うぐいすの音

17歳の女子が運営しているブログ。本のレビューなどしていきます。

東京博物館①:2時間半余りで見学したら全然回れませんでした。

 こんにちは。今日もお疲れ様です!軽井沢はめっちゃ寒くて、外を歩いていると寒さが身に沁みます…!!

 

 今日は、以前書いた東京都美術館の感想の続きとして、東京博物館の見学レポみたいなものを書いていこうと思います!

 

chirpspring.hatenablog.com

 

ちなみに行った順番としては旧東京音楽学校奏楽堂の方が先だったんですが、分量的に明らかに量の多くなる東博からまず書いていきます!

www.tnm.jp

東博には、数回行ったことがあります。

ただ、記憶にある限りでは2回のみです。東京に住んでいた頃、科学博物館だったり西洋美術館だったりは何回も行っていたんですが、東京博物館は中学生になってからの一年で二回行ったっきりだと思っています。

 

それでは、なんとなくの回ってみた感想から、何をみたかについて書いていこうと思います。

 

f:id:chirpspring:20220226165713j:plain

 

 

まず東博を回ってみて思ったこと。

 

時間がもっと欲しい!!!!!

 

これでも、時間はとったつもりだったんです。2時間半以上とって、新幹線にギリギリ間に合う時間で東博の中をゆっくり回るつもりでした。

 

東博には、幾つかの建物があります。

まずは本館(日本ギャラリー)。

そして、特別展や日本の考古学に関するものが詰まった平成館、表慶館や東洋館、他にも黒田記念館、法隆寺宝物館、そして資料館など色々な建物が。

東京国立博物館 - 来館案内 構内マップ

 

私は、本館と平成館、そして黒田記念館に行けるといいな〜と思ってました。

今考えると、甘すぎたというしかありません。

 

結局2時間半以上費やして、しっかり見ることのできた場所は本館の8割にも満たないのではないでしょうか。

最後の方は本当に駆け足で、なんならいくつかの展示室はもう飛ばして帰りました。

しょうがないことではありますが、もったいないことをしたなと思います。

 

東博が非常に大きい博物館ということはわかっていましたが、まさか一人で回っていて2時間半も一つの建物に欠けるとは思っていなかったんです。

 

もともと、展示物はかなり見る方だと思います。

基本的に知識が備わって初めてその作品の価値が理解できると私は考えているため、解説文と展示品を何度も見比べたりするからです。

正直展示物よりも展示解説文を読む時間の方が長かったりするため、そこは少しもったいないとは思っていますが…。

 

ただ、東博があそこまで大きいとは思っていませんでした。

日本のあけぼのから始まって江戸時代の文化まで。20以上の展示室に分けられて、時代順に展示されています。

実際に時代順に見ようと思えば、2階の展示室1からみなければいけないのですが、私は初めて行くこともあり一階の展示室、11番の彫刻から見始めました。

点字資料、音声資料、翻訳済みのパンフレット、さまざまなサービスがあり、さすが国立博物館だなと思った記憶があります。

 

f:id:chirpspring:20220226165808j:plain

 

全体的に縄文時代から江戸時代までの美術作品を通して、日本の歴史を学ぶというか観覧するのですが、その時代それぞれの特徴的な工芸品だったり、どんどん進んでいく文化の流れが、見ていて引き込まれるようです。

 

さすが国立と感じたことの一つには、その展示物の豪華さも挙げられます。

「国宝」「重文」

そんな表記が所々にある、文字通り「選りすぐり」の作品たちです。

 

先ほど書いたように、基本的にはそれぞれの部屋で時代別に展示されているのですが、一階はジャンルごとに展示されている部屋もあり、見やすさにも気を使っているところが好きでした。

彫刻と一口に行っても、奈良時代から鎌倉時代で彫刻の用途も価値もかなり変わってきます。

仏像の目の形の移り変わりなどは、違う展示室に置いてあれば絶対に気づかないため、同じ展示室で本当にありがたかったです…。

 

みて回っていた際に思ったこと、感じたこと、学んだことは数え切れません。

ただただ楽しかったです。

あんなに展示品を見ることが楽しいとは思っていませんでしたし、一人であそこまで集中できるとも思っていませんでした。

たいていは家族で博物館に行くため、そうするとじっくり見る派の私と母親が一緒に行動するんです。

私が素通りしたところでも、母親が「これ◯個前のあの展示と似てるね」とか、「さっきの展示の解説に共通してるね」とか、より作品を楽しく見る方法を教えてくれるため、じっくり楽しむことができていました。

 

しかし、今回は私一人だけ。

どうなるんだろうと思っていたら、記憶力のない私でもどんどん引き込まれるくらいには展示が豊富で、面白くて、深いものばかりだったんです。

 

こんなところに、高校生なら無料で入れるって…

本当に信じられないです。ずっと高校生でいたいと思いました。

上野は科学博物館と西洋美術館を見に何回も来ているのに、なんで東博には全然来ていなかったんだろうと、少し後悔した気分です。

自分が東京を離れてから東京の価値にまた気づくのは、忸怩たるものがあります

 

 

さて、2000字書いてきたところで、東博の全体的な感想兼説明は終わりにします。

ここからは、一つ一つの展示品の中で記憶に残ったものや印象的だったものについて触れていこうと思っています。

実際に書いてみたところ、かなり長くなりそうなため、すぐに続きとして記事であげます。

そちらもぜひ読んでくださるとありがたいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。やっぱり、知識を得て、経験を得るって、贅沢で、嬉しくて、大切なことなんだな〜って実感できたと思います。

少し宣言:やりたいことをやりたいように

こんにちは。みなさん、いつもお疲れ様です!

 

今日は、ちょっと息抜きにささっと記事を書いていこうと思います。

息抜きというか、この頃思ったことを簡単に書いていくというか…。

 

ほんのちょっとネガティブ要素を含んでいるかもしれないので、あまり陰気な気分になりたくない人はブラウザバックしてください!

 

なんかこの頃、色々あって自分も余裕がなくなってるな〜って感じることがあるんですよね。

 

別にやらなきゃいけないことがいっぱいあるわけではなくて、自分の自己管理能力のなさが引き起こしているものなんですけど。

例えばやらなきゃいけないことがあっても、動画をずっと見ちゃったり本を読むことをやめられなかったり。

 

そうするとどうなるかっていうと、無意識に余裕がなくなっていって、結果的に友達と話している時にあまりノれなかったり、ちょっときついことを言っちゃったりします。

それで、後からめっちゃ落ち込んだりします。

そう思ってることを少し前に友達に伝えたら、「全然その発言きついとは思ってなかった…」と数人に言ってもらえたので、自分が色々考えすぎちゃったりネガティブ思考に陥っちゃったりしているだけなのかもしれないですが。

 

もともとあまりコミュニケーションが得意なタイプではなく、人と話すことも楽しいし自分でやりたいことをやっていることも楽しいし、っていうタイプです。

本をこの前数冊読んだんですけど、すごく楽しくて、やっぱり読書したいって思いました。同じことが、数学の勉強でもありました。友達に数学を教えてもらったんですけど、やっぱり好きな勉強ならすごく楽しいんですよね。

 

寮生活の中で、ご飯の時間は決まっているため、毎回誰かと一緒に座って食べます。

でも、ご飯を食べた後で「今日も喋らなかったし、空気悪くしてないかな」とか「全然このノリがわからない…」とか思う時がないわけではなくて。そうだったら、別にずっとそこに座っていなくてもいいんですよね。

 

一つ強調しておきたいのが、私は友達と話す時間が大好きだし、それを求めてISAKに来ました。

だから、それが嫌になっているとかそれで辛い思いをしているってわけではありません。本当にそれだけは言いたいです。

学びになることもいっぱいあるし、単純に楽しいです。大好きな人たちもいっぱいいるし、面白い。

 

それでも、やっぱり合う話と合わない話ってあって、例えば私は一対一の方が快適に話せるというか、大人数での会話だと聞き役に徹したくなるんですよね(変に会話に入ると空回っちゃったりすることも多い気が自分ではするので)。

中学校の時はそんなことなかったのにな〜とか思ってみても、これまでは一日8時間しか一緒じゃなかったクラスメイトと24時間一緒にいるわけですし、人も違えば話す内容も少し違います。

そりゃあ環境がこれだけ変われば自分の性格だって少しは変わります。

 

一匹狼になるわけではないけど、余裕がないなって自分で思っているなら、寮の中でどれくらい人と関わるかを一回見直してもいいかな、って思いました。

 

例えば、今まで30分〜1時間かけてた夕食(やっぱり人と座るので、会話が続いて気づいたら時間が…なんてことも多いです。)で、どんだけ会話が楽しくても25分経ったら強制的に部屋に帰って読書だったり勉強する、とか。

授業まえに時間ができたら、入りにくい会話をもし周りがしてたら焦らずに自分のしたいことをするとか。

 

そうやって、人と話す時間を少し見直して、自分のやりたいことをしよう。

…っていう風に思っていても、正直それで友達がいなくなる気はしないんですよね。

少しぐらい話す時間が減ったとしても、仲良くしてくれる人が少なくとも数人はいると思ってるからこそ考えられることなので。

それを考えると、幸せな環境にいるな〜とか思ったりします。

周りに嫌われたくなくて、その場から抜け出せない…という話は本の中でも何回か読んだことがありますし。

 

極端なことを言えば、一匹狼になっても、本当に自分のやりたいこと・やるべきことに焦点を当ててできるだけ時間を有効活用するような生活の仕方でもいいと思ってます。

でも、話していたいと思う友達が何人もできたので、それは寂しくなりそうだからやれません。

 

結局、今まで1500文字使って書いてきたことって、視点を変えると

「ちょっとタイムマネジメントできなくなってるから宿題とかをやる時間増やしま〜す」

っていう至極当たり前のことにもなるんですけどね。

 

なんか、この頃人といて純粋に楽しい時と、あとで「自分だめだったな…」って後悔しちゃう時間があるので、余裕がないなら楽しめない時間は減らしていこうかなっ!って思ったのを書いてきただけです。

 

あんまり落ち込んでるとかバランスが悪くなってるとかじゃなくて、なんなら今ちょっと疲れてた状態から上がってきてる最中です。

高名の木登りじゃないですけど、病み上がりが一番大事ってよく言うじゃないですか。

だから、「よし、頑張ろ〜!」ってなってる今こそちょっと自分を大事にというか、見直していきたいな〜って。

 

 

こうやって言葉にして整理しないと、私は「夕飯25分で切り上げる!」とか言っても結局絶対やらないので(書いてもやるかわからない)、ブログでわざわざ書いてきました。

お目汚し、すみませんでした…。決してネガティブな記事じゃなくて、私の中では前向きになっていこう!!っていう記事なので、そこらへんよろしくお願いします!

 

 

最後に、嬉しいニュースをひとつ。

ずっと待ち望んでいた、ISAKのオンラインで学習中の海外生徒が、まだ日にちは決まってないものの、順々にISAKに来れることとなりました!水際政策の中での留学生受け入れ。

本当に嬉しいです。このためにISAKにきたんですから!!

 

正直、楽しみだけど「ルームメイトと仲良くなれるかな…」とか思うのも本当です。だって、今まではなんだかんだ日本の社会の中で生きてきた人も多かったから、共通意識も多かったですし。それが少なくなっていって、しかも私がコミュ力がないためSNSでもあまり話していない…

ちょっと不安だけど、それは多分「途中から入る」形になるオンライン生徒の方が不安になる要素が多いはずです。

 

不安はとりあえず置いておいて、学年が完成するのを待ち侘びています!!

本当に、楽しみです!!

 

ということで、今回は特に読者の方には関係のないような記事を書いてきました。博物館レポも含め、色々書いてみたいことはたくさんあります。そういうものも自分で「自分の時間」を作って書いていきたいです。

最後までお読みくださりありがとうございました。ちょっと整理がついたかな。いつもとはまた少し違う感じの記事でしたが、これからの記事を楽しんでいただけたら幸いです!!

東京都美術館 Everyday Lifeと、上野の記憶

こんにちは。ブログを読んでくださっている皆さん、今日もお疲れ様です!

今日は、冬休みに行った博物館などの記録を書きながら最近思ったことを書いていこうと思います。

 

f:id:chirpspring:20220131171550j:plain

 

 私は、冬休み中に用事があったため東京に行ったのですが、上野近くでのことだったため、久しぶりに山手線に乗って上野の博物館に行ってきました。

行ったのは、

  1. 東京都美術館
  2. 東京音楽学校奏楽室
  3. 東京国立博物館

の3つです。

最初都美術館に行ってから科学博物館に行こうかと思っていたのですが、科博は予約制だということを完璧に忘れていたため、科博には残念ながら行けず。

雪の日だったため外をぶらりと歩くこともできず、結局近くにあった旧東京音楽学校奏楽堂に行きました。

そして、別日にまた時間があったため上野の東京国立博物館に行ってきました。

一箇所はもともと行く予定がありませんでしたが、3箇所全てとても面白かったです。

 

 

 これから、数個の記事に分けて博物館の記事を書いていこうと思います。

まず、都美術館から

 

私が行ったとき、都美術館では

  • 上野アーティストプロジェクト2021「Everyday Life: 私は生まれ直している」
  • 東京都コレクションでたどる<上野>の記録と記憶

の2つを展覧会として開いていました。

Everyday lifeの方はあまり何が展示されているか知らなかったものの、昔上野の下町博物館に行ったこともあり、記録と記憶の展覧会は楽しみでした。

 

 多分東京都美術館って初めて入ったんですが、かなり広めのエントランスに加え展覧会として開いていたのはそのうちの一部。

あまり時間がなくゆっくりとは見られませんでしたが、他に何が見られるのかもう少し調べておけばよかったです。

 

 

Everyday Life: 私は生まれ直している

 

 二つの展覧会は併設されており地下が上野の歴史、地上がEveryday lifeといったふうに分かれていました。

まず見たのは、Everyday lifeの方。どうやら第5弾目の上のアーティストプロジェクト展覧会らしく、戦前から現代までの6人の女性作家の作品を飾っていました。

 

特に記憶に残った作品がいくつかあるのですが、残念ながらそのうちのいくつかは写真を取ってはいけないもので…

桂ゆきのコラージュ画、貫田洋子の津軽こぎん刺し(糸を編んで刺繍したもの)、川村紗耶香の和紙を使った作品、色々なものがありました。

 

その中でも特に綺麗だと思ったのは、まずガラスで作られた小曽川瑠那作品でした。

「けしきを織る」という題名で用意されたさまざまな模様の入ったガラス。

展示灯も相まって、想像が膨らむような幻想的な空間だったように思います。

f:id:chirpspring:20220131171624j:plain

f:id:chirpspring:20220131171642j:plain

 

そして、極め付けは『息を織る 2021』でした。

この作品は、ただただ同じくらいの大きさの丸いガラス玉が何十にも吊り下がっている…というもの。

 

f:id:chirpspring:20220131171739j:plain

f:id:chirpspring:20220131171717j:plain

 

正直最初に見た時は、「めっちゃ映えそう…」という感想でした。

しかし、説明書を読んでみると「一つ一つが息を吹き込んで作ってあるもので、それぞれの形は違う」そうです。

飾られているのは2021年のものでしたが、ホームページには2015年のものの説明がありました。時期が違うだけで、作っている工程などはほとんど同じだと思います。

 

ガラスを記録メディアと捉え、現在、命の痕跡や消えゆく風景、慣習を記録する方法を探っている。

病気を患ったことで、自身が生きていた痕跡のようなものを残したいと考え、

取り組み始めたこの作品は毎日ガラスの球を吹くことを起点としている。

見えない息が可視化された時、生きていることを実感する。喜びの瞬間の記録でもある。

 

こんなに綺麗な「息の形」があるんだな、と。

それぞれのガラスに、いつのものなのかちゃんと日付が書いてあるんです。

それがいくつも積み重なって、『喜びの瞬間の記録』となる。

f:id:chirpspring:20220131171813j:plain

 

ただただ単純に、綺麗だな、美しいな、と思いました。

ガラス作品にここまで意識を取られるってほぼ初めての経験だと思うんですが、家に帰っても「小曽川瑠奈」の名前を検索して、作品を探しました。

技術がどうとか、細工の仕方とか、そんな知識は私にはありません。

でも、もっとこの人の作品を見てみたい、と思わせるものがあったんだと思います。

 

そして、そのガラス作品の展示室の横に、同じく記憶に残った人の作品がありました。

その人の名前が、常盤とよ子。

Wikipediaでは、「日本における女性写真家の草分けの一人」として紹介されています。

その紹介に違わず、彼女は戦後すぐに横浜でカメラを抱え、その中で生き抜く女性の姿を撮影。

その後は女流写真家協会を作るなど、カメラ界に大きく貢献しています。

 

展示されていた彼女の写真は、いわゆ洋パンを撮ったもの。

洋パンとは、在日米軍将兵を相手にした街娼のことです。

彼女は当時の横浜真金町遊郭地域に出かけ、そこで米兵相手の女性たちの姿を隠し撮りすることからはじめました。そのうち女性たちが検診を受ける病院や遊郭の室内での撮影も可能となり、「同性の側から見る彼女たち」を取ろうとしていたのです。

それから、「働く女性」に焦点を当てた写真をより多く取るようになり、売春防止法成立の後は女性たちの更生寮にも目を当てるようになりました。

 

今まで触れたことのないテーマで、正直驚きました。

歴史の裏に隠されることの多い売春婦という存在。

その存在に真っ向からカメラを向け、展示されるほどの枚数をとってきたということ。

こんなテーマで写真を撮る人がいたんだ、と思いました。

 

一応カメラも持っていて、学校の写真部にも入っています。単純に「生活の一部を切り取る」ことができるという面でも、憧れます。

別に自らカメラを見てポーズしているわけではありません。本当に、生活の一部を表しているんです。

しかも、題材が題材です。

私たちにとっては「非日常」のことでも、彼女らにとってみればそれが10年余りの「日常」だったんです。

 

写真が艶めいたものなわけではありません。

夜の仕事を始める前の、化粧をしている姿。

家に向かって歩いている姿。

洗濯をしている姿。

特別なものがあるわけではない、普通の生活と一瞬錯覚します。

 

それでも、アメリカ兵と一緒に歩いている姿や病院で検診を待っている姿を見るとその途端に彼女らの職業を思い出します。

歴史的に彼女らの存在がどう扱われているのか。

そのことについてこのブログで触れたいわけではないのですが、どう言葉にすればいいのかわかりません。

 

ただ、強烈な写真だな、と思いました。

興味を惹くし、もっと見てみたい気持ちもあります。

でも、一言で「いい写真」というのは何か違う気がする。

 

ガラス作品もそうですが、この作品も、「綺麗だな」と思います。

人が生きている姿が、その一瞬が、カメラの中に収まる。

それが、綺麗だと思います。

 

以上が、「Everyday Life:私は生まれ直している」の感想です。

特に印象に残ったお二方を紹介しましたが、私のカメラロールにはもっとたくさんの作品が残っています(もちろん写真撮影可能な作品のみです)。

原爆の作品、雨が降っている作品、冬の山の作品、温かみのある作品もあれば、突き放されたような印象を受けた作品も。

f:id:chirpspring:20220131171850j:plain

 

美術館って、やっぱりいいな、と思いました。

 

上野の記録と記憶

そして、満足した後にのぞいたもう一つの展覧会が『東京都コレクションでたどる<上野>の記録と記憶』

江戸末期から昭和時代までの、「上野」を扱ってきた作品が多く展示されています。

こちらは、その地域の資料を時代別に展示した郷土資料館の豪華版のようなもの、という印象でした。

 

明治時代の作品の中から驚いたことを挙げるとしたら、まず1番に上がるのが

不忍池が明治時代には競馬場として扱われていた」ということ。

競馬に少しハマっている身としては、かなりの衝撃でした。

子供の頃に何回か言っていた、あの不忍池が競馬開催地だったなんて!!

使われていたのは8年ということでしたが、確かに展示されていた絵では、ジョッキーの服がダボついていたため時代を感じました(今はシュッとしています)。

まあそれはいいとして、昔の上野の姿を知る機会も特になかったため、こうやって博物館や動物園ができる前の上野の姿を文章や絵で見ることができたのは貴重な機会だったな〜と思います。

 

そして、時代は私の知っている上野に変わっていきました。

まずは、大正時代。その出来事が起こった数ヶ月後に描かれた絵でも、その悲惨さはとても伝わってきます。

大正12年9月1日、関東大震災です。

今でも小学校の時から教わる、防災の日のきっかけとなった大震災。

上野ももちろん被害を受けました。

 

あの地震では、地震の大きさももちろんのこと、昼食準備の時間にちょうどかぶっていたため火災での被害がもっとも記憶に残るものとなりました。

 

(今回は行きませんでしたが、私の好きな「江戸東京博物館」。両国駅が最寄りなのですが、近くに横綱町公園という公園があります。関東大震災による被害がもっとも沖勝った場所の一つであり、記念碑と復興記念館が立っています。本当に小さい時に記念碑を見た記憶はあるのですが、もう一度行きたい場所のうちの一つです。)

 

関東大震災を見た人が描いた、大震災発生当時の火に塗れた姿。

そして、その震災の後の復興を遂げた「新東京百景」。

自分の知っている上野に近づいたような気がしました。

 

そして時代は昭和に

やっぱり印象に残るのは、戦中・戦後の上野の姿です。

特に印象に残ったのが、桑原甲子雄さんのとった「出征軍人留守家族記念写真」です。

これは、出生に出かける前の軍人さんとその家族をとったもので、数十枚飾ってありました。家族4・5人で写っている写真もあれば、お母さんらしき女性と軍服を着た若い男性で写っている写真も。

よく言われる「死んだ兵士にもそれぞれ家族はいる」という言葉

それを肌で感じたような気がします。

 

当たり前のことですが、出征した軍人にはそれぞれ家族がいて、中にはお母さんを一人で残していかなければいけなかった、という人もいたはずです。

そして、結果的に帰れなくなった人も多くいました。

写真で残っている家族数十組だけを見ましたが、上野に限らずどの地域でもこういうことが起こっていたんだと思うと色々と考えてしまいます。

 

戦後の上野も、二段階に分けて展示されていました。

まず戦争直後の、上野の「暗」の部分

地下道に寝転ぶ人々の姿をスケッチしたものです。

子供たちだけがうつっていスケッチもありました。

体全体というよりは、体の一部にピントを合わせてその情景を描いています。

「悲惨」という言葉を使うことが正しいのか、わかりません。

今の生活水準から行ったら「悲惨」という言葉も間違っていないと思うのですが、それはそこで生活していた人にとっては日常だった一コマです。

その後、上野はまた発展していき高度経済成長期に写っていきました。

ここまでくると、親しみやすい動物園などの作品が増えて、知っている上野になります。

 

知識として新しく得たものは、そこまでなかったと思います。

戦後の暮らしなども、色々な写真集に乗っているものと比べてとてもインパクトがあると言ったものではなかったと思います。

だけど、こうして私の知っている「上野」という場所が明治時代からどういう歴史を歩んできたのか、という形で示してもらうと、知識を得た、得ないだけでは収まらないものがあるんだと思います。

より身近に感じるというか、歴史をただの一ページとしてではなく、その地域の人に注目する形で学ぶことができます。

 

最後に

東京都美術館は、最初は「めっちゃいきたい!!!」というわけではなかったのですが、いざ行ってみると色々な出会いもありましたし、発見もありました。

1番の出会いは、やっぱり小曽川瑠奈さんのガラス作品でしょうか。

まだ時々ネットで検索して、どんな作品があるのかを調べています。

 

本当に楽しかったし、これからはフェルメールが来るはずなので、フェルメールも都美術館で見てみたいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございます。思ったより長くなってしまいましたが、東京都美術館の感想を書いてきました。次からは他の博物館の感想を書いていこうと思います!

半年ほどネットで勉強していました:edXでハーバード大のCS50を受けてみて

 こんにちは。新年になったのに、全然ブログをかけていません…。

ちゃんと時間を見つけて描いていきたい!

 

目次

 

今日は、前々からやっていたことについて書いていこうと思います。

それは、edXのコース、ハーバード大学のCS50という授業を受けたことです。

 

f:id:chirpspring:20220111220330p:plain

 

まずはこのコースについての説明、そしてなぜ受けたのか、その後に受けてみてどう思ったか、について書いていこうと思います。

 

 

私が受けたコース、edXのCS50とは?

このedXとは、160以上の大学が合計3000以上のコースを提供している無料のオンライン学習サービスです。(有料コースもあります。)

ハーバード大学マサチューセッツ大学、オックスフォード大学をはじめとして、世界各国の大学がコースを提供しています。

日本からは、東京大学京都大学早稲田大学や東京工科大などがコースを提供。

これらの大学の提供するコースから一つを選んで、講義を見たり課題を達成したりして終了させます。

 

無料コースだと授業の動画を視聴するのみとなるはずです。

動画は再生速度を変えることもできれば英語の字幕を出すこともでき、YouTubeの動画によく似ています。

 

有料コースだと、動画視聴の後に幾つかの課題が設定されています。

それらの課題を全て終えれば次に進むことができ、全てを達成した暁には修了証明書がもらえます。

この修了証明書はPDFでももらいますし、pngの形でもらってそれをそのままSNSなどに投稿することもできます。

私が受けたコースは、大体2万円ぐらいかける有料コースでした。

他の方のサイトなどを見ていると1万円という記述もあったため、もしかしたらコースによって違うのかもしれません。

 

このedXの中には先ほども書いたようにさまざまなコースが提供されています。

私の選んだコースは、ハーバード大学が提供しているCS50というコースでした。

こちらのコースでは、コンピューター科学の入門を学べるようになっています。

具体的にいうと、C言語をはじめとした代表的なプログラミング言語を勉強し、その過程でコンピューター科学とは何なのかを含めた概念を学びます

 

 

*コースの内容*

week1から始まって10週分の講義があり、その分課題も10週分ありました。

それに加えてFinal Projectと言って、最後の「講義なしで自分なりに学んだことを使って何かを作ってみよう」という課題もあります。

それらを全てコンプリートすると、証明書をもらうことができました。

 

以上が、私のとったコースの説明です。

プログラミング知識0の私がとっても一応終了できたので、誰でも受けられる本当に「入門的な」コースとなっています。

 

コースを受けた理由・終了するまで

それでは、ここからはなぜコースを受けたのか、そして終了するまでの道のりについて話していきます。

 

まず、このコースを始めたのは5月の中旬でした。

 

私の入っている高校は夏からだったので、中学卒業後空白の時間が4ヶ月ほどあったんです。最初の1ヶ月は何をやればいいのか全くわからず、少し本を読む程度であまり何もやらずに時が流れ…。

これではいけないと何かを始めようとした結果、edXを見つけてコースを受けてみることにしました。

 

プログラミングにもともと興味もあったため、「入門的なプログラミング」という言葉とハーバード大学という言葉に惹かれて(笑)、CS50を始めることにしました。

私のいる高校が全て英語の授業のため、その授業をしっかり受けられるためにも、英語でしか受けられない授業を受けておこうと思ったことも理由の一つです。

 

たいてい私はこういうものはすぐに辞めてしまうため、お金をかければ責任を感じてやるだろうと親と話し合い、お金を出して修了証をもらえる有料コースに申し込みました。

 

ということで、5月のこのコースをはじめ、思った以上の難易度に苦戦しながらもなんとか高校入学までにweek8までは終わらせることができました

ですが、7月後半から始めたweek9の課題が難しくて難しくて…。

いくら時間をかけても、プログラミングのできる人に聞いても進展があまりなく、もうやる気も失っている状態で高校入学となってしまいました。

 

そうなったら、高校で次は忙しくなってしまいCS50の方に回す時間も無くなっていきます。

結果的に、week9やFinal Projectを含めて全てが終わったのが12/31。

晦日で、本当の本当にギリギリでした。

 

コースで修了証を取るための認証は、受講を始めた年の一番最後までに終わらせなければいけなかったため、コースも含めて全てを12/31に終わらせようと思っていたんですが、

結果的になんで高校入学前に終わらせなかったんだろうと悔やむ展開となってしまっていました。

もう終わらないかなとも思っていたので、12/31までに終わらせることができて本当によかったです!

お金を出してもらっているんだから終わらせなければいけないという思いが強く働いたので、結局は目論見通りだったのかも(笑)

 

 

コースを受けての感想

それでは、コースを受けてみてどう思ったかについて書いていこうと思います。

 

とりあえず声を大にして言いたいのが、

難しい!!!!!

ということ。

 

特に、Week9とFinal Project!!

Week9は単純に課題が難しいです。

2021年のweek9では、一つのウェブサイトを作らなければいけませんでした。

お金の出し入れができて、買い物ができて、履歴が見れて、アカウントを作れて…。

実用できるやん!みたいな感じのウェブサイト。

 

これが1ヶ月ぐらいかかってもできなかったから、やる気があんなにそがれたんです…。

 

と言っても、私にももちろん悪かった点はあります。

講義が全て英語なので、しっかりわかるというよりは70~80%ほどできたらそれで満足、という形で毎回講義を受けていました。

あと、2時間超の授業を動画という形でずっとみているのは正直辛いです。

2時間40分とかになると、もう理解するだけで半日使う…ということもあり。

オンライン&全て英語&長時間で、かなりかなりきつかったです。

 

Final Projectは、正直時間を気にしながらだったのであまり完成度としては高くないです。

これで合格になるかドキドキしながら提出したぐらいなので、修了証をもらったときは本当に安堵しました。

ただ、自分でこれからも使えるものを作ったつもりなので、それ自体は作ることができてよかったです。

 

内容はなんとか理解できるレベルで、習っていて普通に面白かったです。

なんでこうなるんだろう…と思ったところは、動画の中でたいていハーバード大学の講義を生で受けている方達が質問してくれましたし。

 

*ちなみに、ハーバード大の講義を受けている学生の方がに本当にびっくりしました。たいてい質問が出るし、全て的をいたもの。活動的というか、内容の濃い授業でした。先生のみでなく生徒が授業を作る一端となっていることが十分にわかりましたし、なんとなく毎回質問してくる生徒として最後の方は認知している人もいました。

 

構造というか、コンピューター科学の仕組みやプログラミング言語の違い、成り立ちなども語ってくれていてとても面白かったからこそ、なんとか続けることができました。

 

課題は、たいていlabと言って小テストのようなものがあり、それと一緒になってpsetと言われるしっかりとした課題があります。

例えば、Week6だとしたらLab6とPset6を解かなければいけません。

それぞれにふたつ課題が出ることもあれば、選択式でLab6の中ではこれとこれから選んでいいよ〜などの選択式になることもあります。

 

内容がしっかりわかればあまり難しくはないのかもしれないし、わかっていても内容はやっぱり難しいのかもしれないし…。

入門とはいえ、もともと知識がある方がやっぱりやりやすくはあると思います。

それでも勉強するプラットフォームをはじめ質問できる場所など色々と用意されていたためありがたかったです。

 

 

最後に

結果的に修了証をもらうこともできましたし、学びにもつなげることができました。

途中はどうなるかと思いましたが、なんとか終わって良かったです。

このブログにも、自分に対する嫌がらせのようにコースをはじめた当初から「報告できるといいなということがあります」とか書いていたので、本当にここでいうことができて良かったです。

「ご報告」とか言っておいて別に超重要なことではないのですが、自分としては「あのハーバード大学の授業についていけたんだぜ!」的にかなり嬉しいことだったし、大きいことだったので、ちょっと大袈裟にいってきました。

自分に対するプレッシャーにするためにブログにも書くという狙いが最初はあったので、有効活用できたのかと…。

 

これからも何個か受けてみたいコースがあります。

有料にするか無料にするかはこれからの自分の学業との相談ですが、少なくとも知識を蓄えておいて損することはありません。

 

単純に勉強って楽しいですし、今回のコースでも苦労する中でそれを実感してきました。

この、学んだプログラミングの知識が、どこまで私の中に留まるかわかりませんし、復習していなかったらすぐ忘れてしまうと思います。できるだけ忘れないように、自分で「CS50終了させたんだから!」と自分を奮起させるためにも、続けて努力していきたいなと思います。

 

ということで、今回はedXを使ったハーバード大のCS50についてブログを書いてきました。

これで、一つ2021からの肩の荷が降りた感じがします。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。これからも勉強含め、趣味含め、頑張っていきます!!!

 

2021~2022で思うこと  中途半端にせず、やりたいことを楽しんで!!

あけましておめでとうございます。

f:id:chirpspring:20201231100100p:plain

 

 今回は備忘録らしく2021年の反省と、2022年に向けての抱負を書いていこうと思います。ややこしくなりますが、書いているのが2021年の為、2021年→今年、2022年→新年とかき分けていきます。

 

目次

 

2021年、ISAKに入るまで

 まずは、2021年の反省からです。

今年は、色々な変化がある上で、色々な迷いもある一年だったな〜と思います。

 

2021/1は、私にとって受験の月でした。

今いるISAKの第二次試験があり、落ちた時のために公立受験の勉強をずっとやっていました。

 

2月に入ってから合格が分かり、そこで受験勉強の必要がなくなり、勉強の手を抜いてしまったため最後のテストで点が下がってしまったのがとても苦い思い出です…。

 

それでも、3月に中学校を卒業するまでいろいろな人にお世話になり、新しい思い出などもいっぱい作って、最後の中学生活を楽しんだと思います。

 

先生にも受験関係やその他のことでいっぱいお世話になって、感謝してもしきれません。

中学生活は本当に楽しかったな〜と思います。

みんなが色々言えるような雰囲気のクラスだったため居心地もとても良く、グループ等もあまりない(少なくとも私は色々な人の話しかけることができたかと…)クラスでした。

 

受験という一大イベントは、やっぱりドキドキするもので、正直第一志望校に受かると思っていなかったため、合格通知を受け取った時は本当に驚きました。

勉強も、今机に向かう勉強というのをあまりやっていないため、より懐かしむ気持ちがあります。

受験の必要がなくても、やることは勉強でしたし、自分が勉強が好きなんだということを再確認できた時間でもありました。

 

そして、3月に卒業してから長いギャップタームに入りました。

私の入学した高校UWC ISAK Japanは、8月から新学期が始まるため、それまで四ヶ月ほど何もしない時間を過ごしていたのです。

このギャップタームの使い方は、今振り返るともっと有効活用できたような気もするし、あれが精一杯だったような気もします。

最初の一ヶ月は暇を持て余して悩み、5月ぐらいからちゃんとやることを整理して本を読んだり勉強したりするようになりました。

6月ごろには、新しく学校図書館などの教育界隈にも興味をもつようになりました。

そして7月後半からはまた弛み始めて、あまり始めたことを終えないままISAKに入学したような気もします。

 

このギャップタームの反省点としては、まずは時間をしっかり管理しなかったことが挙げられます。

まだ時間があるし、と先延ばしにして、結局実のあることはあまりできなかった。

そして、もう少し色々な範囲に手を伸ばしてみて、視野を広げてみても良かったんじゃないかな〜と思います。私がボランティアとして参加している一般社団法人Voice Up Japanも、今思えばあの時にもう少し参加しておいたら社会勉強になっていたはず…。

 

ただ、良かったこともたくさんありました。

まずは、自分が興味をもったことをいくつか続けられたこと。

そのうちの一つが、このブログです。

私は、4月21日からISAK入学の日まで連続投稿を続けていました。100日と少しだったと思うんですが、かなり長い間続けられたため、自分としては大満足です。

まさかあんなに続けられるとは思っていなかったので、それは自分を褒めてもいいことだと思います。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

そして、歴史ノート作り。

記事にしたこともありますが、教科書に載っている出来事をすべて年表として一冊のノートにまとめたものです。付録として、全将軍&総理大臣&天皇一覧がついています。

このノートは、かなり力を入れたものなため、完成した時は本当に嬉しかったです。

中学卒業前の2月後半か3月ごろから暇な時に少しずつ進めて、結局完成したのは5月か6月…。

あれはもう勉強でもなんでもなく、趣味の領域でした。

でも、そうやって自分の興味のあることを突き詰めるというのが今までは三日坊主の癖もありなかなかできなかったため、ノートを完成させられたのは嬉しいです!

 

chirpspring.hatenablog.com

 

 

 

他にも、学校図書館という新たな分野に興味を持ちました。

これは、ギャップターム中に読み漁っていた本のうちの一冊が学校図書館関係の本で、そこからどんどん興味を持つようになりました。身近に学校図書館関係の仕事をしている方がいらっしゃったため、その方にお話を聞いたりして、より深く考えるようにもなりました。

ISAKに入ってからもそっちの方面に向けた活動ができないかと考えて相談したりしているため、ギャップタームのおかげで見つけた新しい興味のある分野です。

 

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

 

 

このギャップターム、本当にありがたかったです。この期間に色々なことを学べましたし、できることならもう一回体験したいです。一回試してみて、より有効的に時間を使えるようになった今、何をするのか・何ができるのか、想像するとわくわくが止まりません。

 

 

ISAK入学!!

8月になり、ISAKに入学するとここでもまた色々な新しい経験がたくさんありました。

当たり前ですが、寮生活となると人間関係の密度が大きく変わってきます。

周りの人たちが何をやっているのかに神経をすり減らしたり、自分でも人間関係をどうすればいいのかわからなかったり…。

でも、一日8時間しか会ってなかった中学と比べれば色々な悩みが増えるのは当たり前のことだと思います。

 

今では、私は自分一人の時間を作ることに不安を覚えなくなってきたため、これからは余裕を持って過ごしていきたいと思っています。

これまでは正直、周りが誰かと遊んでいたりすると自分が一人でいることになぜか不安になったりもしていたため、まだまだ自分も幼いな〜と思ったり…。

 

本当に色々あるISAKですが、そういう細かい「色々」を全部まとめると、結局楽しいです。

楽しいけど、すごく疲れる。

そんな感じですね。

刺激的な人もいっぱいいるし、プロジェクトはやりやすいし、話の合う人もいるし、理想と現実はもちろん違うことを学べたし、、、。

 

私は教科書を使う勉強も大好きなため、それを考えるとISAKの勉強スタイルが私に合うのかはあまり分かりません。

でも、とりあえずこの学年でいるうちは、ISAKでできることをできるだけ探して、可能な限りISAKを満喫して楽しもうと思っています。

 

色々な人がいることは当たり前で、自分もその「色々」のうちの一人。

なら、自分は自分らしく周りに左右されずに置かれた環境で楽しむことが一番!

 

…それが本当に難しいことは身をもって感じました。

それでも、まだまだいけます。

ISAKについては、思うところもいっぱいできました。楽しいことももちろんたくさなったし、まだ腑に落ちないところもあります。

でも、新しいスタイルなんだから納得できないところがあっても仕方ありません。

問題は、それを変えられるのか、変える力があるのか、というところだと思っています。

 

ありがたいことに、変えようと思ったら行動に出る生徒がISAKにはたくさんいます。

そう言った人たちを見て、自分でも取り入れたいと思ったとろは取り入れられるように努力していきます。

 

 

そして、自分がちょっと疲れたな、と思った時は休むようにしようとも思いました。

寮がとても乾燥しているため、一回風邪気味になったことがあり、その時は家が近かったため家に帰って休みました。

外国に親がいて会えないという生徒はISAKにたくさんいるため、そういう人たちには申し訳ないと思いながらも、やっぱり安心できる環境で休むのが一番だと実感しました。

 

新年は…

休むことについて書いたばかりですが、

新年は今まで以上に努力して、自分を追い込んでいきたいな〜と思っています。

 

私は、大言壮語で大きいことは言うのにそれを実行に移さないきらいがあります。

それは、いくつかやっていることがあればそれを言い訳にしてしまうから。

 

「今これやっているから、別に他のことはやらなくてもいいよね。」

 

そういう考え方で結局何もやらないということが多かったです。

もっと自分に負荷をかけて、限界を伸ばしていきたいです。

もともとそんなにできるわけでもないので、限界を伸ばすと言っても人並みになる程度。

2022年はできることを増やしていくのが目標です。

 

ISAKにいる限り、、、というか、どの環境にいても悩むことは当然あると思います。公立高校に入っても違う形の悩みがあっただろうし、その環境にはその環境なりの悩みがつきまといます。

だから、その中でぐるぐる動いて疲れてしまうのではなく、

自分がやらなければいけないことと自分がしたいことをはっきりさせ、今やっていることが本当にやる必要があるのかも考える。

 

そして、2021は色々なことを中途半端にしてきたので、そうはしたくありません。

 

このブログを書いている間にも、日本語力がなくなっていることを実感しています。

でも、英語を話すISAKに入学したからといって日本語が下手な理由にはならないと思っています。

もともと本が好きで、語彙力もある程度はあると思っていたため、日本語力の落ちを実感するたびに悔しくなるし悲しくなります。

 

英語も中途半端にしたくなければ、日本語も中途半端にはしたくない。

勉強も同じことです。

学校の勉強も趣味の勉強も、自分で必要なことだとわかっているのならどちらも中途半端にする必要はありません。

 

中途半端にせず、全力じゃなくてもいいから自分のやりたいようにやってみること。

そしてそれを楽しんでみる。

 

 

そうやって生活できたら楽しいだろうと思います。

難しいと思うけど、できるようになってみたい。

 

とりあえずはやっていることを整理整頓して、そこから優先順位をつけていくことが始まりかと。

来年の今頃自分がどうなっているのかがわからないため、少し2022が怖くもあり、楽しみでもあります。

ちゃんと楽しめているといいな!!

 

まとめに…

ということで、少し真剣に新年の抱負を語ってみました(笑)

新しい活動も色々していますし、何かご報告できることが近々あるかもしれません。

 

ブログも、もっと多く更新したいと思っています。

前からブログを見てくださる方、

この頃見るようになってくださった方、

たまたまこのブログを目にした方、

そう言った方々のおかげで、「まだ書いていてもいいんだ!」という気持ちになります。

もちろん自分のために書いているとはいえ、やっぱりアクセス数とかは気になるものです。反応をいただくと飛び上がるほど喜びますし、言及してくださったりすると泣いて喜びます。

本当に、いつもブログを訪れてくれてありがとうございます。

 

色々なことがあった一年でした。

卒業、入学、色々な迷い、挑戦、学校図書館

新しい友達、やりとりの続く中学の同級生、寮の優しい先輩方、

自分の中での競馬再ブーム、ジャニーズがより大好きになったこと、V6解散の際の初ライブ観戦で泣いたこと(坂本くん結婚おめでとうございます!!)、、、。

やっぱり、一年って早いように見えて長い気もします。密度が濃いです。

 

 

新年も、色々なことを(中途半端にせず)やって、自分らしく、楽しんでいきたいです!

このブログもそろそろ始めて4年!

300記事に入り、この次の記事で350記事になります。更新も心がけますので、ぜひ見ていってください!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。抱負…は短かったかもしれませんが、2021年の振り返りと2022年に向けてを書いてきました。皆様の2022年も、笑溢れる一年となりますように!!

 

 

 

chirpspring.hatenablog.com

chirpspring.hatenablog.com

 

chirpspring.hatenablog.com

 

リルケの詩で一息つく冬休み!

 こんにちは。お久しぶりです!

17日(金)に学期が終わり、日曜日に家に帰ってきました。

ちょくちょく帰ったりはしていたのですが、しっかり長期間家にいるのは久しぶりなので、これからの冬休みが楽しみです。

友達と会えなくなるのは少し寂しい気持ちもありますが、やっぱり家族と会えるのが一番嬉しいです。

f:id:chirpspring:20210602120723p:plain

今日は、ちょっと気を抜いて本を紹介していこうと思います。

また冬休みの間に、ISAK(私の通う学校)についてなど書いていけるといいな〜という感じです。

 

 

今回紹介するのは、白鳳社出版の生野幸吉訳の『リルケ詩集』です。

リルケ…なんか小難しそう!!と思った方に、特にこのブログを読んでもらいたいなと思います。

 

目次

 

本紹介、作者紹介

それではまず、簡単にリルケとこの本についての説明を。

リルケは、1875年に生まれ1926年に亡くなった、オーストリアの詩人・作家です。

その時代を代表するドイツ語詩人と言われています。

ドイツ抒情詩の最高峰と紹介されることも多いです。

独自の造形的表現で、様々な詩を産み出してきました。

ライナー・マリア・リルケ - Wikipedia

 

この本は、そのリルケの各時期での代表的な詩を収録したものです。

4つほどの特徴に分けて、時代べつに詩を載せています。

訳者は生野幸吉という形で、ご自身でも詩を書いたりする傍ら様々な本を翻訳なさっています。

リルケの詩には色々な訳があると思うので、それぞれの訳し方の違いなども将来楽しんでみたいと思います。

私は、この生野幸吉さんの訳しか読んだことがないですが、とても楽しめました。

 

リルケの詩」を読むことについて

さて、みなさん

リルケ」とか「抒情詩」とか聞いて、どういう印象を持ちますか?

 

正直、私は全くその分野に興味がありませんでした。

「崇高な文学」的イメージが強く、いわゆる大衆文学と言われる普通の小説とかが好きな私は、どちらかというと苦手イメージさえ持っていました。

難しそうだし、眠くなりそう…。

流石に色々な本を読むようになってからはここまでは思っていませんが、小さい頃はそう思っていたことに間違いありません。

 

そんな「リルケ」の詩集をこの前家で見つけ、とりあえず読んでみようかな、と思ったことがきっかけです。

ちょうどその頃、寝る前にスマホをいじってしまうためその代わりとなる本を探している時だったんですよね。

だから、詩なら小説より短いから詩集でもやめ時がわかるだろうし、よく眠れるかな、と思って読み始めてみました。

 

ここで感想を書いていますが、まだ全然読み終わっていません。

半分行くか行かないかくらいです。

ペースが遅い理由は、大体一日一つくらいの詩を読んでいるからです。

もっと読む日もあれば、全然読まない日もあるため、読むペースはとても遅いんです。

 

そんなペースなのに、驚くほどの満足感が得られます。

一つの詩を何回か繰り返して読むと、何となくわかった気がして楽しめる。

合う合わないはあると思いますが、詩に関する知識が全くない私でも楽しめました。

 

今までも、食わず嫌いで有名な人の作品を全く読まず、勇気を出して読んでみたらやはり面白かったということがありました。

 

リルケ」「詩集」

そう言った言葉でフィルターがかかって、今回は普段よりも読む勇気が出なかったり、読む気にならないかもしれません。

それでも、有名でまだ残っているということは、それだけの価値があり経済効果につながるほどの人数が好いている、ということに他なりません。

 

今まで、食わず嫌いだった本なのに挑戦してみたら面白かった、という経験のある人は、暇だったらぜひ読んでみてください。

「詩」という言葉は、時に読むハードルになり得ます。

ポエムという言葉が身近に感じることは、好きでもない人からするとあまりないかも。

でもそれは、そのもの自体が面白くない、合わないということにはなりません。

ぜひ、一回挑戦してみてから、自分がそれを好きか嫌いか決めてみてください。

 

私自身がかなり「詩」を読むことや、「リルケを読んでいる」ということに気恥ずかしさを覚えたので、もしも同じように感じている人がいたら…と思い、本の感想を書く前にきっかけなどについて書いてみました。

 

 

本の感想・読んでみてどう思ったか

それでは、本の感想へ!

と言っても、最初の方に書いた通りまだあんまり読めていないんですよね…。

最初に乗っている「序詩」から内容が濃いんです。

 

何回も読まないと意味がしっかり掴めないから、ちゃんと読むなら流し読みはできない。

それに、流し読みだとなんか掴めそうなのに掴めない気がしてちょっと気持ち悪い。

そして、しっかり読んで一文一文想像してみたら、心に染み渡る何かが来る。

 

全ての詩がそんな感じで、読むのに時間もかかるし、何回繰り返して読んでも色褪せない感動があります。

 

中には、寝る前の自分の脳では処理しきれない長い詩もあるため、申し訳ないですがそこは飛ばしながら読んでいます。

無理に読む必要はないですから、パラパラめくってみて好きそうなものがあったらじっくり読む。

詩の数が多いため、それでも十分に楽しむことができます。

 

読んでいて思ったのは、言葉の美しさ。

「日本語の美しさ」は、幸田文の『木』を読んでいたときに実感しています。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

でも、この「リルケ詩集」ではそれともまた一味違う言葉の美しさがありました。

感嘆詞や、語尾の移り変わり、言葉の選び方、組み合わせ…。

そう言ったものが綺麗に組み合わさって、なんとも言えない感動を生み出します。

 

これは、原文ももちろんすごいのだと思いますが、日本語でもその感動を生み出してくれた訳者の方にも感謝です。

日本語でもこれほどまでに感動が伝わってくるなんて。原文で読んだ方が伝わるものがあるということは、もうよく実感しています。

これをドイツ語でわかるまでになったら、どれほどまでに楽しいんでしょう。

 

そう思わせるような文章でした。

 

 

私には、「リルケの詩はここがこうで〜」などと語れる知識がありません。

大衆小説なら少しは読んでいますから、似ている作品をあげたりすることができます。

でも、今まで触れ合ってきた詩なんて本当に少しで、しかもその大半が日本の詩です。

 

知識もなければ経験もないままに、語れることはないため、本の感想は薄くなっていると思います。

 

 

だけど、読んでいて詩に全く興味のなかった私が感動するような文章だったことは確かです。

読みながら、その詩の背景や情景を想像する。

そうすることで頭の中に一つの新しい世界が広がって、詩の中に浸り込める。

 

そう言った経験ができたことがとても嬉しいです。

全ての詩でその経験ができた…訳では当然なく、先ほども書いたように割と飛ばし読みをしていたりするので、ちゃんと詩についての造詣が詳しい人から見れば全くなっていない読み方なのかもしれません。

 

だけど、自分なりに食わず嫌いで持っていたイメージを壊せたのだから、それは嬉しかったです。

 

 

今の時点でとても好きな詩が、「おもおもしい時間」「秋」「恋する女」「しずけさ」の4つです。

「秋」はリルケの代表作とも言える作品らしいです。

4つとも、なんとなく目を引かれた作品で、その後しっかり読んでみると共感するような感覚もあれば、全く異質の感覚を側から見ているような気分にもなりました。

なんだか特に惹かれる、好きな作品です。

 

今は、「おもおもしい時間」と「しずけさ」が特に好きかもしれません。

YouTubeで詩を読んで、その音声をあげている人もいるらしいのですが、確かに声だとよく眠れそう…。悪い意味ではなく、落ち着く気がします。

 

ぜひ、読んでみてください。

 

最後に

ということで、今回は白鳳社の『リルケ詩集』を読んでみました。

まだ読み終わっていないので、今年中に読み終わりたいという気持ちもありつつ、急かさずに少しずつ読んでいきたいという気持ちもありつつ…。

前半で書いているように、読むことに割と勇気がいる人もいるかと思います。

本は読むけど、全く詩には興味がないという方もいるのでは。

それでも、言葉を使って何かを表現しているという点では同じです。

 

ぜひ、興味を持った方がいらっしゃったら、読んでくださると嬉しいです!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。ちょっとブログを書くのが久しぶりすぎて、文章を書いていてこんな文章でいいんだっけ…?と少し焦りながらの投稿です(笑)。これからまたちゃんと書いていけるといいな〜と思っているので、よろしくお願いします!

日本語を勉強したい日本人 (どうやってインターで今の日本語を維持する?)

 こんにちは!皆さんお疲れ様です!

この頃更新が本当に滞っていて、申し訳ないです…。もっと自分でも書きたいことがあるので、いっぱい更新できるよう頑張ります!

 

f:id:chirpspring:20211123194402p:plain

 

目次

 

 

初めに

今回は、タイトル通り日本語の勉強方法について書いていこうと思います。

 

…ん?日本語の勉強方法?

と思った方もいるのではないでしょうか。

私は、生まれてからこの方ずっと日本に住んでいます。一年だけ海外に住んでいたこともありましたが、それももう6年前。

日本語はペラペラのはずじゃん…

 

と、私もちょっと前まで思っていました。

しかし!!!!

この前Voice Up Japanの活動をしていたとき、友達に言われたのです。

「うぐいすさん、ちょっと日本語の使い方変だなって思う時がこの頃あるかも…」

 

…な、なんだって〜?!?!?(はやみねかおるが好きな人には伝わってもらいたい。)

 

 

ということで、まだ三ヶ月しかたっていないISAK生活。

その中で、日本語ネイティブなはずの私は日本語が下手になってしまいました。

これでも、日本語の授業の中では割と話している方なんですけどね…。

純粋な日本語の話者がいないため、普通に話していても「上手い」となってしまうのが自分の中での誤解の原因でしょうか。

私が今教科担任として関わっている先生方はいつもは英語を話すため、ほとんどの人が英語まじりの日本語を使うと言うことも原因の一つでしょう。

 

日本語を使う機会を増やしたい…。

でも、かといって英語がうまいかと言われるそんなわけでは全くない…。忸怩たる思いです。

 

本当に日本語力が衰えているな、と感じたのは、昨日の出来事。「断食でもするしか〜」と会話の中で冗談で言う機会がありました。

その時に、「だんじき(断食)」と言わなければいけないところを「だんしょく」と言ってしまったんです!!!

そんな間違いISAK前だったら絶対起こしませんでした。なのに…なんでこんなことを言ってしまったんでしょう。

暖色について言いたかったのでもなければ衆道の世界について言いたかったのでもありません。

こんなに母国語を話せなくなっているのか…とかなりショックでした。

 

 

それでも!できることなら日本語を話す力は下げたくないです。

語彙も蓄えたいし、文法の間違いもしたくありません。

場合によって使い分けもできるようになりたい。

ISAKに入って日本語できなくなりました〜なんて、ISAKを出たら通用しません。

というか、私が納得できません。

本当に日本語を保ちたいんです!

 

 

と言うことで、書いていくのは「日本語の勉強方法」です。

日本語をもともと知っている人が、日本語を使わなくなったときにどうやって忘れないでいられるのか。

もっと言えば、どうやって「楽しみながら日本語を忘れないでいられるか」です。

 

 

 

 

一応言っておきますが、日本語が下手になった代わりに英語が上達している…わけではないんです。

まだ海外の人たちがコロナの影響で日本に来れていないため、特に私の学年は日本語がわからない人が片手の中に収まる程度しかいません。

そんな環境にいれば、日本語を自由時間に話すのも自然なことですよね。

もちろん日本人がいない時にしか話さないようにと注意はしていますが、実際日本語を話す機会はたくさんあります。

つまり、英語を話す時間も少ないということ…。そこは自分なりに努力して英語を話さなければいけないなと思っています。

 

ただ、そうやって日本人の友達と話しているときに使う日本語は友達同時の話し言葉にしか過ぎません。

別に語彙が増えるわけでもなければ、文法をただしてくれるわけでもない。

その時間はもちろん楽しくて大切な物だけど、その時間でしっかりとした日本語を保っていられるかと言われたらそうでもありません。

 

周りからみれば、日本語ネイティブの私は「日本語が話せる」部類にいます。

でも、私からすれば私以上に綺麗な日本語を話す人がたくさんいることを知っているため、私自身では「日本語がうまく話せない」という認識になります。

周りの言ってくれる言葉に甘えず、自分で何が必要なのかを判断したいです。

今回は、その判断した結果、行ったいきたいことを書いていくつもりです。

 

 

1. 本を読む

一番最初に出てくる方法は、「本を読む」ことでしょう。

周りに今までのように日本語のエキスパートがいるわけではなく、いたとしてもあまり関わらないこの状況。

 

「日本語で話せるようなる」ことが目的なのではなく、「日本語を使いこなす」ことが目的なのならば、ISAK内で人と話すことはあまり有効的ではない気がします。

日本語が話せる人は多いですが、海外経験が多かったり、そもそもISAKで私と同じような現象に陥っている人が多いんですよね…。

 

話せないなら、読むのが一番。

幸運なことに、家が同じ県にあるため日帰りもできる距離なんです。だから、本を何冊かISAKに持ってきました〜!

家の環境に比べたら比べ物にもならないですが、30冊以上持ってきているので少し読みたくなった時に支障はありません。

 

話は変わりますが、かなり切実にちゃんとした本棚が欲しいです。DAISOのダンボールで作る本棚を使っているため、スペースは取らないのですが耐久性が少し問題です。本を置き過ぎていると言うのも問題なのでしょうが、ちょっと熟考しなければいけない問題ですね。

 

このブログでも書いている幸田文さんの『木』。これは、何回か読んでいます。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

読むと自分の日本語力のなさに落胆するのですが、それと同時に「まだこの文章が端正なことがわかってる!」と自分を慰めたり。

初読の時は落ち着いて感動しながら読んでいたのですが、今では読んでいる間の感情のふり幅がうるさい本になりかけています。

 

そして、文学作品。文学作品のいいところは、何回も読んでいればたいていより深い気づきにつながるところです。あ、こう言うことだったのか?!と自分なりの解釈ができます。

自分なりにその話をわかった気になれると、もう勝ったも同然。

「文学作品を読めたぞ…、ちゃんと理解できたぞ…、」と、自己肯定感が急増するんです(笑)

しかも、ISAK入学前から文学作品を読むことも好きになっているので、ただただ楽しめて一石二鳥といった側面もあります。

 

こういった、特定の限られた本に限らず、読みたい本、読まなきゃいけない本は何冊もあります。

読書の時間がこの頃全然取れていなかったのは、正直否定できないところです。

その他のやることや宿題に追われて時間が取れず、時々ある自由時間には課題の時に使用していたパソコンをそのまま使ってYouTube…なんてこともたくさんあります。

 

日本語が不自由になってきているのは、自由時間に本を読んでなかった自分の自業自得ということもあるのでしょう。

せっかくこのごろ自分で自覚して焦ることができているのだから、本を読む時間を増やして楽しく日本語勉強したいです。

 

 

ということで、方法の一つ目は「本を読む」でした。

 

 

2. 人と話す

二つ目は、ISAK外の人と話すこと

ひとまず、両親と話すことかな。

自分の親は二人とも本が大好きなため、間違った日本語を使うとすぐに訂正が飛んできます。

 

その訂正がなくなってもう三ヶ月。

自分でも「あれ、この使い方合ってるっけ?」と思う時が増えてきました。そう言った時は親に連絡。

 

そして、土日など時間のある時は電話できたらいいな〜。正直話すことがそんなあるわけではないかもしれませんが、それでもただ話しているだけでも助けになると思います。

 

両親以外だと、地域の人などISAK関係で交流のある人と話すことも一つの手です。

メールなどを通してのやりとりや、実際にイベントで会った時のやりとりなど。色々なやり方があると思います。

両親と話すときともまた違う、敬語を使用した話し方になります。

ISAKで敬語を使うことってそうそうないため、必要なことのうちの一つなはずです。

 

そして、私はボランティアとしてVoice Up Japanという団体で活動しているため、そこでも日本語を多く使えます。

日本語の間違いを指摘してくれたのもこの団体内でのことだったため、これからも指摘していただけると本当に嬉しい…といった気持ちです。

 

 

義務にせずに楽しみながら日本語に慣れる方法。

本を読むことと、人と話すこと。

基本的なことではありますが、実際にこれくらいしかできることはないと思います。

 

あとは、、と考えてみると、何かを聞いて日本語になれるくらいでしょうか。

ラジオだったり、テレビ番組だったり、ニュースだったり…。

 

3. 変わり種で…競馬実況

少し前にも記事を書いた通り、私は競馬を見ます。

 

chirpspring.hatenablog.com

 

この頃、ISAKで競馬(というか競走馬について)話す友達がいて、それもありよく競馬をBGMがわりに流すようになってきました。

その中で、何回も感じているのが、競馬の実況について。

前に原稿などを用意しているのでしょうが、それにしても競馬の実況は聞いていて面白いです。

以前書いた記事にも、いくつか好きな競馬の実況を書いたはずです。

例えば、トウカイテイオーが引退前最後のレースで「復活」した時の実況。

 

ダービー馬の意地を見せるか!

トウカイテイオーだ!トウカイテイオーだ!

トウカイテイオー、奇跡の復活!!

 

 

そして、菊花賞サクラスターオーが勝った時の実況。

 

しかしサクラスターオー先頭だ!

菊の季節に桜が満開!菊の季節に桜!

〜〜

桜が満開になりました京都競馬場です!

 

 

他には、ディープインパクトが三冠をとった時の実況。

 

世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の決勝だ!ディープインパクト

大外から足音も軽やかにディープインパクト武豊!三冠達成!

〜〜

期せずして場内から大きな拍手が起こりました!

まさに日本競馬史に残る一ページ、一瞬であります!

 

 

こう言った少し浮世離れした、くどいともいうのかもしれない表現が、とても綺麗だな、と思います。

実況という仕事は、その一瞬で起こる勝ち負けをしっかり判断して、その上で人を感動させる言葉を発します。

綺麗に練られたであろうその言葉が日の目を浴びて感動に繋がる過程も綺麗ですし、他の馬が勝っていた場合の決め文句もあったのかな、と思うと少し悲しいような寂しいような気持ちになることも。

 

これは、言葉のみの力ではなく、もちろんそのレースだったり馬だったりによる率直な感動の力が大きいはず。

でも、言葉だけを見てもそのレースでの感動が思い起こされたりするのだから、言葉の持つ力というのもすごいものです。

言葉は器のようなもので、その言葉の中に思い出を溜めておくこともできるんだろうな、と思いました。

 

こう言った言い回しを実生活で使うことはほとんどないでしょうが、それでも少し頭を使うとより記憶に残る競馬の実況。

こう言ったものも、日本語を忘れないために使いたいな、と思っています。

 

 

まとめ

本を読むこと、人と話すこと、そしてちょっと変わり種で競馬の実況。

 

色々と日本語に慣れていく方法はあります。

あとは、私自身がそれにどれくらいの時間を割こうとするかです。

本当に日本語が下手になってきている今日この頃、少しずつでも改善を図っていかなければ、3年後の自分なんて目も当てられません。

なんかこの人の日本語変…。なんて思われたまま会話するような事態だけは避けたいところです。

すでにそれに近いような状態になっているかもしれません。

 

日本語勉強頑張ります!!

ちなみに、自分は別に日本語大丈夫だから…と思っている方、

日本人の知らない日本語』という漫画をぜひ読んでみてください!日本語についてもっと詳しくなった気分にひたれます(実際読んだ分知識も増えますし)。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。日本語を忘れない方法を自分なりに描いてみました。それでは、時間を見つけ次第頑張っていきます!