こんにちは。この頃、色々と予定も詰まってきて正直少し大変…。でも、やり始めたことはしっかり全部終わらせるのが当たり前です。頑張っていきます!
今日は、今まで書いてきた太宰治の作品の感想をまた書いていきます。
これまでに、短編集『女生徒』の感想として
表題作の『女生徒』の感想、
『燈籠』『皮膚と心』の感想、
『きりぎりす』の感想
を書いてきました。
今回感想を書くのは、『千代女』の1作にします。
短編集紹介、著者紹介
まずは、あらすじ紹介と著者紹介から。これは、『燈籠』などの感想を書いた記事からコピペしてきます!
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それでは、まずは短編集の内容紹介と、著者紹介へ。
短編集は7編仕立てとなっています。以下の通りの順番です。
- 女生徒
- 燈籠
- 皮膚と心
- きりぎりす
- 千代女
- おさん
- 饗応夫人
どれも、女性を主人公とした作品で、悩みや日常のことについてを描いています。
前回紹介した『女生徒』という作品は、14歳の女生徒が朝起きてから夜寝るまでに考えたことを告白体で書いた作品でした。
著者は、太宰治です。太宰はもう有名ですね。
教科書題材でも『走れメロス』は定番ですし、『人間失格』という作品も題名のパワーがすごいので印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
青森県出身の作家で、戦前から戦後ぐらいにかけて活動しています。自殺未遂や薬物中毒などかなり破天荒というか、クセの強い人生を送ってきています。
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『千代女』のあらすじ
さて、『千代女』のあらすじを書いていきます。
主人公は今18歳の「和子」。
「柏木の叔父さん」が、7年前和子の綴方を雑誌「青い鳥」に投書したところで物語が動き始めます。
12歳の時、投書した作文が一頭に当選し、和子は選者の偉い先生に絶賛されました。
学校の先生もどんどん和子の作文を褒めるようになります。
絶賛が続き、クラスの友達は急によそよそしくなりました。一番仲の良かった人まで、「一葉さん」だの「紫式部さま」だのというようになる。
その環境がとても嫌で、どんなにおだてられても決してまた投書をしようとはしませんでした。
綴方を無理やり投書させた叔父さんに、何かにつけて小説を勧められたりするのも嫌で、小説を嫌いになりました。
小学校を卒業すると、当選について知っているものは中学校にいなかったものの、柏木の叔父さんはずっと投書を進めるし、不祥事で学校を辞めた小学校の頃の先生が押しかけてくるしで、和子はまた綴方を始めなければいけないようになります。
和子自身は、それに対して乗り気ではありませんでした。
でも、学校を卒業して時間ができると急に暇になり小説もよく読むようになり、自分から綴方を書くようになります。
時すでに遅し、といった感じでしょうか。書いてみても、あんなに熱心だった叔父さんすら苦笑しながら忠告めいたことを言うように。
最後はこうやって閉められます。
どうしたら、小説が上手になれるのだろうか。
きのう私は、石見先生に、こっそり手紙を出しました。
七年前の天才少女をお見捨てなく、と書きました。
私は、いまに気が狂うのかもしれません。
感想:誰が悪かった?何が悪かった?
読んでいて、不思議な感じでした。
文章はとても伝わるし、「私」の気持ちも事細かに描写されていて、それでもくどくなく、読みやすかったです。
太宰の「女語り」と言うんでしょうか。女性の一人称で進む小説には、もう何編か触れたので慣れたと思っていました。
でも、なぜかはわからないけどそれぞれの話で纏っている雰囲気が違うように思えるんですよね。
多分、情景描写だったり話の筋だったり、あとは登場人物の性格の書き方が影響していると思うのですが、今度じっくり原因を探してみたいです。
文章自体はすごいなと思うのですが、話自体は捉えどころのない感じもしました。
周りに褒められることがとても嫌で、期待に応える気もない。
だけど、嫌よ嫌よと言ううちにそれしか自分にない気になってきた。
そこで乗り気になってみれば、最終的には何もできず、才能なんてなくなっていた。
読んでいれば「気の毒だな」とは思いますが、誰が悪いと言うわけでもないと思います。
もちろん、投書で絶賛されたクラスメイトをいじめるのは悪いことでしょう。
褒められた生徒をここぞとばかりに絶賛して、いじめに拍車をかけるのも結果的には悪いことでした。
でも、褒められて逆に自己嫌悪に起こることもよくあるでしょうし、さらには褒められた身内をことさらに褒めたくなることもあるはずです。今まで仲よかった子が急に色々な方面から褒められるようになれば、それが嫌になることもあり得ると思います。
だから、誰が悪いとは言えない話です。
それでも、結果的に18歳の和子は小説を書けなくなり、才能もないと見放されてきました。
強いて言うなら、タイミングの問題だったのかもしれません。
和子の周りの人たちは、和子の投書が選ばれたことに湧きたち、「この子は綴方で有名になれるのでは」と思うようになりました。
和子がそれを否定し続ける間に、和子の周りの人たちは長い時をかけて落ち着き始め、「本当にこの子には才能があるのか、まぐれとかではないのか」と冷静になり始めます。
それで7年後に和子がまた作文を書き始めると、今度は客観的に作文を観れるようになり、特に応援はしなくなります。
反対に和子は、自分が疎外されることが嫌で(反発精神ももしかしたらあったのかも)綴方を特にやりたくはありませんでした。と言うか、嫌いでした。
それでも自分が学校を卒業して何も残らなくなると、何か誇れるものが欲しくなります。そういったときに、昔周りに言われた言葉やおだてられたことを思い出し過去の栄光にもう一回すがりつこうとします。
周りの熱が冷めたことをなんとなく感じてきた和子は、自分がそれにすがりつき過ぎていることに気付きながらもそれが止められません。
だからこそ、和子は最後に「気が狂うのかもしれません」と言いました。
才能はどこで消えたのか。話を読んで残るものは?
12歳の時は、和子にも作文の才能があったんだと思います。
だから作文が一等で当選して、絶賛されてきたのでしょう。それがなくなったのは、和子が綴方を毛嫌いし始めたからなはず。
それでは、その才能はどこでなくなったんでしょう。
この頃よく思うことですが、「継続」って本当に大事なことだと思うんです。
どんなに特別な才能があっても、大抵の場合は継続しなければそれは開花しません。
文章を書くことも継続が必要だし、勉強にも趣味にも継続は大事になってきます。
それなのに、和子は継続をしませんでした。誰が悪いと言うわけでもありませんが。
だけど、もしも和子が自分に残るものを作りたかったのなら、少しくらい評価に目を向けて、褒めてくれた人たちの意見を聞くべきだったと思います。
どんなに納得できなくてもそれが大切なものなら、褒められたことを否定せずに褒められたことは受け入れるべきだと思っています。
そうして、自分で納得のいく文章をかき、それこそ有名な人にご指導を受けたりすれば、結果的に大成しなくともなんらかの経験が自分の中には残ったはずです。
ただ、それは結局のところ結果論です。この話の中で和子は大成しないでしょうし、この後どうなるのかもわかりません。よくある話、想像しやすい話、救いのない日常の話。そういった話でした。
この話を読んで残るものといえば、自分にとっての教訓、が一番強いと思います。
チャンスのきっかけは自分でつかむ
継続は力なり
評価は素直に受け取る
そういったものが状況のせいもあって足りなかったから、和子は成功しませんでした。
自分の中に何かを残したかったら、和子にならないように頑張る。
和子にもこれから、何かを見つけて頑張ってもらいたいです。
「失敗談から何かを学ぶ」といった話だったと思います。
話から、当時のジェンダー的な時代背景も少し読み取ることができました。そういった意味でも、読んでいて楽しかったです。
最後までお読みくださりありがとうございました。まだしっかりよみなおせていないので、ほぼ初読に近い感想です。次はもう少し中身のある感想をかけるように頑張ります!