽しみです!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。今日は読み手を気にしない、と決めたのに、ここに「読む人のことを考えていなくてすみません」って書きたくなるのはなんでなんでしょうね(笑)。とりあえず、充実していることに間違いはありません。今ある少しばかりの日常生活のしこりを、どんどん楽しみに変換していきたいですし、それがすでに楽しみです!

 

 

追記(9/23)

ちょっと昨日あげたブログがネガティブだったかな、と思い、戻ってきました。でも見返してみると、自分でもセーブしながらかけている気はします。所々言葉遣いは直しましたが、あまり変えないでおこうと考え直しました。

今日、今まであまり語力的な問題で楽しめていなかったクラスを新ためて受けて、ひと月前より理解力が上がっていることをなんとなく感じられました。まだまだわからないところもいっぱいありますが、少しずつ順応していっている気がします。

学校の勉強もそれ以外のことも、ブログを書くことも頑張りたいです。同級生の中には尊敬している文章の書き手さんもいますし、嬉しいことに新しく文章を書き始めた人もいるので、そう言った人たちからいろいろなものを吸収して、自分の中に生かせていけたらなと思っています。

この記事は本当にまとまりのない文章ですが、こんな文章でも目を通していってくださる人たちがいることがありがたいです。本当にいつもありがとうございます!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

『星の王子さま』やっと読みました。読了感想文

 こんにちは。やっと土曜日だ〜〜〜!!この頃一週間が早すぎて、もう休日?!って感じです。ついこの前土日だったのに…。ちょっと忙しい時もありますが、まあ楽しくやっています。

追記:ブログを書き終わったのは日曜日。もう明日から学校か…。休日って過ぎるのが本当に早いです(泣)

 

今日は、短めの記事にはなると思いますがブクレポを書いていきたいと思います。読んだ本は、あの有名なサン=テグジュペリの『星の王子さま』です。

 

 

これ、やっと読めました…。

実は、ずっと今まで読んでいなかったんです。親も普通に読んでいるし、色々な人が名作に挙げているし、読まなきゃな〜とは思っていたんですが、読んでいませんでした。有名すぎる本って、私なんか逃げちゃうんですよね。ハリポタもそうでしたし、他の本もそうでした。でも、大抵読んでみたら好きになるんです。

 

この本は、ISAKの先輩と話している時に題名が出て、ちょうど先輩が持っていたので借りて読めることとなりました。ありがとうございました!

こういう、周りの方からの力を得て新しいものに触れられるって本当に素晴らしいと思います。記憶にも残りやすくなるし、自分が触れたいものもさらに多くなる。自分も、そうやって誰かに暇な時間の選択肢を提供できるようになればいいな〜と思いました。

 

星の王子さま』は、サン=テグジュペリの作品。サン=テグジュペリは、本名が長かったり経歴がかなり面白い方だったりするので、ぜひWikiさんをのぞいていってください!

もともとパイロットだった方で、26歳ごろから作家活動も始めています。パイロットとしての経験をもとに、事故で亡くなられる前に書いたのが『星の王子さま』です。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ - Wikipedia

 

星の王子さま』は、操縦士である「ぼく」が語り手です。サハラ砂漠に不時着して、周囲には誰もいない中で水も残り少ない。そんな絶望的な状況で、翌日「ぼく」は1人の少年と出逢います。

 

少年は、ある星からやってきた「王子様」でした。王子様の星は家くらいのおきさで、火山やバオバブの芽、そしてとっても綺麗な、世界に一つしかないだろうと思うほどの一輪の花。

王子にとって、唯一の話し相手ともなるその花は、大切な存在でした。しかし、わがままで気まぐれなその花を大切にしたいと思えなくなってきた王子様は星を去り、旅をすることにします。別れの挨拶の時、花は王子様を責めませんでした。弱々しい態度だったのです。王子様は戸惑ったまま、旅に出ました。

 6つの星を巡って、たった1人で住んでいる「王様」や、「大物気取りの男」「酒浸りの男」「実業家」「点灯人」「地理学者」などの、いろいろな人に出逢います。

でも、周りを従わせないと気が済まない人や褒めてもらわなければいけない人、数えて所有することが生きがいの人、自分では探検しないで文章だけで生きる人、そう言った人たちに出会って王子は旅を続けることにします。

 

そこで向かったのが、七番目の星「地球」でした。

王子は地球に降り立って、最初にヘビに会います。

そして、火山を見たり人間の庭をみたりします。そこで、自分の惑星よりも高く、立派な火山がいくつもあることに王子様は驚きます。さらに、世界に一つしかないと思っていた、あの星に残してきた花が何千本も植っている「ばら」だったことを知り、少し悲しい気持ちになってきます。

 

そんな時に王子はキツネと会いました。一緒に遊ばないかと王子は聞きますが、「仲良くないから嫌だ」と断ります。

しかし、キツネは「あるものとそのものが同じ形をしていても全く違う感情を抱くことができる」と言います。ここで、王子は自分が残してきたバラが「大切なもの」だと認識します。

キツネは王子に友情について教えました。

 

「ぼく」は、壊れた飛行船の修理をしながら王子の話を聞いていましたが、水の蓄えがとうとう尽き、王子の提案で井戸を探し回ります。

奇跡的に井戸が見つかり、また飛行船も治り、「ぼく」は王子に知らせに行きました。

 

王子はその時ヘビと話していました。王子の星に帰る方法を話していたのです。

その後、ヘビは王子を噛み、王子は倒れます。翌日「ぼく」があたりを見回しても、王子の姿はありませんでした。王子様は、自分の星へと帰っていったのです。

「ぼく」はそれから夜空を見ると、王子様の言葉を思い出します。なんだか、王子様が笑っているような気もするし、悲しい時に夜空を見ると王子様も泣いている気がするのです。

 

 

 

…というのがこのお話のあらすじ。

星をさるときは「大切なもの」が何か気づいていなかった王子様ですが、「ぼく」と出会うまでに花に対する思いを変えていき、同じものだとしてもそのものに対して「むだにした」時間が大事だと学んだのです。

 

「ぼく」が昔書いた、ウワバミの中にいる象の姿。

一緒に話して、たくさん世話をしたバラの花。

「ぼく」があげた、少しの水。

王子様と会ったことで変わった、「ぼく」の空の見方。

 

全て、その経験によって価値が変わったものです。関係性を築き上げれば、そのものは自分にとって他とは違う大切なものになるのです。

それは、このキツネの言葉によく表されています。

 

心でみなくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。

 

 

このお話は、読んでいて心に染み入るというか、じんわり癒されるようなお話でした。

今までなんで読まなかったんだろう…。

 

初読は、すごい時間をかけて読んだんです。勧めてくださった先輩や、もう読んだことのあった同級生が「ゆっくり読む本」と言っていたので。

 

たった150ページちょっとの本に、1時間〜2時間かけたと思います。最初は本当にゆっくり読んでいたので、50ページに30分という今まででは考えられないような時間になりました。

どちらかというと読むのは早い(日本語限定!)ので、この数字は私の中では本当にびっくりな数字です…。

 

そして、解釈とかそこまではいかずに、読んだままの余韻に浸りました。私の中ではかなり長く浸った方です。ちょうどその時にチャットしていた同級生にも、普段は感想だったりオタク的なことをドバーッと喋る(本当ごめんなさい。迷惑だったら言ってください。)んですが、この本の感想はあまり喋らず。

ふとした時に、しみじみと語るのが一番あっている本だと思います。

 

二読目で、中身を咀嚼。解釈を始めました。物事の関係性を繋いだり、セリフを抜き出したり。

そして、今このブログを書く途中に三読目を終えました。

 

綺麗にまとまった感想を書こうと思ったら、書けると思うんです。

 

今、大事にしなくてはいけないものはなんなのか。

本当に大切なものはなんなのか。

6つの星であった大人のようではなく、子供のように大切なものは見つけられるはず。

そのものが消えたとしても、そこで築かれた関係性は消えないこと。

 

まとめられる要素は多いはず。

でも、この本を読むときに「ああ、こうやって関係性を大事にしようって教える本なのね」と思ってもらいたくありません。

穿った見方をしてもらいたくないし、穿った見方ではなくても最初から色眼鏡をかけてもらいたくないです。

 

この本は、子供が読んでももちろん好きになれるお話ですし、私が一番おすすめしたいのは大人の方に、です。

このお話の中に出てくる6つの星の大人。この大人たちは、王子様にとってみたらよくわからない存在として描かれています。でも、この6人の大人たちの気持ちも少しわかるんです。

 

自分の見えを気にしてしまう気持ち。

自分が褒められていたい気持ち。

自分の恥ずかしさを忘れたくなる気持ち。

仕事のことしか気にできない気持ち。

 

どうしても感じてしまう心や気持ち。そう言ったものが表されているため、同情するというか、自分自身も批判されているような気持ちになるのです。私ですらそうなのですから、社会人として生活されている方々もそうなんだと思います。

 

でも、それは避けられることなんでしょうか。少なくとも今は、私は避けられるものだと思っていません。だから、こういう気持ちを持っていると認知することが、重要なんだと思います。

そういう気持ちがあるのは、もうしょうがない。

でも、そういう気持ち以外にも持てるものはあるはずです。忙しすぎて、やることが多すぎて、余裕を持てなくなっている人に、自分はこの本の中の6人の大人よりも豊かな人生を送っていると確信を持ってもらえるような、そんな役割をこの本は果たしてくれたらいいなと思いました。

 

もちろん、この本を読んでどう感じるかはその人によるものですし矯正できるものでは決してありません。

だけど、少しもこの本を読んで一息ついてもらいたいです。

しみじみと入ってくる話だと思います。

自分が批判されているような気持ちになっても、最後にはこの話を好きになるんじゃないでしょうか。なってくれるといいな、と感じています。

 

 

星の王子さまには、色々な解釈の仕方があるのでしょう。サン=テグジュペリ自筆の有名な絵からも、読み取れるものは多そうです。

そうやって読み解いていくのは、また今度時間がある時に挑戦してみようと思います。

今回は、とりあえず本を読んだ後の感想を書くだけの記事として。

面白いことに、話の展開が早い話の感想を書くと、書いている間も指がダーっと動くのですが、こうしたゆっくりしたお話の感想を書くと自分自身も落ち着いて書いている気がします。

お話のテンポが気分に直結しているのかと思うと、なんだか不思議です(笑)

 

 

ということで、今回は「星の王子さま」の感想を書いてきました。

少しでも興味を持っていただけたら幸いです。

本当は、一週間に2回くらい更新できるといいな〜と思っていたのですが、残念ながらすでにもうできていないという…。

最低一週間に一回での更新を目指していこうと思います!頑張ります!

 

文章を書くというのは、自分でもリフレッシュだったり休憩になるので、とても楽しいです。

 

そして、コメントについて。ブログにコメントをくださる方が時々いて、本当に嬉しいです!!

疲れている時などに、いただいたコメントを読み返してみると本当に勇気が湧きます。決して自分のブログが多くの人に読まれているとは思っていないけど、その中で私のブログを見つけてくれて、しかもコメントまでくださる人がいると思うとありがたいです。

返信はもちろんしますが、あまり記事を更新する時以外ブログを見ないので、反応するのが遅くなる場合があります。そのときはすみません!!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。これからちゃんと更新できるといいな…。また少しずつ、ISAKでの生活やブクレポなども書いていきたいです!

『学校図書館をハックする』感想

 こんにちは。

今回あげる記事は、ISAK入学前に書いていた記事です。私も書いたのが割と前のことなので、思い出したこともあれば首を傾げたところもありました。ぜひ読んでいってくだされば嬉しいです!

そして、この本を貸してくださった方、この本について教えてくれた方々、本当にありがとうございました。このエントリを書いた当初はあまり乗り切れないところもありましたが、時間を置いてから咀嚼してみると自分の意見とこの本の書いてあることを対比させたり、深く考えたりできるようになりました。とても面白い本です!

 

 

今回は、本の感想ということで『学校図書館をハックする』の感想を書いていこうと思います。少し短めの記事となります。

 

 

 

目次

 

 

内容紹介、著者紹介

それでは、まずはこの本の内容紹介と著者紹介へ。

 

正式名称は学校図書館をハックする:学びのハブになるための10の方法』です。

著者は、クリスティーナ・A・ホルズワイスさんとストーニー・エヴァンズさん。

訳者は、松田ユリ子さん、桑田てるみさん、吉田新一郎さんの3人です。

 

松田ユリ子さんは、この前本の感想を書きました。『学校図書館はカラフルな学びの場』という本ですね。かなり新鮮というか、ロックというか、読んでいて驚くような学校図書館を作られていました。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

桑田てるみさんの名前も聞いたことがありました(その方の文章を読もう読もうと思いつつまだ手が出せていない状態です)し、吉田新一郎さんの名前も存じ上げています。

 

まだ興味を持って日が浅い私でも3人ともの名前を知っているというのは、ふたつのことが連想されると思います。

 

一つは、そもそもこの業界が狭いのかも、ということ。著名な方だったり、本を出していたりする方がかなり限られて来るというか、いろいろなところで縁ができやすい業界なのかもしれません。

 

そしてもう一つは、私が同じような意見のものばかり読んでいるのかもしれない、ということ。これは、私がこれから関連書籍を読まない限り打破できないものとなりますが、この可能性も忘れてはいけないと思います。実際読んだことのある本がそこまで多いわけではないのですから。

 

 本の内容としては、学校図書館を学びのハブにするために何ができるのかを、「ハックする方法」として10に分けて書いています。

それぞれ、

  1. 学校図書館のスペースを変える
  2. 方針、手順、慣習を見直す
  3. 図書館工房を作る
  4. 学校図書館で生徒リーダーをエンパワーする
  5. 図書館プログラムをイノベーティブにする
  6. 一人一人の生徒を生かす授業支援を行う
  7. 夢の学校図書館を作るために、創造的な資金調達の方法を考える
  8. 学校図書館の重要性を主張する
  9. グローバルなつながりをつくる
  10. いつでもどこでも読むことを称える

の10個です。

 

それぞれの題について著者の二人が自分達やその他の学校の例を出しながら解説しています。

内容については、もう先ほど書いた十の文が表しています。

 

 

感想:面白かった部分

感想を書くのが、少し難しいです。

学校図書館について学ぼうと思ったら、この本はかなり読んだ方がいいのかも。

ただ、私のイメージする図書館とは全然違うんです。

 

みていていいな〜と思ったのは

 

学校図書館も、家庭のインテリアのように考える。多様な目的に沿うようなデザインにする。

 

本があるだけではなく、メディアを通じれインプットとアウトプットを行う場所。

 

本があって司書がいればいい…だけではない。

 

待ってるだけではなく、司書の側から教室へ。先生とも友好的に。先生の力(先生が紹介した本が借りられた、など)を先生に伝えれば、より協力的に。

 

座って静かに、ではなく、活気ある学びの場にする。

 

多種多様なリソースを持つ(学校にいる子供の第一言語の本を一冊以上は揃える、など)。

 

本の倉庫、貸し出しの場所以上の役割を担う。

 

医学年の生徒や、スカイプなどを使って世界中の生徒と「読み友」になる。

 

あらゆる形の読む姿を讃え大切にする。

 

 

などなど。

全部、なるほどな〜と思った部分です。

 

要約すると、

本があるだけの空間ではなく、生徒や教員がいろいろなものに触れて、図書館を居心地の良い空間として認識することが大事。インプット・アウトプットの場にする。

 

って言った感じでしょうか…。超力技のため、ちゃんと読んでください(笑)

そのための方法として、10のハック術が書かれています。

 

 

読んでいて、とても面白いな〜とは思いました。訳者のうちの一人、松田ユリ子さんの本を読みましたが、その本と少し似ているところはあったような気がします。

 

 

感想:考えた部分

ただ、やっぱり少し引っかかったところはありましたね…。

なんというか、私は本が好きなんです。

本が好きで、「本の倉庫」だった図書館も大好きでした。

 

でも、ここまで「本がある場所」としての図書館を出さず、「本以外のものがある場所」としての図書館を見ると、「本がある場所」を否定されたような気がします。

 

もちろん、そんなわけないはずです。本を読むことに対する記述もあったし、これは私が一部一部を捉えた上で出た感情です。だから、「本を大切にしていない」本だなんて思わないでください。

そこは前提としてあります!!

 

その上で、「本がある場所」が好きな私としては複雑だったのも確かです。

確かに図書館にいろんな人が来ると嬉しいし、本を身近に感じてくれたらもっと嬉しい。

だけど、図書室内にレゴを置いて遊んでもらうとか、そこまで行くとちょっと複雑になります。

 

これが「昔の常識に囚われている」ということなのかもしれません。でも、そうだとしても私はその「昔の常識」があまり悪いとは今の段階では思えない。

なんか、スペースを分けて欲しいな、と感じます。読書中心のスペースと、コミュニケーションやアウトプット中心のスペースと、自習スペースと。

そうしたら、また「ここのエリアでは静かに」とかができるのかな。それはそれで嫌だし…混乱します!!

 

でも、少なくとも中学生までとかなら本に柔軟だと思うから、あまり遊び要素がいっぱいいるきはしないんです。高校生とかになると、朝の読書も無くなるし遊び要素があった方がいいかも。

 

なんか複雑だし、難しいな〜と感じました。何が理想なんだろう。

 

読んでいて面白かったけど、松田ユリ子さんや山本みづほさんの本を読んだときにあった、「この学校図書館に行ってみたい!」という気持ちがすごく多かったわけではありませんでした。

少し難しめの本だった(難しいというか、カタカナ語が訳書なのでどうしても多くていまいちわからないところがあった)からかも。

 

世界中の人とスカイプで読み友とかは面白そうです!ハリポタの感想言い合ったりしてみたい!!言語の壁は国によってどうしてもできますが…。

 

 

それでは、最後に読んでいてとても身に染みた文を一つ。

なんというか、真理だとは思うしそうあるべきだと思うけど、先生を身近にみている人間としてはそこまで要求してやるな…的な感情もありました。

生徒がある程度の水準を要求している授業だったり、生徒指導やらなんやらで手のかからない学校ならこれが普通なのかも。

 

5年前に教えていたことを今も教えているのなら、その分野が終わっているか、もしくはあなたが終わっている 

 

ノーム・チョムスキーさんの言葉だそうです。

この本の中で紹介されていました。

そこまで言いなさんな…そりゃそれが理想だけども…

みたいな感じでした(笑)

 

ただ、それを意識している人が一人でもいれば学校の中も変わるのかも?

少し肩身が…とか空気が…とかを気にしなければ、学校司書としての仕事も楽しい(忙しい)ものになりそうです!

こんな授業をしてくださる先生方が多いと、とても楽しそうです!

 

 

最後に

ということで、今回は『学校図書館をハックする』の感想を書いてきました。

 

面白かったし、勉強になったけどちょっと難しいというか、いまいち乗り切れなかったところはあったかも。

また読んでいきたいです。チェックリスト的な用途にして使っても、司書の方には面白いかも。

 

これが学校図書館のみに対応することなのか、それとも公共図書館もこうなってもらいたいと思っているのか、それも少し気になりました。でも学校図書館ならではのことも多くあったので公共図書館は範囲外なのかな。

 

もっといろいろ勉強していきます!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。この本は、知り合いの方にお勧めしてもらったもので、しかも貸していただきました。本当にありがとうございました!

 

 

学校図書館関係の記事〜

 

chirpspring.hatenablog.com

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爆発ってなんだろう 〜圧倒された大きな絵から〜

今週のお題「爆発」

 

 

 こんにちは、うぐいすです!今日もみなさんお疲れ様です。

学校も対面授業が始まりましたが(対面授業始まって3日目に書き始めています)、英語が本当にわからない…。ある程度は分かるんですが、自分の意見も言いにくいし、知っているはずの英単語が出てこないし。理解語彙と使用語彙って本当に違うんですね。ちょっと大変かもしれないです。でも、文明の力のおかげで翻訳がすぐにできるのでとても助かっています!

ただ、一つ問題があるのは、「自分が聞かなければいけないことだ」と分かっていれば注意を傾けていられるんですが、他のことをやっているときに遠くから呼ばれる(特に名前でない時)と、注意を払っていないので本当に気が付かないです。慣れなきゃな〜って感じ。

 

 今回は、はてなブログのお題にそって書いていこうと思います!お題は、「爆発」。

 

爆発…

なんだろう、私の中で爆発というと、物理的な爆発と心理的な爆発に分かれます。

たいてい、心理的な爆発だとそれはネガティブに捉えられることが多いですよね。

私も今新しい生活の中で少しずつ気が付かないうちに鬱憤が溜まっているはずです。それがリミットに達すると、それは「爆発」となります。

 

私は大抵体が「そろそろ危ないよ〜」って教えてくれるんですが、本当にイライラが溜まって窓とか森から叫んでる人も見たことがあります…。

 

はてなブログのサジェストを見ると、「芸術は爆発だ」っていう言葉がありました。

これ、とてもよくわかります。

私は自分に芸術(特に絵画など)の才能があるとは全く思っていません。でも、ルネサンスの絵画がとても好きなのである程度見たことはあります。

その中で、一つだけ5年以上経っているのに忘れられない絵があります。

もちろん今までに見てきた絵の中で、印象に残ったものはいっぱいありました。どの美術館にも素晴らしい絵がありました。思い出せるものはたくさんあります。

 

でも、最初にパッと見た時に体が硬直するような、圧倒されるような感覚を味わったのは

ミケランジェロの「天地創造」と「最後の審判」、『システィーナ礼拝堂装飾画』と呼ばれるものです。

記憶補正が入っているのかもしれませんが、この絵は圧倒されました。

あれを見ることができただけでとても嬉しいし、自分の中でも大きな糧となっているだろう、と思っています。

だからと言って私がこの絵が一番好き!とかではない(一番なんて決められない…)のですが、それでもこの絵は特別です。

 

こんなに精密で、人の心を捉えて離さないものがあるなんて…。5分しかその時は中にいられなかったのですが、できることならもっと見ていたかったです。本当に圧倒されます。

 

芸術は爆発だ」という有名な言葉に、これをそのまま照らし合わせたいわけではありません。この絵では何かが爆発している、と言えるほど私は絵画に詳しくありません。

でも、もしも「爆発」の派生に「圧倒」があるなら、あの絵は実際に「爆発」していると思うし、それを見た人の何かを爆発させる力もあると思います。爆発を引き起こす、といった力。

 

その力は、決してミケランジェロの礼拝堂天井画のみにあるわけではありません。

素晴らしい絵画作品はたくさんあります。

いわゆる三大巨匠(ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロ)の他にも、素晴らしい芸術作品、圧倒される芸術作品はたくさんありました。

見ているとゾワゾワしてしまうような絵から、感嘆のため息を上げずにはいられない彫像まで、たくさんあります。

 

そういった「爆発」の末にできた芸術作品を見ることができる、感じることができるのは本当に贅沢なことなんでしょうね。

 

贅沢と言えば、この前同級生に数学を教わっていたんです。

面白い問題で、ずっと解いていたのですが、その同級生がピアノも弾ける人で、ピアノの音をBGMにしながら数学を解いていました。もともと私が数学を楽しんでいたということもあるかもしれませんが、あの空間は本当に贅沢なものだったと思います。

まだそれに対する感謝を言っていないので、この後でいう予定!

 

そのピアノとかを無理に「爆発」に繋げようとしているわけではありません。

何かを「表現」することと「爆発」させることは違うと思います。でも、その二つは限りなく近いのかも。

自分の中に溜まって行ったものを、絵や音、言葉を使って発散させている。それは、爆発の一歩手前なのでは?

発散させずに内にあるものが溜まりに溜まった時、「爆発」という形になって現れるのかもしれないです。

 

なら、私が今書いているこの文章も、今は「発散」ですが、本当に言いたいことが溜まりに溜まった時は「爆発」になるのかもしれません。その違いは読み手に毎回わかるわけではないかもしれないし、自分が「爆発させよう」と思っているわけではないので自分にもわからないのかもしれない。心に残るものが「爆発」したものなら、爆発は至る所でおこっています。

爆発している、と他人が感じられるもの。それを作り上げるのは本当に難しいんだと思います。でも、ふとした瞬間や、意識していない瞬間にも出来上がりそう。

 

…「爆発」ってなんなんでしょう。物理的な爆発の答えを聞きたいわけではありません。

感情の爆発って、定義できるんでしょうか?

できない気がしてきました。同じような文章を書いた時、ある人にとっては「発散」でも他の人には「爆発」なのかもしれません。その違いは、その時に起こった出来事、その人の感情、思い、バックグラウンド、いろいろなものによって構成されます。

 

受け手が「これは爆発している」と思った絵や音でも、その発信者は「発散」のつもりなのかもしれない。

その逆もまた然りです。

 

「爆発」が定義できないなら、「爆発しているもの」も定義できません。

全てを「爆発」とできるわけではないと私は思っていて、「発散」「爆発」(もしくはその他も)と、レベルを分けた方がいい感じているからです。

 

だったら、私が今読んでいたあの文章、私が見ていたあの絵画、あの時に訪れたあの彫刻、あれは「発散」だったのかもしれないし、「爆発」だったのかもしれない。

自分がそこから得たものは必ずあるはずだけど、もしもそれが「爆発」の結果だったのだとしたら、もっと感じることがあるのでは?

 

昨日読んだあの本。ただただ楽しんで読んだけど、あれのなかに作者が「爆発」させたかったものがあったと知っていたら、もっと深く読めたのでは?

 

何が「爆発」で、何が「発散」なのか。その違いがわからないなら、全てのものに「爆発」による副産物である可能性があります。

 

 

ここで、「だから、全てのものにその可能性があることを理解して、尊重していきたい」みたいな文章を手が書こうとしていました。

 

でも、そう言った結論でこのブログを閉じたくないです。

 

思いがけず、こんなに考えることができました。

このブログは「爆発」の結果ではないと思っているけど、自分で意識しないままにここまでのことを考えることができたし、要領があまり得られないとしてもこの考えは決して無駄ではないと思います。

自分の経験談から疑問を出して、それを定義しようとして、ある程度の答えを出した。

哲学サマーキャンプでの経験が生きているのかはわかりませんが、こう言った文章が書けたことが嬉しいです。

 

だから、私の中で出した結論はしっかりとは書かないでおいて、このままブログを終わろうと思います。

というか、私の出した「尊重したい」結論は、決して悪いものではありません。月並みな言葉だとしても、それが月並みになっている意味があります。

だから、別に私の出したその答えが「いい子ぶっている」とか思っているわけではないんです。

 

だけど、ここで思いがけず「爆発とはなんだろう」という一つの疑問が生まれたんがから、これからも疑問が生まれていくことはあるはず。

それなら、ここで結論をつけてブログを閉じずに、考える余地を(主に自分のためでもあるけど…)残しておいた方がいいのでは、と思いました。

 

ここまで読んでくださった皆さんは、どう思ったでしょうか?

「これは感情が爆発していたな」、そう思う芸術や、その他のものはありますか?

私はたくさんあります。音楽、絵、文章、写真、スピーチ、、、。

そう言ったものから考えられることがあったら考えて、ただ浸っていたかったら浸って。享受できるものがあるのなら享受した方がいいと思います。

何か「爆発」に関する考えが、少しでも頭の中によぎってくれたら幸いです。

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。まさか、こんな記事になるとは最初は思っていませんでした。この記事を「爆発」だとはあまり思いませんが、そう思ってくださる読者の方がいたりして…。それはとても恐れ多いけど嬉しいですし、正解も不正解もありません。こういう思いがけない文章、考えが生まれるから、やっぱり書くことは楽しいですね!次の記事も読んでいただけたら嬉しいです。