うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

歴史を知る:なんで歴史は楽しいんだろう

 こんにちは!お久しぶりです、うぐいすです。

この頃書こうとしても何を書けばいいのかわからなくなってしまい、全く更新できていませんでした…。今回の記事も着地点が見えないまま書き出していますが、自分のために書いているものでもあるのでご容赦ください!

 

目次

 

はじめに

みなさん、『NHKオンデマンド』をご存知ですか?

NHKオンデマンドとは、NHKが放送した番組の一部をネット上で配信しているサービスのことです。

この頃学校でもコロナウイルスの影響が大きく、隔離の後にまた隔離、といった状況が続いています。つまらない時間をできるだけ減らすためにも、親に頼んで見せてもらっているのがこのサービスです。

 

www.nhk-ondemand.jp

 

私は、このサービスでいつも『プロフェッショナル』というシリーズや、歴史関係の番組を覗いています。料理関係の番組などもこの頃よく見ており、自炊してみたい気持ちと面倒くさい気持ちが半々…。

そして、今は上皇陛下の誕生から天皇退位までに関するドキュメンタリーを70分×4本みているところです。

感じたことがあったので、書いていきたいと思います。

 

今回この記事で書いていきたいのは、私にとっての『歴史』です。

 

歴史を学ぶことは、私にとって大きな意味のあることです。

小学校の学校図書館で一番初めに借りたのは、エリザベス女王1世の学習漫画でした。その頃から、歴史を学ぶことは好きでしたし、私自身に知識はそこまでないものの好きな授業の中に歴史は必ず入っていました。

この頃、そう言った自分の持っている知識や考えたことを通して「歴史」を学習すると、不思議な気持ちになることがあります。

 

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歴史を知る

歴史は、個人個人のなかにある。

これからいうことは、至極当然のことなのでしょう。

でも、歴史を学習するとき、特になんらかのビデオを見たり本を読んでいる時によく思うことがあります。

 

「ここの動画にいる人と、私は違う考えを持っている」

 

本当に、当たり前のことだと思うんです。

でも、例えば今の上皇陛下が天皇に即位された直後に沖縄を訪問した際の動画を見たとき。

 

沖縄県民を含む国民とともに 戦争のために亡くなった 

多くの人々の死を無にすることなく 

常に 自国と世界の歴史を理解し 平和を念願し続けていきたいものと思います」

 

そう言ったセリフをおっしゃっていました。

 

この時が、即位後4年経った1993年

結局沖縄に行けなかったことを嘆きつつも昭和天皇崩御したのが1989年

昭和天皇が沖縄に行くことを希望していたにも関わらず、病気で叶わなかったのが1987年。(下記wikipedia参照)

上皇陛下が立太子後初めて沖縄に訪れ、火炎瓶を投げつけられたのが1975年

沖縄独立が1972年

終戦1945年。

 

その後、病臥した1987年(昭和62年)秋に第42回国民体育大会(沖縄海邦国体)への臨席が予定されていたが、自ら訪沖することが不可能と判明したため皇太子明仁親王夫妻を名代として派遣し、「おことば」を伝えた。これに関して「思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを 」との御製が伝わり、深い悔恨の念が思われる。代理として訪沖した明仁親王は沖縄入りし代表者と会見した際、「確かにお預かりして詣りました」と手にした父帝の「おことば」をおし頂き、真摯にこれを代読した。

その死の床にあっても、「もう、ダメか」と自身の病状よりも沖縄巡幸を行えなかったことを嘆いていたという[112]

(Wikipediaより -昭和天皇 - Wikipedia)

 

今、今上天皇が上記の言葉を発したとしても、それは「2022年におっしゃられた言葉」です。

でも、その言葉と「1993年におっしゃられた言葉」は、一言一句違わなかったとしても、持つ意味が変わってくるはずです。

 

今上天皇は戦争を体験していませんが、上皇は戦争のない時代を終戦まで知りませんでした。そして特に、今は戦後80年近く経っており、当時の記憶が明確に思い出せる人も少なくなってきています。

しかし、当時は実際に沖縄で辛い思いをしてきた人や、日本全体でも戦争の記憶を色濃く受け継いでいる人が多くいたでしょう。

そう言った中で発せられた言葉の重みは、私が感じる言葉の重みとはまた違うはず。

 

同じ言葉でも、私が受け取る印象と他の人(当時の人)が受け取る印象は違います。

それは、歴史を知っていく中で、嬉しい点でもあり少し寂しい点でもあります。

 

私は割と昭和期の歴史に興味を持つことが多く、戦争に関する勉強や、テロ事件に関する勉強、さらには昭和天皇崩御時の社会の動きを調べたりすることがあるのですが、自分の受け取り方とはやはり違う点が多々あるんですよね。

 

 

www.youtube.com

(1993年の動画ではありませんが、ご参考までに!)

 

 

垣間見ていく、一人一人の歴史

 

昭和天皇崩御時に、17歳の少年が天皇陛下万歳と指に記して飛び降り自殺をした。

そう言った文章を読んだことがあります。

(今もう一回調べたらはっきりとした情報源が見つからなかったため、断言はできませんが。)

私は、その事実を起こった事実として受け入れることはできても、共感することはできません。天皇崩御による気持ちを推測することはできても、「そういう気持ちになるよね」と理解はできません。

 

上の例のように、その時代に発された言葉や行動、出来事を受け止めることはできても、そこから派生する感情を全て理解することはできません。

その出来事をなんらかの形で後世に残している人の気持ちだけを、垣間見れます。

 

全ての人の気持ちを知ることができない…

歴史を勉強している時に、残念な点でもあれば、だからこその面白い点でもあります。

私にとっての「醍醐味」というのかも。

 

一つの事実を知ったとしても、そこから調べられる人々の気持ちで、その事実の印象は少しずつ変わっていきます。

そして、その事実は決して独立したものではなく、それまでの流れからなる結果のうちの一つです。

 

例えば、先ほどあげた沖縄訪問時の上皇陛下のお言葉。

その言葉のみを知るのではなく、

 

何年の訪問だったのか、それまでに沖縄を天皇が訪問されたことはあったのか、

言葉の対象は何を経験してきた人々だったのか、その言葉の持つ意味とは何なのか、

 

そう言った言葉の裏の背景や、言葉の先にある感情を予測して初めて、

「知った」ということになると私は思っています。

 

先ほども書いた通り、言葉や事実の先にある感情は人それぞれです。

だからこそ、勉強すれば勉強するだけ、知識を得れば知識を得るだけ、色々な「歴史」を知っていくでしょう。

人の数だけ「歴史」はあると思うし、その中でも自ら歴史を残せる立場にあった人が、今一般に取り上げられているはず。

それでも、少し気になったことを探っていけば、探った分の新しい「歴史」が見えてきます。それは17歳でも天皇後追い自殺をするような思いもよらないものであったり、逆にそれまで持っていた印象を強化するようなものだったりもします。

 

そうやって新しい「歴史」を知ることが、本当に楽しいんです!

もちろん、戦争関連について調べたりしていると直視できない映像を見ることもよくありますし、難しくてよくわからなくなることも多々あります。

でも、結果的に何かを学んだ時がとても楽しい。だからやめられないし、「歴史」をもっと知りたくなる。

 

一人一人にとっての「歴史」は限りなくあって、それを知りたいと思った分だけ知ること。

やっぱり、それが歴史を学ぶことの醍醐味なのかな〜と思います。

 

 

結局やっているのは「人の意見を知る」こと

 

もちろん歴史の醍醐味は他にも多くありますし、歴史が好きな方ばかりではないでしょう。

でも、時代が違うだけで、色々な人の意見や思いを知ることってやっぱり重要だし、貴重な体験。

 

別に「歴史」って、20世紀以前でなければいけないわけではありません。

何かが時間の流れとともに移り変わっているなら、それはもう「歴史」となっていきます。

それこそ、今起こっているウクライナへの軍事侵攻。新型コロナウイルスの流行。数年後には教科書に載るでしょう。

そこまで大きいことではなくても、例えば2022年4月からの「都立高校のブラック校則撤廃」は、校則の歴史の一番新しいページとなるはず。

www3.nhk.or.jp

 

今起こっている事柄に関して、多方面からの意見を知る。

これもまた、「歴史を知る」ということだと思います。

 

この記事を書いて、結局言いたいことは「色々な意見を知る」こと

 

歴史の楽しみ方は無限大です。

事実を調べてそこから自分で想像しても楽しいし、人々の反応を調べて行くのも楽しいし、ただ年号を暗記するだけでも私は楽しいです!

今の学校ではあまり歴史を勉強する機会がないのですが、自分でまた歴史を学んでいきたいです!

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最後に

ということで、久しぶりにブログを書いてきました。文字数は今までより少ないですが、言いたいことが伝われば嬉しいです。

過去にあったことを知ることって、過去に生きた人たちの生き方を垣間見ることで、今の私たちにつながる何かを感じることで、これからの何かを想像することだと思います。

 

歴史はただの暗記科目という印象を持つ人も多いかもしれませんが、一回テストや受験から離れてもう一回歴史に触れてみると、少し変わるのかも。

 

この前、もう一回東京国立博物館に行ってきました。

そして、今はNHKオンデマンドで平成天皇のドキュメンタリーや、『映像の世紀』という番組を見ています。

歴史を「見る」経験をこの頃していると思うので、今度短い記事になるとは思いますが、歴史を見ることについても書いてみたいなと思っています!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。うーん、ブログってどうやって書いてたっけ…と考えながら書いてみましたが、これからまたやる気を出して書いていく…ように頑張ります!次の記事も読んでくださると嬉しいです!

東京博物館②:展示品が豪華すぎました

こんにちは。課題が一個終わって、ほっとした気持ちで過ごしています…!

 

今日は、前回出した東博の感想の続きを書いていこうと思います。

展示品一つ一つに注目して、少しネタバレ的な内容にもなっています。

写真等もバンバン出るので、楽しみにしておきたい方はぜひ残りはとっておいて東博観覧予約をしてみてください!

 

chirpspring.hatenablog.com

 

前回の記事でも書いた通り、東博は本当に大きいです。

その中でじっくりみれたのも、一部だけ。ここから紹介することだけが東博の魅力ではありません。

それを頭の隅っこに留めてもらって、東博の凄さをより実感してくれると嬉しいです!

 

まず一番最初にすごいと思った展示作品は、やっぱり仏像です。

私が一番最初に入った展示室11番は、そう言った仏像が多く入っている展示室でした。その上で、やっぱり照明が綺麗なんですよね。

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仏像と一言に言っても、色々なサイズのものがあります。でも、飾られていたのはそれこそ国宝、重文のとても大きいもの。

弥勒菩薩だったり不動明王だったり(すみません、記憶で書いてるので違うかもしれないです)が多く並んでいて、「この仏像は平安時代の目の形の特徴がこういうふうに出ています」と言ったような特徴が載ってある説明文も。

 

みていて、圧倒的な迫力に押される時もあれば、綺麗な目の形に感嘆する時もあり。みていて本当にあきません。できれば、全てを目に焼き付けて帰りたかったんですが、そこまでの記憶力の持ち主ではないため、ちょっとそれは難しかったです。残念…。

 

 

あと、先ほどもちらっと言いましたが、照明が綺麗

色が少しずつ違ってるんですよね。保存のためかわかりませんが、色がオレンジがかっていたり、少し暗かったり、場所によって違いました。

横から見るとちょうど彫刻に後光がさしたようになっていて、色々な角度から楽しめます。それも綺麗に写真に撮りたかったんだけど、ちょっとうまくいきませんでした…。

 

そして展示室11を過ぎると、さまざまな模様の入った蒔絵箱や、昔使われた大判小判、刀やかんざしなどの服飾品、皿などの陶磁器まで綺麗に展示されていました。

 

どれもすごくみていて楽しかったですが、特にはやっぱりみていて面白かったです。

大三島にある大山祇神社という、刀などが多く保管されている場所に見学に行ったことがあります。そこは、国宝・重文指定を受けた武具類の約8割が保管されているという場所。

そこで学んだ刀に関する知識などをまた一から見返して、学び直して、さらに実物も見るという、なんとも贅沢な経験ができました。本当に毎回思いますが、記憶力が欲しい…。もう知っているはずの知識なのに、全然覚えていなかったところも多くあり、ちょっと凹んだりもしました(笑)

 

東博での目玉は、やっぱり天下五剣のうちの一つ、三日月宗近ではないでしょうか。平安時代後期に作刀された、宗近の代表作です。

細身の頭身に三日月の波紋が見られることから三日月宗近との名前がついたようです。

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私が行った時は少し列になっていましたが、カメラで写真を撮る余裕もちゃんとありました。

豊臣秀吉正室高台院の遺品」という文字を見た時、「え、あのおねねの遺品なの?!」とびっくりしました。

私に刀の良し悪しがわかるわけではないので、もし本当は三日月宗近ではない刀に同じ説明文がついていても、信じてしまうでしょう。

その事実は残念ですし、審美眼というか、そう言った価値がわかるようになりたいと思いながらも、やっぱり知っている有名な名前が出てくるとテンションが上がります

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そして、これすごい…と単純に感動したのが、大皿でした。

江戸時代に作られた佐賀藩の鍋島焼なのですが、中国の水墨画を手本として絵画風に表しています。

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他にも、清の時代に輸出用に生産された大皿で、色合いが鮮やかで綺麗な皿もありました。作られたのは数百年前なのに、なんであんなに光沢が綺麗で、色合いも鮮やかなんでしょう…。

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また、確かこれは2階に上がってからなのですが、伊能忠敬大日本沿海輿地全図(伊能図)の一部がありました!

伊能図なんて、教科書の中で見た記憶しかありません…。

いや、普通はそうなんでしょうけど、本当にここまで有名なものが資料として残っていて、(高校生だから)無料で見られるなんてさすが国立…と言った感じです。

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そのあとは、廊下からでられる中庭の風景に目を止めながら(雪が降っている景色はレアでした)、展示室をまた巡ります。

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アイヌ民族の中で使われていた窃盗などの処罰のための制裁棒や、狩野芳崖の『春庭鴛鴦』、荻原守衛の『女』、そして横山大観の『無我』までありました!!

これも美術の資料集に載ってたんですよね。やっぱり、中学校までの知識しかないのにしっかり楽しめる収蔵量ってすごいと思います。

国立さまさまです…。

f:id:chirpspring:20220226184118j:plain制裁棒

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f:id:chirpspring:20220226183032j:plain春庭鴛鴦

bunka.nii.ac.jp




そして!!!!

今回の東博で、一番びっくりした作品は、これでした。

長谷川等伯の、『松林図屏風』

確か普通に教科書にも載っていたような気はしますが、私がこれを知ったのは漫画『国宝トゥナイト』でのことです。割としっかり漫画の中で扱われていて、それを読んだ時から『松林図屏風』のことは頭の片隅にしまわれていました。

それが、なぜかあったんです…。本当、どこまで喜ばせてくれるのか。

www.tnm.jp

間近でじっくりみることもできて、なんと写真も撮れて(上手くはなかったですが)、嬉しかったです、本当に。

 

 

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ここで、素直に「本当に綺麗な作品でした」と言えないのが悔しいです。

私は『松林図屏風』に一番時間を費やして、眼鏡もかけて、しっかり目に焼き付けました(私の記憶力ではもう失われつつありますが…)。

実際、展示室を出るときは後ろ髪を引かれるような気持ちで、何回も見直しました。

そこまで「綺麗」な作品だった。

と言いたいのですが、自分は「肩書き」にとても弱い人間です。

「国宝」「等伯」「代表作」。

そんな言葉が並んでいる作品を見て、それに引っ張られてないとは言えません。

情報を得てからその作品を見ることが好きな代わりに、そのせいで自分が必要以上にその作品の価値を自分で決めているのではないか…。

 

そう考えてしまうので、結局「素敵な作品」と自信を持って言えないんです。特にこういった知名度の高い作品には。

すごい面倒臭いなと思いますが、実際悩んでしまうのだからしょうがない。

 

それでも、ヴァチカンで見た作品や、ダヴィンチの作品、北斎の作品など、知名度があることをわかった上で、今でも鮮明に思い出せるような作品もあります。

私の中では一線を画するというか、本当に好きだった作品のみです。それも片手で数えるくらいの数なので、そこに入らないと「素敵」と胸を張って言えないのは、なんだか勿体無いというか。

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そんなことをうじうじ考えたりもしますが、実際この作品は見ることができてよかったです。

とても嬉しかったし、これからも時々思い出す作品になると思います。

皆さんにも、機会があればぜひみてもらいたいです。『松林図屏風』が展示されていた部屋は、月替わりで名作が展示される部屋。

次に行くときには何がみられるのか。とても楽しみです!

 

 

他に印象に残っているのは、『大井戸茶碗』でしょうか。

私の家は家族揃って落語が好きなのですが、落語の中に『井戸の茶碗』という話があります。

井戸の茶碗』を演じる噺家さんの中でよく聞くのは、柳家喬太郎さんの『歌う井戸の茶碗』です。弟と暗唱に挑戦するくらいには好きな作品なんですよね。

その話の中に、「井戸の茶碗か大井戸の茶碗、我が朝の土で焼かれたものにはございません!」というセリフがありました。

ここに出てきた「大井戸の茶碗」が直に見られるなんて…!

個人的にとても嬉しかったです(笑)

 

最後に紹介したいのが、タンスです。

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こちらの箪笥、源氏物語の一場面を意匠としたもの。『初音蒔絵源氏箪笥』と言います。

源氏箪笥とは、『源氏物語』の冊子を収める物です。

松の枝に鶯、2個の髭籠は、第二十三帖『初音』で、明石の上が娘である明石の姫君に送った正月の祝物を表しています。

内部には54帖の外題を全面に記した6個の引き出しを収めている、というもの。

(ほとんど博物館の展示説明をコピペしました。)

 

源氏物語は昔から好きで、全編しっかりと読んだことはまだないのですが、この場面は何回か読んだことがあります。

ですので思い入れのあるというか、印象強い意匠。

見ていてとても面白かったです!

外題を全面に記した〜と書きましたが、実際にそれぞれの帖の名前が書かれていて、読めました。

江戸時代に作られた物なので時代的にとても古いというわけではないですが、なんか嬉しかったです。

 

 

まだまだ刀剣、浮世絵、百人一首を描いたもの、本当に色々な作品がありました。

全部見たかったのに、見られなかった…。

しょうがないですよね、今度また東京に行く用事があるので、その際にしっかり見てこようと思います。

多分次に行っても、前見た作品の記憶の6割はないんだろうな。

こういう時は自分の記憶力のなさが歯痒いですが、毎回新鮮な感動をもてるということでいいことでもあるのかも!

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ということで、以上東博の作品(一部)を紹介してきました。

余談ですが、カメラでの写真撮影が許されているため、すんばらしいカメラを携えた方々が数名…。

自分もカメラを持っていったのですが、写真撮影にはあまり集中できず(負け惜しみ)、撮影の練習という意味では特に何もありませんでした…。

次はもうちょっと頑張ってみたい!

 

私は長時間作品をじっくりと見るタイプですが、色々な楽しみ方があると思いますし、一人一人にあったいつもの習慣もあると思います。

ただ、東博に収められている作品は(もちろん他のどの博物館にも共通していることですが)みていて嬉しくなるくらいに素晴らしいです。

ぜひ、機会があれば楽しんでもらいたいな〜と思いました。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。色々なことがある今日この頃ですが、ときには博物館で心を落ち着かせて、リラックスした時間を過ごしてみてください!

東京博物館①:2時間半余りで見学したら全然回れませんでした。

 こんにちは。今日もお疲れ様です!軽井沢はめっちゃ寒くて、外を歩いていると寒さが身に沁みます…!!

 

 今日は、以前書いた東京都美術館の感想の続きとして、東京博物館の見学レポみたいなものを書いていこうと思います!

 

chirpspring.hatenablog.com

 

ちなみに行った順番としては旧東京音楽学校奏楽堂の方が先だったんですが、分量的に明らかに量の多くなる東博からまず書いていきます!

www.tnm.jp

東博には、数回行ったことがあります。

ただ、記憶にある限りでは2回のみです。東京に住んでいた頃、科学博物館だったり西洋美術館だったりは何回も行っていたんですが、東京博物館は中学生になってからの一年で二回行ったっきりだと思っています。

 

それでは、なんとなくの回ってみた感想から、何をみたかについて書いていこうと思います。

 

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まず東博を回ってみて思ったこと。

 

時間がもっと欲しい!!!!!

 

これでも、時間はとったつもりだったんです。2時間半以上とって、新幹線にギリギリ間に合う時間で東博の中をゆっくり回るつもりでした。

 

東博には、幾つかの建物があります。

まずは本館(日本ギャラリー)。

そして、特別展や日本の考古学に関するものが詰まった平成館、表慶館や東洋館、他にも黒田記念館、法隆寺宝物館、そして資料館など色々な建物が。

東京国立博物館 - 来館案内 構内マップ

 

私は、本館と平成館、そして黒田記念館に行けるといいな〜と思ってました。

今考えると、甘すぎたというしかありません。

 

結局2時間半以上費やして、しっかり見ることのできた場所は本館の8割にも満たないのではないでしょうか。

最後の方は本当に駆け足で、なんならいくつかの展示室はもう飛ばして帰りました。

しょうがないことではありますが、もったいないことをしたなと思います。

 

東博が非常に大きい博物館ということはわかっていましたが、まさか一人で回っていて2時間半も一つの建物に欠けるとは思っていなかったんです。

 

もともと、展示物はかなり見る方だと思います。

基本的に知識が備わって初めてその作品の価値が理解できると私は考えているため、解説文と展示品を何度も見比べたりするからです。

正直展示物よりも展示解説文を読む時間の方が長かったりするため、そこは少しもったいないとは思っていますが…。

 

ただ、東博があそこまで大きいとは思っていませんでした。

日本のあけぼのから始まって江戸時代の文化まで。20以上の展示室に分けられて、時代順に展示されています。

実際に時代順に見ようと思えば、2階の展示室1からみなければいけないのですが、私は初めて行くこともあり一階の展示室、11番の彫刻から見始めました。

点字資料、音声資料、翻訳済みのパンフレット、さまざまなサービスがあり、さすが国立博物館だなと思った記憶があります。

 

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全体的に縄文時代から江戸時代までの美術作品を通して、日本の歴史を学ぶというか観覧するのですが、その時代それぞれの特徴的な工芸品だったり、どんどん進んでいく文化の流れが、見ていて引き込まれるようです。

 

さすが国立と感じたことの一つには、その展示物の豪華さも挙げられます。

「国宝」「重文」

そんな表記が所々にある、文字通り「選りすぐり」の作品たちです。

 

先ほど書いたように、基本的にはそれぞれの部屋で時代別に展示されているのですが、一階はジャンルごとに展示されている部屋もあり、見やすさにも気を使っているところが好きでした。

彫刻と一口に行っても、奈良時代から鎌倉時代で彫刻の用途も価値もかなり変わってきます。

仏像の目の形の移り変わりなどは、違う展示室に置いてあれば絶対に気づかないため、同じ展示室で本当にありがたかったです…。

 

みて回っていた際に思ったこと、感じたこと、学んだことは数え切れません。

ただただ楽しかったです。

あんなに展示品を見ることが楽しいとは思っていませんでしたし、一人であそこまで集中できるとも思っていませんでした。

たいていは家族で博物館に行くため、そうするとじっくり見る派の私と母親が一緒に行動するんです。

私が素通りしたところでも、母親が「これ◯個前のあの展示と似てるね」とか、「さっきの展示の解説に共通してるね」とか、より作品を楽しく見る方法を教えてくれるため、じっくり楽しむことができていました。

 

しかし、今回は私一人だけ。

どうなるんだろうと思っていたら、記憶力のない私でもどんどん引き込まれるくらいには展示が豊富で、面白くて、深いものばかりだったんです。

 

こんなところに、高校生なら無料で入れるって…

本当に信じられないです。ずっと高校生でいたいと思いました。

上野は科学博物館と西洋美術館を見に何回も来ているのに、なんで東博には全然来ていなかったんだろうと、少し後悔した気分です。

自分が東京を離れてから東京の価値にまた気づくのは、忸怩たるものがあります

 

 

さて、2000字書いてきたところで、東博の全体的な感想兼説明は終わりにします。

ここからは、一つ一つの展示品の中で記憶に残ったものや印象的だったものについて触れていこうと思っています。

実際に書いてみたところ、かなり長くなりそうなため、すぐに続きとして記事であげます。

そちらもぜひ読んでくださるとありがたいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。やっぱり、知識を得て、経験を得るって、贅沢で、嬉しくて、大切なことなんだな〜って実感できたと思います。

少し宣言:やりたいことをやりたいように

こんにちは。みなさん、いつもお疲れ様です!

 

今日は、ちょっと息抜きにささっと記事を書いていこうと思います。

息抜きというか、この頃思ったことを簡単に書いていくというか…。

 

ほんのちょっとネガティブ要素を含んでいるかもしれないので、あまり陰気な気分になりたくない人はブラウザバックしてください!

 

なんかこの頃、色々あって自分も余裕がなくなってるな〜って感じることがあるんですよね。

 

別にやらなきゃいけないことがいっぱいあるわけではなくて、自分の自己管理能力のなさが引き起こしているものなんですけど。

例えばやらなきゃいけないことがあっても、動画をずっと見ちゃったり本を読むことをやめられなかったり。

 

そうするとどうなるかっていうと、無意識に余裕がなくなっていって、結果的に友達と話している時にあまりノれなかったり、ちょっときついことを言っちゃったりします。

それで、後からめっちゃ落ち込んだりします。

そう思ってることを少し前に友達に伝えたら、「全然その発言きついとは思ってなかった…」と数人に言ってもらえたので、自分が色々考えすぎちゃったりネガティブ思考に陥っちゃったりしているだけなのかもしれないですが。

 

もともとあまりコミュニケーションが得意なタイプではなく、人と話すことも楽しいし自分でやりたいことをやっていることも楽しいし、っていうタイプです。

本をこの前数冊読んだんですけど、すごく楽しくて、やっぱり読書したいって思いました。同じことが、数学の勉強でもありました。友達に数学を教えてもらったんですけど、やっぱり好きな勉強ならすごく楽しいんですよね。

 

寮生活の中で、ご飯の時間は決まっているため、毎回誰かと一緒に座って食べます。

でも、ご飯を食べた後で「今日も喋らなかったし、空気悪くしてないかな」とか「全然このノリがわからない…」とか思う時がないわけではなくて。そうだったら、別にずっとそこに座っていなくてもいいんですよね。

 

一つ強調しておきたいのが、私は友達と話す時間が大好きだし、それを求めてISAKに来ました。

だから、それが嫌になっているとかそれで辛い思いをしているってわけではありません。本当にそれだけは言いたいです。

学びになることもいっぱいあるし、単純に楽しいです。大好きな人たちもいっぱいいるし、面白い。

 

それでも、やっぱり合う話と合わない話ってあって、例えば私は一対一の方が快適に話せるというか、大人数での会話だと聞き役に徹したくなるんですよね(変に会話に入ると空回っちゃったりすることも多い気が自分ではするので)。

中学校の時はそんなことなかったのにな〜とか思ってみても、これまでは一日8時間しか一緒じゃなかったクラスメイトと24時間一緒にいるわけですし、人も違えば話す内容も少し違います。

そりゃあ環境がこれだけ変われば自分の性格だって少しは変わります。

 

一匹狼になるわけではないけど、余裕がないなって自分で思っているなら、寮の中でどれくらい人と関わるかを一回見直してもいいかな、って思いました。

 

例えば、今まで30分〜1時間かけてた夕食(やっぱり人と座るので、会話が続いて気づいたら時間が…なんてことも多いです。)で、どんだけ会話が楽しくても25分経ったら強制的に部屋に帰って読書だったり勉強する、とか。

授業まえに時間ができたら、入りにくい会話をもし周りがしてたら焦らずに自分のしたいことをするとか。

 

そうやって、人と話す時間を少し見直して、自分のやりたいことをしよう。

…っていう風に思っていても、正直それで友達がいなくなる気はしないんですよね。

少しぐらい話す時間が減ったとしても、仲良くしてくれる人が少なくとも数人はいると思ってるからこそ考えられることなので。

それを考えると、幸せな環境にいるな〜とか思ったりします。

周りに嫌われたくなくて、その場から抜け出せない…という話は本の中でも何回か読んだことがありますし。

 

極端なことを言えば、一匹狼になっても、本当に自分のやりたいこと・やるべきことに焦点を当ててできるだけ時間を有効活用するような生活の仕方でもいいと思ってます。

でも、話していたいと思う友達が何人もできたので、それは寂しくなりそうだからやれません。

 

結局、今まで1500文字使って書いてきたことって、視点を変えると

「ちょっとタイムマネジメントできなくなってるから宿題とかをやる時間増やしま〜す」

っていう至極当たり前のことにもなるんですけどね。

 

なんか、この頃人といて純粋に楽しい時と、あとで「自分だめだったな…」って後悔しちゃう時間があるので、余裕がないなら楽しめない時間は減らしていこうかなっ!って思ったのを書いてきただけです。

 

あんまり落ち込んでるとかバランスが悪くなってるとかじゃなくて、なんなら今ちょっと疲れてた状態から上がってきてる最中です。

高名の木登りじゃないですけど、病み上がりが一番大事ってよく言うじゃないですか。

だから、「よし、頑張ろ〜!」ってなってる今こそちょっと自分を大事にというか、見直していきたいな〜って。

 

 

こうやって言葉にして整理しないと、私は「夕飯25分で切り上げる!」とか言っても結局絶対やらないので(書いてもやるかわからない)、ブログでわざわざ書いてきました。

お目汚し、すみませんでした…。決してネガティブな記事じゃなくて、私の中では前向きになっていこう!!っていう記事なので、そこらへんよろしくお願いします!

 

 

最後に、嬉しいニュースをひとつ。

ずっと待ち望んでいた、ISAKのオンラインで学習中の海外生徒が、まだ日にちは決まってないものの、順々にISAKに来れることとなりました!水際政策の中での留学生受け入れ。

本当に嬉しいです。このためにISAKにきたんですから!!

 

正直、楽しみだけど「ルームメイトと仲良くなれるかな…」とか思うのも本当です。だって、今まではなんだかんだ日本の社会の中で生きてきた人も多かったから、共通意識も多かったですし。それが少なくなっていって、しかも私がコミュ力がないためSNSでもあまり話していない…

ちょっと不安だけど、それは多分「途中から入る」形になるオンライン生徒の方が不安になる要素が多いはずです。

 

不安はとりあえず置いておいて、学年が完成するのを待ち侘びています!!

本当に、楽しみです!!

 

ということで、今回は特に読者の方には関係のないような記事を書いてきました。博物館レポも含め、色々書いてみたいことはたくさんあります。そういうものも自分で「自分の時間」を作って書いていきたいです。

最後までお読みくださりありがとうございました。ちょっと整理がついたかな。いつもとはまた少し違う感じの記事でしたが、これからの記事を楽しんでいただけたら幸いです!!

東京都美術館 Everyday Lifeと、上野の記憶

こんにちは。ブログを読んでくださっている皆さん、今日もお疲れ様です!

今日は、冬休みに行った博物館などの記録を書きながら最近思ったことを書いていこうと思います。

 

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 私は、冬休み中に用事があったため東京に行ったのですが、上野近くでのことだったため、久しぶりに山手線に乗って上野の博物館に行ってきました。

行ったのは、

  1. 東京都美術館
  2. 東京音楽学校奏楽室
  3. 東京国立博物館

の3つです。

最初都美術館に行ってから科学博物館に行こうかと思っていたのですが、科博は予約制だということを完璧に忘れていたため、科博には残念ながら行けず。

雪の日だったため外をぶらりと歩くこともできず、結局近くにあった旧東京音楽学校奏楽堂に行きました。

そして、別日にまた時間があったため上野の東京国立博物館に行ってきました。

一箇所はもともと行く予定がありませんでしたが、3箇所全てとても面白かったです。

 

 

 これから、数個の記事に分けて博物館の記事を書いていこうと思います。

まず、都美術館から

 

私が行ったとき、都美術館では

  • 上野アーティストプロジェクト2021「Everyday Life: 私は生まれ直している」
  • 東京都コレクションでたどる<上野>の記録と記憶

の2つを展覧会として開いていました。

Everyday lifeの方はあまり何が展示されているか知らなかったものの、昔上野の下町博物館に行ったこともあり、記録と記憶の展覧会は楽しみでした。

 

 多分東京都美術館って初めて入ったんですが、かなり広めのエントランスに加え展覧会として開いていたのはそのうちの一部。

あまり時間がなくゆっくりとは見られませんでしたが、他に何が見られるのかもう少し調べておけばよかったです。

 

 

Everyday Life: 私は生まれ直している

 

 二つの展覧会は併設されており地下が上野の歴史、地上がEveryday lifeといったふうに分かれていました。

まず見たのは、Everyday lifeの方。どうやら第5弾目の上のアーティストプロジェクト展覧会らしく、戦前から現代までの6人の女性作家の作品を飾っていました。

 

特に記憶に残った作品がいくつかあるのですが、残念ながらそのうちのいくつかは写真を取ってはいけないもので…

桂ゆきのコラージュ画、貫田洋子の津軽こぎん刺し(糸を編んで刺繍したもの)、川村紗耶香の和紙を使った作品、色々なものがありました。

 

その中でも特に綺麗だと思ったのは、まずガラスで作られた小曽川瑠那作品でした。

「けしきを織る」という題名で用意されたさまざまな模様の入ったガラス。

展示灯も相まって、想像が膨らむような幻想的な空間だったように思います。

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そして、極め付けは『息を織る 2021』でした。

この作品は、ただただ同じくらいの大きさの丸いガラス玉が何十にも吊り下がっている…というもの。

 

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正直最初に見た時は、「めっちゃ映えそう…」という感想でした。

しかし、説明書を読んでみると「一つ一つが息を吹き込んで作ってあるもので、それぞれの形は違う」そうです。

飾られているのは2021年のものでしたが、ホームページには2015年のものの説明がありました。時期が違うだけで、作っている工程などはほとんど同じだと思います。

 

ガラスを記録メディアと捉え、現在、命の痕跡や消えゆく風景、慣習を記録する方法を探っている。

病気を患ったことで、自身が生きていた痕跡のようなものを残したいと考え、

取り組み始めたこの作品は毎日ガラスの球を吹くことを起点としている。

見えない息が可視化された時、生きていることを実感する。喜びの瞬間の記録でもある。

 

こんなに綺麗な「息の形」があるんだな、と。

それぞれのガラスに、いつのものなのかちゃんと日付が書いてあるんです。

それがいくつも積み重なって、『喜びの瞬間の記録』となる。

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ただただ単純に、綺麗だな、美しいな、と思いました。

ガラス作品にここまで意識を取られるってほぼ初めての経験だと思うんですが、家に帰っても「小曽川瑠奈」の名前を検索して、作品を探しました。

技術がどうとか、細工の仕方とか、そんな知識は私にはありません。

でも、もっとこの人の作品を見てみたい、と思わせるものがあったんだと思います。

 

そして、そのガラス作品の展示室の横に、同じく記憶に残った人の作品がありました。

その人の名前が、常盤とよ子。

Wikipediaでは、「日本における女性写真家の草分けの一人」として紹介されています。

その紹介に違わず、彼女は戦後すぐに横浜でカメラを抱え、その中で生き抜く女性の姿を撮影。

その後は女流写真家協会を作るなど、カメラ界に大きく貢献しています。

 

展示されていた彼女の写真は、いわゆ洋パンを撮ったもの。

洋パンとは、在日米軍将兵を相手にした街娼のことです。

彼女は当時の横浜真金町遊郭地域に出かけ、そこで米兵相手の女性たちの姿を隠し撮りすることからはじめました。そのうち女性たちが検診を受ける病院や遊郭の室内での撮影も可能となり、「同性の側から見る彼女たち」を取ろうとしていたのです。

それから、「働く女性」に焦点を当てた写真をより多く取るようになり、売春防止法成立の後は女性たちの更生寮にも目を当てるようになりました。

 

今まで触れたことのないテーマで、正直驚きました。

歴史の裏に隠されることの多い売春婦という存在。

その存在に真っ向からカメラを向け、展示されるほどの枚数をとってきたということ。

こんなテーマで写真を撮る人がいたんだ、と思いました。

 

一応カメラも持っていて、学校の写真部にも入っています。単純に「生活の一部を切り取る」ことができるという面でも、憧れます。

別に自らカメラを見てポーズしているわけではありません。本当に、生活の一部を表しているんです。

しかも、題材が題材です。

私たちにとっては「非日常」のことでも、彼女らにとってみればそれが10年余りの「日常」だったんです。

 

写真が艶めいたものなわけではありません。

夜の仕事を始める前の、化粧をしている姿。

家に向かって歩いている姿。

洗濯をしている姿。

特別なものがあるわけではない、普通の生活と一瞬錯覚します。

 

それでも、アメリカ兵と一緒に歩いている姿や病院で検診を待っている姿を見るとその途端に彼女らの職業を思い出します。

歴史的に彼女らの存在がどう扱われているのか。

そのことについてこのブログで触れたいわけではないのですが、どう言葉にすればいいのかわかりません。

 

ただ、強烈な写真だな、と思いました。

興味を惹くし、もっと見てみたい気持ちもあります。

でも、一言で「いい写真」というのは何か違う気がする。

 

ガラス作品もそうですが、この作品も、「綺麗だな」と思います。

人が生きている姿が、その一瞬が、カメラの中に収まる。

それが、綺麗だと思います。

 

以上が、「Everyday Life:私は生まれ直している」の感想です。

特に印象に残ったお二方を紹介しましたが、私のカメラロールにはもっとたくさんの作品が残っています(もちろん写真撮影可能な作品のみです)。

原爆の作品、雨が降っている作品、冬の山の作品、温かみのある作品もあれば、突き放されたような印象を受けた作品も。

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美術館って、やっぱりいいな、と思いました。

 

上野の記録と記憶

そして、満足した後にのぞいたもう一つの展覧会が『東京都コレクションでたどる<上野>の記録と記憶』

江戸末期から昭和時代までの、「上野」を扱ってきた作品が多く展示されています。

こちらは、その地域の資料を時代別に展示した郷土資料館の豪華版のようなもの、という印象でした。

 

明治時代の作品の中から驚いたことを挙げるとしたら、まず1番に上がるのが

不忍池が明治時代には競馬場として扱われていた」ということ。

競馬に少しハマっている身としては、かなりの衝撃でした。

子供の頃に何回か言っていた、あの不忍池が競馬開催地だったなんて!!

使われていたのは8年ということでしたが、確かに展示されていた絵では、ジョッキーの服がダボついていたため時代を感じました(今はシュッとしています)。

まあそれはいいとして、昔の上野の姿を知る機会も特になかったため、こうやって博物館や動物園ができる前の上野の姿を文章や絵で見ることができたのは貴重な機会だったな〜と思います。

 

そして、時代は私の知っている上野に変わっていきました。

まずは、大正時代。その出来事が起こった数ヶ月後に描かれた絵でも、その悲惨さはとても伝わってきます。

大正12年9月1日、関東大震災です。

今でも小学校の時から教わる、防災の日のきっかけとなった大震災。

上野ももちろん被害を受けました。

 

あの地震では、地震の大きさももちろんのこと、昼食準備の時間にちょうどかぶっていたため火災での被害がもっとも記憶に残るものとなりました。

 

(今回は行きませんでしたが、私の好きな「江戸東京博物館」。両国駅が最寄りなのですが、近くに横綱町公園という公園があります。関東大震災による被害がもっとも沖勝った場所の一つであり、記念碑と復興記念館が立っています。本当に小さい時に記念碑を見た記憶はあるのですが、もう一度行きたい場所のうちの一つです。)

 

関東大震災を見た人が描いた、大震災発生当時の火に塗れた姿。

そして、その震災の後の復興を遂げた「新東京百景」。

自分の知っている上野に近づいたような気がしました。

 

そして時代は昭和に

やっぱり印象に残るのは、戦中・戦後の上野の姿です。

特に印象に残ったのが、桑原甲子雄さんのとった「出征軍人留守家族記念写真」です。

これは、出生に出かける前の軍人さんとその家族をとったもので、数十枚飾ってありました。家族4・5人で写っている写真もあれば、お母さんらしき女性と軍服を着た若い男性で写っている写真も。

よく言われる「死んだ兵士にもそれぞれ家族はいる」という言葉

それを肌で感じたような気がします。

 

当たり前のことですが、出征した軍人にはそれぞれ家族がいて、中にはお母さんを一人で残していかなければいけなかった、という人もいたはずです。

そして、結果的に帰れなくなった人も多くいました。

写真で残っている家族数十組だけを見ましたが、上野に限らずどの地域でもこういうことが起こっていたんだと思うと色々と考えてしまいます。

 

戦後の上野も、二段階に分けて展示されていました。

まず戦争直後の、上野の「暗」の部分

地下道に寝転ぶ人々の姿をスケッチしたものです。

子供たちだけがうつっていスケッチもありました。

体全体というよりは、体の一部にピントを合わせてその情景を描いています。

「悲惨」という言葉を使うことが正しいのか、わかりません。

今の生活水準から行ったら「悲惨」という言葉も間違っていないと思うのですが、それはそこで生活していた人にとっては日常だった一コマです。

その後、上野はまた発展していき高度経済成長期に写っていきました。

ここまでくると、親しみやすい動物園などの作品が増えて、知っている上野になります。

 

知識として新しく得たものは、そこまでなかったと思います。

戦後の暮らしなども、色々な写真集に乗っているものと比べてとてもインパクトがあると言ったものではなかったと思います。

だけど、こうして私の知っている「上野」という場所が明治時代からどういう歴史を歩んできたのか、という形で示してもらうと、知識を得た、得ないだけでは収まらないものがあるんだと思います。

より身近に感じるというか、歴史をただの一ページとしてではなく、その地域の人に注目する形で学ぶことができます。

 

最後に

東京都美術館は、最初は「めっちゃいきたい!!!」というわけではなかったのですが、いざ行ってみると色々な出会いもありましたし、発見もありました。

1番の出会いは、やっぱり小曽川瑠奈さんのガラス作品でしょうか。

まだ時々ネットで検索して、どんな作品があるのかを調べています。

 

本当に楽しかったし、これからはフェルメールが来るはずなので、フェルメールも都美術館で見てみたいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございます。思ったより長くなってしまいましたが、東京都美術館の感想を書いてきました。次からは他の博物館の感想を書いていこうと思います!

半年ほどネットで勉強していました:edXでハーバード大のCS50を受けてみて

 こんにちは。新年になったのに、全然ブログをかけていません…。

ちゃんと時間を見つけて描いていきたい!

 

目次

 

今日は、前々からやっていたことについて書いていこうと思います。

それは、edXのコース、ハーバード大学のCS50という授業を受けたことです。

 

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まずはこのコースについての説明、そしてなぜ受けたのか、その後に受けてみてどう思ったか、について書いていこうと思います。

 

 

私が受けたコース、edXのCS50とは?

このedXとは、160以上の大学が合計3000以上のコースを提供している無料のオンライン学習サービスです。(有料コースもあります。)

ハーバード大学マサチューセッツ大学、オックスフォード大学をはじめとして、世界各国の大学がコースを提供しています。

日本からは、東京大学京都大学早稲田大学や東京工科大などがコースを提供。

これらの大学の提供するコースから一つを選んで、講義を見たり課題を達成したりして終了させます。

 

無料コースだと授業の動画を視聴するのみとなるはずです。

動画は再生速度を変えることもできれば英語の字幕を出すこともでき、YouTubeの動画によく似ています。

 

有料コースだと、動画視聴の後に幾つかの課題が設定されています。

それらの課題を全て終えれば次に進むことができ、全てを達成した暁には修了証明書がもらえます。

この修了証明書はPDFでももらいますし、pngの形でもらってそれをそのままSNSなどに投稿することもできます。

私が受けたコースは、大体2万円ぐらいかける有料コースでした。

他の方のサイトなどを見ていると1万円という記述もあったため、もしかしたらコースによって違うのかもしれません。

 

このedXの中には先ほども書いたようにさまざまなコースが提供されています。

私の選んだコースは、ハーバード大学が提供しているCS50というコースでした。

こちらのコースでは、コンピューター科学の入門を学べるようになっています。

具体的にいうと、C言語をはじめとした代表的なプログラミング言語を勉強し、その過程でコンピューター科学とは何なのかを含めた概念を学びます

 

 

*コースの内容*

week1から始まって10週分の講義があり、その分課題も10週分ありました。

それに加えてFinal Projectと言って、最後の「講義なしで自分なりに学んだことを使って何かを作ってみよう」という課題もあります。

それらを全てコンプリートすると、証明書をもらうことができました。

 

以上が、私のとったコースの説明です。

プログラミング知識0の私がとっても一応終了できたので、誰でも受けられる本当に「入門的な」コースとなっています。

 

コースを受けた理由・終了するまで

それでは、ここからはなぜコースを受けたのか、そして終了するまでの道のりについて話していきます。

 

まず、このコースを始めたのは5月の中旬でした。

 

私の入っている高校は夏からだったので、中学卒業後空白の時間が4ヶ月ほどあったんです。最初の1ヶ月は何をやればいいのか全くわからず、少し本を読む程度であまり何もやらずに時が流れ…。

これではいけないと何かを始めようとした結果、edXを見つけてコースを受けてみることにしました。

 

プログラミングにもともと興味もあったため、「入門的なプログラミング」という言葉とハーバード大学という言葉に惹かれて(笑)、CS50を始めることにしました。

私のいる高校が全て英語の授業のため、その授業をしっかり受けられるためにも、英語でしか受けられない授業を受けておこうと思ったことも理由の一つです。

 

たいてい私はこういうものはすぐに辞めてしまうため、お金をかければ責任を感じてやるだろうと親と話し合い、お金を出して修了証をもらえる有料コースに申し込みました。

 

ということで、5月のこのコースをはじめ、思った以上の難易度に苦戦しながらもなんとか高校入学までにweek8までは終わらせることができました

ですが、7月後半から始めたweek9の課題が難しくて難しくて…。

いくら時間をかけても、プログラミングのできる人に聞いても進展があまりなく、もうやる気も失っている状態で高校入学となってしまいました。

 

そうなったら、高校で次は忙しくなってしまいCS50の方に回す時間も無くなっていきます。

結果的に、week9やFinal Projectを含めて全てが終わったのが12/31。

晦日で、本当の本当にギリギリでした。

 

コースで修了証を取るための認証は、受講を始めた年の一番最後までに終わらせなければいけなかったため、コースも含めて全てを12/31に終わらせようと思っていたんですが、

結果的になんで高校入学前に終わらせなかったんだろうと悔やむ展開となってしまっていました。

もう終わらないかなとも思っていたので、12/31までに終わらせることができて本当によかったです!

お金を出してもらっているんだから終わらせなければいけないという思いが強く働いたので、結局は目論見通りだったのかも(笑)

 

 

コースを受けての感想

それでは、コースを受けてみてどう思ったかについて書いていこうと思います。

 

とりあえず声を大にして言いたいのが、

難しい!!!!!

ということ。

 

特に、Week9とFinal Project!!

Week9は単純に課題が難しいです。

2021年のweek9では、一つのウェブサイトを作らなければいけませんでした。

お金の出し入れができて、買い物ができて、履歴が見れて、アカウントを作れて…。

実用できるやん!みたいな感じのウェブサイト。

 

これが1ヶ月ぐらいかかってもできなかったから、やる気があんなにそがれたんです…。

 

と言っても、私にももちろん悪かった点はあります。

講義が全て英語なので、しっかりわかるというよりは70~80%ほどできたらそれで満足、という形で毎回講義を受けていました。

あと、2時間超の授業を動画という形でずっとみているのは正直辛いです。

2時間40分とかになると、もう理解するだけで半日使う…ということもあり。

オンライン&全て英語&長時間で、かなりかなりきつかったです。

 

Final Projectは、正直時間を気にしながらだったのであまり完成度としては高くないです。

これで合格になるかドキドキしながら提出したぐらいなので、修了証をもらったときは本当に安堵しました。

ただ、自分でこれからも使えるものを作ったつもりなので、それ自体は作ることができてよかったです。

 

内容はなんとか理解できるレベルで、習っていて普通に面白かったです。

なんでこうなるんだろう…と思ったところは、動画の中でたいていハーバード大学の講義を生で受けている方達が質問してくれましたし。

 

*ちなみに、ハーバード大の講義を受けている学生の方がに本当にびっくりしました。たいてい質問が出るし、全て的をいたもの。活動的というか、内容の濃い授業でした。先生のみでなく生徒が授業を作る一端となっていることが十分にわかりましたし、なんとなく毎回質問してくる生徒として最後の方は認知している人もいました。

 

構造というか、コンピューター科学の仕組みやプログラミング言語の違い、成り立ちなども語ってくれていてとても面白かったからこそ、なんとか続けることができました。

 

課題は、たいていlabと言って小テストのようなものがあり、それと一緒になってpsetと言われるしっかりとした課題があります。

例えば、Week6だとしたらLab6とPset6を解かなければいけません。

それぞれにふたつ課題が出ることもあれば、選択式でLab6の中ではこれとこれから選んでいいよ〜などの選択式になることもあります。

 

内容がしっかりわかればあまり難しくはないのかもしれないし、わかっていても内容はやっぱり難しいのかもしれないし…。

入門とはいえ、もともと知識がある方がやっぱりやりやすくはあると思います。

それでも勉強するプラットフォームをはじめ質問できる場所など色々と用意されていたためありがたかったです。

 

 

最後に

結果的に修了証をもらうこともできましたし、学びにもつなげることができました。

途中はどうなるかと思いましたが、なんとか終わって良かったです。

このブログにも、自分に対する嫌がらせのようにコースをはじめた当初から「報告できるといいなということがあります」とか書いていたので、本当にここでいうことができて良かったです。

「ご報告」とか言っておいて別に超重要なことではないのですが、自分としては「あのハーバード大学の授業についていけたんだぜ!」的にかなり嬉しいことだったし、大きいことだったので、ちょっと大袈裟にいってきました。

自分に対するプレッシャーにするためにブログにも書くという狙いが最初はあったので、有効活用できたのかと…。

 

これからも何個か受けてみたいコースがあります。

有料にするか無料にするかはこれからの自分の学業との相談ですが、少なくとも知識を蓄えておいて損することはありません。

 

単純に勉強って楽しいですし、今回のコースでも苦労する中でそれを実感してきました。

この、学んだプログラミングの知識が、どこまで私の中に留まるかわかりませんし、復習していなかったらすぐ忘れてしまうと思います。できるだけ忘れないように、自分で「CS50終了させたんだから!」と自分を奮起させるためにも、続けて努力していきたいなと思います。

 

ということで、今回はedXを使ったハーバード大のCS50についてブログを書いてきました。

これで、一つ2021からの肩の荷が降りた感じがします。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。これからも勉強含め、趣味含め、頑張っていきます!!!

 

2021~2022で思うこと  中途半端にせず、やりたいことを楽しんで!!

あけましておめでとうございます。

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 今回は備忘録らしく2021年の反省と、2022年に向けての抱負を書いていこうと思います。ややこしくなりますが、書いているのが2021年の為、2021年→今年、2022年→新年とかき分けていきます。

 

目次

 

2021年、ISAKに入るまで

 まずは、2021年の反省からです。

今年は、色々な変化がある上で、色々な迷いもある一年だったな〜と思います。

 

2021/1は、私にとって受験の月でした。

今いるISAKの第二次試験があり、落ちた時のために公立受験の勉強をずっとやっていました。

 

2月に入ってから合格が分かり、そこで受験勉強の必要がなくなり、勉強の手を抜いてしまったため最後のテストで点が下がってしまったのがとても苦い思い出です…。

 

それでも、3月に中学校を卒業するまでいろいろな人にお世話になり、新しい思い出などもいっぱい作って、最後の中学生活を楽しんだと思います。

 

先生にも受験関係やその他のことでいっぱいお世話になって、感謝してもしきれません。

中学生活は本当に楽しかったな〜と思います。

みんなが色々言えるような雰囲気のクラスだったため居心地もとても良く、グループ等もあまりない(少なくとも私は色々な人の話しかけることができたかと…)クラスでした。

 

受験という一大イベントは、やっぱりドキドキするもので、正直第一志望校に受かると思っていなかったため、合格通知を受け取った時は本当に驚きました。

勉強も、今机に向かう勉強というのをあまりやっていないため、より懐かしむ気持ちがあります。

受験の必要がなくても、やることは勉強でしたし、自分が勉強が好きなんだということを再確認できた時間でもありました。

 

そして、3月に卒業してから長いギャップタームに入りました。

私の入学した高校UWC ISAK Japanは、8月から新学期が始まるため、それまで四ヶ月ほど何もしない時間を過ごしていたのです。

このギャップタームの使い方は、今振り返るともっと有効活用できたような気もするし、あれが精一杯だったような気もします。

最初の一ヶ月は暇を持て余して悩み、5月ぐらいからちゃんとやることを整理して本を読んだり勉強したりするようになりました。

6月ごろには、新しく学校図書館などの教育界隈にも興味をもつようになりました。

そして7月後半からはまた弛み始めて、あまり始めたことを終えないままISAKに入学したような気もします。

 

このギャップタームの反省点としては、まずは時間をしっかり管理しなかったことが挙げられます。

まだ時間があるし、と先延ばしにして、結局実のあることはあまりできなかった。

そして、もう少し色々な範囲に手を伸ばしてみて、視野を広げてみても良かったんじゃないかな〜と思います。私がボランティアとして参加している一般社団法人Voice Up Japanも、今思えばあの時にもう少し参加しておいたら社会勉強になっていたはず…。

 

ただ、良かったこともたくさんありました。

まずは、自分が興味をもったことをいくつか続けられたこと。

そのうちの一つが、このブログです。

私は、4月21日からISAK入学の日まで連続投稿を続けていました。100日と少しだったと思うんですが、かなり長い間続けられたため、自分としては大満足です。

まさかあんなに続けられるとは思っていなかったので、それは自分を褒めてもいいことだと思います。

 

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そして、歴史ノート作り。

記事にしたこともありますが、教科書に載っている出来事をすべて年表として一冊のノートにまとめたものです。付録として、全将軍&総理大臣&天皇一覧がついています。

このノートは、かなり力を入れたものなため、完成した時は本当に嬉しかったです。

中学卒業前の2月後半か3月ごろから暇な時に少しずつ進めて、結局完成したのは5月か6月…。

あれはもう勉強でもなんでもなく、趣味の領域でした。

でも、そうやって自分の興味のあることを突き詰めるというのが今までは三日坊主の癖もありなかなかできなかったため、ノートを完成させられたのは嬉しいです!

 

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他にも、学校図書館という新たな分野に興味を持ちました。

これは、ギャップターム中に読み漁っていた本のうちの一冊が学校図書館関係の本で、そこからどんどん興味を持つようになりました。身近に学校図書館関係の仕事をしている方がいらっしゃったため、その方にお話を聞いたりして、より深く考えるようにもなりました。

ISAKに入ってからもそっちの方面に向けた活動ができないかと考えて相談したりしているため、ギャップタームのおかげで見つけた新しい興味のある分野です。

 

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このギャップターム、本当にありがたかったです。この期間に色々なことを学べましたし、できることならもう一回体験したいです。一回試してみて、より有効的に時間を使えるようになった今、何をするのか・何ができるのか、想像するとわくわくが止まりません。

 

 

ISAK入学!!

8月になり、ISAKに入学するとここでもまた色々な新しい経験がたくさんありました。

当たり前ですが、寮生活となると人間関係の密度が大きく変わってきます。

周りの人たちが何をやっているのかに神経をすり減らしたり、自分でも人間関係をどうすればいいのかわからなかったり…。

でも、一日8時間しか会ってなかった中学と比べれば色々な悩みが増えるのは当たり前のことだと思います。

 

今では、私は自分一人の時間を作ることに不安を覚えなくなってきたため、これからは余裕を持って過ごしていきたいと思っています。

これまでは正直、周りが誰かと遊んでいたりすると自分が一人でいることになぜか不安になったりもしていたため、まだまだ自分も幼いな〜と思ったり…。

 

本当に色々あるISAKですが、そういう細かい「色々」を全部まとめると、結局楽しいです。

楽しいけど、すごく疲れる。

そんな感じですね。

刺激的な人もいっぱいいるし、プロジェクトはやりやすいし、話の合う人もいるし、理想と現実はもちろん違うことを学べたし、、、。

 

私は教科書を使う勉強も大好きなため、それを考えるとISAKの勉強スタイルが私に合うのかはあまり分かりません。

でも、とりあえずこの学年でいるうちは、ISAKでできることをできるだけ探して、可能な限りISAKを満喫して楽しもうと思っています。

 

色々な人がいることは当たり前で、自分もその「色々」のうちの一人。

なら、自分は自分らしく周りに左右されずに置かれた環境で楽しむことが一番!

 

…それが本当に難しいことは身をもって感じました。

それでも、まだまだいけます。

ISAKについては、思うところもいっぱいできました。楽しいことももちろんたくさなったし、まだ腑に落ちないところもあります。

でも、新しいスタイルなんだから納得できないところがあっても仕方ありません。

問題は、それを変えられるのか、変える力があるのか、というところだと思っています。

 

ありがたいことに、変えようと思ったら行動に出る生徒がISAKにはたくさんいます。

そう言った人たちを見て、自分でも取り入れたいと思ったとろは取り入れられるように努力していきます。

 

 

そして、自分がちょっと疲れたな、と思った時は休むようにしようとも思いました。

寮がとても乾燥しているため、一回風邪気味になったことがあり、その時は家が近かったため家に帰って休みました。

外国に親がいて会えないという生徒はISAKにたくさんいるため、そういう人たちには申し訳ないと思いながらも、やっぱり安心できる環境で休むのが一番だと実感しました。

 

新年は…

休むことについて書いたばかりですが、

新年は今まで以上に努力して、自分を追い込んでいきたいな〜と思っています。

 

私は、大言壮語で大きいことは言うのにそれを実行に移さないきらいがあります。

それは、いくつかやっていることがあればそれを言い訳にしてしまうから。

 

「今これやっているから、別に他のことはやらなくてもいいよね。」

 

そういう考え方で結局何もやらないということが多かったです。

もっと自分に負荷をかけて、限界を伸ばしていきたいです。

もともとそんなにできるわけでもないので、限界を伸ばすと言っても人並みになる程度。

2022年はできることを増やしていくのが目標です。

 

ISAKにいる限り、、、というか、どの環境にいても悩むことは当然あると思います。公立高校に入っても違う形の悩みがあっただろうし、その環境にはその環境なりの悩みがつきまといます。

だから、その中でぐるぐる動いて疲れてしまうのではなく、

自分がやらなければいけないことと自分がしたいことをはっきりさせ、今やっていることが本当にやる必要があるのかも考える。

 

そして、2021は色々なことを中途半端にしてきたので、そうはしたくありません。

 

このブログを書いている間にも、日本語力がなくなっていることを実感しています。

でも、英語を話すISAKに入学したからといって日本語が下手な理由にはならないと思っています。

もともと本が好きで、語彙力もある程度はあると思っていたため、日本語力の落ちを実感するたびに悔しくなるし悲しくなります。

 

英語も中途半端にしたくなければ、日本語も中途半端にはしたくない。

勉強も同じことです。

学校の勉強も趣味の勉強も、自分で必要なことだとわかっているのならどちらも中途半端にする必要はありません。

 

中途半端にせず、全力じゃなくてもいいから自分のやりたいようにやってみること。

そしてそれを楽しんでみる。

 

 

そうやって生活できたら楽しいだろうと思います。

難しいと思うけど、できるようになってみたい。

 

とりあえずはやっていることを整理整頓して、そこから優先順位をつけていくことが始まりかと。

来年の今頃自分がどうなっているのかがわからないため、少し2022が怖くもあり、楽しみでもあります。

ちゃんと楽しめているといいな!!

 

まとめに…

ということで、少し真剣に新年の抱負を語ってみました(笑)

新しい活動も色々していますし、何かご報告できることが近々あるかもしれません。

 

ブログも、もっと多く更新したいと思っています。

前からブログを見てくださる方、

この頃見るようになってくださった方、

たまたまこのブログを目にした方、

そう言った方々のおかげで、「まだ書いていてもいいんだ!」という気持ちになります。

もちろん自分のために書いているとはいえ、やっぱりアクセス数とかは気になるものです。反応をいただくと飛び上がるほど喜びますし、言及してくださったりすると泣いて喜びます。

本当に、いつもブログを訪れてくれてありがとうございます。

 

色々なことがあった一年でした。

卒業、入学、色々な迷い、挑戦、学校図書館

新しい友達、やりとりの続く中学の同級生、寮の優しい先輩方、

自分の中での競馬再ブーム、ジャニーズがより大好きになったこと、V6解散の際の初ライブ観戦で泣いたこと(坂本くん結婚おめでとうございます!!)、、、。

やっぱり、一年って早いように見えて長い気もします。密度が濃いです。

 

 

新年も、色々なことを(中途半端にせず)やって、自分らしく、楽しんでいきたいです!

このブログもそろそろ始めて4年!

300記事に入り、この次の記事で350記事になります。更新も心がけますので、ぜひ見ていってください!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。抱負…は短かったかもしれませんが、2021年の振り返りと2022年に向けてを書いてきました。皆様の2022年も、笑溢れる一年となりますように!!

 

 

 

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