うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

小川糸さん『キラキラ共和国』あらすじ・感想

 こんにちは!

今日で、ISAKに入学してから2日目!今日はいろいろなミーティングがあって、明日から授業となります。楽しみです!でも、やっぱり英語での会話は頭を使う…。

 

また、一つお知らせがあります。

コメントで、ISAKに関することを聞きたい、というものが来ました。以前から考えていたことではありますが、このブログ用の連絡先を、このコメントをきっかけに作成しました。下記の通りですが、はてなブログのプロフィールなどにも載せておきましたので、気になる点などのご指摘や、感想など、何かあったらご連絡ください。いつもこのブログをチェックしてくださりありがとうございます。

→ chirpspring.hatena@gmail.com

 

*このブログ(本文)は書き溜めておいたものです

 

 今日は、以前読んだ小川糸さんの『ツバキ文具店』の続編、『キラキラ共和国』 の感想を書いていきます。

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目次

 

 

あらすじ紹介

 まずは、この本のあらすじから。

この『キラキラ共和国』は、『ツバキ文具店』の続編です。

 

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 主人公は雨宮鳩子。ポッポちゃんという愛称でも呼ばれています。

前作では、いろいろな人の代書を書きながら、先代である祖母との間の確執を思い起こしていくぽっぽちゃんの様子が描かれていました。

 

今作では、ポッポちゃんはミツローさんと結婚します

ミツローさんには「はるな」という娘がいて、以前は3人家族で仲良く暮らしていました。しかし、そこでミツローさんのパートナーであった美雪さんが、通り魔に刺され殺されます。

 

 はるなちゃんの愛称はQPちゃん。

QPちゃんとポッポちゃんはもともと仲がよく、その縁もあってミツローさんはポッポちゃんと再婚。

 

そして、ポッポちゃんはQPちゃんとも仲良くしながら家族の一員となっていきます。

 

ポッポちゃんにとっては、もともと仲良くしていた子供とはいえ、娘になったQPちゃんを名前で呼んでいいのかなど、いろいろな悩みはありました。

新しい生活を始めるんだから、当たり前ですよね。

 

この話では、そういったポッポちゃんの新しい生活と、そこから思い出される祖母との生活。

そして、代書屋としての仕事を描いています

また今作でもなかなかクセのある代書が多く、読んでいて面白かったです。

 

感想

感想を書いていきます。

この話では、ぽっぽちゃんの成長なども見られて、楽しかったです。

思ったのは、ポッポちゃんも一人の人間なんだな〜ということ。

今までも、先代との確執など、ポッポちゃんが困っていたことは書いてありました。

でも、代書屋という私には少し想像できない仕事だからこそ、そして「先代」という耳なれない言葉だからこそ、どこか本の中の人物、といった感じでした。

 

それがここでは、結婚とそれにまつわる悩み。突然結婚したら一児の母になるというのもよくあることではないかもしれませんが、新しい環境への悩みは誰もが考えることです。

 

だから、よりポッポちゃんが身近な存在になった気がしました。

 

QPちゃんと接していくうちに、あの時の先代はこうしていたな、と追体験をしているような気持ちになっていく。

これは、親になった人ならある程度は考えることなのかもしれません。

 

親はこうしたから私もこうする、という人がいれば、

親はこうしたから私は違うようにする、という人もいるでしょう。

私はまだ人を育てたことがないのでわかりませんが、親になった人や、ポッポちゃんのように「再婚相手」になった人などは読んでみると身に染みるかも。

 

「QPちゃん」から「はるなちゃん」になる経緯も好きでした。

もう、うじうじ考えないで思いっきり行動してみることが大事!!

 

そして、代書屋として美雪さん(ミチローさんの前妻)に手紙を書きます。

いろいろなアクシデントや、ちょっとした緊張感もあったからこそ、これからのポッポちゃんたちが楽しみです!

 

 

他のアクシデントも怒っていました。

「レディ・ババ」と呼ばれる鎌倉では少し悪い方向で有名な人が現れ、「私が鳩子の母親だ」とお金を要求してきたのです。

ずっと先代に育てられて、母親の顔なんか知らない鳩子からしたら青天の霹靂です。信用もできるわけがありません。

このシーンは、読んでいて身に迫って来る緊迫感があり、読んでいてちょっと怖かったです。本当にこんなことが起こったら…考えたくもありません。

 

 

また、先代のペンフレンドだった静子さんとの新しい絆も。

こうして、電子メールではなく繋がっていく縁というのも綺麗だな、と思います。静子さん側から見た鳩子さんと、先代との関わりを記したものなども読んでみたいな〜と思いました。

 

柔らかい言葉で、どこまで行っても心が浄化されるというか、休まる感じがします。読んでいて「ほわあ〜」と癒される感じがする。

 

ただ、前作よりも「新しい生活」と「自称母」関係で少し緊張する部分が多かったかな。

 

 

血が繋がっていなくても良好な関係の家族にはなれるだろうし、繋がっていても家族の縛りに悪い方向に囚われてしまうことがある。

人間関係って難しいな〜と。

 

 

そして、忘れてはいけないのが「代書」という部分。

先ほども少し書きましたが、今回もなかなか癖がありましたね…。

 

ずっと夫らしいことや父親らしいことをせずに迷惑ばかりかけて、そして交通事故で死んでしまった夫からの手紙。

 

夫への三行半を書いて欲しいという女性もいれば、

その三行半を代書した店とは知らず離婚を思いとどまってほしい、という内容の代筆を所望する男性。

 

代筆屋って大変ですね。新婚でも、離婚のための手紙を考えなければいけないんですから。

 

かと思えば、とても寡黙な女性に頼まれた「告白の手紙」。

8日しか生きられなかった子供の、喪中葉書。

さらには、川端康成からの手紙が欲しいと言う願いまで。

 

癖が強かった…。

 

川端康成以上の人を見つけられず、独り身で過ごしていた女性が「人生の最後に、甘い夢を見せてもらえたら」と川端康成からの手紙を所望していました。

なんとなく川端康成の字と似ていたかな…?予想外すぎて面白かったです。

 

死んだ人から手紙がもらえるとしたら、誰から…?

私は、まだ身近に亡くなった人がいないため、今はその権利を使いたくありません。

だけど、大きくなってからは必ずそういった人たちがいるはず。

でも、亡くなってから後悔するよりも、今のうちに連絡が取れる環境なのだから、連絡しておきたいな、と思いました。

 

 

康成は偉人だから驚くけど、死んだ人からの手紙って確かに依頼としてはあるんでしょうね。この本でも、前の本でもあった気がします。

昔、漫画で死んだ犬からの手紙が届く内容のものを読んだことがあります。

 

そういう時には、やっぱり手紙がいいな。いくら誰が書いても書体からは分からなくても、メールではもらいたくないです。

 

 

印象に残ったのは、目の見えない少年が依頼してきた母への感謝の手紙。

ここでは、鳩子は依頼を受けず、その代わりに少年と一緒に手紙を書きました。

 

この代書から家族関係の手紙がどんどん増えていきます。

 

ポッポちゃんが美雪さんを尊敬して、友達になりたかったという言葉。

代書を頼んできた人たちの悲しい事情と、暖かい事情。

 

「キラキラ共和国」を作っていきたいな〜と思いました。

 

住みたいな〜と思うだけでは、住めませんよね。

全員が、互いのことを認めて、愛し合える世界。『キラキラ共和国』っていう題名がとても好きです。

 

最後に:字が上手くなりたい!

ということで、『キラキラ共和国』の感想を書いてきました。

 

最後に思ったことを。

 

字が上手くなりたい!!!

 

一応練習も、時々しています。

昔は苦手だったお習字も、今は割と熱意を持っています。お習字道具を高校の寮に持ってきている(流石にまだ開けてはいませんが)ほどです。

周りの迷惑にならない程度に、字の練習をやっていきたいです。

 

努力すれば、枚数を重ねれば、毛筆も硬筆も上手くなります。

少なくとも、人に見せられる程度のものになります。

それがわかったから、私も書道が楽しくなったのかも。

 

習字を習っていた頃からは考えられません…。

近くに書道家の方がいて、その人に時々習っていたのですが、これからは少しそれも難しくなるでしょう。

でも、オンラインの時代なんですし、できるかな。考える余地がまだまだありそうですね。

 

毛筆もですが、硬筆の練習も少ししています。

もっとやらなければいけませんが…。

今は、時間をかければある程度は綺麗な字が書けるぐらい。綺麗といっても、少しは丁寧、と思えるくらいですから全然特別なものではありません。

だから、横ばいの練習になっているので、少し精度を上げていきたいです。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。また、いろいろな筆跡の手紙が読めて、内容の濃い話もあって、面白かったです。ほんわかした気分になりたい人はぜひ読んでみてください!

林直哉等『ニュースがまちがった日』感想

 こんにちは!

 

*ちゃんと表題の通り本の感想を書くのですが、あまりにショッキングなことがあったため、ここで少し愚痴ります。

 

私は、つい先日『高校生のための哲学サマーキャンプ』に参加しました。そこで、ブログに書こうと思って二日間分のメモをしっかりPCに書いていたんです。そして、私は昨日高校入学のためにこれまで私がメインに使っていた父親のパソコンを初期化して、完璧に私用のものにしてもらいました。

 

…メモが!!!!消えた!!!

パソコンの中身は哲学サマーキャンプの前に全部USBに移していたので、メモを移す必要性を忘れていたんです!!!

同期があんまり好きじゃないので、PCに書いたメモはiCloudに残していないんです…。逆はしていたのに…。

いや、待って、まじでしくじりました。ちょっとこれだと内容のある記事が書けるかすらわからない。本当に失敗した。

しっかり内容書いていきたかったのに…!!!なんてことをやってしまったんだろう…。

なんかもう、自分の注意力のなさに逆に驚きましたよ。

なんてことをやってしまったんでしょうね。自分のためにちゃんと書いておきたかったのに、、、。

ちょっと、今日本当は書くはずだったサマキャンの感想は、もう一回内容を確認してから次の記事で書く予定です。

 

 

はい、久しぶりにちょっと荒れさせてもらいました。ここからはしっかり本題に移ります!

 

今回書くのは、本の感想。久しぶりに太宰以外で、林直哉さんたちが書いた『ニュースがまちがった日』という本です。

 

 

 

目次

 

あらすじ、著者紹介

まずは、本の内容と著者紹介へ。

本の著者は、林直哉さん+松本美須須ヶ丘高校・放送部さんたち。

この本は、松本美須須ヶ丘高校の放送部を描いたもののため、当時放送部の顧問を8年間務めていた林直哉さんと主にその代に放送部にいた部員の方々が協力してできた本となっています。

 

本の中で描いているのは、1994年の松本サリン事件をめぐるメディアの放送に疑問を覚えた放送部が、そのメディアに対して逆に取材をしていくというもの。

冤罪報道がなぜ起こったのか。被害者に対してメディアはどう対応するのか。

同じ松本市内で起こった事件の報道に疑問を覚え、高校生たちは報道記者たちにインタビューをしていきます。

 

いつもはインタビューする側のメディアにインタビューするということ。

その難しさや、ままならなさに直面しながら、証言集を作っていきます。

まずは音声のみで作り、そして代替わりの後にそれをもう一回作り直す。そういった、学校の部活ならではの大変さなども描かれています。

 

教育面でもそうですし、マスコミについての議論や組織としての対応への言及など、いろいろなことが議論できそうな本だな〜と思いました。

 

感想

 それでは、本の感想へ。

 

この本、まず読み終わって思ったのは、「保護者さまお疲れ様…」でした。

今は、オーバーワークがあまり推奨されず、残業などに対する意識もかなり変わってきています。それは、よても良い社会の変化だと思います。

 

でも、この放送部は今の社会だとかなり風当たりがキツくなるかも。

一番遅くなった時で午前4時。

深夜まで残る時もよくあって、晩御飯前に帰るなんてほとんど不可能。

それは、当時だからこそ許されることでしょう。

 

いくら部活動が「自主的な活動」だといっても、限度があります。今なら許されないはず…。

 

だけど、『官僚たちの夏』を読んだ時にも思いましたが、こういった「頑張る」とか「努力」とかが制限を超えてもよかった時代も、それはそれで楽しいのかもしれません。

私は、自分からやることをどんどん増やしていくくらいには仕事が好きなので、こういった社会でもそれなりに順応していく気はします。それに、ちょっとこういった世界で生きてみたいな…といった気持ちもあります。

憧れがある、といった感じ。

 

それでも、その世界で色々な欠点が見つかって、人の命がなくなるような悲しいこともあったから今の社会になっています。

住むなら圧倒的に今の社会の方がいいし、自分のやりたいことだけできないのなら制限を無理矢理にでも設けてくれる今の方がいいです。

 

ちなみに、今でもブラックと呼ばれる職業が多くあることは知っていますし、私にとっては身近な「先生」という職業もかなりブラックでしょうから、そういった仕事にはつきたくありません(まあ興味はあるんですが…)。

 

生徒ももちろん、先生も、体調を壊すような生活ですし、自分が入りたくはないな、と思いました。

でも、今の社会で手に入れられるものがあるのと同じく、そういったやり方でも手に入れられるものはもちろんあるんでしょうね。

最後に保護者の同窓会のようなものが開かれていましたが、そこでは保護者の皆さんも不満はなく「〇〇なことを学べた」「とても楽しかった」といった感想でした。

中にはそれが大変だった人もいたでしょうし、時が経ったからこそ言えることもあったと思います。

でも、「努力」に対する制限の厳しくない社会で手に入れられるものは、今の社会で手に入れられるものとはまた違うでしょう。

今は手に入れられないものに憧れを覚えるのも当たり前だと思うし、他人に強いられるのではなく個人でやることを増やしている人も多くいるので、自分で限度を見ながらやりたいことをやっていきたいです。

 

 

本の中では、メディアをインタビューすることについて書かれていました。

その中で、印象に残ったことがいくつか。

まず、メディアはインタビューされ慣れていないんだな、ということ。

メディアは電話1本でインタビューに来るのに、高校生たちがインタビューしたいといったらスムーズにはいきません。

 

そして、高校生という立場もあったでしょうが、読んでいる身としては「かなり突っ込むな…」とヒヤヒヤするところまで質問していく高校生もすごかったです。

確かに悪いこと(冤罪報道)をしていたのはメディアですが、ここまでのしどろもどろぶりを見ると高校生の方にも「お手柔らかに…」と言いたくなります。

 

また、「メディア」と一言でまとめても、その中にいる人たちは一人一人違うんだな、という当たり前のこと

中には、自分はできるだけ誤報と取られないように誠実な報道をやってきたつもりだし、それを上のお偉いさんが謝るのを見ると納得いかなかった、という人もいました。

こういった急を要するメディアの仕事では、どうしても当時の見方に乗るしかなく、それが結果として冤罪になってしまった、ということも。

 

実際に、冤罪だったわけですから、これによって冤罪を被せられた人の気持ちは察するに余りあります。

 

警察に見解をそのままテレビで流すのが正しいいのか。

その情報が間違っていたら。

被害者が訴えを起こさない限り謝罪も訂正もしないのか。

冤罪を引き起こすことがわかって、その後どうしていけばいいのか。

 

マスメディアってなんなのか。

 

記者の人も、冤罪を報道したいと思って報道したわけではない。

それでは、当時何を考えて報道していたのか。

 

それぞれに違った形の答えがあって、それも読んでいて面白かったです。

 

 

 最終的に、高校生たちは今で言うところのメディア・リテラシー」に通じる結論を出します。

 

受けてと送り手の存在、コミュニケーション。

受けてと送り手が一方向につながるのではなく、双方向つながること。

そういったものが、授業と似ている、というのは新しい視点でした。

また、マスメディアに対する批判のみで終わらなかったところも好きな点。

 

 

読んでいてすごいなと思ったのは、「終わり」を高校生たちが作らなかったこと。

インタビューしてから作品を作って、それに対する賞をもらう。

それだけで終わりではなく、その次はまた少し違った手段でさらに良い状態のものを作っていく。

そして、次にはそれを周りに伝えるためクラスで授業を行う。

 

自分たちが手塩をかけたものほど、一個何かが終わったら達成感がすごいと思うのですが、そこでは終わらず、さらにさらにと考えていく。

 

…ただ、これは先生の影響もあるのかもしれません。

割と読んでいて、先生が関わっているところも多そうだな、と感じました。

もちろん、手詰まりしていたらそれをほぐしてあげるのが先生の役割だとも思いますし、それが高校生らしいところでもありますが、

同じ学校の違う先生から見たこの部活の話も読んでみたいな〜と思いました。

 

 

ちなみに、この本で扱われているのは松本サリン事件をめぐる報道です。

松本サリン事件はオウム真理教が引き起こした事件のうちの一つ

 

ちょっと前に、オウム真理教にすごく興味を持ったことがあったのですが、この冤罪については知らず、そういった意味でもとても興味深かったです。

すごく興味を持ったといっても、別に入信したいとかでは全くありません。

当時のオウム真理教が、諸々の事件を引き起こす前にどう扱われていたか、事件を引き起こした後はどう報道されたか。

入信していた人たちの手記、判決、それにまつわる本。そういったことを調べました。

 

江川紹子さんの『「カルト」はすぐ隣に』という本をご存知でしょうか。

 

 

オウム関連の事件を長年取材してきた著者が、カルト集団の特徴や構造をあらわにし、カルトに人生を奪われないためにどうすればいいのか、をといています。

かなり好きな本のうちの一つです。

今気づいたんですが、感想書いてなかったんですね。これは書かなければ…。またいつか書いていきます!

 

それに、今はYouTubeのおかげで当時の報道を知ることができます。本当にありがたいです。オウム真理教関連のニュースや、昭和天皇に関するニュース(一時期昭和天皇崩御の際の社会や、昭和天皇について興味を持ったことがあり、その時に調べました)を見ることができましたし、今でも記憶に残っているものはたくさんあります。

 

 

最後に

 ということで、今回は『ニュースがまちがった日』の感想を書いてきました。

時代がちがうな、ということも認識しましたが、それでもやはり面白いところがいろいろありました。いろいろな面から考えられる本なので、誰かと感想を語り合いたいです。

 

この本、特に放送部にいる人や、ニュースに興味のある人、よくテレビを見る人には読んでもらいたいです。

私はテレビを見ませんが、テレビと新聞の違いなどにも触れられていて面白かったです。

 

今、SNSを通じて受け手と送り手の存在が近くなっています。

メディアにはどういう変化が起こっているのでしょう。今のメディアと、当時のメディアを自分の目で比較してみたいな、とも感じました

(ここで口だけになるのが悪いところですね…。余裕ができたら比較します)

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。いろいろな面でそれぞれの人が違う感想を持つ本だと思いますが、面白かったです。というか、またオウム真理教に興味が出てきたので『「カルト」はすぐ隣に』を読み返します!

太宰治「東京八景」感想・あらすじ

 こんにちは。今日は、しっかりと「東京八景」の感想を書いていきます。

…ということで、書いていくつもりだったのですが、私の使っているデバイスに不具合が生じたため、今日はつかったことのほとんどないパソコンで。

しょうじき、めっちゃ書きにくい!いつもよりも誤字が増えると思いますがご容赦ください。

 

 今回は、太宰治の『東京八景』の感想をかいていきます。

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この作品は、新潮文庫の短編集『走れメロス』に収録されていた作品です。

短編集についてと、著者については、以前の記事より抜粋してきます。

 

 短編集、著者紹介

 

 短編集は、新潮文庫出版『走れメロス』。

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収録作品は、

  1. ダス・ゲマイネ
  2. 満願
  3. 富嶽百景
  4. 女生徒
  5. 駆込み訴え
  6. 東京八景
  7. 帰去来
  8. 故郷

の8編です。

このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。

 

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 

 太宰治は、多くの人が知っていると思います。

坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。

 この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。

 彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。

 戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。

 

 太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。

 

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あらすじ

 それでは、『東京八景』のあらすじへ。

この話は、主人公の「私」が、東京で過ごした10年間をつづっています。「私」はほぼ間違いなく太宰治自身です。

太宰は、今32歳。伊豆の小さな温泉宿で、集中して自分の過去の話をかこうとしています。上京してからの10年間を、この特に差し迫ったことがない今だからこそ核というのです。これは、太宰にとって「一生涯の、重大な記念碑」となるものです。

前半では、太宰の中でもつらかったことについてが書かれています。

東京の大学にはいり、Hと同棲しながら一時は銀座のバーの女中と心中未遂。自分のみ生き残ります。そして、またHとの同棲。政治運動に参加したり、俳句をやったり、いろいろなところにおもいをめぐらせます。

そして、Hの秘密を知る。ここで、太宰は死のうと思い遺書として『思い出』をつづります。これが彼の処女作となりました。

 

20代も半ばになりますが、大学へは行っているふりをしているだけなので特にたんいももらえません。卒業できるわけないけど、仕送りがないと困ってしまう。だから、それから数回太宰は兄に泣いて頼み、留年を繰り返します。その間に書かれたのが、同じく遺書となる『晩年』。

 

そして、彼は結局入社試験にも落ち、首つりを試みますが失敗。腹膜炎のための手術や、薬物中毒のため借金を繰り返します。

 

ここまでかれはHと一緒にいましたが、太宰は人を信じないようになっていきます。そんなおり、Hは不貞行為を働く。そして、太宰もまた自殺に失敗し、Hとは別れます。

 

 

ここら辺までが前半。かなりの密度…

 

ここから、物事が変わっていきます。兄が代議士となりますが、そこでいろいろなハプニングが起こり、その諸々が太宰の「金持ちの子」という足かせを外していきます。

しっかりと創作活動を開始した太宰は、遺書としてではない作品をつづっていき、そのなかで、井伏鱒二により結婚まで。

 

結婚後、太宰は三鷹に移住し、そこでの夕日を毎日みていました。

今まで見てきた東京の中の思い出深い景色、そのなかにこの夕日も加えたい。とても8にはおさまらないけども、今まで見てきた景色がいっぱいある。

それを書こうとしたのが、この『東京八景』です。

 

 

感想

この作品は、よんでいて「明るい話だな~」と思いました。いや、決して明るいわけではないんですが、最後には希望が見えます。

今までいろんなことがあったけど、今ようやく所帯も持って、落ち着いて書きたいものが書けるようになった。そんな、これからの明るい未来を待ち望んでいるかのようなお話だと思います。

 

だからこそ、三鷹から見える武蔵野の夕日の表現は頭に残りました。この作品のイメージカラーをつけるとしたら、きっとオレンジだと思います。夕焼けの色。

 

太宰はかなりの破綻者だといわれていると思います。自殺未遂、薬物中毒、心中未遂、酒飲み、、、。数えてみればきりがない。

そんな片鱗が、この作品の中にもしっかりと出ている。だけど、ここではまだ太宰も立ち直っているんです。だから明るく見えるんだと思います。

自分が自殺未遂をした後に、やさしくしてくれる人たちの対応に呆然としていますが、傍観者の私には当たり前のように見えるからこそ、太宰の受けた衝撃がなんとなく計り知れました。

だって、いくら今まで嘘ばっかりついてお金だけむさぼり取ってきたような人でも、自殺しようとした人にはやさしくなりませんか?あまり強く言えはしないはずです。肉親ならなおさら。

だけど、その人のやさしさに太宰は驚いています。そして、そこらへんから自分の中でも余裕をもって、周りを見ることができるようになっていっているのです。

 

そして、太宰は30歳になってから作家としての活動を本格的に始めます。ここでは、自分には文才がないと書いてあり、こちらからしては「おいおい…」といった感じにも。

でも、自分で書いても書いても満足できないということはありそうですし、そのあとに書いてある「からだごと、ぶっつけて行くより、手を知らなかった」という文章が好きでした。

等身大の文章を書いているからこそ、身に迫るものがあるし、狂気的なものすら感じることができる。わたしはかれの文章が好きですが、その好きなものが書き手にとっても「からだごと」かいた文章だとしたら、それはとてもうれしいことです。

 

太宰にとっては、この前向きな時期には、自分の過去も今の自分を形成している立派なもののひとつ、と認められていたのでしょう。その部分も、読んでいてうれしかった。

その後の作品と人生を知っているだけに、どうにも素直に喜べませんが、それでも彼にとって過去が自分のプライドになっていたのなら、それもそれでよかったです。

 

まとめ

ということで、感想はこんな感じかな。

 

 命を落とした人もいるため、手放しで喜べはしませんが、読んでいてちょっとうれしくなる作品でした。かなり淡々とはしていたものの等身大で描かれていたからこそ、太宰がそのときにどういう心情だったかを容易に考えることができ、そこからの深読みも楽しめました。

太宰が希望を持つまで。

それが読めたのがすごいうれしいし、彼が希望を感じることがあったんだな、と再確認できるとそれもそれでうれしいです。

いままで暗い話ばかり好んできたからかもしれませんが、なんかこうやって前向きな太宰を見ると「がんばれ!」と見守りたくなってきます(笑)

 

暗い風景から、徐々に明るい風景になっていく『東京八景』。

絵で風景を見るのももちろん好きですが、こういった表現方法があるんだな、と思いました『富岳百景』も好きでしたが、わたしはこっちの『東京八景』のほうが好きだったかもしれません。

 

最初に読んだときはよくわからない本だな、と思いましたが、実際に考えてみると楽しい!

暗い話のほうが衝撃もすごかったしかなり好きではありますが、こういった話も悪くないです。時々読み返したい。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。よく使っているデバイスはライブ変換なのに比べ、こちらはキーを押して変換しなくてはならず、ひらがなが多い箇所がもしかしたら増えているかもしれません。ある程度は気を付けたつもりですが明日にはちゃんといつも通りのデバイスのはずなので誤字も減る…かな?(いつも誤字の多い文章を読んでくださってありがとうございます!)

この頃思ったことをつらつらと<戦争教育で見せる映像は。走れメロスの民衆は。>

 こんにちは。

本来なら、読書の感想記事か哲学サマーキャンプの感想を書かなければいけないのでしょうが、なんか気分が乗りません…。

この頃いっぱい頭を使ったからかな(笑)

書く気が怒らないのに書いても楽しくないんで、

ちょっと、この頃の日常会話で出てきたことを少しずつ書いていきます!

 

 まず、戦争教育について。

家族で、今「映像の世紀」というNHKの歴史番組を見ています。映像の世紀とは、1990年代にNHKより放送された番組。20世紀に起こった事柄の映像や、資料などをもとに作成されたドキュメンタリーで、いまだに人気を誇っているそうです。

 

 この「映像の歴史」、かなり凄惨な映像が使われています。遺体が映るのはもちろん、皮膚が剥がれ落ちた人の映像や、思い起こすのもはばかられるようなものまで。かなりかなりでした。

 

ですが、以前NHKオンデマンド沖縄戦に関する映像を見たとき、こういった凄惨な映像が流れる時には前置きが流れていました。「ここからは〇〇な映像が流れるため、お気をつけください」的な。

 

やっぱり、ここで意識が変わったんでしょうね。学校でも、多分昔に比べてそういった凄惨な映像は流れなくなったはずですし、動物の体(豚の肺など)を使った実験ではかなり気を使ってもらっていました。

 

 

私は、「映像の世紀」的な番組が正直苦手です。血が出るのとか、凄惨な映像とか、かなり苦手ですね…。歴史でなくても、グロい映像とかホラーとかは絶対に見たくないです。ただ、見ていると貧血で倒れるとかそういう程度ではなく、ただ単に苦手なだけです。

 

だから、「映像の世紀」も「NHKオンデマンド」も全部をしっかり見たわけではなく、一部一部を見たのみです。ドキュメンタリーじゃない映画でも見られないし、ドラマ(大河とか)も割と人が死ぬのは苦手です。

 

だけど、こういった凄惨な映像を授業である程度は見せるべきだと思っています。もちろん、程度は考えなければいけません。

こういった映像がどうしても見られない(私のように好みの問題ではなく)人ももちろんいると思いますし、そういった人たちへの配慮は当然必要です。

 

でも、こういった映像があるということ、こういった映像へのアクセスの仕方、そういったことは少なくとも教えないといけないと思います。

出ないと、文面で見るだけで何が起こったかを教えてくれません。テレビを常時つけていなくても自分の好きなものだけが見られる今、こういった歴史的出来事を自ら見ようとする人の数は減ってきているでしょう。

 

実際に自分が授業でこういったものを見たとき、私は多分それを喜ばないと思いますが、それは個人の好みの問題です。

学校で、もしくは親が、こういった映像の存在をしっかり教えるべきだと思うし、それの一部は全員が見られるように(授業などで)したほうがいいと思います。

 

どれだけ悲惨なことがあったのか、日本がしたことされたこと、世界で起こったこと、知るべきだと思うし、私はそれを知っておかなければいけないと思っています。再発防止のためにも。

 

…ということを、家族と映像の歴史を見ていて思いました。

 

 

そして、走れメロスの民衆について。

哲学サマーキャンプで知り合った人と、「走れメロス」について話しました。

そこで出た疑問が、なぜ「王様万歳」なのか。

 

あれ、メロスが街まで走ってセリヌンティウスの命を救って、王が改心した後に、民衆が「万歳、王様万歳」っていっているんです。

 

 

……いや、それまで容器に街を歩けないほどの人間不信ぶりをあらわにしていたし、色々な人を殺しているのだから、万歳じゃなくない?

逆に王様捕えて違う人を王にするべきじゃない?

 

みたいなことを思ったんです。というか、知り合った友達からのアイデア

 

なんで何だろう…。

とりあえず、太宰の「走れメロス」を読むと、王が民衆を殺したという描写はないんですね。自分の家族、大臣、そして臣下。民衆を殺したという記述はありません。

ですが、それでも街は暗く沈んでいます。

だから、自分の周りの人たちを殺す王様に対して、自分たちが標的に未だなっていないから、王様をただ心配していたのではないか、という予想が立てられました。

それなら、心配していた王が人を信じるようになったから、万歳と言ってもいいかも。ただ、本当にそんな純粋に心配なんてするか…?という気持ちももちろんあります。単なる予想の範疇を出ないですが、そう言ったこじつけでもないと「王様万歳」の意味はよくわからないです。

 

王様も、その少し前までは人間不信だったはず。どんな心境の変化があったのか、物語に描かれていないその後はどういう行動をしたのか。

そう言ったアナザーストーリーも読んでみたいな〜と思いました。作るのでも面白いかも!

 

ということで、この頃考えた疑問の一部を書いてきました。明日は書く意欲が戻っているといいな!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。同じようなことを考えたことがあったりしたら嬉しいです!メロスのけんは、もうちょっとしっかり考えてみたい…!

もう若くはないんだな…、と。

 こんにちは。

 

今日も、だらだらと今の心境を綴っていきます!

 

昨日と今日にかけて、私は「高校生のための哲学サマーキャンプ」というイベントに出ていました。

 

このイベントは、基本的に高校生を募集して、哲学対話をしあう、というイベントです。

詳しくは前年に書いた哲学サマキャンの感想をお読みください。

今年の分もしっかり書く予定ではありますが、今日はそれに先駆けてちょっと感じたことを。

 

まず、去年参加した時は私は中学校3年生で、サマキャンの対象者ではありませんでした。ですが、コロナがここまで続くとも思いませんでしたし、今年だけだと思って「是非参加させてください」と頼んだら、OKをもらいました。

 

だから、少なくとも私が知っている範囲で、中学3年の参加者は私だけだったんです。

 

また、中三の時に参加したVoiceUpJapanというボランティア団体でも、私が最年少でした。

 

こういう風に、私は今まで参加する団体とかで、年が低かったことがすごいよくあります。

それは、単純に「子供だと思ってくれる」ので、いいところがたくさんあります。例えば、ちょっと失礼な言動をしても、敬語をちゃんと使えなくても、「しょうがない」と思ってくれるとか。あとは、「若いのにすごいね」とか。

 

でも、これからは私も若い側じゃなくて、年上側に回っていくんだな、と思います。

今回の哲学サマキャンでもそうですし、VoiceUpJapanも同い年の人が一人いるようになりました。

 

それが、嫌なわけでは全然ありません。

すごい嬉しいし、対等に喋ってくれる人が増えるということだし、自分よりも若い人に剣を聞くこともできるようになります。

 

ただ、その年齢の変わりようを見た時に、自分がどんどん大人に近づいているんだな〜と認識しました。

今までは許されていた失礼な行動(自分としてはしっかり行動していたつもりですが、それでもやはり気分を害していたこともあったかもしれないので …)も許されなくなっていくだろうし、年齢に甘えることもできなくなっていきます。

そうやって、大人になっていくんだな…という風に考えました。

 

それ自体が嫌だというわけではありませんが、言い訳が一つなくなるというか、ちょっと不安な気もします。

 

ここまで不安を書いているのは、私がそこまで失礼だったからではないです。(失礼なことはしていなかったと…願っています)

私が、年齢を利用して色々なことをさせてもらったからです。こういう風に、実際は対象年齢でなくても参加させていただいたり、自治体の方に学校の方から電話をしてお話を聞かせてもらったり、学校の先生にどんどんどんどん質問したり、、、。

自分の年齢を自覚した上でそういった行動をしてきたので、それができなくなるというと、ちょっと喪失感のようなものがあります。

 

でも、ここからどんどん下の世代の人が増えていって、私が「若く」なくなっていって、色々と話したりすることを考えると、本当に楽しみです。

今の私の考え、人格を形成してくれた人はたくさんいます。年下の人の中にもいますが、ほとんどが年上です。年齢で尊敬する人が決まるわけではないですが、話したことのある人は年上の方の方が多いので…。

だから、もしかしたら私がそういう風に尊敬される存在になることができるかもしれない。逆に、こういう人にはなりたくない、と思われるかもしれない。自分の世代からも、上の世代からも、下の世代からも、そうやってジャッジされるっていうのは、ちょっと不安だけどとても楽しみです。

どんな風になるんだろう。

 

「若くない」っていうのは必ずしも悪いことではありません。

特に、私は今まだ15歳なので、世間一般的に見たら「若くない」には入らないと思います。まだ、学生としての特権も使えます。

これからどんどん自分よりも下の世代も増えていくんだと思います。そうすると、一緒に話せる人も増えるし、価値観も増えていく。そんな楽しいことがありますか?(「いや、ない」という反語です)

 

自分の歳が変わっていっているんだな〜ということがとても身にしみた日でした。

 

これで、中学生としての特権はもう手に入れられなくなったけど、それでもまだまだ高校生としての特権があります。それをいかに自分で認識した上で、使っていけるかというのが、私にとってはとても重要です。

その恩恵を知っている上で使うことは、本当に大切だと思っています。それを失う前に心の準備ができるので。

 

 

今、サマキャンで知り合った人たちと敬語・タメ語の使い分けについて話しています。とても楽しいです(笑)

こういう風に、年齢が上がるからこそ色々な人と知り合えるようにもなるのかも。(情報へのアクセス的に)

 

 

今自分が持てる力(権利?適当な言葉が見当たりません)を認識して、活動できるようにしたいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。めっっちゃ短くなりましたが、暖かい目で見ていただければ幸いです!

太宰治『走れメロス』感想:

 こんにちは。今日は、『高校生のための哲学サマーキャンプ』というイベントに参加しています!かなり、今日も他の用事的に強行軍だったのですが、夜の部もあるので楽しみです!

 

 今日は、新潮文庫による太宰治の短編集『走れメロス』より、『走れメロス』の感想を書いていこうと思います。

 

 

 

 

短編集の内容紹介と著者紹介

 それでは、まずは短編集の内容紹介と著者紹介から!

こちらは、今までの記事からの切り抜きとなります。

 短編集は、新潮文庫出版『走れメロス』。

 

 

収録作品は、

  1. ダス・ゲマイネ
  2. 満願
  3. 富嶽百景
  4. 女生徒
  5. 駆込み訴え
  6. 東京八景
  7. 帰去来
  8. 故郷

の8編です。

このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 

 太宰治は、多くの人が知っていると思います。

坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。

 この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。

 彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。

 戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。

 

 太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 あらすじ

 そして、『走れメロス』のあらすじを!

…と言っても、中学校でこの教材を扱ったという人も多いのではないでしょうか。かなりポピュラーな作品ですよね。

 

一番最初の文章は、

メロスは激怒した。必ずかの邪智暴虐の王を殺さねばならぬと決意した。

 

メロスは、牧人です。妹の結婚式の準備のためメロスはシラクスという街にやってきました。しかし、異様に街が暗く、人気がありません。何かあったのかと思い、近くを通りがかった人に聞きます。

 

王様は、人を殺します。

 

その落ち込みの原因は、暴君ディオニスが人を信じられないために周りの人をどんどん殺していくことでした。宰相を殺し、息子を殺し、大臣を殺し、家族を殺し、そしてどんどん臣下のものも殺し…

 メロスはそれに激怒し、王を殺すことを決意して城に入りますが、すぐに捕らえられて王の面前に引き出されます。そこで「結局お前も私利私欲の塊だろう」的なことを王に言われ、メロスはそれに対し反論します。

 

自分は絶対に人を裏切ったりしない。死ぬのは構わないが、妹の結婚式だけはどうしても見ておきたい。そこで、親友のセリヌンティウスを王に引き渡すから、3日まで待ってくれないか。

私は必ず戻ってくるから、そうなったらセリヌンティウスは無事に釈放し、私を殺してもらいたい。

…的な感じ、でしょうか。

 

 そして、王はメロスを信じませんが、セリヌンティウスとやらを殺して信じることのバカバカしさを示してやろうと思い、メロスの言い分を聞き入れることにしました。

 

 メロスは急いで村に戻り、花婿の家に頼み込んで結婚式を急遽翌日にしてもらいます。そして結婚式で妹の晴れ姿を見た後、彼は3日目の朝に王宮に向かい走り出します。

夕方までには戻れるつもりが川の氾濫や山賊の襲来などのアクシデントが多発。必死に駆け抜けますが、メロスはその後倒れこみ、諦め掛けます。

ですが、岩から湧き出た清水をのみ、希望が生まれ、再び走り出しました。

 

メロスは全力で走り続け、日没直前の危ない時位、なんとか到着して約束を果たします。セリヌンティウスに、「一度だけ諦めかけた」と白状し、彼にも一度だけ疑われたことを暴露され、どちらもが詫びます。

そして、メロスもしくはセリヌンティウスを殺すつもりだったディオニスは、信じる心を学び、2人を釈放します。

 

 

…はい、といったあらすじが、全部かな。だいたい説明できたと思います。「あ、思い出した!」という方がいらっしゃったら、よかったです(笑)

 

走れメロス』を読んだ感想

 この話の感想を書いていきます。

話したい内容は、3つほど。

一つ目が、この話の元になったもの。

二つ目が、この話の内容から見た感想。

三つ目が、太宰の表現技術。

 

 

シラーの詩

 さて、それでは一つ目は『走れメロス』の元となった詩について。

これは、シラーの「人質」という詩を元にして書かれた作品となっています。私の知見が狭いのみなのかもしれないのですが、太宰の作品で、何かをこうやってオマージュしたものって他に何があるんでしょう…?『駆け込み訴え』もどちらかというと聖書を元にしたものですが、解釈としてはかなり違いがあります。

それに対し、この「人質」はかなり内容的にもあっているため、ここまでオマージュしているものってあるんだ…という印象です。

太宰にとって、これを書くきっかけとなったこととか、この「人質」を知ったきっかけとか、そういったものを知ってみたいです。

 

この詩も、学校でも紹介されましたし、家でも読みました。印象としては、「特になし」みたいな感じでもありました…なんというか、走れメロスを最初に読んでいたために、特に内容として面白い場所もなかったし、表現として太宰のものより引き込まれるものでもなく…。

淡々と起こっている感じで、太宰の「走れメロス」とはまた違った形の作品ではありましたが、好みで言うと太宰のものの方が好みです。

 

 

登場人物たちに対する感想

 そして、この話の内容に関する感想。

しょーじき、美談には思えないんですよ…。

 

この話って、大抵美談に扱われるじゃないですか。「希望!」だとか、「友情!」だとか「正義!」だとか。

 

 

…いや、寝てますけど?

 

みたいな感じに私の中ではなっているんです。

 

メロスは、「まどろん」でるんですよ!それで、水の音を聞いて、ふと目が覚めたんですよ!

 

いや、自分の都合で友達を勝手に人質にしといて、それで「自分は裏切らない、たとえ自分が殺されるとしても!」みたいなこと堂々といっといて、寝る!?と思いました。

 

 

普通に、メロスはすごいと思います。川を渡りきって、山賊と戦って、最終的には友のところにたどり着いているんですから。

だけど、褒められるべきところもあるけど、褒められないところも当然ありますよね。

 

そういった面で、メロス凄すぎですよ…。どんだけ考え変えてるんですか。

正義感が強すぎると言うか …。

 

まあ、でも、とりあえずはメロスすごいです!かっこいい!犬つき飛ばしてですら()、全裸になることを気づかないほどに走って走って走っているんですから。そういった意味で、すごいのは間違いないです。

 

 

セリヌンティウスも、本当にすごいです。

2年前にあったっきりの旧友に、命かけられて、怒らずに受け入れて、一回しか疑わない。

どんだけの人格者ですか…。

 

最初は、全然こういったうがった見方はしていなくて、「メロスすげ〜!」と言う感情しか持っていなかったです。

でも、改めて読み返してみると、メロス正義感強すぎて嫌だな…と言う。多分親友にはなれません(笑)

 

 

表現技術

 さて、それでは三つ目。太宰の表現技術について。

この本、一番注目しなければいけないのは太宰の表現だと思っています。

 

まず、ソースははっきりしていないのですが、メロスの道のりは、全てを平均した上で時速4〜5kmだったと言う研究(?)を読んだことがあります。それでは、当時の年代、当時の季節の日の出・日没などを全て鑑みた上で計算していたものなので、かなり信頼性は高いんだと思っています。

まあ、川自分で渡ったり山賊と戦ったり寝ていたりしているので、そうですよね…。

 

ですが、ここからが太宰のすごいところです。

この話読んでいて、そんな遅いイメージは全然覚えませんでしたよね。あ、と言うか、私は思いませんでした。だから、やっぱり太宰の書き方によるものなんだと思っています。

 

太陽が沈む速度より速く〜みたいな、そういった比喩をどんどん用いた表現を用いたりしているのも、もちろんすごいと思います。

あの太陽に照らされて走るパートと、小川のせせらぎとか水の音で目がさめるパートで、かなり違う印象は受けましたし、静と動がある、って感じがしました。

 

そして、あの話は後半にいくにつれて、文章がどんどん短くなっていっています。使っている言葉がどんどん短くなって、句読点が入る位置もどんどん頻繁になってきています。

 

そういった技法により、話の印象を操作できる(いい意味で)のは、この話を読んでから改めて思い知りました。

 

 

私は、この話は「太宰の表現技法を楽しむ話」だと思っています。

 

 

まとめ

 と言うことで、今回は、太宰治の「走れメロス」に関する感想を書いてきました。

 

やばい、日付が変わる直前ですね。今哲学サマーキャンプの話を横で聞きながら、ブログを書いています。なので、誤字があるかもしれないです…。また見直せる時があれば、直して行きたいです!

 

 走れメロスは、とても面白いな、と思っています。多分、一番最初に読んだ作品ということもあるのかもしれないんですが、それでも印象には強く残っています。

 

私は、本を読んだ後にそのイメージカラーを作ったりしています。

そうすることで、その本が覚えやすくなるし、読了した後の爽快感も出るからです。

私のなかで、太宰の後期の作品てかなりくすみがかった色のイメージなんですね。黒とか、グレーとか、あとはくすみがかった色。

 

だけど、ここら辺の中期の作品は、とても鮮やかです。ビビッドというか、華やかなイメージがあります。強い青だったり、強い垢だったり、オレンジだったり。「走れメロス」は、どちらかというとオレンジ色のイメージです。

 

そういった違いが出せると、イメージカラー方式いいな…となっていきます。

おすすめです!

 

 

最後までお読みくださりありがとうございました。走れメロス、聞き覚えある作品かもしれません。少し興味を持った場合は、是非読んでみてください!

太宰治『駆け込み訴え』感想・あらすじ

 こんにちは。久しぶりに日中からブログを書き進めています。この頃、ISAK入学前ということでとても忙しい毎日…。いや、ISAK関係よりもその他のボランティア含む諸々が忙しいのもあるんですが。充実しています!

 

 

 今日は、太宰治の短編集『走れメロス』から、『駆け込み訴え』の感想を書いて行きます。

 

 

 

短編集と著者の紹介

 まずは、短編集と著者の紹介を。こちらは、今までの記事からのコピペとなります。

 

 短編集は、新潮文庫出版『走れメロス』。

 

 

収録作品は、

  1. ダス・ゲマイネ
  2. 満願
  3. 富嶽百景
  4. 女生徒
  5. 駆込み訴え
  6. 東京八景
  7. 帰去来
  8. 故郷

の8編です。

このうち、『女生徒』は感想を書いたことがあるため。7編の感想を書いていきます。

 

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 太宰治は、多くの人が知っていると思います。

坂口安吾などと並ぶ「無頼派」に属する作家で、青森県出身です。戸籍名は津島修二。中期の「走れメロス」などは明るい雰囲気で、前期・後期の作品とは少し変わった作風です。

 この『走れメロス』は教科書教材の定番ですし、『人間失格』と言う強烈な題名を知っている、と言う方も多いのではないでしょうか。

 彼は何回か自殺未遂を繰り返していますが、38歳の時に愛人と入水自殺をしました。原因としては、息子がダウン症だったことなどが関わっている、と言われています。

 戦前から戦後ごろに活動し、自殺未遂の他にも金遣いなどを含め、かなり癖の強い人生を送っています。

 

 太宰治読了記事のまとめも作ったので、興味のある方は是非そちらもご覧ください。

 

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『駆け込み訴え』あらすじ

 それでは、この話のあらすじを書いて行きます。

 

が!ここで一つ。

この話は、最後の最後まで「あの人」が誰なのかが断定されていません。ここで書くには、それを明らかにしないと進めないため、登場人物が誰なのかはっきりさせます。

ですが、私はこの話の登場人物が誰なのかおw知らずに読み、その中で驚きながら読んでいきました。

その「驚き」を感じたい方は、まず『駆け込み訴え』を読んでみることをお勧めします。青空文庫などから無料で読めますし、興味のある方は是非。

 

 

 

 

『駆け込み訴え』は1940年ごろに出版された本です。キリスト教が関係しているとも言える本ですが、当時はまだキリスト教関係のことも大目に見てもらえていたのでしょうか…??

 

 主人公は、12使徒のうちの一人であるイスカリオテのユダ。「裏切り者」の代名詞として有名な、あの男です。

キリストを裏切った時のユダの思いを、太宰の視点で綴ったものです。一応聖書の内容に事実としては反っているところも多いですが、少しずつ内容も異なり、さらに感情面ではかなり受ける印象が違います。

 

序文は、

申し上げます。申し上げます。旦那様。あの人は、酷い。酷い。はい、嫌なやつです。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。

 

この話は、「私」であるユダが、「あの人」(イエス・キリスト)に対して持っていた感情を「旦那」に話している形式です。告白調の文体です。

「旦那」というのが誰なのか、明らかにはされていません。しかし、文章からユダがイエスの居場所を告発した相手である、エルサレムの祭司長や、神官なのでは、と思っています。

 

 

「私」は、「旦那」に、「自分の師(あの人)を殺してください」と頼んでいます。

あの人に「私」は意地悪くこき使われてきて、嘲弄されてきました。堪えられるところ迄は堪えてきたのだ、と。

 

「私」がどんなにこっそりあの人をかばってきたか、裏の苦労をあの人はちゃんと知っていて、知っているからこそなおさら「私」を意地悪く軽蔑するのです。阿呆なくらいに自惚れ屋なのです。

 

…という風に、ずっと「私」のあの人に対する批判が続きます。

しかし、それでも「私」はあの人を愛しているのです。

(前略)私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。

私はあなたを愛しています。

ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは比べ物にならないほどに愛しています。

誰よりも愛しています。

 

そして、あの人が死んだら、自分も死ぬつもりなのです。

あなたが此の世にいなくなったら、私もすぐに死にます。生きていることができません。

 

「私」は、あの人が他人に手渡されるくらいなら自分で殺す、とすら言っています。

6日前、マリヤという女性が高価な油を出し抜けにあの人の頭にかけ、御御足を濡らし、そしてその足を自分の髪の毛で丁寧に拭いました。

 

それに対し無性に腹が立った「私」はマリヤを叱りましたが、あの人は「私」を非難しました。

「お前たちも覚えておくがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられるところには、必ず、この女の今日の仕草も記念として語り伝えられるであろう」

そして、あの人のほおはかすかに赤らみ、瞳は薄くうるみ、声や瞳に今までなかった異様なものを感じました。

「私」はそれを、あの人がマリヤに恋したのだと思い、それに対し「ジェラシィ」を感じます。

そして、あの人はいずれ殺されるに違いないから、そうなった時にいっそ「私」の手で殺そうと思うようになったのです。

 

翌日、「私」たちはエルサレムに向かい、そこの神殿であの人は商人を追い払い、「つまらぬ乱暴」を働きます。その姿を見た時、「私」はとうとう諦めることを覚え、一刻も早くあの人を殺してあげようと思いました。

 

ある日、「私」たちは宴会を開きます。そこで、あの人は唐突に弟子たちの足を洗い始めました。

その時、「私」はまた、あの人を愛する気持ちを強く感じたのです。あの人を売ろうとしていたことを後悔し、みんなに逃げてくれと叫びたくなりました。

しかし、その直後、あの人はみんなの前で、「私」が裏切り者となることを予見し、暴露しました。

私は、もうすでに度胸がついていたのだ。恥じるよりは憎んだ。あの人の今更ながらの意地悪さを憎んだ。

あの人は、「私」に為すことを為せと言ったため、「私」は旦那のところにやってきたのです。

 

あの人の居場所を教え、「私」は銀30枚を差し出されます。

 

おや、そのお金は?私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。なる程、はははは。いや、お断り申しましょう。殴られぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。金が欲しくて訴え出たのではないんだ。ひっこめろ!いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。そうだ、私は商人だったのだ。金銭ゆえに、私は優美なあの人から、いつも軽蔑されて来たのだっけ。

 

はい、旦那様。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素早く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。

 

 

最後の文は、

私の名は、商人のユダ。イスカリオテのユダ

 

 

さて、あらすじに熱が入りすぎましたが、本文を読んでくださるとよりよくわかります。ぜひ、読んでみてください!

 

 

感想

それでは、ここからは感想に移ります。

まず、読んだ後の全体の感想から。

この本は、読むまでどう言った内容かわからなかったんです。旦那様とか、そのほかの言葉も含めて、少し下町っぽさを感じます。というか、昔の日本の百姓とか町人とかってこんな言葉遣いだったのでは…という感じ。

そして、最初に読んだ時、なぜかイメージが「女性」だったんです。なんでなんでしょう…。よくわからないんですが、最初のイメージが女性だったため、ユダとイエスだなんて思いませんでした。

でも、キリストを想起させるような文章や、ほかの使徒の名前は何度かでてきたため、そう言ったオマージュ?それとも本人?と思いながら読んでました。

 

だから、一番最後にこの作品がどう言ったものなのか確証が持てた時、ちょっと驚きました。そうなのかな、そうかも、いやでもそうなる?と思いながらのことだったので、「あ、やっぱりそうなんだ…」という驚き。

とても楽しい瞬間でした。本を読むときに、そういう瞬間はいくつもある(特にミステリ)のですが、この作品はその驚きが特に楽しいものだったと思います。

 

 

読んでみて、イスカリオテのユダをこんな風にかけるんだ…という驚きも。私は、ルネサンス絵画(特に宗教画)が大好きなので、渡英していた際によくみていました。

その経験から、ある程度聖書の内容は掴んでいます。特に、キリストを題材にした絵も多いので、『駆け込み訴え』のなかにでてくる部分は「あ、このシーンかな」などと推測することもできました。

 

だからこそ、読んでいて一致するシーンもあれば、こんな考え方もできるんだ…というシーンもあり、より面白くなったんだと思います。

 

 マグダラのマリアのシーンでは、聖書ではこれは信仰心を問うための話として描かれることが多いです。ただ、太宰治だとこれが恋愛の関わる話に…

キリストが恋をした、なんて話は今まで習ったことがないですし、字面を見るだけでもちょっと驚きがあります。だからこそ、太宰の想像力の凄さには本当に感服します…。

 

 

 また、聖書だとユダは金貨のために行動したケチな人間です。それが、『駆け込み訴え』だとユダはあまりケチな人間ではなく、しかも「お金はいらない」とまで行っています。そのあとの言動からは、「お金は欲しくもないけど、裏切る大義名分としてお金を使っておいたほうがいい」と行った思いが働いたのではないかな、とおいう想像がつきます。

 

 このお話を読んでいると、ユダの味方になりたくなる…

キリストひどい!とか思いたくなります。それは、完璧に太宰治の文章力の凄さだと思います。今までそんなことを思ったことがないので。また、視点を変えてみるとこんな新しいストーリーになるというのは、学びとしてもとても面白いです。

 

 ユダの偏愛というか、敬愛の念というか、少し異常なまでの執着心は、みていて哀れになる程。本当に、お金とかの私利私欲のためではなく、彼なりのキリストのことを考えて、彼なりに行動したんだな、と思うようになります。あれが、キリストがある意味望んでいた結末なのかもしれない、と。

 

 ユダが祭司長に訴えるシーンは、本来は聖書に乗っていません。古くは紀元前2世紀ごろから、ユダの行った行動を擁護する話が出ています。ですから、この太宰のお話も特別に変わったものではないようです。

 

著者と無理やり連携させるならば、この短編集に収録されている『東京八景』という話には、家族に嘘をつく話が出ていました。そう行った、嘘をつくつかれる、経験をこの時期に太宰がよくしたからこそ、この話を書いたのかもしれません。裏切りという行為も、その一言でまとめられるものではなく、色々な事情があったのかもしれないよ、と。

 

 

 この話は、読んでいて読みにくいです。なぜなら、開業もされてなければ行間が空いているところもないからです。そう行った意味で、文章が詰まっていて読みにくい。だけど、その形式だからこそ、ユダの切迫した感情に寄り添うことができます。どんだけ焦っていたか、どれだけ熱量を入れていたか。

独白のような文章で、相手が相槌を入れていたのかはわかりません。質問に答えているような文章もありましたが、ユダが自分で話した言葉しかないので。

そうやって、ユダが畳み掛けるように告白する文章には圧倒されると思います

また、疾走感があるため、物語の中に入り込みやすくなります。愛情と憎悪が共存しているユダの感情は、読んでいて揺さぶられるものがあり、そこも面白いところの一つです。

 

これほどのユダの感情に対するキリストの返しは…。太宰のこの作品を読んでいると、キリストを批判したくすらなりますね。

なんというか、ユダが哀れにも思えますし、逆にその狂気のような感情が美しくも思えます。

 

 

美しいというワードを書きましたが、まさにこの通りかと。圧倒される、狂った文章。少し、美しい、と感じてしまいます。

 

「太宰だからこそ」とか言えるほどの太宰通でもないですが、読んでいて「流石に太宰はすごいな…」と思いました。この作品に会えたのが嬉しいです。

 

最後に

ということで、今回は太宰治の『駆け込み訴え』の感想を書いてきました。

話が色々なところに飛び火していますが、まとめると「とても面白い作品だったよ!」ということで!

 

 

本当に、とても面白かったです。こういう風に描けるんだ、という勉強にもなります。

歪んだ愛って、みていて気持ち悪くなるときもあれば、振り切れちゃって美しい、と感じるときもあります。好みは分かれると思いますが、私はとても好きです。

 

なんか、太宰の人生を知っているから、というのはどうしても入ってしまうと思うんですが、桜桃などの後期の作品に比べて、絶望感がないです。

話自体は裏切りの話ですが、もう狂気の方に振り切れちゃっていて、絶望感がなく、ネガティブな感情で終わらない。

個人的に感じたことですが、やっぱりネガティブにはなりませんでした。

 

 

どうやったら、この文章の「感じ」が出せるんでしょう。とても面白かったです!

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。結局上げるのは夜の時間帯になってしまいましたが、今日も有意義な1日でした!明日も頑張ります!皆さんもお疲れ様です、お盆休みがある方は、ゆっくり休んでください!